2010/3/31

平会員の登場数最多記録更新  
今日は顕正新聞第1166号を取り上げる。第一面には二月二十一日の日曜勤行における会長指導が出ている。前号も日曜勤行の指導がトップ記事だった。

それが悪いとは言わないが、どうも手抜きの感が拭えない。はっきり言えば、これは編集部のせいではなく、浅井先生がいけないのだ。
かつては毎月のように御書講義が行なわれていた。しかし、今は年に数回しか行なわない。二月に講義があったが、次の講義がいつになるのか、今のところ未定である。四月には神奈川会館のオープンが控えている。おそらくはそれがメイン行事であり、御書講義はないだろう。実際、顕正新聞掲載の本部行事の日程表には、組み込まれていない。
そもそも今月は何があっただろうか? 何もなかったのではないか?
つまり、二月末の総幹部会で三・四月の折伏目標を掲げ、それでオシマイなのだ。発破を掛けるだけで、あとは何もしないらしい。これで広布最終段階なのだそうだ。
おそらくは総幹部会の講演であるとか、神奈川会館での講演などの準備に忙しいのだろう。確かに先生の講演はそれなりに密度の濃いものである。

しかし、わたくしは思う。もし「あと十二年」にすべてを凝集するつもりならば、もっと過密なスケジュールを組まなければ間に合わないだろう。かつて多作で名を馳せた小説家が晩年には悠々自適も相俟って執筆のペースを落とすことがある。今の先生はこれに近いものがある。ぶっちゃけ言えば、耄碌したのだ。それでいて会員には無理を強いているのだから、愛想を尽かして離れていく人が後を絶たないわけである。

ところで、かく言う拙ブログも最近はマンネリ化が進んで、読者離れが著しいようだ。義理で開いて下さっている人もいるだろうが、おそらくはざっと眺めるだけでちゃんとは読んでいないのではないかという気がする。そこで一計を案じて、今日は少し趣向を変えてみようと思う。

部長 2

隊長・区長・地区部長・支区部長 7

支区長補 1

総班長 1

総班副長 1

班長 3

組長 6

平会員 4


二面から八面まで、各部ないし各地における集会の登壇記事がたくさん掲載されている。上掲はその発表者の役職別の人数である。なんと合計で二十五人もいるのだ。これはビックリである。これまた手抜きの編集を想像させるところであるが、しかし、これも往いては浅井先生の責任であろう。もし先生の御書講義が掲載されれば、一面はもちろんのこと、二面三面、場合によっては四面まで使われることになる。それを今号に当てはめると十二人の記事が消えることになり、ほぼ半減となる。このくらいが妥当なところだろう。さすがに二十五人は誰もが多いと感じるはずである。

しかも平会員の登壇が四本ある。わたくしは決して彼らを馬鹿にするつもりはないけれども、こうした事実は顕正会の内部事情を物語っているのではないかと思われるのだ。すなわち組織の疲弊・人材の枯涸を意味するのではないかと。このことは今月の初めにも取り上げた。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1419.html

もちろん、体験発表をするということは信心の確信をつかんだからこそであり、彼らがこれから人材として育っていく可能性を示唆するものである。その意味では顕正会は上昇傾向にあるとの分析もあり得る。実際、顕正会の中では、広宣流布が近づくと功徳の出方が早くなってくる、だから入信してまだ組長にすらなっていない人たちの体験が続々と出てくるのだ、という意味のことを言っているくらいである。

うまいことを言うものである。しかし、本当のところは内部の人間がいちばんよくわかっていることだろう。わたくしはけっこう深刻なのではないかと睨んでいる。

2010/3/30

自己中心的体験発表を斬る  
前々回のコメント欄に、内孫云々の書き込みがあった。こうした不確かな情報を元にしてあれこれ言っても仕方がないので、深入りは避けたいと思う。たぶん城衛の子供だろう、浅井先生の奥さんが大宮公園で孫をあやしていたという目撃談もある。これはそれなりに入信の古い人の証言だから信用できなくもないが、わたくし自身には確かめようのないことだ。何しろ先生の奥さんを知らないのだから、仮に自分がそれを見たところで、どうにもならない。どこかのお婆ちゃんとお孫さんの微笑ましいツーショットにしか映らないのだ。

それはさておき、引き続き顕正新聞第1165号から気になる記事を拾ってみたい。

不況の中に御守護、念願の教職に

男子部班長会で支隊長が体験発表をしている。上掲のごとく、教職に就くことができたというメデタイ話なのだが、そこにはちょっとした複雑な事情が絡んでいる。いや、ちょっとどころの話ではないかもしれない。

七月には、教員採用一次試験が実施され、男子三万結集を眼前にした大事な時期でしたが、御奉公を優先していくと、少ない勉強時間にもかかわらず無事に合格することが叶い、御本尊様の御守護を強く感じ、有難さで胸がいっぱいになりました。

ここはそれほど問題を感じない。あえてアゲアシ取りをすると、御本尊様の御守護を強く感じたという点が、話の流れからすると違うかもしれないと思う。これは後述しよう。

 そして二次試験の日程を調べると、なんと「八月二十三日」、男子部大会当日でありました。

記事の紹介はこれくらいにしておこう。話は簡単だ。この人は二次試験を受けなかった。おそらく顕正会の幹部会員としては当然の選択だと思う。もちろん、試験を受けていないのだから、教員にはなれないはずである。ところがどっこい、臨時教員の枠で教職に就くことができたという。しかも正規教員同様の待遇だというのだ。

なるほど、体験発表に相応しい内容だかもしれない。

しかし、わたくしには釈然としないものがある。あらゆる点で問題を感じずにはいられないのだ。
二次試験を受けて不合格だった人たちはどうなるのか、である。彼らの心境をおもんぱかると不条理を感じてならないのだ。試験を受けずに就職できるのならば、誰も苦労はしない。まるで裏口就職である。
いや、もちろん、あくまで臨時教員という意味ならば、納得できる。しかし、このまま正教員とまったく同じ待遇で定年まで教職を続けることができるという話ならば、完全なズルであろう。

逆に、体験発表ではうまいこと書いてあるが、現実には正教員とは待遇に格差があるとか、いざという時には臨時教員を口実に解雇されてしまうという心配があるのかもしれない。
もし、そうだとすると、やはり二次試験を受けなかったことは失敗だったのではないかということになる。この点が熱心な活動会員には見えないのだ。
ましてや顕正会の活動のために己れの人生設計を犠牲にするほどであるから、この先も艱難辛苦の連続であろう。過去にも類似の話題を取り上げたことがあるはずだが、教職に限らず、ありとあらゆる分野において、活動に専念したいがためにその職を抛ってしまったという事例がいくつもある。彼もまた、同じ轍を踏むかもしれないのだ。

この話のまとめとして、最初の謎解きをしておこう。

一次試験に合格して御本尊の御守護を感じたというが、むしろ不合格のほうが御守護だったのではないか、という解釈も成り立つ。もし不合格ならば二次試験の心配はしなくてもいい。つまり、不合格という結果が男子部大会一本に専念せよとの大聖人の思し召しと考えられるのだ。この人はおそらく利智精進というか上根上機の人なのだろう。もともと優秀なのだ。ゆえに就職浪人となって一年を棒に振ったとしても、翌年に再挑戦すれば易々と合格できるだろうし、そのほうが裏口就職疑惑も生じなくてよかったはずなのだ。

ともかく「あと十二年」が元凶である。これがために価値観が狂ってしまっているのだ。確かに「あと十二年」が本当ならば、まさにそれこそが最優先事項となるだろう。しかし、もはや先生の言う「あと○○年」は信用に足らない。いくら著名な学者の説を持ち出そうとも、説得力はゼロである。わたくしは納得しない。

もう一つ、男子部班長会の体験発表を紹介しよう。今度は組長の登壇である。

「自閉症の症状全くなし」の診断!
 生涯 経済的に守られる御守護頂く


これはマズイのではないかと思う。いわゆる不正受給の疑いが濃厚であり、もし受給を停止させられても文句は言えないだろう。不謹慎な話だが、こういうのは黙っているべきなのだ。

必要な箇所をすべて引用すると長くなるので、ちょっと話が見えにくいけど、結論部分だけを紹介しよう。

 このことにより私は、医師が「本当に自閉症ですか」と疑うほど軽い症状であるにもかかわらず、毎月六万六千円の障害者年金を一生涯もらえることが決定し、経済的にも大きく守られる結果となったのでした。

医者に診てもらった時には自閉症の症状がまったく見られないと言われたらしく、御本尊様のお力は何と凄いのか、とまで書いている。ところがどうしたわけか、診断書にはしっかりと自閉症と記されていたというのだ。それで結果的に上掲のごとく、年金が一生涯もらえるようになったというのだから、これは凄い話である。

このような記事をよく出せるものだと思う。顕正新聞の翌号には不治の難病・パーキンソン病が改善したという体験発表があって、この状態では障害者申請できないと医師から言われて、御本尊に感謝するくだりがある。これはきわめて健全であるが、一方、上掲の話はまったく不健全である。もし自閉症が完治ないし大幅に改善されたというのならば、障害者年金の受給を辞退すべきである。ところがこの人は、改善されたことを御本尊の力であると言いつつ、さらに年金までもらえることを大喜びしている。この自己中心的な発想はどこから生ずるものか、不思議に思う。はっきり言って編集部も馬鹿だ。

自分自身の話で恐縮であるが、わたくしはずいぶん昔、ある病気で市から補助金をもらっていた。療養補助費という名目だったと思う。これには等級があって、その症状に応じてもらえる金額に差があった。幸か不幸か、わたくしは徐々に症状が改善し、等級外という扱いになった。これは月額四千円だったと思うが、ともかく銀行の口座に自動的に振り込まれるわけである。高々四千円だけれども、チリも積もれば山となる。しかも医師によれば、等級外からさらに全癒・・・ようは完治のことだが、医師としては全癒の診断を下すことはほとんどないのだそうである。つまり、このまま永遠に、自分が生きている限りはずっと支給され続けることになるのだ。これで話は見えただろうか、生意気なようだがわたくしはこれを自ら打ち切ったのである。

今こうして話ができるのは、自画自賛ながら受給を辞退したという点を美徳だと思うからである。もし今も給付を受けていれば、絶対に口外しないだろう。

身延派坊主が「顕正会は凄い団体」
 反発の父親に顕正会の正しさ語る


さて、最後に支隊副長の活動報告を紹介しよう。本人の話ではなく、班長の活動を報告するものである。
上掲は記事の見出しであるが、何ともウソ臭い話である。しかし、話の真偽はともかく、いわゆる他宗の葬儀へのアプローチの仕方として、今回の記事は参考になると思った。
ご存知のごとく、顕正会では他宗をすべて邪宗であるとして、その葬儀に列席することを謗法与同に当たることとしている。ゆえに熱心な活動会員はそのような場所には行かない。
この話に出てくる班長は弟を事故で亡くした。顕正会で葬儀を行なうことを主張したが家族に反対され、身延派日蓮宗で行なうことになった。さて、どうしたかと言うと、この人は法要の会場には入らず別室で唱題していたのだそうだ。

あるいは自分の弟だから止むを得なかったのかもしれない。もしかして他人であるとか関係の薄い相手であれば、ハナっから葬儀には出掛けなかったのかもしれない。

わたくしの思うに、他宗の僧侶との同座を拒否することは、それが宗教的信念であればそれでいいだろう。ただ、今や顕正会以外の葬儀は、行く必要はない、行ってはいけない、というような風潮が組織の中にあるか、もしくはそのような誤解があるように感じられるのだ。それがひじょうに憂慮される点である。
結局、人間なんて流されやすいものだから、もし葬儀の場に行けば、なし崩し的に謗法との同座を余儀なくされてしまう心配がある。おそらくはそれがイヤだから、もう最初から葬儀には行かないと決めてしまっているのではないかと思う。
ある意味、それは根性がないのだ。むしろ会場まで出向き、なおかつ他宗の僧侶とは座を交えないという姿勢を見せるべきだろう。もし広宣流布を本気で考えているのならば、これこそが絶好のピーアールである。そして、それでこそようやく、顕正会は凄い団体と言えるのではないかと思う。

2010/3/29

会長本仏論の一形態  
秋田在住のご婦人からコメントを頂戴した。おっしゃることはご尤もであるが、逆にそのような指摘を受けざるを得ない立場に置かれている身内の人たちも気の毒ではあると思う。実際、浅井先生の孫が何人いるのか知らないが、すでに成人を過ぎた子女もいるはずである。しかし、一向に顕正会の第一線に躍り出てくる様子が見られない。結局は本人たちの自覚の問題なのだ。身内びいきとの批判もあるけれども、それなりに頑張っているからこそ、今の幹部としての地位があるわけだ。その意味で、今のところ孫たちには信心の自覚がないわけであって、それでは幹部に起用したくてもできるものではない。この辺もある意味では顕正会の未来を暗示していると言えるだろう。

さて、引き続き顕正新聞第1165号から話題を拾う。今号の全体的な印象を書くと、何だか口を開いた写真が多いなあ、ということである。おそらくは熱弁を振るっている様子をあらわしているのだと思うが、それにしても凄過ぎる。こういうのは主観の問題なので、どの写真がよくて、どれがダメだとは言わないが、物凄くマヌケに見える写真もある。いや、もちろん、けっこうサマになっている写真もある。できれば掲載写真の選定は編集部全員で決めたほうがいいだろう。スタッフが何人いるのか知らないが、ごく一部の人の判断だけだとおかしなことになると思う。それは写真だけの話ではなく、あらゆる面で言えることなのだが・・・

さて、それではいつものごとく、記事の中身にツッコミを入れていこう。男子第六部長の登壇を読んで、この人はノリノリだなあ、と思った。今が旬、アブラがのっている、ということだ。

これよりいかなる魔障出来するとも、師子王心で必ずや乗り越えんと強く決意するものであり、今こそ生死一大事の血脈を事相とする、男子第六部の異体同心をご覧頂く無二の好機と心するものであります。

師子王心が悩ましいところだ。この表現を安易に使っていいのかどうか、判断が難しい。たとえば、幹部の登壇記事に出てくるフレーズとして、「浅井先生の師子吼」というのがある。わたくしはこれまで取り上げたことがないけれども、顕正新聞を調べていけば、けっこう出てくるはずである。なぜ取り上げないか、ようはギリギリセーフのところにあると思うからだ。

仏の説法をば師子吼と申す

御書の言葉である。
つまり、浅井先生の発言を師子吼と表現することは、先生を仏であると言っていることにもなりかねない。いわゆる会長本仏論である。
しかし、現在ではこの師子吼は一般的な表現として広く使われているようなので、ことさら目くじらを立てることもないのではないかと思われるのだ。もっとも一般的には師子吼ではなく、獅子吼と表記されるのだが・・・

そこで師子王心だが、これは聖人御難事に出てくる言葉であり、大聖人が我々に向かって「師子王の心を取り出だせ」と仰せられるわけだから、使っちゃいけないというわけではないのだろう。ただし、本来的には師子吼と同様の言葉だと考えるべきである。ゆえに浅井先生は「大聖人の師子王心に同心し奉る」という使い方をしている。

以上のような理由から、結論的にはよいのか悪いのか、微妙なところである。

ところで、前掲でわたくしがいちばん注意を惹いたのは、師子王心ではなく、別の部分である。今一度、再掲しよう。

生死一大事の血脈を事相とする・・・

これが凄いところだ。何が凄いかと言うと、意味がよくわからないところだ。何しろ意味不明なので、これ以上の解説は不可能である。これはイヤミではなく、意味はよくわからないけれども、なぜか琴線に触れる。マレにはこういうこともあるのだ。

第六部長の記事から、もう一つ紹介しておこう。好事魔多しとは少し違うかもしれないが、こういうノリノリの登壇には落とし穴がある。というか、エスカレートしてしまうのだろう。以下の部分は完全なワルノリだと思う。

 もとより、広宣流布は日蓮大聖人の御化導に召し出だされた浅井先生ただお一人の戦い・・・

会長本仏論の変形であろう。

これは釈尊と上行の関係をスライドさせた形になっている。
ご存知のごとく、大聖人は外用・上行菩薩の再誕とされている。内証は御本仏ということだ。つまり、大聖人は外用の辺において、釈尊の遣使還告として末法に出現された、いわば特別な存在である。
さて、これを大聖人と浅井先生の関係にスライドさせるとどうなるか、そこが問題である。少なくとも・・・ようは外用の辺ということだが、それでも浅井先生が特別な存在であることは確実となる。さらに内証ともなれば、たいへんなことになるだろう。いちおうは大聖人を立てて己れをへりくだらせているが、ややもすれば大聖人よりもエライ存在になりかねない、そのような危険性が見え隠れしているのだ。

これを単なるイチャモンだと思ってはいけない。『迷走する顕正会を斬る』には次のごとく記されている。

 浅井会長は、誰人(日蓮大聖人すら)も為し得なかった困難極まる一国広宣流布を、自らの手で成し遂げると宣言して来た。

カッコの「日蓮大聖人すら」に注目すべきだ。かつて池田大作氏は、久遠元初以来の壮挙だとか、仏教史上三千年の偉業などと大言壮語していた。それを咎めてきたのが他ならぬ浅井先生である。しかし、今となっては両者にそれほどの違いはないのではないか、そう思わざるを得ないところだ。

2010/3/28

のけぞるような大興奮  
顕正新聞第1165号から思いつくままに話題を拾っていきたい。

まず、第一面には一月十七日の日曜勤行の記事が出ている。拝読御書は生死一大事血脈抄。異体同心の大事を仰せあそばすくだりであるが、本文は省略させていただく。前号に掲載されているポウコちゃんも異体同心がテーマだった。
穿った見方をすれば、組織に内紛があったか、もしくはその兆候があったとも考えられる。
いや、もちろん、異体同心は大事なことであるから、内部事情がどうであれ、指導の一環として常に強調されてしかるべき事柄ではある。

「自他彼此の心」は慢心から生ずる

あえてイチャモンをつけるならば、ここであろうか?

わたくしの思うに、自他彼此そのものは問題のないことであって、これを悪者呼ばわりするのは短見の極致である。あくまで文脈上の問題なのだ。つまり、ここでは異体同心の大事を御説明あそばすに当たって、自他彼此の心があってはいけない、と仰せられているわけで、これは続きの御文に出てくる異体異心に相当する。よって、文脈上、悪い意味で使われていることはそのとおりだが、だからと言って、自他彼此が絶対悪というわけではないのだ。

上述のごとく、これはあくまでイチャモンである。大した瑕疵ではないというか、ほとんど言い掛かりであって、実際には取り上げるほどの問題ではないだろう。ただし、危惧がないわけではない。顕正会の場合、こうした短いフレーズが持てはやされる傾向にある。そうすると、無思慮の会員がやたらめったら振り回すことになりかねない。それが心配なのだ。

それはさておき、次は男子部長の記事である。

 されば迎えた一四〇万法城屹立の歴史的大法戦、全員参加で戦い、今度こそ全組織勝利を以て、我ら男子部の赤誠を先生にご覧頂こうではありませんか。

二月度班長会での登壇であるが、今度こそ全組織勝利云々がイミシンなところだ。

さらに今度は第四部長の記事をご覧いただこう。

 今法戦、一四〇万法城を見つめての、かつてない誓願・・・

これにもう一つ、副総合婦人部長の記事を加えておきたい。

 そして浅井先生より、思いもかけず三・四月法戦の雄大な大目標を明示して頂き、のけぞるような大興奮と燃え上がる闘志が全身を駆け巡りました。

思いがけない雄大な大目標・・・

のけぞるような大興奮・・・・

物凄い表現力である。わたくしにはマネのできないところだ。せいぜい第四部長の「かつてない誓願」くらいがシンプルでいいと思う。

顕正会ウォッチャーにはすでに周知のことだが、顕正会では四月二十八日の百四十万達成を目標に掲げている。今日はちょうど残り一ヶ月である。さて、進捗状況はどんなものだろうか?
もちろん、そんなことをわたくしが知っているわけがないけれども、大方の予想ではかなりキツイと見られているはずだ。
いわば上掲は、それらの傍証のようなものだと思う。会員たちがいちばんよくわかっているのだ。

このことは『迷走する顕正会を斬る』にも「拡大路線の破綻」と題して書かれている。

もはや、その勢いが失われたことは明白・・・

勧誘成果至上主義・会員拡大路線が破綻していることは、明らか・・・


ところが浅井先生は、未だに拡大路線にしがみついている。誰もが副総合婦人部長と同じように闘志を燃え上がらせることができればいいのだが、現実は甚だ疑問である。むしろ無理が祟って、ますます失速することにもなりかねないのだ。

2010/3/26

空位再論  
nabe氏から引き続き貴重なコメントが寄せられているけれども、今日は予定どおり浅井先生に対する批判を書きたいと思う。まずは二月度班長会における壮年部銀座地区部長の登壇を紹介したい。この人は伊達に長年本部職員をやっているわけではなさそうだ。なかなか緻密な文章であり、間接的ながらもわたくしへの反論が込められているように読める。

 先生は平成九年の第一回諫暁書において
 「五十年前の敗戦により、天皇は日本国の統治権を喪失された。日本はついに『主なき国』となったのである。昭和天皇においては名亡実存、しかし平成の御代になってからは名実並亡の感が深い。・・・政治家・官僚は忠誠の対象を失うゆえに腐敗堕落して私利私欲に走り、巷には凶悪犯罪が横行する」
 と記されておりますが、


ここで平成九年の諫暁書が飛び出すとは思わなかった。ようするに、先生はその場の思い付きだけで発言しているわけではないのだよ、このように昔から一貫しているのだ、というメッセージに読める。数行後には、次のごとく書かれている。

 そして先生は顕正新聞二月五日号に、御遺命破壊により「御相承の授受不能」という身の凍るような大罰とともに、正系門家に空位を生じ、ゆえに日本も「主なき国」となり、これが軍事超大国・中国が台頭する根本原因であると示されましたが、先生の一貫したご見識の凄さに、ただ圧倒される思いであります。

この人は大したものだ。なかなか緻密である。何が緻密かと言えば、先の名亡実存・名実並亡を持ち出したところである。そもそもこの聞き慣れない表現の是非が問題であるが、それはややこしくなるだけなので触れないでおこう。ようするに皇室の衰微には二段階があって、まさに平成の今はいわゆる「御相承の授受不能」以後に当たるゆえに、よりいっそう深刻さが増しているという論理展開なのだ。

面倒ながらも前回の拙稿と、さらには一ヶ月前の拙稿を確認されたい。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1417.html

先日、わたくしは男子部長をアホ呼ばわりしたわけだが、この人は男子部長の登壇までも会通していることになりそうだ。なかなか有能な本部職員である。

そもそも、空位に異議あり、というのがわたくしの主張である。空位は天皇に対する冒涜であると書いた。まさにこれが本稿の主要なテーマなのであるが、最初に掲げた文章を読めばそれがわたくしの誤解であることがわかるかもしれない。つまり、浅井先生は皇室を冒涜する意図で空位を言っているのではなく、むしろ皇室の衰微を憂える意味で言っているのだ。

この点においても、銀座地区部長の筆捌きは絶妙であり、見事である。

ここでひじょうに煩瑣ながら、くだんの二月五日号をご覧に入れたいと思う。

 大聖人様は
 「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲がれば影なゝめなり」と仰せられている。
 もし唯一の正系門家が国立戒壇の御遺命を捨てて濁乱すれば、国の傾かぬはずがない。
 罰はまず宗門に現われた。
 細井日達管長は臨終思うようにならず、大事な御相承もなし得ずして急死を遂げてしまった。
 これはどういうことかと言えば、二人の貫首は共に御遺命に背いたゆえに、六十六代は御相承を授けることができず、六十七代は受けることが叶わなかった、ということです。
 これ、大聖人様がお許しあそばさなかったのであります。

 正系門家がこのような異常事態に陥れば、日本国の国主も傾く。
 報恩抄には
 「法王すでに国に失せぬ、人王あに安穏ならんや」と。
 この仰せは、伝教大師の正系門家・叡山を例として、座主と国主の関係をお示し下されたものです。
 この仰せのごとく、現在の皇室はいまや威光勢力を失い、すでに日本国を統治し領すべき国主はいなくなってしまった。よって修羅の隣国が台頭して、この国を脅かすのであります。
 大聖人様は「法門申さるべき様の事」に
 「我が国に、此の国を領すべき人なきかのゆへに、大蒙古国は起こるとみへたり」と。
 この御金言を拝するとき、いま中国が急速に台頭してきたことの本質がわかるのであります。


 空位という言葉はどこにも出てこない。すると男子部長や銀座地区部長たちは上掲の講演をいわば意訳的に引用していることになる。基本的には問題ないだろう。だが、ここに意図的な操作が見え隠れしているように思えてならないのだ。

わたくしは、皇室の空位を言うことは冒涜であると主張した。しかし、それは銀座地区部長の見事な筆捌きによって、反証された格好である。では、正系門家の空位はどうなのか、なのだ。かつて浅井先生は、付嘱の人に空白はない、という意味を主張していた。つまり、空位はあり得ないということだ。おそらくはこの自語相違を恐れるゆえに自らは発言しないのだろう。ところが幹部たちには盛んに言わせているのだ。これは会員たちを大石寺から遠ざけるための巧妙な手段なのではないか、わたくしにはそう思えてならないのだ。

さて、それでは御書の引用の適否について、考えてみよう。浅井先生の引用は年代の順番が逆になっている。いつものことだが、もっとも効果的な引用を狙って順番を変えているのだと思う。ここでは年代順に追ってみたい。

我が国に此の国を領すべき人なきかのゆへに大蒙古国は起こるとみへたり。

この引用には少し問題がある。おそらく先生は承知しているだろうが、ここでの領すべき人は必ずしも天皇に限定されない。大聖人は公家武家の両方を想定あそばしておられるのだ。これはあえて説明するまでもなく、前後の御文をよく拝すればわかることである。

ところで、御書には「空位」という言葉が見当たらない。けれども、文意としては空位に相当するであろう御文がたくさんある。上掲もそうだが、次の御文も同様である。

法王すでに国に失せぬ、人王あに安穏ならんや。

これは法王の空位を意味する。これに連動して人王が安穏ではいられないことを御示唆あそばすわけであるが、さらにこの続きには次の御文を拝する。

承久に王位つきはて・・・

これは実質的に空位と同義であろう。ゆえに空位という表現そのものを不可であるとは言えないことになる。

仏法は体のごとし、世間はかげのごとし、体曲がれば影なゝめなり。

これは特に問題ないだろう。ちなみに、しばしば浅井先生が言うところの「終に主なき国になりぬ」であるが、これは断簡御書であり、平成新編には収録されていない。現代宗教研究所サイトから必要な部分だけ転載させていただくと次のごとくである。

経王、国に失ひしかば世王又たへて、或は大王臣下にをかされ、或は他国にあなづられ、やうやくすぐるほどに、禅宗・念仏宗等の邪法かさなりて、終に主しなき国となりぬ。仏法は主体なり、世法は影響なり。体曲がれば影なゝめなりというは此れなり。

誤植なのか御真蹟のままなのか、上掲は「主しなき国」となっている。

それはさておき、最終結論に入ろう。類文繁多にして、どれが適切であるか悩ましいところだが、ここでは祈禱抄を引用しておこう。

七月十一日に本院は隠岐国へ流され給ひ、中院は阿波国へ流され給ひ、第三院は佐渡国へ流され給ふ。殿上人七人誅殺せられ畢んぬ。

いわゆる承久の乱である。前掲の報恩抄には端的に「承久に王位尽き果て」と仰せあそばすわけだが、ともかく歴史的大事件であることは動かない。もちろん昭和二十年の敗戦もまた大事件である。しかし、その時に皇室が受けた処遇はきわめて軽微であり、承久の乱の比ではない。つまり、今日の状況を大聖人の時代にそのまま当てはめようとしても、当てはまらない。浅井先生の主張する空位は、まるで当てはまらないのだ。顕正会員は御書のままだと錯覚してしまいがちであるが、実際には牽強付会だということに気がつかないといけない。

冷静に比較検討してみればわかることだ。恐れ多い話だが、もし昭和天皇が死刑にでもなっていれば、それこそ承久の乱にも劣らぬ大事件と言えるだろう。現実にはそうならなかった。現証重視(?)の顕正会員がこの道理を無視してどうするかと言いたい。

2010/3/24

隠蔽体質  
前回の補足をしておこう。nabe氏のコメントを全面的に掲載したのには、それなりの理由がある。まずは『迷走する顕正会を斬る』をご覧いただきたい。

 浅井会長は、自分への謀反を何よりも恐れる。(中略)

 それが現実になったのが、平成元年の高知支部長の離反だった。支部長を解任すると、浅井会長を捨てて多くの支部員が支部長に付いて去ってしまい、高知支部は壊滅状態となった。

わたくしは当時、すでに顕正会員だったので、この一件を知らないわけではなかった。けれども自分にとっては遠隔地だったため、現地の状況など具体的なことは何一つ知らなかった。ゆえに結局は総幹部会における会長講演を鵜呑みにしていたのである。

高知支部は壊滅状態・・・

そんなわけで、わたくしはこの櫻川氏の記述をいくら何でもオーバーなのではないかと疑っていたのだ。そこに図らずもnabe氏からの詳細なコメントが寄せられた。それを読めば、なるほど壊滅状態という表現が決して誇張ではないことがよくわかるのである。
また当時、浅井先生が高知に乗り込んだことはまったく報道されなかった。調べ直したわけではないが、たぶん報道されていないだろう。高知支部の関係者と一部の幹部が知るのみだったと思う。ここに顕正会の隠蔽体質があらわれている。都合の悪いことは隠したがるものだ。
顕正会では幹部の失踪だとか離反あるいは失脚など、まさに日常茶飯事であるが、その多くは公表されることがない。同様の意味で、おそらく高知支部の件にしても覆い隠せるものならばそうしたかったのだろう。ところがそうも行かなかった。とてもじゃないが覆い隠せる規模ではなかったのだ。ゆえに浅井先生も総幹部会で言及せざるを得ないと判断したのだろう。

ちなみに是正協議会が本尊のことで質問を投げ掛けた時に、先生は総幹部会の講演でこれに答えている。
たぶん、これもnabe氏の功績だろうが、いわば平成十年代はこの疑惑の醸成期間だったわけで、その端緒を切ったのがまさにnabe氏である。是正協議会はその延長線上にいるとも言えるだろう。
そして最終的には櫻川氏がトドメを刺したことになる。『迷走する顕正会を斬る』ではこの件について、本尊偽装疑惑との見出しをつけて取り上げているけれども、見出しとは裏腹に本文中では断定的に書いている。ぶっちゃけ言えば、顕正会の本尊はニセ本尊だということだ。

さて、話を変えよう。

 しかし仏法史観で見れば、この天皇が国主としての地位を失ったことも、大聖人御在世と同じく「主なき国となりぬ」となり、この空位が隣国に隙を与え、他国の侵逼を招く因となっている・・・

顕正新聞第1164号からであるが、これは二月度総幹部会での第九婦人部長の登壇である。新講演集の感激を伝えるものらしい。

同新聞には二月度班長会の記事もあって、婦人部大阪支区部長が次のごとく発表している。

 「大聖人御在世と同じく『終に主なき国になりぬ』となり、この空位が隣国に隙を与え、他国侵逼を招く因となる」

カギカッコになっていることでもわかるが、これは浅井先生の発言である。どうやら今般の新講演集に上掲の記述があるらしい。なるほど、これは問題だ。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1417.html

わたくしは一ヶ月前に、空位に異議あり、と題して一文を草した。リンク先には男子部長の文章が引用してある。この男子部長の発言はひじょうにおかしなものだと思う。あんたはアホか、と言いたいところだ。

しかし、浅井先生が空位を云々しているとなれば、いよいよ先生を批判しなければいけなくなる。何しろ講演集に出てくるとなれば、多くの人が読むことになる。いわば間違いを流布しているようなものである。これは大問題だ。

次回はこれについて集中的に書こうと思う。ちなみに、わたくしは講演集を持っていないので、ある意味、トンチンカンなことを書くことになるかもしれない。だが、それでもいいのだ。現状、顕正新聞に紹介されている範囲でも、それなりには話を進めることができるだろう。

2010/3/21

全面転載  
 高知のこと、顕正新聞に書けるわけがありません。
 その時、高知の顕正会員はどうしていいかわからなかった。
 現地に泊りこんだ克衛も加藤も僕も、みんなどうしていいのか分からなかった。
 誰が敵で誰が味方かわからない。
 いや、そう思っていたのは僕と地元の会員だけだった。
 除名にしたT元支部長にノーを言わなければ、それはすべて敵である。
 それが高知に赴いた本部幹部の見解になっていた。
 そこにセンセーが来て下さる。
 センセーなら、きっとみんなを助けてくださる。
 涙が出るほどうれしかった。
 前述のごとく、センチュリーに先導されて加藤が運転するマークUが高知会館を出発して空港に向かってから、本当に長い時間を待つように僕は会館の警護をしていた。
 僕の役目は館内の警護で、到着した昭衛が入る部屋へと続く階段にいた。
 「センセーが到着しました」
 僕は落涙を抑えた。それほどつらかった。
 到着した昭衛は階段につまずいて倒れそうになったので僕は手を差し伸べたが、「大丈夫だ」と。
 その直後、階段を下りた僕は全身の毛が逆立つような恐怖感を覚えた。
 高知会館中に入ることなく、壁沿いに立っている人の気配が尋常ではない(当時の高知会館の仏間は1F)。
 鍵の緩い窓を狙ってこじ開けようとする人間がいる。
 その窓を閉める冷たい音。
 これを繰り返したあと、どうにか窓はしめたものの、曇りガラスにはものすごい数の人影が映っている。

 数十畳の仏間にはギッシリ(150名くらいか)と人が詰まっている。
 本当は外の会場を借りて数百名を集めることも考えられたが、T元支部長を除名にして以来、連日閑古鳥が鳴いていた会館を見て、外の会場をあきらめて会館で「センセー指導」ということに変更された。
 それでも毎日惨憺たる様子だった会館が嘘のように人でギッシリ。
 「この人たちは何を求めているのか。」「敵は潜んでいないか」「一体どなるのか」
 僕の胃はキリキリと音を立てるように痛んだ。
 ものすごい緊張感の中、「センセー指導」が始まった。
 そして、その直後に僕は現実を直視することになる。
 昭衛は約二十分ほどの講演を行ったが、徹頭徹尾、T元支部長を口汚く罵り続けた。
 あまりにも下品であった。
 Tを追い落として高知の幹部になった人間から聞いた話をすべて鵜呑みにして、「Tは私の悪口をこんなに言っている」と列挙し、まるでTに対する鬱憤を晴らしているようだった。
 僕の心は凍りつき、全身から力が抜けた。

 その日の晩から、顕正会に残ろうとして会館に向かう人間に対して、会館周辺でピケを張る人たちから今まで以上に猛烈な攻勢が仕掛けられた。
 「センセーはT支部長の悪口をいうために来ただけ」「人として最低だ」「あんな奴は信じられない」。
 返す言葉など出てくるはずもない。
 こんな昭衛の講演だって報道できるはずもない。
 ただし、幹部会ではこのテープを流したはずである。
 「はず」というのは、僕は高知に残留していたから。
 僕は音響および録音などを担当していたのだが、その僕が高知にいるので、機材の取り扱いの分からない幹部から高知に電話で問い合わせが来たのことで、その事情を知った。
 だから、当時の幹部なら内容を耳にしたはずだ。


前回のコメント欄から全文を転載した。きわめて秀逸な名文だと思う。そのまま埋もれさせてしまうのはモッタイナイことだ。(最後の一つ前の文章がやや乱れている。)

 甚兵衛さんの件、考えてみると思い当たる節がないわけではない。(以下省略)

他者の意見を踏まえて再考するあたりが、nabe氏の柔軟さを示している。

ちなみに、その3についてはおそらく同一の講演だろう、わたくしも浅井先生のしゃべっていた内容をざっと記憶している。父親の晩年ないし臨終に至る様子をかなり詳細に語っていたと思う。しかし、nabe氏とは異なり、わたくし自身はそれほど違和感がなかった。

機会があれば、もう一度聴いてみたいところだ。今ならば違った感想を懐くかもしれない。

 いままでの昭衛予言の実績からいえば、「台湾統一が絶対にあり得ないことは大地を的とする」といおう。

これは大胆な発言だと思う。凡夫には先のことはわからないのだから、今の段階では絶対にあるとも言えないし、ないとも言えないはずなのだ。
しかし、nabe氏は但し書きを入れている。いままでの予言の実績からいえば・・・ということなのだ。
ようするに過去の実績からすれば、適中率ゼロである。だから今度も当たらないだろうということなのだ。いわば思いっきり、イヤミを言っているわけなのだろう。

これに関連して、さる人物が興味深いことを言っていた。浅井先生が健在のうちは巨大地震が来ないのではないかと。この意味は、諸天が意識的に地震を抑えているということだ。
凄いことを考えるものである。ただ、何となく言わんとしていることはわかる。
わたくしなりの解釈を入れるならば、もし予言が当たると浅井先生の慢心がさらに高じて結果として悪道に堕することになる。ゆえに諸天はわざと予言が当たらないようにして、先生に改悔の気持ちを起こさせようとしているのだ。しょせん自分は凡夫だったのだ、凡夫が予言めいたことを言うのは分に過ぎたことだったのだ、と気づかせるのが目的である。

2010/3/17

新再誕説  
古参幹部氏のおっしゃることはご尤もであるが、最後の一文だけはどうにも解せない。

しかし先生もキツい。自分だけが不世出の指導者を気取るために、息子の凡庸まで利用するとは。

これが事実ならば、浅井先生はまさに人格障害である。悩乱しているとしか言い様がない。
大聖人の仏法が今日まで伝えられたのは、別しては日興上人、総じては門下に優秀な人材がたくさんいたからに他ならない。
同様の意味で、もし先生が不世出の指導者を気取りたいのであれば、その後継者がきわめて重要になってくる。伝道者と言い換えてもいいだろう。武勇伝だか何だか知らないが、それを語り継ぐ人がいなければ、歴史の中に埋没していくだけである。それでは一般人と大差ないのだ。
ゆえに、もし古参幹部氏の書いていることが本当ならば、もはや終わっていると言ってもいいくらいである。わたくしはそんなバカなことがあるかと思うのだが、いろいろな意味で総合的に判断すれば、確かに終わっているのかもしれないという気がしないでもない。

nabe氏のコメントには、二つの点で注目した。

高知支部における造反劇はわたくしも知らないわけではないが、しかし、その折に浅井先生が高知に赴いたという話は、まったく記憶にないのだ。顕正新聞などでは報道されなかったのか、それともnabe氏の記憶違いなのか、その辺の真相が興味深いところである。

麒麟も老いれば・・・であるが、テープにないという以上、これはそうした発言がなかったわけなのだろう。すると、後に顕正新聞掲載段階で加筆されたのか?

たった今、『迷走する顕正会を斬る』を確認したところ、どうやらこれは昭和四十九年の理事長就任の時の話のようである。であれば、テープにないのは当然であろう。そうすると、これは妙信講支部氏の記憶違いということになる。何しろ昔の話であるから、多少の不正確さは止むを得ないところだ。

ちなみに、『迷走する・・・』には次のような記述がある。

浅井昭衛氏の昭和四十九年の理事長就任は、講頭の父から昭衛氏が実権を剥奪したクーデターであったと思われる節がある。

妙信講支部氏の見解はこれに近い。

これらはnabe氏の前々回のコメントと対立するものであるが、わたくしはどちらかと言えば、nabe氏の見解のほうが常識的だと思う。ただし、氏にしてもわたくしにしても、解散処分前後の事情を直接的には経験していないところが弱みである。一方の妙信講支部氏や櫻川氏はその時代をよく知っているわけだから、その意味では説得力がある。この辺はさらなる証言者の登場を期待したいところだ。

さて、二月度総幹部会の会長講演であるが、顕正新聞第1164号掲載の記事から二点ほど取り上げておこう。

四条抄を心肝に染めよ

二月は御書講義が行なわれた。それについて言及する部分で、わたくしは唸った。やや煩瑣になるので省略するが、ようは四条金吾殿御返事と出世本懐成就御書を関連付けているわけである。出世本懐成就御書というのは聖人御難事のことであるが、顕正会ではこのように呼ぶ。それはともかく、先生の御書の拝し方はけっこう斬新であり、なかなかやるじゃないかと思わせるところがある。今回は二つの御書をリンクさせるあたりが巧妙であり、さすがだと思った。

しかし、今度は大問題である。これまた大幅に省略することになるが、ご了承願いたい。

 また、中国の軍事・政治の研究では第一人者といわれている平松茂雄氏は、今月発刊の著書で、次のような趣旨を述べております。簡略に要点だけ伝えます。 

(中略)

 これを見て、私は思った。四〇年間、中国の政治・軍事を研究し続けてきた学者の警告として、「二〇二一年、台湾統一」という結論はまことに重い。
 そしてこの年が、顕正会が「あと十二年」の御奉公を誓い奉った平成三十三年、すなわち大聖人御入滅七四〇年に当ることに私は驚いた。


ある種の効果を狙った論述、というのがわたくしの偽らざる感想である。これを先生が意識的にやっているのかどうか、そこはわからないけれども、おそらく熱心な活動会員たちは錯覚するだろう、先生の予言が当たった、と。もちろん予言が当たったとは言わないだろうが、いつものごとく各種の集会で浅井先生の見識を賛美する登壇がたくさん行なわれるに違いない。

わかり切ったことであるが、予言が当たったわけではない。少なくともこの件に関しては、十二年後に台湾統一が事実となるかどうか、そこがポイントである。現時点では当たりでも外れでもないのだ。

浅井先生はしゃべりがうまい。だから聴衆はその気になってしまう。

最後に顕立正意抄の一節を引用しておく。

設ひ日蓮富楼那の弁を得て目連の通を現ずとも、勘ふる所当たらずんば誰か之を信ぜん。

先生は怒るだろうが、現時点では富楼那の再誕くらいがオアツラエムキだろう。

2010/3/16

一念信解シンドローム  
いろいろなコメントが寄せられているけれども、わたくしの求めている答えには誰も言及していないところが凄い。定年は夢か幻か・・・

それはともかく、nabe氏のおっしゃるあたりが常識的な線なのだろう。今さらながら、折伏理論書を開いて確認してみた。

 私事にわたって恐縮であるが、私の父(妙信講初代講頭)は昭和五十九年四月、八十歳で亡くなった。

解散処分の時点で、すでに七十を越えていたのだ。浅井先生が講頭に就任したのはその翌年、すなわち昭和五十年である。すると顧問先生はこの時点で七十一歳になるだろう。なるほどバトンタッチの時期と考えて、それほど不自然ではない。

講頭先生曰わく

『麒麟も老いればド馬にも劣る』

皮肉たっぷりに挨拶されましたよ。

昭衛さんの顔色が変わりましたから


しかし、そうすると妙信講支部氏のコメントは何を意味するのだろうか?

わたくしもどこかで麒麟も老いれば云々を見聞きした記憶があるけれども、それにしても氏の観察は意外である。ようするに駑馬とは浅井先生を皮肉る意味が込められているらしいのだ。先生はそれを聞いて顔色を変えたらしい。この観察が正しいとすれば、さすがに穏やかならざる事態である。しかし、わたくしの言語感覚ではそれほど皮肉には感じない。まさか己れの息子を駑馬になぞらえるとは思えないので、これはごく一般的な慣用表現に過ぎないのではないかと言いたいところだ。たとえ、この時に先生の顔色が変わったとしても、それは老父に対するある種の感慨が湧き上がってきたと考えれば、それほど不自然ではないだろう。もちろん好ましい意味での感慨だ。

班ちょ氏の指摘する兼務・兼任の多さは、申すまでもなく人材の枯涸を意味するのだろう。
ともかく組織的には拡大路線を突き進んでいる。わたくしの最初の頃の記憶では、男子部・女子部はそれぞれ二十足らずの隊・区しか存在しなかった。ところが今はその何倍もの隊や区が存在する。一種の箱物行政みたいなものだろう。人材がいようがいまいが組織をこさえてしまうのだ。そうすれば後から人材が集まってくると思っているわけである。
実際、組織が上昇傾向にある時は、それが相乗効果となって成功するのかもしれない。しかし、今はおそらくガタガタの状態なのだろう。ゆえに、組織を作って新たに隊長・区長を抜擢しても、彼らは踏ん張りが利かず、すぐにいなくなってしまう。そうすると、さしあたっては誰かが兼任の形でその組織を預かることになる。こんなことの繰り返しなのだ。

面倒なので調べていないが、折伏成果の内容を詳細に見ていけば判明するだろう。隊・区の数は多い。しかし、以前の優秀な支隊や総班にも劣るような隊や区がたくさん存在するのだ。

まさにガタガタである。

ところで水無月氏の「遷化」という表現であるが、これこそが皮肉の最たるものだろう。

大阪男子部氏からの情報も面白い。かつて克衛がフェラーリに乗っているというガセネタ(?)があったけれども、それとは違ってこちらは真実なのだろう。おそらく男子部長は新幹線で大阪入りしたのだと思う。そこで会館までの送迎係りを仰せつかった男子部員がアメ車で出迎えたというわけだ。
この件は男子部長ばかりを責めるわけにも行かないような気がする。また、実際に送迎に当たった人物に、それほど責任はないだろう。地元の最高幹部ないし送迎を指示した幹部の責任である。
確かにタクシーも有力な選択肢だと思う。古い記憶で恐縮だが、克衛などはどこへ行くにも送迎なしで自分でヒョイヒョイと身軽に行動していたはずである。もっとも現時点で城衛は理事長であり、かつての克衛の立場よりもずっとエライから比較にならないのかもしれないが・・・

未明の現役隊長氏のコメントは、現実を直視するものであり、重要である。
御遺命守護の時代、浅井先生は共産党に対決を申し入れている。しかし、先方が逃げたという話になっている。この詳細については何も知らないが、ともかく先生は勇ましかった。最近はこれらを総称して、武勇伝などと呼ばれているようであるが、わたくしは皮肉なしで凄いことだと思う。今でも思っている。
やはり、それと比較してしまうと、どうしても理事長の不甲斐なさが感じられてならないわけである。何しろ現役の隊長がそのように思っているのだから深刻である。実際にテレビ討論が行なわれたらどうなるかという以前の問題として、今の理事長にどれだけの求心力があるかである。つまり、テレビ討論で醜態をさらすまでもなく、今の城衛には顕正会を統率するだけの力がないということなのだ。

一つの方法論としては、強力な部下を擁して脇を固めるということがある。弁論に秀でた幹部にテレビ討論をやらせればいいのだ。その者に、城衛先生が出るまでもない、自分で充分、と言わせればよいのだ。

しかし、ご存知のごとく顕正会は一念信解路線の結果、能力のある幹部が育っていない。はたして今から育て上げることができるかと言えば、それはかなり難しいことだろう。もはや残された時間はいくらもないのだ。

2010/3/11

定年制の情報求む  
今朝、nabe氏からコメントを頂戴した。顕正会の定年制を批判した上で、「任せられないというのは哀れ」と締め括っている。それなりに社会経験を積んだ人であれば、世の中には人に任せられないというタイプの人間がけっこういることに気づくだろう。こういう人がいると、新しい人が育たない。そんなことは本人にしても理屈ではわかっているはずだが、なかなか改まらない。いわば性分みたいなもので、なかなか変わらないのだ。後世まで改まらざるを性という。後世は五世だろうか、かつての質問会における先生の回答であるが、どっちが正しいか不明である。いずれにしても意味に大差はない。

組織の問題はシステム自体の良否ももちろんだが、最終的には構成員の人間性によるところが大きい。『迷走する顕正会を斬る』では浅井先生の人格障害を指摘する。百点満点の人間はいないけれども、しかし、組織の中心者に問題があれば、それが全体に悪い影響をもたらすのは自明である。

それはさておき、定年制である。

前回も書いたが、どうも記憶がはっきりしないのだ。そうした制度が顕正新聞などに証拠として残っているのかどうか、そこが問題である。わたくしは当時・・・というのは昭和後期であるが、その頃、何かの時に直属の幹部から聞いたのだ。つまりは単なる伝聞であり、その情報が正確かどうかもわからない。ご存知のごとく、顕正会の幹部には平気でトンチンカンなことを言う人もいるからだ。

よって、定年制がいつ始まって、いつ終わったか、定かではない。

勝手な想像を書くならば、おそらくは妙信講において顧問先生を文字通りの顧問に追いやるための口実が定年制ではなかったか、という気がする。
顕正会には今も昔も浅井先生の立場を脅かすような存在はいない。いや、いたのかもしれないが、そうした危険分子は排除される運命にある。人に任せられないというのも、裏を返せば同じことなのだ。
先生は完全主義者だから、父親から講頭職を受け継ぐに当たっても不満分子を排除するに怠りなかった。すでに、その段階で先生を脅かす存在はいなかったとしても、内心において不満を懐く者はいたかもしれない。そういう人たちに隙を与えないための一つの手段・・・それが定年制なのではあるまいか?

当時は先生よりも年長の講員だっていたはずである。そうした人たちに不満があったとして不思議はない。自分たちは甚兵衛さんを慕ってこれまでやってきた。あんな若造(=浅井先生)など講頭とは認めない。

完全主義者の浅井先生としては、これに抗する武器が必要だった。それが定年制ではないかと・・・

これがnabe氏をして「世間にへつらい本宗伝統の化儀を無視した行為」と言うことになる。

さて、今度は定年制の廃止である。前回の拙稿で書いたごとく、浅井先生が六十五歳を迎える段階で廃止になったのではないかと思われる。こういうのをご都合主義と呼ぶのだろう。

もっとも高齢社会を迎えて、世間でも定年の延長措置などが取られている意味では、それに合致する。しかし、これまたnabe氏から世間への迎合であるとの指摘を受けそうである。

それはともかく話をまとめよう。長寿高齢社会といえども、しょせん人間の寿命には自ずと限界がある。浅井先生も気がついたのだろう。人に任せないのか任せられないのか知らないが、いつまでも自分が会長でいられるわけではないことに気がついたのだ。そこでようやく後継者のことを考えるに至った。それが先般の理事長人事なのだろう。

最後に、顕正会の定年制度について詳しい事情をご存知の人がいれば、ぜひともコメントをお願いしたい。


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