2010/5/3

神奈川会館特集を中心に  
コメント欄が活況を呈しているが、わたくし自身に関係するものは、ほとんどない。おそらくは「群盲撫象」と「コウモリ」くらいであろう。これについては特に書くこともあるまい。わたくしが教学のことを書けば、nabe氏からいろいろと言われるハメになるのは毎度のパターンである。また、のび太氏の言うコウモリは、わたくしのスタンスが不明瞭であることを言わんとしているのだろう。基本的には是々非々をモットーとしているけれども、創価学会と宗門とを天秤に掛けた場合にはどうしても宗門ビイキにならざるを得ない、これは致し方のないところだ。

なお、nabe氏に対するバッシングのようなコメントが続いているけれども、これについて感想を書くと、さすがは一角の人物である、ということだ。

もちろんnabe氏がである。

前に沖浦氏のことで書いたが、毀誉褒貶の激しい人は立派な人である、というのがわたくしの基本的認識である。善につけ悪につけ、それだけの影響力を持っているからこそ、人からいろいろと言われるわけなのだ。
逆に批判をしている側こそ、自分自身をよく見つめるべきだろう。今はこうした媒体があるから、どうにか意思表示が可能である。それ自体は良いことだと思うが、では、もしこのような媒体が存在しなかったならば、いったいどのようにして己れの存念を表現するのだろうか、そこをよく考えるべきだと思う。
かく言うわたくし自身も同じような立場だから、何一つ偉そうなことは言えないけれども、一つだけは自信を持って言えることがある。個人攻撃をしないことだ。
今の拙ブログは顕正会批判がメインである。しかし、わたくしは顕正会の誰か一人だけを失脚させようとか、そのような呪詛的な意図で文章を書いたことは一度もないつもりである。個々の記事をピックアップするにしても、それは顕正会全体の問題を抽出するためであって、個人をヤリダマに挙げることが目的ではないのだ。

浅井先生はインターネットを公衆便所の落書きだと言っている。確かにそうした側面もあるだろう。ただし、わたくしは落書きをしているつもりはない。少なくとも、落書きだとは思われたくないので、そのように思われないために努力しているし、工夫しているつもりである。コメント投稿者におかれても、そのように心掛けてほしい。

さて、顕正新聞第1168号は、神奈川会館特集である。

特筆すべきことは、御大事守護の御本尊であろう。顕正会が所持している常住御本尊はぜんぶで七つと言われているが、その一つが五十四世日胤上人の書写あそばされた御本尊で、これを顕正会では「御大事守護の御本尊」と呼び習わしている。
この御本尊には個人の名前が記されている。どうして個人授与の御本尊が妙縁寺に保管されていたのか、その経緯が気になるところであるが、ともかくこれを松本御住職から受け取ったというのが浅井先生の主張である。
わたくしは御形木御本尊の問題もさることながら、常住御本尊についてもいろいろ不審な点があるように感じている。しかし、何しろ調べる手立てがないので、これはどうにもならないことである。

会長講演はこれくらいで終わりにして、おそらく今回の目玉は元皇族出身者の体験発表だろう。八十四歳の婦人部組長である。
しかし、正直な感想を書けば、内容的にはどうかと思った。その出自が注目されるものの、体験発表そのものは大したことないのではないか、ようは元皇族出身ということが最大の売りなのだろう、それだけの話だと思う。
まあ、しかし、悪いことばかり書くのも失礼だから、一文だけ紹介しておこう。

 私の同年代の人たちを折伏していくと、確信も感激もない人生に何の疑いも持たず、何が楽しいのかしらと感じるほど・・・

八十四歳にして、このような精神的高揚感を持てるのは大したことであり、高齢社会における一つの理想ではあるだろう。さらに、同新聞には三月度班長会の記事も併載されており、そこにはもっと凄い話があるのだ。

夫は、昨年三月に入信するまでの十数年間、寝た切りでありましたが、信心口唱のなかに、今では自転車に乗れるまでになり、先日には雪かきや、脚立に乗って木の枝を伐るほどになり、この功徳あふれる姿を見ただけで、親戚や近所の人たちが次々と入信しております。

この人は九十二歳である。八十前後でいわゆる寝たきり老人になってしまったとすれば、もう、あとは時間の問題である。日本の平均寿命は世界一とも言われているが、病床に臥せったまま長生きしても意味がない。そんな人がたくさんいても困るのだ。これが高齢社会の最大の課題である。
ところがである。この人は入信してから見る見る元気になり、自転車に乗ったり、雪かきや脚立での作業をこなすほどの回復ぶりを示しているのだそうである。
これは信じ難い話だが、事実なのだろう。そしてこの事実を目の当たりにした人たちが次々に入信しているという。

そもそも顕正会に功徳があるのか、そこがもっとも深刻な問題ではあるけれども、ともかく上掲の記事は素直に凄いことだと思う。

忽ちに功徳!長年の病気も寛解

神奈川会館に戻って、これはいわゆる「正義にめざめて」の登壇である。昨年十一月入会で未だ平会員というのが微妙なところだが、それはともかくも、上掲の寛解という表現が好ましく感じるところだ。顕正会の記事は何かと誇張が過ぎる傾向にあるので、病気の話であれば完治と書かれるのが相場である。しかし、そこをあえて寛解と書いているところが、ひじょうに好印象である。


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