2010/4/25

出家在家の関係性を考える  
nabe氏には妙観講の総会当日にもかかわらず、早朝より貴重なコメントをたまわった。また、沖浦氏からもコメントを頂戴した。その一々については省略させていただくとして、今日は御書をいくつか引用して簡潔に終わらせたいと思う。

我が弟子等、出家は主上・上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。

先日、大月天氏がこの御文を引用して、沖浦氏を諭しているところを目撃した。ひじょうにわかり易い御文である。出家と在家の差別・・・はたして差別と呼んでいいものかどうか、現代感覚では差し障りがあるかもしれないが、少なくとも出家と在家に明確な区別が存することが容易に理解できるはずである。

さて、次の引用は釈迦御所領御書であるが、どうやら御書全集には掲載されていないようである。

されば四衆ともに仏弟子なれども、憂婆塞・憂婆夷は仏弟子なれども外道にもにたり。比丘・比丘尼は仏の真子なり。

全集にはこの部分がない。まさか都合が悪いから掲載しなかったわけではあるまいが、ともかく凄まじい御指南である。ようするに、いちおうは優婆塞・優婆夷も仏弟子であるが外道にも似ている、比丘・比丘尼こそが真の仏弟子である、というような意味になると思う。おいおい、ほんまかいな、と言いたいところだが、大聖人が仰せになっているわけだから文句は言えない。

もっとも、これは断簡御書なので、限られた範囲内でどこまで正しい解釈が可能であるか、そこが難しいところだ。いちおう、その点は割り引く必要があるだろう。たとえば、後半部分の次の御文がよくわからない。

其の上仏の滅後一百年に阿育大王と申す王をはしき。此の南閻浮提を三度まで僧に付嘱し給ひき。

これはどういう意味だろうか?

いずれにしても、わずか一ページ弱の断簡御書において、こうした意味不明の御文がある以上、前掲の在家は外道に似ている云々にしても慎重な解釈が要求されるところだ。

文永十二年の四条金吾殿女房御返事には、

されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持たせ給ふ人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、

とあって、いわゆる四衆に差別を設けていない。

ゆえに、単純に考えれば、大聖人の仰せには自語相違があることになる。しかし、そう思うのはあまりにも短慮が過ぎることであろう。
鎌倉時代の社会通念からして、出家が上位であることは間違いないことだ。それが大前提としてあって、その上で在家の人々への御励ましが上掲の御指南なのである。
この意味では、単に表面上の矛盾をあげつらうのではなく、むしろ大聖人の先見性にこそ注目すべきであろう。

ちなみに、上掲の「一切衆生のしう」には、漢字ルビが振られてあって、「しう」は主のことである。開目抄の「しうし父母」を彷彿させる御文だ。

仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。

これは文永九年の四条金吾殿御返事である。そして安国論などには次の御引用を拝することができる。

仏波斯匿王に告げたまはく、是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり

いわゆる守護付嘱だ。この意味において、在家はきわめて重要な役割を担っている。もう、こうなると、出家と在家の関係を平等だの差別だのと大騒ぎする必要はないはずである。それぞれが重要な役割を担っているのだから、その使命をまっとうすればそれでいいのである。

2010/4/24

本質論への挑戦  
大沢克日子氏のコメントはまさに王道的な創価学会破折である。これに創価学会の諸氏がどのように応じるか、わたくしは見物させていただくことにする。

のび太氏からのコメントには、痛烈なイヤミが込められている。普通、百歩譲ってと表現するべきところを六十六歩と書いているのだ。つまり、七箇相承を宗内ルールと決め付けた上で、仮に譲っても日達上人までで、それ以降はダメだと言いたいのだろう。

御相承を宗内ルールなどと貶めるのであれば、相承箱のことなど、なおさら放っておけばいいのである。もっとも、だからこそイヤミなのだが、それはともかくとして、そもそも相承箱とは何なのだろうか?

相承箱のことは、たぶんフェイクあたりが書いていることなのだろうけれども、当然ながら箱が大事なのではなく箱の中身が大事なのだろう。それはいったい何だろうか、箱には何が入っているのだろうか?
相承には大まかに言って法体相承と法門相承があると聞いている。法体相承の法体とは戒壇の大御本尊の御事であろう。一方の法門相承の法門とは何か、それが問題である。
確か創価学会では、口伝法門の類は日亨上人の時代にすべて公開されてしまって、もはや残っているものは一つもない、という意味のことを言っていたはずである。対する宗門では、十二箇条の法門と呼ばれるものが未公開のままだと言っている。するとそれが箱の中身であろうか?

それにしても創価学会が箱のことをとやかく言うのは、いささか矛盾しているような気がしないでもない。すでに法門のことごとくが公開されているのであれば、いったい相承箱にどれほどの価値があるというのか、結論的には価値などありゃしないということになるはずだからである。まあ、これもイヤミというか、ようはイチャモンをつけることが目的だから、矛盾しようがしまいがどうでもいいと思っているのだろう。

以上が、のび太氏のコメントに対する、わたくしの感想である。沖浦氏のコメントについては、割愛させていただく。

さて、nabe氏であるが、ひじょうに難しい問題を論じているなあ、というのがわたくしの第一印象である。これはとりもなおさず、浅きは易く深きは難しであり、浅きを去って深きに就くの姿勢であろう。

おそらく現在の創価学会員や顕正会員の平均的な意識には、猊下がナンボのもんや、というのがあると思う。さらにこれを一般人の、とりわけ信仰心など微塵もないような連中に拡げて論ずれば、日蓮がナンボのもんや、ということにもなるだろう。
わたくしが先日来、本質論だとか本質的だとか書き綴ってきたのは、こうした問題を念頭に置いてのことだった。結局、今のわたくしには論じ切れないので、避けようと思っていたわけだが、果敢にもnabe氏はそこに挑んでいるわけである。
このnabe氏の試みは、のび太氏のコメントを読めばわかるごとく、必ずしも成功しているとは言えない。宗内ルールの一言で片付けられてしまうくらいだから、いわんや一般人にはなおさら通用しないことだろう。
もっとも、のび太氏とて創価学会の正義を宣揚するにおいて、どこまで世間一般に通用するか、それを考えればイヤミを言っている場合ではないだろう。もちろん、わたくしとて同様である。

そこで、現時点では大聖人を別格とし、猊下とわたくしとの距離について、nabe氏とは違った観点から書いてみたい。

「代々の聖人悉く日蓮」というのは、乱暴に言ってしまえば大聖人と猊下がイコールだということになるだろう。既述のごとく大聖人を別格とするのであれば、猊下もまた別格ということになる。
しかし、正直に告白しておこう。わたくしの心のうちには、猊下がナンボのもんや、という気持ちがわずかながらも存在するのだ。するとまた、これがそのままスライドすると、大聖人がナンボのもんや、ということになる。これは大変なことだ。
ところで七箇相承には「法界即日蓮」との御指南もある。わたくしは法界の全体ではないけれども、そこに含まれる存在だとは言えるだろう。すると、ムリヤリではあるが、わたくし≒日蓮という公式も成り立つような気がするのだが、いかがだろうか?
いや、もちろん、完全にイコールとはならないが、かなり近いのではないかと思う。であれば、案外に猊下とわたくしにはそれほどの隔たりがないことになる。

おそらく創価学会員ならば、こんな面倒臭い書き方はしないだろう。生死一大事血脈抄のあの御文を出せば一発である。ここではあえて引用を控えよう。

わたくしはこの話の冒頭で大聖人を別格と書いた。
生死一大事血脈抄によれば、釈尊と法華経と衆生とは差別がないことになる。日蓮正宗系統ではこれを大聖人と御本尊と衆生に読み替えるわけだが、ともかく創価学会ではこれを乱用する傾向にある。その理由はおそらく、猊下の存在をオミットすることができるので、そこが好都合なのだろう。当該御文はストレートに仏と衆生を結んでいるからだ。
しかし、これがエスカレートすると、やがては大聖人すらナンボのもんということになりかねない。その危険に気がつかないといけないだろう。

一般信徒の感覚からすれば、猊下は雲の上の存在である。さらに宗祖ともなれば、なおさらだ。そこに「代々の聖人悉く日蓮」という御相承が効果を生み、猊下の存在がますます尊貴となる。
わたくしはこれを受容した上で、猊下とわたくしとの距離、ひいては大聖人とわたくしの距離を極限まで近づける単純な方法があると思う。実際には誰もが容易に実現可能なわけではないけれども、原理はきわめて簡単だ。
いわゆる機会均等の精神に基づくならば、誰もが猊下になるチャンスがある。おそらく例外はないであろう。出家得度して、しかるべき修行を積めばいいのだ。もちろん能力の問題があるし、いわゆるポストは一つしかないので、全員がなれるわけではない。しかし、それを志すことはすべての人に許されているはずである。
そうして自分が猊下になった暁には、「代々の聖人悉く日蓮」に連なることになる。

つまり、七箇相承は得てして、猊下の権威を振りかざして相手を威圧することだけに注目されがちだが、案外に正反対の意味にも解することができるのではないかと思うわけである。

ここで重要な点は、出家得度であろう。生死一大事血脈抄では猊下をオミットすると書いたが、より正確に言えば、出家在家の差別をなしとするわけである。これはもちろん大聖人の御指南するところであるから間違いではないけれども、他の御書では出家の優位を仰せになられてもいるわけだ。繰り返しになるが、仏道を求めるに当たっては差別がない。つまり、出家の優位を不公平だと思うのは勘違いであって、自分も出家になる機会が与えられている以上は、そこに差別は存在しないと解するべきが妥当である。

かく見れば、七箇相承と生死一大事血脈抄に矛盾はなく、「代々の聖人悉く日蓮」に嫌悪を懐くのは、とんだ見当違いということになるだろう。

2010/4/21

依法不依人御書を拝し奉る  
沖浦氏の二つのコメントを拝見したが、わたくしの思うに何も解決していない、議論が堂々巡りしているだけである。

 堕落法主の寛師書写で御本尊様にお力ある。

 書写係りの条件は、案外ゆるいんでしょうね。


これが最初のコメントの全文。そして、次のコメントは少し長いので必要な箇所だけ引用させてもらうが、以下のごとくである。

 第一、大石寺などは、大聖人様に直接の縁もゆかりもない寺です。

だから、なぜその寺の二十六代目の住職の本尊を用いるのか、と聞きたいのだ。すると氏がどのように答えるか、もう、おわかりだろう、それが前掲なのである。

もともと創価学会は日蓮正宗を正系門家であると認識していた。未だに日寛上人御書写の本尊を用いているのは、そうした経緯があるから当然のことである。しかし、沖浦氏の認識というか見通しによれば、創価学会はそこから脱却しようとしているらしいのだ。もし事実であれば、いずれは日寛上人の御本尊を破棄することになるだろう。それが自然な流れである。

わたくしは予言をしておきたい。もし、そのような時が到来したならば、それこそが創価学会の終焉であると。理由はあえて書く必要もないだろう。

さて、今度はnabe氏であるが、話がどんどん面倒臭い方向に向かっているようだ。

御法主上人に対する侮言の根拠、実例を示してもらいましょう。

わたくしは猊下に対して侮言などしていない。これが答えだ。

日精上人の話が出てくるので、ようはそうした事例を示せと言っているわけだろう。そして、わたくしがそれをやれば、ことごとく破折して進ぜよう、という意味が込められているのだと思われる。
簡単な話だ。わたくしは先日、天母山の話を書いた。これは冨士に出ているから書けたのだ。それ以外の事例はまったく知らない。日精上人の件は聞きかじっている程度のことであって、ほとんど知らないに等しい。
いつだか書いたはずだが、歴代上人の文献をいろいろ突き合わせてその齟齬をあげつらうのは、創価学会員の得意とする分野である。ゆえに、わたくしにそれを期待するのは筋違いであろう。

ともかく、わたくしに猊下を誹謗する意図はない。本質論として、猊下にも間違いがあるはずだ、猊下だけを例外に置くことはできない、と言いたいだけのことである。その点、nabe氏はよく本質を弁えているので、今回もひじょうに重要なことを書いておられる。

 日蓮大聖人も「人」です。

つまり、大聖人も例外ではないのだ。しかし、この辺は言葉のアヤというか、誤解を招きかねないので、そこが心配である。ようは、本質論ゆえにけっこう奥の深い問題であり、簡単には論じられないところなのだ。よって、今回のところはこのくらいで終わりにしたい。

論語読みの論語知らずですね
(中略)
 経文を本とするすなわち如説修行でなければならない、ということですから、引用が間違っています。

引用が間違っている・・・

これがよくわからない。わたくしとしては間違っていないつもりだ。

失礼ながら、むしろnabe氏の如説修行云々のほうがピントがずれているような気がする。間違いとまでは言えないが、やや飛躍ぎみであろう。ようするに、往いては如説修行の意に当たるのだろうけれども、直接的にはそこまでの意味はないと拝するべきだと思う。

世間の人々は何れを是という事をしらざる故に、或は多人のいうかたにつきて一人の実義をすて、或は上人の言について少人の実義をすつ。或は威徳の者のいうぎにつきて無威の者の実義をすつ。仏は依法不依人といましめ給へども、末代の諸人は依人不依法となりぬ。仏は依了義経・不依不了義経とはせいし給へども、濁世の衆生は依不了義経・不依了義経の者となりぬ。

ページが跨っているので、理解しづらいかもしれないが、

当世の僧俗多くは人を本として経文を本とせず。

大きな流れとしてはここが前掲の結論部分に相当するわけである。

つまり、世間の人々は何が正しいのか、判断能力がないので多人数であるとか権威者の言葉などをそのまま鵜呑みしてしまう、大聖人はその愚かしさを仰せになられているのだ。

この辺が、あるいはわたくしが暗に猊下を批判しているように受け取れるところなのかもしれないが、あえて言うならば、不勉強を棚に上げてヤミクモに猊下絶対を言い募るような法華講員に対する警鐘の意味はあるだろう。それを賢愚の分かれ目と書いたのだ。

なお、当該御文における賢愚の直接的な意味は、賢王愚王である。直前の御文を紹介しておこう。

例せば国ををさむる人、国の中のまつり事、三皇・五帝等の三墳・五典にて賞罰ををこなえば、聖人・賢人とはいわるれども・・・

この流れにおいて、

これ偏に文書に依りて人によらず、人によりて文書によらざるによりて賢愚はいで来たるなり。当世の僧俗多くは人を本として経文を本をせず。

と仰せあそばすわけである。

ゆえに文脈上、直接的には国を治める人の賢愚を意味するけれども、結論的には当世の僧俗に当てて、その多くは愚であると断じておられることになるわけだ。

さて、以上がわたくしの拝し方であるが、これのどこがどのように間違っているのだろうか?

2010/4/19

賢愚の分かれ目  
nabe氏には懇切丁寧なるコメントをお寄せ下さり感謝に堪えない。ここに全文を転載させていただくことにする。

 そうですね、今の大石寺が戒壇建立地であるという明確な文証はありません。
 しかし、それこそ天母山戒壇論を肯定する以上に、大石寺であろうとするたくさんの文証はあります。
 近年では堀上人が『富士日興上人詳伝』において、四神相応の勝地が大石寺であると論証されています。
 この「四神相応の勝地」は、興尊が『門徒存知事』に明言されていることです。
 四神とは北面に山、南に湿地、東に川、西に大道です。
 大石寺のすぐ東には潤井川があります。
 天母山の東にはありませんよ。
 それだけでも十分わかるでしょう。
 それと、「なめたら」と言ったのは、浅井に対してですよ。
 所詮は浅井一人が相手であって、それ以下は問題外ですから。
 逆にいえば浅井がいなけりゃ何もできないのが顕正会でしょう?


戒壇論については一区切りついたと思う。冒頭こそ、nabe氏が本質をよく弁えている証拠であり、さながら法華を識る者は世法を得べきか云々の御金言のままである。つまり、一般人が聞いていて、あれ、言っていることがおかしいぞ、などと感じるようではダメなのだ。もちろん、わたくしごときが偉そうに言える立場ではないのだが、ともかくnabe氏の柔軟性に富んだコメントを拝見して、爽快な気分になったものである。

ちなみに、文末の浅井云々については、今朝たまたま拝読していた御書に関連するのではないかと思った。依報不依人御書である。

仏は依報不依人といましめ給へども、末代の諸人は依人不依法となりぬ。

この数行後の御文が象徴的である。

されば華厳宗に人多しといえども澄観等の心をいでず。彼の宗の人々諸経をよめども、たゞ澄観の心をよむなり。全く諸経をばよまず。余宗又かくのごとし。

華厳宗を顕正会に、澄観を浅井に、諸経を御書に、それぞれ置換してみればいい。余宗又かくのごとし、創価学会なども似たり寄ったりということだ。

しかし、ここでも本質論を提起しておきたい。たぶん、ここで法華講員と袂を分かつことになると思うが、同御書の後半には次のごとくある。

これ偏に文書に依りて人によらず、人によりて文書によらざるによりて賢愚はいで来たるなり。当世の僧俗多くは人を本として経文を本とせず。

本質的には御法主上人も「人」に含まれるのではないか、もちろん浅井や池田と同日の談ではないけれども、さりとて猊下だけを絶対的な例外に置くことはできない、というのがわたくしの信念である。おそらくはここが賢愚の分かれ目だろうと思う。

いずれにしても、この件に関しては顕正会がいちばん程度が悪いことになる。何しろ御書がないのだから、もうハナっから浅井先生に依る以外にないのだ。つまり、人によりて文書によらざる、という姿である。大聖人はこれを「愚」であると仰せになっているのだ。

ところで沖浦氏であるが、またしてもケッタイなことを言い出した。唯授一人は目師までだと言うのだ。その根拠が難の有無にあるらしい。ようするに、法華経の行者ならば難が起きなければいけない、目師以降は難が起きていない、法華経の行者が途絶えてしまった、というようなことらしい。

これについては実に簡単な反論がある。すでに大月天氏などが盛んに主張していることなので、今さら書くこともないだろう。だったら、なぜ日寛上人の御本尊を用いるのか、ということなのだ。譲っても目師まで、などと言っている人が、どうしてそれよりさらに二十数代も下る大石寺の住職の書いた本尊を用いるのか、である。

沖浦氏のことだから、いつものごとく、ああ言えばこう言うで、また何かしら書いてくるのだろう。氏の主張にはいささかも与しないが、しかし、そのバイタリティには敬意を表しておく。

2010/4/18

御伽噺と現実の狭間にて  
日曜日にもかかわらず、早朝から熱心なコメントが寄せられている。順番が逆になるけれども、まずはnabe氏のほうから取り上げたい。

なめたらあかんですよ。

う〜ん、これはこれは・・・

この人を怒らせると怖いことになるので、そろそろ話をまとめたいところだ。

細かい点は省略させていただくが、いちばん大事な問題を伺いたいと思う。nabe氏は、金口の相承を知る立場にはないので断言できないと断りつつ、あえて断言すると書かれた。これはひじょうに立派なことである。平たく言えば、御相承の中身には戒壇建立の具体的な地名までは含まれていない、となるだろうか?

これはうまい会通だと思う。

ようするに富士山に本門寺の戒壇を建立するということは御書に明らかであるが、具体的に富士山のどこら辺を想定しているのか、そうしたことまでは明らかではない。では、それが御相伝という形で伝えられているのかと言えば、そうではないということなのだろう。

すると、わたくしの現時点での理解力では次のごとくなると思うのだが、いかがだろうか?

本質論として、今の大石寺にしても戒壇建立の絶対的な地点とはならない、と。

適切な御文を見出せないが、さしあたって御義口伝の一節を引用させていただく。

今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。

この手の御文はたくさん存在すると思う。ゆえに、もっと適切な御文があるはずだが、今はさがし切れないので、これでご理解願いたいところだ。ようするに、特別な場所でなければいけないという本質的な理由はないのではないか、ということなのだ。

この上で、日興上人が仰せられたごとく、勝地を選んで伽藍を建立するのが仏法の通例であるからして、いよいよ戒壇建立の機運が高まった段階において、時の御法主上人の御判断で場所を選定すればいいのだ。

このような理解でよろしいだろうか? もし、問題があれば、引き続きご教示をたまわりたいと思う。

さて、沖浦氏のコメントであるが、以下のごとくである。

 唯授一人なんて嘘っぱちですよ。
 大体ね、仏法が唯授一人で伝わるなら、釈迦から天台の1500年、説明つきません。
 唯授一人なんて、ダライラマの転生の世界の御伽噺です。


たぶんnabe氏の言う「なめたらあかん」は、わたくしの手法が創価学会のそれに似ている意味もあるのだろう。創価学会の人たちは歴代上人の文献をいろいろと突き合わせて、その齟齬をあげつらうのを常套手段にしている。○○上人はこう言っているが、△△上人はこう言っていてツジツマが合わない、だから唯授一人などはウソであると。
わたくしとしては、そのような意図は毛頭ないけれども、それなりのしっかりした会通が必要なのではないか、宗門には優秀な人材がたくさんいるのだから、その辺をしっかりと整理すべきだ、というふうには思っている。
それはともかく、そもそも大聖人の仰せにしたって自語相違に思えるような箇所がいくつもある、いわんや別人格の書物であれば、なおさら不一致があって当然なのだと思う。それをどのように整理するかという問題なのだ。
もちろん創価学会の人たちは否定することが目的だから、整理するとか会通するとか、そんなことは考えていないわけだが・・・

ところで沖浦氏は身延相承書をご存知ないのだろうか?

血脈の次第 日蓮日興

御書全集にも載っているのだが、こうした前提を踏まえずにウソッパチなどと言うのはいかがなものかと思う。

ところで、久しぶりに御書全集を開いて驚いた。身延相承書にはカッコして総付嘱書とあり、池上相承書には別付嘱書とあるのだ。これはどうも適切な表現ではないように思う。ちなみに顕正会ではこれらの御書を身延―・池上―とは呼ばない。総別も同様である。今まであまり考えたことがなかったけれども、それなりに意味のあることなのだろう。平成新編でもいわば改題しているわけで、この辺は浅井先生にもそれなりの見識があることの証明になるかもしれないと思った。

脱線してばかりで恐縮だが、話を戻そう。

ダライラマの転生の世界の御伽噺

何が言いたいのかさっぱりわからないが、立正観抄には次のごとくある。

天台大師は昔霊鷲山に在っては薬王と名づけ、今漢土に在っては天台と名づけ、日本国にては伝教と名づく。

沖浦氏はこれも御伽噺だと考えているのだろうか?

2010/4/17

唯授一人の信頼性  
まず、昨日は入れ違いで、水無月氏からコメントをたまわっていた。自らイヤミであることを断られているが、事実に即しているだけに痛烈この上ない。以前、浅井先生が一千万を目標に掲げていたのは、おそらくは創価学会を意識してのことだろう。本気で広宣流布をやろうと思っているのならば、最低でも創価学会と肩を並べる実力を備えなければ話にならない。だれが考えたって、それ以下ではまったくお話にならないのだ。しかし、それが今は夢のまた夢になってしまった。事実上、広宣流布を断念したと見られても仕方がないだろう。それでいて熱心な活動会員は十二年後に広宣流布が実現すると思い込んでいる、いや、思い込まされているのだから、なんともヒドイ話である。

さて、今度は法華講の諸氏との対論であるが、nabe氏のコメントをわたくしなりに理解すると次のごとくなる。

浅井先生は天母山と天生原を同義であると主張していた。ところが今はもっぱら天生原であって、天母山とは言わなくなってしまった。これは都合が悪いことがあるからだ。

ありの金吾氏からもコメントを頂戴したが、こちらはかつての冨士の記述を引用し、その後の自語相違を責めるという、いわば破折の王道である。

すなわち昭和三十九年の段階では大石ヶ原を本門戒壇建立の地であると主張していたにもかかわらず、その後、天母山を主張するようになった。これ自語相違にあらずや、というアンバイである。

この両者のコメントを合体させると面白いことが見えてくる。なぜ天母山を言わなくなったのか、もしかしたら宗門の天生原=大石原を逆手に取っているのかもしれない。いわゆる大本門寺構想の上から判ずれば、その広大な寺域は天母山を中心として大石寺も含まれることになる。重須もそうだ。日興上人が重須に御移りになったことをとやかく言う人たちがいるけれども、実は重須も天生原に含まれることになる。つまり、何の矛盾もなく丸く収まるのだ。この発想で行くと、くだんの昭和三十九年の冨士の記述も矛盾がなくなることに気がつくべきだろう。

しかし、わたくしはこの会通をあまり芳しいとは思わない。もっと単純に考えていいと思う。

nabe氏によれば、昭和三十九年のセンセーは迹だという会通が存在するらしい。わたくしはそんな気取った表現ではなく、ようは未熟だったということでいいと思うのだ。教学未練だった、勉強不足ということだ。
その後、正本堂の構想が持ち上がった。それがどういうわけかエスカレートして、あたかも御遺命の戒壇が成就するかのごとき発言が次々に飛び出すようになった。
これに浅井は不審を感じた。そこで真剣に御書ならびに先師上人の御指南を学んだわけである。その結論が天母山戒壇説ということなのだ。

やや横道にそれるが、昭和三十九年の冨士に最初に着目したのは誰であろうか? わたくしの知るところでは深道険山氏だと思うのだが、いかがだろうか?

何が言いたいかというと、証文の出し遅れではないか、昭和四十年代当時に宗門ないし創価学会が妙信講にこれを突きつけていれば、だいぶ事情が変わっていたのではないか、ということなのだ。

そこで話を元に戻すが、わたくしの思うに、この件に関する浅井の自語相違はぜんぜん問題ではないということである。だからこそ当時は指摘されることがなかった。先ほど書いたごとく、浅井は未熟だった、そこで御法門を学び直して天母山戒壇説にたどり着いた。つまり、ここで問題となるのはどちらが真実かという点なのだ。

まあ、しかし、またしても横道にそれるが、ありの金吾氏のおっしゃる、

顕正会は本門戒壇建立の地を、大石ヶ原から天母山に変更した理由についてはきちんと説明しているのですか?

という問題は、別件としてひじょうに重要である。まさに顕正会の隠蔽体質というか、浅井の頬かむり体質を象徴しているとも言える。おそらく、己れの未熟さを告白するようなことはしたくないし、性格的にも出来ないことなのだろう。

nabe氏のコメントに戻ろう。

都合が悪いから、天母山から天生原に変更した。しかし、こればかりは本人に聞いてみないとわからないことだ。もちろん都合の悪いことであれば、答えは期待できない。わたくしの思うに、これは案外に単純な話なのではないか。例文を挙げよう。

 本宗において貫首(法主・管長)の権威は絶対である。ただしその貫主であっても、もし大聖人の仰せに違う己義を構えたら、その貫首の云うことを用いてはいけない、と仰せられる。

折伏理論書初版の文章である。改訂版をお持ちの人は確認されるとよい。一箇所だけ修正されているのだ。改訂版を持っていなくても察しのいい人であれば、わかるだろう。ようは貫首・貫主・貫首という表記になっている。うっかりミスなのか、それとも考えてこのようにしたのか不明であるが、ともかく改訂版ではこれを貫首に統一したわけである。
nabe氏に言わせれば浅井は駄文家なのかもしれないが、本人はけっこう文章にこだわりを持っているし、誤字などにもかなり気を使っている。上述の件はまさにその一例だろうと思う。
同様の意味で、天母山と天生原は同義ではあるものの統一したほうがいいと考えたのだろう。文章家であれば、富士山天生原と富士山天母山とどちらが美的であるか、一目瞭然だろう。後者は山と山が重なってしまってうまくないのだ。
ちなみに、地元の感覚としては天母山にそれほど違和感を持たないはずだ。たとえば北山だとか西山がある。あるいは宝永山もある。ただし、富士山宝永山みたいな表記はしないはずだ。

以上の理由から、顕正会が富士山天生原という表記に統一したことに、それほどの不自然さはない。

なお、活字として残っているかどうか不明だが、浅井先生の日常の指導・・・ようは日曜勤行などでの口述においては、天母山と言ったりすることもあるのだ。もちろん最近は知らないが・・・

最後に、日亨上人の先行研究があって、その上で日達上人が天母山戒壇説を誤りであると断定した、という点について、わたくしの所感を書いておきたい。
昨日、書いたごとく、日穏上人は大石寺の貫首上人でありながら、大石寺は未だ本国土ではない天母山こそが本国土である、と仰せになられた。これはわたくしにとって衝撃的な御指南である。しかし、これは日穏上人だけではなく、日寛上人や日応上人など、多くの上人が仰せになられるところなのだ。
いわば顕正会の主張はここに尽きるわけで、何も自分勝手なことを言っているわけではないのだ。
ところがである。日達上人はこれを間違いであると仰せられた。つまり、先師上人たちの言っていることが間違いだということである。
確かにnabe氏のおっしゃるごとく、先師上人の御徳を汚さぬよう重々の御配慮をあそばしているのは事実だろう。それをとやかく言うつもりはない。

わたくしが言いたいのは一つだけである。戒壇建立という重大事において血脈付法の上人が何代にも亘って間違いを犯すだろうか、このことは唯授一人の血脈相承の信頼性を著しく損なう事例にもなりかねないのではないか、ということである。宗門には優秀な人材がたくさんいると聞くが、であれば、こうした問題をどのように整理したらよいか今一度考えるべきだろう。生意気を言うようであるが、わたくしの目から見てうまく整理整頓が出来ているとはとうてい思えないのである。

2010/4/16

天母山戒壇説の再確認  
まず前々回、振り込め詐欺に騙されること自体が問題ではないのか、と書いたところ、振り込め詐欺に引っ掛かる様な人だから浅井にも引っ掛かる、とのコメントを頂戴した。実はわたくしとしても、それを言外にほのめかすようなつもりで書いたのだ。さすがにあからさまに書くのはどうかと思って、含みを持たせたわけである。

しかし、今日は逆に浅井先生の側に立って書こうと思う。例の天母山ないし天生原のことだ。

その前に、種々のコメントを頂戴しているが、いつもながら行き届かない点があることを予めお断りしておきたい。一点だけ触れるならば、ニシケン氏のおっしゃることはまったくそのとおりである。おそらくは重々承知のことと思うが、拙稿にあるごとく、あくまでイヤミを込めて書いたものだということなのだ。つまり、もし顕正会が本気で十二年後の戒壇建立を実現しようと思っているのならば、そろそろ工事を開始してもよさそうなものである。当然、用地の買収を済ませていなければいけない。しかし、さらにツッコミを入れるならば、顕正会は勅宣・御教書を必要欠くべからざる手続きとしているわけだから、今の段階で勝手に用地買収だとか、あるいは工事の開始などをするわけには行かない。こういうのを見切り発車と呼ぶ。正本堂の時には前もって建てたということだけで、いわばイチャモンをつけたくらいである。以上の観点からして、すでに十二年後の戒壇建立は不可能と言わねばならないのだ。その上で、ニシケン氏のおっしゃるごとく、本義はまさに大御本尊の御安置にある。よって、現時点での宗門と顕正会の関係性を考えるならば、なおさら不可能なことになる。おそらくは本部首脳も薄々はわかっているのだろう。なんとも悲しい話である。

浅井は「天母山」ではなく、「天生原」という変節がありますが、結構意味があります。

さて、本題に入ろう。nabe氏は自著において、この問題を詳細に論じておられる。いわば一家言をお持ちである。ゆえに、こちらとしては衝突を避けるためにあまり深入りしないほうが賢明ではあるのだが、しかし、今のわたくしは振り込め詐欺に引っ掛かるようなタマではないという意味において、わたくしなりの信念に基づいて意見を申し述べたいと思う。

冨士第二百五十号の八十ページから百十一ページには、昭和四十七年四月十七日の臨時班長会における講演が掲載されている。けっこう長いけれども、この途中には会話形式のくだりがあって、それが全体の過半数を占めている。この講演の前日に行なわれた宗務院の役僧三人との面談の様子を再現したものである。この中には、けっこう重要なことがたくさん書かれていると思う。まず、わかり易いところから拾うと、浅井先生のセリフに次のごとくある。

天母山と天母原とどう違うのか。天母山が北海道にあるのなら一緒にしては間違いだが、同じ場所を指すこと宗門古来からの慣習ではないか

この後、先生は宗門古来からの慣習ということの証明として、寛尊の御筆記に天生原と天生山の両方があること挙げている。さらに寛尊の講義の聞き書きにまで注目し、次のように言う。

寛尊の講義を筆記された聞書数本を見ればことごとく天生山≠ナある。ただ一本だけは天生原≠ニなっている。これまた、天生原と天生山が同じ地域なるゆえ山≠ニ聞きながら原≠ニ記したのではないか

けっこう説得力があると思うのだが、いかがだろうか? それともこのわたくしも浅井に騙されているクチなのだろうか?

さらに先生は、前総監・柿沼御尊師の一文を紹介している。

日達上人猊下の御徳によって天母山が日蓮正宗の所有に帰した事は一文慶賀にたえない。乃至、私はその天母原に登り冨嶽に対してひそかに念願する所があります

柿沼師はまさに宗門古来の慣例に従って山と原を同義に扱っているのだ。わたくしは原文を確かめたわけではないが、まさか法華講の諸氏はこれを浅井の得意とする改竄とでも言うのだろうか?

さらに同講演では、昭和四十五年六月九日付の文書が紹介されているが、これもまた注目である。

宗門において天母原の戒壇について否定したことはない。先に述べたごとく将来天母山にいかなる建物が建てられるかは未来のことであって今は想定できない。

必要な箇所だけ抜き出したので全体の文意は見えてこないかもしれないが、ここでも山と原が同じ扱いになっている。これまた浅井の改竄だろうか?

以上、この件に関しては、浅井先生に変節があるとは言えないだろう。

ちなみに、わたくしがもっとも注目したのは、日穏上人の御筆記とされる次のくだりである。

大石寺も未だ真実の本国土にあらず、天母山はこれ本国土なり、しかれども肝要の本尊未だ住し給わず

いかがだろうか?

顕正会が全面的に正しいなどと言うつもりは毛頭ない。むしろ今となっては間違いだらけである。けれども、宗門の主張にだってあちこち綻びがある、そこを改めずにゴリ押しするのはいかがなものか、というのがわたくしの言いたいことだ。

2010/4/14

毀誉褒貶  
水無月氏から質問があったので、お答えしておきたい。わたくしは昨日、そろそろ用地買収をしないと間に合わなくなる、と書いた。すると氏から、それは国立戒壇の建設用地のことか、という質問が発せられた。それ以外に選択肢はないはずであるが、わざわざ質問して下さったので、なるべく丁寧に説明したいと思う。

わたくしとしては、イヤミを込めたつもりだった。

日本には時間がない。あと十二年で他国侵逼が現実化する。この時、日本は亡ぶ。これが浅井先生の主張の骨子である。
ところがくだんの登壇者は、あたかも十二年後に広宣流布が達成され、ただちに国立戒壇が建つものと思い込んでいるのだ。
常識的に考えれば、仮に十二年後に広宣流布が実現したとしても、戒壇建立はそれから何年も先のことになるはずである。この道理がわからないものかと不思議に思う。

御遺命成就の時、浅井先生と共に天生原へ御共させて頂く光景を描いては胸が熱くなり・・・

これは女子部の八十一区長の登壇である。ここでは年数が明示されていないが、浅井先生と共に、という点が重要である。先生の年齢からすれば、それが何十年も先であるはずがない。ゆえに顕正会の内部では、まさに十二年後がその時であると囁かれているわけなのだろう。そうした片鱗が前回の記事にも出ているわけである。

凡夫には先のことなど、わからない。わたくしも凡夫ゆえに、断言はできない。たぶん十二年後の広宣流布は無理であろうが、あるいは凡慮を絶する不思議が起こるかもしれない。つまり、信仰は人々の心の問題であるから、一瞬にして急激な変化があっても不思議はないのだ。それが日本国一時に信ずるということだろう。

ただし、戒壇建立というのは物理的な問題である。工事には時間が必要だ。まさか一瞬にして、ようは一夜にして戒壇が建つなどと思っているわけではあるまい。
正本堂にしても昭和四十年に建設構想が発表され、完成したのは昭和四十七年である。これを顕正会では偽戒壇と呼んでいるが、本物・偽物は関係なく、建物そのものは正規の建築許可を受けて建てられたものである。いわんや顕正会がこれから建てようとしているのは正真正銘の本物の本門戒壇なのであるから、それなりの規模の建築物になるはずで、当然ながら相当の建築期間を要するはずなのだ。
そして、その前提が建設用地の問題である。たとえば、道路を造るにしたって、その用地取得に何年も掛かる。地権者が首を縦に振らなければ、何年どころか何十年も掛かることになる。成田空港の問題も同様だ。つまり、十二年後に戒壇建立を実現するためには、工事期間から逆算してそれ以前に土地の取得を済ませていないといけない。

これが現実的な思考であろう。現役の活動会員とて、冷静に考えればわかるはずなのだ。

さて、この話題はこれくらいにして、久しぶりに沖浦氏からコメントを頂戴したので、思うところを書いてみたい。

いったい何の目的でコメントを寄こしたものか不明だが、この人は超現実派であり、生活上に功徳が出ればそれでいい、教学なんてクソ食らえ、といった感じである。
実際、各種の掲示板を読んでいると、この人の体験談が一際目立っている。何しろ次から次へと新たな体験談が書き込まれるのだ。
ワックスのことであるとか、整師顔負けの治療法(?)だとか、大学で講師を頼まれた話だとか、あるいはスキーやウエイトリフティングのことなど、ともかく話題が豊富である。

毀誉褒貶という言葉がある。わたくしの思うに、沖浦氏ほど毀誉褒貶の激しい人もめずらしいだろう。これは立派なことだ。この対極にあるのが、沈香も焚かず屁もひらず、ということだ。結局、沖浦氏から見れば、功徳の体験も語れず小理屈ばかりこね回している人など、屁でもないのだろう。この点はよくわかる。

だが、しかし、教義上の問題というのは功徳の体験とは切り離して考えるべき側面もある。大聖人が、法門をもて邪正をたゞすべし利根と通力にはよるべからず、と仰せられるのは、まさにその意味に他ならないだろう。この辺が沖浦氏のチグハグなところだと思う。中途半端に教学を織り交ぜるから、突っ込まれるのだ。もし功徳の体験だけに特化して語るのならば、誰も文句は言わないはずである。

それにしても元気な人だ。同志であるはずの創価学会員から批判され、法華講員から破折され、普通ならば居心地が悪いはずなのに、案外にそれを楽しんでいる風にも見える。ゆえに、わたくしは各種の掲示板をざっと眺めて沖浦氏の投稿を発見すると、氏の元気な様子を知って安心するのである。変な話、今までネット上で活躍していた人がいなくなると、心配になるものだ。その意味で、沖浦氏には今後も大いに活躍していただきたいと念願するものである。


四月十六日追記:一部修正を加えた。

2010/4/13

実験証明のチャンス  
顕正新聞第1167号には、北朝鮮が体制崩壊の危機に瀕しているとの報道があって、それについてnabe氏からコメントが寄せられた。
野球にたとえるならば、ソ連崩壊の時は見送り三振だった、それで今度は当たるかどうかわからないがともかくバットを振っておこう、というようなことになりそうだ。これは俗に、下手な鉄砲も数打てば当たる、と呼ばれるものである。
はたして浅井先生のネライがそこにあるのかどうか、わたくしには何とも言えないところであるが、少なくともnabe氏はそのように見ているらしい。

それから中国に関してであるが、不勉強のわたくしにはお手上げである。ただし、一つ言えることは、中国が大国であることだ。もともと大国だったが、ここに来て、ますます国際的な影響力を強めている。それが日本にとって脅威であることは事実だろう。浅井先生の主張は極端なようであるが、案外に方向性を同じくする学者・評論家などが少なくないようなのだ。

これは何も浅井先生の弁護のつもりで書いているわけではない。その逆である。上記の二点に共通して言えることは、もし北朝鮮が崩壊したとしても、それがいわゆる浅井先生の予言適中ということで大きな評価を得られるわけではないこと、同様に、もし中国による日本侵攻が現実となったとしても評価されないことである。この道理がわからないようでは、先生もそこらの占い師とそれほど違わないことになるだろう。

さて、上述とじゃっかんは関連があるかもしれないが、顕正新聞同号に唱題で免疫細胞が活性化したという体験発表が出ている。この人は女子部の総班副長で、仕事は民間の研究機関で免疫細胞の研究をしているらしい。

 ある時、健常人のリンパ球がほしいとのことで、職員の血液を集めNK細胞活性を測定したところ、実験担当者が驚いた様子で「土井さんのNK細胞は数が多い上に、一つ一つの細胞の活性も非常に高い」と告げられ、「何かやっているのですか」と聞かれたのです。

これが事実ならば、よほど数値に差が出ていたのだろう。シロウト考えだが、わたくしの思うに、身体にはあらゆる意味で個人差がある。当然、専門家はそうした個人差を重々承知した上でデータを読み解いていくはずである。ゆえに、少しくらいの数値の差には驚かないはずなのだ。よって、かなりの差が出ていたのだろうと思われる。

わたくしは思う。もしこの総班副長に信心の確信と同時に研究者としての自覚があるならば、職場の上司に提案すべきである。つまり、唱題によって免疫が活性化するかどうかを実験によって証明するのだ。
昨日、たまたまラジオで得た情報であるが、これからは鬱病の診断方法が大幅に改善されるという。この病気はいわゆる心の病ということで、医者の問診によって病気の程度が判断されてきたのだそうだ。ある意味、いい加減である。尺度がはっきりしていない。ところが最新の研究で、鬱病の人と健常者では脳の血流に明確な差が出ていることがわかったという。これは画期的だ。この診断方法が確立されれば、大きな進歩である。
しかし、これは診断方法であって治療方法ではない。なぜに脳の血流が滞るのか、それをどのように改善するのか、というのはまた別の問題である。
この意味からしても、先の唱題によって免疫細胞が活性化するという話の凄さがよくわかるはずだ。ともかく数値として測れるものであれば、実験すればそれがウソかマコトか証明できるのだ。

浅井先生の予言が評価されない理由も、これで多少は見えてきたのではないかと思う。

『迷走する顕正会を斬る』には「妙法化による諸難題解決」という見出しの付いた項目がある。乱暴に言ってしまえば、浅井先生は国立戒壇の建立によってあらゆる問題が解決するとしている、対する著者は、そんなわけねーだろ、と言っているのだ。しかし、これはあくまでわたくしが端折って書いているだけなので、正確なところは原文をしっかりと読んでほしい。
この「そんなわけねーだろ」は、言葉は乱暴だが、わりと学者や評論家の心理をうまく捉えているのではないかと思う。つまり、学者というのは疑い深いのだ。ゆえに、それなりの実験データを示さない限り、信用してもらえない。さしあたって、くだんの免疫細胞の実験が打ってつけである。顕正会員と非会員と比較して、どの程度の差が出るか、ぜひとも実験で示してほしいところだ。

ちなみに、もし先生の予言で、そこらの学者や評論家などがまったく言及していない事案があれば、それなりに有意義ではある。逆に言うと、他にも同じことを言っている人がいるわけだから、浅井先生ばかりが評価されることにはならないのだ。たくさんの人が同じことを言っていれば、オッズが下がる道理である。

さて、次に行こう。こんどは婦人部班長会の記事で、これは平成十五年の入信で今もなぜか平会員であるが、なんと振り込め詐欺で二百万円の被害にあったという話である。おいおい、それがどうして体験発表なのか、と思うだろう。ようは犯人が逮捕され、全額が戻ったということで感激を語っているわけである。

確かにお金が戻ったのだから問題はない。メデタシメデタシである。しかし、顕正新聞をお持ちでない人は、次のくだりから想像をしてほしい。

 通常、振り込め詐欺の被害者は年老いた親が多く・・・

この書きっぷりからも想像できるはずだが、掲載写真を見る限り、この人はそれほどの高齢には見えない。つまり、わたくしが言いたいのは、騙されること自体が問題ではないのか、ということだ。まだボケる年でもあるまいに、と言いたい。先の免疫細胞の話ではないが、真面目に唱題をしていれば脳の活性化にもつながるはずなのだ。

最後にもう一つ、これは婦人部秋田支区集会での組長の登壇である。

 私は現在七十八歳ですが、あと十二年で広宣流布・国立戒壇実現の最終段階の大事な御奉公に浅井先生と戦える幸せを噛みしめ、一回一回「有難い」との思いで勤行をさせて頂いております。

そろそろ用地買収に着手しないと、間に合わなくなるぞ。

2010/4/11

懺悔清算を求む  
今日は簡単に済ませよう。三月度総幹部会の会長講演からいくつか引用して、それについての所感を書く。途中からの引用で恐縮だが、次のくだりが注目される。

 だから日本は絶対に亡びないのです。大聖人様のこの大誓願があるから、いかなることがあろうとも日本は絶対に亡びないのであります。

あれ? おかしいなあ?

「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」

「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」


これは同じ講演の中に出てくるわけだが、何となく矛盾しているような気がしないでもない。そう言えば、同講演では国家破産について詳しく論じているわけだが、それは「他国侵逼という国亡ぶ大難の前触れ・先難に過ぎない」として、最後に少しだけ他国侵逼のことを書いている。あえて一文だけ引用すれば、次のごとくだ。

 このとき、日本は亡ぶ。

おいおい、どっちなんだよ、亡ぶのか・亡ばないのか、どっちかにしてくれたまえ。

まあ、しかし、こういうのをアゲアシ取りと呼ぶのだろう。いくら何でも先生だって、そこまで馬鹿じゃないはずだ。一つの講演の中で、正反対のことを言っていることに気がつかないようでは、もはや「白痴」である。ゆえに、そうではなくて、この場合は読者側が相手の言わんとしていることを斟酌すべきなのだ。

おそらくは簡単な話なのだろう。大聖人に帰依すれば亡びない。だが、帰依しなければ亡ぶのだ。そして広宣流布は大地を的とするわけだから、結論的には亡びないことになる。

すると、あと二十五年で亡ぶ、などと言っていたことはどうなるのだろうか?

この辺の解釈が難しい。今は、あと十二年と言っているわけで、上掲の文章はまさにその文脈上にあるわけだ。しかし、あと二十五年が外れたのと同様、またしても外れることになるかもしれない。

おそらく第三者の客観的な視点からすれば、会員の尻を叩くための手段にしか映らないのではないか、いくら学者の説を持ち出そうが、かつての「あと二十五年」発言の清算をしないまま、新たに「あと十二年」などと言ったところで、誰も信用しないのではないかと思う。

以上、亡ぶ・亡びないの自語相違だけをあげつらうのは単なるアゲアシ取りに過ぎないけれども、その背景を考えればいろいろ見えてくるものがある。浅井先生は会員を惹き付けるための手段として常にセンセーショナルな話題を用意し、会員をその気にさせるのがうまい。しかし、それは催眠術であって、永続性がない。だから今の段階で熱狂的に活動している人が十年後にいるとは限らない。むしろ大半の人がいなくなっているかもしれない。もし浅井先生がそこまで考えて「あと十二年」などと言っているとしたら、とんだ悪党である。自分の無責任な発言に頬かむりができる。しかし、わたくしとしては先生をそんな悪党だとは思いたくない。先生は本気で言っているのだ。だから自分たちも本気で戦わなければいけない。これは熱心な活動会員たちの常のセリフである。

だったら過去の発言について、それなりの清算を行なうべきだろう。それが筋というものだ。


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