2011/4/25

蛍氏の秀逸なコメント  
「本国」問題スレにコメントしたあと、過去ログを拝読していましたら、巌虎さんは「文法は大嫌い」とのコメントを発見。本国スレでの私の文法云々コメで「つづく」とした後、筆が止まっているのは、それを見たためですが、文法論以外のかなり決定的な傍証も見つけてありますので、そのうちまたご紹介しましょう。

さてそんな中、塩問題で、巌虎さんに誘われて当スレに参りましたが、この問題は非常に悩ましい。

●AをBにかへ (換へ、変へ、易へ、替へ、代へ)

という表現で「かへ」た後に残る最終物はAかBか。
法太郎さんはBだといい、巌虎さんはAだという。

破門前の創価学会版「日蓮大聖人御書講義」(山門入り口氏も紹介)では
「塩一升を銭百文、塩五合を麦一斗と取り替えたが、今は塩も全くなくなり、何をもっても買うことができない。」
とあり、法太郎説、巌虎説のどちらとも取れる訳し方。というかごまかしてる感じではっきりしません。解説文でも同様。

一方日蓮宗の『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇(立正大学日蓮教学研究所編)では、粗筋として、
「七月には塩一升が銭一〇〇文、塩五合が麦一斗というように物価が高騰し、今は塩もなくなり、何をもって食料に替えようかと思っていたところに、塩一駄を頂戴し」
と書いてある。前半はごまかしている感じですが、「塩を食料に替える」という点で法太郎説と同じ。

そこで、格助詞云々といった文法的考察は巌虎さんに嫌がられそうなので(というか私も文法的には調べてもよく分からなかったため^^;)、実際に御書に当たって、交換に関する表現にはどのようなものがあるかを調べ上げ、そこから考察してみようと思いました(コーパス言語学の真似事です)。

すると、交換表現には、
「AをBにかふ」
「BにAをかふ」
の2種類の語順があることがわかりました。それらの類似した構造の御文をすべて拾ってみました。以下の通りです。(漏れがあるかも知れませんが)

[御書に見られる交換表現]

・童子答えて云く瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや我れ徒に此の山にして・死しなば鴟梟虎狼に食はれて一分の功徳なかるべし、(日妙聖人御書)

・後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし、(日妙聖人御書)

・各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。
種種御振舞御書

・さいわひなるかな法華経のために身をすてん事よ、くさきかうべをはなたれば沙に金をかへ石に珠をあきなへるがごとし(種種御振舞御書)

・既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり(波木井三郎殿御返事)

・今の代も此くの如く上に挙ぐる所の百済国の仏は教主釈尊なり、名を阿弥陀仏と云つて日本国をたぼらかして釈尊を他仏にかへたり、(四条金吾殿御返事)

・此の義すでに隠没して日本国四百余年なり、珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり(諸経と法華経と難易の事)

・石を金にかうる国もあり土をこめにうるところもあり、(南条殿御返事)

で、これを構造型で分類し、かつ「かえた」後の最終物が「Aを」の方か「Bに」の方かを文意を元に調べると、以下のようになりました。

「AをBにかへ」型:
---------------
・糞を飯にかふる    (飯に)
・此の身を法華経にかうる(法華経に)
・釈尊を他仏にかへたり (他仏に)
・石を金にかうる    (金に)
・瓦礫を(以て)金銀に易ゆる(金銀に)
・珠を(もつて)石にかへ (石に)

「BにAをかへ」型:
-----------------
・瓦礫に金銀をかへん (金銀を)
・石に金をかへ    (金を)
・糞に米をかうる   (米を)
・沙に金をかへ    (金を)
・石に珠をあきなへる (珠を)

こうしてみると、両型の違いは歴然で、「AをBにかへ」型では最終物はすべて「Bに」の方であり、「BにAをかへ」型ではすべて「Aを」の方でした。

となると、今回問題になっている「塩一升を銭百、塩五合を麦一斗にかへ」は前者の型ですから、交換後に残ったのは塩ではなく、銭百、麦一斗の方と見るべきかな・・・・つまり法太郎さんの説を支持・・・ということになります。



上掲は蛍氏のコメント全文であるが、一読して爽快感を味わった。結論的にはわたくしが間違っており、法太郎が正しい。これが蛍氏の下した判断である。それにもかかわらず、わたくしはひじょうに気分がいい。

詳細は後日に譲りたい。ともかく大感謝大感激である。

2011/4/20

二難の現代的解釈  
睦月氏からお気遣いをたまわったので、今日はそこから話を始めよう。

日本は世界で唯一の被爆国であると言われている。いわゆる広島・長崎がそれである。そこに福島が加わった。厳密には被爆と被曝の違いがあるけれども、今や福島の名は広島・長崎と肩を並べるくらい、世界的に有名になってしまった。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマという具合である。

日本は世界でも数少ない自爆国である。上述のことを踏まえるならば、自爆ではなく自曝となるわけだが、もちろん住民たちに罪はない。彼らは被害者である。何も好んで放射能を浴びる人など、どこにもいないのだ。
ともかく世界でも数少ない自爆国・・・それが日本であるが、ここで唯一の自爆国と書かなかった理由は先例があるからだ。旧ソ連のチェルノブイリがそれである。
自爆国とはマヌケな話であるが、事実だから仕方がない。チェルノブイリの原発事故がソ連崩壊の一因だという見方もあるくらいである。すると今の日本の危機的状況も見えてくるだろう。

現代において他国侵逼と自界叛逆をどのように見るか、現時点でのわたくしの考えを言えば、原爆と原発がそっくりそのまま当てはまるのではないか、ということになる。

広島・長崎に原爆を落とされて日本は敗戦を迎えた。まさに他国侵逼そのものである。そして今度は福島である。これはよそから爆撃されたわけではなく、文字どおりの自爆である。ゆえに自界叛逆に相当するのではないかと思うのだ。

顕正会の他国侵逼論は中国による侵略を想定している。自界叛逆についてははっきりしない部分が少なくないが、国内において中国シンパの人たちとそうでない人たちの間で深刻なる抗争が起きると見ている。

だが、しかし、そこに睦月氏は異を唱えるわけだ。

自界叛逆どころか日本は団結して一つになろうとし、他国侵逼どころか世界中からの支援の手がある訳です。

なるほど、これも一つの有力な見方であるが、わたくしはさらにヒトヒネリして、違った意見を提示したいと思う。

国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。

東日本大震災では多くの人命が失われた。辛くも生き延びた人にしても、津波によって一瞬にして財産を失った。
しかし、今度の震災はそこに止まらない。福島第一原発で深刻な事故が発生し、そのために避難を余儀なくされた人たちがたくさんいるのだ。
地震は仕方がない、津波もそうだ、天災だからだ。しかし、原発は人災である。

わたくしは立正安国論の仰せにもっとも当てはまるのが原発避難民だと思う。地震で倒壊したわけでもなく、津波で押し流されたわけでもない、そういう家がたくさんあるのだ。避難区域であるがために家を離れなければいけない、そういう人たちがたくさんいるのだ。いつになったら帰れるのか、現時点ではそれすらわからないのだ。

こうして見ると顕正会の他国侵逼論など、ぶっ飛んでしまっているのではないかと思う。わたくしは先ほど、原発事故を自界叛逆になぞらえたけれども、この場合は自他の二難を分けて考える必要はないはずである。なぜならば上掲の御文は自他の二難が招くところの結果を合わせて論じているわけであって、今回の原発事故はまさにそのとおりの結果を示しているからである。

さらに現実的な視点を加えるならば、はたして中国が放射能に汚染された日本を欲するだろうか、と思うのだ。

どこから拾ってくるのか知らないが、浅井先生は中国側の極秘資料を引用することがある。そして言うのだ、中国が日本を侵略する意志を持っていることは明々白々である、と。この辺の事実関係をわたくしはよく知らないけれども、確かにそのとおりなのかもしれないと思う。
しかし、たとえ今までがそうだったとしても、今度の原発事故で事情が変わってしまったことも事実である。
つまり、これまでは侵略の意志を懐いていたとしても、原発事故を目の当たりにして方針を変更したという可能性もあるのだ。放射能まみれの国土など欲しくもないし、近づきたくもない。こう考えても不思議はないのである。

現証がある。外国人旅行客の激減がそれだ。もはや日本人は他国侵逼に脅える必要はない。外国人たちは放射能に恐れをなして日本に近づかないからだ。

少し話を変えよう。大沢氏がご紹介下さったゲラー教授の記事を調べていたら、次の文章に行き当たった。

30年以上にわたって日本政府や、地震調査研究推進本部とその前身の組織は『東海地震』という用語を頻繁に用いてミスリードしてきた。マスコミは、この地震が本当に起きるもののように報じて、国民は『東海地震』の発生が時間の問題だと信じ込むようになった。

ミスリードという言葉が刺激的だ。いわば浅井先生はこのミスリードに乗っかっちゃったわけだろう。顕正会員は先生の見識を称賛するが、結果的には不見識だったことになる。

なお、上掲の記事だけでは誤解があるといけないので補足するが、ゲラー教授は東海地震を否定しているわけではない。いつかは起きるのだ。しかし、それがいつであるかはわからないと言っているわけである。

最後に自画自賛になることを承知で書いておこう。

わたくしは三月二十一日に、原発の問題を踏まえて現在進行形と書いた。また、三十一日には「深刻な事態」と題して書いたわけだが、本文には次のごとく書いた。

今回の原発事故はテレビ・新聞で報じている以上に深刻な事態であることを認識しないといけない

後日、事故の評価がレベル7に引き上げられたことは、読者も承知のことであろう。

つい先日、東電が工程表なるものを発表したが、これも順調に行けばの話であって、延び延びになる可能性が高い。専門家の間でも悲観的な見方をする人が多いくらいだ。

顕正会が他国侵逼を云々するのは勝手であるが、むしろ当面の問題として原発にどう取り組むか、それを考えたほうがいいのではないかと思う。浅井先生の見識が問われるところだ。

2011/4/14

予言し損なった浅井先生  
コメント欄が賑わっているけれども、直接的にお返事申し上げなければならない事案はそれほど多くなさそうである。

山門入り口氏との間で交わされた聖愚問答抄に関する話題は、いちおう終了ということでよさそうである。一方、山門手前氏との議論だが、失礼ながら何を議論したいのか、早い話が何を言いたいのか、それがさっぱりわからないのだ。わたくしが心掛けていることは、平易であることだ。文章は平易であることが最上であると考える。難解な用語を振り回すのではなく、平易な言葉で語ることがいちばんなのだ。

今日はそのお手本をご覧に入れたいと思う。一つの方法としては、結論を先に述べてしまうことである。まさに今日のタイトルがそれである。残念ながら浅井先生は今回の巨大地震を予言できなかったのだ。

七年前の諫暁書に記す

三月度の総幹部会は本部会館で行なわれた。顕正新聞第1202号によれば、歴史的な総幹部会だそうである。さて、その理由は何だろうか?

わたくしの思うに、浅井先生の予言が適中したから・・・というのが顕正会側の言い分なのではないか。さすがに予言が適中したなどとはどこにも書いていないけれども、おそらく顕正新聞の当該号を読めば、誰もがそのような感想を持つのではないかという気がする。ようするに顕正会では浅井先生が七年前に書いたことが事実となったと言いたいのだ。

 まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆(国内の分裂抗争)と他国侵逼(外敵の侵略)が起こるのである。

これがいわゆる平成十六年の諫暁書の記述である。しかし、わたくしはこれをもって浅井先生の予言が適中したとは思わない。理由は次のごとくだ。

まず、今はスピード化の時代である。はたして七年前の予言が有効であるかどうか、そこが問われるはずである。この七年間に地震について書かれた書籍は、他にもたくさん存在するだろう。何も浅井先生一人だけが予言していたわけではないのだ。
しかも浅井先生の場合、さかのぼれば平成九年にも諫暁書を出していて、地震に関する同様の予言を書いている。それだけではない。調べればいくらでも出てくるだろう。浅井先生が地震に言及する頻度はベラボウに高いのだ。
つまり、下手な鉄砲もたくさん打てば当たる、ということなのだ。これでは予言が当たったなどと喜んでいるほうがおかしいだろう。

しかし、真面目な顕正会員ならば反論するかもしれない。先生は予言をしているわけではない、警鐘を鳴らしているのだ、ずっと警鐘を鳴らし続けてきたのだ、と。

これについてはマヌケな事実を暴露しようと思う。

 「諸天いかりをなし、乃至、大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時」

これは二月度総幹部会の会長講演で引用された御書の一節である。三月度総幹部会を震災直後の歴史的総幹部会と称するのであれば、こちらはさしずめ震災直前のマヌケな総幹部会となるだろう。上掲は浅井先生の得意な中略が用いられている。「乃至」がそれである。御書を持たない顕正会員は気がつかないかもしれないが、わたくしはすぐに気がついた。実は中略部分には物凄く重要なことが書かれているのだ。

諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり・・・

なんとマヌケなことだろうか。浅井先生は「大地は大波のごとく・・・」という大地震を示唆する御指南を省略してしまったのだ。これが本日の拙ブログのタイトルの意味である。

わたくしは先ほど、先生の地震に対する言及頻度の高さを云々したわけだが、先生はどうも近年、あまり地震のことを言わなくなった。それはたぶんネットの影響だろう。一向に当たらぬ浅井会長の予言・・・みたいな揶揄がよく出てくるからである。
ちゃんと調べたわけではないが、平成九年前後はかなりの頻度で地震に言及していた。ところが平成十六年の諫暁以降は以前に比べるとあまり言及していないように感じられるのである。
顕正会の中枢もインターネットが普及するにしたがって、公衆便所の落書きなどと見下すわけにいかなくなったのだろう。けっこう気にしているのだ。
しかし、今回はそれがアダになった。上掲の中略部分はそれほど長い御文ではないのだから、そのまま切らずに引用しておけばよかったのだ。

以上、今さら七年前の諫暁書を持ち出しても遅い。直前の総幹部会で上述のようなポカをやっていては、どうしようもない。まさに取り返しのつかぬことである。

 さればいま日本国は、磁石が鉄を吸うごとく、首都圏をゆるがす大地震ののち、まさに自界叛逆・他国侵逼の大難を招かんとしている。

 以上、小田原地震・東海地震・東南海地震・南海地震・首都圏直下地震と挙げたが、遠からずこれらの巨大地震は咆哮し、列島の大地を大波のごとく躍らせるであろう。

さて、今度は別の角度から書いてみよう。上掲は前者が平成九年の、そして後者が平成十六年の、いわゆる一国諫暁の書である。何が言いたいか、すでにお気づきの人もいるかと思うが、浅井先生の予言は地域的な意味においても外してしまっているのである。

平成九年には首都圏の巨大地震に特化して論じている。ところが平成十六年にはいわば範囲を広げた格好である。物凄くイジワルなことを言えば、首都圏だけだと当たる確率が低いので範囲を広くした。ギャンブルで言えば、一点買いでは不安なので四点ないし五点買いとした。

ところが今回の地震は上掲のいずれにも当てはまらない。早い話が浅井先生の予言は大ハズレだったのだ。

いや、もちろん、凡夫には先のことはわからない。この先、上掲の地震が一つも起こらないとは言えないし、自分がそれに巻き込まれないとは言い切れない。そんな保障はどこにもないのだ。ゆえに、真面目な顕正会員たちが浅井先生は警鐘を鳴らし続けているのだと言うのであれば、それはそのとおりなのだろう。ただし、繰り返しになるが、今回の地震をもって先生の予言が当たったかのごとく言う顕正会員がいるのであれば、それは違うだろうとわたくしは言いたいわけである。

2011/4/10

第1200号のマヌケさ  
沖浦氏から懇切なる回答をたまわった。わたくしが想像していたとおり、氏はひじょうにリベラルであり、ブレがない。しかし、三番目のコメントはどうかと思った。あたかも戸田氏が大聖人の再誕であるかのような書き方をしているところが問題である。これは訂正すべきだろう。

信行氏からはもうコメントをいただけないものと考えていたが、案に相違して懇切なるご教示をたまわった。ひじょうにありがたいことである。今後とも忌憚のない意見をお願いしたいと思う。

「理想」というのは、人それぞれ中身が違っています。
一律に想定できるものではないように思います。

同様に、「正論」というものも受け取る方の立場や状況によって異なってきます。


山門手前氏からのコメントである。これについてわたくしの感想を言えば、難題を吹っかけてきたものだ、ということになるだろう。ワナと仕掛けてきた・・・とも言い得るかもしれない。

上掲に対する無難な返答は、まあ、それはそうですね、といったところだろう。しかし、そこで話が終わるような単純なものではないのだ。
大聖人の時代には八宗十宗といわれるさまざまの宗派があった。いずれも仏教である。つまり、それぞれの宗派にはそれぞれの理想があり正論があるわけなのだ。ところが大聖人は、いわばこれらを全否定された上で、法華最勝を打ち立てられた。
ゆえに、山門手前氏の主張をそのまま肯定してしまうと、ややもすれば大聖人の御考えから逸脱してしまうことにもなりかねないのである。

御書には意楽という言葉が出てくる。この意楽に従うならば、それぞれの理想・それぞれの正論というものが許される。しかし、究極のところでは理想も正論も一つに集約されるのではないか、というのが現時点でのわたくしの結論である。たぶん読者の中には、何を言っているのかさっぱりわからん、という人もいるであろうが、ようはそれだけ難解なテーマだということなのである。

ところで山門入り口氏からもコメントが寄せられているが、こちらは先月末の拙稿に対するものである。

存覚上人の「存覚法語」が元になっているみたいです。
そしてその元は後鳥羽上皇の「無常講式」という書物に依っているみたいです。


蓮如は関係ないだろう、というわたくしの意見を受け止めて、改めて調べ直して下さったようだ。その労には敬意を表したい。しかし、御書には「外典の卑しき教えにも・・・」とあるわけだから、もっと他に原典となるべきものが存在するのではないかと思うのだが、いかがだろうか?

山門入り口氏の怖いところは、偽書であることを視野に入れている点である。もちろん視野が広いことは悪いことではない。しかし、それにしても何ゆえ偽書の可能性を匂わす必要があるのか、その動機がよくわからない。先日来の流れを踏まえるならば、単に話が脱線しているだけなのではないかという気がしないでもないのである。

かく言うわたくしも年がら年中脱線しているし、行き当たりばったりに文章を書いているので、他人のことをとやかく言えた義理ではないのだが・・・

顕正新聞第1200号

物凄くマヌケな新聞である。当該号は三月十五日号であるが、その一面のトップ記事は昨年十二月十二日の日曜勤行指導である。何がマヌケであるかは説明するまでもない。三月十一日の大地震がまったく報じられていないからだ。

わたくしが読む限りでは、六面掲載の男子部第八十隊長の新任決意に東海地震の切迫を云々するくだりがあるけれども、それ以外はまったく地震のことが書かれていないのだ。

もちろん時間的に間に合わなかったという言い訳もあることだろうが、さりとて新聞である以上は報道の迅速性が求められて当然である。小さな記事でもいいから、せめて速報として入れるべきだったと思う。巨大地震ゆえに全貌明らかならず、詳細は次号に譲る、みたいな書き方をしておけばよかったのだ。そうしておけば、現実に一ヶ月が経過しようとしている今日の時点でも全貌が明らかではないのだから、第一報としては御の字だったのではないかと思う。残念ながら、第一報となった三月二十五日号は震災から丸二週間であるから、報道としては遅きに失したと言わざるを得ないだろう。

もっとも新聞とは言うものの、顕正新聞は月に三回しか発行していないのだから、あまり酷なことは言えないのだが・・・

2011/4/6

世の不条理に翻弄されて  
信行氏からお叱りのコメントを頂戴した。談義あるべからず云々と。さしずめ旦氏ならば、談義はダメだが論議はいい、などと言いそうなところだ。しかし、わたくしはそれに乗るつもりはない。日有上人のご指南を純粋に拝するならば、やはりダメなのだ。つまり、御書の解釈論みたいなことはやるべきではない、というのが結論である。

しかし、わたくしは今後も同じことを続けていくつもりだ。むしろ化儀は時代によって変化していくもの・・・というのが現在の日蓮正宗の見解ではなかったかと思う。ゆえに、もし言論を封殺する目的で化儀抄を持ち出すのであれば、それはかえって日有上人に失礼というものだろう。

これに関連して、沖浦氏が素晴らしいコメントを残された。

 人がどう言おうが、自分の信念を曲げない人が正義の人です。

せっかくだから沖浦氏に質問をぶつけてみよう。氏の師匠は池田大作氏らしいが、もし師匠の意見と己の意見が対立した場合、いったいどうするのだろうか?

他人に意地悪な質問をするばかりではいけないので、わたくしの場合も書いておこう。
浅井先生と直接まみえる機会はこれまでなかったし、おそらく今後もないだろう。ゆえに心配する必要はないのだが、もし万一にも対面する機会があったらどうするか、である。たぶん今のわたくしならば、さしたる躊躇もなく先生の間違いを指摘することができるだろう。
では、相手が御法主上人であったならばどうか、である。これも同様である。
しかし、正直に書くと、今物凄く緊張しているというか、タイプしていて手が震えるくらいの状態である。ブルブル震えながらタイピングしている。やはり猊下は恐れ多い。

ところがそれを実際にやってのけた人物がいる。それが浅井昭衛という男なのだ。

顕正会の幹部たちが浅井先生に尊敬の念を懐くのは上述のことがあるからだ。いわゆる武勇伝である。しかし、原理的には同じことが当てはまることを知らなくてはいけない。つまり、先生が間違った場合どうするか、ということである。

原理的には同じだと書いた。ところが現役の活動会員たちは違うのである。先生は例外、先生は別格だと言うのだ。
たぶん、この構造は創価学会でも同じだし、宗門・法華講でも同じだろうと思う。創価学会員の大半は池田氏に何も言えないのだ。宗門の人たちもまた同様であって、猊下には何も言えないのだ。
しかし、わたくしはこれをおかしいと思う。やはり間違いは間違いとして、ちゃんと指摘しなければいけない。たとえ相手が猊下であっても同じことなのだ。

これに関して最後に言っておくことがある。

わたくしとて現実の世界を生きている。ゆえにすべてが理想どおりに行かないことも承知している。実際、あの時ああすればよかった、ああ言えばよかった、しかし、できなかった、言えなかった、ということが山ほどあるのだ。それが現実の世界である。

だからこそ、理想が大切なのだ。正論が求められるのだ。

世の中にはおかしな思考をする人がたくさんいる。それが何によってもたらされるのかはさまざまであるが、上述のことを踏まえて言うならば、現実の世界の不条理に翻弄された結果なのだと思う。かく言うわたくし自身が日々そうした不条理に直面しているわけである。だからこそ、せめてブログでは理想を追求したい、自分が正しいと信じることを訴えたい、ということなのだ。

今日は顕正新聞の話題をやろうと思っていたが、次回に譲りたい。


平成二十四年七月九日追記:日有上人の御指南については僭越ながら新解釈を書いたので、いちおうリンクを貼っておく。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1734.html

2011/4/3

バランス感覚  
沖浦氏のおっしゃることはどうも要領を得ない。国家権力云々に関していえば、確かに現代は信教の自由が認められているわけだから、何を信じようがそれを強制的にやめさせることはできない。さりとて容認するわけにはいかないのではないか、それが折伏の精神というものではないのか、とわたくしは思うのである。

しかし、わたくしはこれに関連して、混乱に乗じての布教は好ましくない、とも書いた。おそらくは沖浦氏もこの点については同意だと思う。

そこで大沢氏のコメントだが、氏は御書を引用して次のごとく言われる。

こういう事態にあっても、大聖人様の御聖意に叶う折伏の方法があるはずですし、その御聖意に添うことができるよう、自行化他の修行に邁進していくことが、私たち法華講員の在り方だと思います。

おっしゃるとおりだと思う。混乱に乗じての布教はよろしくない。しかし、布教を全面的に禁止するというのもバランス感覚に欠けることだろう。わたくしの思うに、いわゆる世間普通の義とは、常識的であれ、ということなのだ。

これで一件落着と思いきや、信行氏からコメントが入った。

みなさん鎌倉時代のことを少し勉強しましょう。

(中略)  

文応元年とても混乱の真っただ中であったろうことは容易に想像がつくでしょう。
蓮祖が待たれたのは事態の鎮静化ではありません。四経の文あきらかになり、国主の徳政も、万祈も験なきことが幕府中枢に染み込む時を待たれたのです。


これは鋭い。わたくしは直ちに撰時抄の一節を思い浮かべた。

其の時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆへに、一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧信じて・・・

信行氏の指摘はごもっともだ。しかしながら言わせてもらえば、混乱に乗じての布教は好ましくない、という面もあながちに否定できないのではないかと思う。ようは両者を択一するのではなく、両立させることも可能だというのがわたくしの意見である。

一切の仏菩薩に祈りを懸けても験がないとなれば、最後は日蓮大聖人に帰依する以外にない。これは撰時抄に御示しのごとくである。しかし、立正安国論の段階では未だ大聖人の御存在そのものがそれほど浸透していたわけではない。もしここで大混乱の中に安国論を提出したとすれば、逆に心証を悪くすることにもなりかねない。信行氏の指摘のごとく、正嘉の大地震以降も災難が連発していたのは事実であろうが、文応元年の頃は少し落ち着きを取り戻していたのではないかとわたくしは思うのだ。

 小蒙古の人大日本国に寄せ来たるの事
 我が門弟並びに檀那等の中に、若しは他人に向かひ、将又自ら言語に及ぶべからず。若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由存知する所なり。此の旨を以て人々に示すべく候なり。


この小蒙古御書がけっこう悩ましい。大聖人が予てより断言されていた他国侵逼が事実となったにもかかわらず、なぜか門弟に対しては言動を慎むべきことを指示あそばしているのだ。もし言うことを聞かないようなら破門にするとまで仰せになられているのだから尋常ではない。

せっかくだから、これについての信行氏の見解を聞かせてもらいたいと思う。

話は変わるが、ずいぶん前の拙稿に、蛍氏からコメントを頂戴していた。これも御書に関する話題だったので、ひじょうに嬉しかった。結論的にはわたくしと同意見のごとくだった。そこで蛍氏にお願いしたいことがある。御書の解釈については、まだ他にも懸案がある。たとえば、わたくしと法太郎の間で衝突している塩と麦の交換の問題はひじょうに面白いというか、おそらくは蛍氏の知的好奇心をくすぐるものであろうと思う。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1555.html
http://white.ap.teacup.com/ganko/1556.html

蛍氏に限らず、興味のある人にはお読みいただいて、ぜひとも忌憚のない意見をお願いしたい。


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