2012/2/29

原発全廃特集号について  
一月度総幹部会の会長講演にはぶったまげた。顕正新聞第1231号に掲載されているわけだが、正直なところ驚いた。恐れ入りました、と言ってもいいだろう。

原発全廃特集号

浅井先生は原発問題に熱心だ。昨年は何度も言及した。それが顕正新聞に掲載されるや、大量配布が行なわれた。それらは便宜的に特集号と称されていた。

しかし、今回は違うのだ。

なんと顕正新聞そのものに、原発全廃特集号と印刷されているのだ。

つまり、昨年の特集号は内容に鑑みて会員たちが特集号と呼んでいたわけだが、今回の場合は最初から特集号のつもりで紙面が組まれているわけである。驚くべきことには全八ページ中、なんと六ページが会長講演なのである。もう原発問題も語り尽くして、そろそろ別の話題に転じるのではないかと思っていたものだから、わたくしはひじょうに驚いた。

恐れ入りました、と書いた。

その意味は、単に意表を突かれたからではなく、タイムリーだからである。あれからもうすぐ一年になる。否応にもクローズアップされる話題なのだ。地震と津波はもちろんのこと、原発事故のことも注目される。いや、むしろ原発事故のほうが注目度が高いだろう。何しろ一年経っても収束していないのだ。

世の中、次から次に新しい事件・事故が起き、次から次に忘れられていく。しかし、原発事故は違うのだ。ゆえに会長講演はひじょうにタイムリーであり、それなりの価値があると思う。

近い将来、原発が全廃される日が来るとしたら、顕正会もその一翼を担ったことになるだろう。

標・釈・結

これは浅井先生から教わった言葉だ。たぶん開目抄の講義だったろう。御書の基本的構成はこの三段から成り立っている。いわゆる起承転結に近似であると言ったら乱暴かもしれないが、これなら一般人にもおおよその理解が可能のはずだ。

さて、そこで今回の会長講演に批判を加えよう。

標と結において、辛うじて仏法のことが述べられているけれども、全体の分量としては微々たるものである。ゆえに最初と最後を削ってしまったならば、いったいどこの先生が喋っているのか、まるで見当がつかなくなってしまう。反原発団体の講演会の講師みたいなものだ。
穿った見方をすると、こうした批判を免れるために前後に仏法の話を付け加えたとも受け取れるわけで、それが本当であれば摧尊入卑も甚だしいだろう。
いや、もちろん、これはあくまでイジワルな見方であって、御書の基本的構成に準じている意味からすれば、先生らしさの発揮された見事な講演だと言えるだろう。

 その初陣は、二月・三月・四月の三ヶ月法戦といたします。

見事な講演・・・とは書いたものの、各所にイヤラシサが見られる。上掲はいわゆる折伏法戦について述べた部分だが、誓願の数が書かれていないのだ。どうやら誓願は一万八千らしい。総幹部会の席では述べなかったのか、述べたけれども新聞掲載の段階で省略したのか、わたくしは事実関係を知らない。いずれにしても一般人にはウケがよくないから書かなかったのだろう。つまり、これがイヤラシサだ。今回の新聞も大量配布を目論んでいる。内容的に一般人の興味を惹くことは明らかだ。そこに誓願は書きたくなかった。ハタからはノルマにしか映らないからだ。

原発は日本を滅ぼす、即時全廃せよ

大見出しである。これがいわば結論だ。確かにこれまでの一国諫暁との整合性は高い。平成九年も十六年も、このままでは日本が滅ぶ、ということを広く日本人に訴えた。そして今回も、このまま原発を続ければ日本が滅ぶ、と言っているわけだ。

しかし、厳密には違うと思う。

一国諫暁では大地震や国家破産など、社会問題に言及するものの、最終的にはそれが国を滅ぼすと言っているわけではなかった。つまり、大聖人に帰依しなければ、大聖人に背けば、日本が滅ぶと言っているわけである。ところが今回の原発問題では、原発そのものが日本を滅ぼす、と言っているわけである。

この違いがわかるだろうか?

これは未遂(?)に終わった皇室典範改正に反対するデモ行進に似ていると思う。分類すると、一国諫暁は純粋な宗教的行為であり、くだんのデモ行進や原発反対運動は宗教団体による社会運動への参画となるだろう。このように考えると、やはり従来の顕正会の方向性とは少し違うようにも感じられるところである。結論を言えば、広宣流布がすべての問題を解決する、ゆえに顕正会はただひたすら広宣流布の御奉公に徹する、これが顕正会の行動原理だったのだ。

社会運動への参画・・・気取った表現だが、それはともかく話を進めよう。もし顕正会らしさというものがあるとすれば、社会運動への参画ほど「らしからぬ」ものはないだろう。

これで結論が見えたと思う。回りくどい書き方をしたが、会員拡大の方便、はっきり言えばそういうことなのだ。

御遺命守護完結

ヤブカラボウであるが、読み進めていただければわかる話である。

わたくしの心配は今後の方向性である。顕正会の今後の方向性が難しいのだ。浅井先生は行き当たりばったりの人である。もちろん凡夫だから仕方がない。未来が見通せるわけではないので、その場その場で判断していくしかない。
しかし、原発問題に足を踏み入れてしまったことが今後の方向性を難しくしていることに、はたして先生は気付いているのだろうか?
顕正会は原発の即時全廃を主張しているわけだ。すると全廃が実現するまで戦い続ける必要がある。つまり、完結するまで、ということだ。

まさか途中でやめるわけには行かないだろう。原発は日本を滅ぼす、と言い切っているのだ。そこまで強く主張していながら途中でやめてしまったら、それこそ批判者たちに馬鹿にされるだけである。ああ、やっぱり勧誘の手段だったのだ、と。

ましてやゴマカシの完結宣言はできない。

御遺命守護の完結にはさまざまの欺瞞があるけれども、いちおう御遷座が実現した意味では顕正会の言い分にも一定の評価を与えることが出来る。

しかし、原発全廃はどうだろう。これには宗教的解釈論の入る余地はまったくない。現実にぜんぶの原発が廃炉となるかどうか、この一点に集約されるのだ。

わたくし個人は原発即時全廃に賛成である。

ゆえに、この件では顕正会を批判したくない。しかし、いかがなものかと言わざるを得ないのだ。今後、原発問題ばかりをやっているわけには行かないだろう。さりとて原発問題から撤退するわけにも行かない。つまり、進路が難しいのだ。

一刻も早く全廃が実現すればいいのだが・・・

2012/2/20

顕正会の凋落を示すデータ  
顕正新聞第1230号に載っている体験発表の一つを紹介しよう。

犬の散歩中に猫に襲われて噛まれた傷が悪化し、長年体調不良に悩まされる・・・

真面目に語っているのか、その逆なのか、よくわからない。オチャラケというのだろうか、よく創価学会員や法華講員との法論もどきを面白おかしく報告する記事を目にするが、それはあえて意図的にやっているのだろうと思われる。しかし、上掲の体験発表ではこの直前に、十九メートルの崖下に転落する大事故のことなどが書かれている。まさに大事故であり、死亡しても不思議はなかったはずなのだ。それとネコに噛まれた話では落差が大き過ぎる。十九メートルどころか百メートルくらいの落差を感じるところだ。

二十四年前、猫に足を噛まれて雑菌が入ってしまったことにより、自分の皮膚を移植・・・

まあ、しかし、このくだりを読むと、確かに深刻さが感じられるところだ。人間に歯向かうネコも珍しいが、ともかく移植手術をしなければいけないほどの深刻な怪我だったようだ。

さて、わたくしの最近の心境を吐露させてもらうと、顕正新聞の記事に飽き飽きしてきたというのが本音だ。いちおう今もぜんぶに目を通しているが、わざわざブログに取り上げるまでもなかろうという記事が大半だ。これは自分自身が興味を失いつつある証拠なのだろう。もしかしたら取り上げるべき記事が他にもあるかもしれないが、飽き飽きしているがためにそれを見落としている可能性もなくはないのだ。そういうわけで、当該号においては上掲のようなケッタイ(?)な記事だけが印象に残った。あとは昨日取り上げた成人式の記事くらいだ。

と言いつつ、もう一つだけ紹介しよう。

原発廃止特集号で夫婦揃って入信
 我家の近くには美浜原発がある!


昨年は原発廃止特集号だとか、創価学会員を救う特集号だとか、特集号の連発だった。なるほど、特集号を読んで入信する人がいても不思議はないだろう。顕正会ではそれを当て込んで配布活動に精を出したのだ。上掲はその一例なのだろう。

 以前から夫も私も「原発反対」の立場で、ことに夫は一般新聞の原発記事をスクラップするほど熱心でした。

その夫がである、浅井先生の見識に驚いているそうだ。強いてイチャモンをつけるとすれば、ここだろう。

原発ないし関連施設の隣地に住まう人たちは、もともと問題意識の高い人たちが多い。新聞記事をスクラップするほどの人ならば、原発関係の書籍もかなり読み込んでいるだろうことが想像される。すると浅井先生の言っている程度のことは先刻承知のはずなのだ。よって今さら先生の見識に驚くこともなかろうはずなのだ。

つまり、彼らにとって、それは見識ではなく常識なのだ。

もちろん現地の人たちの中には逆に電力会社の宣伝に騙されて、一方的にそれだけを鵜呑みにしている人もいる。むしろそのような人であれば先生の見識に驚くかもしれない。しかし、上掲の人物が驚くとはとうてい思えない。

あえて善意に解釈すれば、ほう、オタクの会長さん、意外に知ってるじゃないか、という感じなのではないかと思う。

ここで話題を変えよう。

ちなみに、手元に資料がある限りの登用試験データを下に記そう。

平成 7年 受験者 5,484名/合格者2,747名/合格率約50%
平成10年 受験者 7,002名/合格者2,606名/合格率約37%
平成11年 受験者 7,554名/合格者4,252名/合格率約56%
平成12年 受験者 7,843名/合格者3,771名/合格率約48%
平成13年 受験者 7,819名/合格者3,506名/合格率約45%
平成14年 受験者 9,313名/合格者3,032名/合格率約32%
平成18年 受験者12,245名/合格者2,176名/合格率約18%
平成19年 受験者12,849名/合格者2,107名/合格率約16%

これ以降の合格率は拙ブログ3つ前の「参考情報」を見てほしい。


またしてもサンビャクマン氏のご登場である。二十年以降は次のごとくだ。

   H20 18.99%
   H21 23.50%
   H22 17.45%
   H23 12.71%


表記が統一されていないのが難であるが、他人の労作を丸写ししているだけなので、文句を言えた義理ではない。ともかく、このデータの目玉は合格率の推移である。どんどん下がっているのだ。この発見は大きい。サンビャクマン氏のお手柄だ。

わたくしは一念信解路線の弊害だと思う。しかし、話はもう少し複雑だ。

近年、顕正新聞には平会員がよく登場する。どんどん登場頻度が高くなっている。前掲の美浜に住む老夫婦も平会員だし、翌号にも二人の平会員が登場する。
ここで誤解のないように言っておくと、平会員が悪いわけではない。本来の信仰の意味からすれば、組織の役職の高下は関係ないのだ。ゆえにわたくしは平会員を馬鹿にするつもりはない。
しかし、データはウソをつかない。サンビャクマン氏の労作が光っている。ようするに面倒臭がりのわたくしは平会員の登場頻度が高くなっていると書くものの、データを示していないのできわめて恣意的である。しかし、図らずもサンビャクマン氏のデータが証明してくれているのだ。

合格率の低下と平会員の増加、ここに相関関係を見出すことは容易のはずだ。

一念信解路線の弊害と書いた。しかし、むしろそれよりも成果至上主義の弊害、無理な拡大路線の破綻というのが真相に近いかもしれない。

顕正会はある時期まで教学に力を入れていた。手前味噌ながら、かつての妙信講員は創価学会員が束になっても勝てないくらいの実力を備えていた。あるいはバーズ博士などもその名残なのかもしれない。
しかし、この教学が邪魔になってきた。理由はいくつか考えられるが、今回の話で言えば拡大路線の障壁となるのが教学だった。
つまり、顕正会の教学はレベルが高い。換言すれば敷居が高い。それが門戸を狭めている。だったら敷居を下げてしまえ。それが一念信解路線だ。

入信願書を廃止して、入信報告書にした。これも門戸開放、拡大路線だ。

結局、これらは百万だとか一千万だとか一億の、いわゆる大誓願を達成するための手段だったのだろう。しかし、残念ながら実力が伴なわなかった。急ぐあまり、実力を養成することを怠ったのだ。結果として数字の上では辛うじて過去最高を更新するものの、実質的には粉飾を繰り返してきたわけだ。

ゴチャゴチャと書いてきたが、最後にもう一度言っておこう。

データは正直だ。教学試験の合格率の著しい低下は顕正会の実態を示す好材料である。

2012/2/19

他ブログの話題と顕正新聞の話題  
このところ、サンビャクマン(=事情通?)氏が猛烈な勢いで更新を続けている。後退する顕正会を見つめ続けて、というブログだ。しばらく更新が止まっていた時期があったので、ずいぶん気まぐれなものである。

氏の慧眼には敬服するものであるが、さすがに考え過ぎではないかという項目もあった。

不可解な消滅劇その2

これがそうだった。

たぶん誰もが思うだろう、話がややこし過ぎてよくわからん、と。男子第十二部の消滅劇について、考察を加えているわけであるが、細かい数字がたくさん出てきて、頭がこんがらがって来る。とりわけ、わたくしのような小学生レベルの算数しか出来ない人には、ひじょうに理解しづらい内容だった。

 7隊 40→ 74→553525→67→90
11隊 31→ 31→392930→80→90
49隊 83→113→524537消滅


色づけは組織の改編の区切りを意味している。サンビャクマン氏が注目したのは成果の変動だった。なぜに組織の改編によって成果が激減したり、その逆だったりするのか、その理由を探っているのだ。

まさかとは思うが、大きな「部」の中では、成果の低い組織に対して、成果のあがっている組織の成果を融通しているなんてことはないだろうか?

「部」となったことで他組織からの融通が利かなくなって激減した、と考えても不思議ではない。

一方、7隊や11隊より成果が出ていた49隊が消滅した理由は不明だ。

49隊は千葉を根城にしていたことがわかっているが、成果が出ていた以上は「お取り潰し」にされる理由は普通はないだろう


こういう細かいところまで目を配って考察する姿勢には敬服する。大いに見習いたいと思う。

しかし、氏の場合は顕正会に在籍した経験がないためだろうか、上述の一件ではごく単純な理由を見落としているようだ。

タテセン

これは創価学会用語なのだろう。昔はよく使われていた言葉らしいのだ。実は今の顕正会の組織こそがタテセンなのである。たとえばA隊がある。東京が中心の組織だとする。東京には地方出身者が多い。彼らがそれぞれの地元に帰って折伏をする。入信者は基本的にA隊所属となる。しかし、この方式だとA隊員は沖縄県にもいれば北海道にもいる、あるいは四国や九州にもいるというアンバイで、まとまりがなくなってしまう。そこで部というカテゴリーを新設した。部はおおむね地方ごとにまとまっているわけだ。

もちろんサンビャクマン氏も、ここまでは百も承知のはずだ。

実は顕正新聞に載る組織の改編は隊や区以上であって、それ以下の支隊や総班レベルの改編までは掲載されないのだ。ゆえに四十九隊の例で言えば、おそらくは地元組織が伸びずに他地域で成果を上げていたのだろう。ゆえに部を結成する段階において、それらの人材は別の組織に移動したと考えればツジツマが合うのだ。また、弱かった隊が急に強くなるケースもあるが、それは支隊レベルでの移動による。よその隊が育てた人材を組織改編の時に譲り受けるのだ。

その意味でサンビャクマン氏の「成果を融通」は当らずとも遠からずであろう。より正確に言えば、人材を融通しているわけだ。

そもそも顕正会批判者たちが言うように、百五十万人ならぬ百五十万枚が問題であり、ようは入信報告書のあり方そのものが問題であるからして、その数字を頼りに考察するのも馬鹿らしい話である。もっとも他に手掛かりがないとなれば仕方がないことではあるが、極論すれば四十九隊の消滅も砂上に報告書を積み上げた結果と見ることも出来るだろう。これは顕正会全体に通じる話であって、最終的には顕正会の消滅を暗示しているとも言い得ることだと思う。

また、人材の融通で思い出されるのは壮年部のことである。同部は人材が枯渇してしまって、もはや融通が利かない状態だったのだろう。それで消滅してしまったわけだ。

さらに裏を返せば、男子部も同様だった。ゆえに壮年部から人材を融通してもらった。より正確に言えば、壮年部の組織を丸ごと融通してもらったわけだ。

さて、今日はこれでもう終わりにしてもいいのだが、大急ぎで成人式の記事をやっつけてしまおう。

 私は、曾祖父の代から顕正会で御奉公する家庭に生まれ育ち・・・

純粋培養(?)の女子部総班長だ。

四人の登壇者はいずれも親が顕正会員であり、これは近年の成人式では当たり前になっている。そこで気になったことは、どうもわたくしの印象では成人式の登壇以降、あまり活躍している様子が伝わってこないことだ。
つまり、親が顕正会員の場合、たいていが高校入学と同時に顕正会員となる。すでに五年のキャリアだ。すると、そろそろ飽きて来る頃なのではないか?
また、純粋培養の脆さもあるだろう。成人となって社会の荒波に揉まれて信心を見失う。もちろんこれは顕正会側の言い分だが、批判者側に言わせれば、世の中のことが段々わかって来るにしたがって顕正会のインチキさもわかる・・・となるだろうか?

最後に紹介するのは上掲とは別の総班長だ。

・・・日目上人の大忠誠心を拝しては、熱きものを抑えられず、浅井先生のお姿と重なり、先生に対する畏敬の念でいっぱいになりました。

目師再誕説については何度も取り上げて来たが、それにしてもこれはヒドイ文章である。わたくしに言わせれば構文がデタラメであること、それから上人よりも先生のほうがエライみたいな印象を受けること、この二点において最悪の文章だ。

2012/2/15

除籍不可の凄い理由  
会員数の推定にお付き合い下さった人がいる。わたくしのが小学生レベルの算数ならば、こちらは高度な数学だ。

下記アドレスに総務省統計局の年齢別人口の統計があります。

H21年度の数字ですから仮に17歳だったとしましょう。
更に七百余名の最大値709名を此の表に当てはめて比率計算しますと
合計は74,589名となります。

もっとも「大本営発表」が事実だとすればですが(笑)

http://www.stat.go.jp/data/nihon/zuhyou/02syo/n0200400.xls


どのように計算するのか、よく理解できていないが、ともかく結論は七万有余名とのことだ。これは顕正会にとってはわりに良心的な数字と言えるだろう。それにしても統計とは恐ろしいものだ。七万有余というのは決して不自然な数字ではない。いちおう今の顕正会は男子三万女子三万、それから婦人部が二万、合計すれば八万だからである。男子部大会では三万人を集めたことになっている。そして本年は二万人の婦人部大会があり、来年は三万人の女子部大会だ。ゆえに良心的には七万有余を顕正会の実勢と見なすことができるだろう。しかし、多くの人が指摘するように、あの男子部大会にはさまざまのトリックがあって、実際には三万人も集まっていない。いわゆる大本営発表だ。ゆえに、実勢は顕正会全体で四万前後、これが妥当なところだろうと思う。

顕正会員の実動会員数は3万人強という計算は、正しいと思っています。試験を受ける意思があるだけでも、なかなかの者です。

勤行・折伏を自ら進んで行う者になると、相当のツワモノですが頑張れば頑張るほど消耗激しく、化石化していく人も多くなってくるのが勧誘至上主義ですが。

名目数がいくらになろうとも、実動数が3万人前後で推移していくのが、顕正会の悲しさでしょうか。


久しぶりにポリ銀氏からコメントを頂戴したが、これはかなり厳しい見方だ。

名目数が増えても実動数が三万前後で推移・・・

ようするに今は百五十万だが、いずれは二百万・三百万と数字が積み上がっていく。しかし、現実にはいつまで経っても三万人しか集まらない。まさに悲しいことだ。

わたくしの思うに、微増ながらも五万・十万と増えていくのではないか、もしくは逆に減っていく。ようするに今が最後のワルアガキなのかもしれないのだ。

大聖人の仏法は白黒の決着をハッキリつける、そういう性質がある。顕正会はそれをどこよりも強力に推し進めてきた。であれば、顕正会が絶対的に正しいとすれば今後も伸びていくはずであるし、その逆であれば滅ぶ、この二つに一つなのだ。これはもう、顕正会が大聖人の仏法を唯一正しく実践している団体であると標榜する以上、避けられないことであって、第三の選択肢はあり得ないことなのだ。

昭和60年以来、何度も口にされたにも関わらず、御書全集の一巻すらいまだに作成できない

御書の話題であるが、その気があればすぐにでも作れると思う。今はネット上にテキストデータがたくさんある。それをパクればいいのだ。

もちろん校訂が必要だが、そんなのは大した問題ではない。

やはり御書を発刊しない最大の理由はメリットがないことだろう。メリット? おかしな言い様だが、ようするに会員に御書を持たせれば、メリットよりも、むしろデメリットのほうが大きいのだ。

具体的に言うと、わたくしのような落ちぶれ会員が増えてしまうのだ。

浅井先生は御書に詳しい。ひじょうに詳しい。さすがだと思う。これがわたくしの素直な感想である。
しかし、御書は深い。甚だ深い。ゆえに浅井先生の御書に対する理解が完璧であるとは言えないのだ。
今のわたくしにはそれが見えているから、さすがだとは思うけれども、しかし、先生に「平伏する」とか「ひれ伏す」ようなことはないのだ。

もっとも御書を持ったとしても全員がわたくしと同じような道を辿るわけではなく、まさに十人十色であって、いろいろなケースがあると思う。想像するに、たとえば今は創価学会員だとか法華講員に、顕正会は御書がない、などとバカにされているけれども、御書が出来すればそうは言われなくなる。しかし、逆に今度は真っ向勝負の法論が求められることになる。お互いに御書を紐解いてのガチンコ勝負だ。これが本部首脳は怖いのだろう。なぜ怖いかは別の問題だが、ともかくこれを回避するためにいわゆる一念信解路線を貫いてきたのだ。近年、一念信解という言葉はあまり使わなくなったが、実質的には何も変わっていない。たぶん今後もそれほど変わらないだろう。巷間言われるように浅井武勇伝の刷り込みが顕正会の教学なのだ。

「御書に『金剛宝器戒』という戒律があって、これは何者にも崩せないものだから一旦顕正会員になったら除くことができない」

これは凄い証言である。アホな幹部がいかにも言いそうな理屈であるが、だったら言いたい、入信勤行ではなく御受戒をやれ、と。

以前、顕正会には顕正寺という寺院があって、御住職がいた。かつてはこの人が葬儀法要を行なっていた。
しかし、御受戒は顕正寺を介することなく、勝手に幹部会員が行なっていた。さすがに御受戒とは言えなかったのだろう、わたくしの知る限りでは昔から入信勤行と言っていた。
そして今も変わりがなければ、入信勤行の導師は副長以上の幹部が行なうことになっている。ご存知でない人のために説明すれば、顕正会は組長・班長・副長というアンバイで役職が上がっていく。ようは下から三番目の階級なのだ。それが金剛宝器戒を授ける儀式を行なう側なのである。

つい先日、葬儀に関して書いた。手前味噌ながら顕正会の葬儀はクオリティが高い。それは少数精鋭の本部職員が執り行っているからだ。

これで入信勤行の欺瞞は明白だ。

金剛宝器戒を云々するのであれば葬儀法要と同等のクオリティが必要だろう。つまり、少数精鋭の本部職員のみが入信勤行を行なうことにしないといけない。さもなければ単なる数集めをやっているに過ぎなくなってしまう。結局、それでは格好がつかないので、いちおう儀式めいたことをやっている。それが顕正会の入信勤行なのだろう。

まあ、しかし、顕正会で独自に御受戒もどきをやれば、それはそれで批判を受けることになるので、ここはひじょうにツライところなのだが・・・

2012/2/10

会員数の推定方法  
今日は前回の反省を踏まえて、話題をガラリと変えることにしよう。

結論として、顕正会の実働会員は四万人、甘く見積もっても六万人弱となろうか?

これは五年前の拙稿である。顕正会の会員数をどのように割り出すか、一つの考え方を示したものだった。簡略に述べれば、九州における活動会員の実数がわかっているとすれば、そのデータを元に全顕正会の活動会員数を推定できるのではないか、ということで計算をしたら上掲の結果が得られたわけである。この数字はまず結論ありきではなく、純粋に計算して導き出した数字なので、わりと説得力があるのではないかと思う。

さて、あれから五年、顕正会は百五十万を達成した。もちろん、これは名目上の会員数であって、実際の会員数ではない。当然、顕正会の内部の人間、とりわけ最高幹部クラスであれば正確な数字を把握していることであろうが、しかし、それはなかなか外部には漏れてこない。何しろ浅井先生が各種講演で百五十万を力説するものだから、たとえ実数を知っていても幹部たちはそれを口に出来ないのだ。

そこで今回のテーマだが、新たな計算式を用いて顕正会の実数に迫る、というものだ。

なお、わたくしは小学生レベルの計算能力しかないので、計算間違いがあるかもしれないし、そもそも計算方法そのものが間違っているかもしれないので、その点をお断りしておきたい。

登用+五級+四級=三万人

顕正新聞第1230号には今回の教学試験の受験者数が空前だったと書かれている。細かい数字を省くと三万人だ。そこで、もし仮に一級まで試験を行なっていたらどうなるかを考えてみると、ぜんぶで六万人になるのではないかという単純計算が成り立つ。

上掲のデータを元に考えると、一種目あたり平均一万人の受験者だ。もし六種目やれば六万人だ。

登用+五級+四級+三級+二級+一級=六万人?

しかし、これは誰も納得しないだろう。

昨年の三級受験者は約二千人だった。二級と一級はデータがないけれども、常識的に考えれば三級と同程度かそれよりも少ないはずなのだ。ゆえに、この三種目がそれぞれ二千人ずつの受験者だったとしても六千人が上乗せされるだけになる。

よって、全種目が行なわれた場合の想定受験者数は、次のごとくなる。

六万人

三万六千人

エライ違いだ。

たぶん顕正会批判のプロたち(?)も、この数字ならば納得するだろう。しかし、せっかくだから、もう少し厳密に計算してみたい。

一級試験の受験者は百人くらい。

これはもちろん当てずっぽうである。過去の新聞を引っ張り出せば、その時の受験者数がわかるだろうけれども、それはあまり参考にならないだろう。何しろ一級は二十年以上も実施されていないのだ。すでに退転している人もいるだろうから、過去のデータから人数を割り出しても当てにならない。厳しく見れば、受験有資格者はほぼ皆無に等しい。しかし、ここでは思いっきり甘くして百人としておこう。

二級は千人くらい。

これも二十年近く試験が行なわれていないはずだ。ゆえに数字は当てずっぽうであるが、昨年の三級の受験者が約二千人で、そのうち合格者は二百五十九人だった。よって受験資格があるのは二百五十九人+アルファである。これも甘めに見積もって千人がいいところではないかと思う。

三級は三千八百八十七人+二千九十七人−二百五十九人

いきなり数字が細かくなった。理由は簡単だ。昨年三級試験が行なわれた。二百五十九人が合格したので、それが二級試験へ行く。残りは三級を再受験する。そして昨年の四級合格者が加わるわけだ。退転して減ることはあってもこれ以上は増えない。

清書しよう。

三級=昨年の四級合格者+昨年の三級受験者−同合格者

3,887+2,097−259=5,725

これで全種目を合計しよう。顕正新聞には三種目で三万四二一名と書かれているので、その数字を使うことにする。

30,421+5,725+1,000+100=37,246

全種目が実施された場合の想定受験者数は三万七千二百四十六人だ。

これが顕正会の実数だとすると、大したことねえなあ、というのがわたくしの感想である。

ただし、先の二級を千人としたのはやや自信がない。もう少し多いかもしれないのだ。末端は入れ替わりが激しいけれども、このクラスになると半ば化石化しながらも留まっている場合が多いからだ。

以上、教学試験の受験者数から活動会員数を推定すると、いちおう四万弱という結果になる。

話を進めよう。

次もまた会員数の推定であるが、今度は別の計算方法である。

 この日、過去最高の七百余名の男女青年部員が全国から続々と青年会館に参集・・・

顕正新聞第1230号の一面上段は教学試験の記事だった。そして下段には成人式の記事がある。上掲には男女青年部員とあって、これだと曖昧だが、参集したのはいちおう新成人たちである。得意の過去最高の文字が躍っている。それはともかく、七百余名が今度の計算の基礎データとなる。

700×(65−15)=35,000

これだけでわかる人がいたら、その人はたぶん頭のいい人なのだろう。まあ、しかし、ひじょうに簡単な計算だ。

わたくしが考えたのは年齢別の会員数である。各年齢に七百人ずつの会員が分布していると考える。いちおう過去最高を謳っているので、これを平均値とするのは甘めの計算となるはずだ。会員資格を十五歳から六十五歳とすれば、三万五千人が活動会員となる。

なんだ大したことねえなあ、というのがわたくしの感想である。

もっとも六十五歳になると、資格がなくなるわけではないし、死んじゃうわけでもない。ゆえに、七十五歳に引き上げて計算すると、四万二千人になる。八十五歳であれば、四万九千人だ。

九十五歳ならば・・・

失礼ながら亡くなる人が多くなるので、そのまま平均値を使うわけには行かない。もし七十五から九十五まで各年齢に七百人ずついれば、それだけで一万四千人になる。後期高齢部だけで大会が開けることになってしまうのだ。

さて、上述の応用として、次の計算を示しておきたい。

700×(45−15)=21,000

ここまで順番に読み進めてきた人ならば、おおよそ察しがつくだろう。

男子部女子部の上限をいちおう四十五歳とした。すると二万一千人なのである。男女合わせての数字だ。これで来年は三万人の女子部大会、再来年は五万人の男子部大会をやるつもりなのだ。

しかし、この計算はあまり信用できない。なぜならば新成人は顕正会歴五年である。これからたくさん折伏して同年代の人たちを糾合していくので、さらに五年加算して二十五歳の頃には倍の数字になっているかもしれないのだ。もっとも、一方で退転してしまう人も多いので、そこを勘案すると何とも言えないところではあるが・・・

以上、今回は二つの計算を試みたが、いずれの計算においても顕正会の実数は四万前後であり、五万を超えることはなかった。

2012/2/7

自分にダメ出しするブログ  
葬儀に関して、いくつかのコメントを頂戴しているので、まずはそれについて書こう。

一般的には、未だに在家葬儀は受け入れられていません。良くも悪くも、日本の伝統文化が、これを忌避するのでしょう。私も創価学会の友人葬に参列した事がありますが、参列者からは陰口で、やはり新興宗教だね、等とささやかれていました。
まだまだ、絶対多数は、僧侶の葬儀のようです。


在家葬儀というのは創価学会ないし顕正会の葬儀を意味するのだろう。この文脈で言えば、おっしゃるごとく、まだまだ絶対多数は僧侶の葬儀なのだろう。しかし、前回も触れたように火葬場直送のケースも増えつつある。その理由はさまざま考えられるが、一つには無神論というか無宗教の人たちなのだろう。彼らは坊さんにお経を上げてもらう必要性を認めないのだ。直送は極端にしても、葬儀そのものを無宗教の形で行なうケースも増えつつあるのではないかと思う。よって、上掲の論理は創価学会ないし顕正会に対する破折の意味では通用しても、無宗教者には通用しない論理なのだ。

ところで創価学会と顕正会の葬儀は近似の関係にあるわけだが、おそらくは一つだけ異なる点がある。創価学会の場合、いわゆる導師を地域の幹部がやる。顕正会は本部職員がやる。組織の大きさが違うので無理な話なのかもしれないが、創価学会の導師はクオリティにバラツキがある。ゆえに一般の会葬者が陰口を言うのだろう。手前味噌ながら顕正会の導師はそれなりにクオリティが高いのだと思う。

まあ、しかし、いずれにしても五十歩百歩であって、法華講員に言わせればどっちもダメなのだろう。

 釈迦は弟子の出家に葬儀への参加を禁止しています。

これがよくわからなかった。釈迦はともかく大聖人はどうなのか、そちらのほうが優先されるはずである。まさか上掲のような御書が存在するとは思えないのだが、どうだろうか?

忌日より前に必ず法要を行うのが常識である。
分かりやすく言えば忌日は裁判当日であるから、遅れてはならないのである。
亡くなった日から起算すれば、荼毘の時点で初七日が二日後、翌日ということも珍しくない。
よって繰り上げ初七日を行い、追善するのである。
未入信の参列者には仏縁を結ぶ上からも大事なことである。
新興宗教にはわかるまい。
以後、四十九日までは七日ごとの塔婆をお寺様にお願いしておくこともできるので心配はなくなる。
納骨は五七日忌または七七日忌に行うのが一般的である。
法要にはそれぞれ意味があるが、観念的にしかわからぬのが顕正会の愚かさであろう。
儀式法要を形骸化させ、浅井を神格化し、浅井のための人集め宗教と成り果てた陳腐さに気付けぬ木偶の坊の集団である。


顕正会に対する批判はどうでもいいことだ。

亡くなった日から起算すれば・・・

これはウッカリしていた。しかし、忌日前云々がよくわからないことだ。わたくしの感覚では、別に遅れたっていいじゃないか、と思うのだが、それではダメなのだろうか?

たとえば急に誰かが亡くなって、まだお墓の用意が出来ていないとする。仮に四十九日が納骨の期限だとしよう。お墓が間に合わない。わたくしだったら、まあ、いいや、業者に急がせて手抜き工事をされても困るから、納骨はヒャッカンチにしよう、シジュウクンチは面倒臭いから省略しちゃおう、と考えるところだが、これではダメなのだろうか?

ちなみに、現在のわたくしは顕正会の組織からも遠ざかっているので、葬儀はともかくとして、その後の忌日法要をどのようにしているか、よく知らないのだ。せっかくなのでご存知の人がいれば、コメントをお願いしたいと思う。

以上で葬儀の話を終わるが、これでわたくしの考え方がよくわかったと思う。早い話が無信心なのだ。わたくし個人は葬儀をしなくていいし、墓もいらない。文字通り、土に還してもらえれば、それでいいのだ。

さて、話は変わる。

威勢の良いことを書いてますが、反論出来ないからと思ってしまいますよ。^^

これはわたくしに言っているのだろうか?

もしそうだとすると、筋違いもいいところだ。

前回、邪魔をしてはいけないと思って、内容には深く立ち入らなかった。ようするに、これはバーズ博士と山門入り口氏の戦いなのだ。正確には山門入り口氏の外部スタッフ(?)だが、ともかくわたくしは観客に過ぎない。ゆえに反論する立場にはないし、そもそもなぜ反論しなければいけないのか、その必然性がまったく見出せない。よって筋違いと言わざるを得ないのだ。

今回の内容に鑑みて言わせてもらえば、わたくしは国立戒壇の呼称に拘泥しないという立場なのだ。これは拙ブログの記録を丹念に調べていけばわかることで、何も今になって急に言い出したことではないのだ。ゆえに反論する必要はないわけである。
また、これはごく最近のことだが、バーズ博士とも一線を画す立場であることを表明している。つまり、博士は顕正会を絶対に正しいと主張する立場だが、わたくしは必ずしもそうではない。それにもかかわらず、わたくしを顕正会側にハメ込んで、対立の構図を作ろうとしている。ここが大間違いの出発点なのだ。
ご存知のごとく、わたくしは拙ブログにタブーを設けず、いろいろなことを書いてきた。宗門批判も少なからず書いているし、戒壇論についてもわたくしなりの意見を書いてきた。よって、まずは拙ブログに対する反論なり何なりをコメント欄に書き込めばいいことで、それに対してわたくしがどのように応じるかが問われるわけである。そこでわたくしが黙り込めば、まさに反論不能を意味することになるのだろう。

なお、バーズ博士について、わたくしから弁護をしておくと、博士はいわゆる遅筆である。実際にはいろいろと忙しくて更新する時間が取れないのだろう。ゆえに頻度としては週一くらいの更新となっている。しかし、時間を掛けただけのことはあって、文章はきわめて完成度が高い。

よって博士の更新頻度を斟酌すべきである。

コメント欄を設けない理由は不明だが、博士が従来のヘナチョコ会員とは訳が違うのは確実だろう。わたくしが言うヘナチョコとは、ブログを開設したと思いきや瞬く間に閉鎖してしまうケースだ。だったら最初からやらなきゃいいのだ。
ともかく博士のブログは今のところ閉鎖しそうもない。ここがバロメータだ。博士がブログを閉鎖すれば、ああ、やっぱりヘナチョコだった、善戦はしたものの法華講員の攻撃に耐えられなかった、ということになるだろう。
しかし、今の調子では大丈夫だ。むしろ法華講員のほうがタジタジになっている。そんな印象が拭えないのだ。

繰り返しになるが、わたくしをやっつけたいのであれば、それをコメント欄に書き込めばいい。博士をやっつけたいのであれば、博士がコメント欄を設けていない以上は、間接的に書くしかない。しかし、必ずしも博士とわたくしは連動しているわけではない。よって、博士の言動にわたくしが責任を持つものでもなければ、その逆でもない。当然のことだ。

最後に言っておこう。

実はわたくしがいちばんズルイのだ。組織を背負っているわけではないので、気が楽なのだ。言いたいことが言える。ほとんどテカセアシカセがない。

一方、バーズ博士は組織を背負っている。この点において、わたくしは博士に敵わない。博士はわたくしよりも遥かに高い境地にいるのだ。法華講の諸氏も同様である。

よって、結論的にはわたくしがいちばんダメなのだ。

2012/2/6

葬儀雑感  
未明に山門入り口氏よりコメントを頂戴した。

ブリトー石橋さんのガツンの反論に対して、反論文を書いたので閲覧していただけたら幸いです。

『「顕正会をガツンと破す」をガツンと破すに反論!』

http://sanmoniriguti.web.fc2.com/index.htm
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77


リンクの貼り方がやや不親切で、反論文を見つけるのに苦労した。それはともかく感想を申し上げると、これは山門入り口氏の文章ではない、ということだ。いわゆるスタッフ(?)が書いたものなのだろう。氏のサイトにはいったい何人のスタッフがいるのか、その辺が興味深いところだ。反論文の評価についてはとりあえず差し控えたい。たぶんバーズ博士が何か書くだろう。わたくしが邪魔をしてはいけないと思う。

んっ?氏からは資料の紹介をたまわった。

平成十二年の資料ですが御覧下さい。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho34.pdf

まあ,どんな宗派の坊さんもそうでしょうが,
おまんまの食いあげになりそうになると勉強し始めるものですww

現在も此の危機感があるかというと疑問ですがww(失敬)



ああ、そうか、平成十二年だったのか・・・

日蓮宗現代宗教研究所のサイトは以前より利用させていただいており、顕正会に関わる当該論文もすでに読んでいる。今回はそれとわかったので改めて読み直すことをしなかったが、せっかく開いたので巻頭言を読んでみた。原発に関する記事だったからだ。結論的には反原発なのだろう。それを少しオブラートに包むような感じの、弱めのトーンで書いているのが印象的だった。いずれにしても平成十二年の執筆であることが光っている。今日のように深刻な原発事故が起こってから書いても、それはあと出しジャンケンに過ぎないからだ。

まあ、しかし、このように書くと、今の顕正会を批判しているように読めるかもしれないが、そのつもりはない。顕正会の原発反対表明は立派なものだ。ただ、昨年の福島事故の起こる以前より反原発を訴えている人がいれば、そちらのほうが立派であるという比較相対を言いたいわけである。もちろん、教義上の正邪とは別の意味だが、原発に関する日蓮宗の態度は評価できる。

現在も危機感があるか・・・

失敬とは断っているものの、これは半ば核心を突いている部分かもしれない。何しろ十二年も前のことなのだ。もしかしたら今の顕正会は、当時の勢いが失われているかもしれない、すでにピークを過ぎているかもしれない、という評価があっても不思議はないのだ。

しかし、顕正会が一時期の勢いを失っていたとしても、必ずしも日蓮宗などの伝統宗派が盛り返すことにはつながらないはずなのだ。

さて、そこで顕正新聞第1230号の記事を紹介しよう。

「こんな崇高な葬儀は初めて」と参列者

女子部組長の体験発表である。この人は平成十五年九月に入会。かつて創価学会員だったがすでに脱会していた。また、正宗寺院への参詣も考えていたが、宗門への疑問が払拭できずにいた。そうした矢先に顕正会の折伏を受けたらしい。

この発表の主眼は母親の臨終についてである。ここでは煩瑣になるので文章を省略するが、どうやら自宅で誰も見ていない時に亡くなったらしい。これは一般的に変死と見なされることになる。すると警察による検死が行なわれることにもなりかねず、ひじょうに厄介だ。しかし、記事を読む限り、その辺のことがまったく書かれていない。よって具体的にはどうだったのか不明である。

ともかく話を進めよう。葬儀は顕正会の儀礼室で行なったわけだが、これが参列者から好評だったらしいのだ。

 会社関係者や友人・知人が百名ほど参列してくれましたが、「こんな崇高な葬儀は初めてです」と数名から声をかけられ・・・

あえてイチャモンをつけるならば、「崇高」が不自然だ。一般人はこういう表現を使わない。わたくしならば、こんな素晴らしい葬儀は、とか、こんな感動的な葬儀は、みたいに書く。

それはさておき、わたくしが注目したのはこの続きである。なんと、上掲のごとく感嘆の声を上げていた参列者の中に、後日、身内に不幸があって、「○○さんと同じ葬儀を挙げたいから、紹介してほしい」と言ってきた人がいるのだそうだ。

ここでようやく日蓮宗の話とつながった。

上掲の話が事実であれば、まさに既成仏教の坊さんたちには脅威である。オマンマの食い上げも冗談では済まなくなる。

さて、ここで唐突ながら沖浦氏のコメントを引用したい。

 ありがたげなお経をありがたげに唱えないと、民衆が尊敬してくれません。

 禅宗見ればわかるじゃないですか。
 あの宗派は、経文は月を指さすようなもので、月を見てしまえば指は要らないように、経文は要らない。

 そう言いながら、葬式では僧侶がお経を読みます。


氏の場合は五座三座批判のために禅宗の例を紹介しているわけだが、わたくしはもっと広い意味で考えたいと思う。つまり、一般人の多くは、なんで高いお布施を払ってまで坊主を呼ばなきゃならんのかという、葬儀そのものに対する疑問を内心に懐いている。こうなると、日蓮宗だろうが日蓮正宗だろうが関係ないことになる。一般人にしてみれば宗教の正邪などはまったく眼中にないからだ。

初七日

ご存知のごとく、今は葬式の日にそのまま初七日法要をやってしまうケースが多い。もし本当に意味のあることならば、初七日は七日目にやるべきが筋である。これはたぶん妥協の産物なのだろう。坊さんとしては初七日を七日目にやりたい。しかし、呼んでもらえない可能性がある。今の檀家は信心がないからだ。ゆえに葬儀の後、すぐに初七日をやるという方式が生まれたのだ。これなら檀家も断りづらい。

サンジュウゴンチ

たぶん、わからない人もいると思うが、三十五日法要のことである。たまたま地方の葬儀に行く機会があって、そこでの経験談だ。

その地域では本葬の後、初七日ではなくて三十五日法要をやる。これはどういうことか、わたくしもよくは知らないが、どうやら昔は初七日から始まって二七日・三七日・四七日・五七日(三十五日)・六七日という具合に、七日毎に法要をやっていたらしいのだ。あるいは二・四・六はないのかもしれないが、いずれにしても四十九日法要までにも法要が何回もあったわけである。さすがにこれは現代にはそぐわないので、本葬の後に三十五日をやる。つまり、これで四十九日までは何もしなくていい、という意味らしいのだ。

火葬場直送

これはネットで検索すれば一目瞭然だ。葬式代も高い、坊主への布施もバカらしい、だったら何もしないでそのまま焼き場に行っちゃうのがいちばん安いし、時間も取られなくていい。こういう人がいても不思議はない。実際、増えているのだと思う。ゆえに、そうしたニーズに応じて、葬儀屋も火葬場直送プランを用意しているわけである。

話がエスカレートしてしまったが、言わんとしていることはわかると思う。

もはや時代の流れは止められない。ここ十年から二十年くらいの間で、町の様子が変わった。超高齢化社会を見越してのことだろう、いわゆる葬祭ビジネスが儲かるということで葬祭場の建築ラッシュがあった。わたくしの住む地域は葬祭場が乱立している。しかし、一方で核家族化の進行とか隣近所との付き合いをしない人が多くなってきたりとかで、そんなに立派な葬儀を必要としなくなったのも事実だろう。その極端なケースが火葬場直送ということだ。

顕正会の葬儀が一般人にどのような印象を与えているのか、わたくしには皆目見当がつかないが、あるいは既成仏教の葬儀よりは好印象、いや、控えめに言ってマシということなのかもしれない。

今回の拙稿は大局的な意味で日蓮正宗にも当てはまるだろう。正宗の御僧侶方にも真剣に考えていただきたい事案である。

2012/2/5

やっぱり空前  
乱闘騒ぎが沈静化したところで、顕正新聞の話題に移りたい。第1229号は特に目を惹く記事が見当たらなかった。そうした中で強いて挙げるならば、次の見出しが興味深い。

身延派僧侶はみな浅井先生を知っていた

これは婦人部班長の体験発表だが、まず、彼女は五十年もの長きにわたって身延派日蓮宗を信仰していた。そして平成十七年二月一日に諫暁書に出会った。入会は十九年一月二日だそうだ。
誰の紹介であるとか、十七年から十九年までの約二年間のことなど、その辺がどうもハッキリしないのだが、ともかく顕正会に入ったわけだ。
すると今度は、これまで熱心に通っていた身延山がいわゆる折伏の対象になるわけで、この体験発表には折伏のために身延に乗り込んだ時の顚末が綴られているわけだ。

 現在「日総」と名乗る者が久遠寺九十二代を継いでいると聞いて面会を申し入れましたが、「忙しい」と会うことはできませんでした。

ずいぶん勇ましいではないか。まあ、しかし、アポなしで会おうとするのも無礼な話だろう。曲がりなりにも一宗の貫首であるからして、それなりの手続きを取るのが礼儀というものだ。顕正会の会長だって、いきなり訪問しても会ってくれないだろう。もちろん、マレには気さくな人もいて、けっこうな身分にもかかわらず気軽に会ってくれるようなケースもあるだろうが・・・

それはさておき、わたくしは次のくだりが気になった。

今回、久遠寺で話すことができたすべての僧侶に、浅井先生のことを知らない者は一人もいなかったことに、成仏を教えて下さる先生のご存在がいかに凄いのかと、言葉に尽くせぬほどの畏敬の念でいっぱいになりました。

失礼ながら、短絡思考の見本である。たとえ身延の坊さんたち全員が先生を知っていたとしても、それが必ずしも成仏を教えて下さる存在とはならない。
いわば先生は業界的には有名人なのだ。日蓮宗にとって、顕正会はいちおう研究対象なのだろう。ようは日蓮系の新興宗教という意味で、大なり小なり自分たちに影響を与えかねない存在なのだ。
また、逮捕事件などでマスコミを賑わしたこともある。いわば悪名高い存在が顕正会なのだ。
以上、身延の坊さんが先生を知っていたとしても、悪い意味で名前が知られているに過ぎないという可能性もなきにしもあらずなのだ。それを一方的に、成仏を教えて下さる存在と書いてしまっているところが、いかにも短絡的なのである。

四級試験 11,022名
五級試験  5,724名


さて、今度は教学試験の記事であるが、めずらしいことに、どこにも過去最高とか空前の言葉が見当たらない。

と思いきや、翌号のトップ記事を見て、ああ、やっぱり、である。

教学試験 四級、五級、登用を施行
空前 三万四二一名が真剣熱烈の受験


四級五級は記録を更新できなかったが、登用は過去最高の受験者数らしい。

13,675名

三種目ぜんぶを合わせると三万人を超えるわけだ。

そして同号には五級試験の合格者が発表されている。

2,032名

試験に関しては以上である。

・・・正師に巡り会う

正師に巡り会い・・・


二号続けて上掲のような見出しがあった。原文には、正しき団体・正しき師匠に巡り会えた、というようなことが書かれているわけだが、それを編集部では圧縮して正師と表記しているわけなのだろう。

しかし、正師はいかがなものかと思う。

これはたぶん以前にも指摘したはずだが、編集部は学習効果がないのか、あるいはほとぼりが冷めたと思っているのか、油断しているとすぐにまた始まる。同じことを何度も言わせないでほしいものだ。

2012/2/2

場外乱闘ブログ  
コメント欄が乱闘状態(?)になっているので、読み落しがあったらご勘弁願いたい。

●日蓮正宗佛乗寺の御書拝読 http://www.butujoji.jp/houwa/houwa2306.html

「方便品の長行=法華経方便品第二の長偈のこと。世雄偈ともいう。」


●「新改革通信」(青年僧侶改革同盟発行) http://www.nichiren.com/nkt/122.html

「この「十如是」とは方便品の十如是までのことである。そのあとには、長行が続いており、実は方便品は寿量品より長い。昔は、方便品の長行を読んでいたことがある。」


やはり一般的には十如是以降を長行と呼ぶらしい。

浅井先生はしばしば、本来会員に明かすべきと思われる重大なことを、明かされないままでいます。
正本堂建設の供養を突き返された時もそうです。この時の先生のご心情は「試練と忍従の歴史」58ページの下段に書いてあります。これが先生の考え方なのでしょう。


バーズ博士のこの意見はいかがなものかと思う。

確かに正本堂の御供養についてはおっしゃるとおり、わたくしも先生の心情を素直に汲み取りたいところである。早い話がイジワルというか一種のイジメを受けている状態であり、にっちもさっちも行かない状態だった。いわば中間管理職が上下から板挟みになっているようなイメージだと思う。
しかし、今回の場合は事情がまったく異なるわけで、上述のことは当てはまらない。つまり、相手がいる場合と、そうでない場合の違いである。相手がイジワルをするから困ったことになる。そうした障壁がなければ困ることは何もない。
よって、代表役員のことを全顕正会員に公表して、いったい何の差し障りがあるのか、その積極的な理由が見出せない以上、博士の説明はまったく通用しないことである。

「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す

ところで別件ではあるが紹介したいと思う。上掲は博士の最新のブログである。欠かさず拝見しているが、いつも感心させられる。とりわけ直近の文章が凄かった。わたくし流に言わせてもらえば、ひじょうに面倒臭い文章である。しかし、そのロジックは完璧を思わせるものがあって、これに真っ向から反論を加えるのは相当の困難が伴うと思う。ようするに感情的な反論をすれば失笑を買うだけだし、ロジックで勝負するとなるとたぶん幾らかは己の非を認めないと話を進められないと思うのだ。つまり、議論の大前提はテクニックではなく、正直さだからである。巧妙なレトリックは、対面法論では役に立っても、筆戦では墓穴を掘ることになる。後からゆっくり検証すればインチキがばれてしまうからである。

しかし、わたくしは必ずしも博士に全面的に賛同するものではない。

「冨士大石寺顕正会は絶対に正しい!」と主張するブログ

これが博士の掲げる看板であるが、わたくしの仕事(?)は顕正会の間違いを指摘することである。ゆえに博士とは対立する立場なのだ。しかし、上述のごとく、わたくしは正直であることがいちばん大切なことだと思っている。よって、この部分は顕正会の言っていることのほうが正しいのでは、一方、こちらの問題は宗門のほうが正しいのでは、といった具合に、自分が素直に感じたことをありのままに綴っているわけである。

投稿者:事情通

>顕正新聞の正確な引用が求められるところだ。

それでは、顕正新聞平成2年3月25日号一面より

日曜勤行4月から常盤会館でも
本部会館は一時間間隔で

これまで本部会館における日曜勤行は午前7時から50分間隔で7回にわたって行われてきたが、参詣者が増えてきたため、4月からは常盤会館でも行われることになった。この措置により、本部会館での日曜勤行は一時間間隔6回になり、従来省略されていた寿量品の長行も読誦されるようになる。(中略)なお、常盤会館での勤行には特別に日胤上人御書写の大幅ご本尊が奉掲されるが、同会館の勤行には男子部のみが参加する。(後略)


ということで、平成2年3月までは少なくても日曜勤行では寿量品の長行読誦は省略されていて、「方便品・自我偈・唱題」となっていたのでしょう。ほかの会合がどうだったのかは知る由もありませんが。まぁ、50分サイクルで参加者入替の時間も含めると朝の五座はおろか、長行読誦も時間的にキビシかったのでしょうな。浅井会長の説法の時間も必要だったでしょうし。

ところで、厳虎さんとこからなら国立国会図書館はそう遠くないでしょう。あそこは資料の宝庫ですよ。


なるほど、これはわたくしの記憶違いだったようだ。

ようするに、日曜勤行では俗に言うタンゴン(?)、どうだろう・・・これは顕正会でも言っていないかな、わたくしの所属する組織では先輩が短い勤行のことをそう表現していたわけだが、ともかく事情通氏は前々回、顕正会の日曜勤行はかつて方便自我偈だったと書いた。それに対して、わたくしは違うはずだと書いた。たぶん氏は顕正新聞を読み間違えたのだろう、わたくしはそのように踏んでいたのだ。

ところがどっこい、上掲が結論である。新聞の現物を確認したわけではないが、わざわざ疑う必要もないだろう。わたくしの記憶違いだったのだ。

そこでアヤフヤながらも再び当時の記憶をたぐり寄せてみたい。

今のように通信手段が発達する以前のことである。当時、地方の拠点では一週間遅れで日曜勤行を実施していた。一週間遅れ? たぶん、事情を知らない人にはわからないだろう。ようするに今のように同時中継がなくて、浅井先生の指導は一週間前の録音テープだったのだ。それが今のように同時中継になったのがいつであるか、残念ながらわたくしの記憶の中ではきわめてアイマイだ。

いずれにしても地方拠点では長行も読んでいた。だからわたくしは錯覚していたのだ。本部もそうであると。

ここで素朴な疑問が生まれる。当時の本部参詣者はどのように思っていたのだろうか?

ようするに日曜の朝の勤行はタンゴンでもオッケーだったのか、である。本部参詣者は間違いなく顕正会の中核幹部たちである。彼らはタンゴンで終わりにしていたのか、それとも別に時間を設けて普段と同じ勤行をしていたのか、そこが知りたいところである。

投稿者:信行

むかしは板橋の本部で朝六時四十五分から五座三座をやっていた。初信者もみな五座三座をするようにしていた。いまの会長になり初心者は方便・自我偈に変わった。元妙信講員の証言より。


初心者のことはともかくとして、解散処分以前であれば、五座三座が当然であろう。問題は解散処分以後、具体的にはどのタイミングで五座三座が消滅したかである。この辺はそれこそ国会図書館にでも行って調べないとわからないことだが、わたくしは面倒臭いのでパスさせていただくことにする。元妙信講員の証言が得られれば幸いなのだが・・・

今日はコメント対応だけで終わってしまった。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ