2008/12/30

アク禁への遠い道のり  
今朝、のび太氏からコメントが入った。文中、アク禁の道は遠いと書いておられるが、まったくそのとおりである。拙ブログは事実上、アク禁を禁止している。削除も禁止である。
つまり、投稿した文章は消えずに半永久的に残ることになる。少なくともわたくしがブログを続けているうちは、そのままの状態で残されることになる。
これは一種のナリユキマカセではあるけれども、逆に自分にとってもコメント投稿者にとっても、ひじょうに厳しいことでもあるのだ。

その意味で、ウカツな投稿は出来ないものと、各々が心得ていただければと思う。

先日、山門入り口氏の文章には誤字脱字誤変換が多いと書いた。実は二十八日分のコメント欄に寄せられた氏の文章を読むと、誤字ではなくて誤記がある。ここでは具体的に指摘しない。本当ならば自分で気がつかないといけないレベルである。
また、拙ブログは現在、平均すると百有余名の人たちがほぼ毎回閲覧しておられるけれども、おそらくは多くの読者が山門氏の誤記に気がついていることだろう。しかし、誰もそれを指摘するコメントを寄せないのである。
山門氏には、この現実が何を物語るのかを、ぜひ考えてもらいたいと思う。

さて、サイトウ氏のおっしゃるごとく、わたくしの新提言は受け入れられないだろう。それは最初からわかっていたことである。
わたくしは経済オンチであるけれども、単純に商売について考えると、そこには売り上げと利益という二つの指標がある。これを顕正会に当てはめるとわかりやすい。いや、もちろん、わたくしは何も顕正会を商売だと言っているわけではなく、これは顕正会の折伏の実態を考える上で、好都合の譬えなのである。
つまり、顕正会の折伏誓願というのは売り上げ目標みたいなもので、それが達成されたとしても実質的な利益はまた別問題だということなのだ。

顕正会の現状を譬えると、売り上げは上がっているけれども利益が出ない、という感じだと思う。
それを一言で言えば、粉飾だからということになる。入信報告書の偽造があるかどうか、それはまた別問題だとしても、ともかく折伏の内容がひど過ぎる。ゆえに、入信者は名ばかりの入信であって、実質的には定着しない。つまり、ここでは定着が利益の意味に相当するのだ。
さらに言えば、退転者の続出がある。今まで活動していた人がやめてしまえば、損失であり、これもまた利益に影響する。

だから、わたくしとしては顕正会の体質改善が第一ではないか、組織を整理縮小して、いわばリストラして、抜本的に改善しなければダメなのではないか、と思っているのである。

まあ、しかし、これはしょせん理想論であって、現実にはひじょうに難しいことなのだろう。
その理由は、前述の売り上げの譬えに自ずと答えが出ている。ようは今まで二万の売り上げがあったのを七千に下げるとなると激減である。通常の感覚では怖くて出来ないことなのだ。
売り上げが半分以下になってしまって、それで以前よりも利益を上げるということは、単純に考えて難しいことである。もちろん、それがリストラということなのだが、やはり感覚的には無理なのではないかと誰もが思ってしまうところだと思う。

商売の世界では撤退ということがある。廃業という言い方もある。早い話が儲からんから店じまいをしてしまうことである。しかし、顕正会の場合はそうも行かないのだろう。結局、怖くて思い切ったリストラも出来ないし、ましてや撤退することも出来ない。だから今のやり方で突き進むしかないのだろう。

わたくしの提言が受け入れられないのは、まさにこうした事情によるのである。

さて、一信士氏からは久しぶりにコメントを頂戴したわけだが、そこにはわたくしが思っている以上に危険な状態であると書かれている。
確かに、氏とわたくしとでは立場が違うので、考え方に違いがあるのだろう。氏のおっしゃる危険の意味にしても、かなり異なる意味のようである。
ようするに、わたくしは顕正会の折伏のあり方を抜本的に変えるべきだと提言したわけだが、氏に言わせれば枝葉末節のことなのだろう。文中、御本尊問題という言葉が出てくることからしても、それはわかることだ。結局のところ、それが最大の問題であり、根本問題なのだ。そこをクリアしない以上は、他の部分を改善したところで無意味であると、まあ、そういうことになるのだろう。

これについては、まったくそのとおりであって、もはやこれを言われてしまったらもう何も言えないのである。

しかし、サイトウ氏の直近のコメントはなかなかのものである。それは一信士氏へ宛てたものなのだが、そこには「シブトイ」と書かれている。実は先日、わたくしは「泥沼に浮かぶ泥舟」というタイトルを打った。この意味もシブトイということなのだ。

飽和をご存知だろうか?

たとえば水に角砂糖を溶かしていくと、やがて水がドロドロの状態になってそれ以上は角砂糖が溶けなくなるのである。泥舟というのは沈没する運命を示唆する表現であるが、泥沼の中では案外になかなか沈まないのではないか、という意味を込めてタイトルを打ったのである。

さしあたって、サイトウ氏のような人物が存在する限り、顕正会は潰れないに違いない。


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