2010/12/31

ガラガラポン  
それほど書きたいこともないので、このまま年を越そうかと思っていたが、各方面から種々のコメントを頂戴しているので、ご挨拶を兼ねて本年最後の更新とまいりたい。

鬼塚小姫氏はナゾの人物である。たまに訪問して下さるわけだが、なぜ拙ブログに興味をお持ちなのか、それがわからない。閲覧するだけならばまだしも、わざわざコメントを下さるくらいだから、何かしらの意味があるのだろう。よくわからないだけに、余計に気になるところだ。

沖浦氏については特に申し上げることはない。あえて番外編を書くならば、どうも最近は法太郎と良好な関係にあるらしい。これがちょっと興味を惹くところだ。いや、もちろん、教義的には対立しているわけであり、決して相容れるものではないのだが、人間対人間の意味において、良好な関係を思わせるのである。

これは各教団の上層部の人たちに、爪の垢を煎じて飲ませてあげたいところだ。

大沢氏のコメントはひじょうに興味深い。なかでもご近所に住むネパール人家族の話は重要だ。

日々、仕事と信仰の事に明け暮れていたのですが、最近になって近所の方々ともお付き合いを深めるようになりました。
その中に、ネパール出身のご家族がおられました。
色々お話しする中で、当然信仰の話もするようになりましたが、その時その方が
「これを持ってますよ」
と出されたのが顕正会の数珠と経本でした。

拙い英語ながら、経緯を聞いたところ、「いいところがあるから仏陀を拝みに行こう!」
と言われて、一度車で拠点に拝みに連れて行かれたそうです。
お経を読まされて数珠と経本を渡されて、帰宅したらその後は一切姿を見せなくなったとのこと。

拙い英語ながら、
「あなたは顕正会に入信するという話をされましたか?」
という内容を聞いたら、
「そんな話は聞いてきない」
と大変怒っていました。
「つきまとわれたらキチンと追い返しますから、今度きたら連絡してください」
と話したら喜んでいらっしゃいました。


顕正会では入信時に数珠と経本が必要だ。本来は自分で買うことになっているけれども、紹介者からプレゼントされる場合もけっこうあると思う。
そうすると折伏の時に必ず言うであろう、お金は掛からない、とのセリフは確かにウソではないことになる。
しかし、そんなことが問題なのではない。顕正会における入信の意味の軽さが問題なのだ。

それにしても、外国人が言葉に不自由なことを奇貨として、本人に入信の意思もないのに会員にするとは何事でしょうか?

あるいは活動会員から反論があるかもしれない。自分は本気で相手のために、そして広宣流布のために戦っているのだ。単に成果を上げることだけが目的で、わざわざネパールやモンゴルまで渡りますか、と。

確かにそれはそうなのだろう。しかし、大沢氏の言っていることも事実なのだ。外国人どころか、日本人に対してだって、同じようなことをしてしまっている。相手には積極的な入信の意思がなく、いわゆるお付き合いの気持ちで入信勤行をしているケースが少なくない。実際、そういう人はそれっきりでオシマイになってしまう。紹介者もそれで仕方がないと思っている。だから大沢氏の話にも出てくるごとく、ネパール人を折伏した人はそれから一度も姿を見せていない。入信報告書一枚という、まさに成果だけが目的なのだ。

話が先後するが、身銭を切って外国まで折伏に行く人の気持ちも理解できる。自分は決して成果だけが目的なんじゃない、本気で広宣流布のために御奉公しているのだ。確かに成果にとらわれてデタラメな折伏をしている人たちもいるが、自分はそうじゃない、正真正銘の真剣勝負で戦っているのだ。

しかし、いかがなものか、その気持ちにウソイツワリはないにしても、わたくしには現実的な問題点が浮かび上がってくるのだ。

台湾に会館が出来た時、浅井先生は随方毘尼について言及した。外国であれば、自ずと風習に違いがある。ようはそうした風習が教義的に抵触するものかどうか、もっと直截に言えば謗法に当たるかどうか、という問題があるわけだ。
教義的なことであれば、当然ながら教義に明るい人でなければ判断できない。随方毘尼だからと言って何でもかんでも許容していたならば、それこそ謗法厳戒という当宗の伝統が損なわれてしまうことになる。ゆえにその都度判断が迫られるのだ。
台湾には日本人の本部職員が常駐しているのでいいだろう。では、ネパールないしモンゴルはどうなのか、ということが大問題なのだ。

すでに両国には自宅拠点がある。ゆえに可能性としては無限連鎖的に折伏の大潮流が起きることもあり得るだろう。すると現地の人たちだけで入信勤行を行ない、指導を行なうことになる。そうして顕正会員をどんどん増やしていくのだ。

ここまで書けば充分だろう。もはやそれは日蓮大聖人の仏法とは違った、異質のものになってしまっている可能性も否定できない。何しろ顕正会そのものが異流儀と呼ばれているわけだから、そこから派生したとなれば、なおさらのことである。

顕正会の広宣流布は絶対無理ですよね。

顕正会の実態を知れば知るほどに、その思いは強くなる一方だ。

浅井氏の指導では、一発大逆転説がありますが、昭和の敗戦はもののみごとに彼の言説に矛盾を突きつけておりますね。

アメリカの植民地にはなりませんでしたが、属国にはなっております。浅井説では日本は不敗伝説を持たなくてはならないはずなんですね。で、くるしまぎれに大東亜戦惨敗を「序」とし、これから迎えるであろう国難を「本」としているんでしょうね。

石原莞爾が「戦争史大観」で述べた戦史観に非常に酷似しております。


さて、今度はポリ銀氏だ。

これは意外な視点というか、わたくしはまったく考えもしなかったことである。氏によれば、浅井先生は自説に矛盾があることに気がついている。そしてその矛盾を解消するために先の敗戦を「序」としているのだと・・・

ガラガラポンという言葉がある。よく知らないが、もとはマージャンの用語らしい。これが政治の世界ではよく使われる。一般的には政界再編を意味するのだろうが、広く捉えれば総選挙も含まれるだろうし、抽象的には現状打破のような意味にも通ずるだろう。
わたくしの思うに、ガラガラポンを期待しているのは主に現状が不遇の人たちではないか、政治家にしても野党であるとか与党内においても冷や飯を食わされているような人たちが自分の出番が回ってくる機会を狙っているわけだ。いわばガラガラポンはその最大のチャンスなのではないかと思うのだ。
同様の意味で、浅井先生もガラガラポンを期待している。自界反逆だとか他国侵逼を期待するのは、その時こそがまさに自分の出番であるという思いがあるからだろう。わたくしにはそう思えるのだ。

いずれにしてもポリ銀氏のような視点はまったく思い浮かばなかった。それはある意味、氏とわたくしとの教養の差であろう。たぶん氏は、わたくしの百倍は本を読んでいると思う。ゆえに発想が豊かなのだ。

顕正会の会館には御他持ち用の日寛上人版の御本尊が数体巻いたまま保管されてます。
今の会館のスタイルを見ると礼拝室に日布上人版1体。
集会室に日寛上人版1体。
礼拝室の左右のどちらかの扉の上段に最低3体の日寛上人版の御本尊が御巻き状態であります。
そうなると1会館あたり5体の本尊が必要になり、今後全国的に会館が増えればその分だけ用意しなければならないということです。


前々回のコメント欄には、ポリ銀氏の投稿もあってそちらも重要であるが、こちらは恒雄氏の投稿である。

御他持ち用・・・

これはたぶん誤字だと思う。たぶんの意味は、わたくし自身は文書化したものを見た記憶がないからだ。逆に言うと口頭では聞いたことがある。おそらく漢字では「御持ち」と書くのだろう、これで「オタモチ」と読ませるのだ。

いずれにしても重要なコメントだ。ようするに集会室に安置されている御本尊以外にも、巻いた状態で保管されている御本尊が最低でも三幅あるという。最低という表記がこれまた重要だ。おそらくは恒雄氏の参詣していた会館を例に取っているのだろう。実際、最近の会館は集会室が二部屋のところが多いので、それだけでも二幅が必要だ。当然、オタモチ用にしても三幅とは限らないだろう。大きな会館にはもっとたくさんあるに違いない。

軽々しくコピーしてはならない
けれどもコピーした御本尊も粗末にしてはならない

法華経の迹を捨ててはならない
いわんや御本尊の迹も捨ててはならない


最後に旦氏のコメントであるが、なるほど前半部分の意味はわかる。しかし、後半部分は意味不明である。少なくともわたくしのような教学未練には難解だ。

2010/12/27

年末の大掃除  
今日で顕正新聞第1192号を片付けてしまうつもりであるが、まずは昨日の話題に関連する記事から取り上げよう。

ネパールでも広宣流布の潮流
 釈迦族家系の人材も敢然と立つ


この女子部支区長補の活動報告を読むと、どうやらネパールにも自宅拠点があるらしい。そして前回の折伏法戦では、三十名の入信を数え、平成十八年以降の合計が四百六十二名に上るという。これらは当然のごとく、顕正会の総会員数に含まれるのだろう。

以前も書いたが、海外の成果は別枠を設けるべきだと思う。その理由は簡単だ。たとえば、十一年後には男子十万人を結集するという。この場合は日本の男子であるべきが理想のはずだ。これは何も人種差別だとか民族主義的な意味で言うのではない。もし仮にである、十一年後の男子部が外国人ばかりになっていたら、これこそが事実上の他国侵逼に等しいことになるからだ。日本を救うという使命を日本人が放棄してどうするのか。ハタから見ても滑稽だろう、外国人ばかりが集まって「他国侵逼から日本を救おう」などと叫んでいたら、である。

海外の成果を加えることは一種の粉飾であり、いずれは破綻をきたすことになるだろう。本部首脳だって、こんな簡単な道理をわからぬはずはない。

話がずれた。

自宅拠点の話だった。モンゴルに自宅拠点がある。そして今度はネパールだ。しかし、忘れてはいけない。実はこれに先行して、壮年部が早くからネパールで活動しているのだ。

以下は記憶のままに書くので不正確であることをお断りしておきたい。すでに十年以上前であろう、壮年部の一地区がダントツの成果を上げていたことがあった。日本在住のネパール人が入信して、その人が大活躍していたのだ。毎回の法戦で必ず優秀班に輝いていた。当然、ネパール人の縁故をたどっての折伏が多い。すると、これまた当然の成り行きとして、本国に戻っての折伏を志す人も出てくるわけだ。その折伏の応援というか、当時は現地に拠点がなかったのだろう、地区部長が入信勤行を執り行うために何度かネパールに渡っているのだ。

さて、問題はその後である。地区部長はこの勲功によって壮年部長になったわけだが、ご存知のごとく壮年部長は交代が激しい。ゆえにその後どうなったか不明であるし、最近はネパールでの活動状況も聞かれなくなった。

顕正新聞を隈なく調べ直さないと何とも言えないが、当時の勢いからすれば自宅拠点が出来ていても不思議はないだろう。つまり、ネパールには複数の自宅拠点があることになる。もちろん、壮年部系統の組織が壊滅していなければ、という条件付きの話であるが・・・

記事に戻って、わたくしは次のくだりに注目した。

 サキヤ家は釈迦族の家系であり、小さいころより「東の国に本仏が出現する」と祖父から伝え聞いていたそうで・・・

これは教学上、物凄く重要な証言である。はたしてどこまで信憑性のある話なのか、そこが問われるところだ。いわゆる文証として、そのような文献がネパールに存在するのか、たぶんこの点で、釈迦本仏論者からの厳しい追及を受けることになるはずだ。

さて、今度は別の記事の見出しである。

八王子校長、学会員教師の質を歎く

この見出しは失格だろう。八王子校長はヘンだ。記事を読むと、八王子市内の小学校の校長だとわかるが、もうちょっと違った表現を考えるべきだろう。

浅井会長のパワーを感じる

そうそう、これは婦人部支区長補の活動報告なのだが、ようは諌暁書を八王子市内のあちこちに送付していたところ、小学校の校長先生からお礼の電話が来たという。そこで直に会って、顕正新聞を見せたわけなのだろう。その感想が上掲である。この校長先生はなかなか面白いことを言うものだ。

今日は最後に女子部総務兼第二女子部長の記事を紹介しよう。

 池田大作は狂気のごとく四千二百もの勲章・顕彰等を集め、それを首飾りにして地獄に堕ち・・・

凄いことを言うものだ。

2010/12/26

自宅拠点と安置本尊について  
引き続き顕正新聞第1192号から話題を拾おう。

「ついにこの日がやってきた、いよいよここから勝浦広布が広がるのだ」

婦人部支区長の記事である。広布が広がるはヘンな感じがするけれども、それは大した問題ではないだろう。十一月十九日、勝浦に自宅拠点が開設された。すなわち日寛上人御書写の御形木御本尊が安置された。ようはこの時の感慨を述べているわけである。

月末には総幹部会が開催され、そこで明後年の勝浦会館建設が発表された。

上掲は班長会での登壇であるから、当然、続きの文章には勝浦会館の話も出てくる。この人にとっては感慨ひとしおであろう。もともと勝浦出身らしく、勝浦広布を決意して地元に戻って自宅拠点を構えた。その直後の総幹部会で会館建設の発表を聞くのである。

自宅拠点の数がしばしば取り沙汰されている。それはいわゆる本尊疑惑の関連からである。本部が公表しない以上、実態はわからないけれども、全国には無数の自宅拠点がある。何しろモンゴルにも自宅拠点があるのだから、国内においては言わずもがなのことである。はたして日寛上人の御形木御本尊がそんなにたくさんあるのか、ひょっとしたら顕正会で勝手に増刷しているのではないか、という疑惑である。

今回の記事を読んでいて、気がついたことがある。会館が建設されるところには、すでに無数の自宅拠点が存在する、ということだ。

ここでの無数はたくさんの意味ではなく、数は不明だけれども一箇所ということはないだろう、最低でも何箇所かあるに違いない、という意味だ。本当は、複数の自宅拠点がある、と書いたほうがいいのかもしれないが、気分的には無数なのだ。
わたくしの居住地域でも同様だった。今は立派な会館が建っているけれども、最初の頃は何もなかった。しかし、委細に尋ねるならば、文字どおり無数の自宅拠点が存在したのだ。
ただし、当時は今と事情が異なっていた。本部から御本尊を下げ渡されて拠点を構えるだけではなく、古くからの妙信講員宅の場合もあれば、元創価学会員の顕正会員宅が拠点になっている場合もあった。

ゆえに、わたくし自身は日達上人・日顕上人等、いろいろな御本尊を拝見している。しかもそれらは元創価学会員にしても元正信会員にしても、すべて日蓮正宗の寺院から下付された御本尊だったのだ。それが今は完全に崩れてしまった。おそらく今はほぼ百パーセントであろう、顕正会の自宅拠点には顕正会本部から供給される本尊が安置される。少なくとも新規の自宅拠点はすべてが顕正会本部から下げ渡された本尊を安置しているのだ。

それがズバリ顕正会版の本尊なのか、それとも妙縁寺に保管されていた正真正銘の御本尊なのか、わたくしには何とも言えないところである。

ただ言えることは、今はまだ会館の建っていない地域であっても、そこに突然会館が建つわけではなく、その一つ前の段階として無数の自宅拠点があって、そこで活動する無数の会員たちが存在するわけである。その数が一定以上に達した時、満を持して会館を建てるのだ。

では、会館が建つと自宅拠点は不要になるのだろうか?

これも実態は不明であるが、たぶん多くの拠点がそのまま残されるのではないかと思う。何しろ自宅だからである。しかし、たとえば拠点を構えるために大き目の借家に住まっていたとすれば、この場合は小さいところに引っ越すのかもしれない。問題は本尊のゆくえである。これまた不明ながら、たぶん拠点の責任者だった人がそのまま護持し続けるのではないかと想像する。

しかも顕正会の組織は基本的に四者独立体制である。ゆえに、今回の記事は婦人部だけれども、おそらく勝浦には男子部や女子部、あるいは壮年部の自宅拠点もあるかもしれない。これらは会館が建った後もそのまま使用されるか、もしくは拠点の責任者だった人が本尊を護持し続ける。

さらに言えば、会館の集会室にも本尊が安置されている。

今日の話は日寛上人の御形木御本尊にスポットを当てているわけだが、上述のごとく、新規の自宅拠点が開設されれば、あるいは新規の会館が建てば、その都度新規の本尊が必要になる。顕正会はこれを続けてきたし、これからも続けるのだ。いずれ在庫が尽きる時が来るだろう。

さて、次は新潟の女子部総班副長である。

・・・五年前、新潟県北・村上市に自宅拠点を開設させて頂くことになり、三条市から村上市へ移り住みました。
 見知らぬ土地での御奉公に不安もありましたが・・・


わたくしが注目したのは、「見知らぬ土地での御奉公」というくだりである。これは異例の記事ではないかと思う。

わかりやすい例を挙げれば、沖縄から夢を懐いて上京し、そこで折伏されて顕正会に入ったという話がある。やがて故郷に戻って、そこで折伏弘通を展開し、組織を築いたというケースだ。前掲の勝浦の話にしても、いわば地の利を活かしての本格的な御奉公を展開するために、地元に戻ってきたわけだろう。

ところが今度の話はわざわざ見知らぬ土地を選んで活動しようというのだから凄いことだ。

いずれにしても今回取り上げた二つの記事は自宅拠点にまつわる話であり、顕正会の本尊供給システムについて改めて考えるキッカケとなるものだった。本尊疑惑は致命傷であり、今の状況では永遠に解消できない問題である。大袈裟なようだが、現実だから仕方がない。今のままでは法華講員からの攻勢を甘んじて受け続けなければいけないのだ。

2010/12/24

総合婦人部長の記事を中心に  
必ずしも指導力や感化力の強い人が正義の人ではない

ポリ銀氏のコメントをほんの一部分だけ引用させていただいた。ようするに浅井先生の指導力ないし感化力というものを認めた上で、必ずしもそれが正義の人とは限らないことを言っているわけだ。これは『迷走する顕正会を斬る』において櫻川氏が指摘するところでもあるだろう。一例を挙げれば、氏はいわゆる浅井先生の竜の口法難の語りを、至芸であり右に出るものはないと言う。しかし、本書全体の意味するところはタイトルが物語るごとく、まさに『斬る』ことが目的なのだ。御遺命守護の一点を見つめれば、そこには正義の人の一面がなきにしもあらずであるが、全体的な評価としてはその逆になっている。ひるがえってポリ銀氏もまた、同様の視点をお持ちのようである。

もちろん、わたくしもほぼ同じ立場であるが、この際だから、さらにイジワルなことを書いておこう。

浅井先生の指導力・感化力は抜群である。ポリ銀氏がヒトラーを例に出すのも頷けるところだ。しかし、不思議な話だ。何が不思議か・・・それは顕正会が伸びないことである。もっと爆発的に伸びてもよさそうなものであるが、なぜか思ったほどには伸びないのだ。結果論で言えば、浅井先生のカリスマ性も高が知れていることになるだろう。

誰に対してのイジワルであるかは、一目瞭然だろう。浅井先生に対してだ。わたくしは是々非々で書いているので、昨日の記事のようにわりと好意的に書く場合もある。しかし、全体的な傾向としては辛辣であろう。

さて、以下は顕正新聞第1192号の拾い読みである。

 日目上人が「先師の地望を遂げん」と命尽くまでの御奉公を決意あそばされた御姿を拝しては、いま大聖人様に一筋に大忠誠を貫かれる浅井先生の「命尽くまで」と命を燃やされるお姿が重なり、「先生と運命を共に」とお誓いする弟子として、婦人部も先生のご構想実現に戦う実力組織となり断じてお応えしてまいります。

十一月度班長会での総合婦人部長の登壇であるが、この人に限らず顕正会幹部の文章はやたらとセンテンスが長い。特に上掲の場合、いわゆる主語と述語の関係がややこしくて、ワケがわからない文章になっている。

それにしても、いかがなものか・・・

以前から同様の指摘を繰り返してきたが、日目上人と浅井先生を重ね合わせて云々するのは誤解を生じやすいのでやめるべきである。また、これは半月ほど前に指摘したことだが、最近は目師再誕説ではなくて広宣流布が実現しなかった時の言い訳のために目師を引き合いに出しているような印象もある。いずれにしても好ましくないことだ。幹部は気をつけるべきだろう。

朝鮮半島を支配せんとする中国の意図を知れば、二〇一二年までの「あと二年」が何と重大な時なのか

最初にお断りしておくと、これはいわゆる切り文である。しかし、前掲同様にこれまたセンテンスの長い文章なので、注意深く読まないと誤読してしまうことになる。

前々回の拙稿では総幹部会の会長講演を取り上げた。浅井先生は台湾併合に続いて朝鮮半島の情勢に言及した。わたくしは少しイヤミを込めて、朝鮮半島の統一がいつになるか予言をしたらどうか、と書いた。いかがだろう、それを踏まえて上掲の記事を読むと、あたかも中国が二年後を期して朝鮮半島を支配せんとしているように思えてしまうのだ。

これはもちろん誤読であるが、しかし同時に、誤解を生じやすい文章だという意味で、総合婦人部長にも責任があると思う。何しろカギカッコをつけて、「あと二年」と書いているのだから、これはひじょうに刺激的な文章である。もしこうした表現を意識的に取り入れているのだとしたら、まさに切迫感を植え付けることが目的なのだろう。実際、この続きには「明年の一五〇万法城屹立こそ急ぐ戦い・・・」と書かれているので、なるほど動機は明瞭である。ともかく急いでいるのだ。

東アジアの状勢激変を見て
 一五〇万法城屹立の重大さ胸に迫る


一五〇万の重大性 命に突き刺さる
 広布最終段階突入と同時に世界激変


総合婦人部長と副総合婦人部長の記事の見出しである。仲がよいものか、ほとんど同じことを言っているに等しい。

確かに日本を取り巻く状況は深刻である。それは誰も否定しないだろう。しかし、結局は会員拡大のための口実にしか映らないのだ。

2010/12/23

浅井流仏法史観  
わたくしの若い頃の話をしよう。自分が未熟だったこともあるだろうが、わたくしには顕正会の幹部たちが物凄く頭脳明晰な人たちばかりに思えたものだった。なぜかならば、日曜勤行が終わって各組織ごとに打ち合わせをする時の幹部たちの弁舌が素晴らしかった。つい先ほど聞いたばかりの浅井先生の指導を的確に捉えて、それを噛み砕いて後輩たちに伝えるのだ。いわゆる如是我聞の世界である。わたくし自身、先生の指導を聞いていた。しかし、スリハンドクではないけれども、正確には記憶に残っていない。ところが幹部たちは、まるでテープレコーダーのように、そっくりそのまま復唱できるのではないかと思わせるほどに、よく憶えているのだ。

顕正会の幹部は頭脳明晰な人ばかり・・・

これは今も半分は正解だと思っている。逆に言うと半分は不正解だ。
種明かしをすると、幹部たちは会員歴が長い。わたくしよりも五年なり十年、長く在籍しているわけだ。すると浅井先生の指導をたくさん聞いている。ようは過去にも同様の話を何度も聞いているわけである。
入信して間もない人にとって、それが初めて聞く話だとすれば、理解し切れなくて当然だ。しかし、幹部たちはすでに二回三回と聞いている。あるいは五回十回と聞いているかもしれない。
これが種明かしだ。よほどの馬鹿じゃない限り、何度も聞いていれば憶えてしまうものである。

しかし、幹部たちが頭脳明晰であることは、半分くらいは正解である。

これも簡単な道理だ。どんな組織においても競争原理が働く。やはり優秀な人材が抜擢されていくのは当然のことなのだ。ゆえに幹部には、それなりに人よりも秀でた部分があるのだろう。

「二つの日並び出るは王と王との闘諍なり」
 両統迭立、南北朝の大乱を見よ!
 大聖人仰せのままに歴史は動いている


さて、本題である。前置きが長くなったけれども、これは顕正新聞第1192号の一面の見出しである。浅井先生は十二月五日の日曜勤行で、法華取要抄の最後の一段を拝読して講話を行なった。わたくしにとっては、これがけっこう衝撃的だったのだ。

両統迭立・・・

不勉強のわたくしがこうした言葉を知らないのは驚くに値しない。わたくしが驚いたのは話の内容である。
南北朝云々の見出しからして、両統迭立の意味はおおよそ想像がつくところである。しかし、先生はこの両統迭立の淵源を文永九年二月の後嵯峨上皇崩御であるとし、文永十一年一月二十六日の後宇多天皇即位が両統迭立の最初であると言うのである。
つまり、法華取要抄の御記述はこの間の事情を踏まえてのことらしいのだ。同抄は文永十一年五月二十四日の御書だが、次の一節に注目である。

而るを今年佐渡の国の土民口に云ふ、今年正月廿三日の申の時に西方に二つの日出現す。或は云ふ、三つの日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ並び出づ。其の中間は三寸計り等云云。此の大難は日本国先代にも未だ有らざるか。

この御文の延長線上に最後の一段がある。前掲、見出しの御文を正確に引用しよう。

二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり。

はたして大聖人が後宇多天皇即位の日時を把握していたか、はたまた、それを両統迭立であると認識していたか、それは不明である。しかし、いずれにしても後年の南北朝の大動乱は歴史的事実である。ゆえに、歴史は大聖人の仰せのままに動いている、と言うわけなのだろう。浅井流仏法史観(?)の見事な捌きである。

今回の記事が衝撃的である理由はもうおわかりいただけたかと思うが、わたくしの記憶の範囲ではこれが初出なのである。伊達に二十数年も顕正会にいるわけではない。浅井先生の発言はけっこう記憶に留めているつもりである。それにもかかわらず今回の話は初耳のような気がするのだ。もしわたくしの記憶が正しいとすると、今回の話はいわば先生の新研究の成果なのだろう。あるいはパクリなのだろうか?

いずれにしても先生は今もなお精進を怠っていないことになるだろう。たとえそれがパクリだとしても、決して侮れない。それだけ敏感にアンテナを張り巡らしている証拠である。

2010/12/21

会長講演を中心に  
今日は話題を変えさせていただく。

コメント欄では沖浦氏と大沢氏の一騎討ちが続いているけれども、その内容たるや泥仕合の様相を呈しているごとくである。当然、二人ともオトナであるから、矛の収め時を心得ていることだろう。それは両者の判断に委ねる以外にない。ようは好きにやってくれということだ。

なお、わたくしと沖浦氏との議論については、まだ終わったわけではないけれども、いちおう一区切りとしたい。前回のタイトルにあるごとく、わたくしは沖浦氏の矛盾を突いた。しかし、氏はこの点について何も釈明していない。これが現時点での成果である。

 ここに近き将来、米・中の対決を軸として、世界が二分して対立する構図が生れつつある。

ヤブカラボウであるが、十一月度総幹部会の会長講演である。いつもながら浅井先生の話はタメになる。とりわけ、わたくしのような世間知らずには、ひじょうに有効な情報源だ。どうやら最近は「二〇一二年問題」が取り沙汰されているらしい。再来年のことであるから、来年あたりはこのキーワードが世間を賑わすことになるかもしれない。つまり、わたくしはこれを、浅井先生によって初めて知ったわけである。

アメリカとロシアで大統領選挙がある。中国は習近平体制が発足する。北朝鮮は金正恩が後継者となる。韓国は大統領選挙がある。そして台湾では総統選挙が行われる。これらはすべて二〇一二年に集中しているのだそうだ。ゆえにこの年は世界が激変するであろうと見られている。

この後、浅井先生の話は米中の対立に移る。その結論部分が上掲のくだりなのだが、わたくしが言いたいのは話の中身ではない。文章の不整合である。

近き将来・・・生まれつつある。

わたくしはこれをおかしいと思う。何がどのようにおかしいかを説明するために、ここに修正案を示しておこう。

 ここに今、米・中の対決を軸として、世界が二分して対立する構図が生れつつある。

いかがだろうか?

生れつつあるというのは現在進行形であろう。ゆえに近き将来ではなく、今現在でなければいけないのだ。アゲアシ取りのようではあるが、おかしいものはおかしいのだ。

浅井先生は口ぐせのように「〜しつつある」を多用する。あるいは「近き将来」も同じであろうか? 何しろ広宣流布は遠い未来のことではないと言い続けているので、現在進行形か、もしくは近き将来でなければツジツマが合わなくなるのだ。穿った見方をすれば、これらの言葉を多用することによって、会員たちに切迫感を植え付けているようにも受け取れるのだ。

台湾併合

さて、話が飛ぶけれども、今度は台湾併合についてである。先生は平松茂雄氏の二〇二一年という見解を紹介した後に、最近の情報では二〇一二年という数字が浮かび上がってきたと言っている。
これはまた凄い話だ。先の二〇一二年問題と相俟って、ひじょうに説得力があるというか、まさに切迫感を感じさせる話である。
そして、これがまた同時に、顕正会批判者にとって好餌(?)となるのだ。何しろ二年後のことだから、その時に台湾併合が実現していなければ、またしても浅井先生の予言は当たらなかったと言われるハメになる。

北朝鮮を尖兵として朝鮮半島を統一して、日本を攻略する。これが中国のアジア戦略なのです。

さらに話を飛ばして、今度は朝鮮半島の問題である。わたくしは言いたい。どうも浅井先生の朝鮮半島についての言及は俄仕込みであって、台湾併合ほどの具体性が感じられないのだ。すでに北朝鮮は中国の属国であるとしても、韓国は違うわけだろう。すると台湾併合と同様に、韓国併合すなわち朝鮮統一の時期を予言(?)しなければいけない。それが現時点では曖昧になっていると思う。

結論を言えば、先のことはわからないのだ。凡夫だから当然であるが、それと同時に、相手のいることだからである。中国がどのような戦略を持っていようと、何でもかんでもシナリオどおりに行くわけがない。相手がいる以上、相手にも言い分がある。だから、すべてが思いどおりになるわけがないのだ。

よって浅井先生には、無理して朝鮮統一の時期に言及しなくてもいい、と言っておきたい。

けなげな信心の母が素晴らしい臨終
  学会員の次兄はドス黒い悪臨終


今日は最後に体験発表を紹介して終わりたい。この人は三十二年前になるのだろうか、創価学会から顕正会に入会した。しかし、平会員のままだ。その理由は煩瑣になるので省略するが、この人の次兄は創価学会に残ったまま臨終を迎えたごとくである。

 次兄の葬儀は、当然のごとく学会で執り行うことになり、
(中略)
導師を勤めていた学会幹部の携帯電話が鳴り、慌てて携帯の電源を切ろうとしたものの、ポケットからなかなか携帯を取り出せずに慌てふためく様子は、まるで志村けんのコントでも見ているようで(笑)、(以下省略)

顕正会では他宗の葬儀に出てはいけない、いや、出てもいいけど坊主と同座してはいけない、というルールになっていたはずである。

創価学会の幹部が導師をする葬儀・法要の場合はいいのだろうか?

それとも今の顕正会はルールが変わって、だいぶ柔軟になってきたのだろうか?

2010/12/19

沖浦流法門の矛盾を突く  
沖浦節炸裂の観を呈してきた。大沢氏からもコメントが寄せられているけれども、それを上回る勢いで沖浦氏がコメントを連発しているので、コメント欄は事実上、氏の独占状態となっている。

それはそれとして、話を進めよう。

 曼荼羅はあるほうがいいですが、無くても題目は唱えられます。
 ですので、信心の絶対条件ではありません。
 将棋で闇将棋と言うものがあって、将棋版を使わないで将棋をします。
 でもあった方がいいですね。
 同じですよ。


どうやら曼荼羅の要・不要については結論が出たようだ。

闇将棋という言葉を初めて聞いたが、おそらくは目隠し将棋のことだろう。ひじょうにうまい例を出してきたものだ。
将棋人口を詳しくは知らないが、ルールを知っている程度であれば、国民の大半が該当するのではないかと思う。しかし、目隠し将棋となると話は別である。たぶん、プロの棋士であれば、ほとんどの人が出来ると思うが、一般人であれば、逆にほとんどの人が出来ないに違いない。アマチュアで目隠し将棋が出来る人は、おそらく高段者のごく一部に限られるのではないかと想像する。
これを曼荼羅の話に当てはめれば一目瞭然だ。ごく一部の特殊な人を除けば、やはり曼荼羅は必要なのである。

もう少し論じてみよう。わたくし自身の話であるが、将棋をおぼえたのはいつ頃のことか、はっきりしない。ようは周りの大人たちが将棋を指しているのを見て、自然とおぼえてしまったのだ。たぶん、同じような人がたくさんいることだろう。別に、自分だけが利発な子供だったとか、そういうことを言いたいわけではない。将棋に限らず、他のことでも同じだと思う。興味を持ったことに対しての貪欲さはハンパじゃない。親たちはこれを学校の勉強に振り向けてくれればどんなにかいいだろうと思うのだが、なかなかうまくは行かないものである。いずれにしても子供の頃の吸収力とはかくも凄いのだ。

さて、ここからが問題である。

ここに将棋を知らない人がいる。この人に将棋盤も駒も使わずに将棋を教えることが可能だろうか、という問題だ。盤と駒を使わないという意味は、図形を使わないという意味だ。もちろん画像もである。拙ブログみたいに純粋に文章だけで勝負するのだ。はたして、これで将棋を教えることができるだろうか?

わたくし自身は無理である。教えることは出来ない。逆に教わる立場だったとしても無理だ。もう、いいよ、面倒臭いからやめる、というのが関の山である。

前回、一念三千を識る者か識らざる者かが分かれ目、と書いたのは、まさにこれである。基本的に末法の衆生には無理な話なのだ。だからこそ曼荼羅が必要なのだ。

以上、図らずも沖浦氏の闇将棋云々が結論を導いてくれた格好である。

 先ず最初にはっきりさせておくべきは、

 戒壇本尊が本懐でないなら、本懐を明確にするべきだ。

 こう言う意見は無意味です。
 戒壇本尊が本懐ではないことは、御書に照らして明白ですが、だから本懐を明らかにする義務はございません。


どちらかと言えば、こちらが本題であろう。わたくしは沖浦氏に義務を課したつもりはない。いわば要望したのだ。日蓮正宗は戒壇の大御本尊を信仰している。いちおう顕正会も同じである。ところが沖浦氏に言わせれば、それは邪義なのである。だったら、その可哀想な人たちの目を覚まさせてあげるべきなのだ。

 その上で、出世のご本懐は、熱原農民が国家権力に一歩も引かず、法華経を捨てなかったと言う、民衆の機根の確立でしょう。
 この熱原農民の不惜身命の戦いは、題目を後世に伝える原動力です。
 これがご本懐でしょうね。


さすがは沖浦氏である。義務はないと断わりながらも、こうして教えて下さる。ひじょうにありがたいことだ。

 今月十五日(酉時)御文、同じき十七日(酉時)到来す。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云々。偏に只事に非ず。

お礼に、わたくしのほうからも思うところを存分に書いておきたい。当該御書は十月十七日のものである。沖浦氏の主張では十月一日には出世の本懐が遂げられていたことになっている。しかし、上掲の一節を拝するならば、氏の主張には矛盾が存することがわかるはずだ。

出世のご本懐は、熱原農民が国家権力に一歩も引かず、法華経を捨てなかったと言う、民衆の機根の確立

熱原の人たちは九月二十一日に捕縛された。そして十月十五日にそのうちの三人が斬首となった。この時、熱原の人たちは一人も退転することなく、題目を唱え続けたという。

つまり、沖浦氏の言う「民衆の機根の確立」は十月一日ではなく、十月十五日でなければいけないのだ。一日の時点はいまだ途中経過であり、確立という言葉は当てはまらない。極論すれば、この後、退転してしまう可能性だってあったからである。

そもそも民衆の機根の確立とは何か?

文の心は本善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし。然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらへて後に法華経を説くべし。本大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に、但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり。

唱法華題目抄からの引用である。どうも適切な御文が思い浮かばないので、さしあたって当該御文を挙げさせていただいた。ようするに、機根の確立などという表現は意味不明だと思うのだ。仏は衆生の機根に応じて法を説く。同じく唱法華題目抄には、利智精進上根上智とか下根下智という言葉が出てくる。言うまでもなく末法の衆生は下根下智である。すると民衆の機根が確立するとは、いったいどういう意味になるのだろうか?

あるいは種熟脱の法門の上から、いよいよ成熟が終わってまさに脱する段階を迎えたということだろうか?

大聖人の仏法はいわゆる下種仏法である。ゆえに熟益・脱益を経ずに一生成仏が叶うわけだが、逆に一生のうちに種熟脱を経て成仏に至るという解釈も出来ると思う。ゆえに沖浦氏は、御在世における門下の修行の進展状況が弘安二年には機が熟して脱する段階を迎えた、というように考えているのかもしれない。

いちおう上述のごとくであれば、なるほど、それは頷けるところではある。

しかし、わたくしの思うに、それが出世の本懐であるとするのは筋違いというか、ピントがずれていることである。仏と衆生の関係は説法者と被説法者の関係であるからして、まさに説法者側の能説の行為そのものが出世の本懐でなければいけないのだ。

衆生に此の機有って仏を感ずる、故に名づけて因と為す。仏機を承けて而も応ず、故に名づけて縁と為す。これを出世の本意と為す

沖浦氏の得意な御義口伝から引用した。前回、出てきた話だが、民衆の救済こそが出世の本懐であるとするのは、広い意味での正解である。意味もなく仏が出てくることはない。そこに衆生がいるからこそ、仏は出現するのだ。

仏、機を承けて、而も応ず

再掲した。大聖人が末法に御出現あそばした理由は、まさに機を承けてのことである。また、佐渡における開目抄・本尊抄など、あるいは道善房死去時の報恩抄など、その場面・場面における重大なる御説法も、まさに機を承けてのことなのだ。同様のことが熱原法難においても言えるだろう。

つまり、沖浦氏の言う「民衆の機根の確立」が出世の本懐なのではない、「仏機を承けて而も応ず」の、まさに「応ず」がそれに当たるのだ。

以上で、おおむね結論が出たものと思うが、最後に聖人御難事の「平文面」での読み方を示しておこう。

師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。

いきなり佐渡御書であるが、実は聖人御難事とこれと、主旨はまったく同じである。

末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり。

御義口伝だ。これも方向性を同じくするものである。

他門では聖人御難事の「二十七年」を、難を受けてきた年月を指し示すのであって出世の本懐を意味しない、というふうに解釈する人が多いらしい。確かにこうした誤読もやむを得ないところであろう。同御書には、これでもかというくらいに「大難」が出てくるからである。また、同御書の直接的な目的は、まさに熱原の人たちに対するお励ましに他ならないからだ。

この大難というキーワードが何を意味するかは、佐渡御書・御義口伝に明瞭である。大聖人御自身が長年にわたって大難を受け、そして乗り越えてきた。弟子であっても原理は同じである。難を乗り越えてこそ、仏果を遂げることができるのだ。

2010/12/17

曼荼羅不要論?  
前回分のコメント欄では、旦氏と沖浦氏の間で議論が戦わされていた。わたくしはどのような展開になるかとしばらく見守っていたのだが、あっけない幕切れというか、尻切れトンボのような感じで終わってしまった。

 あの御文は、戒壇本尊本懐の衣文としては、無理ですね。

沖浦氏の持論である。話は簡単だ。ようは時間的な整合性が取れないと言いたいのだろう。

それでは沖浦さんの考える聖人御難事の「出世の本懐」とは何ですか。

旦氏から沖浦氏への質問である。そして次が沖浦氏の回答だ。

 出世の本懐は、旦さん

 御書、経文に明々白々です。
 
 民衆の救済ですよ。
 ですので、それに関する全てのことが出世の本懐です。

 大聖人の、仏法者としての人生そのものが、ご本懐です。


ここでキャッチボールは終了となる。

おそらく旦氏は沖浦氏の回答があまりにもトンチンカンなので、もはや議論を続ける気力が失せてしまったのだろう。

まず、御書・経文に明白と言うのであれば、その具体的な文言を引くべきが筋であろう。御書をたくさん諳んずることのできる沖浦氏であれば、朝飯前のはずだ。それが一点目である。
次に考えるべきは旦氏の質問の意味である。ようするに聖人御難事における「二十七年」をどのように拝するべきなのか、旦氏の問うているのはそのことなのだ。
ゆえに、「民衆の救済」だとか「それに関する全てのこと」などというのは、わざと論点をぼかしているのか、あるいは質問の意味を理解できていないのか、おそらくは二つに一つであろう。

以上、僭越ながら旦氏の気持ちを代弁させていただいた。

仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。

聖人御難事は弘安二年十月一日の御書である。そして本門戒壇の大御本尊には同年十月十二日の日付が刻まれている。
ゆえに沖浦氏は、聖人御難事は戒壇の大御本尊の証明には使えない、と言いたいわけである。
わたくしは必ずしもそうは思わないのだが、ここではいちおう氏の意見を尊重することにしよう。なるほど、確かに時間的な整合性が取れない。

では、その上で沖浦氏にお聞きしたい。

民衆の救済こそが出世の本懐であるという、それは広い意味ではそのとおりなのだろう。当たり前のことである。しかし、沖浦氏の理屈で言えば、それが弘安二年の十月一日か、もしくはその直前に成就したという話になるわけだ。その具体的な内容をお示し願いたい。

時間的整合性にこだわるのであれば、十月一日もしくはそれ以前に「出世の本懐」と呼ぶに相応しい具体的な何かがなければいけない。民衆の救済などは当たり前の話であって、もしそれを言うのであれば、まさにこの時期に民衆の救済の画期となるべき何かがなければいけないのだ。

もし、これを示さず、時間的に整合性が取れないからと言って、いたずらに戒壇の大御本尊を否定するならば、それこそ沖浦氏が常々言っているところの怨嫉謗法に該当することになるだろう。どんな分野においても単なる批判は説得力を持たない、具体的な対案が求められるゆえんである。

三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。

わたくしとて同様だ。沖浦氏の主張にケチをつけているだけでは説得力を持たない。そこで三大秘法抄を引用したわけだが、ひじょうに面白いところである。一閻浮提の人・・・もう、おわかりだろう。まさにこれこそが沖浦氏の言う民衆の救済を裏付ける御文なのである。わたくしは前回、戒壇の大御本尊に特別の意義が存するゆえんとして上掲を引いた。つまり、沖浦氏とわたくしは、往いては同じ結論になるのだ。案外に沖浦氏は、戒壇本尊本懐論に否定的のようでいて、実はその逆なのではないかという気がしてならない。なるほど法華講にたくさんの友人がいるのも頷けるところである。

 そして何よりも考えるべきは、大聖人自ら、曼荼羅なしで発迹顕本なされた事実です。

さて、もう一つの論点に移ろう。わたくしは前回、曼荼羅本尊は礼拝の対象であるから、御本尊の前で唱題祈念するのは至極当然のことだ、という意味を書いた。これに対して沖浦氏はとんでもないことを書いている。

 曼荼羅はね、充分条件で絶対条件ではありません。

大きな間違いであろう。充分条件と絶対条件の意味がよくわからないけれども、前掲を含めて考えると、ずいぶん大胆なことを言うものだと感心してしまう。ようするに、大聖人は曼荼羅なしで発迹顕本したのだから自分たちだって曼荼羅がなくても大丈夫だ、と言いたいらしいのだ。

こういうのを謂己均仏の大慢と呼ぶ。

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ。

一念三千を識る者か識らざる者か、ここが大きな分かれ目であろう。ゆえに熱原農民云々は無意味な議論だ。まさか彼らが一念三千を識る者であるわけがない。それが答えだ。

確かに大聖人の時代は全員が御本尊を頂戴していたわけではない。ただし、熱原地方であれば、その周辺には上野殿などの有力檀越がたくさんいて、御本尊を受持していた。ゆえに熱原の人たちも御本尊を拝する機会があったはずである。その上で問題になるのが農民たちの日常の所作であるが、これは正直なところ不明である。はたして今日における顕正会のような形で遙拝勤行が行なわれていたものか、わたくしには皆目見当がつかない。

2010/12/13

沖浦流法門との戦い  
今日は沖浦氏の胸を借りるつもりで書かせていただく。

 お題目は力があるんです。
 御書に書いてあります。


氏は四信五品抄の一節を引用し、次のごとく言う。

 ここで注目すべきは、大聖人は曼荼羅に唱えよとは、全く書かれていない事実です。

本文は省略させてもらった。

次に日蓮正宗の主張を邪偽であると断じている。

 自分ところの曼荼羅に唱える題目にしか功徳が無い。

氏はこれを間違いであるとし、

 何宗の方であれ、題目は力があります。

と言うのだ。

 ただし条件が一つあって、怨嫉謗法があると功徳ではなく罰です。

沖浦氏のコメントには二つのポイントがあると思う。大聖人は曼荼羅に向かって題目を唱えろとはおっしゃっていない・・・これが事実かどうか、という問題。自分のところの曼荼羅以外は功徳がない・・・という主張の是非。

二つ目の問題から入ろう。これは大石寺に対する批判であるが、表現を変えれば大石寺に対する怨嫉謗法にも相当するかもしれない。だとすれば、沖浦氏の自家撞着である。

わたくしの個人的な考えではあるが、原理的には御本尊に差別はないと思う。どの御本尊であっても功徳は同じである。もちろん、ここでの御本尊の意味はさしあたって大聖人の御真筆御本尊のことである。その上で、大石寺にまします戒壇の大御本尊に特別の意義が存することは、「三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇」に安置すべき御本尊だからである。いわゆる一閻浮提総与の意味も当該御文に顕然である。

しかし、これについては各方面から種々の異論が発せられることだろうと想像する。残念ながら、わたくしにはこれ以上の議論を展開するだけの用意がないので、ここで終わりにしたいと思う。

さて、順番が逆になったが、一つ目の問題である。まずは再掲しよう。

 ここで注目すべきは、大聖人は曼荼羅に唱えよとは、全く書かれていない事実です。

沖浦氏は四信五品抄限定で書いているのか、それとも大聖人の仏法の全体的な意味で言っているのか、そこが重要である。前者であれば、確かにそれはそのとおりだろう。

仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る。

いわゆる戒定慧の三学は戒壇・本尊・題目に相当する。なぜそうなのかを考えると、余計にややこしくなるので深入りは避けるが、ともかくこれが共通認識であろう。すると沖浦氏の言うごとく、戒壇も本尊も不要との結論になりそうである。

では、教行証御書の次の一節はどうであろうか?

抑当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。

全集では文永十二年を想定しているようだが、平成新編では建治三年なのである。驚くなかれ、教行証御書の次のページはなんと四信五品抄なのだ。

つまり、四信五品抄限定で言えば、沖浦氏の主張にも一理ある。しかし、上掲の教行証御書を拝するならば、そう単純には割り切れないことがわかるはずである。

 日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。

本尊は礼拝の対象である。ゆえに御本尊に向かって唱題するのは至極当然の行為なのだろう。つまりは言わずもがなのことなのだ。

まさか沖浦氏は、日興上人の言っていることは間違いだ、などとは言わないだろうと思うが、いかがだろうか?

 お題目は力があるんです。
 御書に書いてあります。


再掲であるが、氏はこの後、四信五品抄を引用している。しかし、わたくしは四信五品抄よりも唱法華題目抄のほうがわかり易いのではと思う。

妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。

実はこの直前の一段に注目すべき御文がある。

問うて云はく、法華経を信ぜん人は本尊並びに行儀並びに常の所行は何にてか候べき。

以下、答えて云はくはまさに言わずもがなのことであるが、せっかくなので必要な箇所を挙げておこう。

行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。

常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。


この時期は御本尊をあらわされる遥か以前であるが、本尊のことや礼拝の仕方など、すでにその原型が出来上がっていたことがよくわかると思う。ゆえに後年、大聖人が御本尊をあらわされ、それを授与あそばすようになった段階で、まさか沖浦氏のような曲解をする人がそう多くいたとは思えないのだ。

曲解と言えば、

或は曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り

という門徒存知事の記述は、あるいは寂日房御書の一節と関係があるのかもしれない。

此の御本尊は冥途のいしゃうなれ。

いしゃう・・・衣裳のことであるが、これが譬喩であることは論を俟たない。日女御前御返事の「はたじるし」にしても同様だろう。

最後に新尼御前御返事に注目したい。

大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておもひわづらひて候。

すでにこの段階で新尼御前は御本尊を頂戴していた。大尼御前は、自分も欲しいので大聖人に頼んでおくれ、と新尼に言ったのだろう。二人は嫁姑の関係である。ゆえに嫁としては姑に逆らうわけにはいかないので、御本尊の件を大聖人に伝えたのだろう。大聖人は相手が重恩の人なのでひじょうに思い煩った。しかし、結果的には授与しなかったごとくである。

わたくしはなぜに大尼がそれほどまでに御本尊を欲しがったかを想像するに、そこには新尼が日夜、御本尊に向かって唱題祈念している姿が髣髴としてくるのだ。

2010/12/12

情熱を失った職業幹部たち  
沖浦氏のおっしゃることは、同門のよしみ(?)なのか、それとも日蓮系の宗派すべてに当てはめてのことなのか、それがひじょうに気に掛かるところである。たとえば、わたくしは法華講員がお題目を唱えている姿に抵抗を感じないけれども、それが創価学会員であればやや抵抗を感じる。ましてや他門であれば抵抗感が倍増する。それは教義上の問題に由来するのだと思う。大聖人自体が、当世にはわれわれ以外にも法華経を信じている人々がいるけれどもそれらは法華経を信じているとは言えない、と仰せになっている。現代においても同様のことが言えるのではないかと思う。ゆえに、沖浦氏のおっしゃることにはやや疑問を感ずるところである。もっとも教義上の問題を度外視して言えば、これは氏の器の大きさを象徴することではあるのだが・・・

のぶし氏のコメントは貴重である。個人情報が多く含まれるのでここには再掲しないが、ひじょうに内容の濃いものである。前第三婦人部長は除名とのことだ。すると夫のほうはどうなのだろう、ご子息たちはどうなっているのか、そこが気掛かりである。まさか家族だから一蓮托生というわけでもあるまい。たぶん除名は表向きの話であって、裏に回れば他にもいろいろな要素があるのだろうと想像する。

大沢氏にはカギカッコの件で賛同を頂戴した。

実は何号か前にも似たようなミスがあった。それを紹介しておこうと思って調べてみたら、前号の六面に載る婦人部組長の活動報告だった。

 父は内心やりたそうでしたが、「このさき世話になる私の兄の了解を得ないとできない」と頑なで・・・

この婦人部員には高齢の両親がいる。どうやらお兄さんが面倒を見ているようだ。ようはそこに折伏に出掛けていったわけである。その時の父親のセリフが上掲だ。

私の兄とは誰の兄のことだろうか? まさか父親の兄貴ではあるまい。常識的に考えれば、この婦人部員のお兄さんのことであり、父親から見れば息子のはずなのだ。ゆえにカギカッコで括るのであれば、以下のように修正すべきである。

父は内心やりたそうでしたが、「このさき世話になる息子の了解を得ないとできない」と頑なで・・・

ただし、ここで息子が出てくるのも唐突でわかり難い。ゆえにもっと単純に、カギカッコを外すだけでいいのではないかと思う。

父は内心やりたそうでしたが、このさき世話になる私の兄の了解を得ないとできないと頑なで・・・

いかがだろうか?

ちなみに「このさき世話になる」の意味は、葬儀など亡くなった後のことを意味するのだろう。だからこそ顕正会への入信を躊躇したわけだ。いわば改宗にも等しいことだからである。この活動報告の続きを読むと、この後、両親は顕正会に入信している。すると「このさき」が、ひじょうに面倒なことになりそうである。葬儀のことで兄と妹の間で一悶着が起こりそうだ。

 「狛江にある私のカイロプラクティックの治療院が布教活動のアジトになり、患者も周りの住民にも迷惑をかける」

これも活動報告の続きである。今度は夫との確執であるが、夫は電話やメールないし手紙を使って信心を妨害してきたという。当然、上掲は夫のセリフのはずだ。すると、「私のカイロプラクティックの治療院」というのは、夫の治療院という意味になりそうだ。しかし、そうではない。やはり、ここでの私は活動報告をしている婦人部の組長本人であって、これまた前掲同様のミスを犯しているわけである。

バカバカしいけれども、修正案を示しておこう。

夫は「狛江にあるお前のカイロプラクティックの治療院が布教活動のアジトになり、患者にも周りの住民にも迷惑をかけている」

夫は、狛江にある私のカイロプラクティックの治療院が布教活動のアジトになり、患者にも周りの住民にも迷惑をかけている

ところで、大沢氏のコメントには重要なヒントが残されている。

カギカッコのセリフの件は、本人が書いた原稿ではなく手直し(しかも手直しした編集者が軽率)と思われ、興醒めでしたが。

本人が書いた原稿ではない・・・

顕正新聞に載っている記事は作文だとの説がある。ようはフィクションであると。しかも本人が書いたものではなく、他の人が書いた原稿を読んでいる。全部が全部ないし最初から最後までではないにしても、編集者の判断で面白おかしく書き直してあったりする。

わたくしはそんなことはないだろうと善意に解釈したいのだが、二号続けて同じようなミスがあると、同じ人間が書いているからではないかと思わざるを得なくなってくる。

しかし、思うのだ。拙ブログのように独りでやっていると、同じミスを繰り返してもなかなか気がつかない。ミスではないにしても、その文体というか書きグセみたいな、その人の独特の臭みがどうしても拭えない。しかし、顕正新聞はそうじゃないだろう・・・と言いたいのである。複数のスタッフでやっているのであれば、いくらでもチェックが可能のはずである。なぜ、それがちゃんと機能しないのか、そこが問題である。

ズバリ言おう。もしかしたら顕正会はすでに職業幹部そのものが感激を失って、惰性で仕事をしているだけなのかもしれない。


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