2009/8/31

思い出の夏  
山門手前氏より、センチメンタルな独白、との感想を頂戴した。しかし、文章そのものはそれほど変わっていないのではないかと思う。おそらくはタイトルが拙ブログらしくなかったのだろう、それが大きいに違いない。

今回の選挙の結果は大方の予想どおりなのだろうが、しかし、わたくしの正直な感想を言えば、まさかここまで極端であるとは思わなかった。

自民党の敗北にしても、極端すぎる。何しろ前回が大勝だったので、そのギャップがあまりにも大きく、信じ難いほどである。
公明党もひじょうに痛ましい。議席数だけを見れば、負けはしたものの、自民党ほどの極端さはない。だが、小選挙区全滅というのは公明党らしくない負け方であり、なおかつ、重複立候補をしなかったために主要なメンバーを失ってしまった。
比例に出ないというのは、いわゆる背水の陣であり、イサギヨイことだとは思う。しかし、結果的にはそれが裏目に出てしまったことになる。ある意味、勝負の世界は堅実でなければいけない、ということの教訓になるだろう。

これで民主党の時代が到来した。

しかし、民主党の強さはいったい何だろうと考えた時に、そこには確たるものが見えない。ようは風なのだろう。うまく順風に乗ることができた。逆に、自公は大逆風に押し流されてしまった。
であるならば、この先もアヤシイものだ。おそらく新内閣が発足してすぐに世論調査をすれば、支持率は驚異的な数値を記録することだろう。だが、しかし、何かしらヘマをやれば、たちまちに支持率低下となり、場合によってはあっけなく失脚するかもしれない。いや、もちろん、これは最悪のケースを書いているに過ぎないわけだが・・・

今朝、沖浦氏からコメントをもらった。

楽観主義というか、氏の場合は常に前向きなのだろう、それが氏の持ち味であり、強みである。ようするに、創価学会はますます飛躍する、という意味のことを氏は書いているのである。

だが、わたくしは違うような気がしている。沖浦氏の書いていることも、どことなくチグハグな感じがしてならない。たとえば、池田大作氏の次の発言が不審である。

『創価学会から、登山会と、選挙がなくなれば会員が楽になる。』(取意)

選挙と御登山を並べて論ずること自体がけしからんことだと思う。

沖浦氏が男子部の時に聞いた話であれば、これはいわゆる破前の発言である。破後ならばまだしも、破前においてこのような発言をしたとなると、池田氏にはハナッから信心がなかったことになるだろう。
選挙と信心にいったい何の関係があるのか、という疑問が会員にはある。かつては国立戒壇の実現のための手段として、選挙があった。ところが国立戒壇を捨ててしまった。すると、いったい何の目的で選挙活動をするのか、わからなくなる。
実際、創価学会から顕正会に移籍してきた人たちは、こうした疑問を払拭できなかったことから不信感を増大させていったのだ。
一方、御登山は信心そのものである。つまり、公式を当てはめれば、選挙≠信心であり、登山=信心なのだ。

ゆえに、登山と選挙を並べて論ずることのおかしさ、また、それを引用して憚らない沖浦氏に、わたくしは疑問を懐かざるを得ないのである。

 宗門と言うお荷物を抱えていた創価学会。
 
 自民党政権と言うお荷物を抱えた創価学会。

 二つの重荷が消滅いたしました。


今の法華講員たちの考え方はぜんぜん違う。ようするに、創価学会は宗門から離れたことによって功徳を積めなくなった、その現証がいよいよ顕在化してきた、というような考え方である。

わたくしは法華講員ではないけれども、どうも彼らの見解のほうが正しいような気がしてならない。なぜならば顕正会もいよいよ行き詰まりの状態になってきている。正信会もしかりである。

やはり、一切は現証には如かず、ということなのだろう。

2009/8/30

夏の思い出  
今夏は忘れがたい象徴的な出来事が重なったと言えるだろう。

一ヶ月前には宗門において、大規模なイベントが行なわれた。一週間前には顕正会の男子部大会があった。そして本日は総選挙の投開票が行なわれる。

宗門のイベントが成功だったかどうか、わたくしはまったく知らないけれども、一つ言えることは今夏は天候不順だった。とりわけ七月下旬のあの頃は、雨がよく降っていたように記憶している。けれども当日は、ちょうどうまい具合に雨が降らなかった。野外での集会だったので、それがいちばんの心配だった。

顕正会の男子部大会はどうだったろう?

これは屋内なので、天候そのものはあまり関係ない。注目は本当に三万人集まったのかどうか、それがすなわち成功不成功を決定する最大のポイントである。
ネット上の情報によれば、せいぜい二万前後だろうと言われている。わたくしもそんなものだろう、それが順当な数字だと思う。そして顕正会側の発表としては、三万結集完遂とするに違いない。
これに目くじらを立てても仕方がないと思う。いいのである。三万人集まったと見做して構わないのだ。
問題は次のステップである。これは顕正会の首脳部も、よほどのバカでない限り、承知していることだろう。

話によると、十二年後に三百万を達成し、その時には男子部で十万人の結集を行なうらしいのだ。

三百万などは単なる数字上の話であるから、どうにでもなる。しかし、実際の結集ともなれば、そうも行かない。
現状で男子部二万人程度が真相だとしよう。サバを読んで、三万人。それを十二年後にどこまで伸ばすことができるか、大問題である。
わたくしの感覚で言わせてもらうと、仮に実勢で七万人程度まで伸ばすことができれば、それをサバ読みで十万と言ったとしてもそこそこは納得できるところである。しかし、実勢が五万人だとしたら、さすがにそれを十万であると強弁したところでムナシイことだろう。

それこそハタから見てもシラケルが、おそらくは内部の会員たちもガッカリするに違いない。

こんなことはとっくの昔にわかっていたことなのだ。少なくとも百万達成時にわかっていた。
顕正会は定着率が悪い。今後、二百万になろうが三百万になろうが、そこを抜本的に改善しないことにはどうにもならない。首脳部がいちばんわかっていることなのだ。
しかし、特効薬がない。打つ手がないのだ。それにもかかわらず、浅井先生は相も変わらず、まったく同じ手法で突き進もうとしている。悲しい現実である。

さて、総選挙のことは、今後の創価学会の伸張を占う意味で、誰もが注目していることである。

結果が出るまでは何とも言えないことであるが、大方の予想では政権交代がほぼ確実であると見られている。つまり、自民・公明の連立政権が崩壊し、民主党を中心とした新政権が実現するとの見方である。
よくわからないが、これは創価学会員にとって大いに落胆する出来事なのではないかと思う。
そもそも中選挙区制から小選挙区制に移行した段階で、公明党はかなり議席を減らした。その代償というわけでもなかろうが、自民党と組んで政権与党の側についた。自民党にとっても創価学会票を得られるというメリットがあった。ゆえに両者は相思相愛であり、盤石の関係を思わせた。
しかし、それも今日でオシマイになりそうである。おそらく下野すれば、両党の関係は崩れるだろう。単純に考えて、公明党と組んでも選挙に勝てないのでは意味がない、与党でない自民党と一緒にいても仕方がない、というのが双方の本音に違いない。

下げ幅が注目されるところだ。
自民党はさておき、公明党はいつも手堅い。選挙上手との定評がある。
つまり、負けるにしても惜敗で、それほど議席を減らさない可能性もある。だとすれば、逆風にもかかわらず、よく健闘したということになるだろう。
これならば創価学会員もそこそこ納得するのかもしれない。

いずれにしても宗門の結集や顕正会のそれとは違って、創価学会の戦いはひじょうに厳しい。それはもちろん、ゴマカシが効かないからだ。その答えがもうすぐ出る。

2009/8/29

『正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う』を斬る  
今日はまず、浅井先生の第一回宗門諌暁書をご覧に入れたい。

しかるに、いま事の戒壇とて、大石寺御堂裏地が掘り返されている。この地は曾つて一般信徒の広大なる墓地である。「霊山浄土に似たらん最勝の地に」と御遺命遊ばした戒壇が、何故に不浄の墓所を掘り返してまで無理に立てられねばならぬのか。凡夫の臭骨に穢れた土地が何故恐れ多くも大御本尊の御座所に選ばれねばならぬのか。道理を無視した強引の通る筈はない。
だがこれよりも百千万億倍許されざる暴挙がある。即ち御歴代上人の御正墓御遷座である。大聖人のもぬけられたる大導師として、先師上人その一生を法に捧げ給い、いまその化を止めて静かに休み給う処を、何の必要あって発き奉るのか。しかも御歴代中多数の上人は御土葬とも洩れ承る。嗚呼先師すでに土に成り給う。その霊土を誰人が荒し奉る権利を有する。況や謂れ無き工事に於ておや。殊に近代御高徳の某上人の御遺体に於ける恐れ多さ、伝え聞くに背筋の凍るを憶え、暗涙思わず頬を伝うのみ。先師上人に対し奉る辱め、これに勝るは断じてあるべからずと繰り返えし憤りを新たにするものである。


この第一回諫暁書は昭和四十五年に書かれたものである。いわゆる御遺命守護の戦いはここから始まったわけだが、今の顕正会員はこの原点とも言える記念すべき書を知らない。
顕正会は御遺命守護の戦いを美化し、正当化する。であれば、その原点であるところの記念すべき第一回の諫暁書を、今の若い会員たちにも読ませるべきである。ところがどういうわけか今は封印されてしまって、読む機会がない。
おそらく、その理由は浅井先生が完全主義者だからであろう。今の先生にしてみれば、第一回諫暁書は間違いだらけで恥ずかしくて見せられない。

ひじょうに身勝手である。御遺命守護の戦いは美化し、大いに宣伝している。ところが第一回諫暁書は封印してしまっている。おそらくは、よほど都合の悪いことが書かれているのだろう。

実は、上掲の部分がまさにそれである。はっきり言って、これは大失言である。もし政治家であれば、これだけでも失脚するだろう。今まで大臣クラスの人が失言によって辞任を余儀なくされたことが何度もあった。まったくもって、上掲はそれに異ならないほどの失言である。

凡夫の臭骨に穢れた土地・・・

これは仏法上の道理からして大間違いであるが、その前に世間普通の義としても許されざる暴言である。

若気の至りであろうか、浅井先生も未熟だったのだ。
この場合、一般人に理解し難いのは一般信徒を貶める一方で御歴代上人に対する尊崇が際立つことである。凡夫は臭骨であり、上人は霊土という、おそらくは今の創価学会員などもこれには物凄く違和感をおぼえることだろう。いわんや一般人をやである。
きわめて俗な表現ではあるが、死んだ人のことを「ホトケさん」と呼ぶことがある。これが世間普通の義ということだ。つまり、凡夫の臭骨などと書くこと自体が死者に対する冒涜であり、遺族の感情を逆撫でする不用意な発言・・・すなわち失言なのである。
ゆえに、一般信徒も上人も同じく「ホトケさん」であり、その墓所を発くことは言語道断の非道である、という方向性で責めるのが理想的だった。これならば問題はなかっただろう。

以上は世間普通の義を基準に書いたわけだが、実は仏法の道理からしても同様のことが言えるのだ。

故阿仏聖霊は・・・日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。・・・其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。

余計な解説は必要ないだろう。御文の意味をよく考えてほしいものだ。

さて、そもそも不浄という意味では、この娑婆世界そのものがいわゆる穢土と呼ばれるわけであって、墓地に限った話ではなく、そこらじゅうが不浄なのである。女人成仏抄など、いくつかの御書には涅槃経の次のくだりの御引用を拝することができる。

一々の衆生一劫の中に積もる所の身の骨は王舎城の毘富羅山の如く・・・

あるいは顕正会員の好きな(?)松野殿御返事には、

とても此の身は徒に山野の土と成るべし。

とある。

この意味では、地球上のどこもかしこもが不浄の地であって、足の踏み場がないほどである。
もちろん、これを前提とした上で、比較的に良き地を選んで伽藍を建立すべきが道理ではある。それが三大秘法抄に仰せの最勝の地を尋ねるということであり、門徒存知事における勝地を選んで伽藍を建立すべきということになる。
しかし、あるいはこれを覆すのではないかと思われる御指南が御講聞書に存する。それは耆闍崛山の事と題する御指南である。

 仰せに云はく、耆闍崛山とは霊鷲山なり。霊とは三世の諸仏の心法なり。必ず此の山に仏心を留め玉ふ。鷲とは鳥なり。此の山の南に当たって尸陀林と云ふ林あり、死人を捨つる所なり。鷲、此の屍を取り食らふて此の山に住むなり。(以下省略)

興味のある人は続きの御文を踏まえて思索するとよいだろう。

ともかく浅井先生の、凡夫の臭骨に穢れた土地が戒壇建立の地であるわけがない、との論法がいかに浅はかであるか、よく理解できたのではないかと思う。

2009/8/23

不参加組の独り言  
ニシケン氏から頂戴した直近のコメントはひじょうに鋭いものがあるので、これについては後日、改めて取り上げたいと思う。

今日は男子部大会だ。

わたくしにも誘いがあった。もちろん、断わったわけだが、ともかくダメを承知でわたくしのところにも声を掛けるくらいなのだから、その真剣さにはいちおう敬意を表したいと思う。

のぶりん氏のブログを拝見したところ、氏も不参加組のようである。しかも連絡が来なかったという。氏はすでに顕正会から心が離れつつあるので、ちょうどいい具合なのだろう。
しかし、ここにも顕正会の実態があらわれている。
ようするに担当の幹部が退転してしまったのだろう。あるいはその人を含めてその組織で集団脱会があった可能性もある。活動会員の熱心さを思えば、たとえ面識のない会員であっても連絡先がわかればコンタクトを取ってくるはずなのだ。つまり、担当の幹部が一人だけ退転したくらいでは、連絡が途絶えることはまずない。誰かが代わりに連絡してくるはずなのである。しかし、その組織そのものが壊滅的になってしまえば、もうオシマイである。
熱心ではないが、誘えば集会に参加する程度の人もいる。ようはオンブダッコであるが、このようなタイプの人は引っ張ってくれる人がいなくなれば、自ずと離れていくことになる。
のぶりん氏の件は、顕正会の組織の脆弱さを物語るものだ。

ネットの情報によると、今日の集会の参加予定人数は二万三千人との話である。よく知らないが、大規模な集会を行なう時には事前に公的機関への通知が必要なのかもしれない。ようはその数字が二万三千らしいのだ。

わたくしはそれだけ集まれば御の字だと思う。もちろん、顕正会としてはそれで三万人の大結集を謳うわけである。実際にはどれだけ集まるか知らないが、部外者には確かめようのないことなので、顕正新聞の報道で三万人と出ればそれを信用するしかないだろう。
問題は次のステップである。
浅井先生はこうした大きな集会でさらに大きな目標を掲げるのを常套手段としているので、あるいは次のステップとして五万人規模の結集を打ち出すかもしれない。さすがに、いきなり男子十万結集は無理だろうから、その足掛かりとして五万だとか七万くらいの目標が掲げられてもおかしくないのだ。
しかし、現実問題としては今がギリギリいっぱい背伸びした状況なので、ここから飛躍することは相当の困難が予想されるところである。
先のことはわからないとは言え、これは後の歴史が物語ることだろう。

OM氏から数点にわたってコメントを頂戴した。

対破、自讃毀他目的の教学が主では創価学会と同類

なかでも、わたくしは上掲に注目した。創価学会の悪弊が宗門や顕正会にも及んでいるという意味の話であるが、さらに自讃毀他がエスカレートするとやがては自界叛逆の作用をもたらすのではないか・・・とわたくしは思った。

というのは、ここ一年近く、ネット上では沖浦問題がくすぶり続けている。これは沖浦氏が問題なのではなく、沖浦氏対他の創価学会員の間で問題が生じているという意味である。双方に言い分があることなので、わたくしは積極的にはどちらにも肩入れしないが、おそらくこれは一種の自界叛逆と言えるのではないかと思う。

そして最近、富士宮ボーイを閲覧していて、落胆した。

夕焼け氏が御書の掲示を行なっていた。ところがこれにイチャモンをつける人が出たのである。

いわく、

御書を貼るだけの無意味な行動は慎んでください。

と。

確かに、ただ単に御書を載せるだけでは退屈な読者もいることだろうから、夕焼け氏も何かしらの工夫をするべきだったかもしれない。しかし、これがさらにアク禁動議に発展するに及んでは、さすがにそれはないだろうと思った。そして最終的には管理者の裁定が求められたわけだが、どうやらアク禁ということらしいのである。

はっきり言って、ガッカリである。

ただし、なかには次のようなコメントを残す人もいた。

>>御書を貼るだけの無意味な行動は慎んでください。

どうやら「貼るだけ」という行為がダメということのようですが、
フェイク等、出所不明文書の「貼るだけ」は良くて、
大聖人の御文を「貼るだけ」はダメ・・・
何とも難しい掲示板ですね。


なかなか鋭い。これはある種の矛盾を突いているわけだが、これに対する反論が見当たらない。そして管理者もこれには何らの回答を与えず、なし崩し的にアク禁への方向に進んでしまったようなアンバイである。

これらを第三者が冷静に見ていてどう感じるか、当事者はそれを考えるべきであろう。おそらく富士宮ボーイ関係者の誰か一人くらいは拙ブログを閲覧していることだろうから、ぜひとも、よく考えてもらいたいと思うものである。

2009/8/19

休日返上?  
夏バテというわけではないが、どうも更新意欲が湧かない。そこでしばらく休もうかと思っていたが、ニシケン氏より真面目な質問が寄せられたので、今日はその線に沿って書いていく。

まず、氏は平成十年三月の入会という。なるほど、その翌月にはあの不思議の還御があったわけだが、入会したばかりの人には事情がよく呑み込めなくて当然であろう。これについてはトチロ〜氏からのフォローがあったので解決としたい。

浅井さんが暴走して邪教化したのは古参会員にも責任があったと思っています。
浅井さんが犯罪者なら古参会員も共犯者です。
今も古参会員は残っていますよね。
浅井さんの間違いを知りながら何年も顕正会に留まっている。
重罪だと思っています。


なかなか厳しいことをおっしゃるものである。

『迷走する顕正会を斬る』には、「幹部の粛清」ないし「身内びいき」という項目がある。具体的な文言は省略するが、櫻川氏の記述を信用するならば、妙信講時代の主要な幹部はことごとく粛清されてしまって残っていないことになるだろう。櫻川氏自身は中枢幹部ではなかったものの、妙信講時代のことを知る貴重な存在だった。しかし、それも浅井先生にとっては煙たい存在だったらしく、数年前に除名処分となってしまった。
つまり、今は妙信講時代からの古参会員がまったくいなくなったわけではないが、ほとんどいないと考えて差し支えないと思う。ゆえに、彼らを共犯者であるとか重罪であるとするのは、酷な話だろう。

顕正会の最大の被害者は、勧誘活動に使役されて人生を台無しにさせられている活動会員である。

第一章に出てくる言葉だが、これは直接的には今の活動会員たちを指し示している。しかし同時に、上述の「幹部の粛清」などを勘案するならば、過去の妙信講員たちにも幾分かは当てはまるのではないかと思う。
つまり、外部から見れば、浅井先生の手足となって活動している人たちは共犯者に他ならない。だが、しかし、その一見すると共犯者に思える人たちが、実は最大の被害者であるということなのだ。
もちろん、これは浅井先生を犯罪者であると前提した上での話であるから、正統派顕正会員からは反論があることだろう。しかし、それは今の所談ではないので、次の話に移る。

「霊山浄土」=「霊土」

前回、わたくしは世紀の大発見と題して書いた。その大発見とは何かであるが、ニシケン氏から上掲のことではないかとの問い合わせがあった。
今は、ぜんぜん違う、とだけ書いておこう。別にもったいぶるわけではないが、わたくしの発見はこれとは次元が異なるものである。
しかし、ニシケン氏の着眼点も素晴らしいと思う。実はこれ、わたくしはまったく気がつかなかった。あとは、これをどのように解釈するか、それが問題だろう。
結局、こうした文章上の発見というのは、説明の付与が最大の課題である。ようするに、音楽鑑賞などで感動を味わったとして、それをどのように人に伝えるか、それがけっこう難しいことである。それと同様に、文章から感動なり発見なりを得て、さらにそれを他人に向かって説明するとなると、これがけっこうの難題なのである。
よって、霊山浄土と霊土の関係にしても、それがいったい何を意味するのか、他人に説明できなければ意味がない。さらに言えば、音楽鑑賞の場合はその音楽を聴かせることで共感を得ることができるかもしれないが、文章上の発見はそうも行かないので、その分だけハードルが高いのだ。

それはさておき、ニシケン氏からはさらに別の質問が寄せられた。

「汚れた正本堂」
「誑惑の正本堂」


ようするに、浅井先生の正本堂に対する認識には二通りあって、この二つは意味合いが大きく異なるのではないかという指摘である。

おっしゃるとおりだと思う。

ゆえに、櫻川氏の著書においても、この二通りの主張に対応する形で論じている。一つは前々回の拙稿で紹介したごとく、不浄が二度と永遠に解除されないとする浅井説は道理を欠いた詭弁、というのがそれである。もう一つは第九章の最後「戒壇建立へのプロセス」の項において、明らかだ。

今、要を取って言えば、現在の宗門は国立戒壇こそ言わないものの、すでに顕正会の主張する戒壇義とほぼ同一である、ということになると思う。

そして実際問題として、今はすでに正本堂が存在しないわけだから、「誑惑の正本堂」も潰えたことになる。つまり、不浄云々は間違いであり、誑惑云々は過去のことであって今の宗門に当たらない、よって浅井先生の主張はその両方向から潰えている、というのが櫻川氏のロジックなのだろう。

もっともニシケン氏の質問の意図がどこにあるか不明なので、上述は期待ハズレの回答かもしれない。

この際、せっかくだから大発見の片鱗だけでも書いておこう。不浄の正本堂は潰えたがその跡地には奉安堂が建っている。キリスト教の神父による不浄は、正本堂の解体によってそそがれたことになるのだろう。だが、しかし、それ以前の墓地の問題はどうなってしまったのだろうか?

2009/8/16

世紀の大発見  
今朝の山門手前氏のコメントは、わたくしに対する的確な批判である。これについては甘んじて受けざるを得ないところであるが、一点だけ釈明したいと思う。

 顕正会から離れた元幹部と会ったとき、「御遺命守護は浅井会長の自作自演だ」と語るのを聞いて愕然とした。わたしは、立場が変わったとはいえ史実まで曲げてしまうのはどうか、との感を深くした。

これは櫻川氏の言葉であるが、同じことが櫻川氏本人にも当てはまるのではないか、ということなのだ。
わたくし個人の解釈としては、第一義的には大御本尊の御遷座こそが御遺命守護の完結であり、ニシケン氏の言葉のごとく、その暁に実現するであろうことが宗門への復帰を始めとした諸々の事項なのだと思う。そして現実にはそれらは一つも実現していない。だから浅井先生はウソツキである。
しかし、ウソツキの言うことがすべてウソイツワリなのかと言えば、それは違うだろう。わたくしの指摘はこの一点である。今、整理して言うならば、御遺命守護完結はウソではないがそこにはウソが混ざっている、となるだろうか?
つまり、ウソではない部分までもウソであると決め付けてしまうのはどうか、と言いたいのである。

さて、今度はニシケン氏であるが、どうもこの人は極端である。しかも櫻川氏に対して、どことなく敵意むき出しのような、そんな印象を拭えない。

破門された団体が二度と永遠に破門を解除されないとするニシケン説は、道理を欠いた詭弁だと言わざるを得ない。

これは櫻川氏の文章を改造したものであるが、別に悪意はないのでニシケン氏には寛大に受け止めていただきたい。

顕正会員のハシクレとして、わたくしの正直な感慨を述べておくと、いつかは破門が解かれるのではないかという淡い期待があったのは事実である。
しかし、それが明確に裏切られたのは、折伏理論書の改訂版においてである。前にも何度も書いているが、そこで先生はこっそりと内容を書き換えてしまった。つまり、先生自体がこの段階で宗門復帰を断念し、しかも会員にはそれを明確な形で告知せず、誤魔化してしまったのである。
これを逆に言うと、それ以前においては先生も宗門復帰を期待していたと考えられるわけで、仮にそれが単なるポーズだったとしても、無垢の会員がそれを信じ込んだとして不思議はないことである。
ゆえに、ニシケン氏の、疑問が湧かなかったこと自体がおかしい、という意味のコメントは結果だけを見て言っているようにしか感じられないし、さもなくば猜疑心の強い人なのだとしか言い様がないところだと思うのだ。

一つ、傍証を示しておきたい。

わたくしの所持している冨士の二百五十号と二百七十一号はけっこうボロボロである。顕正会の歴史を知る意味で、この二つは格好の教材だったのだ。
ところがである。最近までわたくしの知らない事実があった。妙信講は昭和四十五年の十月二十五日に御登山しているのである。わたくしの読み落としではないとすると、上記の二書にはこの事実が書かれていないことになる。
いわゆる御遺命守護の戦いはこの年の春に開始された。そして秋にいちおうの決着を見るのである。その直後に、御登山・御内拝をたまわることができた。
わたくしを始めとして、妙信講時代を知らない多くの顕正会員は、この事実を知らない。しかし、当時の妙信講員はこれを直に経験しているのだ。
つまり、この経験を踏まえるならば、われわれの御遺命守護の戦いがいつか実を結び、大石寺への参詣が叶う日が来るかもしれない、という期待を懐いたとして不思議はないのだ。

よって、以上のことは平成十年までは有効だったと考えて差し支えないと思う。しかし、それ以降は絶望的であり、今もなお宗門復帰を期待している顕正会員がいるとすれば、それこそニシケン氏の指摘に当てはまることになる。

さて、今日のタイトルであるが、これは山門入り口氏に対する称賛である。

だが、しかし、いつものことながら、まったくヒドイ資料だ。入力ミスがそちこちにある。こんな調子でいながら、他人の書籍をダ本などとこき下ろすのだから、困った御仁である。

いったい何が大発見なのか、それは別の機会に譲りたい。

2009/8/13

批判シリーズ終了  
前回の拙稿に対して、二人よりコメントを頂戴した。しかし、いずれも不審である。
まず、とんび氏に申し上げる。記憶のままに書くのがいけないとは言わないが、ちょっと調べればわかることである。それを横着して曖昧な記憶をたよりに書くと間違えることになる。
また、山門手前氏には今一度、拙稿をよく読んでいただきたいと思う。おそらくは氏の勘違いか、さもなくばナナメ読みゆえの誤解であろう。そこに気がつくべきだ。

さて、今回をもって『迷走する顕正会を斬る』への批判を終了するつもりである。早い話がネタ切れであるが、ともかく本題に入ろう。

第九章には「浅井会長の不誠実」というタイトルがあって、その最初の項目が「御遺命守護完結の偽り」である。
ようするに櫻川氏は、御遺命守護完結はウソである、つまり、浅井先生はウソツキである、と言っているわけである。
わたくしはこれに異議を申し上げたい。

 御遺命守護完結とは、顕正会の掲げる戒壇義が宗門に受け入れられることであった。大御本尊の遷座とは別の問題である。大御本尊の遷座を、御遺命守護完結であるとすり替えることは、会員への謀りである。

さすがは浅井先生の弟子だっただけのことはある。ひじょうに言い方がキツイのだ。これがかつては宗門や創価学会に向けられていたわけだが、今は浅井先生に向けられているのである。

御遺命守護完結は大御本尊御遷座と別問題・・・

いや、そんなことはない。この際、過激な言い方をするならば、別問題かどうかは関係ないのだ。

まず、整理をしよう。別の問題なのか、それとも同じ問題なのか、これは見解の相違ということになる。
次の見出しには「正本堂を不浄とする偽り」とある。おそらく櫻川氏はこれが念頭にあるのだろう、正本堂を不浄と考えるのは間違いである、よって御遷座の絶対的必要性を認めない、当然の帰結として御遺命守護完結とは無関係、というのが氏の意見である。
しかし、これは一考を要するところだと思う。ここでは詳述しないが、もし正統派顕正会員がお出ましになれば、それなりの論陣を張ることだろう。つまり、正本堂を不浄であるとする説もそれなりに有力であり、当然ながら浅井先生はそれを主張しているわけであるから、それを不誠実とは言えないのだ。
不誠実と言えるのは、間違いであることを承知しながらワザとやっている場合だけである。先生はそれが正しいとの信念に基づいて主張しているわけだから、それはタバカリでもなんでもないのだ。

212ページの記述を引用しよう。これは昭和五十年の四月二十六日に行なわれた妙信講第十七回総会を伝えるものである。

 続いて浅井理事長は、「汚れた正本堂から清浄の奉安殿に大御本尊を御奉還申し上げることが御遺命守護の完結」と述べた。正本堂を不浄とし、大御本尊遷座に言及したのは、これが初めてである。

なお、参考として239ページの記述も紹介しておく。

 昭和五十年十二月、妙信講青年部大会で昭衛氏は、「誑惑の正本堂から奉安殿へ御奉還を」と講演した。大御本尊の遷座を求めた最初の発言である。

大御本尊遷座に言及したのはこれが初めて・・・
大御本尊の遷座を求めた最初の発言・・・

二つの記述を並べるとじゃっかんの錯綜を感じるが、それはどうでもよいことだ。ようするに、浅井先生はかなり早い時期に御遷座の主張を開始し、それからおよそ四半世紀にわたって主張し続けたのである。また、前掲の文章に明らかなごとく、先生は御遷座こそが御遺命守護の完結であると述べているのだ。
ゆえに、これは全顕正会員の了解事項であり、ここに謀りだとか不誠実だとかの要素が入り込む余地はまったくない。

強いて言えば、宗門への復帰、それにともなう御登山・御内拝、あるいは常住御本尊の下附など、こうした付帯事項が実現していないことが問題となる。ゆえに、浅井先生はこの点の釈明なり、もっといえば会員への謝罪をするべきだった。逆に言うと、それをしないから御遺命守護の完結には欺瞞があると言われてしまうのだ。

最後に、正本堂が不浄であるか否かの問題において、浅井先生は不浄であるとの認識であるが、一方の櫻川氏は次のごとく主張する。

 完工式への異教徒参列が堂宇を汚し、その不浄が二度と永遠に解除されないとする浅井説は、道理を欠いた詭弁だと言わざるを得ない。

これはまさに教義論争である。先ほど、わたくしは正統派顕正会員の登場を促がす意味のことを書いたわけだが、本当ならば浅井先生が自ら回答するべきだろう。

おそらくはそれが、御遺命守護完結を偽りであり会員に対する不誠実であると主張する櫻川氏への回答と同時に、本当の意味での会員への誠実さを証明することにつながるはずである。

2009/8/12

恣意的な引用を斬る  
各方面より、ひじょうに力の入ったコメントを頂戴しているが、これらは今後の糧とさせていただくことにして、さっそく本題に入りたい。

 昭和六十年五月、壮年・婦人・男子・女子の四者体制への組織変更が行われた。

これは昨日の「教学部廃止」と前後するが、一つ前の「四者体制移行」の冒頭の文章である。

櫻川氏の見解では、この四者体制への移行は浅井先生の自己保身が目的だという。
だが、しかし、さすがにそれはないだろう、というのが今日の話の結論である。
いくらなんでも昭和六十年の段階で先生がそのような考えを持っていたとは考え難い。何か決定的な証拠でもあれば、まだしもであるが、櫻川氏は何ら具体的な証拠を示していない。こういうのを邪推というのだろう。

 浅井会長は、自分への謀反を何より恐れる。(中略)
 それが現実になったのが、平成元年の高知支部長の離反だった。支部長を解任すると、浅井会長を捨てて多くの支部員が支部長に付いて去ってしまい、高知支部は壊滅状態となった。
 四者独立体制への移行は、そうした実力者を組織内に作らないため、なされたことであろう。それが組織の弱体化をもたらそうが、会長にとって自己の安泰の方が大切だったのであろう。


高知支部の話が具体例として出てくる。しかし、これを証拠とするには弱い。なぜならば順番が逆だからである。
もし高知支部長の離反があって、その後に体制の移行があれば時系列として納得できるが、現実には逆になっている。ゆえに昭和六十年の段階で、先生に自己の安泰を企てるような意図があったとするには、根拠が薄弱と言わねばならないだろう。
さらに言えば、ここで櫻川氏は決定的なミスを犯している。ひじょうに煩瑣ではあるが、次の引用をお読みいただきたい。

 昭和五十九年二月、豊島公会堂に三千人を集めて開催された教学部入部式で浅井会長は、「今こそ、広布のための大教学が興らねばならない。・・・どうか全員が真剣に学び、日本第一の教学部を築き、以て大聖人様に本格的な御奉公を申し上げようではありませんか」(「冨士」第二百四十五号、昭和五十九年三月)と述べ、「仏法を学ばなければ御奉公は叶わない」と力説した。
 「広布のための大教学」、「日本第一の教学部」、この自身の言葉に背いて教学部を廃止したのは何故だろうか。「学ばずに使命が果せるか」(「冨士」第十七号)との使命を棚上げして、浅井会長は何を護りたいのだろうか。


これは320ページから次ページにかけての記述であるが、察しのいい人ならば、わたくしの言わんとしていることがわかるはずである。

櫻川氏は、浅井先生が昭和五十九年の段階で教学の重要性を謳っていたことを証拠をもって示し、後に教学部を廃止したことを責めているわけである。ならば、翌年の四者体制の移行にしても、素直に受け取るべきが筋であろう。単純に言うと、引用意図が正反対になっているのだ。

昭和五十九年の段階では、まだ教学研鑽の重要性を強調していた。しかし、何かしら不都合があって、路線変更した。それが教学部の廃止であり、教学を軽視する今日のいわゆる一念信解路線である。
同様に昭和六十年の四者体制移行は、組織の拡大・発展を期して断行したものであると受け取るべきである。しかし、後に造反事件が起きた。ゆえに、そこで先生の心中に路線変更が芽生えたと考えることは可能である。ちなみに、壮年部はその後も○○支部という名称を付していたが、いつの間にか支部ではなく地区という呼称に変わってしまった。

以上のごとく、櫻川氏の説には無理があるわけだが、あえて修正するならば、支部から地区に変更になった段階に焦点を当てて、先生の自己保身を責めるべきだったと思う。

繰り返しになるが、さすがに昭和六十年の段階では無理がある。まだ先生も若かったし、解散処分から数えても十年程度しか経過していなかった。ゆえに夢も希望もあった。そう考えると、四者体制移行は純粋に組織の拡大・発展を目指してのことだと思われるのだ。

2009/8/11

客観性の欠如を斬る  
法華講員の二氏よりコメントをたまわった。ニシケン氏は相変わらず辛辣だ。しかし、法華講員の中には櫻川氏に好感を懐いている人もいるようなので、この辺は個々の感性に任せるところなのだろう。また、山門手前氏によれば、前回の拙稿は考え過ぎとのことだ。山門氏は櫻川氏の事情に詳しいようなので、どうやらわたくしの推測はハズレのようである。

さて、今日は『迷走する顕正会を斬る』の260ページを取り上げる。第七章「浅井会長はどのように道を違えたか」の、小見出し「教学部廃止」の一部分である。

 当時の法華講において、妙信講ほど教学研鑽に熱情を傾け、真摯に御書を学んでいた講中は他になかっただろう。正本堂問題の過程で、創価学会員と論議をする機会を得たが、情報遮断されていたから妙信講の教学が普通だと思っていたわたしは、相手側のあまりの素養のなさに驚いた。それが今やどうしたことか、惨憺たるありさまである。
(中略)
「教学は物知りになるためのものではない」等と、筋違いの言い訳で教学不要を徹底した。顕正会員の教学力低下は、その必然の結果である。思考力の低下も、組織の弱体化も連動する。対して法華講では、普通に教学が学ばれるから、もはや顕正会員では太刀打ちできない。

あえてイチャモンをつけようと思う。

顕正会員の教学力低下は事実であるが、はたして上掲の記述に客観性があるかと言えば、甚だアヤシイであろう。
櫻川氏は元来が頭脳明晰であり勉強家なのだ。しかも今となっては信心歴四十数年の大ベテランである。対する現役の活動会員たちは、その大半が十年未満のキャリアしかない。つまり、しばしば年寄りが言うところの、今の若者はなっとらん、というセリフに近いわけであり、必ずしも客観的な尺度から論じているとは言い難い。
また、氏は昭和四十年代の創価学会員の素養のなさに驚いてもいるわけだが、これもウソとは言わないにしても客観性に乏しいことだろう。ある意味、当時の妙信講は攻める側であり、創価学会は守りの側だった。攻撃側は自ずと相手の弱点を突くものである。妙信講は御遺命守護に特化して学べばよかった。一方の創価学会は妙信講ばかりに構っていられない。妙信講対策を打つにしても、相手がどのような点を突いてくるか、それを見極めてから会員にレクチャーするわけだから、いわゆる後手を踏まざるを得ない。その意味で、当時の創価学会は今の顕正会と似た状況にあったとも言えるだろう。今は法華講のツワモノたちが顕正会員を格好のターゲットにしている。今や顕正会員は攻めから守りへと立場が逆転してしまったのだ。

信心歴という視点も見逃せない。
当時の創価学会員は八百万人と言われていた。大雑把に言って、昭和二十年代の入信者は希少、三十年代の入信も全体の比率からすれば少なく、四十年代の入信者が多かった。
つまり、入信十年足らずの未熟者が大半を占めていたという意味で、今の顕正会と当時の創価学会は似ているのだ。
もちろん、櫻川氏にしても当時はまだ十年未満のキャリアしかなかった。ゆえに氏の言うことをウソとは書かなかったわけだが、しかし、上述のごとく氏は頭脳明晰であり勉強家なのだ。また、実際問題として、氏の対峙した創価学会員などは絶対数の上からは少ないだろうから、それが全体の傾向を正確に反映していたかどうかの検討も必要である。

それはともかく、現今の顕正会員の教学力を「惨憺たるありさま」とする具体例が見当たらない。
教学部を廃止した。教学試験の規模を縮小した。御書全集の発刊は実現不能である。上掲の中略部分にはこれらのことが書かれているが、これが具体例のつもりなのだろうか?
確かにこれらは事実である。しかし、これらが会員の教学力の低下を直接的に証明するものではないことは、誰もが了解することだろう。早い話が、比較検討するための直接的なデータが存在しないのだから、判断できないのだ。仮に一級試験を行なえば、それを過去の一級試験と比較検討して判断を下すことが可能である。しかし、そうしたバロメータがないのだから、惨憺たるありさまかどうかは不明としなければいけない。

おそらくは現時点で法華講員と顕正会員が法論を行なえば、完敗するということなのだろう。個人情報の観点から具体例が憚られるとは言え、現実に全国津々浦々で法論に準じた形で法華講員と顕正会員の接触があり、まさにその結果が惨憺たるありさまだということなのだろう。

わたくしはあえて異議を申し上げたい。

法華講では普通に教学が学ばれる・・・

バカを言ってはいけない。
わたくしの近隣には法華講員が存在しないのでネット上での感想になるが、正直なところ、オマエはバカか、というような法華講員も少なくない。いったい、何を学んでいるのかと思う。異流儀団体の落ちぶれ会員のわたくしが言うのだから、言われたほうはツライだろう。もちろん誰とは言わないが、おそらくは同じ法華講員の仲間うちでも、もっと勉強してから書き込んだほうがいいのでは、と内心で思っている人もいるのではないかと思う。
ちなみに、法華講では普通に教学が学ばれる・・・という、この記述からしても、前回の拙稿で触れたごとく、本書が宗門寄りであることがわかると思う。

法華講にも創価学会にもバカはたくさんいるのだ。もちろん顕正会にもたくさんいる。

ところで、先ほどの入信歴という視点がここでも活きてくる。
今の法華講員の構成メンバーを当てずっぽうに言えば、半分以上が元創価学会員であり、もしかしたら一割くらい・・・いや、本当はもっと少ないのかもしれないが、ともかく元顕正会員もそれなりの人数がいることだろう。つまり、純粋に最初から法華講員だった人は少ないし、創価学会や顕正会を経ないで新しく法華講員になった人も少ないのだ。
おわかりだろう、比較の仕方が間違っているのだ。今の法華講員の多くは法華講員としてのキャリアは短くても、それ以前のキャリアがある。ましてや問題意識の高い人たちだからこそ、正宗への帰伏を決めたわけだろう。こういう人たちと、昨日今日顕正会に入ってきた人たちを比較しても仕方がないのだ。

最後に本尊疑惑に触れておこう。実はこれが元凶なのである。

顕正会の幹部たちが法華講員を恐れるのは、本尊疑惑を追求されるからである。もし、これがなかったら今もなお顕正会員は意気軒昂であり、喜んで法華講員のところに出掛けることだろう。
当然、櫻川氏の本にも本尊疑惑のことが出てくるけれども、別の項目になっている。もちろん、これはこれでひじょうに重大な問題なので別枠を設けたのだろう。
だが、しかし、実は法華講員に太刀打ちできない真の理由は教学力の低下ではなく本尊疑惑にあるという、この視点を盛り込むことができなかったところが、わたくしには不満である。

しかし、我ながら面倒臭い文章を書いているものだと思う。そこがわたくしの欠点のようだ。

2009/8/10

『迷走する顕正会を斬る』にひそむ矛盾点  
ここ最近は『迷走する顕正会を斬る』に批判を加えているわけだが、今のところは我ながら決定打に欠いていると思う。それは当該書籍の内容がすぐれている証拠なのだろう。しかし、何事もそうだが、百点満点ということは滅多にあるものではない。ゆえに本書にもいろいろな瑕疵があるはずなのだ。

おそらく、もっともオーソドックスな批判の方法は、相手の矛盾点をえぐり出すことだろう。さて、『迷走する顕正会を斬る』には、どのような矛盾がひそんでいるだろうか?

 戸田会長という圧倒的なカリスマ性を持つリーダーを失った創価学会が、失速するだろうと予測するのは自然である。(中略)
 しかし、そうはならなかった。会長空位の二年間においても、その勢いが収まることはなかった。戸田氏の作り上げた教団モデルと組織は、もはや戸田会長というカリスマも必要としなくなっていた。その路線に乗ったのが、第三代会長の座に着いた池田大作氏であり、彼は七五〇万世帯の弘通をしたのは、すべて自分の功績だと会員に思わせた。

これは73ページに出てくる文章であるが、おそらく創価学会員にとって、カチンと来るところではないかと思う。とりわけ文末は、池田崇拝者が激怒してもおかしくないような物言いである。

さて、次は292ページである。

 戸田会長が切り開いた独創的な教団モデルの有効性は、若き浅井昭衛氏の眼前で実証されていた。すでに検証された戸田路線に従えば、自分も同様に成功が約束されていることは間違いない。昭衛氏がそう考えて不思議ではない。
 しかし、一つのビジネスモデルが有効である期間は、決して長くない。トップは常にそこに注意を払い、環境の変化に敏感でなければならない。戸田氏は実業家だったから、そうした能力もあっただろう。しかし、戸田氏の会長在位は七年の短さであり、昭衛氏は戸田路線も絶えざる修正・改良を要することを、学ぶ機会がなかった。


前者と後者は矛盾していないだろうか?

一言で片付けるならば、池田大作氏に対する評価が不当に低い。
ようするに、戸田路線をそのまま踏襲しただけでは創価学会の発展はなかった、まさに絶えざる修正・改良があったからこそ伸びたのだろう。そこには自ずと池田氏の功績があるわけで、それを認めないわけには行かない。逆に、浅井先生にはそのような創意・工夫がなかった。
つまり、この件で浅井先生を批判するのであれば、反比例する形で池田氏を評価しないとツジツマが合わないはずなのだ。しかるに、前掲の文末のあたりは創価学会員の神経を逆撫でするような書き様になっている。

櫻川氏は腐っても元顕正会員であるから、池田氏を持ち上げるような文章は書きたくなかったのかもしれない。しかし、理由はそれだけだろうか?

大胆な推測を申し上げれば、櫻川氏と宗門の間で何らかの密約が交わされているのではないか、とわたくしは睨んでいる。
少ないながらも手掛かりがないわけではない。先般、総本山に七万五千人からの法華講員が集結した。この時の様子は法華講員のブログなどに詳しいが、なんと『迷走する顕正会を斬る』が本山で売られていたというのだ。当然ながら宗門側の了承を得てのことだろう。
もう一つ、手掛かりがある。櫻川氏の前著である『本門戒壇の本義』には、次のごとくあるのだ。

近年の宗史の素描では、人と組織の名称・役職は当時の呼称を用い、細井日達師は細井管長の呼称で統一した。

ちなみに『迷走する顕正会を斬る』では、

 なお、登場人物の多くは現存する方々であり、一般人には氏、僧職者には師、あるいは当時の役職名を付した。宗祖である日蓮大聖人は別格とし、大石寺の歴代は上人とした。

と、まえがきに書かれている。

つまり、前著では細井管長、そして今度の本においては日達上人と表記している。先ほど、腐っても元顕正会員と書いたが、日達上人の呼称は現在の顕正会員に馴染まない。あるいは櫻川氏の場合、腐っても元妙信講員という意味で日達上人とするにヤブサカではないのかもしれないが、ともかく前著との相違がある以上、別の意図があると勘繰られても仕方がないであろう。

よって、櫻川氏と宗門との間で何らかの密約があったのではないかと考えることも、あながち荒唐無稽ではないと思うのだが、いかがだろうか?

そこで元の話に戻るわけだが、池田氏に対する評価が不当に低いのは、なぜか? それは著者が宗門と裏で通じているから・・・ということになる。

ひとくちに顕正会批判と言っても、さまざまである。創価学会側からの顕正会批判もあれば、宗門側からのそれもある。立場によって視点が変わるわけだし、その個人の力量もある。今回の拙稿で明らかのごとく、『迷走する顕正会を斬る』はどちらかと言うと、宗門寄りである。おそらく当該書籍を読んだ人ならば、誰もが同じ感想を懐くことだろう。
しかし、それは大雑把な捉え方であって、委細に見るならば櫻川氏独自の視点から書かれている部分が少なくない。実を言うと、顕正会だけでなく創価学会も斬られているし、なんと宗門も斬られているのだ。

ところがである。先ほど述べたごとく、本書は大石寺の売店(?)に置かれているのだそうである。わたくしは宗門の太っ腹に痛く感銘を受けた。いや、太っ腹という表現はいただけない、おそらくはこれが「正直」ということなのだろう。

今日は話が散漫になってしまったようだ。


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