2012/1/29

週一ブログ  
前々回のコメント欄に、田舎の男子部長という不思議な名前の人が興味深いことを書いている。顕正会には男子部長が十数人いるので、もしかしたらそのうちの誰かなのかもしれない。

昨年秋に顕正会の代表役員に就任した城衛さん

ようするに今現在、宗教法人顕正会の代表役員は城衛らしいのだ。すでにネット上には同様の情報が流出(?)していて、それには確か昨年ではなく一昨年と書かれていたような気がする。いずれにしても、わたくしには裏を取る術がないので、正確な時期は何とも言えないが、ともかくも上掲のことはそれなりに信憑性のある話なのだろう。

この問題のポイントは、一般会員に何の報告もないことである。それ以前に総幹部会で賛否を問うことが、たとえそれが形式的なものであったとしても民主的には正解のはずである。つまり、この件は顕正会の独裁体制を物語っているわけだ。

わたくしの思うに、こうした秘密主義的な手法をマスコミに叩かれたらどうするのか、である。あるいはズバリ、克衛のことを問われたらどうするのか、これも問題である。以前は名実共に顕正会随一の実力者だった。それがいったい何の理由で失脚したのか、まったく明らかにされていない。これは誰もが知りたい事柄だろう。

私は城衛さんを先生とは、呼べないでしょう。

田舎の男子部長氏の本音である。本部首脳は心して読むべきだ。

確かに若い会員たちは克衛を知らない。ゆえにさしたる動揺はない。しかし、古い会員たちは克衛を知っているのだ。

浅井先生も年齢的に限界を感じているのだろう。ゆえに城衛への禅譲を着々と進めているわけである。しかし、克衛の問題を消し去ることは出来ない。どれほど冷却期間を置こうが城衛へのバトンタッチの時には再燃することである。いや、もちろん、今の顕正会の中で内紛が起こるとは思えない。しかしながら見えない形で何かワダカマリのようなものが残るのではないか、それが組織全体の士気に影響を及ぼすのではないか、という想像は決して荒唐無稽ではないだろう。

さらに想像を逞しくすれば、そもそも浅井先生はなぜこのタイミングで代表役員をやめたのか、という疑問が浮かんでくる。

健康上、重大な問題が発生したのではないか、という疑いである。

それぞれの立場で考えればいい。自分自身の余命が幾許もないとわかれば、後始末のことをいろいろと考えるはずである。社長であれば次期社長を決めて後事を託すだろうし、家においても遺産のことなどいろいろと決めておくことがあるはずだ。同様の意味で浅井先生も健康上、何か重大な問題が起きて、これは早いうちに手を打っておかねば・・・と思ったのではないか、という可能性も考えられるわけだ。

あるいは池田氏の病状を伝え聞いて他人事だとは思えなかった。自分もいつナンドキどうなるかわかったものではない。だったら元気なうちに手を打っておこう。これも一つの可能性として考えられる。

いずれにしても先生ならびに城衛に、わたくしから言っておきたいことがある。

城衛に法論が出来るか、である。あるいは、城衛に法論を任せられるか、である。城衛を法論の場に送り出せるか、また、城衛本人にその自信があるのか、である。

浅井先生は自分の過去を思い出すべきだ。今はともかく少なくとも三十代四十代の頃は全能感(?)に満ち溢れていた。宗門の誰が出てきても負けない自信があった。

今の城衛にそれだけの気概があるのか、ということなのだ。

城衛を次期会長に据えるのは勝手であるが、はたして心から付いて行く人が何人いるか、それが疑問である。やはり会長になる前に一つでも多くの手柄を立てておく必要があるだろう。それを具体的に言えば、法論における勇姿を会員たちに強く印象付けることである。それが組織を統率していくための求心力となるのだ。

さて、今度は勤行雑感に寄せられたコメントである。第一発目からして驚きだった。

方便品では十如是までが長行であり、その後は世雄偈という。

不勉強のわたくしはまったく知らなかった。十如是の後に長い御経がある・・・という漠然とした知識を持っていた。ゆえに、てっきりそれが長行なのかと思っていたら、どうやら逆のようである。確かに寿量品における長行と自我偈の関係からすれば信行氏のおっしゃるとおりなのだろう。しかし、この問題は保留としたい。わたくしは一般的な定義がどうであれ、大聖人がどのような意味で仰せになっているか、そちらのほうが大事なのだ。生意気なようであるが、もう少し時間をいただきたいと思う。

一つの漢字は二音節で読む(従ってむーじょうどうとなる)とか
人名は縮めて速く発音するとかは共通だと思ってたんですが?


これは読み方の法則性をおっしゃっているのだろう。

今はどうか知らないが、以前は顕正会の中で「質問会ゴッコ」が流行っていた。当然ながらゴッコがある以上は本当の質問会もある。昔は質問会がよく行なわれていたのだ。今ではヤラセ疑惑の尽きない質問会だが、ともかく浅井先生が回答者だった。
これを末端の幹部たちがマネをするのだ。すると質問者も気が楽なのだろう、さすがに浅井先生には叱られそうで聞けないような際どい質問がたくさん出て、これがけっこう盛り上がるのだ。
結局、質問するほうも回答するほうも五十歩百歩の教学力なので、しょせんはトンチンカンな応酬になるわけだが、それが案外に楽しかったような記憶がある。

そこで勤行の話に戻るが、寿量品の最初のほうにカイイーコンシャカムニブツとある。かつて、これに疑問を感じた人がいて、なんでここだけ早く読むの? と質問会ゴッコの時に幹部に聞いたのだった。幹部いわく、しらねーよ以上、と。ここで爆笑となるわけだが、それは「以上」にも意味があってのことだ。かつての浅井先生による質問会をご記憶の人ならば、先生の口癖というか話の終わり方を思い出すに違いない、「・・・なんですね、以上」とか、「・・・なんですね、次どうぞ」みたいな感じである。一種の憑依なのだろうか、幹部たちは浅井先生が乗り移ったみたいに、そうした細かい言い回しまでもそっくりに話をするのである。

トクニュウムジョウドウ

トクニュウムージョウドウ


顕正会の勤行要典は平成十年に改定されている。それ以降に改定がなけければ上段の読みが顕正会式である。宗門とは微妙に異なるらしい。では、次のくだりはどうだろうか?

ヨクジュウセンシギ

例の法則性からすると間違いになりそうだが、わたくしは宗門の勤行を知らないので皆さんにお聞きするしかない。

平成2年4月より日曜勤行で寿量品の長行を読誦するようになったと昔の顕正新聞に書いてあったのを読んだことがありますな。

最後に、このコメントが気になった。これではあたかも以前は長行を読んでいなかったように受け取れるが、わたくしの記憶ではそんなことはなかった。以前から長行を読んでいたはずである。

顕正新聞の正確な引用が求められるところだ。

2012/1/22

勤行雑感  
勤行についての議論が続いている。そうした中で、んっ?氏のコメントがひじょうに興味深かった。ご自身のことだろう、今でも日蓮正宗の経本を使っているごとくだ。また、こう言っては甚だ失礼であるが、案外にまともな意見を書いている。

わたくしは前回、修行の観点からと断った上で、五座三座からの撤退は怠けていることになると書いた。なぜこのように書いたかといえば、それは教学的な観点から書くのが困難だからである。今の勤行の様式を考えるに、まさか大聖人の時代まで遡れるとは誰も思わないだろう。また、委細に見るならば、宗門の歴史の中においても勤行の様式に変遷があるだろうことが想像される。ゆえに今後も変化があって不思議はない。たとえば時の猊下が大英断(?)でもって、在家信徒は一座でよい、というような御指南をあそばすかもしれないのだ。

では、なぜに顕正会の勤行がいけないのか?

もちろん法華講員の模範的な答えは、何の権限もない在家信徒の浅井会長が勝手に勤行を変えてはいけない、となるだろう。いちおう顕正会では松野殿御返事を根拠に今の勤行を正当化している。これはひじょうに厄介な話で、まさに沖浦氏が御書を振りかざして自己正当化を図っているのと同じ構図である。法華講員ならば言うだろう、猊下が御決めになられることを在家のブンザイで勝手に決めちゃダメだ、と。

ひじょうに面倒臭い議論である。

わたくしはもっと単純な話だと思う。顕正会はいつ勤行を短縮したのか、それはたぶん解散処分以降だろう、では、なぜ変える必要があったのか、ということなのだ。
ようするに国立戒壇だけが争点だったはずなのである。であれば、他のことは今までと同じでなければいけない。
もし唯一の争点であるところの国立戒壇の問題が解決したならば、顕正会は宗門に復帰できる。本当に出来るかどうかは別であるが、ともかく原理的には復帰可能である。しかし、その他のあらゆる点で違ってしまえば、もはや復帰は不可能となる。いわば別宗派みたいなものだからだ。
塔婆だとか戒名の問題など、成り行きで変えざるを得なかったという止むを得ない事情があるにせよ、その方向性に踏み出してしまったということは、独立教団路線を目指していることの証左に他ならない。
たぶん顕正会の場合は勤行の短縮がその第一歩だった。結果論ではあるが、そこが異流儀の出発だったことになるだろう。

しかし、これも面倒臭い議論だ。

ゆえに手っ取り早く、修行というキーワードに集約してしまったのだ。月々日々につより給へ、これが修行の大原則なのだ。

御書根本宗

この際だから、もう少し話を続けよう。上掲は思いつきで作った言葉である。いわゆる経巻相承と同様の議論になると思うが、仮に誰かが御書根本宗を立てたとしよう。

 わが門下は五座三座の実践をせよ。

 こう言う御書探してアップなさい。
 御書全く読めない貴方、それじゃ我見ですよ。
 大聖人が仰せです。

 『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。』
 (一生成仏抄)

 何故御書素直に読まないのでしょうかね〜?
 大石寺派って御書要らない宗派ですか?


これは沖浦氏の文章である。まさに御書根本宗だ。御書根本宗は新興宗教にもかかわらず、大胆にも七百年の伝統を誇る日蓮正宗にイチャモンをつけている。

わたくしは言いたい。

されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。

月水御書である。これを出すと、今の宗門だって方便品の長行を読んでいないじゃないか、と言われそうだが、それは別の議論だ。ようするにわたくしが言いたいのは、御書根本を謳っている人はこうした御文をどのように拝するのか、ということなのだ。

顕正会員も創価学会員も、いわば一般の会員はそれぞれの教団が教えることを素直に信じていればいい。それが恣意的であれ何であれ、一般会員にはあずかり知らぬことなのだ。これは法華講員にも通じることだろう。

しかし、御書根本宗は許されない。恣意的な引用は御書根本の名に反することだ。

ウチはねえ、御書根本宗なんだけど、都合の悪い御書は読まない方針なんだよ。そうしないと教義の整合性が保てないから仕方ないんだよ。

たとえば御書根本宗では勤行の時に数珠を使うとしよう。これがまた大変だ。数珠のことが書かれた御書を提示しないといけない。わたくしの知る限りでは念仏破折の御書に数珠のことが出てくるけれども、詳しいことはまったくわからない。一事が万事がこのテイタラクだ。つまり、新興宗教として何か儀式ばったことをする場合、新たに創作をするか、もしくは既存の宗派の真似事をするしか方法がないのである。

ずるいようだが、日蓮正宗の場合はこの問題に抵触しない。それは何も血脈相承を持ち出すまでもないことで、昔からこうだった、と言えば済むことなのだ。これが伝統の強みである。

以上、五座三座が大聖人の御在世まで遡れないのは事実であるにせよ、今度は逆にどのような信行が適切であるかもわからないのだ。そこを踏まえずに議論をしても時間の無駄である。

最後に繰り返し言っておこう。

わたくしの思うに、古くからの妙信講員や創価学会員で今も五座三座を実践している人がいれば、大変に立派なことである。難しい理屈はいらない。何はともあれ修行として立派なことなのだ。しかし、残念ながら顕正会の場合、そのような古参会員は少ないと思われる。どうやら浅井先生も五座三座をやっていないようなので、たとえ古参であっても熱心な活動会員であれば右に倣えであろう。

2012/1/20

勝利が確約された婦人部大会  
前回はタイトルを激動の時代とした。われながら意味不明だった。しかし、なぜかコメント欄が激動している様子である。

まず、ヤクザの件はイチロー氏のコメントがいわば結論なのだろう。よって、ここでは繰り返さないことにする。

それから公明党の得票数に関してであるが、これは事情通氏と睦月氏が懇切に書いておられる。いわく、得票数=会員数ではない、と。

それはその通りなのだろう。ただし、イコールではないにしても、やはり創価学会の組織票がかなりのウエイトを占めることは動かないわけで、組織が弱体化すれば自ずとそれが得票数にも反映されるだろうことは否めないと思う。
たぶん今の小選挙区制度は浮動票の影響が大きく、組織票が活かせないのだと思う。かつての中選挙区であれば、公明党はもっと当選者を出せるはずなのだ。おそらくは共産党なども同様だろう。そこでおっしゃるように、その時の風向きによって民主が大勝したり、みんなの党が躍進したりするわけで、まさに浮動票の行方が結果を左右することになるのだろう。
しかし、そうした短期的な意味ではなく、長期的な意味では党そのものの浮沈が明らかなケースもあるわけで、失礼ながら名前を挙げれば社民党などが好例だと思う。同党がいわゆる凋落の一途であることは否めない。個人的な感想を言えば、福島党首はキャラクター的にけっこう好感度が高いのではないかと思うのだが、しかし、それが結果に結び付かない。

創価学会の組織が磐石であり続けるとは限らない。すると、それが自ずと公明党の得票数に反映されることになる。まさか公明党が創価学会の組織票から完全に脱却して、自力で今の勢力を保持できるとは思えないし、ましてや躍進することは考えられない。国民は自民党にすら愛想を尽かしたのだ。長年にわたって協力関係にあった公明党も例外ではないだろう。

より具体的に書いておこう。

公明党は前回の総選挙で大敗を喫した。当然、次の選挙では党勢挽回のために本気で戦うはずだ。つまり、創価学会員が選挙活動に狂奔(?)するわけだ。ゆえに現有勢力を上回ることは確実だろうと思う。問題はどこまで挽回できるかなのだ。ようは大敗以前の勢力を回復できるかどうか、もしそこまで届かなければ凋落が始まったとの見方も出来るのではないか、と思うわけである。

結論として、得票数がそのままイコールで会員数とはならない、これはその通りだが、得票数が一つの指標であることは間違いないのではないか、と言っておきたい。

ちなみに国民は今の民主党にもガッカリし始めている。さりとて他に期待を持てる政党も見出せない。もはや政治そのものに対する信頼が失墜してしまっているわけだ。そこでこの先どうなるのか、まさに一寸先は闇、不透明この上ないわけだが、こうした政治状況を浅井先生は悲劇だと言っている。たぶん先生としてはこのような時こそ顕正会の出番だと言いたいわけなのだろう。はたして出る幕はあるのか、そこは甚だ疑問であるが・・・

勤行のことで大沢氏よりお叱りを頂戴した。

沖浦氏はわたくしの弁護を兼ねてだろう、五座三座に真っ向から反論を唱えている。しかし、わたくしは沖浦氏に同調するわけには行かない。この件に関しては大沢氏が正しいのだ。

理由は簡単だ。

かつての創価学会は五座三座の勤行をやっていた。たぶん歴史的に言えば、半世紀以上にわたって日蓮正宗の勤行をやっていたはずなのだ。今さら御書に書いてあるとかないとか、そんな言い訳は通用しないのだ。

いや、もちろん、今までが間違っていた、今の勤行が正しい、という主張は可能である。過ちを改めることは決して悪いことではない。

しかし、わたくしの感覚からすれば、ダメなのだ。つまり、勤行は仏道修行の基本である。修行という観点からすれば、今まで以上に厳しい修行をやっているのであれば立派だが、そうではないとすると、単に怠けていることになってしまうからだ。

以上、これは沖浦氏を批判しているのと同時に、実は自分自身を批判しているわけである。決して正当化できるものではないのだ。ちなみに、今の創価学会の勤行がダメとなると、当然ながら顕正会式の勤行もダメである。まったく合理的な理由が存在しないのだ。

おいおい、だったらオマエ、ちゃんと五座三座やれよ、と言われそうで怖いが仕方がない、わたくしはナマケモノなのだ。

婦人部大会

うっかり書き忘れていたことがある。婦人部大会のことが十二月度総幹部会で発表された。本年の九月二十三日にさいたまスーパーアリーナで開催されるという。

会場が取れたのだろう。あれほどの大会場となると、半年以上前に予約を入れないといけないものらしい。ここで余計な心配を書いておくと、開催までの間に逮捕事件などが報道されないといいのだが・・・ということだ。

ところで婦人部大会の結集目標は二万人である。これはけっこうなハードルだと思う。得意の水増し発表(?)をするにしても、大きな会場なのであまりにも少なければ誤魔化しようがないだろう。

しかし、勝算は充分過ぎるほどあるのだと思う。

わざわざ大仰に書くまでもないが、女子部の応援がデカイのだ。ご存知のごとく、壮年部と男子部は一体化してしまった。分離する必要性がなくなったのだ。実は婦人部と女子部も同様の傾向がある。もはや明確な垣根が存在しないのだ。

子育て中の女子部員がざらにいる。それどころか孫のいる女子部員もいるくらいである。ヘタすると、ひ孫がいるようなケースもあるかもしれない。仮に独身であっても、まあ、四十以上であれば参加しても不自然ではないだろう。

こうした中高齢女子部員を当て込んでいることは誰の目にも明らかだろう。

2012/1/18

激動の時代  
今日は特に書きたいこともないので、行き当たりばったりで書くことになる。そこをあらかじめご承知置き願いたい。

元より、私は大聖人様の仏法を清く正しく伝来・護持している宗派は富士大石寺、及び日蓮正宗だけだと思っております。これからももちろん、広宣流布が叶う日までその清らかな流れは断絶しないとも思っております。

前々回のコメント欄にROM氏が書き残していったものである。氏は元顕正会員だが、現在はフリーの立場らしい。それでいて上掲のごとく、純粋な信仰を維持している。これは凄いことだ。

わたくしの場合は必ずしも純粋とは言えない。なぜならば、単に惰性的に続けているだけだからだ。いわゆる顕正会式の短い勤行にもかかわらず、面倒臭いことをやっているものだと思いながらも続けているわけだ。こんな調子では宗門における五座・三座の勤行など、永遠にできないだろう。ともかく惰性でも続けているだけマシというのがわたくしの言い訳である。また、こうしてブログをやっていることが、問題意識を持ち続けることの原動力になっている面は否めない。たぶん、普通の人であれば、時間の経過とともに信仰心が薄れ、仏法のことなどまったく考えもしなくなる。つまり、フリーの信仰など普通は成り立たないはずなのだ。

しかるにROM氏はそれを持続しているという。本当に凄いことだ。

が、今の正宗の現状を考えるに、未だ様々な問題も解決していない中で、入信(ご受戒?と申すのでしょうか)するには納得ができない状態であります。

大沢氏が誠意あるコメントを残されているので恐縮しながら書かねばならないが、ROM氏の判断は一つの見識であろうと思う。

拙ブログは長寿ブログである。個人サイトとしては長いほうだ。そして自慢を言えば、すべての記録がそのままの形で残っていることだ。コメント欄も同様である。
今は記憶のままに書くが、ともかく大勢の人がコメントを残されている。そうした中で比較的に多いのは、顕正会から法華講へ移籍した人たちだ。沖浦氏のような創価学会員は例外であって、大半が顕正会と何らかの関係を有する・有した人たち、とりわけ日蓮正宗に帰伏した人たち、それが拙ブログにおけるコメント投稿者の主軸である。
では、その人たちは現在どうしているのだろうか、ということなのだ。もちろん今も活躍している人がいて当然だが、詳しく調べていくと、すでに退転してしまった人も少なからず存在するのだ。

あえて一例を挙げよう。ユタ氏が好例だ。

彼は文章家だった。換言すれば饒舌だった。別にアラサガシをしていたわけではないが、わたくしは彼のブログを更新ごとに必ず読んでいた。どうやら鉄道マニアらしく、わたくしの守備範囲外の話題も多く書かれていたわけだが、そういうものまで含めて読んでいた。つまり、隈なく読んでいたのだ。
すると、彼は顕正会から正宗へ帰伏するに当っての経緯もけっこう詳しく書いていたわけだが、そこに半ば強引に押し切られてしまったという意味のことを書いていたのだ。それからもう一つ、当初は御本尊の下付を受けなかった。確か会社の寮に入っていて、それがために下付を受けられなかったのだと思う。
ところがどうしたわけか、わたくしの見落としであろうか、彼はいつの間にか御本尊を受けていたらしいのだ。というのは最後に退転するわけだが、その時に御本尊を返却する云々の記述が残されていたからである。

以上はユタ氏のブログを閲覧していた時の記憶であって、記録ではない。つまり、わたくしには事実関係を証明する手立てがないことをお断りしておかねばならない。

ここで言いたいことは一つだ。

たぶん顕正会ほど深刻ではないのだろうけれども、宗門も多少は成果主義的な傾向がある。それが吉と出るか凶と出るかは微妙なところであり、何とも言えない。目標を掲げることは必ずしも悪いことではない。しかし、ユタ氏の場合は結果的によくなかったわけだ。

ここでROM氏の話に戻ると、まさに名は体をあらわすのだろう、氏は上述のようなことも含めて宗門のさまざまな問題をネットを通じて観察しているわけなのだ。まさにインターネットの発達した今の時代はゴマカシが利かない。都合の悪いことがあっても、隠し切れない。ちなみに、のび太氏のリンク貼りはたぶん婉曲ながらもそうした意味を込めているのだろう。

と言ったところで、今度は前回のコメント欄だ。

顕正会の肩を持つつもりはありませんが、下町ではこの手の話は良くありますよ。組長が、町内会の役職をしている地域はたくさんありますしね。

よくわからない文章だ。顕正会・・・組長と書けば、顕正会の組長が町内会の役員をやっているみたいに読めてしまう。しかし、ここでの組長はヤクザの組長なのだろう。

たぶん、この議論はヤクザの定義が問われているのだと思う。

というのは、ヤクザをいわゆる暴力団だとすると、その組長が町内会の役職を持つことは常識的に考え難いことだからである。ご存知のごとく、いわゆる芸能界では暴力団との関係が明るみに出ると謹慎させられたり、あるいは引退を余儀なくされることもあるくらいなのだ。芸能界はあくまで一例であって、他の業界においても同様のはずだ。当然、町内会にも当てはまることだと思うのだが、違うのだろうか?

よって、ここでのヤクザは暴力団ではないのだろう。では具体的に何なのか、そこが問われるところだ。

わたくしの想像では、たとえば大工の棟梁だとか鳶の親方、下町云々の記述からはそんなイメージが湧いてくる。しかし、それらはいわゆるカタギであってヤクザではない。ただ名称としてはレッキとした株式会社であっても○○組を名乗るところが今もなお存在するわけで、そのルーツをたどればヤクザとの関係性みたいなものが見えてくるのかもしれない。

ちなみに顕正会の組長が町内会の活動をすることはまったく問題ないが、それはきわめて珍しいケースのはずだ。ようするに顕正会の活動会員は、忙しくて他のことをする時間がないのだ。しかし、勇猛(?)な活動会員ならば、いわゆる対象者作りのために町内会だとかPTAだとかに参加することはあり得るだろう。もっとも、そこで顕正会流の強引な折伏をすれば、顰蹙を買うだけなのだが・・・

池田名誉会長が死去したとしても、大多数の創価学会員は葬儀が終れば粛々単単と再び信仰活動に励む事と思います。なぜか。一つは、会長を中心とした集団指導体制が確立しているから。もう一つは、「牧口・戸田・池田の三代会長は創価学会永遠の指導者」という位置づけが確立しているから。そしてもう一つは、一昨年6月の「新時代第41回本部幹部会」での会長指導が大多数の創価学会員の心に届いているからだと考えます。特に昭和60年代から「スピーチ」「人間革命」「新人間革命(継続中)」を通して創価学会の歴史と歴代会長の指導などを広く「教育」してきており、それが完結することが「池田名誉会長の最後の事業」の総仕上げなのではないかと考えます。人間はいつかは死ぬ。当たり前のこと。しかし肉体は滅しても精神・指導は永遠に残る。そういう思いが既に多くの創価学会員の心の中に芽生えているからこそ、池田名誉会長が出席しない「本部幹部会衛星中継」であっても毎回多数の会員が参加するのだと思います。逆に考えれば、池田名誉会長が死亡して一番インパクトを受けるのは「反創価学会」勢力ではないでしょうか。さて、集団指導体制も構築できていない顕正会。ワンマン世襲の浅井会長は死んで何を残すのでしょうか。

これまた名は体をあらわすだ。さすが事情通を名乗るだけのことはある。わたくしの知らないことがたくさん書かれている。

すると法華講員の願望なのだろうか、池田氏の病状が例の週刊誌に報じられた頃、嬉々として、もはや創価学会も崩壊だ、という意味の書き込みが掲示板に見られた。もちろん顕正会も同様のことを言っている。

しかし、事情通氏は真っ向から反対意見を述べている。しかも上掲のごとく理路整然と書いているので、ひじょうに説得力がある。

この際、わたくしは双方の意見を勘案して、会員を減らすことは確実だが大崩れはしない、と予想しておこう。これを逆に言うと、顕正会員や法華講員が期待するほどの劇的な大崩壊はないが、しかし、多少は会員を減らすことになる、となるに違いない。その下げ幅がどの程度かは何とも言えないところだ。たぶん、いずれ総選挙があるだろうから、その得票結果が一つの目安となるだろう。

2012/1/13

昨年末の総幹部会の記事を中心に  
新年号の六面には十二月度総幹部会での体験発表などが掲載されている。まずは下段の記事から紹介しよう。

ヤクザの世界へ

顕正会ではどういうわけか、この手の発表が多い。それはしばらく置くとして、新聞にはこの人の所属・役職が書かれていない。いわゆる平会員であるが、六月に婦人部から折伏されて入信したらしい。支区集会の記事として顕正新聞に掲載されたことがあると書かれているので、だったらもうそろそろ役職が付いてもおかしくない。読み進めていくと、途中で退転状態になっていたらしい。そのブランクが平会員の原因のようだ。

それはともかくヤクザの世界に入るキッカケが凄まじい。

 小学校でのいじめがきっかけで、中学生になってからは暴力的支配こそが自分を守る唯一の方法と考えるようになり、高校に入学してからは喧嘩・恐喝は日常茶飯事で、そんな自分を見かねた父が何とか私を更正させたいと、上下関係が厳しいヤクザに期限付きで私を預けたのでした。

おかしな話だ。

普通の感覚ならば、ヤクザに預けたらもっと悪くなると考えそうなものであるが、この父親はそうは思わなかったのだろうか?
第一、普通の人はヤクザとのコネクションを持たない。まさか見ず知らずの事務所に、いわゆる飛び込みで入ったわけではあるまい。
文面からはコネがあったのかなかったのかわからないが、いずれにしてもおかしな父親であることは間違いないだろう。

19年間反発し続けた両親が入信
 共に純粋な信心に立ち良き臨終


さて、今度は男子部の支隊長である。見出しから窺えることは、まず両親が入信したこと、そして名ばかりの入信ではなく、二人とも純粋な信心に立ったこと、それから良き臨終を迎えたこと、である。

しかし、臨終を迎えたのがどちらなのか、見出しからは判然としない。まさか、共に・・・が臨終にまで係るのだろうか?

父、六月五日臨終
母、十一月十九日臨終


ようするに見出しの文章を構造的に書けば、「共に、純粋な信心に立ち・良き臨終」となるだろう。

半年のうちに続けて両親を亡くすとは、なんと悲しいことか。母が悪性リンパ腫、父が膵臓ガンだそうだ。享年が書かれていないので、年齢的には不本意だったのだろう。

ちなみに五面には創価学会歴五十年の百歳の女性が入会した旨の活動報告がある。しかし、すでに老人施設に入っているので、実質的には何の活動もできない。たぶん集会のたびに外出許可を取ることもないだろう。失礼ながら、あとは上掲のような記事が載るのはいつか、それだけである。

六面に戻って、最後は正義にめざめての記事である。

「池田大作の大罰が事実なら入会する」
  法論の学会員が特集号で動執生疑


例の文春記事をめぐって、三月に入会した男子部の組長が創価学会員と法論をしたごとくである。

 さらに私たちが顕正新聞「学会員を救う特集号」を広げ、池田大作の「頭破七分」「口則閉塞」の罰の姿を言い切ると、はじめは「池田先生は最後の執筆作業に入っているので、そんなハズはない」と否定し、「三流週刊誌のネタなど信用できるわけがない」との一点張りでした。

法論が十一月のことで、この発表は十二月二十日の総幹部会だ。ご存知のごとく、例の記事は後に撤回されている。拙ブログのコメント欄を調べると、その情報は二十二日に寄せられている。すると総幹部会の時点では知らなかったことになるだろう。その直後に訂正記事が出されたことになる。法論の続きが見たいものだ。

池田先生は最後の執筆作業に入っている・・・

それはともかく、わたくしはこの一節に注目したいと思う。創価学会員も薄々は池田氏の病状を承知しているのだろう。最後にどのような本が出されるか、それが興味深い。ある意味、それが創価学会の将来を決定付けるかもしれないのだ。小説家にしても才能が枯渇して、晩年は駄作ばかりという人もいる。しかし、逆に成長し続ける作家もいて、遺作が物凄く脚光を浴びることもあるのだ。池田氏の場合、一般の評価はともかくとして、会員たちがどのように感じるか、最後の最後にどれだけのインパクトを与え得るか、そこがいちばんの注目点だろう。

2012/1/12

新年号の夕日  
顕正新聞第1228号の話題を取り上げよう。いわゆる新春号であるが、実はあまり書くことがない。一通り読んでみて、それほど問題を感じなかった。

そこで番外編として、よその話題に便乗しようかと思う。

当該号の一面には夕日(?)の写真が載っている。新春号は富士山の写真が定番であり、当然ながら今号も主役は富士山である。そこに今回は夕日(?)を並べたのだ。

この夕日説を唱えているのは山門入り口氏である。

しかし、新春に夕日はおかしい。普通は初日の出、すなわち旭日のはずなのだ。

わたくしは疑問に思って、気が向いたら調べてみようと思っていた。富士山は均整の取れた形の山であり、その意味で世界的に有名だ。しかし、委細に見れば、いろいろな特徴がある。山頂の形であるとか、稜線の形など、方角によって異なるのだ。ゆえに等高線の入った詳細な地図を吟味すれば、自ずとどの方角から撮影されたものであるか、わかるのだ。また、手っ取り早い方法としては画像検索である。似たような写真をさがして、そこに撮影場所が書かれていれば話が早い。あとは日の出日の入りの位置を確認すればいい。しかし、これは季節によって変わるのでやや面倒だ。

以上、方法論はわかっているが、面倒臭いから実行しない、それがわたくしの得意技(?)なのだ。

バーズ博士改めブリトー石橋氏によれば、本栖湖ないし精進湖方面からの撮影だろう、とのことだ。さすが博士を名乗るだけのことはある。
わたくしは漠然と朝霧高原あたりだろうか、しかし、そこだと太陽がちょうど山に隠れてしまいそうなので、もう少し北よりだろうか、などと予想していた。しかし、上述のごとく面倒臭いのでまったく調べもしなかった。
ゆえに山門入り口氏の書いていることを読んで、当初は左側の稜線がイビツになっているのでそこが宝永山なのだろうと理解した。しかし、あの宝永の大噴火によって深くえぐれたようになっている特徴的な形とは違うようにも思える。
そこで博士の精進湖方面説を信用すれば、結論的には宝永山を裏側から見た形なのだろう。

これがわたくしの得意技なのだ。何も調べもしないで、もっともらしいことを書いてしまっている。正しいかどうかはさしたる問題ではない。最初から当てずっぽうであることを宣言しているからだ。

同様の方法を使って山門入り口氏の主張を応用することも可能である。

ようするに、夕日であると断定するのではなく、自分には夕日のように見える、まるで顕正会の没落を象徴するかのようだ、と書けばいい。確証もなしに断定的に書けば恥をかくだけなのだ。

どうも最近の法華講員は博士一人に振り回されているように見える。

はっきり言って今の宗門の戒壇論は問題だらけで整理がつかないのだ。そうしたハンデを背負ったまま戦っても勝てないのが道理であろう。もちろん、これはわたくしの主観であるが・・・

ある意味、顕正会の御遺命守護はトウが立っていることであり、そのこと自体にまともに取り合わないのがいちばんの得策である。ごく単純に理想と現実の乖離を指摘すれば話は終わるのだと思う。

巌虎さん、今のままではあなた損をしますよ。顕正会の中で真面目に活動しなければいけません。

たまに担当の幹部の人がこんなことを言いに来る。わたくしは答える。

それが損ならそれでけっこうです。わたくしは残りの人生を自分の好きなように生きる、そのほうが得だと判断しました。これはいわばオトナの選択です。

しかし、しつこい幹部だとなかなか引き下がらず、いろいろなことを言ってくる。

あと十年で広宣流布ですよ。その時あなた後悔しますよ。いいんですか?

わたくしは答える。

十年後の広宣流布は無理でしょう。二十年後も無理です。その十年ないし二十年をあなたは顕正会の中で生きる。わたくしは別の生き方をする。どちらが損か得かはその時にわかるでしょう。

拙ブログの愛読者ならば、想像がつくだろう。百戦錬磨の幹部であっても、巌虎は手に負えないと。

通常、活動停止会員は活動会員に会いたがらない。組織に連れ戻されてしまうのがイヤだからだ。もちろん、わたくしも面倒臭いので会いたくない。しかし、熱心な活動会員はそれを承知で、無理やり接触を試みようとする。その場合、わたくしは拒まない。そして上掲のようなやりとりになる。結果として、ダメだこりゃ、と思うのだろう。

話を進めよう。新春号の年頭の辞はよく書けていると思う。そしてそのベースとなっているのが、十二月度総幹部会における会長講演だ。

六千万人が地涌の菩薩の魂にめざめれば
大事は決し宗門も皇室もあるべき姿に
 すべては顕正会の前進にかかっている


同講演に付された大見出しである。今回の講演の全体的な印象を言えば、内容のぎっきり詰まった素晴らしい講演だと思う。ひじょうに緊密であり、国内問題から国際問題まで広く論じられているけれども決して冗長ではなく、簡潔にして要を得た講演なのだ。しかし、根本的な問題がある。それは見出しに明瞭だが、本文中からも一文だけ抽出しておこう。

 日本国民の六千万人が地涌の菩薩の魂にめざめればいいのです。

これが理想と現実の乖離を示す典型である。

地涌の菩薩の魂に目覚めることがどれほどの難事であるか、それは顕正会の実態が何よりも雄弁に物語っていることだ。
浅井先生はご存知のごとく、百五十万顕正会だとか、仏弟子の大集団だとか、ホラを吹いているのだ。百五十万人全員が自覚を持った活動会員であれば話はわかる。しかし、実態はその一割にも満たない。
つまり、顕正会自体が地涌の菩薩の魂に目覚めていないのが現実なのだ。いわんや日本国民においてをやであろう。

せめて活動会員比率を五割に高めてから発言してほしいものである。

さて、話は戻る。

法華講員とバーズ博士とのやりとりは現状、博士に余裕を感じる。精神的余裕が感じられるのだ。これは現役会員としては珍しいことである。いったい何なんだろう。不思議なことだ。

逆に法華講員はヘンな気負いのようなものがある。肩に力が入り過ぎているというか、リラックスできていないというか、そんな印象を受けるのだ。対面法論ではなく紙上法論なのだから、焦る必要はないはずなのだが・・・

しかし、わたくしも書かなきゃいいのに、わざわざ嫌われるようなことを書いてしまっているようだ。

2012/1/10

米塩博弁  
前回、もう一つ重要な課題が残されている、と書いて話を締め括った。それを一口に言えば、塩が大事なのはわかる、しかし、いくらなんでもそんなに大量には必要ないだろう、ということだ。まずは法太郎の指摘を掲げておこう。

宗祖の一門は、五穀が不足している中で、塩をなめて法華経を研鑽していたと思っておるのか。(笑)、これでは宗祖の一門は高血圧で心臓病と脳内出血の病人が続発するではないか。(爆)、

厚生労働省も塩分控えめを言っているし、他にも甘さ控えめだとかカロリー控えめだとか、今の時代は控えめが流行っている。いや、実際には栄養過多であり、それがかえって健康を害することにもつながるので、その意味から控えめが強調されているわけなのだ。

わたくしは前回、塩は生命を維持するために必要不可欠なものだと書いた。しかし、それはそうだが、そんなに大量には必要ないだろう、という意見があって当然である。次の法太郎の文章も同趣旨のものである。

米一俵の重量が約60キロである。塩であれば粒子が細かいだけ重量は
増す。これ、常識的な思考。

宗祖の遺文によれば、多いときで一百余人を山中に養っていた。

塩二俵はだいたい120キロ超である。

であれば、五穀が乏しいなかで、一人が1キロの塩を舐めていたこととなる。

常識で考えてもわかるではないか。バカか、こやつは。(苦笑)、


確かに法太郎の言っていることは一見すると説得力がある。というか、多くの人がそのように錯覚しているのではないかと思う。

そう、これは錯覚なのである。

現在は多種多用の調味料がある。また加工食品も大量にある。言うまでもないが、これらの多くには必ず塩分が含まれている。
現代人は調味料としての塩を軽視しているというか忘却しているのだ。上述のごとく多種多様の調味料があって、それらを使ったほうが簡単に料理が作れる。そして加工食品というのはたいてい味が付けられている。そのまま食べられるという意味で、これもまた便利なものである。
おわかりいただけるだろうか、塩分控えめが強調されるのはこれらの調味料ないし食品を摂取していると、自ずと塩分の摂取量が多くなってしまうからなのだ。

さて、塩一駄についてだが、今の核家族化の時代だと、たとえばスーパーに行くと白菜が半分に割られて売られている場合が多い。いや、もしかしたら四分の一が普通かもしれない。ともかく丸々一個だと買う人がいないからである。そんな時代の感覚からすると塩一駄がベラボウな量に思えてしまうのだ。しかし、これは錯覚である。

まず、一人当たりの塩分摂取量を一日十グラムと仮定しよう。すると、次のような計算が成り立つ。

10×365×100=365000

簡単な話だ。一人当たり年に三・六五キログラムの塩分を必要とする。身延には百人以上もいたのだから、合計すれば三百六十五キログラム以上が必要となるのだ。
これで法太郎の言っていることがいかにデタラメであるか、よくわかるだろう。
そりゃ、一日に一キロもの塩分をたった一人で摂取していたら、身体がおかしなことになるだろう。しかし、百人なら相当だ。また、年間で考えれば一人で四キロ弱、百人ならば四百キロ弱である。

塩一駄では足りないのだ。

しほ一升をぜに百、しほ五合を麦一斗にかへ・・・

わたくしが重要な課題であると書いた意味がわかるだろうか?

当該御文の文法的な解釈は依然として不明であるが、ここに決定打となるべき重要なカギがあるのだ。ようするに、もし塩一駄が有り余る量であれば、わたくしの主張は破綻する。なぜならば、わざわざお金を支払って塩を買う必要はないからである。しかし、逆に塩が足りないとなると、どれほど高騰していようが買わざるを得なくなる。

いかがだろうか、ここで逆転である。今度は法太郎の番だ。わたくしは塩の摂取量が足りないことを証明した。御供養だけでは足りないのだ。法太郎としては身延期の御書を徹底的に調べて、塩の御供養が有り余るほどの量だったことを証明しないといけない。

さて、ここで日本語の勉強をしたい。

塩蔵

塩出し


聡明な人であれば、話は見えたようなものだが、いちおう話を進めたい。まずはネット辞書を掲げておく。

えん‐ぞう【塩蔵/醃蔵】 [名](スル)塩に漬けて長く保存すること。また、そのもの。塩漬け。

しお‐だし【塩出し】 [名](スル)塩分を含んだ食物を水や薄い塩水に浸したりして塩分を抜くこと。塩抜き。「塩かずのこを―する」


個人的な話をすれば、わたくしは漬物が好きである。漬物は食べ物をよりいっそう美味しくするための古来からの知恵・・・とわたくしは思っているわけだが、しかし、本来的な意味は食料を保存するための知恵なのだろう。冷蔵庫のない時代であれば当然のことだ。その意味で美味しく云々は二義的・派生的なものに過ぎないのだ。

つまり、塩分の体内への摂取量とは別に、塩は食料を保存するために必要だったのだ。しかもそれは相当の量だった。美味しくするための漬物ではなく、保存のための塩漬けだからである。塩出しが必要であることもその裏付けとなるだろう。

ちなみに最近の漬物はいわゆる浅漬けが主流となっている。梅干も塩分控えめが売り文句になっていたりするくらいだ。

冷蔵庫のある現代とそれ以前の時代の違いは、もってかくのごとし、である。

最後に傍証として御書を引用したい。

梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。

法華題目抄である。また次の同一鹹味御書も興味深い。

 蔓草漬けたる桶瓶の中の鹹は、大海の鹹に随って満ち干ぬ。

傍証と書いたのは、いずれも身延期の御書ではないし、内容的にはあくまで譬えを御述べにになられているに過ぎないからである。

しかし、当時から漬物が存在したことを証する意味では充分だろう。

2012/1/8

法太郎への挑戦  
弘安元年九月十九日の上野殿御返事は、塩一駄とハジカミの御供養に対する返礼が述べられている。ハジカミとは生姜のことらしいが、これはさておく。問題は塩一駄だ。

法太郎によれば、身延にまします大聖人とその弟子たちは、これを代理貨幣として他の金品との交換を行なっていたという。しかし、わたくしはこの意見に反対である。いや、もちろん、身延在住の九年間においてはそうした場面もあったであろうが、当該御書における塩の意味合いはまったく違うと思う。

米塩

まずは日本語の勉強をしよう。上掲は「べいえん」と読む。以下はネット辞書の説明である。

べい‐えん【米塩】 人間の生活に欠くことのできない米と塩。「―にも不自由する暮らし」

法太郎は言う。

宗祖の一門は、五穀が不足している中で、塩をなめて法華経を研鑽していたと思っておるのか。(笑)、

ようは米と塩とどちらを取るかという二者択一的な思考・・・早い話が単純思考に陥っている、それが法太郎である。主食であるところの米が大事なことはわかりきったことだ。しかし、それと同じくらい大事なのが塩なのだ。米塩とはそうした意味合いに他ならない。

「巌虎独」は、宗祖は塩味が無いと無味乾燥な味わいになる(趣意)、と云っていることを指摘しているが、それはそれとして必ずしも塩味≠ノ塩そのものは必要ではない、ということも考察すべきであろう。

すでに破折済みであるが、念のために書いておこう。まずは御書を掲げる。

 夫海辺には木を財とし、山中には塩を財とす。

弘安二年一月三日の上野殿御返事だ。なぜ山中においては塩が貴重であるか、説明するまでもないだろう。代理貨幣のためではない。塩は生命を維持するために必要不可欠な元素なのだ。代理貨幣というのはあくまで二義的ないし派生的なものである。

此の山中にはいゑのいも、海のしほを財とし候ぞ。竹の子・木の子等候へども、しほなければそのあぢわひつちのごとし。

今度は弘安二年八月八日の上野殿御返事だ。ここで法太郎の書いていることを読み返すと面白い。まるで大聖人に逆らっているみたいだ。御書を素直に拝するべきである。

ちなみに当該御書の続きには、金(こがね)銭(ぜに)の御指南がある。これも上述のごとく、二義的ないし派生的なものであることが読み取れるであろう。

さて、宗祖に五穀を供養する富豪(物産の所持者)は無く、商人は疫病や流通物産の不足で市が立てられない状況であったのである。

話を進めよう。上掲は瑣末な問題ではあるが、いちおう破折しておきたい。いったい何を根拠にこのような読み方をするのか、それがまったく理解できない。

宗祖に五穀を供養する富豪?

正直なところ、これが意味不明だ。原文は「富人なくして五穀ともし」である。どこにも供養云々とは書かれていない。ようは勝手に供養する人だと思い込んでいるだけであって、ここでの富人が大聖人に御供養申し上げる立場の人であるかどうかは不明なのだ。

商人は疫病や流通物産の不足で市が立てられない状況であった・・・

これも正直なところ、法太郎の勝手な思い込みによる誤読である。もちろん、完全な間違いではないが、文脈上の理解が足りないとしか言い様がない。

商人は売れる見込みがあればどこへでも行くのだ。それが商人魂だろう。しかし、法太郎も言っているように、物産の絶対量が不足してしまえばどうにもならない。そしてもう一つの理由は直前の御文に明らかである。

石ながれて道をふせぐ。河たけくして舟わたらず。

法太郎がいかに読めていないか、これではっきりした。文脈から拝するならば、単純な話なのだ。交通が遮断されてしまって商人が入れない状態だったのだ。

ひるがえって、富人なくして五穀ともし、の意味を拝するならば、ここでは大聖人に供養する立場の人に限定するべきではないだろう。ようは一般論として、身延周辺には食糧を大量に備蓄しているような富豪もおらず、また、交通事情もあって商人も入れない、ゆえに人も集まらない、そうした悪循環によって景気が悪化している・・・という状況を仰せになられているのだ。

富人なくして・・・、商人なくして・・・

富人と商人がワンセットになって、いわば韻を踏んでいるような、そうした味わい深い御文であることに気がつかねばなるまい。

そもそもである。0・5リットルの塩が、180リットルの麦に替わるのである。

逆に云えば、五穀の乏しい中で180リットルの麦を0・5リットルの塩に替えるものであるかどうかは考えるまでもなかろう。


アホである。

まずは基本的な間違いを指摘しておこう。五合は0・5リットルではない。たぶん0・9リットルと書くところを勘違いしたのだろう。しかし、これはまだマシだ。180リットルは反射的に疑問を感じる数字だ。さすがにケタが違い過ぎる。一斗は18リットルのはずである。

こうした基本的な数字を間違えるようではお話にならないが、もし仮に数字が正しかったとしても、言っていることは間違いである。市場原理がわかっとらんとしか言い様がない。

0・5=180なのだ。

法太郎は相手の立場になって物事を考えたりしない人のようだ。
上述のような売買が成立するのはなぜか? 答えは簡単だ。基本的には等価だからである。つまり、塩がどうしても欲しい人にとっては麦を大量に手放しても惜しくない、だから取り引きが成立するのだ。話によれば当時は塩が通常の二十倍に高騰していた。それでも欲しい人がいるから取り引きが成立する。逆に誰も欲しがらなければ値は下がる。それが市場原理だ。
ちなみに商人は利ざやで儲けるのが仕事なので、高騰する前に大量に塩を確保していれば大儲けができる。しかし、今はぜんたい塩なし、という状況になってしまってからでは手も足も出ない。ゆえに、九月ごろには身延への道も開通していたはずであるが、もはや恐慌状態となっていて取り引きそのものが不可能だった。

いかがだろうか?

ここまで読めば、法太郎の理屈ではどちらが正解であるか判然としないことがわかるはずである。つまり、現実問題として、大聖人は塩を売って他の金品を得ていたのか、それとも逆に他の金品を対価として塩を買っていたのか、どちらとも断定できないのだ。

ここでわたくしが掲げたいのは次の一節である。

 金多くして日本国の沙のごとくならば、誰かたからとして、はこのそこにおさむべき。

上野殿御返事の一節である。冒頭の塩一駄云々を除けば、いわばここが話のスタートである。わたくしは以前、誤読者は五穀云々に眩惑されている、と書いた。上掲の御文を広く論ずるならば五穀にも当てはまる。それはもちろんのことだが、しかし、ここでは塩の貴重を仰せになられていると拝するべきで、それが文脈上の正解である。

ところで法太郎の主張には矛盾がある。本人はそれに気がついているのだろうか?

わたくしは代理貨幣を全面的に否定するつもりはない。代理貨幣はけっこうである。しかし、では、なぜに上野殿は金銭で御供養しなかったのか、という素朴な疑問が生まれてくる。貨幣の意味で言えば、塩よりも金銭のほうが便利のはずだからである。このように書くと頭のいい人は考えるだろう、塩の重量と金銭の重量の比較である。これについて詳しい人がいたらご教示願いたいと思うが、わたくしが言いたいのは別のことである。再掲しよう。

さて、宗祖に五穀を供養する富豪(物産の所持者)は無く、商人は疫病や流通物産の不足で市が立てられない状況であったのである。であれば、「今はぜんたいしほ(塩)なし。何を以てかかう(換)べき」は、塩が無いから他の物、例えば紙等を買うための銭も無く、麦と交換するものが無い、と云われているのだ。

再掲と書いたが、後半部分は今回初めての掲示である。これは支離滅裂もいいところだ。

たぶん本人は気づいていないのだろう。流通物産の不足で市が立てられないのであれば売買は成立しない。そこに塩だけが存在して、いったいどうなるのだろうか?

確かに弘安元年は天候不順で凶作だったのだろう。しかし、市場原理からすれば農作物のほうがまだマシだった。塩の不足が深刻だったのだ。そもそも米か塩かという二者択一で考えることが間違いなのであって、大聖人のところには各方面からの御供養で食糧はそれなりにあった、しかし、塩が不足していた、そこに上野殿から塩一駄の御供養が送られてきた・・・と、このように拝するのが自然である。

どうも長くなったようなので、続きは次回にしたい。まだ続きがあるのか・・・などと思ってはいけない。もう一つ重要な課題が残されているのだ。

2012/1/4

コピペ大王  
他人のデータを丸写しするのは楽だ。普段のわたくしならこんな手抜きはまずしないのだが、お正月ということでお許し願いたい。


「巌虎独」なる痴犬の妄説を破す、 返信 引用

名前:法太郎 日付:2月11日(金) 21時44分

さて今般、水戸黄門氏が運営する「カルト創価の終末」 創価はそうなの?に、れいな氏から紹介された妄乱ページが目に入ったので一言したい。


痴犬が脳乱して云はく、(巌虎独白)

【引用始】----------------------------------------------------------------

法太郎によれば、大聖人は上野殿から送られてきた塩を、銭や他の物品と交換したという。わたくしはこれを間違いだと思う。先ほど、唯一正解と思われる箇所云々と書いたけれども、その意味を説明しよう。当時は今日に比べれば、それほど貨幣経済が発達していたとは言えないだろう。ゆえに物々交換はいわば当然のことだった。よって大聖人もそれに類することをあそばしていたと考えて差し支えない。

しかし、当該御文は法太郎の誤読である。

塩一升を銭百と交換した。塩五合を麦一斗と交換した。こう書けば、どちらとも受け取れるだろう。大聖人は塩一升を買うために銭百を支払った。あるいは塩五合を手に入れるために麦を代価として支払った。このように読むのが正解である。

法太郎は精進料理をこのように説明しているが、わたくしにとっては初耳の話である。普通、精進料理は魚鳥鹿を用いない料理を意味するのであって、調味料を使用しないわけではないと思う。ちなみに念仏破折の御書に酒肉五辛を云々するものがあるけれども、この五辛が調味料に相当するわけでもあるまい。ゆえに法太郎の言っていることの根拠がどこに存するのか、わたくしにはまるで見当がつかないのだ。
----------------------------------------------------------------【引用終】


※オレの目に入らない所で、異流の脳乱がよくまあ、ヨタを飛ばすものである。かく云う者を「ズリセン野郎」と云うのである。(笑)、

知らない人が見たら、この私と互角であるとの錯覚を起こすであろう。もっとも、私と一戦やるとネツトでは株が上がると、法華講員に云われたことがある。(笑)、

この時代は、貨幣経済は発達途上にあり、幕府では金の鋳造を停止したり宋銭の流通を止めようと躍起となっていたが、徳川時代になって「寛永通宝」が出現するまで、約一千年間にわたり貨幣は流通しており、西暦1200年ころに至って宋銭・北宋銭が頻繁に輸入されるようになり、急速に貨幣の信用が高まった時代である。

宗祖が御供養として受けた「銭一貫五百文」「鷲目一結」「鳥目十貫文」「銭一連」等の御供養をみてもわかる通り、物々交換だけで流通が成り立っていたわけではない。

では本題に入って、御抄の読み方を教えてやるかい。(苦笑)、以下は新編御書の全文である。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

『上野殿御返事(新編・一二七一頁)』(弘安元年九月十九日・五十七歳御作)

塩一駄はじかみ送り給び候。 金(こがね)多くして日本国の沙(いさご)のごとくならば誰かたから(宝)として、はこ(箱)のそこ(底)におさむべき、餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば誰か米の恩をおも(重)くせん。

今年は五月より日日に雨ふりことに七月より大雨ひま(暇)なし、このところは山中なる上、南は波木井河、北は早河、東は富士河、西は深山なれば、長雨・大雨時時日日につゞく間、山さけ(裂)て谷をうづ(埋)み、石ながれて道をふせぐ。河たけ(猛)くして船わたらず。

富人なくして五穀とも(乏)し。商人なくして人あつまる事なし。七月なんどはしほ(塩)一升をぜに百、しほ(塩)五合を麦一斗にかへ候ひしが、今はぜんたいしほ(塩)なし。何を以てかかう(換)べき、みそ(味噌)もたえぬ。小児のち(乳)をしのぶ(慕)がごとし。

富人なくして五穀とも(乏)し。商人なくして人あつまる事なし。七月なんどはしほ(塩)一升をぜに百、しほ(塩)五合を麦一斗にかへ候ひしが、今はぜんたいしほ(塩)なし。何を以てかかう(換)べき、みそ(味噌)もたえぬ。小児のち(乳)をしのぶ(慕)がごとし。

かかるところにこのしほを一駄給びて候。御志、大地よりもあつく虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからず。たゞ法華経と釈迦仏とにゆづり(譲)まいらせ候。事多しと申せども紙上にはつくしがたし、恐恐謹言。

弘安元年九月十九日 日蓮花押

上野殿御返事

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



※以上、御書から読みとれることは、五月から七月にかけて長雨がつづき穀物生産の凶作がうかがわれるのである。それだけではなく、弘安元年といえば、興福寺が観音像を造立して疫病祈願をしており、二十二社司に命じて疫病祈願をしているから、農産物の凶作とともに疫病が大流行したことが理解出来る。

さて、日本語の基本を思い出していただきたい。富者が居なくて五穀が乏しく、流通の主である商人が市を立てることが出来なくて物産が集まらなく、七月にはしほ(塩)一升をぜに百に、である。さらに、しほ(塩)五合を麦一斗にかへ、である。

「○○を○○に」と云ったら、まさに「○○を○○に〜」である。「主語→述語→連用修飾語」という漢文の基本様式から云えば、まさに、「塩一升を・銭百に(換え)」「塩五合を・麦一斗に(換)」である。おわかりか。おバカいの。(笑)、


どこの世界に、五穀が不足して供養するものが無く、商人は物が集まらずに市も立てられない状態で塩をほしがると云うのであるか。弘安期に入ると、身延には修学のために弟子の数が増えていた時期である。

宗祖の一門は、五穀が不足している中で、塩をなめて法華経を研鑽していたと思っておるのか。(笑)、これでは宗祖の一門は高血圧で心臓病と脳内出血の病人が続発するではないか。(爆)、


網野善彦氏によれば、米≠ヘハレの時に食するもので、通常は稗や粟のような穀物を常食としており、米・塩等は純然たる「代理貨幣」であったことが指摘されている。(網野善彦著、「米・百姓・天皇、日本史の虚像のゆくえ(大和書房)」

源頼朝が上洛の途上で佐々木盛綱から献上された現在でいう「鮭トバ」を食べたとき、あまりの旨さに感動して和歌を一首詠んだていわれるほど、武家でも食事は質素だったのである。


いま、映画で見損なった「沈まぬ太陽」を観ているので、本日は、この辺で。

 


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【補遺】 精進料理について、
名前:法太郎 日付:2月11日(金) 21時45分


古来より、精進料理とは「三聚戒」であれば肉食はよいことと
なっていた。大乗仏教では野菜でも「五辛」の野菜は使わない。

仏教流派によって違いはあるが、大石寺では古来より「塩」は使わなく
素材の味覚のみであったようだ。現在でも大石寺では塩も使わない。

末寺では「醤油」のみは使う所もあるようである。醤油はれっきとした
精進料理によって生まれた加工品でもある。

日興上人は、病人の弟子に対し、魚鳥を服しても(趣意)といわれてい
て、病のある弟子は肉類を許可されている。

早々。




【補遺】「巌虎独」なる痴犬の妄説を破す、 返信 引用

名前:法太郎 日付:2月11日(金) 23時35分

前回は、たちまちのうちに、「やっつけ仕事」で書き込んでしまったために、やや、理解しづらい部分があったのではないかと思われるので、若干の補足をしたい。

「巌虎独」は、宗祖は塩味が無いと無味乾燥な味わいになる(趣意)、と云っていることを指摘しているが、それはそれとして必ずしも塩味≠ノ塩そのものは必要ではない、ということも考察すべきであろう。

上野殿御返事に味噌≠フことが書かれているが、味噌は万能調味料であり、庶民の弁当の味付けといえば味噌は主流であったようである。江戸時代の記録であるが、農民の弁当といえば穀物に味噌≠ェ相場であり、現代ふうのおかず≠ヘなかったのである。


さて、再度くわしく上野殿御返事の当該箇所を検討してみたい。

「今年は五月より日日に雨ふりことに七月より大雨ひま(暇)なし、このところは山中なる上、南は波木井河、北は早河、東は富士河、西は深山なれば、長雨・大雨時時日日につゞく間、山さけ(裂)て谷をうづ(埋)み、石ながれて道をふせぐ。河たけ(猛)くして船わたらず。

富人なくして五穀とも(乏)し。商人なくして人あつまる事なし。七月なんどはしほ(塩)一升をぜに百、しほ(塩)五合を麦一斗にかへ候ひしが、今はぜんたいしほ(塩)なし。何を以てかかう(換)べき、みそ(味噌)もたえぬ。小児のち(乳)をしのぶ(慕)がごとし」


弘安元年は、農産物が凶作で、疫病も大流行した年回りである。このような状況で、南条時光殿が一駄の塩を御供養した。一駄と云うのは、俵が二俵である。馬の背に一俵のたわらを積むことはバランスが悪く二俵を積むのが通常的な思考である。

ちなみに、この時代の馬≠ヘ、現代のような大きなものではなく、人がまたがれば両足が地面につく程度の大きさであり、現代期に至って輸入馬との交配や、品種改良によって大型化したものである。

江戸時代に長曽我部氏が上京したとき、馬にまたがり両足で地面を蹴っていたというから、大型犬をひとまわり大きくした程度のものであったようだ。(余談)


さて、宗祖に五穀を供養する富豪(物産の所持者)は無く、商人は疫病や流通物産の不足で市が立てられない状況であったのである。であれば、「今はぜんたいしほ(塩)なし。何を以てかかう(換)べき」は、塩が無いから他の物、例えば紙等を買うための銭も無く、麦と交換するものが無い、と云われているのだ。

たしかにこの時代に塩は貴重品であり、であるから網野善彦氏が指摘しているように代理貨幣≠ナある塩はありがたいものであったのだ。そもそもである。0・5リットルの塩が、180リットルの麦に替わるのである。

逆に云えば、五穀の乏しい中で180リットルの麦を0・5リットルの塩に替えるものであるかどうかは考えるまでもなかろう。しかも佐渡の配流の時でさえ六〜十名ていどの弟子がいたのである。

ましてや流罪が解かれて法門の弘通が認められてからの弘安期には、身延に登る弟子は多勢となっていた状況である。しかも味噌≠熕竄ヲる直前である。さまざまな物産と換えられる塩の一駄は、宗祖にとって貨幣と同等≠フ供養だったのである。

再度云う、五穀が不足していた宗祖のもとに、塩の二俵を喜ばれたのは、五穀のかわりに塩を舐めるのではなく、他の物産と交易できる代理貨幣≠ニしての塩、を感謝されたのである。
 


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寝る前に、更に補足、
名前:法太郎 日付:2月12日(土) 0時0分

米一俵の重量が約60キロである。塩であれば粒子が細かいだけ重量は
増す。これ、常識的な思考。

宗祖の遺文によれば、多いときで一百余人を山中に養っていた。

塩二俵はだいたい120キロ超である。

であれば、五穀が乏しいなかで、一人が1キロの塩を舐めていたこととなる。

常識で考えてもわかるではないか。バカか、こやつは。(苦笑)、




彼らしさの満ち溢れた文章である。しかし、最近の法太郎は教学に対する情熱が冷めつつあるように感じられて、そこが残念だ。

2012/1/4

コピペの達人  
富士宮ボーイにおけるマグマグ氏の投稿を全面的に転載させていただく。

No.34308 【ご参考】鎌倉時代の調味料と貨幣価値。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-01-02 18:32:13 ID:1538f8629
新規 返信

私が認定する「御書の達人」巌虎様を子ども扱いするわけでない、笑。が、私自身がいつも参考にする頁があるのでおすすめしたい――鎌倉時代の勉強をしよう(中学生の質問) http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/jh12.html ――これだ、笑。

調味料は――味付けには「ひしお」(今の醤油に近いもの)、「魚醤」(ぎょしょう=魚から作った醤油)、「じんた味噌」(大豆や麹に米ぬかを入れて作った味噌)、「塩」、「甘葛」(あまづら=甘味料)、「山椒」、「ゆず」などが使われていました――とある。

が、「今の醤油に近いもの」はおかしい。今の醤油は江戸期にならなければ食卓に登場しない。また「ひしお」(醤)自体が現在で言う「味噌」の雛形で、米、麦、大豆などの穀物、穀物の脱穀後に残る「糠」(ぬか)に「コウジカビ」を繁殖させた「麹」(こうじ)が原料。

「じんだ味噌」は糠味噌(ぬかみそ)そのもので、糠に水と塩を加えて単独で発酵させたもの。本当は「五斗味噌」と言って、大豆2斗・糠2斗・塩1斗(以上で5斗)、もしくは大豆、糠、麹、酒粕、塩を各1斗ずつ(以上で5斗)で作ったとされる。

「大聖人が精進料理」はウソと言えないが、巌虎様が仰せの通りで、法太郎の「調味料」の概念はおかしい。上の「中学生の質問への答え」も不確か。また出家が「魚醤」(ベトナムのニョクマムは有名、笑)を使っていたとは考えられない。それとここに抜けているのが「酢」だ。

調味料であるかどうか私にも分からないが、いわゆる「うまみ成分」の取り方、つまり「出汁」の取り方からすると昆布、椎茸、雑魚の干物(鰹節ではない)などは鎌倉時代にも存在した。が、法太郎が言う「精進料理」でなく、出家の料理の出汁は植物性のものに限られていたらしい。

それこそ日顕宗(日蓮正宗)で法事のたびに仏前に供する「御霊供」(ごりょうく、ごりょうぐ。宝前に供えるお膳。一汁二菜、香の物、ご飯)は、材料、出汁ともに「植物由来のもの」と伝統的に決められている。私は子ども時分にお下がりを頂戴したが、全然おいしくなかった、笑。

貨幣価値はもっと難しい――1230年(寛喜2年)の記録に米1石が銭1貫文とあります。1石は180リットルですが重さに換算すると約150キログラムです。現代の米の価格(米の店頭価格10キロが3,000円として)に換算してみると、1石の米は45,000円ということになります。45,000円=銭1貫文。銭1貫文が1,000文ですから、1文は45円です――とある。

実にこの計算例はかつてこちらの掲示板でも取りあげた。が、どうも分からない。御書の本文「塩一升、銭百(文)」ならば、一升が4,500円にもなる。そんなバカなことはないだろう。何かの間違いだろうと考えても見当がつかない。が、とてもよいヒントがあった。

――なかでも、調味料として必需品だった塩が極端に欠乏したために価格が高騰し/略/当時の物価の記録を見ると、凶作の年を除いて米1石が1貫文前後(1升が10文)というのが、大体の標準だったよう/略/平安時代には塩は米の半価であり、当時もそれほど変わらないと思われるので、米1升が10文なら、塩は1升5文ということになる。そうすると塩1升が100文というのは通常の20倍ということになる(2011年8月4日、赤鬼のブログ)――

なるほど。このブログ主、赤鬼氏は学会員なのだが、生活実感に根ざして当たり前のことを当たり前に考えておられる。要するに現在の貨幣価値で考えると余計に分からなくなるのだ。大事なことは米価で換算して塩が幾らなのかではなく、「通常の20倍」と言う部分。

また鎌倉時代の製塩法は氏によると「藻塩焼き」(焼いた藻塩で作ったかん水を煮詰める方法)で、塩水を天日に晒して蒸発、乾燥させる方法は足利時代以降のことだそうだ。正月らしく「焼くや藻塩の身もこがれつつ」(百人一首、新勅撰集)のあれだそうだ、笑。

ちょっといい加減さが目立つ「中学生の質問への答え」だが(笑)、いいことも書いている――鎌倉時代は交通が盛んになり、平安時代に比べて経済が非常に活発になった時代です。/略/大都市では貨幣は日常のものとして流通していました。しかし、地方の農村では物々交換も多く残っていたのではないかと言われています――以上、ご参考まで。マグマグo(*^▽^*)o~♪


御書の達人は甚だしい誤解であるが、それはともかく、結論が書かれていないのが残念だ。なお、赤鬼氏のブログを開いてみたところ、あれは氏の文章ではなく、どうやら創価学会が発行している御書講義をそのまま書き写したもののようだ。それは以前、山門入り口氏がご紹介下さった文章と瓜二だからだ。

実はもう一つ、マグマグ氏からメッセージを頂戴している。

【雑感】春のはじめをもてなす人。

上掲はそれに付されたタイトルだ。こちらの文章は氏の叙情溢れる名文であるが、わたくしとしては少し恥ずかしい意味もあるので省略したい。


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