2010/1/1

苛斂誅求  
本年最初のブログである。ゆえに気持ちも新たに取り組みたいところだが、さりとて昨年からの流れを無視するわけにも行くまい。

沖浦氏より挨拶をたまわった。わたくしのような者にまで声を掛けて下さるのだから、ありがたいことだ。これが氏の人気の秘密であろう。

raiden氏は顕正新聞元旦号の写真について云々しておられるが、これは続報を待つことにしたい。

さて、水無月氏とニシケン氏からは、前回の拙稿に対するコメントが寄せられている。

まず、法務局で登記簿を閲覧せよとの提案であるが、当然ながら面倒臭がり屋のわたくしにはまったくその気がない。ようするに浅井家の私邸がどのような形で登記されているか、浅井家の個人名義なのか、それとも顕正会の名義なのか、それを確かめたらどうか、という水無月氏からの提案である。
前回すでに書いたごとく、これは常識的に考えて個人名義のはずだが、もし万が一そうでなかった場合、いったいどういう意味になるのか、これについては各氏の見解を聞きたいところだ。
もともと浅井家は音羽にあった。それが常盤台に移転し、さらに現在地に移ったわけである。当然、音羽時代は浅井名義であろうし、常盤台の時も同じはずである。それがいったいどうして、今の住居を顕正会名義にする必要があるのか、その積極的な理由が知りたいわけである。
ゆえに、たぶんそれはあり得ないことであり、今もあくまで個人名義になっているはずだ、というのがわたくしの意見である。

よって、面倒臭がり屋のわたくしではあるが、それを抜きにしても、わざわざ調べる必要もないのではないかという結論にならざるを得ないのだ。まあ、しかし、世の中にはいろいろな人がいるから、興味を懐いて調べてみようと思う人もいるかもしれないし、あるいはすでに確認済みという人もいるかもしれない。ともかく、わたくしはさして気にしていないが、すでに確認済みの人がいるのであれば、一報を入れていただければと思う。

次に呼び捨て問題であるが、これは一言、鋭い、と申し上げておきたい。

わたくしは敬称をつける場合、○○氏と書くことが多い。これがいちばん無難だからである。
しかし、克衛に対しては氏を付さない。それが単なる誤字脱字だとか、うっかりミスではなく、ほぼ一貫していることに気付いたという意味で、水無月氏はひじょうに鋭い。
では、なぜ呼び捨てなのかであるが、いちおう、これはナゾのままにしておこう。

ちなにみ、最近は法太郎も呼び捨てである。最初の頃は法太郎氏と書いていたけれども、今は敬称を入れていない。

巌虎さんの推測であれば、財政難による締め切り延長ではなく、前年割れを逃れる為の処置であると。顕正会、いや、浅井さんの面目を保つ為に取られた処置であるなら、尚更醜い話しであると思います。景気悪化で失業率も上昇しています。会員は派遣やアルバイトに従事している者が多いと聞きます。活動を中心にやっている障害だと思います。こんなご時勢であるにも係わらず、面目を保つ為に会員を追い込むのは慈悲が無いと思います。
また、水無月さんが書いておられる様に、延長は他所からつけ入る隙を与えた事になります。現に他所では無慈悲の行為、お金をむしり取る行為と噂されています。
これでは、逆に浅井さんの面目を潰している事になりますね。
結局、面目より金集めに走った事になります。

一族の維持繁栄を目論んでの事でしょうか。


さて、敬称の問題はこれくらいにして、いちばん重要な話題に触れたい。上掲はニシケン氏のコメント全文であるが、大事なことがたくさん詰まった文章だと思う。

浅井先生の面目を保つために取られた処置ならば、なおさら醜い・・・

つまり、財政難が理由のほうがよほどマシだということだろう。なぜならば、会員には派遣やアルバイトで生計を立てている人が多く、今はひじょうに厳しい経済状況だから、会員個々の生活そのものが苦しいはずなのだ。それにもかかわらず、先生の面目を保つために、会員に無理を強いている。これほどの無慈悲もあるまい・・・

ニシケン氏の言わんとしていることは正しい。ただし、じゃっかん修正意見というか浅井先生の心理をわたくしなりの忖度すると、いわゆる面目とは異なると思う。
ネット上には口の悪い人がたくさんいて、十二年後に三百万などできっこないと言うにとどまらず、顕正会が存在しているかもアヤシイだとか、どうせ浅井は生きていないだろう、などと言う人もいる。『迷走する顕正会を斬る』においても、そのような悪口とは性質が異なるけれども、ほぼ同趣旨の指摘がなされている。
実は浅井先生自身がいちばんよくわかっているのだ。表向きは一貫不変をうたっているものの、己れの発言にブレがあること、迷走とは言わないにしても道なき道を手探りで進んでいるという、そうした自覚が先生にはあるのだ。
しょせんは凡夫である。不安もたくさん感じている。そうした中で、一つの指標というか安心がいわゆる折伏成果である。しかし、そこにはデタラメな折伏が横行し、名ばかりの入信者が多いという実態がある。また、入信報告書の偽造という問題も発覚した。
つまり、すでに折伏成果という数字は信用できない、これでは安心が得られない、先生はそれがわかっている。そこでようやく、お金はウソをつかない、という話につながるわけだ。
ところがここに来て、広布御供養もはかばかしくない状況になってきた。たとえ微増であったとしても、前年比で少しでも伸びていれば安心できる。しかし、それがまったく伸びなくなってしまったら、それどころか後退を始めたらどうなるか・・・物凄く不安であろう。
よって、単なる面目を保つという意味ではなく、先生自身のとてつもない不安が期限延長という行動にあらわれているのではないか思うのだ。

しかし、ニシケン氏の言うように、結局はそれが会員を苦しめることになるのだから、ヒドイ話であることに変わりはない。

顕正新聞の元旦号に十二月度総幹部会の模様が報じられている。そこでさっそく会長講演を読ませてもらったが、今回の講演で特筆すべきことは、広布御供養のことに一切触れていない点かもしれない。
わたくしは広布御供養の締め切りがいつまで延期されたのか知らないが、少なくとも十二月二十一日よりも後なのだろう。先生は年末の総幹部会で、会員の真心の御供養に対して、必ず礼を述べるはずだからである。

最後に、シツコイながらも書いておきたい。

広布御供養の期限延長の詳細をわたくしは知らないが、結局のところ苦しむのは真面目な活動会員である。これは顕正新聞の多重購読と同じだ。いくら締め切りを延ばそうが、今さら信心の無い人に呼び掛けても御供養に参加するはずがない。そうすると、結局は活動会員たちが不足分を引っ被ることになるのだ。

同日追記:新年早々、間違ったことを書いてしまった。十一月度総幹部会における横田理事の発表によれば、広布御供養の締め切りは十二月二十六日である。すると、期限はいつまで延びたのだろうか?


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