2011/11/27

文教大の諸君へ  
大沢氏から昨日今日と二回にわたって、大事なコメントを頂戴した。正直なところ、ひじょうに重たい内容である。わたくしの手には負えない問題だ。ウカツなことを書けば顰蹙を買うことにもなるだろう。ゆえに、これ以上の深入りは避けたいと思う。

 西日本の中心はどこか。それは、ここ近畿・東海ですよ。

さて、そこで上掲であるが、これは三重会館での会長講演である。前回同様、やはり山門入り口氏が取り上げている。

結論的には、西日本の中心を近畿・東海とするのはいかがなものか、と言わざるを得ないところだ。

三重県は東西で言えば西である。
しかし、西の中心とは言い難いだろう。そこで先生はワザと範囲を拡げて、近畿・東海などと言っているわけだ。それにしても、近畿はいいけど、東海はおかしいだろう。
たぶん三重県を近畿と言ってしまうと異論が予想されるので、そこであえて東海を付け加えたのだろうと思われる。しかし、いかにもアイマイである。中心を論ずるのであれば、もっと範囲を狭めるべきであろう。

上掲のくだりに限って言えば、浅井先生らしくない講演である。三重県にはいわゆる伊勢神宮がある。すると先生ならば新尼御前御返事の一節が瞬く間に思い浮かぶはずだ。

 而るを安房国東条郷は辺国なれども日本国の中心のごとし。其の故は天照太神跡を垂れ給へり。昔は伊勢国に跡を垂れさせ給ひてこそありしかども・・・

あるいは聖人御難事の冒頭も重要だ。今は略して次の一文のみ掲げさせていただく。

日本第二のみくりや、今は日本第一なり。

これらの御文を浅井先生が知らないわけがない。大聖人は日本の中心がどこであるか、しっかりと場所を特定あそばしているのだ。これで先生の言う中心がいかにアイマイであるか、よくわかるだろう。

そもそも東日本・西日本の境界線をどこに置くか、それが問題である。ネットで調べていて、いろいろと面白いことがわかった。
昨日、西日本巨大地震のことを取り上げたが、顕正新聞ではここ半年有余の間、地震関連の記事を連発している。その中でわたくしが違和感をおぼえるのは東海地震のことである。ようするに顕正会では東海地震の想定される地域を西日本に含めているのだ。
関東に住んでいる人は漠然と箱根山の向こう側を西と思っている。もちろん十人十色であるけれども、わりとそんな感じのはずだ。
では、東海地方に住んでいる人に西日本の自覚があるのかと言えば、ちょっと違うようである。いちばん無難なのは中部地方という概念である。つまり、東西の中間に位置するわけだ。

さらに厳密に境界線を引くとすると、それこそいろいろな説というか考え方が出てくる。それらは各自で調べていただくとして、浅井先生の主張を紹介しておこう。

確かめたわけではないが、おそらく先生は富士山を基準にしているのだと思う。より正確に言えば、戒壇の大御本尊を中心として東西を分けているのだ。すると伊豆半島など一部は東に属するけれども、静岡県の多くは西日本に含まれることになる。東海地震の想定域もまた西日本の範疇だ。つまり、大聖人の時代においては今の千葉県が日本の中心だったが、現在は静岡県の富士地方が日本の中心となる。たぶん浅井先生の考え方はこれで間違いないはずである。

しかし、繰り返しになるが、西日本の中心の話はひじょうにアイマイであり、説得力がない。

 ・歴史的にみた境界線

 東西の日本を著す言葉として、古くから「関東」「関西」という言葉がある。文字どおりに解釈すれば、関より東、関より西の地方という意味になる。「関西」という言葉は奈良時代にはすでに使われており、越前の愛発の関、美濃の不破の関、伊勢の鈴鹿の関の3つの関所を結んだ線より、西を関西と呼んでいたという。歴史的にはこの線が、東日本と西日本の境界線であろう。なお「関東」という言葉が使われるようになるのは室町時代以降で、その場合の関とは箱根の関所である。


余談というか、わたくしの個人的興味から出発した話題ではあるが、ひじょうに面白いので話を続けよう。上掲は文教大学の学生たちが作っているサイトのようである。

http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A

はっきり言おう。当該部分はほとんどデタラメである。ネットの面白いところはこうした間違った情報が当たり前のように出回っていることである。しかも、ウッカリすると誤情報が主流になってしまい、多くの人が間違った知識を身に付けてしまうことにもなりかねないことである。

東西の日本を著す言葉として、古くから「関東」「関西」という言葉がある。

冒頭部分を再掲した。そして次は文末である。

なお「関東」という言葉が使われるようになるのは室町時代以降で、その場合の関とは箱根の関所である。

単純に矛盾を感じないだろうか? 冒頭に、古くから関東という言葉があるなどと言っておきながら、最後になって、関東が使われ出したのは室町時代以降などと書いているのだ。

わたくしが現時点でもっとも信頼する(?)創価学会公式サイトの御書検索によれば、なんと関東は二十三件もヒットするのだ。つまり、すでに鎌倉時代には関東という表現が多用されていたことがわかるのだ。そして驚くべきことに、関西は御書に一つも存在しない。

「関西」という言葉は奈良時代にはすでに使われており、越前の愛発の関、美濃の不破の関、伊勢の鈴鹿の関の3つの関所を結んだ線より、西を関西と呼んでいたという。

さらに文教大の諸君に教えて差し上げよう。上掲はいかがなものか。奈良時代に使われていたという文献的証拠を知らないが、三つの関所を結んだ線より西を関西と呼んだというのは信じ難いことである。
日蓮大聖人の御書には五畿七道との御表現が拝される。五畿は今の一都六県みたいなニュアンスだと考えていいだろう。つまり、五畿は大和朝廷の時代に作られた地域区分なのだ。ゆえに七道の例で言えば東海道がわかりやすい。先ほどの東海がなぜに西日本なのかという問題は、現代の東京を中心とした区分からすれば西側に相当するけれども、大和朝廷や後の平安京から見れば東側になるわけである。
また大聖人は日本の大きさを「東西三千余里、南北は不定」と仰せになられている。不定とはどういう意味か、主にこれは東北方面が未開地いわゆる蝦夷地であって、日本の領土がどこまでなのか決まっていなかったことによる。そこには日本を脅かす夷狄が存在すると考えられていた。くだんの三つの関所はそのために設けられたと考えるべきである。これならば西側に関所が存在しない理由も明瞭となる。ようは西側には夷狄がおらず、政治的に安定していたのだ。

つまり、今の関西と呼ばれる地域は日本の中心だった。中心地であればそこに西という概念が生まれるはずはない。歴史的には奈良や京都が日本の中心であり、後に例外的に鎌倉が中心となった。そこでようやく関東という言葉が多用されるようになるわけだ。別のサイトによれば、関西は大正時代ごろから使われ出したそうである。意外なようだが、案外に整合性が取れている。江戸時代から明治大正を経て東京が日本の中心として定着し、一方の関西の場合はそこでようやくにして西の概念が生まれたと考えればいいのだ。

それでもなお歴史の重みは揺るがない。今では当たり前のように東京という言葉を使っているが、語義的にはあくまで東の京都なのだ。

南都・北京

当然、鎌倉時代にも同様のことが言えるわけで、ゆえに大聖人の御書には関東という言葉がたくさん出てくるわけだ。そこで上掲だが、これは「なんと・ほっきょう」と読む。ようは奈良と京都のことだ。つまり、現代人は首都が東京になって久しいのでわけがわからなくなっているけれども、鎌倉時代の人の感覚ではあくまで日本の中心は向こうだったのだ。繰り返しになるが、関東は大聖人の御書にたくさん出てくるけど関西は出てこない、この点は重要である。

以上、学生諸君が拙ブログを読むことはないかもしれないが、いちおう道理を尽くしたつもりである。

2011/11/26

頭破七分はどっちだ?  
前回の拙稿は徒労だったようである。

私の立場などどうでもよいこと。

>はっきり言えることは、単にわたくしの認識不足ないし知ったかぶりを指摘しているという事実のみである。

その通り。単にそれだけである。

私は顕正新聞の記事がウソだどうこうとは一言も書いていないし、単に管理人氏の深読みのしすぎである。


今後も忌憚のない意見をお願いしたいと思う。

さて、そこで今日は顕正新聞第1224号の話題に入ろう。同号のメイン記事は三重会館御入仏式。後半は十月度班長会の記事だ。

「本日こそ西日本広布の新たな幕開け」
「西日本巨大地震を迎え撃て」に感奮


これが一面の大見出しだ。

すでに山門入り口氏が取り上げていることだが、西日本広布の幕開けには違和感がある。当地は三重県である。もちろん東西で言えば、西に含まれるだろう。しかし、この調子で行けば、西日本で会館の建っていない県は他にもたくさんあるので、その度ごとに同じことを言いそうである。すると古い会員は過去の先生の発言をよく知っているので、また同じことを言っているのかよ、などと内心では興ざめすることにもなりかねないだろう。

西日本巨大地震のことはもちろん警戒を怠ってはいけないけれども、これまでの先生の論法というか思考パターンを思うに、どうも先生は自分の中でストーリーを作ってしまっているようなフシがある。凡夫にはいつどこで地震が起こるかわからない。それにもかかわらず上掲のごとく自信たっぷりに言ってしまうのだ。しかし、皮肉なことに先生が断言すると諸天がイジワルするのか、一向に地震が起こらないのだ。普通なら懲りて言わなくなるものだが、先生の場合はまったく懲りない。それはたぶん頭の中にストーリーが出来上がってしまっているからなのだろう。

見出しについてはこれくらいにして、写真のことを書こう。

「西日本広布の幕開け」を祝うように、みごとな虹が天空いっぱいに出現した

いい写真だと思った。虹を撮ろうにも、タイミングよく虹が出てくれるとは限らない。それはともかく、上掲の説明文にはカッコで補足の文章が継ぎ足されている。

(式終了後のビデオ放映時)

こんなこと書く必要はないと思うが、たぶんイチャモンをつける連中がいるので、用心したのだろう。もちろん正確を期すことはいいことだ。

ところで、写真で驚いたのは外人が写っていることだ。

わたくしの言う外人は西欧人のことだ。すでにモンゴルだとかネパールには顕正会員がいる。しかし、彼らはわりと日本人に顔立ちが似ているので、気がつかない場合が多い。いわゆる白人とか黒人ならば、はっきりわかる。

アメリカから来日 仏法に巡り合う

実際、この人の登壇があって、先生も講演の中で取り上げている。女子部の班長というから相当なものだ。内容については省略しよう。

それから各種の登壇についての感想だが、活躍している意味では女子部第四十九区支区長補の活動報告が目を惹いた。それから婦人部三重支区総班長の記事が原発関連の話題として興味深かった。そんなところだ。

さて、いよいよ会長講演である。今回は「臨終の大事」がメインテーマであり、臨終についての御金言がたくさん引用されていて、その点は有意義だった。しかし、次の部分はどうかと思う。

 ・・・看護師の証言によれば
 「奇声を発して、自分の著作と写真を投げ捨てた」という。
 これは容易なことではない。まさに精神錯乱、「頭破七分」そのものです。
 しかし、見ようによっては、この行動は無意識のうちに、自分で自分を否定しているようにも見える。自分の著作を投げ捨てた。「こんなもの、ウソが書いてあるんだ」と(爆笑)。写真もそうです、「この男、インチキだ」って(大爆笑)。誰よりも自分がよく知っているのです。


誰の話であるかは説明するまでもないだろう。池田大作氏のことを話題にしているのだ。

昨年の夏、拙ブログでは「馬鹿笑い」と題して一文を書いた。上掲のカッコ内の爆笑・大爆笑も馬鹿笑いの類だろう。馬鹿笑いは笑っている本人が馬鹿なのだ。相手を馬鹿にして笑っているつもりが、実は自分のほうが馬鹿だという話なのだ。つまり、上掲に出てくる頭破七分は、そっくりそのまま顕正会員に当てはまるのだ。

こんなもの、ウソが書いてあるんだ

この男、インチキだ


わたくしは文学的情緒に弱い。いや、もちろん、文学的情緒という表現が適切であるかどうか、それは何とも言えないところであるが、ともかく池田氏が上掲のごとく思っているとしたら立派だと思う。わたくしは感動的ですらあると思う。

また宗教的な意味で言えば、上掲はまさに懺悔に相当するのではあるまいかと思う。仮に懺悔であるとして、はたしてこの程度の懺悔で過去の悪行(?)が許されるものかどうか、という意見もあるだろうが、しかし、それは我々が云々することではない。大聖人が御裁断あそばすことなのだ。

ともかく池田氏の病状が深刻であり、あとは時間の問題ということであれば、わたくしは今がもっとも厳粛な時間なのだと思う。今の池田氏に上掲のごとくの思考力があるとすれば、それは精神錯乱でも頭破七分でもなく、ひじょうに立派なことである。

浅井先生は池田氏の容態を茶化して書いた。活動会員たちはそれを受けて爆笑・大爆笑した。しかし、わたくしは上述のごとく、まったく違う感想を懐いた。

もう一つ言っておくと、一般人の中には原発特集号を読んで感銘を受けた人もいるわけだが、はたして今回の記事を読んでどう思うか、そこが問題である。

2011/11/23

未活会員の愚痴日記  
事情通の人から、認識不足ないし知ったかぶり、とのご指摘を頂戴した。これについて今朝、好都合にも大沢氏がわたくしの代弁をして下さった。ありがたいことだ。これで手間が省けた。

正直に告白しておこう。知ったかぶりはそのとおりである。拙ブログは知ったかぶりの連続で成り立っている。

認識不足についても、いちおう告白しておかなければならない。わたくしは生活保護を受けたことがないので、詳しいことは何一つわかっていないのだ。また、幸か不幸か、わたくしの周囲には生活保護を受給している人がいない。仕事柄、関わりを持つこともない。ゆえに、生活保護にはまったく疎いのだ。

その前提で知ったかぶりを書かせてもらうと、生活保護には不正受給の問題が付きまとう。
ようは生活保護を受けなくてもどうにかやっていけるような人でも、貰えるものは貰ったほうが得ということで、ダメ元で申請するのだ。役所としてはひじょうに困ることである。ゆえに、申請しても簡単には通らない。審査があって、そう易々とは給付を受けられるようにはならないのだ。
しかし、本当に生活に困っている人にとってはいい迷惑であり、死活問題である。どうにか早く給付してほしい。そこで登場するのが議員さんである。いわゆる政治家による口利きというヤツだ。

当然、知ったかぶりで書いているわけだから、またしてもご指摘をたまわることになるかもしれないが、それを恐れずに書いてしまうのが拙ブログの流儀である。辛辣なるコメントを期待したい。

話を振り出しに戻して、事情通氏はいったいどのような立場の人なのだろうか?

当然、相手の返事を待ってから書くべきところだが、それでは話が進まないので勝手に推測を書かせてもらうことにしよう。
わたくしの思うに、氏は顕正会擁護の立場なのではないか。つまり、前回のわたくしの書き様が、あたかも顕正新聞の当該記事をウソであるかのように言っているので、そこを咎めたかったのではないかと思うのだ。
もしそうであれば、氏のコメントは屈折しているのではないか。見当違いの批判なのではないか。そう思わざるを得ないところである。

 実は学会員は生活保護の申請数が多く、議員として近所の学会員の生活保護申請の手伝いをすることがあるそうですが、いくら親切に世話をしてあげても、受給手続きが済んだ途端に手の平を返したような態度をとる者が多く、その人間性に前々から疑問を持ち、「信心していて、なぜ病気や経済苦になるのか」と、学会に対して強い不信感を懐いていたそうです。

煩瑣ながら前回分からの引用である。上掲は顕正新聞の当該記事だ。そして以下がわたくしの文章である。

共産党の議員が創価学会員の生活保護申請を手伝うことはひじょうに考え難いことである。通常、創価学会員の面倒を見るのは公明党の議員である。公明党議員の尽力によって、生活保護はもちろんのこと、ありとあらゆる行政サービスの恩恵を蒙ることが出来る、それが創価学会員の特典(?)なのだ。共産党議員の入る余地はないだろう。

つまり、わたくしの文章は言外に顕正新聞の記事をウソだと言っているように読めるわけで、いわば事情通氏はそれに反論しているわけである。

創価学会員とはいえ、組織活動や支援活動を嫌って周囲の学会員との往来すら「しない」人は共産党議員や他党の議員を頼ります。いや、頼らざるを得ないのです。なんといってもそういう人は公明党議員との接点もないのだから仕方ありません。ただ、学会員を頼らずに自分でツテをもって公明党議員に直接相談すれば、宗派や支持政党を問わず、乗ってくれるはずです。

共産党議員が創価学会員の面倒を見ることは充分にあり得ることだ。よって、くだんの記事はウソではないと。

わたくしは氏の言わんとしていることをこのように推測した。ゆえに顕正会擁護の立場だろうと書いたわけである。

話がややこしくなってきたが、仮にもし氏が顕正会擁護の立場だとしても上掲はまったく擁護になっていない。はっきり言えることは、単にわたくしの認識不足ないし知ったかぶりを指摘しているという事実のみである。
この点についてはすでに大沢氏が代弁をして下さっているわけだが、氏はさらに踏み込んで顕正新聞の記事には創作が含まれていることを指摘している。いわば、わたくしが言外にウソだと書いた意味と重複するわけだが、この際それを度外視した上で記事の問題点を指摘しておこうと思う。
つまり、記事がウソか本当かが問題なのではなく、記事の方向性そのものが問題なのだということである。それは次の二つの要件によって証明され得るはずである。

当該記事は共産党議員に悪口の代弁をさせている。

ここに登場する創価学会員はいわゆるミカツである。

説明が必要のようだ。まずウソか否かが問題ではないというのは、顕正会員が創価学会員を悪く言うのは当たり前の話で、それを共産党議員に言わせていることが問題なのだ。仮にそれが事実を語るものであったとしても、いかにも姑息な話ではないか。この構造が物凄くイヤらしく感じられるのだ。
そして二つ目であるが、これはいみじくも事情通氏が教えてくれたことである。共産党に頼る創価学会員など普通は考え難いことだ。しかるに事情通氏はそういうケースもあり得ると言っているわけだ。こういう人たちの多くは未活会員であろう。

結果的に事情通氏は墓穴を掘ったことになりそうである。

未活会員を例に取っても意味がない。それでは見当違いの批判と言われてしまうのがオチである。なぜならば、まったく同じことが顕正会にも当てはまってしまうからだ。今や顕正会員は百五十万人もいるのだ。その中には生活保護を受けている人もいるかもしれない。共産党議員の口利きで申請が通った人もいるかもしれない。礼儀知らず恩知らずの人もいるかもしれない。だったら同じことである。

顕正会ではミカツという表現を使わないが、いわば百万人以上がミカツという実態がある。そうしたミカツを例に取って、顕正会員はとんでもない連中ばかりだ、などと言われても、たぶん真面目な顕正会員にとっては迷惑な話であろう。

同様のことが創価学会員に対しても言えるわけだ。

このように書くと、あたかもわたくしが創価学会を擁護しているように見えるかもしれない。もちろん、この件に限って言えば、擁護しているとも言い得るだろう。しかし、そうではなくて、わたくしが心掛けていることはあくまで公平な視点から論ずることである。

もっとも、本日の拙稿は事情通氏を顕正会擁護と推断した上で書いているので、そこが違っていたら元も子もないのであるが・・・

2011/11/20

顕正新聞第1223号の記事を中心に  
興味深いコメントがたくさん寄せられている。内容が多岐にわたるので、どのように整理したらよいものか、頭を悩ましている。そこですべてを割愛させていただき、ともかく前回はコメント欄が充実していたことを記憶に留めて置こう。このように書き残せば、何かの折に読み返すことも可能だからだ。

最近は何をするにも後手後手である。顕正新聞第1223号も中途半端のままになっている。

善知識たる先生に師事できた有難さ

当該号は十月度総幹部会の記事で占められているが、中でも上掲がいちばん問題であろうと思う。実はかなり前に某氏が次のコメントを残された。

善智識とは、所詮をいえば仏様のことである。これを理解しなければいけないと思う。

つまり、前掲は会長本仏論の危険性を孕んでいるわけだ。すると第九男子部長は会長本仏論者なのだろうか? 今後の発言にも注目していきたいと思う。

福島原発で働く組長、不思議の御守護

これは男子部第六十七隊幹事・支隊長の活動報告であるが、この人は七月度総幹部会でも登壇している。今回は続編みたいなものだ。

何ミリシーベルトがどうのこうのと、かなり専門的なことを書いている。細かい話を省いて簡略に説明すれば、この人の組織には福島原発で重機オペレータとして働いている組長さんがいる。これが不思議なことに、他の人に比べると極端に被曝量が少ないのだそうである。それを御守護だと言っているわけだ。

わたくしの意見を書いておこう。放射能の怖さはいわゆる晩発性障害にある。こればかりは確率的な問題であって、いつ誰がどのような病気を発症するか、正確にはわからないのだ。すると現在の被曝量などは単なる目安であって、少ないからと言って喜んでいる場合ではないのだ。いつまで働くつもりでいるか知らないが、事故の収束が見えない以上、このまま働き続ければ累積での被曝量は馬鹿にならない数値になるだろう。仮に今の段階で福島を離れたとしても、これまでの被曝が今後どのような影響を及ぼすか、まったく未知数である。それが晩発性の怖さなのである。

たまたま隣の記事に十二年前に起きた東海村の臨界事故のことが載っている。

・・・数年後、数名の同級生が白血病などの血液疾患に罹患し、また私の父親を含む四人が同地区で悪性リンパ腫を発病し、その後も現在に至るまで、血液のガンは増加傾向にあります。

福島の原発事故はまだ起きたばかりである。ようは五年後十年後が問題なのだ。やがて作業員たちに深刻な健康被害が生じる可能性がある。ある意味、作業員たちは覚悟の上のことかもしれない。しかし、福島の住民たちは違うだろう。被害を蒙るイワレはないのだ。この深刻さを忘れてはならない。

さて、この記事の上段には、青森原発の裏面史知る反原発元中心者が入信、という見出しの付いた記事がある。青森原発という原発はない。しかし、青森は原発関連施設が林立しているので、それを総称する意味なのだろう。

発表者は婦人部下北支区部長。そして話の中の反原発元中心者は八十六歳の男性である。ウソじゃないのだろうが、わたくしには不自然に感じられるところがあった。少々長いがその部分を紹介しよう。

 「当時は村あげて原発を反対した。自分はその筆頭者であったため、推進派知事をはじめ、関係者が何度も自宅に説得に来た。交渉や接待の場は浅虫温泉だった。県の担当者からは『交渉は、補償金を上乗せさせるために、一回ではなく二回、三回と重ねて行ってから承諾するように』と助言されていた。当時は皆が本当に貧しかったから、絶対権力と多額のカネの力に、巧妙に引きずられてしまった。自分は最終的に二億円を手にした。他の漁業関係者も、最低でも五百万円を渡された」

どこがどのように不自然か、読者にもお考えいただきたい。これは宿題としたい。

「近い将来、必ず原発はなくなると確信している。天然ガスの実用は近い」

これは明らかにおかしいだろう。仮に天然ガスではなく、太陽光などであればわからなくもない。なぜならば天然ガスはとっくの昔に実用化されているからである。

原発関連をもう一つ紹介しておこう。次は本年五月四日に入信した男性平会員である。

原発反対運動に挫折し虚しい日々

この人は若い頃、三里塚闘争にも加わっていたらしく、後年、反原発運動に参加するようになるのも、ある意味では必然的な流れなのかもしれない。しかし、上掲のごとく、反原発運動に挫折し虚しい日々を送るようになる。

わたくしは思う。今現在、この世の中に、顕正会の御遺命守護の戦いに挫折し虚しい日々を送っている人たちがいったい何人いるだろうか、と。今はまだ入信したばかりで感激に浸っているこの発表者も、やがては同じ道を辿ることになりやしないかと。

最後に班長会での男子部支隊長の活動報告を紹介しよう。

 実は学会員は生活保護の申請数が多く、議員として近所の学会員の生活保護申請の手伝いをすることがあるそうですが、いくら親切に世話をしてあげても、受給手続きが済んだ途端に手の平を返したような態度をとる者が多く、その人間性に前々から疑問を持ち、「信心していて、なぜ病気や経済苦になるのか」と、学会に対して強い不信感を懐いていたそうです。

やや長めであるが、煩を厭わず引用したのには、それなりの理由がある。

いったいこの議員とは誰のことか、顕正新聞をお持ちでない人には想像を絶することに違いない。なんと、ここでの議員は共産党の市会議員なのである。

わたくしが驚く理由は簡単だ。

共産党の議員が創価学会員の生活保護申請を手伝うことはひじょうに考え難いことである。通常、創価学会員の面倒を見るのは公明党の議員である。公明党議員の尽力によって、生活保護はもちろんのこと、ありとあらゆる行政サービスの恩恵を蒙ることが出来る、それが創価学会員の特典(?)なのだ。共産党議員の入る余地はないだろう。

2011/11/15

素晴らしい体験発表  
沖浦氏より素晴らしい体験発表をたまわった。

 沖浦さん、どうやって、ああ言う素晴らしい息子さんを育てられたんですか?

なんだかんだ言っても、自分の息子が褒められれば嬉しいものである。半分はお世辞にしても、嬉しいことに変わりはない。どうしようもないドラ息子であれば、さすがに世間も褒めはしないだろう。ゆえにベクトルとしては、いい息子さんで間違いないと思う。

実際、複数の法華講員を前にして孤軍奮闘している様子が映像として残っている。それを見れば誰もが立派だと思うに違いないのだ。

 あの差し上げた金メダル、私にとって、本物の功徳になりました。

これも素晴らしい体験発表だ。

いろいろな意味があるだろう。たぶん沖浦氏は自信に満ち満ちているはずだ。金メダルの一つや二つ惜しくない、なぜならば来年も再来年も獲るつもりでいるからだ。実際、先般の大会ではダントツの優勝だった。であれば油断は禁物にしても勝算はあるわけだろう。
それに加えて沖浦理論によれば、記録そのものが豆腐なのであって、メダルはオカラに過ぎない。物に対する執着がなくて、清々しいことだ。
しかもメダルを貰った人にとっては、励みとなる。世間の常識からすれば、そう易々と金メダルをくれる人はいないはずだ。ゆえに当人にとっては物凄く励みになることだろう。

まさに広義の意味において、功徳と言って差し支えないと思う。

さて、今日は顕正新聞第1223号に入ろう。

事前告知から動執生疑・断疑生信へ

十月度総幹部会の会長講演の見出しの一つである。事前告知とは平成九年および十六年の一国諫暁を意味する。では、動執生疑・断疑生信とは何かと言えば、震災以降の現在の戦いがこれに相当するのだそうである。

動執生疑は以前よりしばしば耳にするところだが、断疑生信は聞き慣れない言葉だ。十月二日の日曜勤行でも使っているので、いわば最近の浅井先生のマイブームのようなものなのだろう。当然、幹部たちもマネして使うだろうが、これが常態化するとは思えない。

それはさておき、顕正新聞には三つのグラフが掲載されている。

このグラフ、顕正新聞に掲載しますから、よーく見て下さい。正本堂の大悪事から亡国の芽がむくむくと頭をもたげて来たこと、このグラフで一目瞭然であります。

今さら無理だろうが、先生に提案しておこう。パソコンを駆使すれば、総幹部会の会場においてもグラフを見せることができる。先生は先刻承知のはずだが、小出裕章氏などは講演会において、スクリーンを中央に据えて豊富な資料を掲示しながら話を進めていくのだ。もし先生がこれをやれば大したものだと思う。前回紹介した女子部総務の言葉がよりいっそう輝きを増す。

グラフの中身について話をしよう。

原発54基建設の推移

日本国・借金残高の推移

中国軍事費の推移


かく言うわたくしもパソコンを駆使して、たとえばグラフを転載するとか、いろいろ工夫をすべきところなのだが、拙ブログはあくまで文章オンリーでやっていくつもりである。

そこで上掲であるが、これは各グラフに付されたタイトルである。これらのグラフはいずれも右肩上がりになっている。問題はこれをどのように解釈するかであるが、顕正新聞では次のごとく結論している。

偽戒壇・正本堂建立の企てが始まったのが昭和40年(1965年)、そして正本堂の完成が昭和47年(1972年)である。まさに「仏法より事起こる」は一目瞭然

特集号で味を占めたか、文章オンリーよりは図版を多く使ったほうが受けがいい。ゆえに今回の三つのグラフは、それなりに見栄えがよくて好感が持てる。

しかし、グラフというものは委細に見る必要がある。

右肩上がりは大きな意味での共通項だが、三つのグラフにはそれぞれ特徴がある。たとえば原発のグラフだと、平成十年ごろからほぼ横ばい状態を示しているのだ。いわゆる頭打ちである。これはいったい何が理由なのか、正本堂を云々するのであればそれとの関連から何かしらの説明があって然るべきだろう。
借金残高はそれほど極端な特徴は見られない。多少の変動は政権移譲に伴う方針の変化に起因するのだろう。さすがにそこまで詳しく調べる元気がないので、これはこのくらいにしておく。
問題は中国の軍事費である。右肩上がりと言っても、昭和四十年代五十年代は横ばいであって、目に見えて急増し始めるのは平成以降である。さて、これも仏法上の理由があることなのだろうか、先生の見解を求めたいと思う。

三人の罰を見よ

今回の会長講演は大きく三段に分かれていて、これは二段目の「御遺命破壊がいかに大悪事か」を説明するくだりである。日達上人・日顕上人・池田大作氏を並べ立て、上掲のごとく罰の現証をあげつらうのだ。

ここでは簡略に述べよう。日達上人への誹謗は許しがたいことだ。浅井先生の変節は『迷走する顕正会を斬る』の次の記述から窺えるはずである。

 四月二十六日、妙信講第十七回総会が開催(渋谷公会堂)され、浅井理事長は「猊下に対する妙信講の態度を改めて明確にしておきたい」と講演した。しかし後に昭衛氏は、自らの言葉に背いて行くことになる。

昭和五十年のことだ。ここでは講演の具体的文言を省略するが、ともかく浅井先生の変節は否定のできない事実である。

また日顕上人に対する誹謗も同様であって、こちらは平成三年に書いた「学会・宗門抗争の根本原因」との自語相違が明瞭である。

元凶・池田大作の罰

幸か不幸か、浅井先生の池田氏に対する姿勢は終始一貫しており、さしたる矛盾はない。しかし、いかがなものか、というのがわたくしの感想である。

週刊文春の記事はネット上でも大いに話題になっていることなので、わたくし自身は現物を読んでいないけれども、おおよそのことは承知しているつもりである。
結論を言えば、もうそれ相応の年齢なので仕方がないことだ、というのが偽らざるところである。
なぜならば、それぞれが己の近親者を見ればいいのだ。それこそ個人差のあることなので、とっくに物故しておられる人もいれば、いまだに元気いっぱいの人もいるはずだ。
ゆえに、池田氏がどういう状態であれ、年齢的にはそれほど不思議なことではないだろう。ただ、有名人なので、どうしても注目されてしまう。それだけの話なのだ。

あとは情報公開の原則に従って、創価学会の首脳がどこまで情報開示するかという問題が残るけれども、まさか戦国時代の武将でもあるまいし、死後何年にもわたって隠し通すみたいなことにはならないだろう。よって、わたくし自身は不謹慎ながら訃報を待つ、ただそれだけである。

翻って顕正会はどうなのか、むしろ心配なのはこっちのほうではないのか?

浅井先生は現会長なのだ。あちらさんは名誉会長である。つまり、組織的な意味では創価学会に動揺はない。しかし、顕正会は現役会長。しかもワンマン会長とも言われるくらいであり、実態的には脆弱な組織なのだ。

他人のことを罰だの何だのと言っている場合ではないはずだ。

2011/11/13

秋晴れの一日  
今朝の沖浦氏のコメントは難解である。引用ばかりが長くて、自分の言葉はわずかである。一方、一昨日のコメントはわりと平易である。

わたくしが感じたのは、ネットにおける沖浦氏の活動はいい意味で創価学会本部への牽制となっている、ということだ。

ようは脱原発ならぬ脱戒壇本尊本懐論を目指している。それが今の創価学会なのだそうであるが、過渡期ゆえにアイマイな表現が多い。なぜならば、いきなり脱戒壇本尊を表明すれば、古くからの会員に動揺を来たす。一歩間違えば組織崩壊にもつながりかねない。そういう危惧があるのだろう。

ある意味、ネット上の創価学会員は試金石というか、本部にとってのリサーチ機能を果たしているのだと思われる。たとえば沖浦氏が法華講員にボコボコにやられているとしよう。本部首脳がそれを見れば思うはずだ。当分はダメだな、脱戒壇本尊はしばらく見送りだ、と。つまりはこれが牽制の意味である。沖浦氏が元気で活躍しているうちは、創価学会の異流儀化もこれ以上は進行しない、ということだ。

のび太氏のコメントはなぜか好印象である。

ネット上の創価学会員の動向を見ると、四分五裂の自界叛逆的様相を呈している。ひっちゃかめっちゃかの状況なのだ。
しかし、物の見方はいろいろあるわけで、のび太氏はこれを自由度の高さを示すものだとしている。うまいことを言うものだ。
もちろん、どちらが本当であるかは議論の余地があるわけだが、一度は善意に解釈する、相手の側に立って考えてみる、というのがわたくしの方針である。そこで次の一文が注目されるところだと思う。

よしりん氏のご自慢は、日達上人書写のご自宅に安置されている板曼荼羅?である。

よしりん氏のお宅には氏が自主的に仏師に彫らせた板本尊がある。もとは日達上人の特別御形木御本尊であるが、こんなことをする創価学会員も珍しいだろう。まさに当会の自由度を物語るものだ。

しかし、どうなのだろう。わたくしが知りたいのは、近所の創価学会員たちの認識である。認識と同時に行動である。早い話、よしりん氏がどのように扱われているかが問題なのだ。もっと具体的に言えば、他の会員たちがくだんの板御本尊に手を合わせることはあるのか、よしりん宅で座談会のようなことが行なわれることがあるのか、この辺がポイントとなるだろう。

つまり、よしりん氏が組織の中で異端扱いされているかどうか、もし異端であれば残念ながらのび太氏の言う自由度なるものも相当にアヤシイと言わざるを得ないだろう。

この創価学会の自由度が「一人の人間の…」という個の尊厳を担保しているのではないだろうか。

わたくしはこうした言い回しに憧れを持っている。自分でも使いたいところだが、現実にはなかなかうまく行かない。

さて、次は顕正新聞第1222号からの引用である。

苦労なく正しい見識もてる有難さ

婦人部大阪支区部長の記事の見出しである。本文中にも同様の言い回しがある。

「見識」にまつわる話は、これまでも繰り返し書いてきた。はっきり言っておかしな表現が多かった。たぶん本部ないし顕正新聞社もわたくしの指摘を気にしているのだろう。今回はだいぶ工夫が施されていると思う。上掲はわたくしの言語感覚からすれば、ひじょうに素晴らしいものである。

何の行功もない自分ごときが浅井先生の指導により、どれほど高い見識に立たせて頂いているかを感じ・・・

婦人部小石川支区部長の記事だが、これも実にうまい表現だ。

さて、次は見識というキーワードから離れることになるけれども、わりと関連する内容である。女子部総務の記事だ。

 それにしても、私たちは膨大・複雑な原発情報など集めずとも、先生から仏法の眼で肝要を教えて頂けることが本当に有難く、また同時に、先生が激務の中、どれほど真剣に勉強しておられるかを思えば、ただ低頭するばかりであります。

どれほど真剣に勉強しておられるか・・・

この辺は浅井絶対論者からすれば、けしからん、というふうに受け取られかねなくもないところだ。先生に対し勉強云々などは不遜な物言いであるとのイチャモンである。
しかし、わたくしは物凄く好印象だった。先生をそこまでタテマツル必要はない。先生と自分たちは同じ人間であり、実際にはそれほど差があるわけではないのだ。
では、いったいどこに差があるのだろうか、と考えた時に、ああ、そうか、先生は見えないところで努力しているのだ、猛勉強しているのだ、自分たちも見習わなくてはいけない、と考えるのがいちばん理想的なあり方だと思う。

見識の話も同様だ。

以前から多く使われて来たのが、見識を与えて頂くだとか、授けて頂く、だった。見識などというものは、そう易々と身に付くものではない。猫に小判という譬えもある。ようは本人がそれをモノに出来るかどうかの問題なのだ。まさに自家薬籠中の物にしなければ意味がない。それが見識であろう。

ゆえに本人の自覚として、見識を持つ、見識に立つ、等と言えるレベルに達してこそ、本物なのだ。

最後に御大会式の感想を書いておこう。

顕正新聞第1222号はこれがメイン記事である。ゆえに触れないわけには行かない。そこで感想だが、わたくしはやや疑問だった。というよりも、先般の原発関連の特集号のインパクトが強過ぎるためなのだろう、それで大事の御大会式が霞んでしまったのだ。

内容的にはたぶん、七年前の講演に通ずるものがあるはずだ。かなり教学的には難解な分野に属すると思う。

文上顕本と文底顕本

難解な用語がたくさん出てくる。上はいわばその一例と考えていただきたい。

内容そのものの誤謬だとか、教義に関する異論のようなものは、特に思い浮かばなかった。結局、わたくしがいちばん気になったのは、一般人に対する配慮である。上述のごとく、特集号のインパクトが強い。くだんの特集号は一般人にも理解ができる内容であるし、世間の関心事でもある。話によれば、一般人の中には特集号を読んで感激し、顕正新聞の定期購読を申し込んだ人もいるそうだ。たぶん、そういう人は教義に関心があるのではなく、いわば浅井流の社会時評に興味を持っているわけである。すると今回の会長講演は大半が教義のことで占められていて、おそらくはチンプンカンプンであろうと思う。すると途中で投げ出してしまう可能性すらあるだろう。

以上がわたくしの感想である。

まさか世間受けを狙って、御法門のことを大幅に省略する。そんなわけには参らない。ゆえに、先生としては致し方がないところなのだろう。

2011/11/11

沖浦流法門と創価学会公式見解の異なり  
沖浦氏よりさっそくのコメントを頂戴した。

 私が戒壇本尊本懐を否定するのは、御書に欠片もないこと(中略)

 何よりも決定的なことは、弘安2年10月12日に書かれた、伯耆殿御返事に、欠片も出ていないことです。

なるほど、氏の主張には一定の説得力が感じられる。

 唯受一人とされる興師に、蓮祖が本懐を遂げたことを伝えないわけはないと思うのですが、如何ですか?

どうですかと問われれば、無視するわけには行かないので、思うところを書いておこう。

すでに法華講の諸氏が各所の掲示板などに書いているように、御本尊と御書は必ずしもリンクしていない。いわゆるリンク切れ状態になっている場合が多いのだ。
たとえば御書に御本尊を授与した意味の御記述があっても、それに該当する御本尊がどれなのかを考えると、おそらくは大半がわからない状態なのではないかと思う。逆に言うと、現存する百数十の御真筆御本尊の大半が、必ずしも御書の中に裏付けとなる御記述があるわけではないのだ。
たぶん、こう書くと、出世の本懐の御本尊であればちゃんと書いてあるはずだ、などと反論するかもしれない。しかし、それはナイモノネダリであって、無いものは無いとしか言い様がない。

わたくしの思うに、沖浦氏の言い分には一定の説得力がある。しかしながら、それが必ずしも決定打とはならない。

なぜならば、仮定の話として上述とは正反対に、御書と御本尊がリンクしているとしよう。つまり、大半の御本尊が御書によって裏付けられるのだ。
すると、戒壇の大御本尊にはその裏付けがない、おかしいではないか、ということになる。今まで以上に説得力が増すわけだ。
ところがどっこい、正宗信徒は言うはずである。戒壇の大御本尊は特別である。秘仏なのだから、むしろ御書に書かれていなくて当たり前、書かれているほうがおかしいのだ、と。

当然、これに対してはさらなる反論があることだろう。しかし、正宗側の言い分にも一定の説得力がある。これはこれで完結した論理なのだ。ようは議論が噛み合わない。平行線である。

たぶん、これは方法論が確立していないからなのだろう。

わたくしは頭が悪いので、学問的というか学術的にどうなのか、それがよくわかっていない。しかし、卑近な例で言えば、異種格闘技がわかり易いだろう。最初にルールを統一しないといけない。その折衝が難しいのだ。当然ながら有利なルールで戦いたい、あるいは戦わせたい。ゆえにルールを決める段階で揉めるのだ。

法論においてもまったく同じであって、他門との法論ではまず御書の使用範囲をめぐって揉めることになる。わたくしが学問的ないし学術的によくわかっていないと書いたのは、まさにここなのだ。どうも今の流れでは、御相伝書は論外、御真蹟の存在しない御書も認めない、という風潮が感じられてならないのだ。

以上のような理由から、まともな法論が出来た例がない。これが現実である。

 戒壇本尊本懐論は創価学会には既にございません。
 以下は、SOKAnetにある、熱原の法難と出世の本懐から、抜粋引用です。

 農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。
そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。
熱原の法難において、民衆が不惜の強き信心を表したことこそが、大聖人の大願である広宣流布成就の根本要件なのです。
 〜引用終わり〜

 ここにあるように、戒壇本尊が本懐ではなく、民衆が大難に耐える信心を確立したことを持って、ご本懐としています。


順番が逆になったが、大事なところなので全文を引用させてもらった。

わたくしは二つの感想を持った。まず、これが沖浦氏の解釈どおりだとすると、創価学会もだいぶ落ちぶれたものである、と。しかし、委細に見ると、沖浦氏の主張と創価学会の公式見解には相当の開きがある、ということである。

民衆が大難に耐える信心を確立したことが出世の本懐である・・・

これが公式見解だとすると、その続きの文章の弘安二年十月十二日云々には如何なる意味があるのか、それがひじょうにアイマイである。わたくしが思い浮かんだ譬えは、熱原法難が豆腐で戒壇の大御本尊がオカラ、というものである。もちろん、わたくし自身がそう思っているわけではなく、くだんの公式サイトの記述がそうした文脈のごとく読めてしまうのだ。

しかし、これはあくまで沖浦氏の解釈を基準にした場合であって、現実には創価学会と沖浦氏の考えにはかなりの隔たりがある。

日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊

日興跡条々事を掲げさせていただいた。法華講の諸氏と沖浦氏におけるバトルにおいて、必ず生じる事案である。ここでは具体的な引用を省くが、沖浦氏がどういうことを言っているか、拙ブログの愛読者ならばよくご存知だろう。氏は、大聖人が弘安二年にあらわされた御本尊はたくさんある、ゆえに「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」が戒壇の大御本尊であるとは限らない、などと言っているのだ。

では、なぜに創価学会の公式サイトでは弘安二年十月十二日の御本尊を謳っているのか、それが問題である。

結論を言おう。

公式サイトの文章はかなりアイマイではあるものの、文脈上は今もなお戒壇の大御本尊を出世の本懐だと認めている、このように解すべきなのだ。

2011/11/10

晩秋の一日  
二週間近く、お休みをいただいた。そこで今日は久しぶりの更新となる。

受取拒否の話題はおおむね出尽くしたようだ。そして今の活動会員たちの多くは名前と電話番号しか記さない。このことも確実のようだ。

のび太氏より、正信掲示板の情報をたまわった。てっきり閉鎖になったままだと思い込んでいた。まさか再開しているとは思わなかったので、さがす努力もしなかった。ともかく、かの掲示板はよしりん節を拝せる唯一の場所なので、再開はひじょうに嬉しいことだ。

そして沖浦氏である。

 戒壇本尊本懐を、否定する理由ですが

氏への破折は、よしりん氏にお任せするのが賢明であるが、いつも他人にばかり頼っていてはいけないので、わたくしなりに思うところを書いておこう。

 ご本懐は、御書経文にあります

 開示悟入の四仏知見。


開示悟入が本懐とはいかなる意味か。こうした場合、普通は道理に立脚して考えていくべきところだが、沖浦氏は御書経文にあると明言している。であれば、そのものズバリの御書を出すべきだろう。

 これに尽きますので、関連することが全て含まれます。
 どこかの部分を抜き出して語ること自体が間違えを誘います。


言いたいことはわからなくもないが、上掲は間違いである。部分を抜き出して語ると間違いを誘引する云々は、まさにその「部分」がどこに相当するかが問題なのであって、その部分がそのものズバリ中心部分であれば、間違いどころが大正解となるわけである。

 三には大覚世尊、此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり。

開目抄の初めのほうに出てくる御文であるが、煩瑣を避けて大幅に中略を入れると、この段の結論は次のごとくなる。

初成道の始めより泥洹の夕べにいたるまで、説くところの所説皆真実なり。

もう、おわかりだろう。これはいわゆる内外相対の領域である。外道に対すれば、すべてが真実。しかしながら釈尊五十年の説法は、四十余年未顕真実の一語をもって、その大半が打ち消されてしまうことを知らなくてはならない。もちろん、そこには開会という法門があって、すべての経典が活かされる方途が示されているわけだが、それとこれとは別である。ようはどこが中心であるか、それを弁えなくてはいけない。

一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月の無く、国に大王の無く、山河に珠の無く、人に神のなからんがごとく・・・

同じく開目抄である。話がいきなり寿量品に飛んでしまったように思われるかもしれないが、ようはこれが結論なのだ。さらに突き詰めれば、寿量品の文の底、ということになる。

今一度、沖浦氏のコメントを再掲しよう。

 どこかの部分を抜き出して語ること自体が間違えを誘います。

いわゆる五重相対ないし五重三段は、膨大な経典の中から最高の経典を選り出すことを目的としている。単に仏教全体を指し示して、仏の教えはいずれも真実であり、ありがたいものだ、などとアイマイなことを言うのは諸宗の人たちであり、大聖人とは相容れない。大聖人は法華経の中ですら、本門と迹門の違いを明確にされ、さらに本門の中においても前掲のごとく寿量品に重きを置かれている。ましてや法華経すら詮無しと仰せになられるほどなのだ。

こうして見ると、沖浦氏は大聖人に文句を言っているごとくだ。

立宗宣言がそのまま、出世のご本懐です。

すでに沖浦氏の所論は破綻しているわけだが、初歩的な破折ということで三沢抄の有名な御文を掲げておこう。

 又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。

この期に及んで、なおも自説に固執するであろうか?

 戒壇本尊図顕など言う小さな出来事が、末法の御本仏の本懐などとは、とても信じられません。
 それは、御本仏を矮小化する邪義ですね。


小さな出来事・・・

矮小化・・・

ならば道理だけ示しておこう。すでに説明してきたごとく、釈尊五十年の説法においては法華経本門寿量品が肝要となる。しかし、もし時間的な意味で平均化してしまったならば、寿量品は埋没してしまうことだろう。経典の価値を時間の長短(経典の長さ)だけで評価するなど、馬鹿げた話もいいところだ。


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