2012/7/22

日本第一の御厨が意味するものは?  
前回は沖浦氏よりご賛同をたまわったけれども、さて、今回はどうだろうか?

 大聖人は天皇より幕府を上においておられます。

 『去ぬる建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり』
 (聖人御難事)

 源頼朝が天照大神の宮を立てた時には、彼が政権を持っていなくて天皇に政権があったので、日本で二番目であったが、この御書の時には武家が政権を持っているので、日本一の身はである。

 こう仰せですね。


日本一の身は・・・

たぶん「日本一の宮」と書こうとしたのだろう。上掲はあながち間違いではないが、読み方が浅い、というのがわたくしの感想である。今回はこれがテーマだ。

その前にこちらを片付けておこう。

 立正安国論も、天皇ではなく、時の最高権力者にお出しです。

沖浦氏の所論はポリ銀氏への反論を兼ねていると思われる。

すでに鎌倉時代当時においてすら、天皇には実権がなかった。いわんや今日においてをやである。

すると、どうなのだろう。もし現代に大聖人がましませば、どのような形で諫暁をあそばすのだろうか?

ここには戒壇建立の問題も含まれる。鎌倉時代であれば戒壇建立には勅許が必要だった。先ほど、天皇には実権がなかった、と書いたけれども、それでもなお勅許が必要だったのだ。では、現代においてはどうなのか、それが問題である。

ここで創価学会は民衆立に走った。より正確に言えば、走ったのではなく、逃げたのだ。

今の顕正会は国民投票を主張している。六千万人が賛成票を投じれば戒壇が建つ。こちらのほうが遥かにマシだろう。もちろん創価学会に比べてである。

しかしながら、大聖人の御本意がいずこにあるか、それが見えてこないのも事実だ。

わたくしは念仏宗の勃興がヒントだと思う。彼らは半世紀足らずの間に急成長し、当時の日本を席巻した。彼の宗派は戒壇建立を主張しない。ここが大きな違いだろう。つまり、大聖人は人数の多寡ではなく、それとは別枠で戒壇建立を主張あそばした。わかり難いので言い換えると、単に信徒が増えたから大きな伽藍が必要になったというような考え方ではなく、教義上の絶対条件として戒壇建立を主張あそばした。

このように考えると、今は主権在民だから国民一人ひとりが国主・・・という考え方が主流を占めたとしても、戒壇建立そのものは別枠なのではないか、もちろん大聖人が今の時代にましませば一人ひとりに対する折伏を重視されるだろうけれども、戒壇建立はそれとは別次元のところにあるのではないか、とわたくしには思えるのだ。

そうでなければ念仏宗の勃興とさして変わりがなくなってしまう。だったら鎌倉時代当時においても戒壇建立は不必要としなければ整合しないだろう。

社会情勢の変化は紛れもない事実であるが、戒壇建立が教義の根幹に関わるものであるならば、今も昔も変わらないと考えるのがいちばんスッキリしているのではないかと思う。

さて、そこで沖浦氏に質問してみよう。

之を申すと雖も未だ天聴を驚かさゞるか。

未驚天聴御書は全集未収録なので創価学会員には馴染みが薄いごとくだ。しかし、そんなことは関係ない。これが御書である以上は、都合が悪かろうとも避けては通れない。

・・・立正安国論と名づけき。其の書にくはしく申したれども愚人は知りがたし。

これは本尊問答抄だが、ひじょうに象徴的な御文である。大聖人が真言批判を開始したのはいつかという問題があって、委細に見ればすでに佐前においても批判を展開あそばしているわけだが、ご存知のごとく本格的な批判は佐後のことだ。安国論は念仏批判の書であって、真言批判は見当たらない。それにもかかわらず大聖人は上掲のごとく仰せられるのだ。

いかがだろう、これらの事実を踏まえるならば、天皇よりも幕府が上、というのはいかにも浅読みである。ともかく沖浦氏には未驚天聴御書をどのように拝するのか、ぜひとも見解を聞きたいものである。

さて、次は聖人御難事の冒頭だ。

 去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に・・・

わたくしはこれを八相成道の片鱗であると拝する。すなわち出世の本懐を御述べになられるに当たって、御生まれになった場所かつ立宗宣言の地について云々あそばすことは、まさに下種本仏の御説法そのものである。

このきわめつけは産湯相承であろう。

 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の・・・

ほぼ答えが尽きていると思う。沖浦氏の読み方はあくまで表面上のものだ。日本第二の御厨がなぜに日本第一となったのか。それは下種御本仏の出生の地だからである。

以下、撰時抄・諸法実相抄を拝する。

日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもってすいせよ。漢土・月氏にも一閻浮提の内にも肩を並ぶる者は有るべからず。

一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。

日本ないし一閻浮提第一の意味をよくよく拝するべきだろう。大聖人御出生の地の御厨が日本第一であることは必然とも言うべきことである。


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