2012/9/22

秋近し  
顕正新聞第1252号の残りを片付けてしまおう。

婦人部大会についての諸注意

きわめて常識的なことが書かれている。たとえば、病気・体調不良の場合は参加を強行しないこと、とある。一般人ならば、そんなの当たり前じゃないか、と思うだろう。しかし、顕正会の場合は違うのだ。

活動会員たちにはノルマがある。月に折伏を何名やるとか、そういう目標が設定されるのだ。いわゆる成果主義である。

同様に、各種の集会には結集目標がある。婦人部大会の場合は全体で二万人の結集を謳っているので、当然ながら、活動会員たちにはそれぞれの実力に応じて数字が割り当てられるのだ。

意地悪く言えば、ダブルスタンダードである。

つまり、顕正新聞では常識的な注意事項を書き並べているわけだが、実際には結集のために相当の無理を強いている。病気だろうが体調不良だろうが欠席してはならない、這ってでも来い、ということなのだ。

意地悪く言えば上述のごとくであるが、もちろん、善意に捉えることもできる。

つまり、活動会員たちの暴走を食い止めるためには本部が明確な指針を打ち出す必要がある、ということだ。

実際、本当に具合が悪い場合だとか、もともと病気で体力的に自信がない人もいる。けれども約束した以上は行かなきゃならんと覚悟を決めている人は、まさに這ってでも行くことだろう。しかし、それで万一にも死んでしまったならば、大事件である。その意味で顕正新聞紙上において明確に指針を示すことには大きな意義がある。ようするに不参加の口実というか正当性を、本部が認めることになる。いわば本部のお墨付きを貰えるわけだ。これならば活動会員たちの暴走に歯止めが掛かる。

自己責任という言葉がある。

たとえば遊園地に遊びに行く。そこで病気になったとしても、それは事故自己責任である。

顕正新聞掲載の注意事項の意味は、この自己責任の意味も含んでいる。婦人部大会に行って、そこで病気になったとしても、それは自己責任なのだ。体調不良の場合は来なくてよいと謳っているわけだから、ここで本部の責任が問われることはなくなるわけだ。

これも意地悪く言えば、責任逃れの一手法となるわけだが、しかし、これはきわめて常識的であって、それほど特殊なことではない。どこの組織も同じことを謳っているからだ。

いずれにしても活動会員たちが熱心に参加を呼び掛けるという実態があり、その背後には自ずと本部の存在がある。つまり、本部がそのように仕向けていることも事実なのだ。この辺が責任問題の複雑さなのだろう。もちろん、それは問題が発生した場合のことであって、無事故で終わればそれでいいのだ。

 なんと父の死因である狭心症は、父が原発誘致の仕事に関係したからであると、思わぬことを言ってきたのです。

さて、今度は男子部支隊長の活動報告だ。

この人は入信してから三十年になるという。年齢的にも壮年部系の男子部員であろう。このたび母親を入信させることができた。三十年間の逆縁を乗り越えてだ。ある意味、老いては子に従え、そのままであってそれほど不思議なことではないのかもしれない。先年、父が亡くなった。残った母にしてみれば、息子がどれほど頼もしい存在かと、感ずるものがあったに違いないのだ。ゆえに母の入信そのものよりも、むしろ三十年間も退転せずに顕正会員で居続けたことのほうが特筆すべき事柄なのかもしれないと思う。

それはさておき、上掲の話だ。

わたくしはうっかり読み間違えるところだった。あたかも放射能の影響で狭心症になったかのごとく読めてしまうのだ。しかし、話はぜんぜん違った。

この人の父親は福井県庁の職員だった。つまり、原発推進側の人なのだ。ゆえに職務として地元の原発反対の人たちを説得する役目を担っていた。反対派の人たちを説得するのは至難の業であり、ために心労・ストレスを溜め込んできた。往いてはそれが狭心症の原因となったらしい。

やや疑問である。

いや、狭心症の原因のことではない。顕正会における反原発との整合性に疑問を感ずるのだ。

顕正会は反原発を主張している。ここ一年ばかりは原発関連の話題を頻繁に取り上げている。放射能の危険性についてもかなり詳しく論じている。ゆえにわたくしは上掲を読み間違えそうになった。放射能が原因で狭心症になったかのようにだ。しかし、違った。早い話がストレスが原因なのだ。ここがまさに疑問である。

ようするにストレスが原因の病気はたくさんある。そしてストレスそのものにしてもさまざまの種類がある。原発誘致の仕事がストレスになったのはそのとおりかもしれないが、何もそれだけがストレスなのではない。世の中にはストレスがたくさんあるのだ。

つまり、この人の論理は短絡的であって、まるで説得力がない。あくまで情緒的なことを言っているだけであって、論理的には原発がダメという話にはならないのだ。

せっかくなので原発関連の話題を続けよう。

燃料費増大も自作自演だった!

原発メーカーのGEまで「脱原発」表明


当該号には原発関連のコラムが二つあって、いずれも有意義だった。

上段の記事は東電が子会社から燃料を九倍の値段で購入していたという話である。ヒドイ話だ。普通の会社にはマネのできないことである。本来、商売は安い値段で仕入れて、高い値段で売るものだ。しかし、今は低価格競争の時代なので、高い値段では売れない。すると儲けを出すためにはひたすらコスト削減に努めるしかない。当然、仕入れの値段も下げる以外にない。

それが上掲のごとく、九倍で購入なのだ。しかも子会社から購入という。これが何ともイヤらしい。

そもそもなぜにこのようなことが可能なのか、それは独占企業だからである。電力会社が複数あって、われわれに選択権があれば、話が変わってくる。いわゆる競争原理が働くので、東電も馬鹿なマネはできない。今は競争がないので東電が好き勝手な言い値を付けて、われわれに押し付けているのだ。今月から電気料金が上がったことも、まさに象徴的な出来事である。

もう一つの記事はアメリカの原子炉メーカーが脱原発を宣言したとのことである。この事実関係についてはもう少し見守る必要があるけれども、少なくとも日本よりアメリカのほうが自由な国だとは言えるだろう。自由に発言できること。自由競争の原理が働いていること。

ようするに、ガス火力のほうが遥かに経済的であり、原発には勝ち目がない、と言っているわけだ。

日本だって同じ理屈のはずであるが、なぜかいつまでも原発にしがみ付こうとしている人たちがいて、その力は強大である。実に不思議なことだ。すると、やはりエネルギー問題とは違った側面があるのだろうか?

最後にもう一つ紹介して終わりにしよう。

 「このような野田政権は遠からず崩壊する」
 との先生の仰せを第三十六区一同は身に体し、福井会館建立までに北陸全十四基の原発を廃炉へと持ち込む戦いを、巻き起こしてまいります。


三十六区長の大言壮語である。福井会館がいつ完成するか知らないが、現状では廃炉の道のりは遠い。いや、もちろん、その心意気は立派であり、決して侮るべきものではないが、しかし、もっと現実を見据えてものを言うべきだろう。

建立・・・

この言葉が気になった。いつ頃からだろうか、うっかり見落としていたが、最近は会館建立という表現が目立つようになった。普通、建立は寺院に用いる言葉である。



九月二十九日追記:アホな間違いをした。ダメだこりゃ。


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