2011/7/25

種々のコメントを踏まえて  
先週はまったく更新をしなかった。理由は特にない。早い話がサボリである。これも堕落のきわみであろう。

確かに楽しいブログだと思います。

多摩準急氏のコメントである。いったい何が楽しいのかわからないが、ともかくそのように言ってもらえることは嬉しいことだ。

浅井氏が原発事故後しきりに用いて重宝している京大原子炉研究所の小出助教ですが、日本での原発を批判する一方で北朝鮮の核開発を肯定し擁護していることがわかりました。浅井氏はこういう人をも利用してしまうんですね。

阿呆という人のコメント全文である。浅井先生の無節操を責めているのだろうが、わたくしはそれ以前の事実関係について疑問を感じた。小出氏が北朝鮮の核開発を肯定・擁護しているのは本当だろうか? 確たる証拠があれば提示願いたいと思う。

学者と言えども思想信条がある。ゆえに小出氏が北朝鮮シンパであったとしても一向に構わない。しかし、もしそこに根本的な矛盾が存するのであれば、それは糾弾されてしかるべきだろう。逆に言うと、学者はそうした自己矛盾に敏感である。ゆえに普通に考えれば上掲のようなことはあり得ないはずである。自国の原子力の危険性を訴えている人がどうして他国の原子力を肯定・擁護することがあるだろうか?

わたくしの直感では、小出氏を貶めるためのガセネタではないか、と思う。

ちなみに、小出氏はどうやら天皇制に否定的の立場であるらしい。たぶん浅井先生とはこの点で相容れないと思われるが、しかし、それとこれとは区別して論じるべきだろう。ずいぶん前に話題に上がった竹田恒泰氏は皇室の末裔であるが、反原発を標榜して本まで出版しているくらいだ。つまり、立場は異なれども反原発の一点では共闘し得るという意味で、矛盾はないと考えるべきなのだ。何でもかんでも一から十まで意見が一致しないと話が進まないのであれば、世の中は機能しなくなるに違いない。

浅井の弟子を名乗るなら浅井の説をとるべし。
さなくして他人および他門人を論評するとはまことでたらめなり。
これすなわち浅井を評すといえども浅井にも及ばぬ無節操と言うべし


信行氏からお叱りを頂戴した。特に申し上げることはないのだが、前掲の話と関連して言うならば、それぞれの立場を単純化して色分けするのはいかがなものか、ということになる。わたくしを浅井先生の弟子にはめ込んでしまえば攻撃し易い。しかし、わたくしはいわゆる玉虫色ではないが、ちょっと複雑な位置にいる。そして拙ブログでは読者もそれを了解してコメントを下さっている。ゆえに今さら無節操だと言われても仕方がないことなのだ。

家屋住居に安置するところの仏壇・厨子は戒壇である。
寺院本堂も戒壇である。
さて、寺院本堂は建造物であるが、仏壇を建造物というか。
建造物と言っても支障はあるまいが、さて文脈からいえばいかなるものであろうか。
宗祖の本意はこのような議論であろうか。
瑣末な浅井の詭弁だけが突出していると思ふ。


こちらのコメントは難解だ。もう少し具体的に言っていただかないと、何とも返答の仕様がないところである。

日顕上人様の御講義の前段について、いささか冗長な印象を持たれたということですが、私はそうは思いません。
御講義は、教師の御僧侶を対象にする内容ですから、背景や関連の項目について種々お話しになるものでしょうし、顕正会破折の意義から特に御講義を掲載されたのですから、歴史も含め非常に他項目にわたっているのではないでしょうか?


大沢氏はわたくしの戯言など捨て置けばよいものを懇切丁寧にコメント下さった。一つには謗法呵責の意味であろうし、さらには一分の慈悲に催されてのことであろう。

他項目は多項目だと思われるが、まさにおっしゃるとおりに違いない。何しろわたくしは上人の御講義を全文拝読したわけではないのだ。ご紹介下さった部分のみを読んで、冗長などと勝手な感想を述べているわけであるから、破邪顕正の精神からも大沢氏が上掲のごとく書かれるのはもっともなことだと思う。

いずれにしても立場の違いとは恐ろしいものだ。今のわたくしは顕正会とも距離を置いているが、さりとて宗門に帰伏したわけでもない。この微妙な立ち位置は不安定であるものの、案外に居心地がいいのだ。なぜならば言いたいことが言えるからだ。ゆえに浅井先生に対しては容赦ない批判を加えるし、宗門とりわけ猊下に対しては遠慮しつつも思ったことを言わせてもらっているわけである。

宗教掲示板に見受けられるような歩み寄りの無い法論こそ時間の無駄と何故思わないのか不思議で仕方ありません。

むしろ遠慮がない意味では、おおひがし氏のような無宗教者がいちばんの強敵であろう。上掲は別して言えば、沖浦氏と大沢氏のやりとりを揶揄したものと思われるが、しかし、誤解がなくもない。

両氏は実践行動の人である。拙ブログのコメント欄のみが活躍の場ではなく、現実の生活の中で実際に行動を起こしているのだ。

また、樋田昌志氏のようなツワモノがいることも忘れてはいけないだろう。氏は三度のメシよりも法論が好きだと言って憚らない人物である。しかも氏の法論は掲示板にとどまらない。むしろ対面法論がメインである。

おおひがし氏のおっしゃるように、確かに掲示板でのやりとりはラチが明かない場合が多い。それにもかかわらず、いつまでも堂々巡りを繰り返している人たちがいるとすれば、それは陰弁慶なのだろう。しかし、樋田氏が存在する以上、おおひがし氏のコメントは一面的な見方であり、とりわけ日蓮正宗信徒には当てはまらないと言わざるを得ないのだ。

残念ながら顕正会にはそうした人材がいない。たぶん今が妙信講時代であれば事情が違っただろうと思うが、今さらナイモノネダリをしても仕方がないことである。

早い話がもう終わっているのだ。

時間の無駄と何故思わないのか・・・

再掲であるが、実は時間を無駄にしているのは他でもない、わたくし自身なのかもしれない。なぜならば、終わっている対象を論評し続けていることになるからだ。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ