2010/7/28

猛暑大爆発  
恒例の大沢沖浦問答が始まったごとくであるが、わたくしはわたくしで別の道を歩もうかと思う。顕正新聞第1177号から、まずは顕正会側にとって好ましい話を紹介しよう。

四月三十日入信の男子部組長の体験発表であるが、これは六月度班長会の記事であるから、この人は二ヶ月弱で組長に抜擢されたことになる。スピード出世だ。

横浜の山下公園で樹の枝に縄まで掛けましたが、死ぬ勇気が出ませんでした。

ご存知の人も多いだろう、山下公園は横浜の観光名所であり、物凄く賑やかなところなのだ。そこで首を吊る人もめずらしい。昼間ならば人に止められる可能性が高い。本気で死ぬつもりならば、別の場所を選ぶべきだ。

それはともかく、この体験発表では上掲の続きの部分で紹介者と知り合って、折伏されたことを書いている。いわば九死に一生を得たような話の構成なのだろう。しかし、それがかえって誤解というか疑惑を生じさせている意味もあると思う。すなわち街頭折伏の疑いである。
ご存知のごとく、顕正会では街頭での折伏を原則禁止としている。さまざまのトラブルを誘引し易いからである。ゲームセンターでの折伏が逮捕事件に発展したこともあった。
しかし、この場合は死のうとしていた人を助けたことになるので、むしろ称賛すべき行為に当たるのかもしれない。それにしても、まさか自殺志願者ばかりを当てにして折伏しているわけもないだろうから、やはり問題があるとしなければならない。

ちなみに紹介者は七十二歳の男子部班長という。ゲームセンターでの折伏は似合わない。二十歳前後から、せいぜい三十代前半くらいが限界だろう。すると七十二歳の班長にとっては、公園が活動の舞台なのかもしれない。

六月の日曜勤行には七名の組員と参加

凄いと思う。なぜならば四月三十日に入信したばかりだからだ。しかもである。続きの文章には、現在七名の折伏弘通が叶っている、と書かれているのだ。つまり、入信者全員が日曜勤行に参加していることになる。スピード出世も当然であろう。

18年間大反発の父 ついに入信

原文とは表記の仕方を変えさせてもらったが、女子部総班長の体験発表の見出しである。

顕正会では家族が反対しているケースが、掃いて捨てるほどある。一家広布が実現しているのは、ごくわずかだと思われる。何しろ活動者本人が退転してしまうことだって少なくないので、家族の入信などはなおさら確率の低い出来事である。
そうした中で、マレには十年越し二十年越しで家族の入信を叶える人もいるわけで、今回の記事もその一例である。
ともかく凄いことだ。上に書いたごとく、本人が退転してしまうことも少なくない。櫻川氏によれば、平均すると五年で退転しているのではないか、という。
ゆえに、くだんの記事は二つの意味で凄いのだ。本人が十八年間も信心を続けていること、そして父親を入信させたこと、である。

漠然とした印象であるが、この手の発表者は女性が圧倒的に多いと思う。おそらくデータを集計すれば、わたくしの読みどおりの結果が出るだろう。

さて、今度は批判である。

一面の記事はまたしても日曜勤行である。それは仕方がないにしても、浅井先生の写真がずっと同じであることが気に入らない。いつまで使い続けるか、今後も注目したいと思う。

正しき団体・顕正会の存在が、池田大作崩壊の日を早めていることを大確信しました。

これは女子部第十九区長の記事であるが、池田大作崩壊とは凄い表現である。普通は人物に対して崩壊などと言わないものだと思う。それはともかく、『迷走する顕正会を斬る』には次の記述がある。

池田大作氏の宗門追放が実現したのは、十六年後の平成三年である。宗門追放まで十六年間の猶予を池田会長に与えたのは、浅井理事長である。

意味がわかり難いとは思うが、ようするに昭和四十九年あたりから宗門と創価学会の関係がギクシャクし出して、いよいよ破門寸前かという事態に陥った。あろうことか、その関係修復の手助けをしたのが浅井先生であると、このように櫻川氏は見ているわけである。早い話が、妙信講が暴れ出したので、宗門と創価学会は喧嘩をしている場合ではなくなった、当面は妙信講を抑えるために協力し合わないといけない。

実際には浅井先生一人に罪を被せるのは酷な話だろう。ある意味、これは過大評価とも言えるかもしれない。浅井先生の影響力がそこまで大きかったのかどうか、これは検討の余地があると思う。

さりとて区長に軍配が上がるわけではない。浅井先生が池田氏の亡びることを言い続けて何年になるか、それを考えれば区長の大確信など、たちまちに崩壊してしまうことだろう。

最後に納豆特集について申し上げる。顕正新聞では四回にわたって納豆の特集記事を掲載した。このこと自体は評価できることだ。しかし、わたくしの要望には応えてくれなかった。そこが残念だ。すなわち納豆とキムチの食べ合わせについてである。

ぜひとも次の機会には取り上げてほしいものだ。

それと値段のことであるが、芙蓉茶寮で販売している納豆は一パックで八十円という。わたくし的には高いと思うが、どうなのだろうか?

何しろ普段は、三パック百円の納豆を買っているからである。

2010/7/27

猛暑爆裂  
今日は顕正新聞第1177号から話題をピックアップする。六月度班長会の記事には、浅井先生は特別なお方である、という意味の登壇が多い。もちろん、これは今に始まったことではないのだが、とりわけ今回はそれが顕著のように感じたので、書いておこうと思う。

第六婦人部長の記事が典型的であろう。はっきり言って、うまいと思った。今の顕正会のトレンドは、二月の御書講義の講義録と水戸会館での会長講演であるが、彼女はこの二つをうまく融合させて、一つの結論を導いている。

まず、講義録のほうであるが、仏法の弘まる時には要所要所において大使命を持った御方が出現する、という意味のことが書かれているらしく、それを受けて次のごとく書いている。

 そしていま末法に久遠元初の御本仏が御出現あそばされ、事の広宣流布を実現あそばす雄大な御化導の中にも、大使命を有するお方が出現されることは必然であることを大確信しました。

なぜか直前の文章では「御方」とし、ここでは「お方」と表記している。その真意はわからないけれども、すでに話の帰趨は見えただろう。浅井先生を大使命を有するお方であると言いたいのだ。

これは壮年部副部長の文章のほうが、よりいっそう直截でわかり易い。

 私自身、この御入仏式の指導と四条抄講義録を通して、思ったことは、正系門家の危急存亡の時には、大聖人様のお力により、必ず偉大なお方が出現されるとの不思議でした。

浅井先生は水戸会館における講演で、日霑上人の御事績について紹介している。幕末から明治の初めにかけて廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた、そういう激動期に猊座に就かれて正系門家を守られたのが日霑上人であるという話を、かなりの紙数を使って説明している。ほんの一部であるが、以下に引用しておこう。

 日霑上人は幕末から明治にかけての、日本も宗門も激動期の時代に、正系門家をお守り下さったまことに英邁な貫首上人であられる。実に三度も貫首をお努めになられたのです。それというのも、日霑上人でなければ乗り切れない、そのような難局がたびたびあり、それで三度もご登座されたのです。三度目は御年六十九歳のときですよ。

余談ながら最後の一文が興味深い。まるで自己弁護のような記述である。明治時代の六十九歳は、今の八十や九十に相当するかもしれない。であれば、先生が今も第一線で活躍していて不思議はないことになる。

それはともかく話を戻そう。

壮年部副部長にしても第六婦人部長にしても、正系門家が危急存亡の時には大使命を有するお方が出現する、現代においては浅井先生こそが大使命を有する偉大なお方である、という認識に立っている。その理由は御遺命を守護し奉ったからということである。

これを法華講員が読んだらどう思うか、それが心配だ。あるいは少し冷めた目線の、消極的な会員たちが、いったいどのように感じているか、そこが気になるところである。

わたくしが真っ先に思い浮かんだのは、経本のことである。顕正会では御観念文に日霑上人の御名前を記している。通常、歴代上人の御報恩は時間的な制約もあってか、上代の何人かの上人を読み上げて、後は省略することになっている。顕正会ではそこをあえて「乃至日寛上人・日霑上人等・・・」として、現宗門との違い(?)を見せている。
おそらく、このこと自体は決定的な間違いとは言えないと思う。しかし、これと今回の班長会などの各種登壇とを思い合わせると、ひじょうにマズイことになってしまうのだ。
浅井先生は日寛上人や日霑上人と肩を並べるほどの偉大なお方である。さすがにここまではっきり言う人はいないだろうが、道理の指し示すところはこれに異ならない。

さて、最後は壮年部副部長の言葉を引用して、いくつか思うところを述べて終わりにしたい。

 かかる仏力の偉大さを知れば、国立戒壇を抛った現在の濁悪の宗門に日目上人がご出現あそばし、その日目上人に先生がすべてを御報告される日も甚だ近しと思わずにはいられず、ただ胸躍る思いであります。

この人の胸躍る思いが本物であればいいと思う。しかし、非現実的な話であり、まさか本気でワクワクしているはずがなかろう。まあ、本気かどうかは別の話として、首脳部の一員だけのことはあると思う。話に整合性を持たせているからだ。

ようするに、浅井先生が偉大なお方だとして、いったいどこに位置するのか、そこが問題なのである。
上掲のごとくならば、先生は日目上人の再誕ではない。これはひじょうに重要なところである。しかも上人に御報告するというのだから、己れのブンザイを弁えているのだろう。おそらくはあくまで在家の身として仏法守護の使命を担っているつもりなのだろう。
つまり、わたくしが上に書いた、日寛上人・日霑上人に肩を並べる、というのは誤解なのだ、そのように副部長は言いたいのだと思う。

もう一つ大事な点がある。第六婦人部長は気がついていないし、おそらくは多くの幹部がそこまで考えていないことだと思われるが、副部長はいちおう考えているごとくだ。

先生が偉大なお方であるというのは、現段階では自己宣伝に過ぎない、ということである。

法華講員あたりは誰もそんなこと思っちゃいない。いわんや、その他の一般の人たちにおいてをや、である。おそらく今のまま時間が経過すれば、せいぜい異流儀の一派として歴史に名を残すだけであろう。つまり、これを回避するためには、顕正会を理解して下さる猊下がお出ましにならないといけない。いくら顕正会の内部で偉大なお方だと言ったところで、そんなのは幼児のゴッコあそびと大差ないのだ。

副部長はよくわかっている。だからこそ日目上人の御出現を希求し願望しているのだ。しかし、「甚だ近し」は幻想に過ぎない。現状は甚だ遠しである。

2010/7/25

猛暑爆発  
今朝は久しぶりにnabe氏からコメントを頂戴したが、予定どおり櫻川氏関連の話題を取り上げたいと思う。

顕正会に対する中傷らしきものが掲載されたのは、平成一六年から一八年にいたる三年間だけです。顕正会が百万達成し、あの諫暁書が広く全国に配布された、その年から始まっているのです。

これは六月度総幹部会の会長講演である。わたくしは「三年間だけ」という言い回しが妙に気になって仕方がなかった。最後にまた触れるつもりだが、これは今にして思えば、櫻川氏に対する当てつけの意味が込められているのかもしれない。オマエの本は間違っているぞ、間違いだらけだ・・・と。

櫻川氏は『迷走する顕正会を斬る』の中で、次のごとく書いている。

 公安調査庁は、暴力で主義を通そうとするテロ組織などから、国民の安全を守る行政機関である。その公式サイトでは、平成十三年から平成十八年度にかけて名指しこそしないが、「特異集団」として明らかに顕正会と判る記述を継続している。

書籍は怖いものである。わたくしはこの記述を何の疑いもなく信用していた。まさか間違っているとは思いもしなかった。
ゆえに、くだんの会長講演を読んで疑問に感じたわけであるが、しかし、おそらくは誰だって細かい数字のことまで記憶に留めていることはマレであろう。とりあえずは大意をつかめればよしとするのが一般だと思う。わたくしとて、それは同じことだ。しかし、例の「だけ」という言い回しが妙に気になった。そのお陰で今回の問題に気がつくことができたわけである。
前々回のコメント欄には櫻川氏からの訂正文が寄せられているので確認されたい。結論として、会長講演が正しく、櫻川氏の記述は間違いだった、ということらしい。

しかし、浅井先生もどうかしている。どうせならば真正面から『迷走する顕正会を斬る』を取り上げて徹底的に粉砕すればいいものを、さすがにそれはリスクが大きいと考えているのか、まったく言及しないのである。たぶん、先生の目から見れば、あちこちに間違いがあることだろう。委細に見れば、何十箇所もあるかもしれない。わたくしも数箇所であるが、間違いを見つけた。

 宗門において、創価学会にもっとも理解があったのは堀米日淳上人であり、創価学会の功績と問題点も熟知していたと思われる。したがって、めざましく弘通を進める妙信講の存在は、宗門が創価学会を牽制する上で必要との考えが、あるいはあったかもしれない。
 ただし、堀米上人と妙信講との接点はほとんどない。講中認証と、指導教師の松本諦雄住職の師僧が日淳上人であること、この二点ほどである。


松本御住職の師僧が日淳上人?

たぶん、これは間違いだろう。松本御住職は日淳上人の弟弟子らしいのだ。書籍では確認できなかったが、かつての先生の講演でそのような意味の言及があったし、ネットにも同様の記述がある。ちなみに、年齢は松本御住職のほうが上になるのだろうか、日淳上人は昭和三十四年に六十一歳で御遷化とウィキペディアにあって、先生の書籍では松本御住職を「八十四歳の老僧」(昭和四十九年当時)としている。であれば、くだんの弟弟子というのも間違いの可能性すらある。ともかく両者は師弟関係ではなく、兄弟関係ということなので、櫻川氏の本は事実誤認ということになるだろう。

 浅井会長は、「宗教法人顕正寺」の役員になれても、代表役員になれない。五十万(当時)の会員を擁する浅井会長は、名実共に教団のトップでいたい。そのため「宗教法人顕正寺」を「宗教法人顕正会」に変更し、法人の所在地と法人規則の変更を行って、自らが代表役員となったのであろう。

これがまた、とんだ大間違いなのである。

http://white.ap.teacup.com/ganko/682.html

ずいぶん前の拙稿であるが、このコメント欄に注目されたい。水無月氏によれば、浅井先生は顕正寺の代表役員だった。ゆえに、櫻川氏の言う「名実共にトップでいたい」云々は見当違いであり、邪推もいいところである。すでに最初から名実共にトップだったのだ。

考えてみると、もし先生が代表役員でなかったとしたら誰が代表役員なのか、そこが問題である。ゆえに水無月氏の言うことが正しいのだろう。では、なぜに宗教法人顕正寺から宗教法人顕正会に変更したか、それは単純に便利だからだろう。たとえば新規に会館を建設するにしても、法人名が顕正寺であるよりは顕正会のほうが面倒がないはずである。実際問題として、会館の建設ラッシュが始まるのはまさに宗教法人顕正会になってからのことであり、今では年末ごとに明年の建設計画を発表するのが恒例となっているくらいである。

それはともかく、話を最初に戻そう。

三年間だけ・・・

わたくしがこの言い回しに注目したのは、何となく自爆気味の発言に思えたからである。

考えてみるがいい。諫暁書の配布活動が公安調査庁の目に留まったということは、それなりに一国の耳目を驚動せしめることができたという意味に当たるだろう。ようは、それが三年間だけ、ということなのだ。三年間でオシマイということである。
公安調査庁は、顕正会とは何ぞや、ということで興味を持って調べた。しかし、大したことない、放っておいても大丈夫だ、ということを三年の間に結論したわけだろう。
これはもちろん、危険な団体ではない、という意味では喜ばしいことであるが、顕正会の目指す一国広布の意味からすれば、決して喜べないことである。つまり、単に暴力的であるとか、そういう意味の危険度ではなくて、一国を大聖人の仏法に帰依せしめるという意味では、もしその勢いが本物であれば危険きわまりない団体ということになるはずなのだ。

しかし、公安調査庁はその意味においても見限った。ゆえに「三年間だけ」というのは、喜べない結果なのである。むしろ、どうせならば公安調査庁にお願いして毎年書いてもらったほうがいい。かくも顕正会の弘通は凄まじいのだ、という説明が成り立つからである。それにもかかわらず、先生は「だけ」を強調してしまっているわけだから、自爆もいいところだ。

煩瑣になるので再掲しないが、冒頭を振り返ってもらいたい。先生の講演から「だけ」を抜いて読んでみるといい。おそらくそれでも違和感はないだろう。いや、むしろ、それが自然なのだ。「三年間だけ」がおかしいのだ。

これは櫻川氏の著書を相当に意識している結果なのではないかと思う。

最後に書いておこう。櫻川氏の著書にはいくつかの事実誤認があるけれども、それによってすべてが台無しになるわけではない。将来、改訂版を出す時に修正すればいいだけの話である。本書の骨格にはいささかの揺るぎもないのだ。

2010/7/24

猛暑炸裂  
種々のコメントが寄せられているが、櫻川氏の件は次回以降に触れることにして、今日はそれ以外のコメントに対応する形で進めて行きたいと思う。

創価の信心には力があります。

わたくしの思うに、創価学会の信心に力があるのではなくて、沖浦氏個人の能力なのではないか、その能力を発揮する触媒がたまたま創価学会だったのではないか、もしかしたら他の宗教でもよかったのではないか、という気がしないでもないである。
世法上の功徳の現証は当てにならないという面も否めない。これは樋田昌志氏もよく言っていることだが、天理教だろうがキリスト教だろうが同じような体験発表をしている。仮にオリンピックのチャンピオンがキリスト教の熱心な信者だったとしたら、彼らがどういう表現をするか知らないけれども、それはキリスト教の功徳だとか利益だとか、結局は沖浦氏と同じようなことを言うのではないか?
叱られるのを承知で書けば、これは日蓮正宗七百年の歴史においても言えることだろう。もし日蓮正宗だけが唯一の正しい宗教であり、功徳ないし利益のある信仰であるならば、なぜに七百年もの歳月の中で他宗との明確な差異が生じなかったのか、という疑問を持つ人がいても不思議はないだろう。つまり、世法上の功徳は当てにならないということだ。

ゆえに、もしかしたら話が逆なのではないか、世法上の功徳というのは方便であって真実ではない、真実の功徳は凡夫の思慮で推し量れるものではない、だからこそ己れの信仰の素晴らしさを人に伝えるために世法上の努力をするのではないか、ということなのだ。

宗教の正邪を度外視した時に、確かに信仰者の多くは日常の所作振る舞いが立派に見える。いわゆる法を下げてはならないという意識が、自ずと身を律することになるのだろう。

もちろん、狂信的な教団の場合、ぜんぜん話が違ってくる。

しかし、おそらく教団そのものが狂信的だというケースは少ないはずで、一部の熱心な信者がエスカレートして、やがて狂信的になっていくのだろう。
顕正会はどうなのだろう、一部の熱心な会員が問題行動を起こしているのか、それとも会全体の傾向性なのか、この辺は微妙なところである。当然、顕正会批判を専門とする人たちに言わせれば、成果至上主義が問題行動の一因であることは動かし難い事実であるとか、その他もろもろ、会全体の悪しき体質を指摘することになるだろう。
さすがのわたくしもそれに反論するのは困難であるが、ただ一つだけ言いたいことがある。そうした中にも常識的な人がいて、所作振る舞いに気をつけながら、熱心に活動している人もいることだ。

何が言いたいか、自分でもよくわからなくなってしまった。ともかく法の正邪とはまったく別次元において、どのような教団の中にも人間的に素晴らしい人がいる。おそらく沖浦氏もその中の一人なのだろう。

件のチラシは塩を撒いて燃えるゴミの袋に入れてしまった

鬼塚小姫氏はユニークな人だと思う。塩を撒いて云々がそれだ。いわゆる清めの意味があるのだろう。顕正会のチラシだと勘違いして塩を撒いた。忌まわしい・汚らわしい、氏にはそのような意識があるのだろうけれども、わたくしであればそのままゴミ箱に捨ててしまうと思う。別に塩を撒くほどのこともあるまいということだ。年がら年中、塩を撒いているのは相撲取りくらいのものであり、一般人はせいぜい葬式などの帰りに形式的に撒くだけだ。

まるで売れないタレントの真っ白なスケジュールにでっち上げたスケジュールを入れて、タレントの尻を叩いてやる気を出させるような手口

これがまたユニークだ。

わたくしはちょっと違った角度の連想をした。超売れっ子タレントというのはその後が大変らしい。ようするに落ち目になってからのことだ。かつての栄光があまりにも輝かしいと、売れなくなってからの失意というか落胆というか、ともかくギャップの大きさに物凄く苦しむらしいのだ。わたくしにはその経験がないので想像するだけであるが、確かに苦しいことだろうと思う。一種の後遺症みたいなものかもしれない。

ここでのタレントを浅井先生に置き換えると、何となく今の顕正会の実相が見えてくるような気がする。浅井先生は数万人の熱狂的なファンを抱えたタレントであるが、今はファン離れが激しい。いわば落ち目のタレントなのだ。それを本人も自覚しているのだろう。何とかファン離れを食い止めようと躍起になっている。そんな状況ではあるまいかと思う。

大沢克日子氏いわく、

浅井会長には今後も巨大地震、経済破綻、大災害、中国の侵略…を毎回毎回言い続けてほしい

これは強烈な皮肉であるわけだが、もしこのまま上掲のような種々の災難が起きずに済めば、浅井先生のお陰ということになる。ただし、先生に感謝する人はいない。もし感謝する人がいるとすれば、それもまたイヤミな話である。

それはさておき、樋田昌志氏の動画サイトについて申し上げよう。大沢氏のおっしゃるごとく、その影響力たるや甚大なものがあると思う。何を隠そう、このわたくしもほとんど欠かさず視聴しているくらいである。

創価ニセ本尊・徹底解剖

しかし、正直に申し上げよう。ここ数日、上掲の表題で連載が続いているけれども、これはひじょうに拙速であり、荒量だと思う。ただちに中止して、今までの分も削除したほうがいい。シロウトのわたくしが見ても、あまり出来のいいものとは思えないのだ。

樋田氏はくだんの本尊を拡大した上で、あちこち不自然な部分をあげつらっている。主には、文字の線が不自然に太くなったり細くなったりしていること、あるいは不自然な掠れ具合などを指摘している。しかし、わたくしの思うに、樋田氏の側には重大なミスというか基本的な失策がある。あるいは氏のことだから、あえて隙を見せて相手を挑発しているのかもしれないが、しかし、いかがなものかと思う。

ようするに、今回のシリーズは原本との比較照合が行なわれていないことである。つまり、あくまで樋田氏の側の主観で、ここは不自然だとか、あり得ないだとか、言っているに過ぎないのだ。
ゆえに、もしも万一のことだが、樋田氏の指摘した部分が実は原本とまったく同じだった場合、早い話が樋田氏は日寛上人を批判していることになるのだ。上人の筆捌きを不自然だと言ってしまっていることになるのだ。
ことによると創価学会側が原本を出してくる可能性も否定できない。憎き樋田をやっつける絶好のチャンスだからだ。

もっとも樋田氏のことだから、あえてそこまで計算してやっている可能性もあるわけで、それを考えると創価学会側も怖くて何もできないかもしれない。

それはさておき、以下はシロウトの当てずっぽうであることをお断りして、具体的な問題に触れておきたい。

文字が太かったり細かったりする理由は筆圧の問題である。毛筆の場合、筆圧を上げれば自ずと文字が太くなって、力強い筆致になる。
樋田氏は不自然に太くなったり細くなったりしているというが、それは拡大した結果であって普通のレベルでは気がつかない程度に過ぎない。ゆえに、わたくしは原本どおりであって、手を加えていないと思う。微細な太い細いは上人の手のブレによるのだろう。文字通りの肉筆ということだ。
ちなみに、江戸時代であれば、どれほどの能筆であったとしてもほぼ同様のことが起こり得ると思う。それは和紙の精度の問題である。手漉きの紙である以上、均質ではない。表面がデコボコしているのだ。すると一定の筆圧で書いているつもりでいても、実際には文字が太くなったり細くなったりしてしまうのだ。

次に、不自然な掠れは毛筆なるがゆえであり、むしろ毛筆の特徴であろう。現代人にとって毛筆が面倒なのは、いちいち墨汁を付け直さないといけないことだ。毛筆は筆に墨を含ませて書くわけだが、途中で墨が足りなくなってくる。それが掠れの原因である。
樋田氏は不自然な掠れ方を指摘する。しかし、それはほとんど解析不能の世界であり、いったい何を根拠に不自然とするのか、それが必ずしも明確ではない。たとえば、筆を返す時にいったい毛筆の一本一本の毛がどのような動きをするか、それを解析することができるかという問題なのだ。毛筆の毛は生き物から取られたものであるから、極論すれば一本一本に個性がある。そして何よりも書き手のいわば書きグセがある。それらが有機的に複雑に絡み合って動くのだ。
もう一つ、先ほどの紙質の問題がある。紙の繊維が均質であればまだしも、そうでなければ墨が均等に紙に載るほうが不自然である。

これに関連して、文字の上に別の文字を重ねる場合も想像がつくだろう。普通に筆を走らせていても、下に文字の書かれたところ、すなわち墨がすでに紙に載っている・・・より正確に言えば紙の繊維に吸収されているとなるだろうか、そこを通過する時には墨が余剰になるのだ。するとその直後の部分が太くなるのは、余剰の墨汁がそちらに引っ張られて吸収されるからだと想像することができる。

さらに、下の文字が乾いている場合と、湿っている場合では当然ながら違ってくるだろう。しかし、ここまで来ると何がどのように変化するか、わたくしにはよくわからない。実験すれば、ある程度はわかるだろうが、それにしても日寛上人がどのような順番で書かれたか、あるいは実際に使われた筆だとか、墨であるとか、もちろん紙も調べないといけないわけで、それはほとんど不可能な話である。

結論として、今回の樋田氏の試みは無理筋であろうと思う。最終的には、原本の御本尊と創価学会製の本尊との直接の比較照合、これ以外にない。

2010/7/18

予言者の習性  
久しぶりに鬼塚小姫氏からコメントを頂戴した。一般の人であれば、ご存じでなくて当然であるが、樋田氏は業界的(?)には超有名人であり、その活躍ぶりは動画を通して日本全国に知れ渡っている。

実は拙宅にも樋田氏作成のチラシが入っていた。いつだろうか、春先だったと思うが、すっかり忘れていた。まさか樋田氏本人が配布に来たとは思えないが、彼の手の者が配ったのだろう。ともかく運動の拡がりを感じさせる出来事だった。
鬼塚氏は顕正会がアヤシイと書いておられるが、サイトを開けば一目瞭然のごとく、顕正会のシワザではない。むしろ顕正会も創価学会と同様に、樋田氏の運動によって苦しめられる立場にいるのだ。
ちなみに、顕正会も諫暁書などの配布活動をしている意味では樋田氏と共通するわけだが、手前味噌ながらコンセプトとしては顕正会のほうが優れていると思う。なぜならば、ターゲットの大きさが異なるからだ。顕正会は全日本人を対象にしている。一方の樋田氏は創価学会ないし顕正会をターゲットにしている。
もっともターゲットを絞ることも戦略的な意味では有効であり、あながち劣っているとは言えないかもしれない。

浅井会長の過去に日蓮大聖人様に固くお誓いした誓願

昭和61年第二回武道館大総会 一億
平成10年男子部合宿     一千万
平成16年幹部大会      三百万
平成22年5月度総幹部会    二百万

日蓮大聖人様に堅くお誓いした誓願が、一億から二百万に大後退。なんと1/50に減りました。


raiden氏のコメントの一部であるが、これはややフライング気味ではあるものの、逆に言えば先見の明なのだろう。

前回の拙稿に明らかなごとく、幹部の発言として数年以内の二百万がある。ゆえに現段階では、まだ三百万を完全に捨て去ったとは言えないのだ。
しかし、そうは言っても、raiden氏の指摘が的外れというわけではない。むしろ先を見越してのことであり、おそらくは大半の人が同じ予想を立てるだろうと思われる。
結局、数年以内の二百万がダラダラと、ヘタをすれば十年くらい掛かってしまいそうなのだ。であれば、十二年後の三百万は絶望となる。

現在実働会員が多く見積もって4万人程度の団体

他にもいろいろ書いておられるが、実働会員四万という数字はいちおう書きとどめておく価値があるだろう。

さて、ここで遅ればせながら参院選のことを書いておこうと思う。ちょうど、ユタ氏とありの金吾氏も選挙に関することを云々しているので、好都合である。

鳩山政権から菅政権に移った段階では、民主党の支持率がいわゆるV字回復を遂げ、民主圧勝の見方が有力だった。しかし、その後の消費税論議がいけなかったらしく、どうもそこで形勢を損ねたごとくである。結果はあえて書くまでもないが、つくづく先のことはわからんものだと思った。
自民党の健闘は本来の地力からして当然かもしれないが、みんなの党の躍進はけっこう新鮮だった。他の小党はほとんど埋没してしまった格好である。
そこで公明党であるが、わたくしの印象は「堅調」の一言に尽きる。議席を減らしてはいるものの、負けたという感じがしない。得票数もやや下降気味ではあるものの、よく踏みとどまっていると思う。民主の惨敗やその他の小党の埋没が目立つ分、逆に公明党の堅実さが光っている。ゆえに敗北のイメージが感じられないのだ。

池田大作の亡びる日は近い!!

これは顕正新聞第1176号の一面の見出しの一つである。六月度総幹部会の会長講演であるが、今回はその大半が創価学会批判に費やされている。最近ではめずらしいことだ。

実は二号前の記事に、「創価学会 暴力団と癒着か!?」と題するものがあった。しかし、わたくしはこれを取り上げなかった。ツマラナイと思ったからだ。ようは他の人が書いた本をそのまま紹介しているだけであって、顕正会の独自色がまったく見られないからである。
けれども今回の会長講演はそれなりに面白い。なぜならば他人の受け売りではなく、まさに顕正会独自の内容だからである。
詳しい内容は省略させてもらうが、現在、顕正会は創価学会側を相手取って七件の裁判を起こしているのだそうだ。今後、数十件になろうが数百件になろうが、必要とあらば裁判を起こすとまで言っている。大した自信である。

わたくしが注目したのは、なぜに今のタイミングでこれを発表したか、ということである。

浅井先生は同じ話をするにしても、その効果が最大限に発揮されることを考えて、発表するタイミングを意図的に変えたりする。たとえば昨年八月の男子部大会における水面下での出来事を今頃になって取り上げている。なぜにすぐ発表しなかったか、そこが問題だ。
わたくしがとっさに思い浮かんだのは、池田大作氏の重篤説である。実は総幹部会が行なわれた六月二十五日の一週間ほど前に、池田氏に関する上述のような情報が流れていた。過去にも似たような情報が何度も流れているらしいのであまり信用できないのかもしれないが、しかし、タイミングとしては絶好である。
上掲の見出しの文章のセンセーショナルさを思うがいい。池田氏の亡びる日は近いと言うのだ。では、その根拠は何か、という点が問題である。すると何かしらの情報に食いついたのだろう、それがくだんの重篤説ではないかと思われるわけである。

予言者(?)の習癖だかもしれない。

不謹慎ながら、万が一でもこのタイミングで池田氏の訃報が流れれば、先生としては万々歳であろう。熱心な活動会員たちも先生の予言(?)が当たったと大喜びするかもしれない。

もう一つ、別の意味も考えられる。おそらくはこちらのほうが本命だろう。すなわち参院選である。
選挙が行なわれるのは確実なことである。問題はその結果であるが、浅井先生としては希望的観測というか願望として公明党の惨敗を思い描いていたのではないかと思う。何しろ昨年の衆院選での公明惨敗が強烈なイメージとして焼きついている。
これは何も先生だけの話ではない。法華講員の面々もまた同様であり、それはネット上のさまざまの書き込みを見れば一目瞭然である。
そして実は創価学会員たちも同様なのだ。昨年の悪夢にうなされていた。危機感を懐いていた。ゆえに、よその掲示板ではあるけれども、のび太氏などは今回の結果を大勝利であると書いているくらいなのだ。

以上のごとく、浅井先生が公明党の惨敗を期待していたとして不思議はない。それが「亡びる日は近い」の意味であり、もし公明惨敗が事実となったならば、これまた熱心な活動会員たちに先生の偉大さ・見識の深さをアピールすることができる。あるいはもっとエスカレートして諸天の感応だとか、そういう凄いことを言うかもしれないのだ。

しかし、先生が予言めいたことを言うと、どういうわけか外れる場合が多い。いっそのこと逆のことを言ったら当たるのではないか?

顕正会に対する中傷らしきものが掲載されたのは、平成一六年から一八年にいたる三年間だけです。

最後にちょっとした疑問を書いておく。上掲は会長講演の中の一節であるが、公安調査庁の報告書のことである。これが『迷走する顕正会を斬る』と食い違っているのだ。同書には、平成十三年から十八年度にかけて、と書かれている。

さて、どちらが正しいのだろうか?

2010/7/13

火曜サスペンスブログ  
ユタ氏のところに顕正新聞が配達されたという。これまたタイムリーな話題だ。氏はすでに法華講員であるから、顕正新聞の購読を継続する必要はない。実際、更新手続きをしていない。ようは金を払っていない。それにもかかわらず、配達されたというのだ。

これはよくあることだと思う。強いて言えば、氏が法華講員であることが特殊ではあるものの、それを度外視すれば普通の出来事である。

前回も書いたごとく、顕正新聞の購読部数には割り当てがある。ゆえに目標数に届かなければ誰かが肩代わりをすることになる。
単純な話、一つの班で十部の購読をしていたとしよう。班員が十人いれば、一部ずつであるから問題ない。しかし、班員が一人もいない、そんな班もザラにあるのだ。つまり、そこの班は班長が一人で十部の購読をしているわけである。
そこで問題になるのが郵送先だ。これは自分の狭い見聞に過ぎないけれども、代金は班長がぜんぶ負担するにしても、郵送先はなるべく班員のところにする。実質的には班員ではなく退転者なのだが、ともかくそちらに郵送するように手続きするのだ。もちろん、そのネライは顕正新聞をキッカケとして、信心に目覚めさせることである。

ゆえに、ユタ氏のところに送られてくる意味も、同じことだと思われる。

一つには、割り当て数を満たすためであり、二つには、ユタ氏が顕正会の正義(?)に目覚めることを期待してであり、いわば一石二鳥みたいなものである。しかし、順番的には割り当て数が先であり、信心に目覚めさせるのは二の次である。ようは、せっかく新聞代金を負担するのだからなるべく無駄にはしたくないという思いから、有効利用の方法として退転者に送りつけるわけであろう。それが現実だと思う。

たぶん、ユタ氏が憤っているのは、そうした新聞購読の実態を知っていて、自分がダシにされていること、ようは利用されているという意味の不快感からであろう。しかも法華講員としての矜持があるわけで、顕正会に戻ることなどあり得ない、なのに新聞を送って寄こすとはケシカラン、という思いがあるから、なおさら憤るのだろう。

いずれにしても、トチロ〜氏も言っているごとく、タダで送ってくれるのだから黙って受け取っておけばいいのだ。こんなありがたい話はない。

ちなみに顕正新聞の発行部数は二十万部とのことである。たぶん、このレベルになると、事務的というか機械的に処理されるのだろう。一々、どこの誰が読んでいるかなど、本部は気にしていないはずである。個別の問題として、本部にクレームが寄せられた時にどうするか・・・頼んでもいないのに顕正新聞が郵送されてくる、いったいどうなっているのか、直ちに郵送をストップせよ、というような場合であるが、その辺の詳細はわたくしの知るところではないので何とも言えない。ユタ氏が試しに礼状ではなく苦情を言って、その結果を報告するというのも面白いかもしれない。まあ、しかし、せっかく送られてくるのだから、それをわざわざ断ち切るのはもったいない。やはり黙って受け取っておくのがベストだろう。

亡国のテンポ全く分からぬ政治家たち

さて、上掲は顕正新聞第1175号七面の女子部総班副長による活動報告の見出しであるが、わたくしはこの記事に疑問を感じずにいられなかった。
この人は千葉を中心に活動しているらしく、勇ましいことには政治家に直接会って折伏しているごとくである。たとえば千葉市の三十五歳の市会議員を折伏したという話があって、無責任、亡国のテンポが全くわかっていない、などと集会の場で発表している。
たぶん本人は矛盾を感じていないのだろう。気の毒な話であるが、わたくしはこの人の主張に大いなる矛盾を感じるし、それをそのまま掲載している顕正新聞のアホさ加減にも、ほとほと困ったものだと思う。

やや煩瑣ではあるが、まず、三十五歳の市会議員がどのような発言をしたか、そこに注目してみよう。

まだ自分の時代ではない、あと十年くらい経てば自分の意見が通る

まだ自分は若いが、あと十年経てば自分にも力が付き、国を変えていける


まっとうな意見だと思う。この人は市会議員であるが、やがては国政に進出するつもりでいるのかもしれない。年齢的に見れば妥当な線であり、不自然さはない。中には親の七光りで若くして国会議員になる人もいるが、そうしたバックアップのない人が国政に打って出ることは容易なことではないのだ。

ところが、くだんの総班副長はこの発言を捕らえて、無責任だの亡国のテンポがわかっていないだのと批判しているのだ。

わかっとらんのはお主のほうだ、と言いたい。

顕正会は十二年後の三百万を主張していた。そして先々月の総幹部会での会長講演を受けて、最近は数年以内の二百万を主張している。ここに改めて会長講演を書きとどめておこう。

 次の大きな節は一五〇万であります。これは明年の秋までには必ず出来る。一五〇万が成れば二〇〇万はもう眼前。この二〇〇万が成れば、たとえ三〇〇万に及ばずとも、もし客観情勢がその必要を迫るなら、いつでも顕正会は立てる。日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲を全日本人に知らしむる、一国をゆさぶる大規模な諫暁に必ず立てる。

以前、わたくしはこれを下方修正ではないかと指摘した。つまり、現状では三百万すら困難になりつつあるので、目標値を下げたのだ。

それはさておき、この会長講演の意味するところは、今はまだ立てない、今の顕正会の実力では一国を揺さぶる大規模な諌暁に立てない、ということに他ならない。
だったら同じではないか、くだんの市会議員と変わらないではないか、三十五歳の青年議員が十年後を期して今はそのために頑張っているとすれば、今の顕正会とまったく同じことなのだ。
それを一方的に、無責任であるとか亡国のテンポがわかっていないなどと言うのは、完全なる自家撞着であろう。

なお、上述の数年以内の二百万云々は、六月度総幹部会における男子第二部長の発言が初出かもしれない。第1176号に出ているが、より正確に文言を拾うと次のごとくなる。

数年以内に二〇〇万がなることを思うほどに・・・

これを信用するならば、まだ十二年後の三百万は放棄していないことになるだろう。つまり、この逆算から、二百万を数年以内に達成しないと間に合わない、という当然の結論が出てくるわけである。

では、具体的には何年後を目指しているのか?

簡単な道理だろう、十二年後の三百万を言うのならば、その途中経過である二百万の時期も言えるはずである。もし言えないのであれば、それは十二年後の三百万がもともと当てずっぽうの数字だからに他ならない。

幹部会員たちは現時点での先生の指導に整合性を持たせようと努力している。しかし、先生はそんなことお構いなしのごとくだ。

2010/7/11

日曜ゴールデンブログ  
nabe氏のコメントはいつも興味深い。わたくしの知らないことが書かれているからだ。しかし、広告塔はさすがに大袈裟だろう。それこそ人気絶頂の現役バリバリのアイドルが顕正会員であれば、広告塔に相応しいとは思う。顕正会の場合は元プロ○○というのが多くて、現役は少ない。結局、顕正会の活動に熱心なあまり、その道を捨ててしまうとか、あるいは自ずと競争から脱落していく運命にあるのだろう。

さて、今日は顕正新聞の第1174号四面の記事から入りたい。

生活費を切り詰めても機関紙購読を喜んで申し込む総班員を見るにつけ、有難さが込み上げてまいります。

壮年部の総班長による活動報告の一節である。生活費を切り詰め云々と。これはけっこう深刻なことではないかと思うが、いかがだろうか?

わたくしにはいろいろな問題点が見える。

まず、そもそも新聞の購読費を工面するのに生活を切り詰める必要があるのか、である。いや、もちろん、本人が喜んで申し込んでいるわけだから、ケチをつけるべきではないのかもしれない。しかし、壮年部員と言えばいっぱしの大人だろう、それが新聞の代金くらいでそこまで苦労するとはナニゴトか、と思う。

そして次が重要だ。

多重購読の問題が見え隠れしているからである。

この登壇者は総班長である。すると新聞購読の目標が割り当てられていると考えられる。○○総班は合計で何部やりなさい、と。
そこで多重購読の問題が発生する。いちおう、総班員に広く購読推進を呼び掛けることだろうが、普段の活動ぶりから判断して自ずと購読者は決まってくるものだ。現状では目標に届かないことはわかり切っている。すると、真面目な総班長であれば、残りぜんぶを一人で引っ被るのかもしれない。あるいは総班員にうまく押し付ける人もいるかもしれない。
こうした実態を踏まえるならば、上掲の「有難さが込み上げ」云々の意味が見えてくるのではないか。もしかしたら、くだんの総班員は一部でいいところを総班長のために何部も取ろうとして、それで生活費を切り詰めざるを得なかったのかもしれない。
もちろん、これは邪推が過ぎるにしても、多重購読の問題は会員や元会員の証言に明らかであり、総班長にしてみれば一部でも取ってくれる人があらわれれば負担が軽くなるので、ありがたいわけなのだ。

あるいは、これを本人が読めば、気を悪くするかもしれない。

確かにイジワルなことを書いているのだと思う。総班長にしてみれば、ごく単純に後輩のケナゲな姿を見て、ありがたいことだと感じただけなのかもしれない。しかし、百年に一度の大不況とは言え、新聞購読費くらいでそんなバカなことがあるかと感じる読者がいてもおかしくないだろう。さらに付け加えるならば、こんなテイタラクでは年末に行なわれる広布御供養が思いやられるではないか、ということなのだ。

しかし、これは序の口であって、この活動報告の続きにはもっと凄いことが書かれている。

 総班の先陣を切る○○班長は、入信前にアパートの家賃を十二年間滞納し八百万円にもかさんでいたのが、大家がなんと「二十万でいいから早く払って出て行ってくれ」と言って来て、八百万円の負債が二十万円になるという功徳を頂き、猛然と折伏に奮い立ちました。

はっきり言って、アホである。

この活動報告の主はどうかしていると思う。
写真で見る限り、けっこうマトモな壮年のように見える。どのような職業に就いていて社会的にどのような評価を得ているか知らないが、外見的にはマトモである。
しかし、その思考形態は完全に顕正会的であり、いわば幼稚であると思う。

八百万円の負債が二十万円に減額されたという、これは確かに凄いことであり、功徳のようにも感じられるところである。
しかし、その八百万円の負債がいわゆる高利貸しであるとか、あるいは詐欺のようなことで背負わされたものであれば、減額されてしかるべきとは思うものの、それが家賃であればまったく性質が異なるはずである。もし、マトモな思考の持ち主であれば、それを功徳などと手放しで喜ぶことはしないだろう。本来ならば何年掛かっても返済していくべきが筋である。
発表者は前掲との整合性を考えるべきだった。すなわち、生活費を切り詰めて新聞購読を申し出ることのケナゲさをありがたいと思うのならば、家賃を免除してくれた大家の寛大さに対してもありがたいことだと心から感謝しなければいけないだろう。ところがそのような記述はまったく見られない。

この自己中心的な思考、顕正会側の視点でしか物事を捉えられない、そこに幼稚さが滲み出ているとわたくしは思う。

そもそも大家さんがなぜに滞納を許していたか、そこから考える必要がある。普通ならば、途中で何度も督促をしているはずだし、それに応じなければとっくの昔に追い出していてもおかしくなかったはずなのだ。
この活動報告の続きには、くだんの班長にはもともと何か脳に病気があるのだということが書かれている。これがヒントなのかもしれない。
ウカツなことは書けないけれども、たとえばその病気を気の毒に思って、大家は家賃の滞納に目をつぶっていたのかもしれない。あるいは大家にしてみれば自分の息子のようなつもりでいたのかもしれない。
今は少ないと思うが、昔は不動産業者を通さずに、直に大家と契約を結ぶようなことも多かった。ゆえに契約書なんて大層なものはなく、お互いの信頼関係だけで成り立っている場合もあったのだ。

ここまで書けば想像がつくだろう。両者はいわば古きよき時代の血の通った人間関係を構築していたのだ。ところが片方が顕正会に入ったことによって、その関係が壊れてしまった。それが「二十万でいいから早く払って出て行ってくれ」の意味に他ならないのだ。

ともかく十二年もの間、慈悲深い大家の庇護の下で生活できたのは幸せなことだったと思う。しかし、今はそこを離れてしまった。とは言え、雨露をしのぐためにはどこかに住まわないといけないわけで、それにはお金が掛かる。顕正会はお金の面倒まで見てくれない。世の中、慈悲深い大家さんばかりではない。

この先、どうなることであろうか?

2010/7/10

土曜ブログ  
顕正新聞第1173号の七面に女子部班長の体験発表が載っている。二つあって、一つは前に紹介した、四億円の立ち退き料の話である。今日はもう一つの話を取り上げたい。

 また今回入院費のこともあって生活が困窮し、日曜勤行は自宅の川口からときわ台まで歩こうと決意し、大感激で日曜勤行に参加させて頂きました。

川口から東京会館まで徒歩でどのくらい掛かるのか知らないが、交通費すら捻出できないほどの窮乏ぶりがなんとも不憫である。いや、もちろん、本人が大感激しているわけであるから、それに水を差すつもりはない。わたくしだったら家で不貞寝をしていることだろう。そこを頑張って参詣するのだから、その意気込みというか信心の情熱は立派なものである。

一人暮らしの私は、もし部屋で倒れていたらと思うとゾッとし・・・

この人は一月度総幹部会の会場で具合が悪くなって、そのまま救急病院に搬送されたのだそうだ。ゆえに上掲のごとく、もし一人の時に倒れたらどうなっていたか、と書いているわけである。

女子部も年齢がまちまちであるが、この人の場合は平成九年の入信という記述からして、すでに三十を越えていることだろう。
配偶者はいないのか、あるいは親兄弟はいないのか、そこが気になるところである。
何もわたくしはこの人のプライベートを詮索して、ケチをつけようと思っているわけではない。この事例はいわば挙一例諸であり、顕正会の全体的な問題を抉り出す格好の材料と思われるのである。

結婚の問題は顕正会特有というよりは、現代における社会全体の問題とも考えられるので、ここでは論じない。もう一つの親兄弟の問題、これが深刻なのだ。

おそらく、くだんの女子部班長は顕正会歴十数年の間に親兄弟を折伏し、いわゆる逆縁だったわけなのだろう。その結果として、絶縁状態になってしまっていると思われるのだ。だから一人暮らしをしている。
いや、もちろん、成人しているのだから一人暮らしも不思議ではない。だが、しかし、病気やケガなどで入院したとなれば、親は心配で見舞いに来るだろうし、それこそ入院によって収入が途絶えれば、親は生活上の援助を惜しまないはずである。
しかし、絶縁状態ではそれもおぼつかない。ことによると、むしろ彼女のほうが親の援助を拒むということもあり得るし、ある意味ではそれが顕正会員らしさのようにも感じられるところである。顕正会特有の頑なさ・・・とでも言うべきだろうか?

顕正新聞を読んでいると、いわゆる一家広布の体験発表を目にすることができる。この場合、親兄弟の問題はクリアしたことになる。
しかし、どうだろう。一家広布が実現するのは、実際の比率としてどの程度なのか、おそらくはきわめて低いのではないか?
たとえ一家広布が実現していなくても、それに準ずる・・・ようは未入信ながらも相当の理解者という、家族がそのレベルに達していればまだしもである。現実には理解どころか大反対をしているケースのほうが圧倒的に多いのではないかと思う。

たまたま今回の記事は、その氷山の一角があらわれたということなのだろう。結局、顕正会では折伏の推進ばかりに力を入れて、こうした不安定な家族関係であるとか、その延長線上にある不安定な生活状況に対してはまったくのフォローが出来ていない。これでは会員を使い捨ての道具くらいにしか見ていないと言われても仕方がないだろう。もしかしたら、顕正会の活動に熱心なあまり家族から見放され、やがて活動に行き詰って顕正会からも見放され、それで誰にも知られずにどこかで野垂れ死にしている・・・そんな人がいるかもしれないのだ。

本部首脳は言うかもしれない、だったらどうすりゃいいんだ、と。さしあたって、ムチャな折伏はやめさせないといけない。それだけの話である。

顕正新聞第1174号の七面に男子部班長の体験発表がある。沖縄男子部集会での登壇のごとくだ。

 平成九年には、当時第五隊長であった現中山男子第八部長の呼びかけで、在京で共に戦っていた沖縄出身の総支隊員総勢三十名ほどで沖縄広布を決意し、地元であるこの沖縄に帰ってまいりました。

個人名をどうするか悩んだが、これはけっこう重要な記事なので、そのまま表記することにした。
中山氏の呼びかけで約三十名が地元へのいわゆるUターン帰郷をした。これは一時的な帰郷、すなわち帰省とはわけが違う。幹部会員の一人に過ぎない中山氏の呼びかけに、はたして三十名もの人間が応ずるだろうか、という点が不審である。
中山という人物はそれほど人望があるのだ、という解釈もあるけれども、わたくしは本部の意向が働いているのではないかという気がしてならない。沖縄の組織は沈滞ぎみだった、そのテコ入れのために本部が仕向けた、という可能性である。

もちろん、単なる推測であり、明確な根拠があるわけではない。ただし、一つだけ言えることがある。人望のある幹部はやがて失脚する運命にある。その人望を武器に反旗を翻すかもしれない。本部はそれを恐れるのだ。もし上述のことが中山氏個人の発案であり、それに三十人が乗っかったとすれば、本部の目には危険分子に映るはずである。しかし、中山氏が失脚するような気配はまったくない。以上の理由から、個人の発案ではなく本部の発案なのではないか、とわたくしは思うのだ。

この記事の意味するところは、顕正会は個人の人生を左右していることである。もっとも宗教とは元来が善くも悪しくもそうした影響力を持っているわけだが、それにしても、この場合は疑問がないわけではない。極論だが、もし顕正会が生活の保障をするのであれば、わからなくもない。しかし、現実にはそれはあり得ないことだ。つまり、沖縄に帰っても、あるいは他の地域だとしても、そこで生きていくためには働かないといけない。彼ら三十人は必ずしも全員が仕事の当てがあって帰郷したわけではないはずだ。あくまで沖縄広布の大義名分の元に帰郷したのだ。

最後に素朴な疑問を一つ書いておく。

はたして、三十人中の何人が今も現役で活躍しているのだろうか?

出来ることならば、一人ひとりの現況を調査してみたいものだ。もちろん、中山氏に聞けば一発でわかるはずだが、しかし、そう簡単には教えてくれまい。

2010/7/9

金曜ブログ  
コメント欄が賑わっているけれども、わたくしが応対すべき事案はいくつもない。

私は一瞬カッとして手を上げかけましたが・・・

これについては火曜日に取り上げた。わたくしは顕正新聞記載の原文を尊重して、「手を上げる」を採用した。ところがnabe氏によれば、これは「手を挙げる」が正しいのだそうだ。しかし、はたしてそうなのだろうか?

わたくしもわりと文章には気を使っているほうだが・・・そうそう、この気を使うが好例だろう、気を遣うと書くべきとの意見もあるので、どちらが正解か気になるところである。結論的には、どちらでもいいのだと思う。
そこで「手をあげる」だが、文章に神経を使っているとは言っても、さすがに一字一句まで熟慮して書いているわけではないので、今回の件もそれほど問題視していなかった。
そこにnabe氏からのコメントが入って、あれ? そうだったっけ? という具合でいろいろ調べてみた。

さて、結論だが、わたくしはどちらでもいい、というか、この場合は「手を上げる」のほうがよさそうな気がしないでもないのである。難しい議論はさておいて、単刀直入に理由を述べよう。手元の辞書に「手を上げる」と表記されているからである。

ともかく言葉は難しいものだ。わたくしは結論を辞書に任せてしまったが、実際には辞書が間違っていることだってあり得るので、本当は自分の考えに基づいて結論を出さないといけない。しかし、現実には面倒臭くて考えていられない場合も少なくないのだ。その典型的な事例は「あらわす」である。拙ブログを隈なく調べればわかるはずだが、わたくしはこの「あらわす」に限っては、ほとんど平仮名で書いている。使い分けが難しくていつも頭を悩ますので、いつの頃からか漢字で書くことを放棄してしまったのだ。こんなテイタラクでは偉そうなことは書けないけれども、不適切な表記をするよりも平仮名のほうがマシという判断からである。

それはさておき、安普請である。

わたくしは今回の記事が顕正新聞初出だと思っていたが、大沢氏によれば平成十六年の秋にも使われているとのことである。体育館は記憶にある。確か当時、これは創価学会のマネだな、というふうに感じたものだった。そこは記憶にあるけれども、安普請はうっかり失念してしまったごとくである。

ともかく顕正会側の奉安堂批判は無節操さが目立つ。
営利目的であるとの主張はどうなのだろうか。だったら正本堂を残しておいて、そこで御開扉を続けたほうがよほど儲かるのではないかという気がする。一説によれば、正本堂の維持費は莫大であるからどうのこうの・・・という話がある。確か日顕上人の御説法にも同趣旨のものがあったような気がするけれども、しかし、正本堂を壊して新たな堂宇を建てるとなれば、それこそ莫大な費用が掛かる。つまり、単に営利目的で奉安堂を建てたと考えるのは筋違いの話であろう。
顕正会では御遺命守護完結の時、戒壇の大御本尊が新御宝蔵に御遷座されたものと認識していた。しかし、これは誤情報であり、現実には奉安殿への遷座だった。奉安殿は清浄な御宝蔵であるから、それ自体に問題はない。しかし、いかんせん古い建物であるから、現代の建築基準に鑑みて不安がないとは言えないだろう。そこで新たに奉安堂を建設した。しかし、顕正会は不満なのである。
だから奉安堂が建設されることを知るや、反対を表明した。その理由が凄い。正本堂の基礎を残したまま、その上に建てるとはケシカラン、頭が狂っているのではないか、というようなことを先生は言っていたくらいである。
この延長線上に、体育館だの安普請だのの悪口があるわけなのだろう。

正本堂の場合は誑惑というキーワードに統一されている。ところが奉安堂の場合は、そうした明確な攻撃材料が見当たらない。むしろ創価学会が中心となって寄進された正本堂を打ち破って建てられた意味においては、大いに称賛してしかるべきである。しかし、今の顕正会の置かれている状況からして、それはできっこないことなのだ。それで中途半端なイチャモンをつけているわけである。

さて、建物の話ついでに、浅井先生の水戸会館での発言を取り上げよう。

 実は、顕正会の会館は全国で数十あるが、そのうち、借りビルを会館にしていたのは、横浜会館と旧水戸会館だけだった。
(中略)
 しかし、借りている他人さまの建物について耐震強度を診断するわけにはいかない。そこで横浜会館と旧水戸会館は、耐震強化工事だけをやらせてもらいました。

わたくしは唸ってしまった。これはどういうことだろう・・・

水戸には縁がないので行ったことはないけれども、横浜会館の事情は知っていた。建物の内部に何本もの露出した柱が立っていて、いかにも後から柱を増やしたというような、そういう不恰好な状態だったのだ。

まあ、それはどうでもよい話だ。問題は旧青年会館のことである。これは拙ブログでも何度も取り上げた問題だった。先生は当時、借りビルだった旧青年会館の耐震診断を行ない、結果、震度五弱でも倒壊する危険があるとして、閉鎖してしまったのだった。

つまり、今回の発言は完全なる自語相違である。まさか数年前のことをすっかり忘れてしまったとは思えないが、本当のところはどうなのだろうか? たとえ先生が忘れてしまっていたとしても、側近たちまで忘れるとは思えない。それにもかかわらず、顕正新聞にはご覧のごとく掲載されてしまっているわけである。

もはや末期症状であろうか?

2010/7/8

木曜ブログ  
法華講員のお二方よりコメントを頂戴した。いずれも元顕正会員であり、それぞれが在籍当時の感慨を綴っておられる。ポリ銀氏は古参幹部であるという。なるほど昔は論客がいた、それが今はいなくなってしまったという、この辺の感慨は古参の一人だった櫻川氏とも相通ずるものがあるようだ。ユタ氏の場合はだいぶ時代が下るので、感覚的にちょっと異なるようであるが、いずれにしてもブログ閉鎖命令には理不尽さを感じずにはいられなかったわけで、これは誰もが共感するところだと思う。極論すれば、何をやろうとその人の自由であり、それを組織がとやかく言うのがおかしいのである。

さて、そこで今日の話題であるが、顕正新聞第1174号五面の記事と、御書の一節を紹介して、簡単に終わらせたいと思う。

 翻って今、宗門が御遺命を曲げた池田大作に諂い、戒壇の大御本尊を偽戒壇・正本堂に居え奉り、正本堂崩壊後もなお安普請の奉安堂に居え奉ったまま、営利目的の御開扉を続けていることが、いかに大聖人様・日興上人の御心に背き奉っているのか、抑え難い憤激が衝き上げてまいります。

安普請?

これは悪口・中傷の類である。こういうのは創価学会あたりに任せて、顕正会はやるべきではないと思う。そもそも安普請はどこから拾ってきた表現なのか、そこが気になるところである。たぶん顕正新聞では初見だろう。

この人の肩書きを書いておくと、第一女子部幹事・第六十九区長となっている。しかし、ご存知の人もいると思うが、顕正新聞の編集次長でもあるのだ。このような立場の人が滅多なことを言うものではない。これは失言だと思う。

そもそも正本堂が偽戒壇だとすると、奉安堂は何になるのか、そこが問題である。まさか偽戒壇とは言えないので、その代替表現として安普請を用いたのだろうか?
わたくしの言語感覚では、これは自宅などをへりくだって表現するものだと思う。たとえば、ウチは安普請だからまだ十年しか経っていないのにあちこちガタが来て・・・みたいな感じである。それをヨソサマの建物に対して、あそこは安普請だから・・・などと言おうものならば、たとえ事実であったとしても完全な侮辱である。
ましてや今の時代は建築基準が厳しくなっているので、どこかのマンションみたいに手抜き工事で鉄筋の本数を減らそうものならば大事件になるのだ。これを逆に言えば、それが違法建築でもない限り、安普請などということはあり得ないのだ。

以上の理由から、奉安堂に設計上ないし施工上の何か欠陥でもない限り、安普請とは言えない。よって上掲の記事は悪口中傷である。

顕正会は純粋に法義上のことだけで宗門を批判すればいいものを、今はそれができなくなってしまった。たぶん有能な人材がいないのだろう。ポリ銀氏の嘆きも当然のことである。

今朝、弘安元年の千日尼御前御返事を拝読していたところ、次の御文が目に焼きついてきた。

譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ、天喜の貞任は奥州をうちとゞめし。民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此等は五逆にすぎたる謀反なり。

見事に当てはまるのではないか?

当然、浅井先生にも言い分があることだろう。しかし、御文のごとくならば、五逆罪にも過ぎるほどの謀反、それが今の浅井先生にピタリと当てはまるのではないかと、そう思わざるを得ないのである。


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