2012/7/6
言論封殺の実態に迫る
今日はユタ氏のコメントから入ろう。
そして、顕正会で組長までしか行けなかった者は、日蓮正宗でもからっきし……ですね。はい、私がそうです。もし仮に日蓮正宗が会社だった場合、私は書類選考の時点で落とされていたことでしょう。10年間顕正会やってて、組長程度までしかなれず、誓願は立てるだけ立てて遁走。そんな人間、不採用ですな。
宗教は人を救済するのが目的だから、どんなダメ人間でも受け入れる。ゆえに顕正会でも法華講でも、その他であっても、自分から脱退しない限りはそこに居られるはずなのだ。もちろん、組織をかく乱するような危険な人物であれば話は違ってくるが、そうじゃなければ滅多に除名になることはないのだ。結局は自分からやめて行く人が多いのだと思う。
とりわけ顕正会が典型的だ。除名になる人はほとんどいない。ゆえに本当ならば百五十万人の会員がいるはずであるが、現実には数万人しかいない。除名になっていないのだから名簿上は百五十万人いるはずなのだ。ところが現実にはいない。みんな自分からやめて行くのだ。
不思議な話ではある。
救済が目的だから全員を受け入れる。さしたる選考があるわけではない。現場の活動会員の判断で入信が許されるのだ。それでいて会員が増えないのだから、どこかがおかしいのだろう。
検閲という言葉をユタ様がお使いですが、その通りです。御僧侶や法華講の役職者がされているのでもないようです。
僕には書き込みよりもメールで来ます。実際にお寺へ御報告されたようですね。
おそらくそういった検閲をされている方というのは、意見の違いを堂々と述べることが出来ない事情があるのでしょう。実名でなくても、固定のハンネを使うというのはある程度一貫性の証明ですから。
僕は以前、顕正会に居た時は詐称ハンネの常習者でした。ユタ様のブログを荒らしたこともあったように思います。申し訳なく思っています。
そういった反省からもポリ銀で通したいのですが、ポリ銀だと特定されてしまうというジレンマに苦しんでいます。
さて、今度はポリ銀氏である。
氏はブログをやっていたが、つい先日、急に閉じてしまった。まさに急だった。なぜならば拙ブログのコメント欄にリンクを貼り付けてから、わずか数日で閉じてしまったからである。
リンクを貼るのは、ぶっちゃけ宣伝の意味である。宣伝は言い過ぎにしても、自分の存在を広く知ってもらうのが目的のはずなのだ。
もし知られたくないのならば、リンクを貼らなければいい。
これでわたくしが彼のブログ閉鎖にいぶかしさを感じた理由がよくわかるはずだ。普通ならあり得ない話である。たとえばラーメン屋でもいいだろう。新しい店を出した。まだ認知度が低いためか客の入りが悪い。そこで宣伝のために大量のチラシを配った。ところがである。宣伝をしておきながら、なぜかその直後に店をやめてしまった。これは誰が考えたっておかしいだろう。
ポリ銀氏によれば、まさに圧力が掛かったようである。具体的にはメールによる恫喝ということになりそうだ。
しかし、わたくしは思う。
なぜブログを閉じたのか、そのまま続けることは出来なかったのか、と。
僕の考えは異端児かもしれません。
異端児と書いたのはわたくしである。ただ、それはわたくしがそのように思っているというよりは、今の平均的な法華講員から見れば、そのように見えるに違いない、ということなのだ。ここで重要なことは、ポリ銀氏自身もその自覚がある、そんじょそこらの法華講員とは意見が異なることを自覚している、ということである。
だったら閉鎖するべきではなかった。どんな圧力があろうとも、己の主義主張を貫き通す。そうするべきだったのだ。
おそらくそういった検閲をされている方というのは、意見の違いを堂々と述べることが出来ない事情があるのでしょう。
再掲であるが、具体的にはどのような事情があるのだろうか?
わたくしの思うに、ポリ銀氏は相当の論客であって、並みの法華講員ではとうてい太刀打ちできない。つまり、表立って議論すれば、たいていの法華講員が負けてしまう。だから裏に回って圧力を掛けるのではないか?
まあ、しかし、最後に言っておこう。
わたくしはポリ銀氏の肩を持っているわけではない。氏の意見は顕正会寄りである。だから応援していると思ったら大間違いだ。
印象だけで言わせてもらうと、今のポリ銀氏は顕正会員もビックリの極論者である。今の顕正会は戒壇建立に関して、民主的な発想にかなり近づいている。ところがポリ銀氏は違う。あえて使うならば極右と表現してもいいくらいである。
また、わたくし個人の意見としては、今は国立戒壇の名称に拘泥すべきではないと思っている。この点ではポリ銀氏と顕正会は親和的であるが、わたくしとは意見が合わない。
つまり、仲間だとか味方だとか、逆に敵であるとか、そんなことではないのだ。
今回の一件は言論封殺が問題なのである。大袈裟なようだが、もしポリ銀氏が圧力に屈してブログを閉じたのだとしたら、まさに言論封殺そのものである。わたくしが憂慮しているのはこの一事である。
そして、顕正会で組長までしか行けなかった者は、日蓮正宗でもからっきし……ですね。はい、私がそうです。もし仮に日蓮正宗が会社だった場合、私は書類選考の時点で落とされていたことでしょう。10年間顕正会やってて、組長程度までしかなれず、誓願は立てるだけ立てて遁走。そんな人間、不採用ですな。
宗教は人を救済するのが目的だから、どんなダメ人間でも受け入れる。ゆえに顕正会でも法華講でも、その他であっても、自分から脱退しない限りはそこに居られるはずなのだ。もちろん、組織をかく乱するような危険な人物であれば話は違ってくるが、そうじゃなければ滅多に除名になることはないのだ。結局は自分からやめて行く人が多いのだと思う。
とりわけ顕正会が典型的だ。除名になる人はほとんどいない。ゆえに本当ならば百五十万人の会員がいるはずであるが、現実には数万人しかいない。除名になっていないのだから名簿上は百五十万人いるはずなのだ。ところが現実にはいない。みんな自分からやめて行くのだ。
不思議な話ではある。
救済が目的だから全員を受け入れる。さしたる選考があるわけではない。現場の活動会員の判断で入信が許されるのだ。それでいて会員が増えないのだから、どこかがおかしいのだろう。
検閲という言葉をユタ様がお使いですが、その通りです。御僧侶や法華講の役職者がされているのでもないようです。
僕には書き込みよりもメールで来ます。実際にお寺へ御報告されたようですね。
おそらくそういった検閲をされている方というのは、意見の違いを堂々と述べることが出来ない事情があるのでしょう。実名でなくても、固定のハンネを使うというのはある程度一貫性の証明ですから。
僕は以前、顕正会に居た時は詐称ハンネの常習者でした。ユタ様のブログを荒らしたこともあったように思います。申し訳なく思っています。
そういった反省からもポリ銀で通したいのですが、ポリ銀だと特定されてしまうというジレンマに苦しんでいます。
さて、今度はポリ銀氏である。
氏はブログをやっていたが、つい先日、急に閉じてしまった。まさに急だった。なぜならば拙ブログのコメント欄にリンクを貼り付けてから、わずか数日で閉じてしまったからである。
リンクを貼るのは、ぶっちゃけ宣伝の意味である。宣伝は言い過ぎにしても、自分の存在を広く知ってもらうのが目的のはずなのだ。
もし知られたくないのならば、リンクを貼らなければいい。
これでわたくしが彼のブログ閉鎖にいぶかしさを感じた理由がよくわかるはずだ。普通ならあり得ない話である。たとえばラーメン屋でもいいだろう。新しい店を出した。まだ認知度が低いためか客の入りが悪い。そこで宣伝のために大量のチラシを配った。ところがである。宣伝をしておきながら、なぜかその直後に店をやめてしまった。これは誰が考えたっておかしいだろう。
ポリ銀氏によれば、まさに圧力が掛かったようである。具体的にはメールによる恫喝ということになりそうだ。
しかし、わたくしは思う。
なぜブログを閉じたのか、そのまま続けることは出来なかったのか、と。
僕の考えは異端児かもしれません。
異端児と書いたのはわたくしである。ただ、それはわたくしがそのように思っているというよりは、今の平均的な法華講員から見れば、そのように見えるに違いない、ということなのだ。ここで重要なことは、ポリ銀氏自身もその自覚がある、そんじょそこらの法華講員とは意見が異なることを自覚している、ということである。
だったら閉鎖するべきではなかった。どんな圧力があろうとも、己の主義主張を貫き通す。そうするべきだったのだ。
おそらくそういった検閲をされている方というのは、意見の違いを堂々と述べることが出来ない事情があるのでしょう。
再掲であるが、具体的にはどのような事情があるのだろうか?
わたくしの思うに、ポリ銀氏は相当の論客であって、並みの法華講員ではとうてい太刀打ちできない。つまり、表立って議論すれば、たいていの法華講員が負けてしまう。だから裏に回って圧力を掛けるのではないか?
まあ、しかし、最後に言っておこう。
わたくしはポリ銀氏の肩を持っているわけではない。氏の意見は顕正会寄りである。だから応援していると思ったら大間違いだ。
印象だけで言わせてもらうと、今のポリ銀氏は顕正会員もビックリの極論者である。今の顕正会は戒壇建立に関して、民主的な発想にかなり近づいている。ところがポリ銀氏は違う。あえて使うならば極右と表現してもいいくらいである。
また、わたくし個人の意見としては、今は国立戒壇の名称に拘泥すべきではないと思っている。この点ではポリ銀氏と顕正会は親和的であるが、わたくしとは意見が合わない。
つまり、仲間だとか味方だとか、逆に敵であるとか、そんなことではないのだ。
今回の一件は言論封殺が問題なのである。大袈裟なようだが、もしポリ銀氏が圧力に屈してブログを閉じたのだとしたら、まさに言論封殺そのものである。わたくしが憂慮しているのはこの一事である。