2012/5/21

坊主丸儲け式経済原理の終焉  
わたくしは以前、正本堂解体は日顕上人の大英断、と書いた。しかし、これは創価学会員には不評で、何やら反論めいたコメントを頂戴したような記憶がある。

もし客観的に書くならば、日顕上人による正本堂解体は、よほどの信念と覚悟の上での行動、このように申し上げる以外にないだろう。なぜならば、日顕上人のあそばしたことは坊主丸儲け式経済原理に反することだからである。

正本堂の解体費用+奉安堂建設費用はベラボウな出費である。

通常、寺院というのは長く持たせるものだ。何百年の古刹などと言いながら、それが鉄筋コンクリートのビルだったら格好がつかない。いや、本当は時代に即して建て替えても一向に差し支えないのだが、実は古刹と称してオンボロのままでいることのほうが儲かるのだ。これが坊主丸儲け式の経済原理である。

つまり、日顕上人が金儲け主義を貫徹するつもりであれば、正本堂をそのまま使い続けるべきだった。それならば批判を浴びることもなかったし、余計な出費もせずに済んだのだ。ゆえに、よほどの信念・覚悟がなければ正本堂の解体などはあり得ない。これが客観的な見方だろうと思う。

原発再稼働問題もまた、坊主丸儲け主義的な臭いが感じられてならない。

今、再稼働を云々しているのは、これがいわば最後のワルアガキなのだろう。
なぜならば、このままボヤボヤしていれば、あっと言う間に夏を迎えてしまう。そして大した問題も起こらずに夏を終わることになる。なんだ、原発がなくても大丈夫じゃないか、というのが結論だ。
ゆえに、今の段階で再稼働しなければ、日本の原発はこのまま永遠に稼働せず、自ずと廃炉の道を辿らざるを得なくなるのだ。

わたくしは原発反対の立場だが、原発推進の人が存在しても一向に構わない。ただ、現在の推進派はその多くが惰性で動いているだけであって、信念・覚悟を持って推進している人はほとんど見当たらないのだ。

これはどういう意味か?

ようするに二世三世ばかりであって、一世がいないということだ。ここで言う二世云々は創価学会で使っている意味と同じである。彼ら二世三世は自ら進んで信仰を始めたわけではないので、そこが弱点とされている。これは創価学会員たちも認めていることだから間違いないだろう。
実は原発推進派の人たちも同様であって、彼らの多くはただ単に先輩たちが築き上げてきたレールに乗っかっているだけであって、自らがそのレールを敷いたわけではないのだ。たとえば、電力会社で原発関係の部署にいるとしよう。その人は別に原発がやりたくてそこにいるのではなく、会社の命令でそこに配属されただけなのだ。では、なぜにその会社に入ったか、それは単に給料がいいからに他ならない。
黎明期ないし草創期の人たちは給料云々ではなく、技術そのものに魅力を感じて、その道に入った。いわば新しいものを築くというフロンティア精神が行動原理としてあった。しかし、その後輩たちは単に収入を得る場として、その職場を選んだという場合が少なくないのだ。

学者の場合は少し違う。いわゆる御用学者と言えども、学問として何を志すか、それは自分の意志で選択したはずなのだ。しかし、わたくしの知る限り、推進派には魅力的な人物がいない。

その理由は再稼働の是非にある。

わたくしの思うに、再稼働すべしという学者はアホである。これは真の推進派ではない。本当の推進派ならば、既存の原発をすべて廃炉にし、新規の原発を作るべし、と主張すべきなのだ。もし、これを言っている人がいれば、わたくしは反対の立場ではあるけれども、その人は立派な人物だと思う。まさに信念の人・覚悟の人である。

ようするに既存の欠陥原発ないし老朽原発を動かそうと考えるのがどうかしているのだ。これはまさに坊主丸儲け式経済原理である。

すでに書いたように、今の技術者たちは二世三世なのだ。自分の力で築き上げたわけではない。先輩たちが築き上げたのだ。別の言い方をすると、そこに最初から金儲けの装置があるわけだ。その装置を動かせばお金が儲かる。だから動かしたくて仕方がないのだ。

こういう人たちは装置の動かし方は知っていてもその仕組みを理解していない。ぜんぜん知らないわけではないだろうけれども、一知半解の場合が少なくないのだ。何しろレールに乗っているだけなのだから、深く知る必要もないわけだ。

結果、福島で歴史的な大事故を起こしてしまった。

再稼働問題は電力不足とセットで論じられている。しかし、これはまったく筋違いの議論だ。たとえば飛行機でも船でも、天候不順で欠航になることがある。これはロケットでも同様だが、早い話が理論上百パーセントの安全が確保できなければゴーサインは出ない。欠航は結構だが停電は困るなどと言ってはいけない。まったく同じことなのだ。

今、日本列島は本州を中心として北海道・四国・九州が橋ないしトンネルですべてつながっている。それ以前の時代は、渡し舟だった。これは物凄く不安定で、それこそ天候不順が続けば、完全に交通が遮断されてしまう。しかし、それが当たり前の時代はそれでよかったのだ。電気も同じようなもので、昔はけっこう停電があった。しかし、それが当たり前の時代はそれでさしたる問題は生じなかったのだ。そう思えば今夏の電力不足もそれほど怖くない。

データを検討したわけではないが、基本的には電力は足りていると考えてよいだろう。

物凄く簡単な話である。実は原発が危険であることは推進者たちがいちばんよくわかっている。ゆえに何かトラブルがあるとすぐに止めてしまう。そりゃそうだ。おっかないからだ。当然、再稼働するにしても万全を期して運転に入る。だから原発は昔から稼働率が低いのだ。定期点検で止まる。何かトラブルがあれば止まる。止まってから再稼働までのスパンが長い。その最たるものが「もんじゅ」だ。こんな不安定な発電方法が主力たり得るわけがないし、電力会社もそれは百も承知のことなのだ。

つまり、もともと発電の主力は火力であり、それに水力を足せば、電力供給はほぼ足りる。電力会社も原発が当てにならないことを知っているので、火力・水力ですべてが賄えるように計算しているのだ。

ゆえに、もし推進派で信念を持っている人がいるのならば、ここは仕切り直しをするべきところだと思う。再稼働などとセコイことを言うのではなく、従来の原発を凌駕する新規の原発を開発すべきなのだ。それが技術者の矜持である。

経済問題を盾に再稼働を主張する人がいる。今のままでは日本経済が完全に疲弊してしまうと。これは確かに悩ましい。

安全が最優先、これが再稼働反対派の主張するところではあるが、わたくしの思うに、そう簡単には福島のような事故は起こらない、というのが現実的な思考であろう。安全が最優先とは言え、このまま原発が止まったままだと潰れてしまう会社も少なくないはずなのだ。ようするに地元にとっては死活問題なのだ。事故で福島のようになるのも困るが、今のままでも困る。これが最大のジレンマである。

ただこの答えもおそらくは坊主丸儲け式経済原理にあるのだろう。つまり、既存の金儲け装置に縋り付いていたい、それがいちばん楽だ、という安易な選択なのだ。

今まで原発の恩恵に与ることが出来た。しかし、それはあくまで運が良かっただけの話なのだ。そのように観念するしかない。

わたくしも含めて、時代の大きなウネリの中でどうやって生きるか、それが問われているのだと思う。


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