2010/2/25

新講演集の狙い  
nabe氏から引き続き善導和尚にまつわるコメントを頂戴しているが、その延長線上に次のような文章があった。

「スーツに草鞋を履く、着物に靴を履くのがフォーマルである」

これは顕正会の御書の解釈が恣意的であることを意味するのだろう。わたくしも以前、勅宣・御教書の解釈についてはいろいろ考えたことがあるが、上掲のような譬喩はひじょうに単純明快であり、効果的だと思う。ようするに顕正会員を破折するのに有効だという意味だ。

わたくしは基本的に顕正会の戒壇論に賛成である。こう書くと、法華講員から反論があるだろうが、顕正会の主張に決定的な間違いは存しないと思う。
ただし、今は一念信解路線ゆえか、法義的にあまり突っ込んだ内容が論じられない。浅井先生が触れないのだ。
もう何年もそんな調子であるから、現今の活動会員は法華講員などから難問を突きつけられれば何も答えられないのだ。

ゆえに、上掲の論難に対しても、おそらく今の会員は何も言えないのではないかと思う。これも前回同様、最終的には浅井先生の責任である。

さて、今度はニシケン氏からの指摘であるが、これもまた単純明快であり、効果的である。今、わたくしなりに氏の文章を要約すれば、次のごとくなる。

日達上人・日顕上人が違背したことにより、天皇は国主の権威を失った。
しかし、天皇が主権を失い象徴となったのは終戦の時です。


つまり、順番が合わない、時系列がデタラメである。

なんでもかんでも、日達上人、日顕上人に責任を押し付ける今の顕正会の体質は醜いとしか思えません。

これがニシケン氏の結論であるが、まったく同感である。早い話がとち狂っているとしか言い様がないのだ。何でもかんでも御遺命違背に結びつけようとするから、単純な前後関係の矛盾にすら気がつかない。完全な近視眼に陥っている。

少なくとも御遺命違背以降に皇室において何かしらの重大事が、より厳密に言えば天皇の権威に関わることで終戦時よりも大きな事象がなければ、ツジツマが合わないだろう。

元はと言えば、一月度総幹部会の会長講演である。男子部長にしてもその他の幹部にしても会長講演をなぞっているだけの話なのだ。同講演の当該部分は一見すると御書の引用があって、もっともらしいことが書かれている。だが、しかし、そこが落とし穴なのだ。
末端会員は仕方がないにしても、本部の首脳たちは先生の講演といえども完璧ではないことに気がつかないといけない。そして事前に意見を言うべきである。
しかし、言えないのだろう。おそらくはこれも浅井先生の責任に違いない。

新「浅井先生講演集」出来!
 魂なき日本人へ警醒の一書


顕正新聞第1162号の一面下段の記事である。

頭に新を冠しているところが何とも複雑である。
普通、新講演集と銘打つならば、新しい講演ばかりを集めるべきが筋だろう。ところが現実には過去の講演集と重複するわけで、顕正会員にしても今さら読みたいとは思わないのではないか、もっと直裁に言えばウンザリしているのではないかという気がしてならない。
新聞にはおよそ二十冊くらいであろうか、婦人部員と思しき人がまとめ買いをしている写真が載っている。なるほど、これが答えかもしれない。

というのは同新聞の六面に、次のような記事がある。

 また平成十六年の諫暁書出来を機に、御奉公を大きく変わらせて頂き、それまでは知人に限った折伏でしたが、「これで町じゅうの人にも話せる!」と大感激してよりは、折伏と共に、勝浦の町を一軒一軒、配布しております。

以前にも書いたが、今は諫暁書の配布が活動の中心になりつつあるようなのだ。最初のうちは友人・知人を折伏して、それで成果をあげることができる。しかし、そのうち対象者が尽きてしまい、成果どころか折伏の実践すら不可能になる。そこで今度は諫暁書を武器に一軒一軒訪問して折伏するのだ。

この意味で今回の講演集は諫暁書の延長線上にあるのだと思われる。確かに、いつまでも平成十六年の諫暁書でもあるまいし、その前が平成九年だったことを考えれば、ちょうどよいインターバルなのだろう。具体的には、たとえば平成十六年の諫暁書であと一押しというような対象者がいたとして、その人に今度の講演集を読ませれば入信が決定するかもしれないという期待が持てるのだ。逆に言えば、活動会員にやる気を起こさせることができる。それが新講演集なのだと思う。

あるいは今もなお、浅井先生は『迷走する顕正会を斬る』の影におびえているのかもしれない。会員には絶対に読ませたくない。だからこそ注意をそらすことに躍起になっているとも考えられる。

2010/2/23

空位に異議あり  
nabe氏より懇切丁寧なるコメントをたまわった。教学的にひじょうに密度が濃く、また、こう言っては軽率かもしれないが、知的好奇心をくすぐる文章である。

一例を挙げると楊柳房の件がある。どうも氏の口ぶりだと現今の宗門ではこれに触れないらしい。なぜならば事実関係に錯誤があるから・・・早い話が大聖人の書かれていることに間違いがあるというのだ。
わたくしも以前、どこかの掲示板でそのような記述を目にしたことがあるのだが、よくわからないのでそのまま保留にしてしまった。別の言い方をすれば宿題のようなものだ。
それで今回も引き続き宿題ということにしたいと思っている。さしあたって、今日においては仏教各派を個別に破折する必要性もそれほどないだろうし、ましてや目の前に熱心な念仏の信者がいるわけでもないので、それほど差し迫った問題でもなかろうと思う。
本音は調べるのが面倒臭いから・・・というのもあるのだが、ともかく今日は別の話題を書く。

顕正新聞第1162号はわりと充実した紙面だと思った。ことに体験発表に目を惹くものが多くあって、どのように取り扱うべきか悩むところである。そこで体験発表ではなく、まずは一月度班長会における男子部長の発言を取り上げたい。

 御遺命破壊の罰により、細井日達が臨終思うようにならず急死を遂げたこと。ために六十六・六十七代において御相承の授受がなされなかったこと。かくて正系門家に空位を生じ、日本も主なき国となって中国が急速に台頭してきたこと―。

これは会長講演をなぞったもの、あるいは要約したものである。ゆえに、最終的には浅井先生に責任があると言うべきかもしれない。

当然、法華講員が読めば大反発を感じることだろう。とりわけ「空位」という表現がセンセーショナルである。
しかし、一月度総幹部会の会長講演には、この空位という言葉が出てこない。あるいは実際の講演ではそのような発言があったのかもしれないが、顕正新聞紙面には見当たらない。
いずれにしても現時点で顕正会のナンバーツーである理事長(=男子部長)が上掲のごとく書いているわけだし、すでに述べたごとく最終責任は浅井先生にある。

しかし、読者は思うだろう、今さら御相承の断絶の話など目新しくもないと。そのとおりだ。
顕正会が御相承について百八十度の大転換を図ったのは十年も前の話であり、今さら驚くことではない。強いて言えば空位という表現が鮮烈であり、数年前から使われだした偽戒壇と同じような趣きがあると思う。
しかし、わたくしが注目したのはそれだけではない。なんと顕正会では、あろうことか国主までも空位にしてしまったのだ。

皇室は威光勢力を失い、国主が空位となってしまった

これは婦人部静岡支区部長の発言であるが、この人に責任はないだろう。やはり、これも前掲同様に会長講演をなぞったものである。

おそらく顕正会の活動会員ならば、反論することだろう。顕正会が国主を空位にしたのではなく、正系門家の異常事態が国主を空位になさしめたのだと。
馬鹿を言ってはいけない。浅井先生がしゃべったことを何でもかんでも鵜呑みにしてはいけないのだ。
今は平成二十二年である。これは今上天皇が即位してから二十二年目を意味するのだ。これを空位と呼ぶことは天皇に対する冒涜である。

顕正会は正系門家の血脈相承を否定するに止まらず、とうとう皇統まで否定してしまった。

まあ、しかし、これを本部首脳が読めば、ものすごくイヤな気持ちになるだろう。わたくしの書き方が悪意に満ちているというか、意図的にイジワルな書き方をしているように感じられるはずなのだ。
もし善意に読むならば、顕正会は皇室の復権を願っていることになるのだろうけれども、しかし、それとてイジワルな書き方をすれば顕正会は天皇親政を目指しているということにもなりかねない。
いずれにしても今回の記事は御相承の断絶にリンクさせる形で国主の空位を云々してしまっているわけだから、まさに皇統断絶を示唆しているに等しいことになるのだ。

以前、偽戒壇という表現について問題があることを指摘したが、今回も同様である。ようするに言いたいことはわかるが表現に問題がある。相手に誤解を与えないようにするにはどうしたらいいか、そうしたことを考えて表現するべきだろう。

「やがて、国立戒壇建立の為めに、本化上行菩薩が天皇として垂迹する。その時の為めに、天皇に主権を戻す運動をしている」

http://white.ap.teacup.com/ganko/1007.html

およそ二年前の拙稿からの転載であるが、他門との類似性・・・もっと言えば、田中智学の模倣、こういう指摘を受けないためにも表現には細心の注意を払うべきである。

最後に別の話題を書く。

 しかしその時こそが
 「若(も)し此の国土を毀壊せば、復仏法の破滅疑い無き者なり」
 との仰せのごとく、いよいよ広宣流布の時と、大確信させて頂くものであります。


これも会長講演をなぞったものであるが、しかし、ずいぶんと短絡的な文章である。引用の御文とその後の文章がマッチしていない。総合婦人部長も焼きが回ったようだ。

2010/2/19

真偽論へのアプローチ  
顕正会問題については、各氏から活発なコメントが寄せられている。しかし、今日は別の話題を書こうと思う。十日ほど前に「マグマグ氏を破す?」と題して書いたところ、御本人より返事をたまわった。わたくしの破折に対しては何一つ苦情めいたことを言わず、寛大に受け止めておられるところが凄いと思う。

なお、音読についてはわたくしの認識に間違いがあったようだ。

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。

平成新編ではご覧のごとく表記している。ところがである。どうやらマグマグ氏によれば、テキストが上掲のごとくなっているにもかかわらず、それを実際に読むに当たっては「秘して」を加えて読んでいるというのだ。なるほど、じゅうぶんにあり得る話である。

浅井先生は御観念文を小声で読む。昔、本部の日曜勤行に参加していた人ならば記憶があるだろう、おそらくnabe氏あたりがいちばん詳しいはずだが、先生の御観念文は経本に書かれているものと違っていたのだ。面白いことには、それを耳ざとい(?)幹部たちがマネするのである。自分の先輩がそうだった。地元の自宅拠点で勤行をしていて、経本と違うことをブツブツと言っているものだから、終わってから質問したことがあった。今となってはどのような答えだったか忘れてしまったが、ともかく何度も日曜勤行に参加しているうちに、それが浅井先生のマネであることがわかってきた。やがて御観念文の改訂が行なわれることになる。平成十年のことだ。よって、それ以降は全員が共通の御観念文を読んでいるはずである。

それから、ずいぶん前の御書講義なので、その御書が何であったかすっかり忘れてしまったが、やや似たような話がある。御書の原文に南無阿弥陀仏と書かれているところがある。それを顕正会ではわざわざ南無阿弥陀仏から念仏に書き換えてテキストを作ったことがあるのだ。その時は浅井先生から説明があって、全員で声を出して拝読するのには差し障りがある、という意味のことを言っていた。

上述の二つの事例は顕正会の中でのことであるが、おそらく日蓮正宗も大同小異なのだろう。これに関連して、nabe氏のコメントだったと思うが、いわゆる三宝のうちの法宝をどのように読ませるか、ホウボウでは謗法になってしまうのでホッポウと読むようにしているという話があった。

これ自体は信心の健全さを意味することであって何ら問題はないが、ひるがえってマグマグ氏の指摘する音読の件はなるほど「やり過ぎ」かもしれないと思う。むしろ、それならば顕正会のように御書の表記そのものを直してしまったほうがすっきりするはずである。

さて、いよいよ本題である。

「真蹟主義と原義主義の落とし穴」と題するマグマグ氏の論文は完結した模様である。わたくしの読後感を申し上げれば、正直なところ難解であり要領を得ないということになる。しかし、それはおそらくテーマそのものが超難解だからであり、むしろそうした課題に取り組もうとする姿勢そのものが称賛に値することなのだろう。この点、大いに見習わなければいけないことである。

無作三身説の論理的構造

たまたま今、わたくしの手元には伊藤瑞叡教授の論文のコピーがある。上掲がその題名である。

無作三身ないし無作の三身という用語は御真蹟の残る御書には存在しない。しばしば真蹟主義者たちのヤリダマに挙がるのが、まさにこれである。
真蹟主義者は文字通り御真蹟を中心に論考を組み立てていく。当然ながら御真蹟の残らない御書は用いない。といっても、おそらく委細に見れば、個々には幅があるのだろう。いわゆる曾存御書を認めるかどうか、あるいは御真蹟だけでなく、古写本であっても信頼性が高ければ用いるという人もいるだろうし、いや、まったく用いないという人もいるはずである。
いずれにしても真蹟主義者たちは無作三身について懐疑的であり、この用語の含まれる御書は用いない。それどころか人によっては無作三身が含まれるものは偽書であると断定するほどである。

さて、ここからが問題である。日蓮正宗系統ではこれにどう対応しているのか、そこが大問題だと思う。

正信会の全体がそうなのかどうか知らないが、ご存知のごとく、正信会系の一部の僧侶たちはすでに無作三身に懐疑的になっている。実は平成十一年の本部指導会・・・いわゆる御相承の断絶を宣言した顕正会の本部指導会であるが、この時の顕正新聞にこの問題が書かれている。今は記憶のままに書くが、顕正会の活動会員が正信会の僧侶のところに折伏に出掛けたところ、三大秘法抄は御真蹟がないから認めない、という意味のことを正信会僧侶が言ったらしいのだ。浅井先生はこれについて、さらっと紹介するにとどめて、それ以降はまったく言及したことがない。三大秘法抄は顕正会の御遺命守護の戦いの根拠ともなる重要御書であるが、今や真蹟主義者たちから偽書扱いされ、あろうことか正信会系の僧侶までが疑問視しているわけである。それにもかかわらず浅井先生はこの十年、これについては何も語らないのだ。むしろ一念信解路線を強化して、そうした煩瑣な問題から逃れようとしているふうにも見えるくらいである。

では、カンジンカナメの宗門はどうなのか、そこがひじょうに気掛かりであるが、わたくしは寡聞にしてこの件に関する宗門の動向を知らない。

そこで伊藤瑞叡教授の登場である。不思議な経緯(?)で上掲の論文を読む機会を得たわたくしであるが、さすがに難解であり何回読んでも理解が及ばない。しかし、結論は簡単である。平たく言うと、三大秘法抄などに出てくる無作三身は、その意味内容において観心本尊抄と矛盾しない。よって、本尊抄が真作ならば三大秘法抄も真作である。

この結論はひじょうにシンプルであり、結論だけを受け売りするのは誰にでもできることである。問題はその結論に到達するまでの過程に齟齬や破綻がないかどうか、そこである。このような場合、あえてアラをさがすような読み方をするべきであり、わたくしはわりとそれが得意なほうだと思っているのであるが、どうも今回はそれがうまく行かないようである。正直なところ、どこかがおかしいという感じがするのだけれども、具体的には指摘することができないのだ。

以上のような理由で、もしかしたら当該論文は完璧なのかもしれないと、いちおうは結論しておこう。

ただし、それはあくまで御書の真偽論における一つのアプローチの方法であって、総合的な判断はまた別次元のことなのだと思う。たとえば、いちばん単純な話をすれば、偽書を作る人、すなわち偽作者は大聖人の御書を偽作するわけだから、大聖人の御書を参考にするはずである。平たく言えば、マネをするのだ。ゆえに御書と偽書が矛盾しないとしても、それは当然のことなのだ。

最後に、わたくしの立場はあくまで平成新編収録分をすべて真書と拝するものであるが、しかし、公平な観点から言えば、真蹟主義者の主張にも相当の説得力がある、ということを現時点においては付言しておかねばならないと思う。

2010/2/12

顕正会のダブルスタンダード  
引き続き一月度総幹部会の話題を顕正新聞第1161号からピックアップする。

人事に関して言えば、やはり壮年・婦人の有力幹部を失ったことが、早くも本年の十大ニュースに数え上げられることになると思う。顕正新聞ではそれを意識的に覆い隠さんとしているのだろう。たとえば掲載写真にもそれが如実にあらわれている。

第一面の左上の写真はあえて右側ばかりを写して、左側を完全に隠してしまっている。
第1156号を確認すると、ここでは逆に極端に左側ばかりを写している。おそらく、その時にはまた別の事情があったのだろう。それはともかく、当該号は昨年の十一月度総幹部会を報じているわけだが、ここにはくだんの夫婦がしっかりと写っている。
最前列には壮年部が、そして二列目には婦人部の錚々たる幹部たちが並んでいる。当然ながら中央よりが上座である。二人とも三番目に座っている姿が印象的だ。

さて、話は変わる。今回、女子部の人事で主任総務に任命された人物の登壇に、次のくだりがある。

梶を切った・・・

わたくしはこれを間違いだと思うが、それとも正しいのだろうか?

今度は壮年部の組長である。

昨年の暮れに、母の実の姉が他界し、青森県弘前市の母が危うく邪宗の葬儀に参列しなければならない状況になりました。

ひじょうに考えさせられる記事だと思う。文中、実際には参列したのかしないのか、それが書かれていないけれども、上掲の文勢からすれば参列しなかったのだろう。これは総幹部会で発表され、かつまた顕正新聞に掲載されているわけだから、顕正会の公式見解に等しいことになる。その教義的根拠は何か? おそらくは日興上人の御遺誡なのだろうけれども、わたくしはもっと柔軟な対応が必要だと思う。

広宣流布まであと十二年・・・

これは女子部組長の記事であるが、もはや取り返しのつかない文証をこさえてしまったとしか言い様がないだろう。

この人は昨年の十月十七日に創価学会から入会したという。つまり、顕正会の実態をまだ知らないのだ。ゆえに、あと十二年で広宣流布だと、本気で思い込んでいるのだろう。ところが三年後には、あるいは五年後かもしれないし、十年後かもしれないが、ともかく気がつく時が来るのだ。

大問題である。善意に受け止めれば、わざわざ感激に水を差すことはない、ということなのかもしれない。だが、しかし、おそらく首脳部は十二年後に広宣流布など実現しないことを百も承知で、いわば使役するのに好都合だからそのまま放置しているわけだろう。もし違うのであれば、ここはしっかりと訂正すべきところである。会長講演は集会の最後に行なわれるわけだろう、だったらその時にはっきりと言えばいいのだ、先ほどの○○さんの登壇に「広宣流布まであと十二年」とありましたが、それは間違いですので気をつけて下さい、と。

一種のダブルスタンダードであるが、これがいかにイヤラシイことであるかを本部の首脳たちは自覚するべきだ。

2010/2/11

ポスト乱発  
一月度総幹部会の目玉は人事だった。顕正新聞第1161号の第一面には、期を画する大人事が断行、と書かれていて、下段にはたくさんの顔写真が並べられている。ざっと数えて二十五人である。

理事長に浅井城衛氏
 副理事長・横田氏、理事・大沼氏


これが最大の目玉だろう。

すでに理事長人事については内外からさまざまの反響が寄せられている。早い話が人選に疑問が残るということだ。
今の若い顕正会員たちの意識がどうであるかは知らないが、当然の心理として年配者たちには納得できかねる人選なのだと思う。わたくし自身、城衛にはまだ早いのではないか、ゆくゆくは理事長の座に就くにしても、さし当たってはワンクッションを入れるべきではないか、という気がする。
なぜそれができないのか、理由は容易に想像がつく。一つには、あと十二年がその原因だろう。もう残された時間は少ないので、ワンクッションなどと悠長なことは言っていられないのだ。これは広宣流布まであと十二年というよりも、浅井先生から城衛にバトンタッチするまでの期間があと十二年と考えたほうが妥当だろう。もし本気で広宣流布をするつもりならば、そんな理事長などのポストを作る必要はないだろう。今までどおりだって問題ないはずなのだ。今回の人事は、後継者としての存在を際立たせるための布石であると、誰もが思うに違いない。
ワンクッションを入れることができない理由はおおむね上述のごとくであるが、もう一つの理由は『迷走する顕正会を斬る』に書かれているごとく、今の顕正会は壮年層の希薄なイビツな組織だからである。つまり、理事長に相応しい人物がいないのだ。いくら探しても出てこない。失礼ながら壮年部の地区部長クラスは、ややもすれば地区部長の座すら危ういくらいの不安定さを感じさせる。こうなるとイヤミながらも婦人部・女子部の系統から理事長を選出したらどうかと言いたくなるほどだ。

ともかく理事長人事については多くの疑問を拭えないところであり、こんな調子で大丈夫なのかと心配したくなるくらいである。

儀礼室長に小峰勝彦氏

ひじょうに面白い現象がある。今回の新人事で副理事長に就任した横田氏は壮年部長であり、一方の小峰氏は副壮年部長である。ところが今回、儀礼室長の交替が行なわれた。小峰氏が室長であり、横田氏はその部下なのである。ちなみに、これまでの儀礼室長が誰であったか、そこが問題である。なんと今までは横田氏が儀礼室長だったのである。

どうなんだろうか、こうしたケースは世間でもありがちのことなのか、それとも異例のことなのか、世間知らずのわたくしにはまったく見当がつかない。けれども直感的には、いわゆる身内ビイキの批判をかわすために横田氏を副理事長に据えただけであって、実質的には小峰氏のほうが偉いんだという印象を受ける。だとすれば、やっぱり身内ビイキじゃないか、ということにならざるを得ないだろう。

さて、第三婦人部長人事である。

これは新しい第三婦人部長が誰であるかが問題なのではない、前任者がどうなってしまったか、それが大問題なのだ。
通常、人事発表は前任者の処遇についても併せて通知するべきものだと思う。実際、顕正会の人事発表でも、特に支障がなければ発表されている。あくまで支障がなければ、である。
たとえば一年前の総合女子部長人事の場合、前任者には教学主任というポストが与えられた。今日から見れば、事実上の引退であったことが明瞭であるけれども、ともかく処遇がはっきりしているわけである。
では、前第三婦人部長はどうなってしまったのか、残念ながら顕正新聞には何も書かれていない。これは事実上の抹殺である。理由はわからないが、ともかく何かしら都合の悪いことがあるのだろう。都合の悪いことには触れない。まさにこれが顕正会の体質なのだ。

「儀礼室会議」開催さる
 五委員、使命に奮い立つ


これは一昨年の七月の出来事である。顕正新聞第1108号を確認されたい。もはや個人名を憚る必要はなかろう。以下、同記事からの引用である。

 儀礼室は顕正会員の葬儀・法要等の儀式を執り行なう部門として平成十年に設置されたが、今回の人事により、横田高明儀礼室長のもと、遊佐寿美、五十峯武、坪田敏、松本修の五委員の陣容となった。

そして今回の顕正新聞の記事は次のごとくである。

 メンバーは小峰新室長のもと、横田高明、五十峯武、遊佐寿美、坪田敏の四委員である。

ご覧のごとく、儀礼室の中でも抹殺が行なわれた。

前第三婦人部長の姓は松本である。そして今回、儀礼室メンバーから一人の名前が消されたわけだが、それも松本である。もはや、言わずもがなのことだが、この二人は夫婦で熱心に活動してきたのだ。とりわけ婦人は物凄く人望があって、多くの人が慕っていた。

ゆえに大事件なのである。

最後に、

顕正新聞編集次長

これも新ポストと思われるが、けっこうカッコイイ響きがある。ところで編集長は誰だったろうか? かつて編集長人事の発表があったのかどうか、それすら記憶にないほどである。

2010/2/9

異教に対するアプローチの方法  
このところ法華講説の旦氏とちょっとした論争をしている。拙ブログではまったく取り上げなかったが、興味のある人は先方のブログをご覧になられるとよいだろう。

キリスト教やイスラム教は仏法の初門である。

旦氏とは以前にも何回か議論をしているが、今回は立場が逆転してしまった観がある。
というのは、以前のパターンだとたいてい旦氏が突飛なことを言い出し、それにわたくしがツッコミを入れることになる。いちばん明瞭なのが、妙楽大師の件だろう。あれは明らかに氏の誤解だった。
ところが、今回はわたくしが突飛なことを言ってしまい、四苦八苦している状況なのだ。それが上掲である。

ようするに、御書にはキリスト教やイスラム教のことなど出てこない、だから巌虎の言うことは己義である、ということなのだ。

確かにそれを言われるとツライものがある。
だが、しかし、仏法の範疇に入らないものはない、すべての事象は仏法の範疇に属する、というのが基本だと思う。ゆえに、キリスト教だとかイスラム教も同様に仏法の範疇に入るわけで、それをどのように解釈するかが問われてくると思う。
たとえば、小学生や中学生に大学でやるような高度な問題を出せば、そんなのまだ習ってないから無理だ、となるだろう。ようはその逆なのだ。大学生に小学校の問題を出して解けないとすれば、そんなのはインチキ大学生である。
つまり、キリスト教などを仏法の立場から説明できないとすれば、それはその人の不勉強のせいでもあるが、最終的には仏法そのものが大したことない教えだということになってしまうのだ。

そこでわたくしは、キリスト教やイスラム教は仏法の初門である、と判断した。その根拠はもちろん御書にある。

外典は内典の初門

これは法門申さるべき様の事であるが、開目抄にも類文がある。

しかし、旦氏に言わせれば、これは儒教などを意味するわけであって、キリスト教などは含まれない、となるわけである。実際問題として御書にはキリスト教に関することは出てこない。そうすると、ある意味、教条主義的に考えればそのとおりなのだろう。

わたくしはたとえ直接の御記述がなくても、道理としてそれに通じればよいのではないかと思う。いわゆる総別の二義を当てはめてもよいだろう。大聖人が外典を云々する場合、別しては儒教だとしても総じては仏法以外のあらゆる典籍を意味すると考えて何の支障もないはずである。

外典三千余巻・内典五千七千余巻

特に御書を挙げないが、この手の御文はたくさんある。何が言いたいかは次の御文を拝してから説明する。

天上・竜宮・天竺なんどには無量無辺の御経ましますなれども、漢土・日本にはわづかに五千七千余巻なり。

またしても法門申さるべき様の事であるが、ここに道理として見えてくることがある。
つまり、鎌倉時代当時、すべての仏典が日本に渡っていたわけではないとの御認識を示されているわけである。天竺はまだしも天上・竜宮とくれば、それこそ無量無辺の経典があるわけだろう。
外典もまた然りである。大聖人が御存知であられた数、もしくは当時の一般的な情報が外典三千余巻ということなのであって、当然ながら日本には伝えられていないような典籍が他にもたくさんあるわけだ。
こうした道理に立脚するならば、たとえ直接的に説かれていないとしても応用が可能だと思う。

善無畏三蔵抄には次のごとくある。

劣る経に説く法門は、勝れたる経の得分と成る・・・

当然、教学に詳しい人ならば、観心本尊抄を想起することだろう。

過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経、乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経々は皆寿量の序分なり。

道理としては、ここに外典が含まれる。いや、違う。道理だけではなく、これにはちゃんとした文証があるのだ。

一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず

開目抄などに出てくる涅槃経の文であるが、さらに上掲のすぐ直前には次のごとくある。

外道の所詮は内道に入る即ち最要なり。

これは最初に引用した「外典は内典の初門」と同義であるし、そもそ上掲の御指南は開目抄の「外典を仏法の初門となせし」云々の延長線上に位置するわけである。

以上、これら種々の御指南を勘案するならば、キリスト教やイスラム教もまた仏法の初門となるべきことが明瞭である。

もちろん、あくまで初門であるから、そこからステップアップしていくことが必要であり、もしそこに執着するならばそれこそ謗法となる。おそらく旦氏の言わんとしているのは、この点なのであろう。

これで一件落着としたい。

2010/2/8

マグマグ氏を破す?  
引き続き御書の話題を書こう。

情報ツウ氏が過去の一級教学部員の名前を挙げているが、その人たちの消息をわたくしが知っているわけがない。それこそ情報通でなければ知り得ないことだ。本部職員だった人が退職してその後どうしているか、マレには一会員として地道に活動している場合もあるし、活動こそしないがいわゆる化石のような状態で顕正会に留まっている場合もあると思う。しかし、普通は居づらいので、離れて行くのが一般であろう。

【研究報告】真蹟主義と原義主義の落とし穴(その五)

さて、これは富士宮ボーイ掲示板からの転載である。ご存知、マグマグ氏であるが、失礼ながら何を言わんとしているのかよくわからない文章である。
そもそも真蹟主義と原義主義との対比がわからない。通常、こうした比較は両者が対極にあるとわかり易い。ようはどちらが正しいか、二つに一つとなるからだ。しかし、真蹟主義と原義主義の関係が不明瞭なので、これが対極にあるものなのか、それとも近似の概念なのか、よくわからないのだ。
タイトルの雰囲気からすれば、両者にはそれぞれメリット・デメリットがあるのだろう。どうやらマグマグ氏は原義主義の側に立っているらしいが、タイトルの意味からすれば公平な立場から論じていることになりそうだ。
いずれにしても当該論文は連載中であり、最終結論がどうなるかは未定なので、それを見守る必要がある。

そこで今日のところは部分的に取り上げる。

伝統門流の一部では、上掲の開目抄の本文そのものを「但法華経の本門寿量品の文の底に、秘して、しづめたり」と読ませる。当然、日寛に拠るからだが、極端なことに「音読」の際にもそうしている。小さなことだが、これはやり過ぎだろう。

顕正会のことを言っているのだろうか?

一念三千の法門は、但法華経の、本門寿量品の、文の底に秘してしづめたまへり。

これが顕正会版の開目抄である。いちおうは伝統門流の一部に属するけれども、マグマグ氏が顕正会を揶揄するとは思えないので、おそらくは他を念頭に入れて書いているのだろう。さて、具体的にはどこか、それは申すまでもなく日蓮正宗だろう。

理由は簡単だ。いわく、「日寛に拠るから・・・」と。この時点で他門はあり得ない。すると残るは正信会くらいだが、これまたマグマグ氏が揶揄する必然性はない。自ずと消去法のゆくえは決まっている。

ところがである。事態は皮肉な方向へと向かうのだ。さて、ここで平成新編の当該御文がどうなっているかを示してみよう。

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。

わたくしはすぐ上で、顕正会を伝統門流に属すると書いた。おそらくは誰かしら反論があるだろう、顕正会は新興宗教ではないか、と。
そう言われてしまえば、もはや何も言うことはないけれども、もし顕正会を除外すると、ひじょうに皮肉な話であるが、マグマグ氏の書いていることはまったくの空振りになってしまうのだ。上掲のごとく、日蓮正宗では「秘して」を入れていないからである。

また、氏のいわく、「音読」云々と。おそらくは文底秘沈のことだろう。これは御観念文に出てくるので、いちおうは空振りを免かれていることになる。
しかし、わたくしは思う。そもそもマグマグ氏は原義主義ではなかったかと。
もし真蹟主義であれば、そんな言葉は存在しないから不可である、と主張して不思議はない。けれども原義主義であれば、なぜそれが原義に照らして不可であるかを説明しなければいけないだろう。どうもその説明が不十分のように思われるのだ。

最後にもう一つ、ダメ押しをしておきたい。

一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり

これは寿量品文底大事という、いわゆる御相伝書である。当然、真蹟主義者は用いないだろうけれども、原義主義者はどうなのか、まずはこれを確認したいところだ。

ちなみに、これは大石寺に古写本があるらしい。誰の筆であるかは不明であるが、ともかく古写本なのだから日寛上人よりも古い時代を意味するのだろう。そうするとマグマグ氏の言う「日寛に拠る」も、ここで瓦解することになるのだ。

2010/2/5

顕謗法抄を中心に  
ユタ氏から引き続きコメントが寄せられているけれども、今日は久しぶりに御書の話題である。

周の宇文王の四千六百余所の寺院を失ひ、二十六万六百余の僧尼を還俗せしめし・・・

顕謗法抄に上掲の御文がある。わたくしはこれを周の文王のことだと思っていた。しかし、これが文王だとすると、おかしなことになる。なぜならば、報恩抄には次のごとくあるからだ。

周の代の七百年は文王の礼孝による。

これは肯定引用である。ゆえに前掲とは矛盾する。しかし、誤解だった。そもそも中国史がわかっていれば、このような初歩的な間違いはあり得ない。周の時代には、まだ中国に仏教は渡来していない。それどころか文王の時代はまだ釈尊が生まれていないのだ。

報恩抄に戻って、上掲の少し前には次のごとくある。

後周の宇文・唐の武宗

ようするに顕謗法抄の周の宇文王は、後周の宇文王のことであり、周の文王とは別人なのである。わたくしはそれを今まで知らなかった。ちなみに顕謗法抄の同一箇所を御書全集で確認したところ、後周の宇文王と表記されていた。これならば勘違いすることはなかっただろう。

しかし、いずれにしても大聖人にはじゃっかんの錯誤があられるのではないかと思われる。

漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし・・・

撰時抄の一節であるが、顕謗法抄と比較すると数字がほぼ同じである。つまり、大聖人は後周の宇文と唐の武宗を混同しているのだ。もちろん、報恩抄に示されるごとく、いずれも悪王という括りであるから、結論的には変わりがないのであろう。

では、後周の宇文王とは具体的に誰なのか、御書を拝する限りではよくわからないけれども、おそらくは後周=北周であり、この第三代目に当たる武帝のことだと思われる。ちなみに武帝という呼称は中国史に多数出てくるので、ますます混乱してくる。御書にも梁の武帝が出てくるが、これは当然ながら別人である。八宗違目抄には「慧遠法師の武帝を詰る語なり」という御文が出てくる。たぶんここでの武帝は宇文王のことだろう。これに連動して下山御消息に出てくる「武王は慧遠法師と諍論」との御文は、今度は周の武王と勘違いし易いけれども、そうではなくて武王=武帝=後周の宇文王のことなのだ。

オマエはいったい何が言いたいのか?

読者の中にはそのように思う人もいるかもしれない。今回の話には特に意図するものはなくて、ただ単に冒頭に掲げた御文に疑問を感じたのでいろいろ調べてみたというだけの話である。

最後に、顕謗法抄は断簡御書なのか、という問題に触れておこう。

 第一に八大地獄の因果を明かし、第二に無間地獄の因果の軽重を明かし、第三に問答料簡を明かし、第四に行者の弘経の用心を明かす。

これが書き出しの部分である。この四番目に注目してほしい。次の引用は四番目の書き出し部分である。

 第四に行者仏法を弘むる用心を明かさば、夫仏法をひろめんとをもはんものは必ず五義を存じて正法をひろむべし。五義とは、一には教、二には機、三には時、四には国、五には仏法流布の前後なり。

 第一に教とは・・・

大聖人はいわゆる五綱判に基づき、行者の弘経の用心を御教示あそばす予定であられた。ところがどうしたことか、この御書では第一の教だけで終わっているのだ。上掲の文勢からすれば、第五の仏法流布の前後まで論じられていなければおかしいだろう。ゆえに、顕謗法抄は断簡御書なのではないか、後半部分を欠損しているのではないか、というふうに見えるわけである。もしくは大聖人御自身が途中で筆を止めてしまったという、いわゆる中絶の可能性もあり得るだろう。

さて、どちらが本当だろうか?

顕謗法抄はこの時期としてはひじょうに充実した御書である。仮に後半部分を欠損しているとして、もしもそれがぜんぶ残っていたならば、あるいは五大部・十大部に属するような重要御書に位置したかもしれない。何しろ五綱判のほんの一部しか残っていないことになるのだから、その後ろの部分があったとすれば相当のボリュームになることだろう。あるいは顕謗法抄のみならず、そうした御書が他にもたくさんあるのかもしれない。大聖人の御書は今の倍以上はあったはず、と誰かが言っていたけれども、なるほど、そうかもしれないと思う。

2010/2/4

ラストスパート  
現役隊長氏のコメントに対して、ユタ氏が応じておられる。内容的に重複するけれども、息抜きができないこと、あるいは充電の機会がないこと、そうしたことどもが活動会員を苦しめているのだと思う。もちろん、隊長氏の言うように昔はもう少し会員個々のレベルが高かったのかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、人間であれば誰だって中弛みがあって当然なのだ。理想は月々日々に信心が強くなって行かなければいけないが、現実はなかなか難しいことである。

ここに還暦の人がいるとしよう。この人は釣りが趣味であり、子供の頃から通算すると半世紀もの長きにわたって釣りを続けてきた。いや、これは別に釣りでなくてもいいのだが、あくまで一例ということで理解してほしい。
しかし、半世紀の間、一日も欠かさず釣りをしていたわけではないはずだ。あくまで余暇に趣味として行なっていたことである。もしかしたら途中に一年や二年のブランクがあるかもしれない。あるいは十年二十年のブランクかもしれない。
けれども、それでいいのである。子供の頃から数えれば足掛け五十年になると人に語ったとして、それがウソになるというものではない。
たまたま仕事の忙しい時期があって、まったく釣りに行けなかったとしよう。そうして、久しぶりに釣りに出掛ければ、けっこう新鮮さを味わったりもするものである。それが趣味というものだ。

顕正会の場合はそれができない。前にも書いたことがあるはずだが、マレに退転して戻ってきた人が物凄く頑張ることがある。妙な話、退転が一種の充電期間みたいなことになるのだ。何とも皮肉な話だが、これが現実である。

少し関連があるだろうか、今日は顕正新聞第1160号から引用するが、成人式で女子部の総班長が次のように言っている。

ゴールは決まったのだ。あと十二年で大聖人様の大願が成就するのだ

これはひじょうに問題のある発言だが、それはさておくとして、あと十二年ということはまさに今が最終段階であり、いわば最終コーナーから最後の直線に向かうあたりに相当するのだろう。ラストスパートだ。

おわかりだろう、もはや息抜きだとか充電だとか、そんなことは言っていられないのだ。

ちなみに、この総班長は曽祖父の代から顕正会で御奉公する家庭に生まれ育ったというツワモノ(?)である。壮年部の幹部に同姓の人がいるけれども、おそらくはこの人の父親なのだろう。

学会の謀略で不当逮捕・鑑別所送致

さて、これは同じく成人式であるが、男子部支隊副長の記事である。なんと昨年一月に逮捕され、合計三十五日間も拘束されていたというのだ。
わたくしが不審に感じたのは、なぜこれをおよそ一年もの間、秘匿していたかである。これは浅井先生の得意とする情報遮断であろうか?
その真意はわからないけれども、こうした事例を見るにつけ、実は他にもたくさん逮捕されているのではないか、マスコミに報道されないことをいいことに、頬かむりを決め込んでいるのではないか、などと勘繰りたくなるところだ。

さて、今度は婦人部組長の記事であるが、次のくだりが気になった。

 「友だちの親を折伏するのをやめてくれ」とまで言っていた長男が・・・

この話の続きは長男が信心にめざめたというものであり、顕正会的にはメデタシメデタシの話になっている。しかし、そうじゃない例もあることを容易に推測させる話でもあるのだ。つまり、親の信心をひじょうに迷惑に感じている子供たちが無数にいるだろうことである。この辺は婦人部の活動のあり方として考えておくべき重要な事柄だと思う。しかし、これもまた「あと十二年」の掛け声によってかき消されてしまうのだろう。

最後に顕正新聞第1159号に戻って、

 私は東京都大田区で学会幹部を務める両親の家に生まれ育ち、母は地区担当者、父は支区部長・・・

たぶん創価学会に支区部長という役職はないはずである。

2010/2/2

情緒的  
昨日の話の続きをしよう。

幼い子供が太平洋の真中に放り出されたようだった・・・

これは十二月度総幹部会の会長講演であるが、活字化する段階で削除してしまった部分である。これをどういうわけか婦人部の幹部たちが盛んに引用している。その理由は、もしかしたら男女間の感覚の違いなのかもしれない。

もちろん女性のほうが情緒的であり、上掲のようなシチュエーションには大いに感ずるものがあるのだろう。

そうそう、うっかり説明を忘れたが、これは解散処分の時の心境を回想したものである。
すると先生ないし首脳部たちは、過去の発言との不整合を気にしたのだろう。つまり、負け嫌いの浅井先生は一貫して強気の発言を繰り返してきたものだから、上掲のような心境の吐露はそれとは正反対の印象を与えかねない。すると浅井発言を厳しくチェックしている連中からツッコミが入ることになる。矛盾しているではないかと。
おそらくはそれを気にしたのだろう。

だが、わたくしはむしろ先生の正直な一面が垣間見えて好感が持てるのではないかと思う。大聖人を例に取るのは恐れ多いことだが、御書を拝しているとトータルでは強気の言葉がたくさん出てくるけれども、委細に尋ねるならば弱気とも思える言葉がけっこうあるのだ。大聖人の仏法の魅力は案外にそうした情緒的な部分にこそあるのだと思う。ひるがえって浅井先生はまだ未熟なのだろう。わざわざ矛盾を糊塗することなく、ありのままの姿を示してこそ本物である。

勤皇の志士の燃えるような情熱で明治維新は成ったのよ

いよいよ明治維新など比ではない王仏冥合の新しい日本!
人類史上未だ曽てない仏国日本の建設よ!

「二陣・三陣つづきて天台・伝教にも越えよかし!」

勤皇の志士の百千万億倍の大情熱で爆発よ!


これは顕正新聞第1159号掲載分のポウコちゃんである。

このネタは鹿児島会館での会長講演が元になっているわけだが、一コマ目の背景には噴煙を上げる山が描かれている。当然ながら桜島を意味するのだろう。ここからはわたくしのつまらぬアゲアシ取りであるが、四コマ目にも桜島を背景に入れて、しかも大噴火しているように描けば面白かった。ただし、それは一般的に怒りを表現する描写である。おそらく探せばそこらじゅうの漫画から拾い出すことができるだろう。何が言いたいかというと、顕正会は爆発が好きであり、やたらとそのフレーズが出てくる。ようは爆発的な弘通を夢見ていて、そうした願望が常にあるわけだろう。そのこと自体は悪いことではないけれども、しかし、爆発という表現が一般的にはどのように受け取られるか、そこまで考えておく必要があると思う。そうしないと、ますます世間から遊離してしまうのではないかという心配があるのだ。

 83歳、功徳の歓喜で55人を折伏

これはいい記事だと思った。この五十五人は入信者の数ではない。ようは順逆を含めての数である。成果主義を戒める意味できわめて有効だ。


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