2010/6/27

本国についての補遺  
沖浦氏からコメントを頂戴した。

 御書は、先ず暗記することです。
 それが一番の近道ですね。
 そして、戸田先生の講義を聞く、読む。
 これしかありません。


暗記はやや語弊を感じるところだが、しかし、それほど間違っているわけではないと思う。
ちなみに、なぜ語弊かを説明すれば、スリハンドクの故事が第一に挙げられる。顕正会の活動会員ならばよく知っている話だが、スリハンドクはわずかの経文すら暗記できなかった、提婆達多は八万法蔵をすべて暗記していた、この話の場合、スリハンドクがよくて提婆達多はダメという結論になっているのだ。もう一つ、卑近な例として試験勉強における丸暗記のことが挙げられると思う。試験のための暗記はよくない、それではまだ本当の勉強とは言えない、自分の頭で考える力を身につけるのが本当の勉強であると。
以上のようなことで、わたくしの暗記に対するイメージはあまりよくないのだ。しかしながら、冒頭に書いたごとく、暗記を間違いであるとは言えないと思う。沖浦氏の言うごとく、近道・・・一番かどうかは不明だが、近道であることは確かだと思う。

戸田先生の講義を聞く、読む・・・

これには異論がある。沖浦氏はいつも言っているはずだ、たとえば法華講員が歴代上人の言葉を引用しようものならば、他宗の人師の言葉などはまったく通用しない、そんなのはそちらの内部規定であると。同様の意味で、わたくしから見れば、戸田氏は他宗の人師に過ぎないのだ。

暗記よりも古語辞典よりも相伝に基づく教化を受けることが最も大事ですよ。

さて、今度はnabe氏である。たぶん、おっしゃるとおりなのだろう。わたくしは戸田氏を他宗の人師と書いたわけだが、厳密には在家信徒の代表的な立場であり人師ではない。なぜならば創価学会は日蓮正宗の信徒団体だったからだ。つまり、日蓮正宗の枠組みにおいては、御僧侶を師と仰ぐのが普通である。
ここで今の顕正会の本質的問題が浮き彫りになってくる。すなわち浅井先生を師と仰ぎ、ともすれば正宗の僧侶を他宗の人師くらいにしか思っていないフシがあるのだ。いや、猊下すらも呼び捨てにするくらいだから、フシがあるどころの話ではない、極論すれば邪宗の坊主ほどの認識しかないことにもなりかねないのだ。
拙ブログを長年にわたって読んで下さっている人であれば、わたくしがそうした顕正会員と一線を画するところにいることはよくご存知であろうかと思う。

上掲のnabe氏のコメントを、沖浦氏とわたくしへのメッセージと考えると、暗記(創価学会)よりも古語辞典(顕正会)よりも云々、となるだろう。しかし、もっと単純に、字面どおりに読むならば、大聖人の仏法を独学で極めようなどというのはできっこないことだ、よって相伝に基づく教化が必要である、ということになるのだと思う。この点、異論はない。ただ、無意味かどうか、この点でわたくしには言いたいことがある。もし仮に、無意味だったとしても、無駄だったとしても、それでいいのである。なぜならば自分の意志でやっていることだからだ。

さて、御書の話題である。しかし、どうも不評のようなので、これで一区切りにしようかと思う。

曾谷入道殿許御書
光日房御書
教行証御書
御講聞書


あれから本国について再検索を試みたところ、上記の四書から抽出することができた。光日房御書は再三掲示してきたので割愛し、順番が逆になるけれども、御講聞書から入りたいと思う。

 一 爾前経瓦礫国の事
 仰せに云はく、法華経の第三に云はく「如従飢国来、忽遇大王膳」と。六の巻に云はく「我此土安穏、天人常充満、我浄土不毀」と。此の両品の文の意は権教は悉く瓦礫の旅の国なり。あやまりて本国と思ひ、都と思ふ事は迷ひの故なり。一往四十二年住したる国なれば衆生皆本国と思へり。本国は此の法華経なり。信解品に云はく「遇向本国」と。三五の下種の所を指して本国とも浄土とも大王膳とも云ふなり。下種の心地即ち受持信解の国なり云云。


おやっ?と思った。前回の拙稿で引用した教行証御書と意味が正反対になっているように感じたからである。引用範囲を広げて再掲しよう。

円機純熟の国に生を受けて徒に無間大城に還らんこと不便とも申す許り無し。崑崙山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り、栴檀林に入って瞻蔔を踏まずして瓦礫の本国に帰る者に異ならず。

これをどのように整理するべきかは今後の宿題としたい。

そして最後は曾谷入道殿許御書である。

而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶、月氏より漢土に来臨せし時、本国に於て未だ存ぜざる天台の大法、盛んに此の国に流布せしむるの間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語らひ得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る。

これは光日房御書の本国とかなり似ている用法だと思う。善無畏等の三三蔵はもともと月氏の出身であり、真言を弘めるために中国に渡ってきた人たちなのだ。ゆえに、ここでの「本国」は月氏のことで、「此の国」が漢土に相当する。たぶん、これは先日来のわたくしの主張を裏付ける文証となり得ると思うが、もちろん決定打とはならない。

2010/6/24

懸案事項  
引き続き御書の話題を書いておこう。御書を拝読するに当たって、解説書の類をほとんど読まない、それがわたくしの拝読法である。では、古語辞典などを用いて、言葉の意味を調べたりするのかと言えば、それもしない。ある意味、これがわたくしの自慢である。

ゆえに文法的なことはほとんど理解していない。人によってはこれを謙遜だと思うかもしれないが、そうではない。文法に疎いのは事実である。
たとえば、「いたりて」と「いたりなば」という御文があって、この動詞の意味だとか活用形の違いなどについて問われても、答えられない。実は今朝、久しぶりに古語辞典を開いてみたのだが、ただ単に目が疲れただけでほとんど得るものがなかった。
確かに文法を学んで損はないだろう。しかし、わたくしの思うに、得てして逆効果の場合もあるのだ。なぜならば、普段われわれが会話をする時、一々文法のことを考えながら喋っている人など、ほとんどいないはずだからである。つまりは昔の人も同じことであり、大聖人にしても同様のことが言えるはずなのである。よって、古語文法を用いて四角四面に訳したとしても、それが正しい訳になるとは限らない。それを弁えない人がとんでもない誤読をするはめになる。
繰り返しになるが、文法を学んで損はない。ただし、そこに柔軟な思考がなければ、かえって逆効果になる。半分くらいは自己弁護の意味があるけれども、わたくしの言っていることにそれほど間違いはないと思う。

文法の問題はかくのごとしである。では、次の話題に移ろう。用語例のことを書いておきたい。

今は検索が容易にできる。前に何度も書いているが、わたくしは平成新編御書検索を利用していて、これがひじょうに役に立っている。
たとえば、「本国」であるが、この意味を考える時に他の御書ではどのような使われ方をしているか、それを比較検討することが正解を導き出すための一助となる。そこでさっそく検索してみたところ、大変なことが起こった。なんと四百七十三件もヒットしてしまったのだ。
ようするに「日本国」という言葉が引っ掛かってきたわけである。これは困ったものだ。そこで裏ワザ(?)を使って絞り込んだ。
たぶん検索の仕方が未熟なので遺漏があるとは思うが、とりあえず「本国」は教行証御書に出てくる。

瓦礫の本国

しかし、これは前後の御文からして明らかなごとく、一種の譬喩的表現であり、具体的な場所を特定することは困難である。残念ながら、これでは光日房御書における「本国」の意味をさぐる手掛かりにはならない。現時点では、他に用語例が見当たらない以上、この方面からのアプローチは無理のようだ。

当国の大難ゆり候はゞ・・・

当国当山に入りて已に七年の春秋を送る。

話は流動的になるが、前者が経王殿御返事で後者は弘安三年の四条金吾殿御返事である。これは同じ単語だけれども意味が異なる事例である。後者の当国は申すまでもなく甲斐のことであり、自ずと当山は身延山の意味になるはずだ。問題は前者であるが、これは佐渡のことだと考えられる。佐渡御流罪を当国の大難と表現あそばしているわけだ。

ここまで読めば、わかるだろう。本稿は国をキーワードに書いている。それにしても次がけっこう問題だ。

日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。

こう入道殿御返事である。実は問題が二つある。一つは宿題にして、もう一つは今から答えを書いてしまうつもりだ。

平成新編ではここでの「中国」を「なかつくに」と読ませている。

ちなみに「中国」を御書検索に掛けると二十五件のヒットがある。用語例としては多いほうだろう。ここで注意すべきはその意味の違いである。一つひとつ確認していけば誰もが理解できるはずだが、大聖人は「中国」を何通りもの意味で使われているのだ。
たとえば、大中小の意味における中国、それから中心地のようなニュアンスのもの、あと意外なのは天竺の意味だろう。どうも大聖人は今の中国を指して中国とは仰せになられていない。これもちょっとした発見だかもしれない。

そこで上掲の中国についてだ。これは文脈上から明らかなごとく、本国ないし本土の意味である。先日来のテーマである本国も用語例の少ない単語だったが、おそらくはそれ以上に希少なのが中国(なかつくに)であろう。ともかく、ここでの中国の意味は、他に解釈の余地がない。強いて言えば、中心地のニュアンスと幾分かは重なっていると言えるかもしれない。

最後に宿題を出して終わりにしたい。もちろん、誰に対する宿題でもなく、実は自分自身のいわば懸案なのであるが、興味のある人は考えてみるといいだろう。

此の法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、めとなりなんどしてこそ信ぜさせ給ふなれ。しかるに御子もをはせず、但をやばかりなり。其中衆生悉是吾子の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。

ここで問題。

日蓮は又御子にてあるべかりける・・・

大聖人はいったい誰の子供だと仰せになられているのだろうか?

おそらくは誰が読んでも、二つの可能性に気がつくはずだ。

2010/6/23

マグマグ氏の研究報告を拝見して  
マグマグ氏には、わたくしの愚論にお付き合い下さり、まことに感謝に堪えません。以下、不遜ながらいつもの独白調で書かせていただきます。

昨日、富士宮ボーイ掲示板において、研究報告が発表された。「佐渡目線、身延目線。」がそのタイトルであるが、その内容は申すまでもなく、前回ないし前々回の拙ブログに対するものである。

結論から言えば、意見の一致を見なかった。
マグマグ氏はわたくしの意見にもじゅうぶん耳を傾けつつ、けれども訳文を修正するには及ばないとの考えのようである。冒頭には、あと出しジャンケンで負けた、との感慨を吐露しているけれども、おそらくは引き分けくらいに思っているのではないか?
ようするに、自分も決定打を出せないがそれは巌虎だって同じことだろう、ということなのだと思う。確かにそのとおりだ。

ここで堂々巡りをしないのがわたくしの信条であるが、簡略に振り返っておこう。

本国へかへし給へ

本国にいたりて・・・
本国へいたりなば・・・


最初の本国はまさに佐渡目線であり、これに異論はない。問題は下段の本国である。わたくしはこれらも佐渡目線であると判断した。ところがマグマグ氏は身延目線であると主張する。

これについて、あれやこれやと書いたのが前回ないし前々回の拙稿である。ある意味、わたくしの主張は単純思考に基づいているわけだが、一方のマグマグ氏はいわば柔軟思考なのだと思う。この点では氏のほうが優れているのだ。
ようするに、同じ単語だから同じ意味に違いない、というのがわたくしの主張であるが、そうじゃないだろう、たとえ同じ単語であっても違う意味のことだって、いくらでもあるじゃないか、というのが氏の主張なのである。
実はわたくしもこの考え方には賛成である。単語が同じだから同じ意味だと考えるのは、あまりにも硬直した思考である。現実にはそうじゃない場合がたくさんあるのだ。

以上、ここまでは己れを卑下し、マグマグ氏を称賛する形となったが、他意はない。そのまま受け取ってもらってけっこうである。ただし、一つだけ言わせてもらえば、わたくしも柔軟な思考ということをじゅうぶんに理解した上で、しかし、この場合は同じ意味だろう、と主張しているわけである。賢明な読者にはご理解いただけると思うが、もし、わたくしの言わんとしていることが理解できない人がいるとすれば、おそらくはその人こそ硬直化した思考の持ち主なのだろう。

いずれにしても、わたくし自身は引き分けだと思っている。佐渡目線を主張するにしても、決定打を出すことができない。あるいは角度を変えて、身延目線を徹底的に破折(?)するという攻め方もあるけれども、それも難しい。マグマグ氏も同様のごとくであるから、この辺がいちおうの収束地点となりそうだ。

とは言うものの、せっかくの研究発表を無駄にしてはいけないので、具体的な文言をいくつか取り上げたいと思う。

元々佐渡で構想された、次の壮図の新たな開始だったのではないか

壮図はわたくしの知らない言葉だったが、何となく意味はわかる。大聖人の身延入山については、なぜ身延なのか、他の場所ではいけなかったのか、という素朴な疑問がある。わたくしはその絶対的な理由を知らないけれども、少なくとも行き当たりばったりだとか成り行き任せのようなことではないと思う。大聖人のことであるから、すでに赦免以前に何らかの構想を練られていただろうことは間違いない。

自虐的かどうかはさておき、大聖人は、身延を住み心地のよいところと思われていない。佐渡と違い、今度は「陸の孤島」を思わせる形容を多く残されている。

自虐的と書いたのはわたくしであるが、恐れ多いながらも大聖人には自虐的なところがなきにしもあらずだったと思う。身延の地を選ばれたのも、あえて不便を承知でのことだったと拝される。この点は後述したい。

過酷な自然条件の下、法門重書の御執筆、弟子檀那消息文の御述作が、強力に加速度的に進められる。

入山から建治三年までの三年半、いわゆる「身延前期」の御書は、百三十篇にのぼる。想像を絶する過酷な条件下の、佐渡の二年半で五十篇に満たないのと比較してみよう。大言論戦が堰を切ったように展開されたことは、想像に難くない。また忘れてならないことに、数多くの御本尊図顕と授与がある。

錦を着て故郷へ帰られず、山林にまじわって、あたかも「隠棲生活」に入られたかの印象も、往々にして持たれる。が、実はまったくそうでない。


途中、かなり省略させてもらったので、興味のある人は掲示板で確認されたい。いずれにしても、これがいわゆる壮図なのだろう。余計なことを言えば、「大言論戦」はいかにも創価学会員らしい表現である。しかし、ここでも素朴な疑問が生ずるのではないか、大言論戦を展開するに当たって、なぜにわざわざ不便な地を選んだのかと。

身延から発せられる書状の多さは、逆に当地へ寄せられる書状や供養の品々の多さを反映している。大聖人と門下信徒は、連絡手段を確立し、恒常的なネット・ワークをすでに構築している。

これに異論はないが、ここでも先ほどの素朴な疑問が有効である。だったら、もっと便のよいところに拠点を構えていれば、なおさら好都合ではなかったかと。

マグマグ氏の意見に異を唱えるわけではないが、ネットワークの意味では佐渡期もあながち劣らないと思う。御勘気の身であること、遠島配流という地理的条件を勘案すれば、ネットワークが完全に遮断されてもおかしくなかったはずなのだ。
以下は想像の域を出ないけれども、たとえば赦免状が発せられた段階で、おそらくは鎌倉在住の信徒はすぐにそれを知ったことだろう。わたくしの思うに、故郷の人たちにしても、大聖人の御帰還以前にその情報を得ていたのではないか、さらには大聖人に故郷への帰還を要望されたのではないか、三度目の諫暁を終えられ鎌倉を去る段階で、では故郷へお戻りくださいと、そのような要請があったとしても不思議ではないだろう。
推測に過ぎないとは言え、同様のことがおそらくは門下の有力檀越からたくさん寄せられたと思う。そうした中でもっとも確実性が高いのは富木殿からの要請だろう。それは身延入山を伝える富木殿御書の存在が大きい。つまり、富木殿からの強力な要請があったからこそ、大聖人としては報告の義務を感じられたのだろう。大聖人は富木殿の懇望を退けて、あえて逆方向へと旅立たれたのだ。

いよいよ結論である。なぜ身延か、それはいわゆる消去法によるのだと思う。今、富木殿の例を出した。他の有力檀越からも要請があったことと思うが、おそらくはさまざまの事情から最後に残ったのが波木井殿の身延だったのだろう。
仮に富木殿の要請を受け入れたとしよう。そうすると大聖人は下総の地のいずれかに住まわれることになる。故郷は目と鼻の先である。大聖人には、させる面目もなくして故郷に帰るわけにはいかない、という御考えがあられた。もしくはそれは表面上の理由であって、もっと深い意味があるのかもしれないが、ともかく下総に住まわれるとなれば、なぜ故郷に帰ってこないのかという一種の突き上げを食らうことになる。
同様の意味で他の有力檀越の大半が消去されることになる。単純に檀越同士の確執を憂慮してのことかもしれないが、故郷とも一定の距離を置くという条件を含めた時に、ダークホース的な意味で身延が残ったのではないかと思う。

最後に、自虐的の意味を勘案して言えば、やはり錦を着て故郷へ帰るという意識の上から、ぬくぬくとした好条件の地に住むことを潔しとしなかったのだろう。しかしながら、自虐的はわたくしの勝手な感想であり、凡夫の浅はかな思慮である。マグマグ氏が詳細に書かれているごとく、この過酷の条件下における悠々たる御振る舞いこそが、まさに御本仏の面目なのだ。

2010/6/20

佐渡から目線  
コメント欄が混沌としているようだが、わたくしの知ったことではない。前回、御書について書いた。わたくしとしてはこれに関するコメントを期待していたわけだが、nabe氏の牽制(?)が効を奏したものか、まったく反応がなかった。おそらくマグマグ氏は仕事で多忙なのだろう。掲示板にそのような記述があった。しかし、他の人たちはどうしたものかと思う。大聖人の仏法を信仰しているのであれば、御書の一文一句に至るまで興味・関心を示して当然のところ、まるでそのような動きがなかった。その理由の一つはnabe氏にあるのだろうが、それとは別の理由として、おそらくはわたくしの問題提起があまりにも瑣末すぎるからだと思われる。つまり、教義上の争点とはならないような、きわめて些細な問題だということだ。

改めて概略を示せば、御書に「本国」とあって、これがどこを意味するのかという問題において、わたくしは「安房国」と考えているが、一方のマグマグ氏は「甲斐国」のことだとしている、さて、どちらが正解か、という話である。

なるほど、これはたとえ宗門対顕正会であっても、あるいは対他門であっても、とうてい争点にはなりそうもないことだ。つまり、どちらが正解であっても構わない。なぜならば、それで困るようなことは何もないからである。
しかし、わたくしは思う。宗義上の最難関の問題として、たとえば本尊抄の解釈論などがあるけれども、これはある意味では永遠のテーマであり、なかなか決着がつかないことである。いや、もちろん、それぞれの立場において、すでに決着済みであるとする意見があるのは承知している。しかし、それを第三者が客観的に判断した時に、はたして決着済みと言えるのかどうか、そこが問題である。
わたくしは、そうした未解決の問題を考える上で、今回のような瑣末な問題が案外に有効な試金石になるのではないかと思う。早い話が信頼性ということだ。確かに法義上はどうでもよくて、それが決定的な瑕疵とはならないにしても、もし、その解釈がトンチンカンであったならばどうなるか、そこを考えるべきだろう。それが積み重なれば、信頼性を失うことになるのだ。
やや話が脱線するけれども、わたくしが誤字脱字などに神経を尖らせているのも同様の意味からである。

 但し本国にいたりて今一度、父母のはかをもみんとをもへども、にしきをきて故郷へはかへれという事は内外のをきてなり。させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。

さて、結論に入ろう。

当該御文における「本国」を甲斐国とするのは間違いだと思う。では、安房国なのか? 実はこれも正解とは言い切れないのだ。
前回の最後に書いたごとく、本国には本土の意味がある。つまりは佐渡からの目線であるが、どうやら当該御文における本国もほぼ同様の意味に解するのが至当のごとくである。
この意味において、広義には甲斐国も含まれないわけではないが、しかし、それを正解とするわけにはいかないだろう。当然ながら広義には安房国も含まれる。手前味噌ながら、わたくしはこちらのほうがやや正解に近いと思う。

なぜかならば、それは上掲御文の出だしを次のごとく拝するからである。

ただし、赦免されて本国に戻った暁には、今一度、父母の墓を見ようと思っていたが・・・

御文の流れからすると、ここは身延山中からの目線で仰せになられていると誤解しがちなところなのかもしれない。しかし、実は佐渡から目線で仰せになられているか、もしくは佐渡にいらした時の意識がまだ残っている状況で御心情を述べられていると解するべきだと思う。
五月十二日に鎌倉を出た、という話の流れではあるが、佐渡には三年近くいらしたわけであり、一方の鎌倉には赦免後わずかの期間しかおられなかった。この点からしても大聖人には佐渡時代の意識が強く残っていらしたことがわかるはずである。
また、光日房御書の冒頭からの流れを拝しても、佐渡御流罪の記述に重点が置かれていることが明確である。

以上の理由から、「本国」は佐渡からの目線で本土のこと、狭義には鎌倉のことだと解するのが相当であろう。

わたくしは上記において、手前味噌ながら安房国が含まれるとし、それがやや正解に近いと書いた。この理由はきわめて単純である。大聖人が本国と仰せになられる時には、すでに意識として安房国を含んでいるのだ。
まず、父母の墓を見ん云々と仰せあそばす、その文脈上の理の当然を考えるべきだろう。そして、もう一つには距離的な関係である。相州鎌倉と安房国は隣近所と表現しても過言ではない。もちろん、佐渡から見れば、である。何を隠そう、わたくしが繰り返し「佐渡から目線」を強調してきたのは、このためである。

させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。

これは二つ目の「本国」であるが、わたくしはどちらかというと、ここは鎌倉ではなく故郷の意味のほうが強いように思う。しかし、別の角度からの解釈もできる。種々御振舞御書は光日房が対告衆とも言われているので、おそらく無関係ではなかろう。

今夜頸切られへまかるなり、この数年が間願ひつる事これなり。
(中略)
されば日蓮貧道の身と生まれて、父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん。

この御文を踏まえて前掲を拝するならば、恐れ多いながら、佐渡からオメオメと生きて帰ってきたことを「させる面目もなくして」云々と仰せになられているとも受け取ることができるはずだ。

この点ではマグマグ氏の解釈もあながち捨てたものはないと言えるかもしれない。

2010/6/17

マグマグ氏の訳文に啓発されて  
今日は久しぶりに御書の話題を書くが、その前にユタ氏にご挨拶申し上げよう。

 法華講においては、経済状況により車を持てない人もいることはいますが、それ以上に高級車を所有する信徒さんもおります。大石寺で大きな行事があったりすると、その駐車場に必ずと言っていいほど、ベンツやBMW、セルシオ、プレジデントなどの高級車を見ることができます。その点が顕正会員との違いでありましょう。無論、車だけをステータスに見るのはどうかとは思いますが、車1つ取っても、顕正会員と法華講員にはそれだけの違いがあるということです。

たぶん、これは事実なのだろうけれども、じゃっかん公平を欠いているのではないかと思う。

大石寺には数千台の駐車場がある。一方の顕正会の本部会館には駐車場がない。どうやら駐輪場はあるらしいが、それでは比較にならないだろう。
つまり、顕正会員がどのような車に乗っているか、客観的にはわからない。
ただし、現役の活動会員であれば、自分を含めて周りの人たちがどのような車に乗っているか承知しているわけで、それはかつて活動会員だった人にしても同様のことが言えるだろう。

ゆえに、ユタ氏もまた、ご自身の経験から高級車に乗っている顕正会員の少なさを証言しているわけなのだ。

せっかくだから、わたくし自身のことを書いておくと、国産のいわゆる大衆車に乗っていて、グレードとしては下から数えたほうが早い。ちなみにわたくしの周辺の顕正会員も似たり寄ったりである。

さて、本題である。

――ただし甲斐の国に来ても、今一度父母の墓を見ようと思うが、錦(にしき)を着て故郷へ帰るのが世間、出世間の慣わしである。そのような面目も立てず当地へ来たので、私は不孝者であろうか。

これは富士宮ボーイ掲示板におけるマグマグ氏の投稿であるが、口語私訳「光日房御書」とのタイトルが打たれている。すなわち上掲は光日房御書の現代語訳というわけだ。

わたくしはこの部分がどうにも解せなかったので、実は昨日、富士宮ボーイ掲示板に投稿して、直接、マグマグ氏に質問しようと企てた。ところが投稿が完了する直前になって、エラーが発生してしまい、文章が消えてしまったのだった。それで再度打ち込むのも面倒臭いので、投稿を断念したわけである。

しかし、それが結果的にはよかったのだ。一日の猶予が思わぬ発見をもたらした。

 但し本国にいたりて今一度、父母の墓を見んと思へども、錦を着て故郷へは帰れという事は内外の掟なり。させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。

上掲は平成新編をベースに適宜、漢字を入れたものである。

わたくしは文中の「本国」を安房国のことだと思っていた。それが自然だと思うのだ。
ゆえにマグマグ氏の口語訳を拝見して驚いた。氏は本国を甲斐国すなわち身延だとしているのだ。
しかし、別にこれで論争しようだとか、マグマグ氏をやっつけようだとか、そんなことを思っているわけではない。わたくしは今まで一度も身延のことだとは思いもしなかったので、俄かには納得できないでいるのだ。それで昨日は直接掲示板に投稿して、お伺いを立てようかと思ったわけである。

マグマグ氏の訳もなるほどと思わせるところがないわけではない。当該御文の直前はけっこう有名な一節であり、以下のごとくである。

・・・本より期せし事なれば、日本国の亡びんを助けんがために、三度諫めんに御用ひなくば、山林に交わるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉を出でぬ。
 但し本国にいたりて・・・


この話の流れからすると、本国=身延になる。なぜならば、五月十二日に鎌倉を出てどこへ向かったか、その答えが身延だからである。ゆえにマグマグ氏は「本国にいたりて」を「甲斐の国にいたりて」すなわち「身延にいたりて」の意味に解したのだろう。確かに自然である。

ところが、わたくしは今まで、そのようには一度も拝したことがなかった。すでに書いたごとく、本国を安房国だと思っていた。より正確に言えば、本国=生国=安房国=我が国=故郷、である。ようするに、同じ意味のことを別の言葉を用いて表現する、ということが文章表現のセオリーであり、大聖人におかれても同様の手法をたくさん用いられているので、これも同じことだと思ったわけである。実際、わたくしの拝し方でも、それほど違和感はないはずだ。以下、拙いながらも私案を提示しておく。

ただし故郷に帰って今一度、父母の墓を見たいと思うが、錦を着て故郷へ帰れというのが内外の通例であるからして、さしたる面目もなく故郷へ帰ったならば不孝者となるに違いない。

いかがだろうか?

わたくしはこちらのほうが自然のような気がするのだ。一方のマグマグ氏の訳は意味不明のような気がしないでもない。煩瑣ながら今一度、氏の訳文を紹介しよう。

――ただし甲斐の国に来ても、今一度父母の墓を見ようと思うが、錦(にしき)を着て故郷へ帰るのが世間、出世間の慣わしである。そのような面目も立てず当地へ来たので、私は不孝者であろうか。

大聖人は錦を着て故郷へ帰るべきだと御考えでいらした。よって、未だじゅうぶんにその条件が満たされていないので、故郷へ帰るわけにはいかない。この文脈からすれば、面目を立てずに故郷に帰ったとしたら不孝者になる、と解釈するのが自然のはずだ。身延にいることが不孝であると考えるのは、さすがに自虐的すぎると思う。

もちろん、氏にも言い分があることだろう。あとはそれを待つのみであるが、さて、読者諸氏はどちらの読みが適切と考えるだろうか?

ところがどっこい、話はまだ終わらないのだ。

当該御文の「本国」を甲斐国とするか安房国とするか、この二者択一で考えるのは浅はかである。実は第三の選択肢があるのだ。当該御文の少し前には次の一節がある。

本国へかへし給へと高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば・・・

ここでの本国はいわゆる本土のことである。これは申すまでもなく、大聖人が佐渡にいらした時の目線で仰せになられているわけである。

さて、第三の選択肢の登場によって、話が混沌としてきたかに見えるが、いかがであろうか?

2010/6/15

遅い梅雨入り  
コメント欄ではかなりディープな内容が語られているので、わたくしは深入りしないようにして、顕正新聞第1173号から記事を拾ってみたい。

高速道路建設で四億円の立ち退き料

うらやましい話である。この人は神奈川県厚木市に住んでいて、自宅など所有する土地が第二東名の建設予定地と重なったことから四億円の立ち退き料がもらえたのだそうである。

それはそれでけっこうな話だと思うし、この人に文句を言うつもりはないのだが、そもそも第二東名の必要性に疑問がある。もはや、このようなインフラ整備は必要ないのではないか、まさしく税金の無駄遣いではないか、という気がするのである。
わたくしも東名高速を利用することがある。しかし、どうも近年はそれほど深刻な渋滞が起きなくなってきたような気がするのだ。いわゆる帰省ラッシュだとか、そのような時には大渋滞になる。もちろん事故渋滞もある。しかし、普段はそれほどでもないのだ。
首都高速にしても、以前は恒常的な渋滞が問題視されていた。ところが近年、次々に新線が開通し、大幅に渋滞が緩和されたようである。

もう一つの要素として、若者の車離れが進んでいるとも言われている。以前は自家用車を持つことが一つのステータスだったが、別にそんなのいらないよ、という若者が増えているらしいのだ。あるいはワーキングプアの影響もあるかもしれない。車を買う金がない。買っても維持できない。
わたくしの近所に月極駐車場がある。月額三万円の駐車場だ。世の中にはもっと高いところもあることだろうが、おそらく全国平均で考えれば三万円は高いに違いない。それはさておき、くだんの駐車場には十五台分のスペースがある。ところがどうも最近はガラガラなのである。たまたま出掛けていて空いているのかと思いきや、いつ見ても空いている場所がある。それがなんと全体の三分の二ほどあるのだ。
あるいはわたくしの知り合いでリストラされたわけではないようだが、どうも人事異動で閑職に回されてしまったみたいな人がいる。この人は数年前に新車を購入し、意気揚々だった。しかし、今回の人事異動を機に、車を手放してしまった。この先どうなるかわからないので早めに手を打ったのだろう。賢明なことだ。

近所の駐車場の話に戻るが、理由はいろいろあるにせよ、やはり景気の悪化が主原因なのだろう。三万円の駐車場代だけでも馬鹿にならないし、その上で車自体の諸経費がなんだかんだ大きいのだ。ゆえに以前は十五台ぜんぶが駐車していたこともあったが、最近はいつ見ても半分以下なのである。

さて、こんなテイタラクで第二東名を建設する価値があるのだろうか?

一つだけ言えることは、広宣流布の暁には本門戒壇が建つ。その建立地については意見が分かれるところだが、富士の南麓という意味ではおおむね一致する。第二東名の価値が発揮されるのは、この時であろう。

ヤクザで服役三回、毎日4gの酒

今度は別の記事であるが、服役三回はまだしも四リットルの酒は凄過ぎると思う。これは身体によくないだろう。
一升酒という言葉がある。これは二リットル弱のことであるから、四リットルともなれば二升以上となる。それを毎日のように飲んでいたら身体がおかしくなって当然である。
しかも焼酎である。焼酎は日本酒よりもアルコール度数が高い。わたくしならば、せいぜい一リットルがいいところで、無理をすれば急性アルコール中毒でご臨終を迎えることになるだろう。

ちなみに顕正新聞前号にもヤクザの話が載っている。

悪事を繰り返し刑務所へ十数度

この人は酒と無縁のようであるが、次のくだりが圧巻である。

・・・四十五歳の時、やくざを辞める決意をし、「おとしまえ」として指三本を落とし、親分に「足を洗う」と伝えに行きました。
 しかし「こんな指、豚に食わせろ」と怒声を吐かれ、許しをもらえない中にも命からがら逃げ出し・・・


豚に食わせろ、とは恐れ入った。

ところで、「おとしまえ」は指を落とすことが語源なのだろうか、それと指三本が相場なのか、しかし、許しをもらえなかったようなので、三本が相場というわけでもないのだろう。よくわからんところだ。

2010/6/13

能天気は誰だ?  
千葉直樹氏よりブログの紹介をたまわった。先方はどうやら浄土真宗のようである。いったい何を目論んでいるのか知らないが、特に具体的な問題提起があるわけでもなさそうなので、この件はこれで終わりにしようかと思う。

山門入り口氏のコメントを拝見して気がついた。この人は食べ物に関して造詣が深いのだ。以前にも何度か料理のことでコメントをもらったことがあるが、その時のことを思い返しても、確かに詳しかった。
今回は竹の子であるが、無知のわたくしは顕正新聞の写真を見て、これくらいが食べ頃なのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、違うらしい。
あれでは、もう大きくなり過ぎて、時期を失しているらしいのだ。極端に言えば、竹の子ではなく、竹になってしまっているわけなのだろう。さすがに竹は食べたくない。歯が悪くなりそうだ。

ところでnabe氏のコメントであるが、買い被ってもらっては困る。愚鈍のわたくしにそのような謎解きは無理というものだ。

あるいは顕正会の不透明性を暗示しているのかもしれない。そうだとすれば、この件に関しては『迷走する顕正会を斬る』に詳しい。以下、代表的な記述を紹介しよう。

 なお責任役員の名は、所轄の文部科学省に情報開示請求しても、判読できないように塗り潰されて開示される。個人情報保護のためだそうである。したがって顕正会本部が開示しない以上、顕正会の責任役員が誰であるか、一般会員は知り得ない。顕正会が邪宗・宗教屋と貶める他教団でも、そのような不透明な教団組織は稀である。

さて、いよいよ顕正新聞第1173号に取り組もう。当該号のメインは五月度総幹部会である。

150万は明年達成、大事の200万も眼前

会長講演の大見出しの一つであるが、いかがなものかと思う。これを皮算用と言うのだ。
確かに今のペースでも、明年の百五十万は可能なのだろう。しかし、二百万はいつになることか、先生の気分からすれば、あるいは願望からすれば、まさに眼前なのだろうけれども、現実にはかなり遠いところにある。
あと十二年で三百万というフレーズもそろそろ使えなくなってきた。もし八月になっても、あと十二年などと言っていたら、確実にツッコミが入ることになる。つまり、あと十一年なのだ。そして明年の秋には、あと十年となる。今の失速気味の顕正会において、はたして三百万が可能なのか、ヘタすると二百万すら危ういのではないか、という気がしてならないのだ。
今回の講演でも、客観情勢を云々している。すなわち、二百万でも客観情勢がその必要を迫るならば顕正会は立つ、ということである。
わたくしは思う。客観情勢がその必要を迫るのならば、いつでも立つべきであると。もし力がないことを理由に立たなかったならば、それこそインチキであることを自ら証明しているようなものだろう。二百万だとか三百万はまったく関係がないのだ。
むしろ今回の講演を穿って見れば、すでに三百万の実現すら困難であることを悟って、巧みに目標設定を変更しているとも受け取れるのだ。

「国土乱れて後」必ず広宣流布は実現

今回は法華取要抄を依文として、広宣流布の前には必ず一閻浮提の大闘諍があることを強調している。まさにこれは浅井先生の年来の持論であり、御書を根拠にしているので、なかなか手強いところだ。

「国土乱れた後…」

しかし、なぜに小見出しにおいては、ご覧のごとく表記しているのか、それがわからない。単なる誤植か、それとも何かしらの意図があってのことか、そこがわからないのだ。ちなみに漢文体の御書の場合、どのように読み下すかが一つのテーマとなる。ゆえに顕正会では、「乱れて後」ではなく「乱れた後」と読ませる、ということもあり得ることだ。しかし、そうであるならば前回の「叶い叶わぬ」同様に、すべての表記を「乱れた後」に統一すべきであろう。

能天気な鳩山首相

浅井先生は、今は前首相となった鳩山氏に対して、辛辣である。しかし、今回の顕正新聞六月五日号は、ひじょうに間が抜けた印象がある。なぜならば首相が交代してしまったからだ。
先生は鳩山首相の辞任を予期できなかった。総幹部会は五月二十四日に行なわれたので、もちろん止むを得ないところではあるが、しかし、以前より五月末の決着を謳っていたことを踏まえれば、鳩山氏が辞任してもおかしくない状況だったのだ。
ところが会長講演にはその片鱗すら書かれていないわけで、当面は鳩山政権が続くものと思い込んでいたフシがある。しょせんは凡夫ということである。

この点を逆手に取って揶揄すれば、能天気な会長講演となるだろうか?

それはさておき、最後にどうしても書かなければならない大事なことがある。同じく会長講演であるが、次は本文からの引用である。

 そして、ひとつ断わっておきますが、「四条金吾殿御返事」の講義録のこと。四月に冊子として発刊する予定でありましたが、遅れております。しかし六月には必ず出来いたします。
 実は、どうしても書かなければならぬ大事な文書がありました。長文なので四月・五月はそれに忙殺され、心ならずも遅れたのです。六月には必ず発刊いたします。


御書講義が行なわれたのは二月のことだ。何をやっておるものかと思う。これで実質、半年に一回の御書講義であり、もし本年後半に講義がなければ、一年に一回だけしか行なわなかったことになる。昔は月例行事だったものが、今では年に一回の行事ということになるのだ。

それはともかく、講義録がなかなか出来しないことの理由が問題である。

そもそも講義はすでに終了しているのだから、それを書籍化するのはいわばスタッフの仕事のはずなのだ。歌手がレコーディングを行なうのと同様である。音声を録音してしまえば、歌手の仕事は終わりなのだ。あとはそれぞれの専門家が音の調整だとか、いろいろなことをするのだろう。
今回の会長講演は顕正会には人材がいないことを証明しているようなものだ。もしくは、なんでもかんでも自分がやらないと気が済まないという浅井先生の性分ないし性癖を自ら証明しているようなもので、しかも意味不明の言い訳をしているわけだから、ひじょうに見っともないことである。
つまり、なぜ発刊が遅れているのか、その理由が不透明であり、受け取り方によっては会員を馬鹿にしているようも感じられるところなのだ。

どうしても書かなければならない大事な文書とは何か?

この点の具体的な内容がまったく明かされていない。もし、いずれは日の目を見るのであれば、納得できなくもない。何しろ浅井先生の場合、今はまだ話せないけど時が来たら必ず話す、というようなことが多過ぎるのだ。ゆえに、今回もまた何のことだか不明のまま、いたずらに時が過ぎてしまい、すっかり忘却の彼方に追いやられてしまう可能性が大なのである。

繰り返しになるが、クギを刺す意味で書いておこう。

どうしても書かなければならない大事な文書の内容、最低でもその概要を、明かさないでいること自体、馬鹿にした話である。これがまず言えることであり、さらに次のステップがある。いつになるか不明だが、その文書とやらが公開されるかもしれない。さて、はたしてその内容たるや如何、ということなのだ。

つまり、会員たちがそれを読んで納得するかどうか、なるほど浅井先生がおっしゃっていた大事な文書とはこのことだったのか、これは凄い文書だ、という具合に会員たちが納得するかどうか、なのである。客観的に御書の講義録よりも重要度が高くなければいけないし、かつまた、今どうしても書かなければいけないという必然性がなければいけない。

まさか、あからさまに不平不満を言う会員はいないだろうけれども、上記の条件を満たしていなければ、会員の心はますます離れて行くことになるだろう。生意気を言うようであるが、ある意味ではわたくしが会員の気持ちを代弁しているわけである。

2010/6/9

駄文の見本  
大沢克日子氏は千葉の人で、職場は東京らしい。顕正会員時代は主に本部会館に参詣していて、平日は早朝勤行に出てから職場に向かったという。千葉と言っても広いので、具体的な道筋についてはまったく見当がつかないけれども、単純に考えて千葉から埼玉経由で東京に行くのは遠回りである。つまり、熱心な活動会員だったわけだ。

実際、活動会員の多くは、通勤・通学の定期券とは別に、もう一つ定期券を持っていたりする。それは申すまでもなく、参詣用である。たぶん、創価学会や法華講には、このような慣習(?)はないだろう。この辺が顕正会の恐れられている点でもあると思う。
あるいは車で参詣している人の場合、本部会館の近くに月極の駐車場を借りていたりもするのだ。単純に、参詣ごとにキップを買うとか有料駐車場に入れるよりも、経済的だからであろう。ようは、それだけ頻繁に、年がら年中、参詣しているわけなのだ。
また、ある意味では環境作りなのだろう。せっかく定期券を買っても参詣しなければ、ムダだからである。つまり、自分から意識的に活動せざるを得ない状況を作り出しているのだ。

もちろん、この慣習であるとか環境作りが、自然発生的なものなのか、あるいは本部のほうでそのように仕向けているのか、この点は何とも言えないところだ。

さて、話は変わる。

叶ひ叶はぬは御信心により候べし。

日厳尼御前御返事の一節だが、さすがはnabe氏だと思った。即座に適切なコメントを返せるのは、日頃の研鑽のタマモノであろう。

実は前回、顕正新聞第1172号の一面にイチャモンをつけた。一面だけで三つも問題が存すると。

その第一が、「叶い叶わぬ」だった。

わたくしはこれに異議を唱えた。これは間接的ながらも大聖人にイチャモンをつけたような格好である。何しろ物凄く違和感があると書いてしまっているのだから、オマエは大聖人に文句を言っているのか、という反撃を食らっても仕方がないところである。
いちおう、釈明をしておこう。いつも言っていることだが、現代国語としてどうかという問題なのだ。もう何年も指摘しているごとく、浅井先生は「始めて」を多用する。これは大聖人の用語例に倣ったものだと思われるが、現代国語としては適切ではない。
むしろ先生のやり方は中途半端ではないか。御文は「叶ひ叶はぬ」となっているのだから、もし御文に忠実たらんとするのであれば、そのまま表記すればいいのだ。ところが、なぜか仮名遣いだけは現代表記に直している、ここが中途半端なところだ。

さらに、もう少し大局的な意味から言わせてもらえれば、いわゆる世界広布の問題にどのように取り組むか、そこが先生にとって最大の弱点だと思う。創価学会はもちろんのこと、おそらく今は日蓮正宗においても御書の翻訳について、さまざまの取り組みを行なっていることだろうと想像されるが、おそらく顕正会はこの点で大幅に後れを取っていることだろう。もはや完全な周回遅れであり、挽回することは困難を極める。
わたくしは外国語にまったく無知であり、偉そうなことは言えないけれども、古文を外国語に翻訳する場合、おそらくは一度現代語に翻訳して、さらにそこから翻訳するのだと思う。つまり、世界広布を視野に入れて、御書の翻訳をするつもりならば、まずは現代語訳が必要であり、それもきわめて精度の高いものが要求されるわけなのだ。
ところが顕正会は御書全集の刊行すら実現していない。いわんや現代語訳をや、いかにいわんや外国語版をや、である。

浅井先生は日本の広宣流布を云々することが多い。もちろん、それ自体は間違いではないけれども、しかし、先生の性向からしてこれは自己中心的な発想に他ならないだろう。おそらくは先生も外国語は苦手なのだと思う。だから、その方面には思考が及ばないのだ。自分は苦手であっても得意の人がいればその人に任せればいい。しかし、先生はそれができないタイプなのだろう。もっとも日本の広宣流布にしても、現実にはまだ程遠い状況であるからして、世界広布のことなど考える段階ではないとも言えるかもしれない。顕正会では創価学会が世界広布を云々すると、まだ日本の広宣流布が終わってもいないのに・・・などと反論めいたことを言う。確かにそれはそのとおりだけれども、現実問題としては創価学会のほうが世界広布に近い場所にいる。もちろん、法の正邪を別にしての話だが・・・

話が長くなった。

さて、二番目の問題はどうだろう。六万法蔵の問題である。これは単純なミスなのか、それとも先生のことだから何かしらの裏付けがあるのか、残念ながら不明である。

そして、いよいよ竹の子ヤラセ写真疑惑である。

山門入り口氏にしては、めずらしく顕正会に対して甘いコメントである。わたくしとは微妙に意見が異なるけれども、石を動かしただろうことは氏も認めるところである。ただし、氏の場合はそれを大した問題ではないとしている。ようは体験発表や活動報告の中に、もっと深刻なヤラセがあると考えているごとくである。

論より証拠、という言葉がある。百聞は一見に如かず、とも言う。

ヤラセ登壇の場合はその論証が面倒臭い。たとえば先日、ナイフを三十本隠し持っていたという体験発表を紹介した。わたくしはこれをウソ臭い話だと書いたけれども、ウソかマコトか、それを証拠立てて説明することはしなかった。単に、せいぜい二・三本が現実的だろうと書いただけである。つまり、ウソ臭いというのはわたくしの感想を書いただけであって、ウソであると断定したわけではないのだ。ゆえに本当に三十本を持ち歩いていたのかもしれないし、逆に真っ赤なウソかもしれない。拙稿ではそこまでの追求をしなかったわけで、あとは読者がどのように感じるか、それだけの話である。

今回の場合も、もし真実を追究したいのであれば、今からでも本部会館に出掛けて行って確認すればいいことである。当然、竹の子は成長している(もしくは採って食べちゃった?)だろうから、写真とは様子が違っている。しかし、石というものは基本的に不動である。そういうわけで、現地に行けば何かわかるかもしれない。

いずれにしても文章による体験発表などよりは遥かにわかり易い。それが今回の竹の子ヤラセ事件であろう。あれ? いつの間にか事件になっているぞ? まあ、それはどっちでもいいだろう。ともかくわたくしの目にはくだんの写真が不自然に見えてならないのだ。

相変わらず冗長である。これだから宿題が溜まる一方なのだ。

部長 2

隊長・支区部長 3

総支隊長補・支区長補 3
 
支隊長・総班長 4

班長 2

組長 4

平会員 6


前に、平会員の登場回数について書いたことがあるが、今回の顕正新聞は最多記録更新である。

もはや追いつかないので、この中から一つだけ記事を紹介して終わりにしたいと思う。男子部総支隊長補の活動報告に次の文章がある。

 その教授を折伏した際、教授は
 「皇居内の図書館で、日本の歴史や古い書物を写し、勉強するために中国に持ち帰っている」と驚くべき行為を口にし、また中国から日本に来る時のパスポートには色分けされたランクがあり、教授の持つパスポートの場合、皇居内に自由に出入りすることも可能と語っておりました。
 皇居内に中国の一大学教授が自由に出入りし、そこに保管されている書物を写して国外に持ち出せるとの発言に、「皇居内を自由に出入りでき、書物を自由に閲覧できる者が、日本国内に一体どれほどいるのか」と思っては、中国の対日工作の深さに驚きを禁じ得ませんでした。


わたくしの言いたいことはただ一つ、なんだ、この冗長な文章は、ということだ。

2010/6/6

ヤラセ写真疑惑  
わたくしもそろそろ老化が始まったものか、どうも最近は作業がはかどらなくなってきた。ブログの更新が追いつかないのだ。つまり、ネタはたくさんあるのだが、それを消化し切れない。どんどん溜まる一方である。

大沢氏からコメントを二つ頂戴しているが、大事な部分だけ再掲したい。

日詳上人御書写の(私の記憶が正しければ)御信徒・浪速某殿宛常住御本尊

現在の本部会館安置の御本尊について、わたくしは何一つ詳しいことを知らなかった。大沢氏によれば、ご覧のごとくである。あの御本尊はかなりの大幅であるが、個人授与なのだそうである。

大沢氏のコメントについては、失礼ながら、これにて終わりにしたい。

次に水無月氏からのコメントであるが、きわめて内容の濃いものである。これまた大幅に割愛させてもらうことをお許し願いたい。

逆に、登壇原稿作成のネタ切れで、自分たちが常日ごろ会員に行わせていることをあたかもを学会がしているように「偽装」しているようで、哀れに思います。

これは結論部分である。総じて言えば、くだんの記事は虚偽である、というのが水無月氏の主張するところであり、氏の説明はそれなりに説得力がある。わたくしは未成年者の折伏において、顕正会も創価学会も似たり寄ったりではないか、と書いたわけだが、一つだけ重要な点を見落としていた。

「入会」イコール「御本尊授与、ご安置」という信仰上の重要な過程が待ち受けている

ようするに顕正会と違ってハードルが高いわけで、この点では創価学会のほうが厳格だということらしいのだ。

確かに顕正会の折伏はデタラメである。結局、入信勤行をして入信報告書を提出すれば成果になるという、いわばそれが目的化してしまっているからダメなのだろう。もし顕正会も入信即御本尊授与であれば、格段にハードルが上がることになって、デタラメが通用しなくなるに違いない。まあ、しかし、いずれにしてもこの件に関しては法華講員のほうからツッコミが入ることになるので、これくらいで話を切り上げておこう。

さて、いよいよ顕正新聞である。今回は第1172号であるが、これは五月二十五日号のことだ。実はすでに六月五日号が到着しているのだけれども、まだ読んでいないので取り上げようがない。冒頭に、更新が追いつかない、と書いたのはこのためである。

成仏の叶い叶わぬは信の有無による

そら、きた!

おそらくは本部の首脳たちが小躍りしているのではないかと思う。巌虎のことだから、絶対にツッコミを入れてくるに違いないと。

これは一面の大見出しの文章であるが、わたくしには物凄く違和感がある。いつものごとく、文法的にはわからない。文法以前に、直感的におかしいのではないかと思わざるを得ないのだ。気がつかない人もいるかもしれないので、再掲しよう。

叶い叶わぬ

どうだろうか?

わたくしの言語感覚からすると、ここはどうしても納得がいかないのだが、しかし、どうも浅井先生はこの言い回しにコダワリがあるらしく、驚くべきことに第一面にはこのフレーズがたくさん出てくる。見出しを含めると四回も出てくるのだ。つまり、先生としては、これでいいんだ、と言いたいわけなのだろう。

わたくしは文法に疎いので自信がないのだけれども、「叶う叶わぬ」でいいのではないだろうか?

あるいは文語と口語には違いがあるので、普通に口語で表現すれば「叶う叶わない」となるはずだが、それが文語になると変化するのだろうか?

以下は修正案の一例として、巌虎流の文体で書いてみる。

成仏が叶うか叶わないか、それは信心の有無による

まあ、これは極端にしても、原文にちょっと手を加えれば、次のごとくなる。

成仏の叶う叶わないは信の有無による

さらに原文に近づければ、

成仏の叶う叶わぬは信の有無による

となる。

確かに、「叶う叶わぬ」の音というか、言い回しがやや耳障りにようにも感じられるところだ。さりとて、「叶い叶わぬ」が好ましいとも思えないのだが、ともかく、ここは他の人の意見も聞いてみたいところだ。

 一方、提婆達多は頭がよかった。六万法蔵といって、釈尊の説いた経典のすべてを暗んずるほどであったが・・・

さて、ツッコミ第二弾である。

この説明は間違っている。さすがに大意を失するほどの大間違いというわけではないけれども、わたくしは側近の幹部たちに言いたい、何をやっておるものかと。

開目抄の最初のほうに、外道についての説明がある。中略すれば次のごとくだ。

 二には月氏の外道、・・・六万蔵あり。

さらに光日房御書がわかり易いだろう。

提婆達多は阿闍世王の本師なり。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそらにして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡に向かふがごとし。

つまり、六万蔵と八万蔵の違いである。ちなみに、当該記事は二月十四日の日曜勤行の指導であり、その時の拝読御書は三三蔵祈雨事である。御書の本文が六万蔵となっている以上、この線に沿って説明をしなければならないが、あえて大胆な推測を交えて書くならば、ここは八万蔵の誤記である、という説明の仕方もあるだろう。

以下に修正案を示しておく。

一方、提婆達多は頭がよかった。ここで大聖人は六万蔵と御認めでありますが、おそらくは八万蔵のことでしょうね。提婆は八万法蔵、すなわち釈尊の説いた経典のすべてを暗んずるほどであったが・・・

しかし、これはいちおうの辺であって、おそらくは六万蔵でいいのだろう。この理由については煩瑣になるので別の機会に述べたいと思う。

最後に、顕正新聞をお持ちでない人には恐縮だが、けっこう面白いネタだと思うので書いておきたい。

石にも屈せず伸びる竹の子。志念堅固の仏弟子もまた……

当該新聞には竹の子の写真が載っているのだが、わたくしはこれをヤラセ写真ではないかと睨んでいる。

ようするに両側に石があって、それに挟まれた格好で竹の子が伸びている。これを石にも屈せず云々と説明しているわけだ。わたくしの見るところ、左側の石は最初からそこにあったのだろう。しかし、右側の石がいかにもアヤシイのだ。

これも諸氏のご意見を伺いたいところだが、いちおう、わたくしの所見を書いておこう。
まず、石が不安定に見える。別のところから持ってきて後から置いたのではないか。竹の子に寄りかかっていることと、石が浮かび上がっているように見えること、それが疑惑の理由である。
さらに言えば、石の表面の汚れ具合が不自然である。雨だれ石を穿つではないが、左の石は露出部分が雨でキレイに洗われたようになっている。ところが右の石はあたかも今まで裏返しになっていたと思わせるような汚れ方をしているのだ。
もう一点、どういうわけか竹の子と右側の石との隙間部分だけ枯葉がない。他のところにはビッシリと枯葉が詰まっているにもかかわらずである。おそらくは後から石を置くに当たって、なるべく自然に見えるようにいろいろ石の向きを変えたりしたのだろう。あるいは安定をよくするために多少の地ならしをしたのかもしれない。その時にウッカリと、枯葉を元に戻すのを忘れてしまった。わたくしにはそのように見えるのだ。

2010/6/5

スパイ活動の必然性  
昨日の朝、ユタ氏からコメントを頂戴した。退転済という表現についてはよくわからないのでパスさせてもらうが、前回の補足をすれば、一度は顕正会の活動に熱中したことのある人、このような人が完全な活動停止状態に至れば、それを退転中と呼ぶ、これが顕正会における一般的な使い方だと思う。これに近い表現としては、おそらく化石が挙げられるだろう。厳しい幹部であれば、いわゆる化石状態の人を退転中と表現したりするかもしれない。あるいは戦列から離れるという表現もよく使われるところだが、これも退転中の範疇に入るかもしれない。かつて退転状態だった人が、そこから這い上がって、自ら活動報告や体験発表の中で語る場合もある。以上のごとく、退転中の意味は使う人によって、ちょっとずつ違っていたりする。ちなみに顕正会から法華講へと移った人については退転中とは言わないだろうから、この場合は単に退転と表現することになると思われる。しかし、法華講員に言わせれば、チャンチャラおかしな話だろう。

さて、次は顕正新聞第1171号からである。

どうにもならなかった嫁との確執

この人は昭和五十五年に入信し、現在は婦人部総班副長である。つまり、嫁と姑の問題であり、これはある意味では永遠のテーマみたいなものであろう。特に顕正会の場合、片方が信心大反対であるとか、あるいは退転中だとか、そういうことで余計に話がこじれることになりやすい。とりわけ、信心に熱心なあまり追い出されてしまったという嫁側の話が、今は具体例を挙げられないがけっこうあると思う。

しかし、この話は逆に姑のほうが思い悩んでいるわけで、ちょっと事情が異なるようである。いや、実はちょっとどころではなく、かなり特殊なケースかもしれない。

母  婦人部総班副長
息子 男子部支隊長
嫁  女子部班長


なんと、家族そろって顕正会員なのだ。しかも役職が示すごとく、いずれも活動会員である。

こうして見ると、この人の悩みは贅沢な悩みなのかもしれない。もっと過酷な状況に置かれている嫁姑の人たちがたくさんいるはずだからである。しかし、人の悩みというのは客観視しても意味がないというか、傍目には大したことなくても本人が切実に悩んでいるのであれば、それはそれで深刻なことなのである。

結論的には問題が解決した。だから体験発表をしているわけなのだろう。しかし、わたくしはここに顕正会の構造的な問題を垣間見るのだ。

彼らは全員が熱心な活動会員であり、本来ならば家族で和気あいあいと信心に励める環境にあるはずなのだ。ところが顕正会は成果至上主義であり、いつも誓願に追いまくられている状態である。ゆえに、家族でありながらお互いがライバルでもある。それが高じればギクシャクするのも当然だろう。つまり、実態としては単に嫁姑の問題だけでなく、熱心な活動会員ほど家族の関係が悪化しているケースが少なくないのだ。それも会員非会員ではなく、いわゆる一家広布が実現しているにもかかわらず、それでいて関係が険悪になってしまっているのだから、困ったものである。

もちろん、具体的な事例を挙げることは難しい。おそらく上掲の話は、その氷山の一角だろうと思う。

次に女子部総班副長の話を紹介しよう。この人は平成七年入信で、十一年から本格的に御奉公を開始した模様である。娘さんの病気について体験発表しているわけだが、わたくしは別のところに注目した。

平成十五年には現在男子部隊長としてご奉公する夫と結婚し、二年後には本部会館から車で十分ほどの所にマイホームを購入・・・

先ほどの話も男子部支隊長と女子部班長の結婚だったわけだが、これもほぼ同様の話であり、オマケに住宅の購入までしたというのだから悪い話ではない。

わたくしはこれを読んでいて、『迷走する顕正会を斬る』を思い出したのだ。

 長期的な生活設計をする余裕もなく、経済的事情と「捨て身で」「死ぬ気で」の御奉公優先から、適齢期の青年で家庭を持てない者も多い。

これは第一章の記述であるが、第八章には次のごとくある。

 一度それを真に受けてしまえば、長期的な人生設計などは意味を持たず、刹那的にならざるを得ない。巨大地震が迫っているとリアルに感じる人が、住宅を持とうとするだろうか。

いつも書いていることだが、顕正新聞に悪い話が載ることはない。ゆえに新聞だけで顕正会の実態を把握することは困難であり、本来ならば地道に実地調査をするしかないのであるが、櫻川氏の記述によれば、かくのごとしである。

最後に、創価学会のスパイだった人の記事を紹介して、今日は終わりにしたい。

この人は十六歳で創価学会に入信したそうだ。つまり、家族とは無関係に、自分だけが入信したらしい。それが平成十二年のことだ。すると、創価学会もいわゆる折伏活動を熱心にやっていて、未成年者でもどんどん入信させていることになる。顕正会は未成年者ばかり狙っているからケシカランなどという批判があるけれども、創価学会も似たり寄ったりということになりそうだ。

 また父の通夜のときには、学会の先輩から学会活動を優先にさせられ通夜に行かせてもらえず・・・

これが事実だとすると、創価学会もずいぶん非常識である。もし、これが顕正会の場合だったら、父の通夜=邪宗の葬儀という観点から、謗法与同になるから行くなというような指導があるかもしれない。一方の創価学会の場合は、単に葬儀よりも活動のほうが重要であるという、まるで根拠のないデタラメさが際立つところだ。あるいはそのような印象付けをするための作為がこの記事にはあるのかもしれないが、わたくしには確かめようのないことである。

 実は私は以前から、顕正会以外にも幸福の科学・キリスト教・イスラム教等に偽装入信し、情報を学会に提供するという活動をさせられており、その情報の重要度により、一万円〜七万円のおカネをもらっていました。

これもウソかホントか確かめようがないけれども、正直なところ、ウソ臭い話である。

かつて妙信講には創価学会のスパイがたくさん潜入していた。これは先の『迷走する顕正会を斬る』にも書かれているし、他にも証拠があるので事実なのだろう。だが、しかし、今の顕正会に創価学会のスパイがいるとは考え難いことである。
理由の第一は、いったい何を知りたいのか、今さら顕正会の内部事情など知りたくもあるまい、ということである。
もう一つの理由であるが、今は妙信講時代と違ってスパイの潜入が難しくなっている。いや、ただ単に顕正会に入るだけならば、何の雑作もないことである。しかし、今の顕正会はそれなりに組織が大きくなっているので、そう簡単には上層部に食い込めない。末端の顕正会員など何も知らないに等しい。つまり、顕正会に入っただけでは大した情報をつかめないのだ。それではスパイの意味がない。

それと一万円から七万円というのが悩ましい。いったい誰が値段を決めるのか、そこが気になる。プロの情報屋であれば、自分から値段を提示することだろう。これは取って置きのネタだから安くは売らない、百万でどうだ、という感じだと思う。しかし、くだんの話ではレポートを書いて先輩に渡すということらしい。その上で、先輩かさらにその上司かは知らないが、報酬金額を決めるわけだろう。七万円もらえればラッキーだが一万円ではガッカリである。あるいは、こんなのゼロ円だ、という場合もあるのだろうか?

以上のような理由から、わたくしは現在における創価学会のスパイ活動の必然性、とりわけ顕正会に対するスパイ活動にはほとんど意味がなく、彼らが本気でそのようなことをやっているとは思えないのである。


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