2010/4/14

毀誉褒貶  
水無月氏から質問があったので、お答えしておきたい。わたくしは昨日、そろそろ用地買収をしないと間に合わなくなる、と書いた。すると氏から、それは国立戒壇の建設用地のことか、という質問が発せられた。それ以外に選択肢はないはずであるが、わざわざ質問して下さったので、なるべく丁寧に説明したいと思う。

わたくしとしては、イヤミを込めたつもりだった。

日本には時間がない。あと十二年で他国侵逼が現実化する。この時、日本は亡ぶ。これが浅井先生の主張の骨子である。
ところがくだんの登壇者は、あたかも十二年後に広宣流布が達成され、ただちに国立戒壇が建つものと思い込んでいるのだ。
常識的に考えれば、仮に十二年後に広宣流布が実現したとしても、戒壇建立はそれから何年も先のことになるはずである。この道理がわからないものかと不思議に思う。

御遺命成就の時、浅井先生と共に天生原へ御共させて頂く光景を描いては胸が熱くなり・・・

これは女子部の八十一区長の登壇である。ここでは年数が明示されていないが、浅井先生と共に、という点が重要である。先生の年齢からすれば、それが何十年も先であるはずがない。ゆえに顕正会の内部では、まさに十二年後がその時であると囁かれているわけなのだろう。そうした片鱗が前回の記事にも出ているわけである。

凡夫には先のことなど、わからない。わたくしも凡夫ゆえに、断言はできない。たぶん十二年後の広宣流布は無理であろうが、あるいは凡慮を絶する不思議が起こるかもしれない。つまり、信仰は人々の心の問題であるから、一瞬にして急激な変化があっても不思議はないのだ。それが日本国一時に信ずるということだろう。

ただし、戒壇建立というのは物理的な問題である。工事には時間が必要だ。まさか一瞬にして、ようは一夜にして戒壇が建つなどと思っているわけではあるまい。
正本堂にしても昭和四十年に建設構想が発表され、完成したのは昭和四十七年である。これを顕正会では偽戒壇と呼んでいるが、本物・偽物は関係なく、建物そのものは正規の建築許可を受けて建てられたものである。いわんや顕正会がこれから建てようとしているのは正真正銘の本物の本門戒壇なのであるから、それなりの規模の建築物になるはずで、当然ながら相当の建築期間を要するはずなのだ。
そして、その前提が建設用地の問題である。たとえば、道路を造るにしたって、その用地取得に何年も掛かる。地権者が首を縦に振らなければ、何年どころか何十年も掛かることになる。成田空港の問題も同様だ。つまり、十二年後に戒壇建立を実現するためには、工事期間から逆算してそれ以前に土地の取得を済ませていないといけない。

これが現実的な思考であろう。現役の活動会員とて、冷静に考えればわかるはずなのだ。

さて、この話題はこれくらいにして、久しぶりに沖浦氏からコメントを頂戴したので、思うところを書いてみたい。

いったい何の目的でコメントを寄こしたものか不明だが、この人は超現実派であり、生活上に功徳が出ればそれでいい、教学なんてクソ食らえ、といった感じである。
実際、各種の掲示板を読んでいると、この人の体験談が一際目立っている。何しろ次から次へと新たな体験談が書き込まれるのだ。
ワックスのことであるとか、整師顔負けの治療法(?)だとか、大学で講師を頼まれた話だとか、あるいはスキーやウエイトリフティングのことなど、ともかく話題が豊富である。

毀誉褒貶という言葉がある。わたくしの思うに、沖浦氏ほど毀誉褒貶の激しい人もめずらしいだろう。これは立派なことだ。この対極にあるのが、沈香も焚かず屁もひらず、ということだ。結局、沖浦氏から見れば、功徳の体験も語れず小理屈ばかりこね回している人など、屁でもないのだろう。この点はよくわかる。

だが、しかし、教義上の問題というのは功徳の体験とは切り離して考えるべき側面もある。大聖人が、法門をもて邪正をたゞすべし利根と通力にはよるべからず、と仰せられるのは、まさにその意味に他ならないだろう。この辺が沖浦氏のチグハグなところだと思う。中途半端に教学を織り交ぜるから、突っ込まれるのだ。もし功徳の体験だけに特化して語るのならば、誰も文句は言わないはずである。

それにしても元気な人だ。同志であるはずの創価学会員から批判され、法華講員から破折され、普通ならば居心地が悪いはずなのに、案外にそれを楽しんでいる風にも見える。ゆえに、わたくしは各種の掲示板をざっと眺めて沖浦氏の投稿を発見すると、氏の元気な様子を知って安心するのである。変な話、今までネット上で活躍していた人がいなくなると、心配になるものだ。その意味で、沖浦氏には今後も大いに活躍していただきたいと念願するものである。


四月十六日追記:一部修正を加えた。


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