2010/10/31

クツに合わせて足を切るバカども  
顕正新聞第1186号の話題を書こうと思っていたが、これといった面白いネタが見当たらない。そこに都合よく面白いコメントが入ったので、その辺から話を起こしてみようかと思う。

創価学会が顕正会を恐れているかどうか、それを議論しても仕方がないだろう。迷惑な存在だということであれば、それはそれで大雑把な意味では同じ結論になるはずだ。ただ、わたくしのかつての経験からすると、創価学会員は顕正会員との接触を恐れていた。その理由は簡単である。顕正会の主張のほうがシンプルだからだ。池田大作氏が国立戒壇を高らかに主張していた文証を提示すれば、それ以後の変節が明瞭となる。いや、もちろん、彼らにも言い分があるし、それなりの論理性を持った反論を用意している場合もあるわけだが、さすがにそれはやや込み入った説明にならざるを得ない。そこが弱点なのだ。顕正会側は国立戒壇一本で、いわばゴリ押しすればいいのだから、これほど楽な話はない。基本的にこの構図は今も変わらないのだろう。いつも言っていることだが、顕正会の弱点は本尊疑惑である。ゆえに法華講員に対しては弱腰なのだ。逆に言えば、今も創価学会に対しては強気なのである。創価学会員が恐れているかどうか本当のところは知らないが、いずれにしても彼らにとって迷惑な話であることは間違いないことだ。

フェイクは相変わらず、アホなことを書いている。しかし、それを指摘したところで聞く耳を持たないだろうから事細かには書かないが、ようは宗門攻撃のついでに顕正会を貶しているわけだろう。

「創価学会は各国の現実を直視しながら、変幻自在に布教をしている。原理主義者は、ややもすれば鎌倉時代の服(御書)にあわせて人間を切ろうとするが、人間にあわせて服を調整する柔軟性をもたなければ海外布教はできない」

これは花野博士の主張だそうである。たぶん博士はきわめて部分的・限定的な意味で創価学会のよい面を取り上げているのであって、まさか全面的に肯定しているわけではないだろう。それをフェイクの執筆者は自分たちに都合がよいものだからと得意になって引用しているのだ。まあ、それはどうでもいいことだ。

服にあわせて人間を切る・・・

わたくしはこの部分を読んで、似たような譬えがあることを思い出した。かなり古いが顕正新聞第457号をご覧に入れよう。

靴に合わせて足を切る馬鹿がどこにいよう。

これは平成元年の新聞である。同趣旨の文章が折伏理論書改訂版や平成十六年の諫暁書にも載っているので確認されたい。

しかし、花野博士の言っていることと浅井先生の言っていることは正反対のことである。譬えは同じであっても、譬えている内容が逆なのだ。
おそらく博士のことだから承知して書いているのだろう。わたくしのみならず、大聖人の仏法を信奉している人であれば、博士の書いていることに疑問なり抵抗なりを感じたりするのではないかと思う。手放しで喜んでいるのはフェイクの執筆者くらいのものだ。
それを花野博士は承知して書いている。あえて挑発的にであろうか、熟慮の上で書いたのだと思う。

浅井先生の言っているのは、大聖人の仏法と国法との関係である。上掲の文章をもう少し前後を加えて再掲しよう。

 現在の憲法に大聖人の仏法を合わせるという考え方は本末顛倒である。靴に合わせて足を切る馬鹿がどこにいよう。大聖人の仏法に国法を合致させるのだ。それが王仏冥合の戦いではないか。

花野博士の言っているのは御書と人間の関係であるが、御書を服に譬えてしまっている点において、浅井先生とはまったく相容れない。おそらく先生に言わせれば、大聖人の御金言を服に譬えるとはケシカラン、ということになるはずである。

ここで別の話が思い出される。かの有名な御本尊道具論である。沖浦氏は御本尊を道具であると主張している。人間と御本尊、どっちが大事か、人間に決まっているじゃないか、というのが氏の持論である。花野博士の場合は御本尊ではなく御書を服に譬えているので、沖浦氏の主張とは異なるわけだが、それにしても誤解を招く文章であることは間違いないだろう。

すでに書いたごとく、わたくしはこれを花野博士があえて挑発的というか、物議をかもすだろうことを承知で書いたのだと睨んでいる。浅井先生のみならず、大聖人を御本仏と拝する立場の者であれば、御本尊はもちろんのこと、御書にしても道具のような表現をすることには抵抗を感じて不思議はないのだ。それを博士ともあろう者が気がつかないはずはないと思う。ゆえにそれなりの考えがあって書いたのだろうと想像する。

当然に随方毘尼を念頭に入れての発言だろう。海外布教を云々している意味からしてもそれは明らかだが、問題は国内布教にあると思う。与えて海外布教はそれでいいとしよう、では、奪って国内布教はどうか、という問題なのだ。前掲の博士の文章には鎌倉時代云々の記述もある。つまり、この意味では国内布教も同じことになる。早い話が大聖人の御書は鎌倉時代に書かれたものだから現代には通用しない、より正確に言えば、そのままでは通用しない、ゆえに現代人に合わせて調整する必要がある、というのが博士の主張なのだろう。

ここが意見の分かれ目である。いわゆる原理主義者とそうでない人の争点である。

この件に関して私見を言えば、わたくしは是々非々というか、これは具体例を挙げて個別に論じていく必要があると思っている。極論すれば、御書の一文一句に至るまで、ここは原文どおり拝するべき、いや、ここは柔軟な解釈が必要である、というような検討が必要だと思うのだ。

なぜならば、しばしば原理主義者として名前の挙げられる浅井先生にしても、けっこう柔軟な解釈をしている部分があるからだ。具体例を挙げよう。平成九年の諌暁書に依智の星下りの記述がある。御書と先生の訳文を必要な部分に限って示すと次のごとくなる。

天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば・・・

明星のような大きな星が、梅の枝を通して見えるほどに低く下りてきたのである。

わたくしはこの訳に不満がある。竜の口の大現証を力説する浅井先生にしては、ずいぶんと弱腰の解釈だからである。
正直なことを言えば、わたくしは未だに竜の口の光り物に疑問を感じている。というか現代感覚ではとうてい信じられない現象だという意味において、多くの人が同様の感想を持っているだろうと思う。それを浅井先生は御本仏成道における大現証なのだとして、ことあるごとに語るのである。
その浅井先生がなぜに上掲のような解釈をするだろうかと思う。梅の枝を通して見える? そんな読み方はないだろう。これは素直に大きな星が梅の枝に掛かったと読むべきである。いや、もちろん、これは信じ難い現象であり、科学的にはどのような解釈が可能なのかさっぱり見当がつかないけれども、しかし、御文を素直に読むならば、何らかの光源が目の前の梅の木の枝に掛かって光を放っていたのだろう。だからこそ兵士たちは驚愕したのだ。

話が少し変わるけれども、相手のことを原理主義者呼ばわりするのは、どうやらレッテル効果を狙っているような意味があるらしい。ようは柔軟性のない人、頭の固い人、融通の利かない人、というような感じで、たいていが悪いイメージなのだ。

わたくしは依智の星下りの話を浅井先生に対する批判の意味で書いたわけだが、話を元に戻せば、原理主義者と言われる浅井先生にしても上述のような解釈をするのである。この意味では先生も案外に柔軟性があることになる。逆に、普段はリベラルな人が、ある部分では物凄くイコジであったりガンコであったりする場合もあるのだ。ゆえにわたくしは、一概には決め付けられない、というのが結論だと思う。誰々は何々主義者であると言ってしまうのは簡単であるが、それで事が足りるわけではないのだ。結局のところ、具体的な問題を論じなければ話にならないということだ。

以上、話が散漫になってしまったが、花野博士の言う服に合わせて人間を切る云々は、よいとも悪いとも一概には言えないだろう。しょせんは具体的な御文を挙げた上で論じなければ意味をなさないことである。

2010/10/30

ソックリさん  
昨日、ちょっとした事件があった。事故と書いたほうが適切だろうか、なんと更新途中にパソコンに不具合が生じて、書き掛けの原稿が消滅してしまったのだ。わたくしは下書きをせずにいきなり投稿フォームに書き込む。昨日はほとんど完成間際だった。もう少し書けば脱稿、あとは投稿ボタンを押すだけ、という直前の出来事だった。それでイヤになってしまい、投稿を断念した。

そういうわけで、今日は簡単に書こうと思う。

まず、旦氏のおっしゃることは人数の少ないうちは通用するだろうけれども、人数が増えてくればそうも行かないだろう。世の中にはいろいろなタイプの人がいるわけで、会員の絶対数が増えれば当然そうしたいろいろなタイプの人物が増えてくるということだ。水無月氏は石井納豆の例を出しておられるけれども、他にも一級建築士がいたりする。もし顕正会に一級建築士が複数いれば、不平不満も出ることだろう。オレにも仕事を寄こせ、というか、ぜひとも自分に設計を任せていただきたい、と希望する人が出てきて当然である。何しろ顕正会は多造塔寺堅固よろしく建築ラッシュであり、毎年コンスタントに複数の会館を建設しているわけだから、その設計を任されることになればひじょうにオイシイのだ。しかし、前回も書いたように、今の段階ではさしたる問題にはならない。公称百万人以上を誇っていても実数は高が知れているからだ。そこで注目すべきは、この先、顕正会が本当に増えるのかどうかだが、それは何とも言えないところだろう。その意味でわたくしの書いていることは杞憂に過ぎないのかもしれないが・・・

志村けんのソックリさん

実はこれが昨日の話題だったのだ。ほぼ書き終えていただけに落胆が大きい。

男子部の組長、十九ないし二十歳の青年であるが、この人が中学時代の同級生を入信させたことが事件の発端である。
創価学会の茨城における謀略部隊の中心者が入信報告書の破棄を要求した。この中心者というのが例のソックリさんであるが、当然、顕正会側は相手の要求を拒否する。そこで業を煮やしたソックリさんが顕正会の組長を監禁・暴行したという。
この事実関係については、顕正会側が刑事告訴に踏み切ったとのことであるから、その結果を待つことにしたい。

しかし、それで話を終えるのもどうかと思うので、現時点での所感を書いておく。

入信者は入会者ではないのか?

これが顕正新聞第1185号記載の当該記事を読んでの疑問である。つまり、相手は創価学会の子女なのではないか、ということだ。単純に考えて、創価学会側がいちばん困るのは、彼らの子供たちが顕正会に入会してしまうことだ。そこを謀略部隊と呼ばれる人たちは阻止したいわけだろう。もちろん顕正会の活動全般を妨害する意味もあるだろうが、とりわけ創価学会の子女が狙われることを警戒しているはずである。

志村けんのソックリさんが監禁・暴行という常軌を逸した行動に出たのも、自分たちの大事な後輩ないし後継者が顕正会の毒牙(?)に掛かったからだろう。さすがに無関係の人であれば、そこまでの行為はできないと思うのだが、いかがだろうか?

しかし、記事を読む限り、くだんの同級生が創価学会員であるとは書かれていない。あるいは現時点では不明のことなのであえて書かなかったのかもしれない。やがて裁判が進行する中で、そうした事実も判明してくるかもしれない。

余談になるが、わたくしは例のソックリさんを見たことがある。こう書くと、いったいどこで見たのか、気になる読者もいるかもしれないが、何のことはない、かつて顕正新聞に彼の写真が掲載されたことがあるのだ。確かに若い頃の志村けんに似ていると思った。しかし、おそらくは十年以上経つだろうから、今の風貌がどんなアンバイであるか、そこはわからない。

瞳を輝かせた教師≠ェ集ってきた!

今度は別の記事であるが、これまた男子部組長である。高校二年生だろうか、昨年の四月に母親の折伏で入信したと書かれている。凄いではないか、現役の高校生が現役の高校教師を入信させたのだ。数学の教師だそうだ。

創価学会が恐れるのも無理のない話である。なぜならば、こうした若い人材が次々と出てくるからである。

しかし、最近の顕正会は若い人ばかりではない。いわゆる後期高齢部の入信も多い。顕正新聞第1185号には平会員の記事が二つ出ているが、一人は八十一歳の男性女子部員である。もう一人は六十三歳、まだ後期高齢部ではないが、この人は現在男子部に所属しているものの、もともと女子部員の折伏によって創価学会から入会した模様である。

これらも解釈によっては若い人材と言えるかもしれない。つまり、年齢は高いけれども新たに顕正会に加わった意味においては新しい人材だからだ。

いずれにしても創価学会が恐れるわけである。

しかし、冒頭に書いたごとく、実数としてはそれほど増えていない。ご存知のごとく、退転者も少なくない。

2010/10/27

顕正会御用達  
顕正新聞第1185号の話題である。最終ページには恒例の食べ物のコラムが掲載されているが、今回は豚肉である。うまそうだ。写真に付されたキャプションには次のごとく書かれている。

芙蓉茶寮で提供されている「成毛豚」を使用した食品

食品という言い方がちょっと気になるが、これはどうでもいいだろう。問題は成毛豚だ。

火災で豚舎焼失、かえって御守護

同新聞の六面には九月度総幹部会の体験発表が掲載されている。上掲はその見出しであるが、発表者はなんと男子部の隊長なのだ。何が驚きかというと、隊長クラスが体験発表をするのはめずらしいことだからである。
しかも、わたくしの記憶では以前にも同じ体験発表をしているのだ。ゆえに、何を今さら・・・という気がしないでもないのだ。今現在、大幹部をやっている人たちにしても、過去に一度くらいは体験発表をしている。しかし、リメイクだかリバイバルだか知らないが、同じ体験発表をすることはあり得ないことなのだ。
その意味で、何を今さらと思ったのと同時に、いよいよ顕正会も手詰まりになってきたのだろうかとの感慨を懐いたものである。

しかし、これはわたくしの誤解だった。

体験発表というのは、後日談が重要なのだと思う。ようはテレビドラマでも何でも同じだが、いちばん劇的な部分を切り取って発表しているようなものだ。しかし、ハッピーエンドの話であっても、そこが人生の終着点ではなくて、その後も人生は続いていくわけである。ゆえに、その後の人生がどうであったか、そこが問われるところなのである。

この人の奥さんは女子部総班長、長男は男子部支隊副長、次男は男子部組長、長女は女子部班長だという。凄いではないか。自分が男子部隊長であり、息子たちが男子部の活動会員。奥さんが女子部総班長であり、娘さんもまた女子部の第一線で活躍しているのだ。

養豚場の事業経営の話もさることながら、次のくだりがわかり易いだろう。

 また経済面でも多大な御守護を頂き、車も新車・中古車あわせて六台も購入でき、自宅の「離れ」も増築することが叶ったのでした。

ようするに、顕正会の活動の面においても、生活の面においても、ひじょうに充実している様子が窺えるのだ。

なかなか表面化しないことだけれども、あれほど立派な体験発表をしていた人がどうしたことだろうか、というようなケースも少なくないと思う。その後、退転してしまっていたり、あるいは健康面だとか経済面で苦境に陥っているとか、それがある意味では世の実相なのである。禍福はあざなえる縄のごとし、ということだ。

ゆえに、平成十七年二月に豚舎焼失があって、それから五年後の今日、いったいどういう状況にあるかを報告することには、大きな価値があると思う。

 私事ではありますが、私は顕正新聞の茶寮の特集記事にも紹介頂いたように、家族で養豚業を営んでおります。

さて、ここから一転して、批判的に書く。

そもそも体験発表とは「私事」に他ならないのであるが、この人の場合は己れの事業経営が顕正会と密接な関係にあるところがひじょうに悩ましい。今は相思相愛みたいなもので、顕正会本部としても成毛豚を高く評価しており、一方の成毛家は全員が熱心な活動会員としていわゆる御奉公をしているわけである。

では、もし仮に成毛家が一家揃って退転してしまったならば、どうなるだろうか?

ことに法華講員にでもなってしまったならば最悪の事態である。おそらくは取引停止であろう。もはや顕正会としては成毛豚を使わないに違いない。
本来ならば、ビジネスと個人の思想信条は切り離して然るべきことであるが、現実的にはそういうわけには行かないと思う。実際、創価学会から顕正会に移籍してきた人の登壇に、創価学会関連の顧客を失っただとか、干されてしまっただとか、ようは不利益を被った話が出てくる。
顕正会だって同じことをするに違いないのだ。

逆に言えば、成毛家は顕正会と相思相愛の状態を保っていれば安泰でいられるのだ。

それは本人がいちばんわかっていることだろう。ゆえに奥さんも頑張っているし、子供たちにも頑張るようにと信心を植え付けてきたのだ。

さて、ここでもう一つの視点を加えておこう。組織利用の問題である。

成毛氏自身、私事ではありますがと断わっているごとく、養豚の事業そのものは顕正会とは別個の成毛家の個人事業である。ところが茶寮の特集記事などで何度も紹介されているし、今回の新聞では六面に当該体験発表があり、八面(最終面)には冒頭に掲げたコラムが掲載されているのだ。まるでタイアップ記事みたいである。

これまた、あまり表面化しないので説明がおぼつかないけれども、幹部が降格だとか謹慎、あるいは除名というケースもあるのだろうか、過去には商売がらみのことで組織を利用して処分されたということが何度もあったごとくである。何しろ表面化しないので具体例がなかなか出せなくて恐縮だが、おそらくはいずれの組織においても起こり得ることなのでご理解いただけることだろうと思う。結論的に組織利用はいけないことである。

しかし、成毛豚の場合はいわば顕正会公認のことなので、これが組織利用であるとして糾弾されることはない。

ここであえてわたくしの感想を申し述べれば、ちょっとズルイかな、ということになる。

現時点ではそれほど感じないというか、誰も感じていないことかもしれない。しかし、顕正会は拡大路線を歩んでいるわけだろう。すると、将来的には同業者の入信もあり得ることである。それは成毛氏の折伏によってではなく、むしろ全国的な弘通の中でたまたま入信者が養豚業者だったというケースが次々に出てきてもおかしくないのだ。ようはその時にどうするかである。その時、成毛豚だけが絶対的に優遇される理由は失われる。少なくとも他の業者は思うだろう、成毛さんところはいいなあ、顕正会御用達で安泰だから・・・と。

よく知らないが、組織利用で処分されるというのは、その方法がひじょうにエゲツナイとか、あるいはその商売の内容そのものがイカガワシイ場合などであろう。たとえば自動車会社の営業マンが顕正会に入ったとして、もし車がほしい人がいればその人に自社の車の購入を勧める、それが直ちに組織利用になるとは思えない。大手メーカーの自動車販売がイカガワシイ商売のわけもないので、あとはノルマに追われて強引に購入を勧めるような場合に問題になるのだろう。

そうした意味を勘案して、わたくしは現時点で成毛豚を問題視するつもりはないのだが、将来的には上述のような問題が生じてくるのではないかと思う。ようは同業者に対する配慮ということだ。もし顕正会が本気で広宣流布を目指しているのであれば、今から考えておくべき事柄だろう。

2010/10/22

正眼の構え  
山門手前氏はずいぶんとシャレタことを言うものである。正眼の構え、を辞書で調べると、中段の構え、というようなことが書かれている。なんだそりゃ、という気がしないでもないが、おそらくは偏向をいましめる意味があるのだろう。いわゆる上から目線であるとか、逆に自分がへりくだり過ぎるのもよくないので、その中間的なところがいちばんよいのだろう。それが正眼の構えの意味するところだと思われる。

nabe氏からは、よく読め、という意味のコメントを頂戴した。しょせんはその人の境界でしか物が見えない。自分では正眼の構えのつもりでいても、実は物凄く変則的な構えをしていることもある。すると正しいことが曲がって見えたり、その逆だったりする。わたくしとしては物事を客観視しているつもりでいるが、どうもそうではないらしいのだ。

そこで開き直って、おそらくはnabe氏のコメントの全体的な意味からすると、あまり関係のなさそうな部分を取り上げたいと思う。

 これを「変わり者」というなら、それは日天に矢を射る行為となるでしょう。

変わり者云々は、コメントの内容を批判したものではなく、わたくしの勝手な主観として拙ブログのコメント投稿者には何となく変わり者が多いような気がしたものだから、氏もその一人に含まれるだろうか、と書いたまでのことである。

それはともかく、日天に矢を射る行為とは物凄い譬喩である。こうした表現が出てくるのは、御書に精通しているからだろう。ご存知、慈覚大師の夢の話がそれである。
御文の紹介を省略するが、これは大聖人が本格的な真言批判を展開あそばす中で、挙げられている事例の一つなのだ。
簡単に説明すれば、太陽を弓で射るような夢が吉夢のわけがない、慈覚の夢はとんでもない悪夢だということだ。事実、伝教大師の清流たる叡山が濁り始めたのは慈覚以降であり、ひいては源平合戦を経て承久の乱に至って、とうとう皇室は衰微をきわめることになる。すべては亡国の悪法たる真言を重んじたゆえのことだ。

ところで下のリンク先をご覧いただきたい。

http://white.ap.teacup.com/ganko/152.html

ずいぶん古いが初期の拙ブログである。ここでわたくしはなぜか慈覚大師を善無畏三蔵と間違えてしまった。単なる勘違いであるが、実は最近になってその原因が判明したのだ。勘違いといえども何かしらの原因があるはずで、何の理由もなしに間違えるはずはない。たとえば混同しやすい名前であるとか、そうした何かしらの理由があって間違えが生ずるのだと思う。

中国における邪法真言の開祖・善無畏三蔵は日輪を射る夢を見て懐妊し、また我が国の念仏宗の元祖・法然は、母が剃刀を呑む夢を見たといわれる。

なんと浅井昭衛著の南無日蓮大聖人に、このように書いてあるのだ。わたくしの深層にはこの記述が残っていたのだろう。近年は御書ばかり読んでいるけれども、それ以前は浅井先生の著書ばかり読んでいた。それが結果としてリンク先のような勘違いを生んだのだろう。

法然の剃刀の話はけっこう有名らしい。ネットで検索するとたくさん出てくる。しかし、善無畏の話は見当たらない。これはどういうことだろうか?

もしかしたら浅井先生が間違えている可能性もある。これはぜひとも顕正会側の見解をお願いしたいところだ。ようは文証の提示である。

ちなみに、わたくしの記憶の範囲で言えば、上述の二つの故事は御書のどこにも存在しない。大聖人は法然のことも善無畏三蔵のこともたくさん言及あそばしているが、剃刀だとか日輪の話は出てこないはずである。もちろん、わたくしの読み落としの可能性もあるわけだが・・・

 そして順縁広布の時においては、小日本国の亡びんとするとき、大聖人様は絶大威徳を以て必ずや広宣流布をあそばすのであります。

話は変わる。これは九月度総幹部会の会長講演であるが、わたくしはこの部分がちょっと気に入らない。具体的には、小日本国の亡びんとするとき・・・の部分である。何となく不整合に感じられるのだ。その原因は直前の文章に由来する。

 謗法の小日本国は亡ぶとも、御本仏まします大日本国は断じて亡びない

アゲアシ取りに過ぎないかもしれないが、「小日本国は亡ぶ」と書いているわけだから、後ろの文章で「小日本国の亡びんとする」と書くのは矛盾に感じるのだ。

今日はこんなところで終わりにしよう。

前回の顕正会員諸君への質問は、回答者がゼロだったのでお蔵入りである。しかし、これもまた一つの破折方法と言えるだろう。どうやら今の顕正会員は戒定慧の三学を引き合いに出せばチンプンカンプンで回答不能になるらしいのだ。

2010/10/19

現役会員諸君への質問  
山門手前氏から長文のコメントを頂戴した。一読して、じゃっかんの危惧をおぼえた。正宗批判と受け取れる文言が散見されるからだ。正宗の御信徒としてはいかがなものかと思った。いや、もちろん、言論の自由はあって然るべきであるし、かく言うわたくしも顕正会員でありながら顕正会批判を書いているのだから、人のことをとやかく言えたものではないのだが・・・

旦氏は顕正会に対して好意的である。また、コメントを拝見すると、改憲論者のようでもある。もしそうだとすると、この辺は現宗門のスタンスとはじゃっかん異なるのかもしれない。

類は友を呼ぶ、というが、わたくしが変わり者だからだろうか、失礼ながら拙ブログのコメント投稿者には変わり者が多いようである。nabe氏もその一人だろうか?

 御供養は真心から行われるものですから、権力とは関係ありません。

国家権力と仏法との関係性について、わたくしは無関係とは言えないと書いた。これについてnabe氏は御供養の観点から異論を唱えてきた。

確かに御供養の精神から言えば、権力は無関係だろう。税金と御供養はまったく性質の異なるものである。
なぜに国家が税金を徴収できるか、それはぶっちゃけ権力があるからだろう。脱税でもしようもならばお縄頂戴となる。ゆえに払わざるを得ないのが税金である。強制力が働くのだ。
一方の御供養は、強制されるべきものではない。ゆえに国家権力とは無関係である。

しかし、それは御供養の話であって、いわゆる政治と宗教の関係をその一点だけに集約して論じてしまったならば本意を見失うことにもなりかねないだろう。

王法仏法に冥じ、仏法王法に合して・・・

いわゆる王仏冥合の文証は三大秘法抄に求めることができる。この一文を曲会して、王法をさまざまに解釈したとしても、そこに国家権力が含まれないとすることはできないだろう。また冥合の意味においても、これをいじくり回したところで無関係という結論にはならないだろう。

是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり。

ここでの威力が権力に相当することは論を俟たない。これまた解釈をこねくり回したところで、正反対の結論にはならないはずだ。

以上、大聖人の仏法が国家権力と無関係というのは言い過ぎである。より正確に言えば、現時点では他の宗教と同じ土俵にいるけれども、広宣流布の暁には国家と密接な関係を結ぶことになる。問題はその具体的なビジョンとして、どのような関係性が望ましいかである。たとえば浅井先生は上掲の経文などを根拠としているのだろう、広宣流布の時には仏法守護のための国軍を設けるべきだ、というようなことを発表している。わたくしは正直、これには抵抗がある。さりとて他のビジョンがあるわけではなく、何となく危険な発想のように感じてならないのだ。

九月度総幹部会の話題に入ろう。今頃になって九月の話もどうかと思うが、ちょうど内容的にも今日の話題に当てはまる部分があるので、取り上げたい。テキストは顕正新聞第1185号である。

 いいですか。国立戒壇というのは、国家・国土を成仏せしむる唯一の秘術、仏国実現の唯一の秘術なのです。
 個人が成仏させて頂く秘法は、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉る本門の題目。そして国家・国土を成仏せしむる秘術が本門の戒壇、すなわち国立戒壇の建立なのであります。
 そして本門の題目も、本門の戒壇も、ともに本門の本尊の功徳・妙用を本としている。よって「本門戒壇の大御本尊」を三大秘法総在の本尊と申し上げる。これが三大秘法の根本義であります。


浅井先生が正本堂について、国家と無関係に建てられた正本堂が御遺命の戒壇のわけがない、という意味のことを言い続けてきたのは上掲のような思想を持っているからである。

わたくしはこの説明をひじょうにうまいと思っている。平易であり、なおかつ整理整頓が行き届いていて、要点がしっかりと伝わってくるのだ。図示すれば次のごとくなるだろう。

        本門の題目=個人の成仏
本門の本尊
        本門の戒壇=国家・国土の成仏


しかし、今のわたくしは、これに疑問を感じないわけではない。本門の題目を唱えて成仏させていただけるというのはいいだろう。では、本門の戒壇を建てることによって、国家・国土が成仏するというのは、何を根拠に言っているのだろうか?

今号の顕正新聞一面の大見出しには次のごとくある。

国立戒壇の本義 全員心腑に染む

顕正会の活動会員たちは全員が国立戒壇の本義を心肝に染めているわけだろう。ならば、わたくしの疑問にもスラスラと答えられるはずだ。わたくし自身は、国立戒壇建立が国家・国土の成仏と聞いて、かつてはそのまま結論だけを鵜呑みにしていた。しかし、今は自分で御書を拝読するようになって、はたしてこれでよいのだろうかという疑問が湧いてきた。ようは国立戒壇の本義が心肝に染まっていなかったのだ。心肝に染まっているはずの活動会員諸君であれば、わたくしの疑問に答えられるはずである。

そういうわけで、これを現役活動会員への宿題としたい。

とは言っても、残念ながら拙ブログへコメントを寄せる会員は少ないので、ある程度は話の筋道をつけておく必要がある。

 近来の学者一同の御存知に云はく「在世滅後異なりと雖も、法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠いても成ぜず」云云。

三学というのは戒定慧の三学のことだ。上掲は四信五品抄の冒頭の一節であるが、御相伝書の上行所伝三大秘法口決によれば、戒は文字どおり戒壇、定は本尊、慧は題目に相当するごとくである。つまり、三大秘法と戒定慧の三学には密接な関係があるわけだ。

わたくしの疑問は単純である。戒定慧の三学のうち、なぜに戒が国家・国土の成仏に相当するのか、ということだ。国立戒壇すなわち国家的に建てるから国土に感応があらわれるという説明をする人もいるかもしれないが、それはそれとして、ここでは戒定慧の三学の上から、どのような説明が可能であるかを知りたいと思う。


十月二十二日追記:脱字を補った。

2010/10/16

くだらない新ネタ  
旦氏にはたびたびご足労をたまわり、まことに恐縮であります。今回のコメントは簡潔にして要を得たものであろうと存じます。特に御成敗式目云々は、さすが御書に精通している人だけのことはある、不遜ながらそのように感じました。

大事の政道を破る。

御式目をも破らるゝか。


下山御消息ですが、上掲は同じ意味合いのことを仰せになっていると思われます。いわば一般名詞と固有名詞の違いみたいなものでありましょうか?

一閻浮提に八万の国々があるとすれば、それぞれの国に政道が存する。当時の日本においてはそれが御成敗式目だったわけでありましょう。
悪法もまた法である、というような言葉があります。その意味を勘案するならば、真の政道というか理想とする政道があるけれども、御式目はいまだそのレベルに達していなかったという思いが大聖人には存したかもしれません。すると上掲の後半、御式目をも破らるるか、の意味は、幕府は自分たちで作ったルールすら守れない、どうしようもない連中である、というような意味になるかと思います。
何を言いたいかと申しますと、二つの御文は近接しているわけでありますが、前半が「破る」という断定形になっているにもかかわらず、後半は疑問形であることの理由は何か、ということであります。同じ意味合いでありながら、断定形の後に疑問形が来ることの理由というか、大聖人が何を思われてそのように書かれたか、わたくしはそのことをつらつらと考えているわけです。

こうして、考える機会というか、ヒントを与えて下さった旦氏に対しまして、感謝申し上げるものであります。

さて、書き慣れない文体だと疲れるし、読者も気持ち悪い(?)だろうから、以下はいつものごとく書きたい。

山門手前氏は何を考えておるものか、その真意はまったく読めないけれども、ずいぶん難しい問題を論じておるものだなあ、というのがわたくしの勝手な感想である。
おそらく現代的な表現をすれば、政治と宗教の関係みたいなことがテーマになるかと思う。これは当然、王法と仏法の関係、いわゆる王仏冥合の問題であり、そこには自ずと国立戒壇の問題が含まれるので、ひじょうに厄介だ。
氏のいわく、大聖人は政治に直接介入するのではなく云々、と。直接でないとすると間接的な介入となるのかどうか知らないが、現代であれば政教一致の批判を受けることにも通ずるし、ともかく難しい問題である。

三、一時、本門戒壇を国立戒壇≠ニ呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって国家権力とは無関係である。

ヤブカラボウに引用したが、これは創価学会が昭和四十五年四月二十三日に提出した政府への答弁書である。

顕正会ではこれを、政府への欺瞞回答、と呼んでいるが、それはともかく、わたくしが気になったのは、国家権力という言葉である。なぜにこの言葉が出てきたのか、その理由が知りたいところである。政府の照会内容が具体的にどのような文言だったのか、あるいは共産党の質問主意書の内容がどうだったか、わたくしはそれらをまったく知らないので何とも言えないが、上掲だけを読むと「国家権力とは無関係」という点がひじょうに引っ掛かるのである。

善意に読めば、正本堂は国家権力と無関係に建てられたという、その現実をそのまま正直に語っているように読める。
しかし、共産党らが問題にしたのは、正本堂のことではないのだ。すると、くだんの答弁書は国立戒壇の問題を正本堂にすり替えたことになる。これを顕正会は正本堂の誑惑と称するわけである。
正本堂が国家権力と無関係に建てられたのは事実である。それはそれでいいのだ。問題はそこではない。まさに政治と宗教の関係が問われているのだ。それをくだんの答弁書では、国家権力と無関係と謳ってしまっている点にわたくしは引っ掛かるのである。

イジワルな書き方をすれば、創価学会はこの時点で落第したとも言い得るかもしれない。政治と宗教の問題、ひいては王仏冥合の大理想を放棄してしまったとも受け取れるのだ。さすがに無関係という言い方はどうだったか、他に言い様がなかったのかと、わたくしは思わずにいられないのだ。

ここまで書いてきて、山門手前氏が提起した直接間接云々が重要な視点であることに、改めて気がつかされた。やはり国家権力と無関係というのは言い過ぎであって、必ず何らかの関係があるのだ。ただし今日的には政教一致の批判を免かれない。ゆえに、どのような関係性を持つことが正解なのか、それを大聖人の御指南を根本とした上で、さまざまの角度から考えていくことが求められているのだと思う。

いずれにしても、これは難しい問題であるから、拙速に結論を出すのではなく、時間を掛けて考えていきたいと思う。

そこで、ついでと言ったら語弊があるかもしれないが、今日の話の中で創価学会破折の新ネタ(?)を思いついたので、ご披露したい。

創価学会は、昭和四十五年の四月二十三日に国家権力と無関係であることを表明した。しかし、いわゆる政教分離の表明は翌月の三日である。このタイムロスをどのように解釈するかが問題だ。後年、公明党は政権与党の一角を担うようになる。いわば国家権力を手に入れたのだ。すると四月二十三日から五月三日までのおよそ十日間が意味するところは、国家権力とは無関係という表面的なポーズを取りながらも内心では虎視眈々と権力の座を狙っていたことになるだろう。

もっとも世に数多く存在する創価学会批判者にしてみれば、そんなややこしい説明の仕方をするまでもなく、創価学会の権力志向は明々白々だと思うことだろうし、当の創価学会員にしてみれば、くだらないアゲアシ取りにしか思えないことだろう。

まったく、そのとおりである。

2010/10/13

旦氏の誤謬を破す  
沖浦氏は如説修行抄の一節を引いて、それを大聖人が律儀であられることの文証としているが、わたくしにはちょっと腑に落ちないものがある。大聖人は釈尊の仏勅を受けて末法に御出現あそばした。法王の宣旨とはその譬喩であろう。ならば、律儀とか不律儀とか、そういう次元の話ではないはずなのだ。

律儀ということであれば、一谷入道女房御書に出てくる話が大聖人の律儀さを物語っているかもしれない。御文はあえて省略するが、どうやら一谷入道に法華経十巻を差し上げるという約束を交わしたらしいのだ。けれども大聖人のほうが心変わりをして、やっぱり法華経を渡すのはよそう、という気持ちになっていた。それを弟子が咎めるのだ。一度約束したことを破るのはいかがなものかと。それで弟子の意見を受け入れて約束どおりに法華経を渡したという話である。
ちなみに、本文中には「鎌倉の尼の還りの用途」云々とある。これが何を意味するのか、わたくしが仕入れた話によれば、これは日妙聖人のことらしいのだ。ようは佐渡へ渡ったのはいいけれども、鎌倉に帰る費用を持っていなかった。それを一谷入道が用意してくれた。どうやら入道は、お金は返してくれなくてもいい、その代わりに法華経を・・・という交換条件を大聖人に持ちかけたらしいのだ。
面白い話だが、しかし、どうなのだろう。この「鎌倉の尼」が日妙聖人なのか、それとも別の見解があるのか、ご存知の人がいればご教示願いたいと思う。

さて、先日来の議論はいよいよ泥沼の様相(?)である。

旦が厳虎さんに教えてほしいことは、国主が幕府の要人であるなら、
報恩抄の、国主は但一人なり、二人となれば国土をだやかならず。
と、どう整合性をつけるのか…ということですね。


これについては特に説明の必要を感じない。わたくしは文脈的整合性が優先されると考えるからだ。つまり、同じ御書の中で正反対のことが説かれていれば悩むことになるが、別の御書であれば多少の不整合があってもそれほど気にする必要はないと思う。ともかく上掲の問いには、旦氏みずからが答えておられる。

すると、旦のようなこじ付けまでして、国主を一人にする必要はない。

ご自分でコジツケと書いているところが正直であり、好感の持てるところである。この件では、あえて浅井訳(?)を復活させたいと思う。

国主に仕える身となって、まつり事をなさん人々

これなら納得できるのではないだろうか?

何が何でも「国主は但一人」にこだわるのならば、浅井訳がいちばん整合性が高いだろうと思う。もう大半の読者がお忘れだとは思うが、実はわたくしの意見と浅井訳はそれほど違わないのである。往いては同じであると書いたのはそのことである。
わたくしは当該御文の国主を幕府要人と書いた。幕府高官でもいいだろう。ようするに複数形が許されるわけである。具体的には平左衛門と宿屋入道を挙げた。
浅井訳の場合は、あくまで国主は一人とした上で、それに仕える人々という語句を挿入することによって整合性を持たせているわけである。
これで結果的には同じ意味のことを言っていることがわかるだろう。

特定の為政者個人を対象としているのではないと言う解釈

つまみ食いで恐縮だが、山門手前氏のこのコメントはなかなか鋭いと思う。なぜならば「設ひ日蓮が身の事・・・」という文脈を受けているからである。「設ひ」というのは仮定の話であるから、その流れを受けている後ろの文章にもそれが適用される可能性がある。ゆえに、必ずしも特定の為政者を意味するとは限らないのだ。わたくしは二人の人物の名前を挙げたけれども、あるいはもっと下級のいわゆる事務レベルの人々を意味するとも考えられるかもしれない。

しかし、そうすると「国主となり」の意味があまりにもボケてしまうので、やはり浅井訳のごとく「国主に仕える身となり」のように解釈するのが妥当なのだろうか?

いずれにしても謎の多い部分である。もしかしたら、もっと違った斬新な解釈があるのかもしれないが、現時点では他にコメントもないのでそろそろ終了にしたいところだ。

そうは言っても、まだ問題が残っている。旦氏がせっかく回答を寄せて下さっているので、それについて言及しないのも失礼だろう。

平成新編御書等はいろいろ読みやすいように修正されているので用例は出ないかもしれない。
ようするにここの修正は見落とされているのでは…と思いました。


上掲は「は」を東国方言であるとして、「へ」に読み替えるべきという話があったので、類文の提示をお願いしたところ、このような回答があったわけである。しかし、初耳の話だ。漢文体御書の読み下しであるとか、難読漢字を平易なものにしてあるとか、そういう話は聞いたことがある。しかし、旦氏の話ではそれにとどまらず、方言の部分を直してしまっているらしいのだ。そんな馬鹿なと思うが、どうなのだろうか?

種々御振舞御書は曾存なので今さらどうしようもないが、御真蹟の残っている御書がたくさんある。もし旦氏に自分の読み方が正しいとの確信があるのならば、御真蹟から具体例を探し出すべきだろう。

設ひ日蓮が身の事なりともについては
十一通御書の
身の為に之を申さず、神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり。
を合わせて拝読したいところです。

この逆で、もし身の為に申したとしても 国の為になる政道の法よ、という意味ではないかと考えました。


おっしゃる意味は理解できなくもない。しかし、残念ながら論理が破綻していると思う。詳細な説明は次に譲るとして、ともかく現代語訳をどうするかが問題である。十一通御書を引き合いに出すのは構わないが、基本的には独立した文章になっていないとおかしい。ゆえに、「設ひ〜政道の法ぞかし」までをトータルで訳した場合にどうなるか、もし訳文に自信があるのならば、ぜひとも提示願いたいと思う。

大聖人が政道の法を行じているという根拠は

例せば殷の紂王・比干といゐし者いさめをなせしかば用いずして胸をほり周の文・武王にほろぼされぬ、呉王は伍子胥がいさめを用いず自害をせさせしかば越王勾践の手にかかる、これもかれがごとくなるべきかと

になります。これもかれがごとく、とあります。


どうやら旦氏は全集を使われているらしい。それはさておき、まずは例の論理破綻について説明したい。

比干や伍子胥の事例は真の忠臣を意味するわけで、十一通御書の北条時宗への御状にも出てくる話である。旦氏も引用されているが、同御書の最後を大聖人は次のごとく締め括られている。

只偏に大忠を懐く故に、身の為に之を申さず。神の為、君の為、国の為、一切衆生の為に言上せしむる所なり。

まさに比干や伍子胥の先例を引いて、己れもまた大忠を懐くものであると宣言されているわけだ。なるほど、これを政道の法であるとすれば、見事に一致することになる。

しかし、眩惑されてはいけない。この話には落とし穴があるのだ。「設ひ日蓮が身の事なりとも」が答えである。比干も伍子胥も自分の利害損得で行動したわけではない。大聖人も然りである。つまり、やはりどうしても「設ひ日蓮が身の事」というのは正反対のことであり、先例にも当てはまらないし、政道の法とする理由にはまったくならないのである。

煩瑣ながら平成新編の表記で再掲しよう。

例せば殷の紂王に比干といゐし者いさめをなせしかば、用ひずして胸をほる。周の文武王にほろぼされぬ。呉王は伍子胥がいさめを用ひず、自害をせさせしかば越王勾践の手にかゝる。これもかれがごとくなるべきかと、いよいよふびんにをぼへて・・・

そもそも、この御文を根拠に大聖人が政道の法を行じているとするのは大間違いであり、文意の取り違えも甚だしいと言わねばならない。もし、最後の「いよいよふびんにをぼへて」に気がつけば、こんな間違いはしないはずなのだ。

旦氏は「これもかれがごとく」の部分に着目し、「これ」を大聖人とし、「かれ」を比干・伍子胥と言いたいらしいが、とんだ勘違いである。考えるがいい、大聖人が御自分のことを「ふびん」などと仰せになるだろうか、と。

ここの文意は、殷の紂王や呉王は忠臣の諫言を用いず、結果的に我が身も国も亡ぶことになった、ひるがえって鎌倉幕府は大聖人の諫暁を用いず国を亡ぼそうとしている、まさに先例のごとくであり、それがフビンに思えて仕方がない、という意味なのだ。

ここまで書けばじゅうぶんだろう。

以上、大聖人はあくまで仏道を行じているのであって、政道ではない。たまたま政治の分野に好都合の先例があっただけの話である。アゲアシ取りのようであるが、もし大聖人が外典を引用したら外道の法を行じていることになるのか、と言いたいくらいである。むしろ為政者に対して政道の法の何たるかを、ようは正しい政治のあり方を諭しているわけだろう。この文脈であれば、「設ひ日蓮・・・」の意味も明瞭になるはずだ。逆に大聖人が政道の法を行じているとすれば、この御文は解釈不能である。何しろ、身の為に申さず、なのだから・・・

2010/10/11

無理筋の解釈  
今朝までに種々のコメントをたまわった。

のび太氏いわく、少しご自身で推敲されてはいかがでしょうか、と。ぶっちゃけ言えば、自分で考えろ、ということだろう。これは困った。少なくとも御書を拝読している範囲では、岩本実相寺についての御記述が見当たらないので、今のわたくしの勉強法では永遠に到達できない分野なのだ。まあ、これはこれで致し方のないことと諦めよう。

沖浦氏いわく、律儀の代表が大聖人、と。これは律儀という表現が適切なのかどうか微妙なところだが、確かに山門手前氏も指摘しているごとく、大聖人はいわゆる筆まめであられた。これはまさに世俗的な言い方をすれば律儀に相当するのだろう。

 日蓮は所らうのゆへに人々の御文の御返事も申さず候ひつるが、この事はあまりになげかしく候へば、ふでをとりて候ぞ。

さすがに大聖人といえども御晩年は執筆量が少ない。上掲のごとく、御病気でもあられたのだろう。ゆえに、人々から手紙をもらっても、返事を書かないでいらしたごとくである。しかし、上野殿の母に対しては何度も御手紙を書かれている。その理由は五郎殿を亡くされたことへの慰めであるが、病を押して返事を書かれるさまは律儀さという次元を超えていると思う。まさに御本仏の大慈大悲と拝するべきところだろう。

さて、本題である。

山門手前氏のおっしゃることは一般論というか、具体性に欠けるところがあると思う。役所の譬えは明快であるが、では結論として幕府の要人を支持するのか、それとも別の意見なのか、そこがはっきりしていない。今問題となっているのは、種々御振舞御書の冒頭に出てくる国主が何を意味するか、である。よって、その具体的な見解が求められているのだ。

種々御振舞御書の国主が地域レベルの国主でないことは
大蒙古国、日本国と冒頭に出ていることからわかると思います。
ここに越後の国や大和の国と出ていれば、まだ可能性はなくはないですが
大聖人はもっとスケールの大きな話をされているのではないでしょうか。

ところで
又主を王といはゞ百姓も宅中の王なり。地頭・領家等も又村・郷・郡・国の王なり。の後には
しかれども大王にはあらず。とありますよね…。


これは旦氏のコメントの後半部分である。前半部分については後ほど取り上げさせていただくが、どうしても先にこちらを片付けてしまいたいのだ。

正直なところ、ひじょうに心外である。拙稿をよく読んでもらいたいものだ。恥を忍んで再掲しよう。

この地域レベルというのはあまり上手な表現ではなかった。いちおう修正案として、ここでは国の要人という意味だとしておこう。

これは前々回の拙稿である。そして前回も同趣旨のことを書いている。

すでに修正案を提示したごとく、わたくしとしては稚拙な表現だったと少しばかり後悔しているところであるが・・・

さらに次の部分が重要である。

結論を書くと、特殊な例を除けば、ほとんどすべてが「日本国の国主」の意味であり、地域レベルの国主というのは皆無に等しいようである。

旦氏ほどの人物が理解できない道理はないだろう。種々御振舞御書の最初に出てくる国主について、わたくしは幕府の要人であると結論しているのだ。それにもかかわらず、わたくしがいつまでも地域レベルの国主に拘泥しているかのごとく書くのはいかがなものか、と思う。誤解も甚だしい。

いや、もちろん、わたくしの文章が文字通りの拙文だから誤解も生じるのだろう。この点は大いに反省しないといけないことだ。

国主となり、まつり事をなさん人々は、取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。

国主となり政治を行う人々へ、伝え申したのであるのは政道の法よ。

直訳はこうだと考えています。
注目したいのは「申す」という謙譲語なんですよね。
国主は頂点なので謙譲すべき相手はいませんから、
ここは、大聖人が主語として省略されていると考えています。

また、「人々は」の「は」は上代東国方言と考えて
「へ」に変換すべきではないかなと思います。


さて、順序が逆になったが、これが旦氏のコメントの前半部分である。

ひじょうに悩ましいところだ。わたくしの頭が硬いからなのか、なんだこりゃ、というのが正直な感想である。逆に言うと、旦氏の柔軟な発想には恐れ入った、となるだろうか?
こればかりは第三者の判定を仰ぐしかないけれども、わたくし自身はけっこう柔軟な解釈をしているつもりである。前回のタイトルもその意味を含んだものである。
しかし、案外にと言ったら失礼であるが、むしろ旦氏のほうが柔軟性に富んでいるのではないか、という気がしてきた。

それにしても「は」が「へ」であるというのはいかがなものか・・・

文法的なことはよくわからないが、上代東国方言の根拠がほしいところである。いちばん望ましいのは、大聖人の御使用例を挙げることだろう。もし大聖人にいわばそうした訛りのようなものがあるのならば、他にも用例があるはずなのだ。たった一箇所しか存在しないというケースもあるかもしれないが、しかし、今回の問題では通用しないだろう。わたくしの勝手な印象を言わせてもらえば、これは旦氏の牽強付会にしか見えないからである。よって、類文というか、同様の用語例を挙げていただきたいと思う。

もう一つ、お願いしたい。前回紹介した今泉訳を再掲しよう。

 たとえ、日蓮の身の上の事であったとしても、国主となって、政事を為す人々に取りましては、書状(十一通御書)を取り次ぐことが政道の法でありましょう。

わたくしはこれを全面的に支持するというわけではないけれども、直訳としてはほぼ正解であろうと思う。ところが旦氏の訳文は最初の部分が入っていない。ゆえに、そこを含めて訳していただきたいのである。

仮に今、暫定的に二つの訳文を合体させてみる。

たとえ、日蓮の身の上の事であったとしても、国主となり政治を行う人々へ、伝え申したのであるのは政道の法よ。

何を言っているのか、さっぱりわからない。

つまり、わたくしとしては旦氏の訳文を採用できない。いかにも無理があるからだ。

そもそも大聖人が行じているのは仏道の法であって、政道の法ではない。政道の御使用例を調べればわかるが、それらは為政者の失政を念頭に置いての言葉であって、大聖人が政道の法を行じているなどという話ではないのだ。

理不尽の政道出来

政道をまげたりとも仏意に背かじ

政道も曲がる事なし


上掲は下山御消息の一ページ分から拾い出したものであるが、同御書には他にも同語が多数存在するので確認されるとよい。

以上をまとめると、三点になるだろうか?

上代東国方言の御使用例を挙げること。設ひ日蓮が身の事なりとも、を含めた上での訳文の再提示。大聖人が政道の法を行じていることの根拠。

これらの回答をお願いしたいと思う。

2010/10/10

国主についての柔軟な解釈  
律儀にも沖浦氏より返報をたまわった。氏の根強い人気の秘密は、こうしたキメの細やかさにあるのだろう。氏の掲示板を拝見していると、いったい何人の常連さんがいらっしゃるのか、数えるのが面倒なほどである。

のび太氏からは質問をたまわった。しかしながら回答は保留としたい。いろいろ思うところはあるけれども、それをありのままに書くと物議を醸しかねないからだ。

それはさておき、本題である。旦氏との議論は、山門手前氏も加わって、いよいよ面白くなってきた。

 たとえ、日蓮の身の上の事であったとしても、国主となって、政事を為す人々に取りましては、書状(十一通御書)を取り次ぐことが政道の法でありましょう。

これはよそから拾ってきたものなので、リンクを貼っておくのが礼儀というものだろう。

http://homepage2.nifty.com/gosyo/syujyu_yaku.htm

これが正解なのかどうか、まずはそこから検討する必要がある。いちおう、直訳としてはこれでよいのではないかと思うが、いかがだろうか?

旦氏の前回分のコメントでは、以下のごとく訳している。

過去に国主に取りつぎを通して申したことが的中したこからこそ、今回もまた取りつぎを通して申した。

これは過去の漢土の臣下がやったことと同じように政道の法にあたる。


これは直訳ではないので、直ちに比較検討するのは難しい。しかし、どうだろう、これではあたかも大聖人が政道の法を行じておられるかのごとく読めてしまうのだが、だとすれば前掲の直訳とは正反対である。文脈からすれば、大聖人はまつり事をなす人々の怠慢を叱責されている、彼らの怠慢を政道の法に悖るではないかと御叱りになっているのだ。よって、旦氏の解釈はとんだ勘違いのように思われるのだが、いかがだろうか?

さて、一方で問題となっているのはわたくしが発案した、地域レベルの国主、である。これについては山門手前氏から賛同のコメントを頂戴しているわけだが、実は前回分の拙稿をよく読んでもらえれば、修正案が示されていることに気がつくはずである。わたくしは、ここでは国の要人の意味、と書いた。つまり、地域レベル云々を全面的に撤回するわけではなく、当該御文においては国の要人とするのがもっとも正鵠を射ている解釈ではないか、ということである。

種々御振舞御書の冒頭からのほぼ一ページ分をよく読んでもらいたい。そこには「国主」と「上」が登場するが、わたくしはこれを次のように整理したいと思う。

上=北条時宗

国主=宿屋入道ら


つまり、上が執権時宗であり、ここでは国主がそれに仕える人々を意味するのだ。もちろん、「人々」であるから一人だけではない。他に挙げるならば、平左衛門が代表的人物となるだろう。大聖人いわく、一天の屋棟と。あるいは、天下の棟梁と。これが意味合いとして、国主に近似の表現であることに異論を唱える人はいないと思う。

さて、問題は宿屋入道であるが、これは宿屋入道許御状→宿屋入道再御状→十一通申状の流れを確認されたい。種々御振舞御書の冒頭の一段が文永五年の状況を活写せられたものであることを知ることができるだろう。大聖人は宿屋入道に期待していた。しかし、期待外れだった。それが文永五年当時の御書とそれを回想あそばす御書とを比較検討することで、自ずと見えてくるはずである。

以上、甚だ説明不足ではあるものの、「上」を執権時宗と見るならば、文脈的整合性からして「国主」を幕府要人とするのが道理であろう。

ここで余談というか、一つの可能性として書いておくと、大聖人の国主観はひじょうに柔軟性に富んでいる。前々回の旦氏のコメントにもあるごとく、鎌倉幕府の執権はたびたび替わっている。ということは「上」は一定しないことになる。ここに真の国主たる天皇の存在がクローズアップされるゆえんもあるわけだが、わたくしはまったく違うことを想起した。大聖人は鎌倉幕府を一個の集合体と捉え、それを国主と称したのではないかということだ。もしこれが正しいとすると、案外に民衆国主論の淵源は大聖人に求められるのではないか、ということになると思う。

国主となり、まつり事をなさん人々

まさに人々という複数形が民衆国主論の萌芽を思わせるところである。

当時、「国」という表現は「越後の国」や「大和の国」など現在の「都道府県」を示す場合と、日本全体を示す場合と同じ表現を用いていましたので解釈上適宜登場する人物の地位等を考慮しながら判断する以外にないと思います。

さて、今度は話を戻すことになるが、地域レベルの国主という表現に賛同して下さったのが山門手前氏である。

すでに修正案を提示したごとく、わたくしとしては稚拙な表現だったと少しばかり後悔しているところであるが、さりとて全面的に撤回するものではない。なぜならば、これはそれなりの根拠があって書いたことだからだ。
御書には国主という表記がたくさん出てくる。平成新編御書検索では百三十九件のヒットがある。この数字は同じページに複数の国主がある場合を数えていないと思われる。また、検索機能の不具合やデータの問題もあるので、この数字がすべてではない。よって、国主という御表現は膨大をきわめる。
わたくしは検索可能な範囲で、いちおう、ざっと調べてみた。その成果を以下に記してみよう。

結論を書くと、特殊な例を除けば、ほとんどすべてが「日本国の国主」の意味であり、地域レベルの国主というのは皆無に等しいようである。
特殊な例というのは、仏は三界の国主、というような御表現であり、これはさしあたって今の議論とは別次元のことであるから除外しないといけない。いや、もちろん、これも含めて考察する方法もあるとは思うが、それはまた別の機会に譲りたいと思う。
さて、問題はわたくしの期待とは裏腹に、御書に示される国主の意はほとんどすべてが日本国レベルの国主なのである。これは困ったことだ。しかし、前述のごとく、わたくしの主張にはそれなりの根拠がある。御書に地域レベルの国主という概念がまったく存在しないかというと、実はそうでもないのである。

まずは道理として小乗大乗分別抄の冒頭を掲げておこう。

 夫小大定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云ひ、五尺の男に対しては六尺・七尺の男を大の男と云ふ。

次に祈禱抄を拝する。

然るに国主と成り給ふ事は、過去に正法を持ち仏に仕ふるに依って、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らひとして郡郷を領し給へり。

大小の王に注目すべきである。郡郷を領する人を郡主・郷主と呼ぶのかどうか正確なところはわからないが、これらが小国の主に相当することは道理の指し示すところである。

日本国は大王の如し。国々の受領等は小王なり。

内房女房御返事である。これも道理に立脚するならば、国々の受領等もまた国主の一分となる。

さらに補強のために顕謗法抄を拝しておきたい。

又主を王といはゞ百姓も宅中の王なり。地頭・領家等も又村・郷・郡・国の王なり。

以上、これらの御文を踏まえるならば、大聖人が幕府の要人を指して国主と表現あそばしたとしても矛盾はないだろう。

2010/10/8

国主についての一考察  
本日は国主に関する考察を行なうつもりであるが、その前にいくつかコメントを頂戴しているのでお返事申し上げたい。

沖浦氏の凄いところは所属の教団について確信を持って誇れることである。わたくしとはまるで正反対である。ゆえに沖浦氏から見れば、わたくしなどは嫌悪の対象になってもおかしくないだろう。しかし、氏がそのような意味のコメントを寄せてきたことは、一度もないと記憶している。その理由は不明だが、わたくしなりに想像すると、拙ブログは単なる悪口中傷ではなく、いちおうは道理を尽くしているからだろう。いつも言っていることだが、悪意丸出しの文章は気持ちのいいものではない。その点、わたくしは節度を持って書いているつもりである。

山門手前氏からは質問なのだろうか、その意図がよくわからないけれども、単に同意を求めているのであれば、まさにおっしゃるとおりだと思う。ただし、わかり切ったことを書けば、それぞれ立場も違えば事情も異なるのだ。創価学会の民衆国主論と顕正会の天皇国主論、そして現宗門はいわば態度保留となるのだろうか、それぞれが理論構築なり進化・深化が求められるのは当然のことであるから、おっしゃることには同意するしかないだろう。しかし、だから何なの? というのがおそらくは第三者の正直な感想だろうと思う。

さて、いよいよ本題に入ろう。

「人人」については、立正安国論のときは北条時頼でしたが、
その後、北条長時、北条政村と変遷しているので
そのことを意味していると思っています。


旦氏とはこれまでにも有意義な議論をしてきたが、今回もまた面白いことになりそうである。

わたくしは種々御振舞御書の一節に疑問を感じて、一つの仮説を打ち立てた。ようするに国主の意味について、当該御文においては日本国の国主とは異なる意味なのではないか、というふうに考えたわけである。何はさておき御文を掲示するのが先だった。

国主となり、まつり事をなさん人々

国主は一人のはずである。ゆえに「人々」という御表現は自己矛盾のように感じられるところである。よって、これは日本国の国主ではなく地域レベルの国主であろうとわたくしは考えた。
実は前回、これに関して浅井先生の解釈を引き合いに出した。厳密には先生が当該御文をこのように解釈しているのかどうか、そこは定かではないことをお断りしておく必要があるわけだが、先生は「国主に仕える人々」というような意味に捉えているらしい。わたくしはこれをゴマカシの解釈であると思って、そのように書いた。だが、しかし、よくよく考えてみると、往いてはわたくしの解釈と同じだということに気がついた。
その理由は自ずと見えてくるはずであるが、結論として旦氏の解釈は間違いであり、大筋において先生の解釈とわたくしの解釈が共通し、それが正解であろうということだ。

旦氏の考え方はきわめて合理的であり、いちおうは当該御文の矛盾を解消していることになると思う。ただし、二つの点において間違いを犯していると思う。

設ひ日蓮が身の事なりとも、国主となり、まつり事をなさん人々は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。

これが平成新編における、いわゆるワンセンテンスである。つまり、当該御文の「人々」は取り次ぎをするべき人々を指しているわけである。ゆえに、浅井先生の解釈はゴマカシではなく、文脈に沿った形での意訳と言えると思うのだ。今、先生の解釈を取り入れて御文を再掲示すれば、次のごとくなるだろう。

国主(に仕える身)となり、まつり事をなさん人々

旦氏のもう一つの間違いは、当該御書の冒頭からの流れを踏まえていない、と思われる点である。種々御振舞御書は自伝的な御書であり、時系列で書かれている。ここはいわゆる十一通の申状を各方面へ送った時の相手側の反応について云々されているくだりであるから、過去の北条時頼らが含まれる余地はないと考えるべきである。まさに蒙古襲来という国難を前にして大聖人が国を護るべき方途を示さんとしているにもかかわらず、取り次ぎの人々が上司に取り次がない、現代的にはお役人の職務怠慢とでも表現すべきところだろうか、それを大聖人は御叱りになられているわけである。

以上、切り文と言ったら失礼かもしれないが、確かに御文を部分的に拝する限りでは旦氏の解釈にも一理ある。しかし、前後の文脈からすれば、かなり無理があると思う。

さて、今度は浅井先生とわたくしの戦い(?)である。

上掲のカッコの挿入は御文を拝するに当たってひじょうに便利であり、あたかもこれが正解のように思われるがいかがだろうか?

往いては同じとは言え、わたくしは先生の解釈に疑問がある。つまり、先生の読み方が正しいとすると、大聖人は文章を大幅に省略したことになる。これは省略というよりはミスだろう。恐れ多いことだが、大聖人のうっかりミスである。文章としては成り立たないからだ。しかし、わたくしの拝し方であれば、ミスではないことになる。文章として成り立つのだ。

すなわち、地域レベルの国主、である。

しかし、この地域レベルというのはあまり上手な表現ではなかった。いちおう修正案として、ここでは国の要人という意味だとしておこう。さらに拡げて、郡主・郷主などが含まれると考えたい。その理由であるが、再掲すれば次の御文がひじょうに重要である。

設ひ日蓮が身の事なりとも・・・

つまり、この後に出てくる「まつり事」というのは、行政官レベルの仕事を含んだものだと考えるのが自然である。お役人の仕事ということだ。仮に大聖人の個人的な相談事だとしても、役人はその相談に乗らなければならない、それがアンタたちの仕事だろうが・・・ぶっちゃけ言えばそういうことなのだ。

さて、まだ続きがあるけれども、長くなりそうなので次回にしたい。


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