2009/12/29

顕正会の台所事情  
ニシケン氏から質問が寄せられているので、今日はそれに沿って書いていきたい。

広布御供養の〆切が延長になったのはご存知でしょうね。
この事について巌虎さんは、どのようにお考えですか?


締め切りの延長については、どこかのサイトで目にしたものの、わたくしのところには広布御供養の呼び掛けすらなかったものだから、それほど重視していなかった。
ただし、財政が苦しいとのコメントがあったので、それが事実ならば・・・ということでいろいろ書かせてもらったわけだが、その上で多少は締め切り延長のことも念頭に置いて書いたつもりである。
むしろ、わたくしの関心は、では、なぜに財政が苦しいのか、その理由は何か、という点にある。今読み返すと舌足らずではあったが、いちおうは財政難の原因のようなことまでも掘り下げて書いたつもりだった。
たとえば少し前に四十一人の集団脱会ということがあった。おそらくこうした事象は氷山の一角であって、全国的に見れば相当数の脱会者がいることだろう。これがおぼろげながらも財政難を想起させるわけである。

いくら特別な情報網を持っていたとしても、それを咀嚼できずに表層的なことばかりあげつらっていたら意味がない。わたくしは情報源に乏しいけれども、それなりに掘り下げて書いているつもりである。前回の舌足らずを補う意味で、もう少し書いてみよう。

まず、単純化すれば、広布御供養の締め切りが延長になったということは、目標額に達しなかったからだろう。では、その目標額とは何かであるが、それこそが前年比ということだ。何しろ顕正会は過去最高が好きである。であれば、前年よりも少しでも上でなければいけない。前年を下回ってはいけないのである。

聡明な人であれば、すぐに理解できると思うが、上述のことは必ずしも財政難を意味しない。あくまで一つの推測として、顕正会は財政難に陥っている、だから期限を延ばしてまで御供養を集めているのだ、ということになる。
しかし、おそらくはそこまで財政が逼迫しているわけではないだろう。やはり前年割れだけは何としても避けたいという心理が働いているのだと思う。
折伏成果がその好例である。過去最高だの空前だの、そのような言葉が顕正新聞に頻出する。いちおうは広宣流布の実現を表看板にしているわけだから、常に前進していなければいけないのだ。

 明年は、神奈川会館と水戸会館を建設することになっております。この二つの会館は大規模で、ことに神奈川会館は本部会館に次ぐ地方随一です。この二つの会館だけで、費用は通常の会館四つに相当する。

これは十一月度総幹部会の会長講演であるが、頭の悪い人というか、単純思考の人は思うかもしれない。会館の建設資金が不足しているのではないかと。だから期限を延期してまで金を集めているのだと。

もちろん、広布御供養が会館を建てるための財源だ。土地の取得から工事代金まで、顕正新聞の収益を除けば、広布御供養だけである。毎年、コンスタントに複数の会館を建設しているわけだから、その費用たるや莫大な金額になるだろう。
しかし、これが直ちに財政逼迫につながるわけではない。問題は収支の内訳である。まさか赤字を承知で会館を建て続けなければいけないという、そんな馬鹿げた話もあるまい。確かに会館建設が地元会員の士気を鼓舞する重要な役割を持っていることは間違いないけれども、少なくともそこに活動会員がいての話である。別の言い方をすれば、活動会員に対する利潤の還元が会館建設なのだ。ゆえに広布御供養というアガリがなければ、還元などあり得ない。

さて、ここまでで、反論があるだろうか?

もし反論するとなると、収支の内訳まで知悉していないといけないだろう。いくら特別な情報網があったとしても、それはなかなか難しいのではないかと思うが、いかがだろうか?

収支は無理にしても、あるいは他の手掛かりがあるかもしれない。たとえば、仮に顕正会がどこかから融資を受けているという確たる情報があれば、ひじょうに面白いことである。
実は、かつての本部会館すなわち現東京会館であるが、この時には銀行から融資を受けている。当然、融資のためには抵当が必要となる。当時の顕正会には資産などなかった。そこで浅井先生の自宅が担保に当てられたという話がある。これは浅井先生自らの発言であるから、間違いないことだろう。
そこで話を戻して、現在の顕正会が融資を受けているかどうかであるが、わたくしの想像では否であろう。いわゆる無借金経営の優良企業だと思う。

いつもながら『迷走する顕正会を斬る』から引用させていただく。宗教ビジネスという見出しのついたページには次のごとく書かれている。

毎年十二月に会員から集める「広布御供養」(下限一万円、上限八万円)も非課税であり、そっくり浅井会長の懐に入る。

これはまた過激な文章であるが、さらに櫻川氏は広布御供養の総額を少なくとも二十億円と推定した上で、次のごとく書いている。

年に数件の地方会館を建設しても十億とかからないし、会館管理者の給与コストは極限まで抑えている。

そこで、ニシケン氏からの二つ目の質問であるが、おおむね上掲の資料に答えがあらわれているだろう。何しろ浅井先生の懐にそっくりそのまま入るというくらいであるから、固定資産税など屁でもないはずだ。
ましてや理事などの重職を身内で固めているのだから、文字通り浅井ファミリーの私企業みたいなものであり、金銭的に不自由があるとは思えない。
ちなみに、わたくしの推測というか常識的な線から考えて、先生の自宅はあくまで個人名義になっていると思う。まさか宗教法人顕正会の所有ということはないはずだ。

失脚した克衛氏も職員としてお給料を貰っているのでしょうか?

最後の質問であるが、あらかじめ書いて下さっているように、そんなことまでわたくしが知っているわけがない、というのが答えのすべてである。

まあ、しかし、せっかくだから『迷走する顕正会を斬る』から関連するところを拾ってみよう。

 ちなみに、浅井会長の長男・克衛氏は、当初から責任役員の一人であっただろうと推測される。しかし、今も責任役員の地位に留まっているかどうか会員は知らないし、顕正会でそれを聞くことはタブーである。

第一人者たる櫻川氏が推測で書いているくらいである。いわんや落ちぶれ会員のわたくしがどうしてそれ以上のことを知ることができようか?

当然、この質問の意味は明瞭であり、きわめて重要である。もし克衛が今もなお責任役員のままであり、かつまた応分の報酬を得ているとすれば、大問題だ。それこそ活動会員たちに対する背信行為である。

もちろん、克衛がではなく、浅井先生が会員たちを裏切っていることになるのだ。

2009/12/27

ソロバン街道  
種々のコメントを頂戴しているが、さしあたって山門入り口氏に返答しておきたい。

広布御供養の呼び掛けはなかった。

ところで山門氏のいわく、今年は財政が苦しい、と。
当然ながら、まさか氏が顕正会の台所事情を知っているわけがないので、ネット上に流れている種々の情報から推測を述べているのだろう。未確認だが、新聞の誓願がなくなったとの情報もある。
なるほど、それが事実ならばその分を広布御供養に振り当てるというか、自ずとウエイトが掛かってくる道理である。
そこで、わたくしのところにも呼び掛けがあったかどうか、確かめたかったのだろう。上述のごとく、まったくなかったというのが真実である。

また、もし財政が苦しいのが本当ならば、その理由は顕正新聞の誓願云々を抜きにして、脱会者続出のために例年の金額を維持できなくなっているという可能性もあり得るだろう。よく言われているのが前年比の何割増しだとかいう目標値であるが、わたくし自身はその具体的な数字を知らないので、ここには書かない。ともかく最低限は現状維持であり、それを割り込むことは絶対にあってはならないことのはずである。ところが今は現状維持すら危うくなっているのかもしれないのだ。

誰でも同じであるが、とりわけトップの人間はこうした数字に敏感だ。企業の経営者であれば、赤字が出たとして、その数字が単なる一時的な落ち込みなのか、それとも凋落の始まりなのか、それを見抜く必要がある。
おそらく浅井先生もまったく同じだろう。いつの講演だったか忘れたが、アメリカ経済についてだったろうか、単なる不景気ではなく衰退である、という意味のことを言っていたことがある。こうした観察眼を持っているのであれば、当然ながら己れの組織についても同様の目線で見ることができるはずだ。
そこで広布御供養が一つのバロメータとなる。何しろ今の折伏はデタラメきわまるので、数字に信憑性がない。一方、下世話な話だが、お金はウソをつかない。いくらのお金が集まるか、それが顕正会の実力を示す指標となるのだ。

少し関連があるのではないかと思われる話をしよう。十一月度総幹部会の会長講演を引用する。

 従来の横浜・水戸の両会館は、オフィスビルを借りているのです。
(中略)
 顕正会の会館で、賃貸ビルを使用しているのはもうこの二会館しかない。そこで、何とかして早く作りたいと、急いだわけであります。

以前、横浜会館の話をいろいろ書いたことがあった。わたくしは長い間ずっと、横浜会館は中古のビルを買い取ったものだと思い込んでいた。しかし、これは勝手な思い込みだった。嘲斎坊というナゾの人物が当該会館は賃貸であることを教えてくれたのだった。
ここに来て、ようやく浅井先生の口から賃貸であることが明かされた。水戸会館も賃貸であるという。
そうすると、何となくではあるが旧青年会館閉鎖の真相も見えてくるような気がする。ご存知のごとく、旧青年会館は賃貸だった。そして現在の青年会館は顕正会の所有物件である。

 宗教法人は公益法人ということで、宗教施設の固定資産が非課税である。したがって、地方会館や事務所をいくら建てても、固定資産税はかからない。

いつものごとく、『迷走する顕正会を斬る』からの引用であるが、著者の櫻川氏は浅井先生の迷走を宗教法人取得からいっそう顕著になったと見ている。

顕正会の実態は浅井ファミリーがメシを食うための団体と化している

 浅井昭衛氏は妙信講の名を捨て、地方会館を建設するようになった頃から、「宗教屋がメシを食うため」の宗教ビジネス≠フ旨味に目覚めてしまったようだ。

思いっきり過激だが、けっこう説得力のある文章だ。

旧青年会館の賃貸料がいくらであったか、それから横浜・水戸の賃貸料、あるいは同時期に他にも賃貸の会館があったかもしれない。合計すれば、それこそベラボウな金額だろう。
個人の感覚を当てはめれば、いつまでも高い家賃を払っているのはバカバカしい、それならば思い切ってマイホームを購入したほうがいい、ということになりそうだ。
ましてや宗教法人は税制の優遇を受けられる。なるほど櫻川氏の言うように、浅井先生がそのウマミに目覚めてしまったとしても不思議はない。

いずれにしても土地の取得や建設の資金は広布御供養による。ゆえに、財政が苦しいかどうか、その真相はわからないけれども、ともかく前年比を割り込むことだけは避けたいと考えるのが、当然の心理である。

最後に別件であるが、山門入り口氏の言葉を引用しておこう。

浅井会長が問題発言しなければ、一番問題でしょう。

この人は本当におかしな文章を書く人だ。

2009/12/25

頭隠して尻隠さず  
種々のコメントを頂戴しているけれども、一々のご挨拶は抜きにして、今回も顕正新聞から話題を拾ってみたい。

前回、わたくしは副総合婦人部長の言葉を取り上げて、会長本仏論であると指摘した。さすがに言い掛かりというか、強引な論の運びではあったが、ともかく会員たちが浅井先生を特別視していることは間違いないことである。

 浅井先生は、この一直線上に立っておられる唯一のお方なのだ

これは第1156号の四面に掲載されている女子部総班長の記事だが、なにやら凄いことを言っているらしいことがわかると思う。
この一直線上とは、どの一直線上なのか・・・それは直前の文章に明白である。煩瑣になるので引用は控えるが、キーワードは遣使還告であり、かつまた日興上人・日目上人である。
つまり、これは会長本仏論ではないけれども、あたかも先生が歴代上人の系譜に連なる唯一の人物と言っているようなものなのだ。

先生は数年前、宗門へ対決申し入れをした。その時、法主本仏論という切り口で宗門を批判したわけだが、猊下は時の大聖人であるという論法を、もし顕正会に当てはめたならば、会員たちから唯一のお方として崇められている浅井先生こそが、まさしく本仏に相当することになるだろう。宗門を批判している場合ではない。

あるいは第1155号には次のごとくある。

 そして最後の天奏に旅立たれたお姿は涙なくしては拝し得ず、「我が命よりも御遺命は重し」との死身弘法のその御心は、いま浅井先生のお姿と重なり感無量でありました。

これは婦人部の支区部長であるが、いかがだろうか?

浅井先生のお姿と重なり感無量・・・

察しのいい人ならば、上掲の文章だけでもわかるだろう。ようするに日目上人と浅井先生が重なって見えると言っているのだ。これは大事件である。実は浅井先生は日目上人の再誕なのだ、という説が内部でささやかれているとのウワサがある。しかし、わたくしの直接の見聞では、さすがにそれはなかった。おそらくは今でもそんなにあからさまには言われていないだろう。
ただし、上掲の文章こそが重大な文証である。つまり、先生は目師の再誕なのだ、とか、先生こそが唯授一人の相承者なのだ、などといきなり言えば誰も信じない。そこで婉曲な形で徐々にそのような雰囲気を醸成しようとしているのではないかと思われるのだ。

既述のごとく、証拠はすでに挙げてある。もし、これを否定したいのであれば、このような記事を書かせないことである。いくら先生を尊敬しているとしても、そこには自ずと節度が求められるはずなのだ。

さて、話は変わるけれども、上掲の記事のすぐ右下に男子部幹部の記事があって、そこに気になる文章が出ていた。

・・・これら日米同盟のキシミに全く鈍感な鳩山首相の姿勢を挙げられ、「坊ちゃん左翼」「頭の悪い者ほど大胆」と強く指摘されました。

途中からの引用で恐縮だが、ようするにこれは鹿児島会館での会長講演に触れている箇所である。
わたくしはちょっと疑問に感じたので、会長講演を確かめてみた。この講演は第1154号に掲載されているが、わたくしの読む限り、どこにも坊ちゃん左翼だとか頭の悪い云々の記述が見当たらないのだ。
浅井先生は一貫して鳩山政権に批判的である。痛烈と言っても過言ではないだろう。しかし、やはり節度が大切である。先生もそれをわかっているから、おそらく本番では坊ちゃんだとか頭の悪いとか言ってしまったものの、新聞掲載の段階で削除したのだろう。人によってはこれを小細工と評するムキもあるが、わたくしは必ずしも悪いことではないと思う。
しかし、そうした先生の判断を踏みにじるかのように、翌号には上掲のような記事が出てしまうのだ。

言っておくが、この件では間違っても記事を書いた本人を咎めてはいけない。当然ながら編集部の責任である。

2009/12/21

不見識の見本  
各方面から種々の味わい深いコメントが寄せられているが、今日は少し話題を変えようと思う。顕正新聞第1157号の三面に副総合婦人部長の記事が載っている。十一月度の婦人部班長会での登壇である。

正しい見識を与えて頂ける浅井先生の指導こそ最高の利剣

いわゆる自虐史観に対する仏法史観であるとか、あるいは国家破産の問題など、浅井先生の主張を正しい見識であるとした上で、その指導を受けることが戦いの利剣になる・・・

おおむね、こんな意味だろうと思うが、いかがだろうか?

ここで真っ向から仏法史観への反論だとか経済問題などを議論するつもりはない。なぜならば、不勉強ゆえに何も論じられないからである。知ったかぶりで書けば、恥をかくだけだ。

では、何を書くつもりなのか、この時点でわたくしの構想がわかる人がいたら大したものである。

与えて頂ける・・・

まずは、ここからだ。

わたくしの言語感覚ではひじょうにおかしな表現に感じられるのだが、一般的にはどうなのだろうか?
文法的なことはわからない。ただ、普通は「与えて下さる」ではないかと思う。もっとも上掲の全体的な構文からすると、頂くも下さるも不自然な感じがする。その理由は後述するとして、ともかく、与えるは相手側すなわち先生の行為を意味するが、頂くは自分側すなわちここでは副総合婦人部長の行為であり、ようは一つの連語にもかかわらず行為の主体が分裂してしまっているという不自然さが「与えて頂ける」ではないかと思うのだ。
これが「与えて下さる」ならば、いずれも行為の主体が先生であり、統一性がある。もっとも人によってはこれを重複表現と捉える場合もある。つまり、単に「下さる」だけでも意味が通じるということだ。
それが「与えて下さる」が不自然に感じられる理由の一つとも考えられるが、わたくしはもっと根本的な理由があると思う。

正しい見識を与えて頂ける

しつこいようだが、再掲させてもらった。これを「正しい見識を与えて下さる」にすれば、わりと普通に感じられるけれども、それでもじゃっかんの不自然さが残ると思う。その根本的な理由はおそらく、そもそも見識というのは与えられるものなのか、という問題がその底流にひそんでいるからではないかと思う。
たとえば世界一流の演奏家が身近にいて、その演奏を聴くことができるとしよう。しかし、だからと言って、自分が演奏できるようになるわけではない。ましてや一流になれるわけではないのだ。
確かに知識とか情報という意味では、単に耳で聞いてそれを記憶することは容易いかもしれない。だが、極論すれば馬耳東風ということもある。
つまり、見識というものは、そんな簡単に身につけられるものではないのだ。ましてや正しい見識ともなれば、なおさらのことである。

まだ話は続く。

おそらくはここまでの拙文を読んで、人によっては物凄くアゲアシ取りのように感じるかもしれない。それはそのとおりである。ともかくキッカケは文章表現の不自然さにある。模範となるべき大幹部がおかしな表現をすれば、それこそ間違った見識を振り回しているようなものであり、会員たちに悪い影響を与えかねないのだ。だから過去にも同様の指摘を何度も繰り返してきたわけである。

この際だから、さらに話を飛躍させてしまおう。もはやアゲアシ取りを通り越して、ほとんど言い掛かりに近いかもしれないが、あえて書いておきたいことがある。

自然譲与

顕正会員でも多少なりとも教学に関心のある人ならば、すぐに思い浮かぶだろう。これは観心本尊抄に説かれる、ひじょうに重要な御法門の一つなのだ。

もしも、副総合婦人部長の言わんとしていることがこれであれば、大事件である。つまり、会長講演を素直に聞く者にはその内容を理解しようとしまいと自然に先生の正しい見識が譲り与えられる・・・ということだ。

まさしく会長本仏論である。

まあ、しかし、今日の話は我ながら強引過ぎるだろう。ともかく見識を身に備えることは並大抵のことではないし、大幹部といえどもおかしな文章を書いていればその見識を疑われても仕方がないのだ。

2009/12/20

ワダカマリ  
いちい氏よりコメントを頂戴した。

禍根を残す・・・という言葉がある。おそらく傍若無人な粛清人事を行なえば、組織に禍根を残すことになるのだろう。類義語になるのだろうか、蟠りを残す、という表現もある。
結局、後輩から絶大の信頼を得ていた人物が理由もはっきりしないまま組織から放逐されれば、残った人たちが疑問に感じて当然である。これがワダカマリということだ。

今日は少し関連のある話をしよう。十一月度総幹部会の会長講演には、次のようなくだりがある。

 迎える十二月は、明年への序走であります。活動の大綱は、先ほど横田理事が話したとおりです。
(中略)
 少し蛇足を加えれば―

まず、どうでもいい話からすると、今気がついたのだが、序走という言葉は辞書に載っていないようである。なぜ気がついたかと言うと、こうしてパソコンで打ち込んでいて変換できなかったからだ。しかし、この序走はあまり違和感がない。実際、キーワード検索を掛ければ、たくさんのサイトが出てくるのだ。面白いものだ。おそらく知らないで使っている人もいるだろうが、中には辞書にない言葉であることを承知して、あえて表記している場合もあるだろう。浅井先生がそのどちらであるかはわからない。

さて、本題である。わたくしは上掲の蛇足という表現を好ましく感じた。これは浅井先生が横田理事を立てて、自分がへりくだっているような意味合いがあると思う。もちろん聴衆への配慮を含めてのことだ。

ここで『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。

 分別のある壮年は、顕正会に入会しても、壮年部の地区座談会に参加すると、あまりの幼稚さにあきれて離れて行く。

あまりの幼稚さ・・・云々と。悲しいかな、これが現実である。では、いったい何がどのように幼稚なのか、引用を続けよう。

 壮年部長の講演は、浅井会長の言葉の引用と他の地区での体験発表の紹介であり、座談会終了後は地区部長が同じ事を繰り返し、その後、総班長が同じ事を繰り返し、さらに班長が同じ事を繰り返す。最後まで一方通行である。幼稚園児でも、それだけ同じ事を聞かされればウンザリだろう。

つまり、蛇足に蛇足を重ねているのである。ほとんどムカデに等しいだろう。漢字では百足と書く。

ここから冒頭の、いちい氏の話につながって行く。

見識ある幹部はこうした愚を犯さない。聴衆をウンザリさせないように、創意工夫するのである。決して蛇足を加えるようなことはしないのだ。
おそらくは、氏が尊敬してやまなかったであろう、かつての第三隊長もまた、そうしたオリジナリティのある面白い話のできる人だったのだろう。どの世界にしても急成長を遂げている組織のリーダーはおおむね同じである。
だが、しかし、それと同時に、出るクイは打たれる。とりわけ顕正会の場合はそれが顕著だかもしれない。
浅井先生がしばしば言うのは、一人ひとりが千人万人を率いるリーダーになれ、である。しかし、言っていることとやっていることが正反対ではないだろうか? それとも先生自身は何も知らされず、間に入っている人間に悪いヤツがいるのだろうか?

口の悪い人は、今の顕正会の中枢幹部をポチだと言う。ポチというのは主人に従順な飼い犬の意味なのだろう。

結局のところ、顕正会における粛清人事の真相はよくわからない。ただ言えることは、残った幹部たちにはそれなりの教訓を与えていることである。つまり、聴衆がウンザリしようがしまいがあまり出過ぎた発言をせず、先生の指導を鸚鵡返ししていれば我が身は安全である、ということだ。

ポチというのはずいぶんと馬鹿にした表現であるが、確かにそれは言えるかもしれない。

2009/12/19

巧妙な御書の解釈  
今朝、鬼塚小姫氏からコメントを頂戴したが、たぶん同一人物だろう、春ごろにもお越しになられているはずである。それはともかく、氏はどこかの宗教団体におられたそうだ。その具体的な団体名がわからないので雲をつかむような話であるが、いずこの団体であろうと問題を抱えているのは確かなことだ。何しろ白蓮華のごとき団体と自画自賛する顕正会にして、ご存知のテイタラクである。いわんや他の団体をやであろう。

さて、水無月氏いわく、立ち読みしかしませんが・・・云々と。これはこれで立派なことだ。なぜならば、わたくしは立ち読みすらしないからである。「立ち読みすら・・・」という表現に注目されたい。ようするに読書をしない生活をしているのだ。それでいて、こうして偉そうに文章を綴っているのだから、我ながらチャンチャラおかしな話である。

ところで、ありの金吾氏からは、わたくしの認識に間違いがあるとの指摘があった。

男子部長が説明に訪れたのは名古屋ではなく、大阪です。
 
11月21日(土)に予定されていた男子部大阪集会が急に中止になり、代わって副長会が開催されました。
副長会の席でK杉男子第9部長が全ての役職から降ろされ、謹慎処分になることが発表されました。


以上のごとくである。

ここで改めて注目したのは、男子部集会が中止になって副長会が行なわれたという話である。
通常の集会は全員参加が目標である。ともかく男子部長が大阪まで来て下さるのだから大結集しなければ申し訳ないというのが活動会員たちの思いであり、必死になって参加を呼び掛けるのだ。しかるに、それが中止になったという。このこと自体がすでに集会への参加を予定していた末端の会員たちに不審を懐かせるのではないかと思うが、どうだろうか?
副長会は副長以上の会合なのだろう。もし班長の参加が許されるのであれば、それは班長会と呼ぶはずである。
なるほど、いちい氏が事情を知らなかったという話も、これでツジツマが合うことになる。つまり、まだ信心の浅い人たちには説明してもかえって疑いの思いが強くなるだけだから、それならば何も教えないほうがいい・・・ということなのだろう。これが「知らしむべからず」の正体だ。
しかし、すでに拙ブログにもこうして情報が流れてくることに、本部首脳は思いを馳せるべきである。やはり、こんな手法がいつまでも通用するわけがないのだ。

それはさておき、忘れないうちに顕正新聞の話題も書いておこう。

第1156号の最終面に、マンガが載っている。今は不定期連載と言うべきか、例のポウコちゃんであるが、この四コマ目が気になった。

臆病のまま愚痴の心のままでいい、重い足を引きずってでも一歩前進!

一生成仏だ―


この指導は以前からあるのでそれほど違和感がないけれども、強いて言えば、重い足を引きずってでも・・・というのが凄い表現である。穿った見方をすれば、すでに会員たちは精神的にかなり追い詰められた状況にあって、そこに発破を掛けているようにも受け取れるところだ。
それはともかく、この四コマ目にはセリフとは別に、登場人物の胸の辺りに文字が書き込まれている。それが次の言葉だ。

内証成仏

あれ? おかしいなあ?

何がおかしいかと言うと、普通の会員は浅井先生が使わない仏法用語を勝手に使うことをしないのだ。わたくしの記憶では、近年、浅井先生が内証成仏を論じたことはない。それにもかかわらず勝手に使うとすれば、この作者はいずれ粛清(?)されることになるだろう。

しかし、この疑問はやがて晴れることになる。顕正新聞の翌号の見出しがすべてを物語っているのだ。

上・中・下の三根あれども必ず一生成仏
 内証成仏のゆえに自身も人も気づかず
 臆病のまま愚痴のままに一歩前進せよ


これは十一月二十二日の日曜勤行の指導だったのだ。

しかし、このことは活動会員にとっては何ら問題がないけれども、わたくしのような落ちぶれ会員には問題である。ようするに新聞報道の順番がデタラメなものだから、いろいろと勘繰ってしまうのだ。
もっとも顕正新聞は真面目な活動会員のための新聞であると言われてしまえばそれまでなのだが・・・

話を少し戻そう。臆病のままでいい、というのは御書に反しないのか?

当然、誰もが思い浮かべる御金言がある。臆病にては叶うべからず、である。
しかし、わたくしの個人的見解というか感性に任せるならば、必ずしも御書の意に違うものではないだろう。一種のアレンジであり、じゅうぶんに許容範囲だと思う。
ただ、先ほども書いたように、現実問題としては会員がすでにイッパイイッパイの状態にもかかわらず、そこにムチを入れるような印象も拭えないのだ。
もし、これが事実だとすれば、やはり問題だろう。つまり、臆病ではいけないとストレートに言うのではなく、そこをやや柔らかくした形で伝えることがなんとも巧妙であり、なんともイヤラシイのだ。先生としてはそれで会員が頑張っちゃうことを期待しているわけだろう。

詮ずるところ、御書の解釈としては問題ない。だが、しかし、はたして今の顕正会の中で頑張ることが正解なのかどうか、そこがひじょうに疑問なのだ。

2009/12/18

冬本番  
頭の中がグチャグチャになっている。どうしてかと言うと、いろいろ書きたいことがあり過ぎて、整理がつかなくなっているのだ。そういうわけで種々のコメントを頂戴しているけれども、対応が行き届かないことなりそうなので、あらかじめ御宥恕たまわりたいと思う。

水無月氏とニシケン氏の文章を読んで思うことは、大人のコメントだということだ。もはや、わたくしが余計なことを差し挟まないほうがいいだろう。閲覧の諸氏は、そのまま素直にお読みになられればいいと思う。

譲二氏のコメントには小学館の人気雑誌を紹介する文言がある。そこには、面白いですよ、と書かれている。これが正直なところ負担だった。
面白いと言われて素通りするのも失礼だ。まあ、しかし、実際に面白いかどうか確かめてみたいという欲求もあったので、重い腰を上げて図書館に行ってきた。
ここで余談になるが、くだんの雑誌は見当たらなかった。おかしい、ここは蔵書の多さがウリのはずだ。しかし、おおよその見当はついた。雑誌のコーナーをざっと見渡せば、以前に比べて本棚にたくさんの空きがあることに気がつく。ところどころ、○○は持ち出しや切り抜きの被害が多いので書庫に収めました、などと書かれた貼り紙がある。案の定、小学館の雑誌もその一つだったのだ。
ひじょうに面倒臭いことになったが、このまま帰るのは馬鹿らしいので、ちゃんと手続きを踏んで書庫から出してもらった。

さて、譲二氏が面白いと言っていた記事であるが、確かに顕正会に当てはまる部分が少なくないと思った。これについては、わたくしが下手な解説を試みるよりも、面倒でも原文をお読みになられるほうがいいだろう。

譲二氏のお陰であろう、せっかくだからと他の記事もざっと拾い読みしていたら、面白い記事を発見することができた。記事というよりもマンガである。おそらくここまで書けば察しがつくだろう、小林よしのり氏の連載する「天皇論」である。
拙ブログでもずいぶん前に女系天皇の問題を論じたことがある。なんと氏のマンガでは、現在、それがテーマになっているのだ。しかも、氏は女系天皇容認派なのである。ちょっと意外な気がしたけれども、ともかく読んでみると、その言い分にもかなりの説得力が感じられるのだ。
しかし、これもこれ以上の解説は控えることにしよう。興味のある人は読んでみるといい。

いちい氏からコメントを頂戴した。氏は以前、三隊で班長をしていたそうだ。過去形ということは、今は班長ではないのだろう。というよりも、すでに組織からは完全に離れているようだ。

それはともかくとして、かつての隊長交代劇について、詳細を聞いていないらしい。その当時、班長だったという、それにもかかわらず事情を聞かされていないのはどうしたことか?
この辺がよくわからないところだ。今回、第九部長の謹慎について、わざわざ男子部長が名古屋まで説明に来たという。であれば、当時も何らかの形で説明があったはずである。それとも何も説明がなかったのだろうか?
一つ考えられるのは、当時の三隊長の影響力の大きさからして、下手な説明はかえってヤブヘビであるとの判断があったのかもしれないということだ。
前回は浅井先生の情報統制の手法について書いた。まさにこれと似ている話である。情報統制ないし情報遮断というのは、早い話が都合の悪いことにフタをするわけである。しかし、実際には覆い隠せないことも少なくない。たとえば御相承の断絶がそれであり、古い会員ならば誰だって先生の自語相違に気がつかないわけがないのだ。おそらく浅井先生はそれを気にしているのだろう、過去に何度か、まだ言えないが時が来たら話す、などと発言している。この言葉を信じて、ひたすら歯を食いしばっている会員もいることだろう。先生の言っていることが本当であればいいが、単なる時間稼ぎだとしたら、ヒドイ話だ。

もはや今はさまざまな疑問が噴出してどうにも止まらない状況だ。

浅井先生はこのすべてに誠心誠意、回答するべきである。

2009/12/16

豪腕と倣岸  
水無月氏のおっしゃることは一理も二理もある。

まず、小沢氏関連で言えば、ずいぶんと古い話になるけれども、氏は細川政権の立て役者だった。当時としては、いわゆる非自民政権の樹立ということで、ひじょうに画期的だった。ところがこの政権は次の羽田内閣であっけなく終わることになる。自民党が巻き返したのだ。
この理由はもちろん当時の自民党にはツワモノがたくさんいて、政権奪回のためにいろいろ画策したからだろう。いわゆる自社さ政権であるが、これは今考えても不思議な取り合わせである。
もう一つ、重要な点がある。それは小沢氏の豪腕ぶりがアダになったということだ。氏の政治手法に愛想を尽かして、離れた人がいったい何人いるか、これは決して誇張ではなく、それこそ無数にいるのである。もともと非自民政権は寄せ集めであるから、まとめるのが難しい。そこに来て、小沢手法への不信が募れば、なおさらのことである。いわば自民党はその機に乗じて巻き返したわけだ。
しかし、この話は過去の非自民政権の時のことであり、はたして今の自民党にそれだけの余力があるかどうか、それはわからない。

いずれにしても今回の一件で、小沢氏のイメージが悪くなったのは間違いないことだろう。今は国民的人気度がひじょうに大きな力を持っているわけだが、それ以上に深刻なのは仲間内から疎まれてしまうことである。小沢氏はそれでさんざん失敗してきた。そして、またしても同じ轍を踏もうとしている。これが宿命なのかもしれない。

小沢手法に引き続き、浅井手法について書いてみよう。

水無月氏の指摘するごとく、やはり出典・引用を明記しないという手法はマズイことだ。たとえば今回の件で説明すると、十一月十一日に中国オペラの特別公演があって、そこに皇太子殿下が出席されたという話がある。これについて顕正新聞には次のごとく書かれている。

当日は招待客だけのクローズド公演だから、誰も気づかなかった。新聞も報道管制が布かれていた。

誰も気づかなかった・・・

凄い表現である。だったら、なぜ浅井先生は知っているのか、どこから情報を入手したのか、それが顕正新聞の記事からは読み取れない。
こうした手法はまさに、浅井先生は凄い人なのだ、と会員に思い込ませるネライがあるのではないかと勘ぐりたくなるところだ。
実際、幹部会員たちの文章を読むと、浅井先生を偉大な師匠だと心底思い込んでいることが伝わってくるわけだが、もしこれが上述のような手法に由来するのであれば、問題である。即刻やめたほうがいい。なぜならば、バレたら元も子もないからである。

『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。

正本堂問題の過程で、創価学会員と論議をする機会を得たが、情報遮断されていたから妙信講の教学が普通だと思っていたわたしは、相手側のあまりの素養のなさに驚いた。

二百六十ページの記述であるが、情報遮断されていたと言い切っている。浅井手法は今に始まったことではないらしい。前後するけれども、これについては同書百八十ページの記述が詳しい。

 浅井氏は常に情報統制をして、都合の悪い情報は講員・会員に伝えない。
(中略) 
 講員の信心を護るため、当時として緊急避難的に止むを得ない面も、確かにあったかもしれない。しかし、その情報統制の都合よさが身についてしまい、「依らしむべし、知らしむべからず」の大本営発表が、浅井氏の講員統制の手法となってしまった。

もはや、わたくしが余計なことを言う必要はないだろう。さらに、この数行後の文章を紹介しておこう。トドメの一撃である。

 「知らしむべからず」が進行して行くと、やがて思考力や判断力のある幹部の存在が鬱陶しく邪魔になって行く。意見や批判を封じ込め、何でも俺の言うことを聞いてさえいればよしとする運営方法は、思考停止した幹部しか組織に残さない。

今日の拙稿は図らずも、小沢手法と浅井手法のコラボとなった。

2009/12/15

カリスマ性の源泉  
水無月氏がやけに饒舌である。いわく、事実上不可能を認めたことになる、と。ようするに三百万の話であるが、達成の時期がどんどん先延ばしになっていることを指摘しているわけだ。それがハタから見れば不可能宣言のように見えるのだろう。

では、なぜ顕正会員たちはこんな簡単な道理がわからないのか、そこが問題である。

これを洗脳だとかマインドコントロールと言ってしまえばそれまでだが、もっと具体的な考察が必要だろう。少なくとも顕正会の問題を専門的に扱っているのであれば、もう少し掘り下げて考える必要があるはずだ。
現状では十二年後の三百万も難しい。それは事実である。にもかかわらず、その目標に向かって熱心に活動している会員たちがいる。
その理由の一つはおそらく御書にあるのだろう。ここでは具体的な御文を挙げないが、ようするに広宣流布は絶対である、それは大聖人がおっしゃっていることだ、というふうに教え込まれているのである。
当然、そこには御書の解釈論がある。よく言われているのが、浅井流の勝手な解釈・・・という批判である。まあ、しかし、この辺の問題はひじょうに難しいのでとりあえず保留にしたい。

わたくしの思うに、熱心な会員たちは浅井先生のカリスマ性に魅了されていて、それがまた御書の解釈にしてもその他の諸々のことにしても、先生が言っているから間違いない、という発想になるのだと思う。では、そのカリスマ性の源泉は何かと言えば、最終的には天性のものなのかもしれないが、いちおうは話術であるとか、その話のネタであるとか、その辺ではないかと思う。

たまたまであるが、わたくしは今朝のNHKのトップニュースを見ていて、これだ、と思った。

ここ数日、話題になっているのでご存知の人も多いだろう。天皇と中国国家副主席の特例会見をめぐる騒動である。
もしかしたら浅井先生以下、顕正会首脳部は狂喜しているかもしれない。やがて熱心な活動会員たちが口々に言うだろう、浅井先生の仰せが見事に的中した、云々かんぬんと。
実は十一月度総幹部会の会長講演を読むと、まさに今回の騒動を予見していたかのごとくの記述があるのだ。顕正新聞第1156号の記事には次のごとくある。

中国の対日工作 進む

皇室にまで手が延びる

中国は、ついに皇室まで政治利用に担ぎ出した


顕正新聞をお持ちでない人には、説明が足らずに恐縮であるが、この辺の記事はひじょうに面白い。浅井先生は講演の中に時事ネタを取り入れて聴衆の興味を惹きつけるのがうまい。今回のネタを簡潔にまとめれば、次のごとくなる。

皇太子、中国国家副主席夫人が危険な「お忍びオペラ鑑賞」

実はこれ、週刊文春のスクープ記事の見出しである。

先ほど図書館で確認してきたが、当該記事は十一月二十六日号の最後のほうに掲載されており、次のような小見出しも付されている。

中国による皇室の政治利用

ようするに浅井先生はこの記事の受け売りをしゃべっているだけなのである。

おそらく、ここまで種明かしをしてしまうと、顕正会批判の面々はまたしても浅井の化けの皮が剥がれたなどと思うかもしれない。だが、しかし、わたくしは少し違う見方をしている。
今や情報は洪水のごとくに氾濫している。そうした膨大な情報の中から何を取り出すかは、まさにその人の見識である。活動会員たちはこの浅井先生の見識にほれ込んでいるのだ。まさにここがカリスマ性の源泉なのだと思う。

上掲の出来事は今から一月ほど前のことだ。そして今日つい先ほど、天皇陛下と中国国家副主席との会見が行なわれた模様である。見事な伏線ではないか?

ちなみに文春の記事は、次のごとく締め括られている。

宮内庁は藩屏たる役目を忘れてしまったのか。

わたくしは藩屏(はんぺい)を知らなかったが、ともかくこの記事がはたした役割は小さくないはずだ。今回、宮内庁長官はけっこう頑張ったと思う。結果的には小沢幹事長の豪腕にねじ伏せられたとは言え、それなりに有意義な抵抗だった。文春の記事が発奮材料になったのだろう。

2009/12/14

目の付け所がシャープ  
各方面から活発なコメントが寄せられている。ことに現役を名乗る会員たちからの投稿が目立つ。まさに崩壊の序章である。

ありの金吾氏から質問が寄せられているが、わたくし自身は顕正新聞に掲載されている情報しか持ち合わせていないので、詳しいことはわからない。
先月十八日に、人事発表に隠された真実、と題して書いた。そして翌日は、顕正会短信へのメッセージ、とのタイトルを打った。これがわたくしの知っているすべてである。
結論的には、前第一部長は今も十隊長なので、わたくしの見通しは外れたことになる。
そして彼が壇上から姿を消したかどうかについては未確認であるが、今も隊長のままであれば、どこかに座っているのだろう。席順が変わっただけの話だ。
十一月度総幹部会を報じる顕正新聞第1156号の写真を見ると、やはり十月度と同様、これまでの席にその姿は見えない。
ちなみに、今は第三部長がそこに座っているので、彼が筆頭部長なのだろう。
まあ、こんなところだ。あとは現役各氏のコメントに期待するしかない。

さて、話は変わる。上述の顕正新聞の一面大見出しには、次のごとくある。

三百万への初陣 空前の大法弘通

これについてはすでに他のブログで鋭い指摘がなされている。というよりも、わたくしはボーっとしていて気がつかずにいた。そのブログとは、サンビャクマン氏の「後退する顕正会を見つめ続けて」であるが、まだ開設して間もないにもかかわらず、ひじょうに内容が充実していて驚くばかりである。次から次へと痛烈な顕正会批判を展開している。以下は十一日付の文章を丸ごと引用させてもらった。

説明は要らないと思います

平成17年12月5日付
顕正新聞1面
三百万への道 洋洋と開ける
 初陣の弘通 空前21427名」

平成21年12月5日付
顕正新聞1面
三百万への初陣 空前の大法弘通
 9.10.11月度弘通 22194名」

これ見て不思議に思わない人って絶対オカシイです。
どんどんコピペしてください。
引用元書かなくて結構です。


色づけも原文どおりであるが、さらにコメント欄に重要な投稿があった。

何回めの初陣? チョコパイさん

はじめまして。

総幹部会(平成16年9月度)
さてこの九月は、三百万をめざしての初陣、まことに大事な月でありましたが…

いい加減にしろと言いたい。


サンビャクマン氏が説明不要と書いているので、わたくしも余計なことは書かないことにする。

氏はいわゆる本尊疑惑についても書いている。本尊作成疑惑への追求はすでにおおむね出尽くした観があるけれども、わたくしは次の一文に注目した。

顕正会で次々と安置される「日布上人書写の形木ご本尊」は、表面の紙は常に新品のごとく白く、表装は3回変化し、その都度縦横が大きくなっていることがわかっています。

これは外部の人間には絶対にわからないし、内部であっても並の会員にはわからないことだと思う。この一事からしても、彼がわたくしのような落ちぶれ会員ではなく、それなりのキャリアを有する幹部会員であることが垣間見えてくる。

ともかく後退する顕正会を見つめ続けているという、この点でぜひお聞きしたいと思うのは、いったい何年前から見つめ続けているのか、つまりは顕正会に入信した時期がいつであるか、これが一点目である。そして後退する顕正会ということは、その後退期がいつであるか、ようは後退が始まった時点をいつと見るか、これをお聞きしたいと思う。

しかし、サンビャクマン氏が拙ブログを読んでいるとは限らないので、久しぶりにトラックバックでも飛ばすことにしよう。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ