2012/11/29

二年前の記事を読み返して  
のん氏には感謝申し上げたい。

顕正新聞のバックナンバーを調べるのは至難の業である。ゆえに、わたくしはハナッから諦めていたわけだが、ご教示をたまわった以上、今度は逆に現物を確認しないことには失礼に当たるだろう。そこでダンボール箱に無造作に入れてあった顕正新聞を引っ張り出してみた。くだんの記事は第1183号の六面に掲載されていた。

読み返してみた。しかし、記憶にない。たぶん、頭が悪いのだろう。それが結論だ。

しかしながら当該号は拙ブログでも取り上げている。号数を検索窓に入れると、二件のヒットがある。それらを読み返してみたが、当該記事にはまったく触れられていない。

自分のことながら、なぜなのか不明だ。

隣の記事の「不動の北極星」には言及しているので、確実に読んでいるはずなのだが、取り上げることはなかった。何しろ記憶にないくらいなのだから、どうしようもない。

ここで今さらながら二年前の記事を紹介しよう。

彼女は婦人部の支区長補だった。入信より三十年と書かれているので、わたくしよりも先輩だ。重い喘息を患っていたという。しかし、その役職が示すごとく、活動には熱心だった。最期は自宅で座談会を開いている最中、突然のことだったらしい。救急車で病院に運ばれ、そこで心肺停止が確認された。しかし、実際にはすでに自宅で亡くなっていたわけだ。

 亡くなる十日前、支区長補は東京まで折伏に行き、その後、その対象者が諫暁書を拝読して入信決定したため、亡くなる三日前、支区長補は入信勤行のため東京会館まで赴きました。

改めて読み直すと・・・というよりも、実際には初めて読んだも同然なのであるが、ともかくこの部分が目を惹いた。理想的な折伏を実践している人だったのだ。たぶん、平均的な活動会員であれば、せっかく遠くから来たのだから決め切らないとムダになる、と思うに違いないのだ。それが強引な折伏につながってしまうわけである。しかし、彼女は相手に考える時間を与えた。活動会員の心理としては、なかなか出来ることではないはずである。

まあ、しかし、一時期の逮捕事件報道の連発からすると、最近はずいぶん静かなので、強引な折伏は少なくなったのかもしれない。

さて、今日は第1258号を取り上げよう。

黒石会館(青森)新本館御入仏式 厳修

十一月十一日のことだ。一面下段には会館の全体を俯瞰する写真が載っている。なかなか立派な建物だ。旧本館・別館を合わせると全長七十五メートルに及ぶと書かれている。確かに壮観だ。紙面右側には建物内部の写真がある。けっこう広い。なるほど、八十五畳の礼拝室だそうだ。

七面にも写真が掲載されている。三枚ずつ二段に配されているが、どれもいい写真だと思った。上段の中央、女子部員たちであろうか、会館を見上げている表情が明るく清々しい。また、左下の写真は先生の講演中だろうか、最前列の錚々たる幹部たちの表情が、物凄く穏やかで清々しい。

問題はその上の写真だ。

いや、大した問題ではないのだが、ユタ氏が先日、関東からも応援が来ている旨の発言をしていた。これに関連する写真なのだ。

当該写真には大型の観光バスが写っている。

ボディに書かれたロゴだとか、ナンバープレートが判読できればいいのだが、ちょっと難しそうである。ゆえに、まったくの当てずっぽうに過ぎないが、おそらくは秋田の顕正会員が団体で来たのだろう。これは六面に載る第五婦人部長の記事を読むと、何となくわかるはずである。かつて彼女は黒石会館に毎週のように通っていたという。その浅からぬ因縁からして、秋田の婦人部員たちが団体で来ただろうことが窺えるのだ。

さて、今日の最後は、十月度班長会における副総合婦人部長の記事だ。

 久遠元初、法華経の会座、そして今と、時空を超えた下種の御本仏の御化導が、いま先生のご指導を通して不思議なほど命に響きわたります。

物凄く悩ましい。御相承書には久遠・中間・今日という表現が出てくる。上掲は何となく似ているような気がするけれども、本人はそれを意識して書いているのだろうか?

問題は「今日」だ。上掲で言えば、「そして今」の部分である。たぶん平均的な顕正会員であれば、というよりも平均的な読解力であれば、「今現在」の意味に受け取るはずなのだ。

おわかりだろう。もしそうであれば、副総合婦人部長は大聖人の御在世をすっ飛ばしてしまっていることになるのだ。アゲアシ取りの気味がなくもないと承知しつつも、あえて取り上げた次第である。

2012/11/27

出現は失言  
のん氏よりコメントをたまわった。

福島の座談会で亡くなった支区長補の方の時の状況も総幹部会で発表されてます。3??4年前くらい?だったと思います。
会津に会館を建てて頂こうと頑張ってたそうですけど…その会津に来年?会館が建つ予定みたいですが…
ちなみに亡くなった方は、浅井会長の長男の奥さんのお姉さんらしいです、なので浅井一族とは親戚ということになります。


三年ないし四年前の総幹部会で発表されたのであれば、わたくしの記憶に残っていてよさそうなものだが、まったく憶えていない。

拙ブログの過去の記事を検索してみても出てこないので、これはたぶん記憶喪失ではなく、ハナッから記憶していないのだろう。ようはインプットされなかったのだ。

わたくしの読み落としだろうか?

あるいは顕正新聞には掲載されなかったということか?

いずれにしても上掲の後半部分は特殊な情報である。浅井家の親戚だという話が、まさか公に発表されたことだとは思えないので、のん氏の独自の情報なのだろう。それとも組織内では誰もが知っていることなのだろうか?

わたくしは顕正新聞の愛読者(?)である。ヘタな活動会員よりも熱心に読んでいる。それが拙ブログのネタになる。こんなことを何年にもわたって続けてきた。ゆえに数年前の出来事ならば必ず取り上げているはずなのだが、くだんの話に限ってはどうも完全に抜け落ちてしまっているごとくである。

唯一、可能性として考えられるのは、教義論争中だったことだ。この時は顕正新聞のネタを取り上げる余裕がなかった。

であれば、その時期の顕正新聞を読み返してみれば、あるいは記事を発見できるかもしれない。しかし、ひじょうに面倒臭い作業だ。

そういうわけで甚だ横着であるが、もし当該記事をご存知の人がいれば号数をご教示願いたいと思う。

さて、今日は顕正新聞第1257号だ。

当該号は十月度総幹部会の記事を中心に組まれている。二面三面は会長講演だが、これはさして取り上げることもないだろう。わたくしは講演よりも、そこに掲載されている写真に驚いた。舞台の袖と呼ぶのだろうか? よく知らないが、ともかく今まで見たこともないようなカメラアングルの写真が二面下段に掲載されているのだ。壇上だけでもざっと数百席、椅子がぎっしりと並べられていて、そこに幹部たちが座っているわけである。これは壮観だ。たぶん一般の人が見ても、ギョッとする光景なのではないかと思う。つまり、普段は正面からの写真があるわけで、これも幹部たちがズラッと並んでいて壮観なのだが、実は舞台の袖の観客席からは見えない位置にもたくさんの幹部が鎮座(?)ましましているのだ。今回はそれをあえて強調する目的で、今までとは違った角度からの写真を掲載したのだろう。確かに凄い光景である。

しかし、今回は第一面にとてつもないミスがあった。

このとき始めて日本は。亡国の渕より救われるのである

これはもう、どうしようもないミスだ。なんでこんなミスをするものかと思う。

ようするに当該部分は会長講演の要約なのであるが、いくらなんでも句読点がおかしいだろう。では、実際の会長講演をご覧に入れよう。上掲に相当する部分は三面の以下のくだりである。

このとき始めて日本は、亡国の渕より救われるのであります。

マルか点かの違いだが、これはもう小学生レベルの国語力の問題である。二十万部も刷っている新聞がこんなテイタラクで恥ずかしくないのかと言いたい。

さて、次は第五婦人部長の記事だ。

浅井先生は只ならぬ宿縁をお持ちになり、大聖人様の御遺命実現のお手伝い申し上げるために出現されたお方と拝察・・・

実現のお手伝い申し上げる・・・

言い回しがやや気に入らない。間違いではないのかもしれないが、わたくしならば「実現を」とするか、もしくは「実現のお手伝いを」したいところだ。

いやいや、そんなことが書きたかったわけではない。

出現されたお方・・・

これが物凄く気になるのだ。出現は現代国語でも使う言葉なので、その意味では目くじらを立てることはないのかもしれないが、しかし、ご存知のごとく仏法の世界ではかなり重要なキーワードなのだ。

お手伝いを申し上げる立場なので、いわゆる会長本仏論とは違うのだろう。では、いったい何なのだ、と聞きたいところだ。

当該号には類文がある。こちらは第七男子部集会における第七十三隊・第九十隊長の登壇である。凄い肩書きだが、それはさておき本文を紹介しよう。

まさに先生こそ大聖人様が広布最終段階に呼び出だされた只ならぬお方、仏法上の大使命を持ったお方である・・・

やはり大聖人より呼び出だされたわけだから、会長本仏論ではないのだろう。では、いったい何なのだろうか?

本日の結論を書こう。

もし浅井先生の陣頭指揮によって広宣流布が達成されれば、上掲のことはそれなりの意味を持つことになる。しかし、達成されずに終わったら、いったいどういうことになるのか、である。

浅井先生は、只ならぬ人ではなく、タダの人だった、ということになるのだ。

2012/11/26

婦人部大会関連最終稿  
昨日は更新作業中に桜月氏よりコメントが寄せられた。具体的な文言は省略させていただくが、ひじょうに含蓄のある文章である。本部関係者は心して読むべきだろう。

さて、沖浦氏とのび太氏からは、引き続き選挙関連のコメントを頂戴しているわけだが、今日は別の話題である。

婦人部大会参加の組長が美事な臨終
 「臨終只今にあり」を深く命に刻む


顕正新聞第1257号六面右側の記事の見出しだ。十月度総幹部会で婦人部津軽支区部長が発表したものである。

九月二十三日に、さいたまスーパーアリーナで婦人部大会が行なわれた。この時、会場で一人の女性が亡くなった。上掲の記事はその一部始終を伝えるものである。

まず、事実関係として重要なことは、会場で亡くなったのか、それとも病院で亡くなったのか、である。

我々が日常的に新聞やテレビのニュースで見聞きするのは、病院に搬送された後、そこで死亡が確認された、といったニュアンスの報道である。たぶん、これは死亡の診断を下せるのは医師だけだからなのだろう。極端な話、轢死だとか白骨化しているとか、ここまで行けば死亡診断を待たずとも死は確定であるが、内科的な疾患による心肺停止の場合は素人が安易に死を断定するわけには行かないのだ。ゆえに、今回の一件も厳密には病院で死亡が確認されたのだろう。

しかし、これはいわば法的な問題であって、現実的にはすでに会場で亡くなっていた。具合が悪くなって病院に搬送されてそこで亡くなったのではなく、すでに会場で事切れていた。今回の記事はそのことを包み隠さず書いているのだ。

 ○○組長は平成三年の入信以来、六十四歳になる今日に至るまで二十年、病弱の体ではあっても、ただ一筋に信心を貫いて来た人であります。

六十四歳は若い。

もちろん老少不定であるし、病弱と書かれている以上、簡単には言い切れないが、しかし、現代感覚ではまだ若い部類に入るのではないかと思う。

 婦人部大会への参加も、当初は「体力的に自信がない」と躊躇しておりましたが・・・

結果論ながらも、やはりここが問題である。本人が躊躇していたものを誰かが説得したわけだろう。やはり無理をさせるべきではなかった。これが結論である。

以下、少々長いが大事なところなので紹介したい。

 この際、偶然にも会館出仕をしていた娘さん二人に見送られ、車中ではいつもより元気に感激を語り、会場に到着するや、十時間にも及んだ長旅の疲れなど微塵も感じられず、美味しそうに芙蓉茶寮のお弁当を食べ、大会の開始を待っておりましたが、その中で、着席したまま意識を失い、そのまま静かに息を引き取ったのでした。

この後、病院に搬送されたわけだが、そこでの医師の発言が次である。

 「この人の心臓は、いつどうなってもおかしくない状態でした。青森からバスで来たことは全く関係ありません。むしろ多くの知人がそばにいる中でのことで、本当によかったです」

いつどうなってもおかしくない状態?

掛かり付けの医者が言うのならばわかるが、それ以外の医者がすぐにわかることではあるまいと思う。ましてや、すでに心肺停止している状態なのだ。つまり、聴診器を当てて心音を聴くことも出来ないのだ。

青森からバスで来たことは全く関係ない?

甚だ不審である。十時間もバスに揺られていれば、健康な人でも相当に体力を消耗する。いわんや体力的に自信がないと本人が言っていたのだ。ゆえに全く関係ないは言い過ぎだろう。少なからず影響があったと考えるのが常識というものだ。

以上、当該医師の発言の真偽の程はわからないが、わたくしは違和感を拭えなかった。

 福島の座談会の席上、長年病身で体力が衰えていた○○支区長補が・・・

これは同じ記事の中に出てくる文章である。わたくしはうっかり失念してしまったらしく、この話をまったく憶えていない。なんと座談会の真っ最中に亡くなったという話なのだ。あるいはこれが初出なのだろうか?

さて、今回の一件を考えるに当たって、参考になる記事が前号に出ているので紹介しておこう。

嫌々大会に参加した人が大会後は折伏に立ったり・・・

大阪支区部長の記事だが、いわばこれが大会を開く目的である。亡くなった人は体力的に自信がないと言っていた。ここでの嫌々参加した人とまったく同じとは言えないにしても、少なからず通じるところがあると思う。この背後には参加を推進する活動会員たちが存在するわけだ。

本部は通達を出した。無理な参加はするなということだ。

つまり、本部の言っていることと、現場のやっていることは違うじゃないか、本音と建前、まさにダブルスタンダードだ、という批判が成り立つわけである。

けれども最後に、兵庫支区部長の記事を紹介しておかねばなるまい。

 さらに今回、信心で受け止め参加を断念した人の心も、大会には共に参加させて頂けたのだと確信し・・・

具体的にはどのような線引きが行なわれたか、そこがひじょうに難しいところなのだろう。第1258号には佐渡より後期高齢の婦人部員が多数参加した旨の記事が載っている。すると、くだんの六十四歳の婦人はますます若く感じられるわけで、まさかこんな事態になろうとは誰も思わなかったに違いないのだ。一方では上掲のごとく、本人は参加したかっただろうけれども、説得の上で不参加を余儀なくされた人もいるわけである。こうした一つひとつの事案を本部が判断することは不可能であるから、結局は現場サイドの判断に委ねるしかない。すると繰り返しになるが、現代感覚では六十四歳の人が急死するとは誰も思わない。しかし、結果的には亡くなってしまった。

悔やまれる出来事だ。

2012/11/25

諸氏のコメントを受けて  
拙ブログは独白を看板に掲げている。なぜ独白なのかについて説明すれば、最初の頃は認知度が低く誰もコメントを寄せないので、まさに独白そのものだった。実はその頃から、もし仮に面倒臭いコメントが来たら、それを無視しようと考えていた。それが独白の意味である。

しかし、時間が経つと変わって行くもので、今では各方面から種々のコメントを頂戴するようになり、わたくしもそれなりにけっこう応えている。

自画自賛を言わせてもらうと、拙ブログはアク禁を使ったことがない。ゆえに、時には都合の悪いコメントも寄せられるが、それらもすべて掲示されることになる。

そこで本題だ。

高速太郎氏より返信があった。もはや時間のムダだとは思うが、しかし、ここで終わらせるのも何となく消化不良のような気がするので、もう少し続けたいと思う。

前回のコメントに書かせて戴いたように、私から、宇宙と言った訳ではなく、厳虎さんの発言からそのように成ると指摘した迄です。

見事なスリカエだ。

まず、余談から始めよう。高速太郎氏は舌足らずである。こういう議論は当事者同士はまだしも、第三者には何が何だかさっぱりわからないものなのだ。

 私の8月からのコメントをお読み戴いている皆さんには、厳虎さんのこの指摘は、何の意味も無いことをご理解頂けると思います。

たぶん、ご理解いただけないのではないか?

つまり、どれほど面倒でも省略せずに最初から説明しないと、おそらく第三者には理解できないのだ。

しかし、ここでさらなる難関が待っている。ようするに文章が長いと読んでもらえないのだ。説明者は面倒臭がって話を端折ってはいけないが、さりとて第三者がそれに付き合ってくれるとは限らないのだ。話が込み入っていていかにも面倒臭そうな文章であればハナッから読まない、そういう読者も少なくないのだ。

現実に他のコメント投稿者は、高速太郎氏とわたくしの議論にほとんど口を挟まず静観している。これはお行儀よく観戦しているというよりは、何を議論しているのかさっぱりわからないので口出ししたくても出来ない、もしくはあまりにもクダラナイので無関心、ということだろう。

高速太郎氏はこの点をよく自覚して投稿すべきである。拙ブログは連日百人以上の人が訪れる。個人のブログとしてはそれなりの数字だろう。この点も自覚しておく必要があるはずだ。

話を戻そう。以下は今月六日の拙稿である。

この際、一つ決着をつけたい。一閻浮提のことだ。

高速太郎氏は一閻浮提を宇宙全体のことだと言っていた。わたくしは地球のことだと言っているわけだが、氏はこれについて何も言わない。しかし、この際だから、はっきりさせたいと思う。

高速太郎氏は自分の間違いを認めるのかどうか、である。


この日、高速太郎氏よりさっそくの返信があった。

2〜3日忙しい日が続きますので、申し訳有りませんが、小刻みの投稿になる事をお許しください。

(中略)

 特に、撰時抄を読めば、一閻浮提は地球じゃないかと、厳虎さんに言われそうですが、続きは、また後にさせてください。

いかがだろうか。この段階ではまだ一閻浮提宇宙説を論証するつもりでいたように思われるのだ。

ところが三日後には、次のごとくコメントしている。

 まず、私の投稿をしっかり読んで貰いたいのですが、私は、一閻浮提が地球とも宇宙とも言っていません。

今さら何を言うのか、もし言うのであれば三日前である。

つまり、当初は一閻浮提宇宙説を論証するつもりだった。しかし、それが無理だとわかったので、論点のスリカエを行なった。傍目にはそのように見えるのだ。

厳虎さんは、一閻浮提を地球と言っておられますが、過去の記事内容からは、一閻浮提が宇宙となってしまいませんか、と問いかけているのです。

まさにスリカエそのものであって、あえて説明の要もない。

私から、宇宙と言った訳ではなく、厳虎さんの発言からそのように成ると指摘した・・・

再掲であるが、まさにここがポイントだ。では、高速太郎氏に問いたい。「指摘した」のはいつのことか、である。当然、拙ブログのコメント欄にその記述が存在するわけだろう。それを明示すべきである。

 また、一閻浮提は、全世界もしくは宇宙全体ととらえているのですか。

そもそもの出発はここである。確かにこれは質問なので、これが直ちに高速太郎氏の主張とはならない。そんなことは誰だってわかることだ。しかし、この後の氏の主張をつぶさに拾っていくと、氏は明らかに一閻浮提宇宙論者なのだ。逆にわたくしは御書に基づいて、一閻浮提は地球であると主張してきた。

ゆえに再々掲で恐縮だが、

私から、宇宙と言った訳ではなく、厳虎さんの発言からそのように成ると指摘した・・・

というのが事実であれば、その具体的な文言を明示すべきである。

以上、ここで相手にバトンを渡したい。

さて、ついでと言ったら失礼であるが、その他のコメントにも応じておきたい。

参加者は現地代表幹部1000名とありますが、私も経験者だから言えますが、いやはや、関東からもそれなりの人数が参加しているかと思われます。

それなりの人数とは具体的にどの程度をお考えであろうか?

後日、顕正新聞の記事を取り上げるつもりだが、今の段階でわたくしの意見を書いておくと、関東からの参加者は主要な幹部のみだと思う。応援の意味ではせいぜいが秋田や岩手から、たぶんその程度で間に合うはずである。

だって、そりゃそうだろう。

そもそも会員のいないところに会館を建てるわけがない。ましてや会館の規模を大きくしたのは、それなりに会員が増えてきたからに他ならない。ゆえに県内だけでもそこそこの人間は集まるはずなのだ。

逆にむしろ隣県の顕正会員は、浅井先生に会う絶好の機会なので、自発的に出掛けたとも考えられるのだ。

管理人さんも、いつか日蓮正宗に入信することがあるかは分かりませんが・・・

自分自身もよくわかっていないが、法華講の諸氏とは面識こそないものの、こうしてネットを介して知己を得ることが出来たので、いずれはお世話になる日が来るかもしれない。

のび太の勝利宣言は34議席全員当選である。

これは大いに賞賛されてしかるべき発言だ。

公明党は全員当選が原則なのだ。勝てる見込みのない選挙区には立てない。まさに勝てる見込みがあるからこそ立候補するのだ。ゆえに、のび太氏の発言こそが正論なのである。

しかも、あながち無理な皮算用ではなく、それなりに可能性のある話だと思う。

わかりやすく説明すると、民主党には落胆した、さりとて自民党にも戻りたくない、ということで今は第三極に期待が集まっている。しかし、こうした新興勢力をどこまで信用してよいか、やや不安な面もある。何しろクセモノぞろいというか、アクの強い人物がたくさんいる。群雄割拠と書けば聞こえはいいが、現実には政党が乱立してしまって、有権者にはよくわからない構図になっているのだ。

立候補者が乱立すると、票が割れる可能性がある。すると、公明党のような組織票のしっかりしているところが有利、という見方も出来るわけだ。

さて、最後は沖浦氏だ。

オマエは選挙活動しないのだから黙ってろ、という意見があってもよさそうなものだが、氏に対してそこまで過激な発言をする人はいないようだ。

わたくしの思うに、言論の世界は言っていることが正しいか間違っているか、である。もちろん有言実行が理想ではあるが、それはまた別次元のことであって、さしあたっては言っていることの是非が問われるのだと思う。

その意味で、他の創価学会員は氏に対して大いに反論するべきだと思うが、誰も何も言わない。忙しくてそんなヒマはないのだろうか?

ともかく沖浦氏のコメントはけっこう難しい問題を孕んでいるので、わたくしとしては後日を期したいと思う。

2012/11/19

諸兄のコメントを読んで  
選挙の話題はこの先いくらでも書く機会があると思うが、現段階におけるわたくしの関心を書いておくと、やはり公明党がどのような結果を出すか、そこがひじょうに気になるところである。

顕正会では同党が負けることを期待している。たぶん日蓮正宗も同じだろう。

一方、創価学会の人たちは絶対に負けるわけにはいかないと思っているはずだ。

それは当然のことだが、しかし、この事案は選挙後の評価・判定がひじょうに難しい。
ご存知のごとく、前回の総選挙で公明党は大敗した。大幅に議席数を減らしてしまった。ゆえに今回の選挙では党勢挽回を期して戦うことになるわけだが、具体的にはどの程度まで回復できるかが問われる。
しかし、前回比で考えるか前々回比で考えるか、この違いだけで評価が大きく変わってしまうので、そこがひじょうに難しいわけである。

顰蹙を覚悟で、今のうちに結果予想を書いておこう。

前々回比で負け、前回比で勝ち。これが妥当なところではないだろうか?

そして創価学会員は勝った勝ったの大合唱、顕正会員や法華講員は負けた負けたと囃し立てる。もちろん、先のことはわからない。しかし、何となく結果は見えている。わたくしだけでなく、おそらくは多くの人が同じような予想を立てるのではないかと思う。

ともかく今は公明党の影が薄い。他に話題の政党がたくさんあって、その陰に隠れてしまっている観が否めない。

さて、今度はバーズ氏だ。

琴はわざわざ買わなくても、レンタルをやっている店から借りればいいのです。ついでに衣装も。
琴、ハープ、コントラバスなどの大型の楽器は、レンタルやってます。

それと顕正会には楽器を保管する施設は無いでしょう。特に木で作られた楽器の保管場所は、温度・湿度を一定に保つ必要があります。

そういうわけで、顕正会は琴は買わないと思います。


さすが顕正会擁護派だけのことはある。

わたくしは顕正会で相当数の琴を購入しただろうと書いた。会員からの浄財を使ってである。ゆえに、今回の婦人部大会のような場で活用しなければおかしい、税金のムダ遣いならぬ浄財のムダ遣いだ、という意味のことを書いたわけである。

いわば上掲はそれに対する反論なのだろう。琴は買っていない。レンタルだ。ゆえにムダ遣いはしていないと。

おそらく客観的には引き分けなのだろう。つまり、わたくしも推測、バーズ氏も推測、どちらも証拠があるわけではないのだ。そう考えると、今回は最初から引き分けに持ち込む作戦だったようにも思える。さらに穿った見方をすれば、バーズ氏は巌虎の言いたい放題にクギを刺す目的でコメントした、とも受け取れるところだ。

ついでに衣装も。

再掲だが、すでにお気づきの人もあろうかと思う。衣装はレンタルではなく、会員有志による手製なのだ。

 また、演奏の陰では、音響、映像、舞台転換など、多くのスタッフの方々が支えて下さり、軍楽隊の素晴らしい衣装も同志の方々が徹夜で縫って下さったとお聞きしては涙が溢れ・・・

これは芙蓉楽団・講師の記事である。

 そして女子部の同志が手作りで作製して下さった素晴らしい衣装・・・

こちらは冨士軍楽隊講師の記事だ。

ということで、この件に関してはそもそもがユタ氏のコメントが間違いだったわけで、そこにバーズ氏が乗っかってしまった格好である。何とも皮肉な結果である。

いずれにしても琴のほうは不明のままだ。

さて、婦人部大会関連ではまだ懸案がいくつか残っているわけだが、今日は備忘録の意味で書いておきたい。

大会当日の男子部・女子部の献身的なサポート

これは衣装の話とリンクすることだろう。会場には総勢九百人のボランティアスタッフがいた。いわゆる手弁当というヤツだ。顕正会の集会は基本的にすべてがそうなのだ。

もしこれが歌手などの有料コンサートであれば、すべてがギャラで動くことになる。衣装もそうだが、演奏する人たちもそうだ。その他のスタッフも同じことである。ようはその費用をお客さんが払うのだ。

この辺が顕正会と世間一般との違いだろうか?

私には夢がある。天生原への御供の帰り道、冨士軍楽隊は全顕正会員の先頭に立ち、思い出の曲を演奏してほしい。それを聞くのが、私の夢である

これは大会終了後の舞台裏である。浅井先生は雷門会・冨士軍楽隊全メンバーを集め、上掲のごとく発言した。

夢・・・

う〜ん、何とも言い難いところだ。

最後に九月度班長会における総合婦人部長の記事を紹介しよう。

 浅井先生は、大会開始前に御挨拶に伺った代表幹部に
 「先陣を承る大事な婦人部大会を、第六天の魔王が狙わぬはずがない。きょうの雨は第六天の悔し涙」とにこやかに仰せられましたが、この雨すら、炎天から婦人部が守られたこと、また前後の日曜日も台風であった事を思えばすべては大聖人様の御守護と浅井先生の強きご一念に守って頂いたとの、有難さで一杯であります。


ツッコミどころ満載の文章だが、やめておこう。

2012/11/16

諸兄のコメントを拝して  
わたくしは先般、高速太郎氏に問うた。それはただ一点、己の間違いを認めるかどうか、だった。これについて氏より返答があったわけだが、わたくしには納得しかねるものだった。そこで少し質問を変えて、再度、問いたい。

高速太郎氏は、己の間違いに気付かずにいるのか、それとも単に間違いを認めたくないだけなのか、である。

間違いに気が付かないとすれば、それはこちらにも原因がある。ようは説明がヘタで伝わらないということだ。ならば、わたくしとしてもどうやって伝えるか、それなりに努力する必要がある。しかし、間違いを認めたくない、ということであれば、もはや時間のムダだろう。ゆえに、ここはハッキリと答えて貰いたいところである。

以上、高飛車な物言いで恐縮だが、これを最終確認としたい。

今日はこれで終わり・・・と言いたいところだが、せっかくなので、もう少し続けよう。

 お琴で幹部の失脚がわかるのですか?

いい質問だと思う。ようするに内部の人間と外部の人間の差がよく出ているのだ。極論すれば、たとえば北朝鮮でもいいだろう。平均的な日本人ならば、かの国のトップの名前くらいは知っている。しかし、よほどの専門家でもない限り、それ以下の人事についてはほとんど知らないはずだ。ようするに顕正会にもそれが当てはまるのだ。創価学会員や法華講員ならば浅井昭衛くらいは知っているかもしれない。しかし、男子部長だとか女子部長、あるいは婦人部長など、知らなくて当然なのだ。

創価学会は大組織であり、聞くところによると芸能人もたくさんいて、彼らだけでも集会が開けるほどらしい。一方の顕正会には芸能人がいない。まったく存在しないわけではないだろうが、わたくしはほとんど聞いたことがない。ウワサ話のレベルで、誰々は顕正会員なんだよ、とは聞くものの、その真相は不明である。

そうした中で、今回は藝大の出身者と思しき三人が顕正新聞に登場した。その中の一人は昔から活躍している人で、顕正会における重要行事において、その歌唱を披露してきた。

そこでわたくしはお琴の先生を思い出したのだ。

上述のごとく、顕正会には芸能人がいない。芸能人に限った話ではなく、いわゆる有名人がほとんどいないのだ。ゆえに、お琴の先生といったレベルでも、けっこう注目されるわけである。

やがて彼女は顕正会で総合女子部長となる。まさに最高幹部である。ところがわずか数年でその座を降りることになった。それ以降の消息は不明である。今回、琴の演奏がなかった。これはアヤシイことだ。彼女は失脚したのだろう。すでに退転しているかもしれない。

もちろん、失脚云々はわたくしの推測に過ぎないわけだが、ここでユタ氏のコメントを取り上げたい。

でも、相変わらず、楽団の予算は多額にあるようですね。軍楽隊の衣装代だけで、いくら掛かったのでしょう?私も職業柄、似たような服装をしていますが、1人辺り5万円くらいはするのではないでしょうか。もし仮にオーダーメイドだったら、もっと掛かっていると思います。
そもそも、わざわざ何で高い制服・制帽(これが一番高い)という格好の軍楽隊なのか、そこが意味不明なところです。


顕正新聞のバックナンバーを調べれば、琴の演奏風景が写真に残っているはずだ。演奏者は複数いた。当てずっぽうながら、二十人くらいはいたかもしれない。琴は楽器の中では大きいほうだ。個人で購入するのは経済的な問題も含めて、けっこう難しいはずである。つまり、顕正会で相当数の琴を購入しただろうことが想像されるのだ。

予算がたくさんあるかどうかはわたくしの知ったことではないが、ともかく元をたどればそれは会員の浄財なのだ。いわゆる広布御供養である。

この意味で、琴を会館の物置でホコリを被せたままにしておくのはどうかと思う。やはり重要行事の折には演奏を行なうべきが筋だろう。もし、それが出来ないとすれば、その理由は何か、ということなのだ。

これで沖浦氏のような外部の人間にも、わたくしが失脚ないし退転と書いた意味がわかるのではないかと思う。

我ながら、面倒臭い文章を書いているものだ。しかし、物事を正確に伝えるためには、それなりの紙数を要するわけで、これを面倒臭がっていたら文章は書けない。これは対話・議論も同様だろう。自分の考えを相手に伝えるのは大変なことなのだ。

4面か5面に掲載されている写真も異様です。

壇上幹部が伏せ拝しているなかで登場してくる浅井先生

フェイクが喜びそうな写真ですね。(笑)


いつの顕正新聞なのか、それが不明だ。婦人部大会であれば、第1255号の六面にたくさんの写真が掲載されている。おそらくはその中の一つのことであろう。

浅井先生が得意としている万歳ポーズの横で、幹部たちが例の伏せ拝もどきの伏せ拍手をしている図がある。

確かに異様だ。

政治は、年内解散が濃厚になってきました。

十二日の晩のコメントだ。いわゆる政界は一寸先は闇の世界である。ゆえに、わたくし自身は半信半疑だった。

2012/11/14 23:15
投稿者:のび太

アッと驚く為五郎!?

今日の党首討論で野田総理が11月16日衆議院解散を宣言


のび太氏の勘の鋭さというか、アンテナの敏感さをよく示している。もっとも創価学会員であれば、誰もが敏感にならざるを得ないのかもしれないが・・・

沖浦氏を除いての話だ。

2012/11/12

ミステリータッチの文章  
高速太郎氏よりたくさんのコメントを頂戴しているが、どうもその様子からしてまだ続きがありそうなので、すべてが出尽くしてから応対したいと思う。

つらつら思いまするに、前の約束も果たしてないまま、次のステップに進むのは恥ずかしいことだと思いまする。

ポリ銀氏だ。至極当然のことを言っているだけなのだが、まさしく浅井先生にとっては恥ずかしく、かつ耳の痛い話だ。ともかく反故になっている話がたくさんある。もし浅井先生が大聖人の御眼を恐れているのならば、それこそ責任を取らなければいけない。もしくは出来もしない約束など、最初からしなければいいのだ。

わたくしが過去の原発容認発言をそれほど問題視しないのは、すでに再三述べているごとく重要度の差によるものだ。

やはり何よりの問題は仏弟子としての誓願を破ることである。

ちなみに活動会員たちに課せられている折伏誓願はノルマであって本当の意味での誓願ではない。ゆえに誓願を破ったことに罪悪感を持つ真面目な会員がいるとすれば、それはひじょうに気の毒なことだ。いわば誓願の美名のもとに使役させられているのが現実である。
ひるがえって浅井先生自身はどうかと考えれば、誰からもノルマを課せられていない。つまりは正真正銘の誓願である。それを破ることの重大さを思うべきなのだ。
これを構造的に見れば、正真正銘の誓願を立てた浅井先生はハッパを掛けるだけで何もせず、代わって会員たちが苦労させられているという理不尽さがある。

もちろん、これはかなり一方的な見方であって、反論があっても不思議はない。わたくしが浅井先生の立場であれば、こう言いたい。オマエの言っていることはそのとおりだ、しかし、ワシだって会員のために何が出来るか、常に考えておるのだ、そこをわかってくれ、と。確かに組織は役割分担で成り立っている。ウチの社長は踏ん反り返っているだけで何もしない。そんなグチをそちこちで見聞きするけれども、社長には社長の苦労がある。むしろ従業員の見ていないところで、物凄く頑張っている場合が多いのだ。

いちおう、先生の弁護めいたことを書いたわけだが、さりとて顕正会の構造的な問題が解消されることにはならない。今後も追及していきたい。

前置きが長くなった。

今回は婦人部大会関連で、ちょっとした発見があったので、それを書いてみたい。

冨士軍楽隊

大きな集会ではいわゆるアトラクションが行なわれる。今回の婦人部大会では、まず雷門会による和太鼓の演奏があり、続いて新結成の女子雷門会の演奏が行なわれた。そして次に、これまた新結成の冨士軍楽隊による演奏・・・これらが同大会のアトラクションである。

わたくしはふと疑問に思った。

芙蓉楽団

そう、芙蓉楽団のことである。顕正会には以前より芙蓉楽団があった。重要行事の折に演奏が披露され、いわば行事に彩りを添えていたのだ。

すると、芙蓉楽団は解散したのだろうか?

そして、冨士軍楽隊が結成された?

しかし、いったい何の理由があって、そんな面倒なことをするのか、そこがよくわからないのだ。事実上の名称変更に過ぎないはずである。ようは、なぜ名前を変える必要があったのか、なのだ。

ところがである。話はさらに混迷を極めるのだ。

冨士軍楽隊講師

婦人部大会特集号に、おそらくは女子部員だろう、上掲の肩書きを持つ人物が記事を寄せている。そこには略歴が付されており、東京藝術大学でトランペットを専攻し云々と書かれている。

ここまでは問題ない。その翌号の顕正新聞を読むと驚愕することになる。

芙蓉楽団・講師

前掲とは別人である。こちらは昔からおなじみの人物であり、重要行事のたびに活躍が報じられてきた。かつては女子部の班長ないし副長だったと思うが、今回は役職が記されていない。この人の略歴は東京藝術大学声楽科卒業、そして現在は同大学に勤務しているごとくである。

ついでに、もう一つ紹介しておくと、上掲の隣には講師の肩書きではなく、女子部総班副長の肩書きで書かれた記事が載っている。この人の略歴は藝大の作曲科である。今回は編曲作業に取り組んだとのことだ。

錚々たるメンバーだが、それはさておく。

前号には冨士軍楽隊講師が登場し、今号には芙蓉楽団・講師が登場した。いったい何が何だかさっぱりわからん話だ。

イジワルな推測を書くと、ゆえあって芙蓉楽団を解散し冨士軍楽隊を結成した、しかし、これは間違いなくツッコミが入るところだ、それに気付いた首脳部があわてて芙蓉楽団を復活させた、ということである。

ここで芙蓉楽団・講師の記事を紹介しておこう。

・・・雷門会、冨士軍楽隊による演奏が行われましたが、私もその一員として歌わせて頂くことが叶い・・・

一員なのだそうである。ちなみに次も同記事である。

芙蓉楽団の一員となり得た我が身の宿縁の有難さを深く噛み締め・・・

あれ? 何だこりゃ?

最初は雷門会、冨士軍楽隊の一員だった。ところが途中から芙蓉楽団の一員に変わっている。こういうのを支離滅裂と言うのだろう。

まあ、しかし、物事は善意に解釈すべきである。おそらく芙蓉楽団は上位概念なのだろう。楽団の下部組織として冨士軍楽隊や雷門会があると考えればツジツマが合うのだ。

         冨士軍楽隊
芙蓉楽団 <    
         雷門会(男子・女子)


さて、これで終わりならばよかったのだが、実はもう一つだけ書いておくことがある。まずは過去の拙稿を紹介しよう。

体育文化祭が不評だった理由の一つには、あまりにも拙速だった、早い話がデキが悪かった、という理由があったと思う。ことに男子部の空手演舞が酷かった。おそらく渡辺氏はここで腸捻転になりかけたのだろう。
ようはそれなりにデキのいいものだったならば、またやってもいいという気分にもなったはずなのである。実際、芙蓉楽団のほうはその後も成長を続けて、今も存在するわけである。こちらはお琴の先生だとか、声楽家だとかがいるので、それなりの水準には仕上がっていた。後年、男子部でもプロのドラマーだった人とか、和太鼓の先生を登用して、どうにか見栄えのする水準にはなってきたが、ともかく空手は文字どおりの空振りだったと思う。


ちょっと長いので、さらに抽出しよう。

実際、芙蓉楽団のほうはその後も成長を続けて、今も存在するわけである。こちらはお琴の先生だとか、声楽家だとかがいるので、それなりの水準には仕上がっていた。

お琴の先生だとか、声楽家・・・

ここでの声楽家こそが芙蓉楽団・講師の肩書きを持つ人物である。

では、お琴の先生は?

今回のちょっとした発見とはこのことである。お琴の先生とは誰であろうか? もはや顕正会に関心を寄せている人であれば答えはわかっているはずだ。すなわち前総合女子部長のことである。

顕正新聞を読む限り、今回の大会で琴の演奏は行なわれなかったごとくである。くだんの声楽家と並んで、お琴の先生もまた重要行事のたびにその腕前を披露してきたのだ。

それが今回はなかった。

この一事をもって、もはや前総合女子部長は完全なる失脚、もしくはすでに退転しているやも知れぬ、という推測が成り立つのではないかと思う。

もちろん真相はわからない。女子部関係者の証言が待たれるところだ。

2012/11/9

無理筋の要求  
今日は顕正新聞の話題だ。

 さらに先の日曜勤行において浅井城衛理事長より
 「先生は『もし必要があれば、新御宝蔵の建設費用の全額を顕正会が御供養しても…』とのお心である」
 と伺っては、先生のどこまでも深き大聖人様への大忠誠心を眼前にした思いになり熱涙が込み上げ・・・


第十女子部長の第十女子部集会での発言である。顕正新聞第1254号すなわち十月五日号掲載であるから、九月中の集会だろう。

翌号すなわち婦人部大会特集号では、副総合婦人部長が同様の発言をしている。

 建白書を認められるや、先生は直ちに御宝前に供えられ、粛然と御本尊様にご奉告申し上げられたこと、「必要とあらば新御宝蔵の建設費用の全額を顕正会が御供養させて頂く」ご覚悟まで固められていることを伺い・・・

誰から伺ったものか判然としないが、前掲同様に城衛から聞いたのかもしれないし、あるいはこの人の立場であれば先生から直接聞いた可能性もある。ともかく続きの文章にも注目すべきである。

広宣流布に戦う資格を有する顕正会こそ、新御宝蔵建設の御供養を申し上げるべき・・・

わたくしの感想を申し上げよう。先生はなぜ自ら発言しないのか、である。

八月十三日付で建白書を提出した。この文章の中に織り込むことは可能だったはずだ。しかし、それは見送った。ならば、八月末の総幹部会において、会員たちにその心情を吐露すべきではなかったか? 建白書には書かなかったが、顕正会で全額御供養申し上げたい、との思いを私は懐いている。

結局、先生はこのことに関してまったく発言せず、城衛を介して会員に伝えているわけだ。

この問題はさまざまの観点から論じられると思う。

まず、クチコミ指導ないしオフレコ指導の存在についてである。御供養云々の話は今のところ二つの記事しか出ていない。もし第十女子部長・副総合婦人部長が言及しなかったとすれば、わたくしはまったく知り得なかった。外部の人間には知り得ない、それがクチコミ指導なのだ。つまり、今回の一件はまだマシなほうであって、もしかしたら外部にはとうてい聞かせられないような、そういう危険な発言がたくさん存在するのかもしれないのだ。もちろん、これはあくまで推測の話である。

さて、会長指導をテープレコーダーのように繰り返すだけの幹部たちが、今回の一件ではほとんどが口を閉ざしている。その理由はいったい何だろうか?

わたくしの思うに、これはあまりにも荒唐無稽、言い換えれば実現性のない話だからだろう。御遺命守護ないし試練と忍従の歴史を学んだ幹部たちであれば、正本堂の御供養に関する話も記憶していることだろう。妙信講の御供養はなかなか受け取ってもらえなかったのだ。いわばイヤガラセの類なのだと思われるが、ともかく当時の妙信講は純然たる日蓮正宗の一員だったのだ。それでいて御供養の受理を拒まれるくらいなのだ。いかにいわんや、解散処分を受けて今や異流儀団体と化した顕正会においてをや、である。とうてい御供養を受け付けてもらえるとは思えない。

悲しいことだ。

浅井先生だって、そのくらいのことは百も承知であろう。だから建白書には書きたくても書けなかった。その後、総幹部会で心情を吐露することも控えた。しかし、息子の城衛には思いを打ち明けた。

それだけの話ならば簡単である。いや、簡単ではないけれども、心情的には汲み取りやすい。

ところが理解不能のことがある。

それは副総合婦人部長の発言である。今までの説明では納得できない。

ようするに婦人部大会での発言なのだ。あのフェイクが注目したくらいである。内外から注目が集まる大会において、よくも発言できたものよと思う。先生自らが発言せずとも、あれだけの大きな集会で副総合婦人部長が発言すれば、その反響は物凄く大きいはずである。

わたくしは上のほうで、クチコミ指導を問題視する意味のことを書いた。しかし、むしろこの一件はクチコミ指導にとどめておくべきではなかったかと思う。

それほどに荒唐無稽、実現不能の発言なのだ。

 浅井会長の積年の訴えである「正本堂から奉安殿へ御奉還を」との求めが、理由は別として平成十年に実現した。「不浄の正本堂は取り壊せ」の主張も現実となった。
 しかし、浅井会長の思うようにならないことは多い。「不敬の御開扉を中止せよ」や「悪人追放」等の求めは、いくら何でも無理筋の要求であろう。


『迷走する顕正会を斬る』からの引用であるが、まさに今回の要求も無理筋である。

常識的な思考の持ち主ならば、わかり切った話であるが、宗門が新たな御宝蔵を建設する必然性はまったくない。仮に建設の必然性が生じたとしても、顕正会からの御供養を必要としない。ようするに二重の意味で無理なのだ。

あるいは万々一、顕正会が宗門に復帰をすることがあるかもしれない。

しかし、それでもなお、新御宝蔵はあり得ない。

簡単な話である。顕正会の要求は、正本堂の解体撤去より今日までの十有余年の宗門・法華講を、まさに全否定するに等しいことだからである。なぜ、そこまでして顕正会を迎え入れる必要があろうか、ということなのだ。ゆえに、もし仮に顕正会の宗門復帰が実現したとしても、新御宝蔵の要求だけは断じて受け付けない。逆に言えば、そんな無理な要求を突きつける顕正会など、迷惑以外のナニモノでもないわけだから、そうするとやはり宗門復帰もあり得ない。どうやら二重どころの話ではなく、何重もの障壁があるらしい。

結局はぜんぜんダメということだ。

2012/11/6

諸兄のコメントを受けて  
沖浦氏はバランス感覚に優れている。世間の常識を弁えている。毀誉褒貶の激しい人物であるが、少なくとも拙ブログへのコメントを読む限り、きわめて常識人である。

のび太氏のコメントは比較的に短いので全文紹介しよう。

顕○会の婦人部大会は死者まで出たのか!?
死因が間接的であれ、直接的であれ、青森から10時間は相当な注意が必要だ。
かつて、私が創価班として本山担当をしていたころ
絶対無事故と晴天は真剣に祈っていた。

私の感覚からすれば二万人はどうでもいい事だ。
絶対無事故と晴天が成否の鍵だ。
とすると…。


これも常識的なコメントだと思う。氏は結論を濁しているわけだが、ようは失敗だったと言いたいのだろう。なかなかのセンスだ。

フェイクの場合、一万三千人程度だったとして、これを中心にその他のことも含めて大失敗と書いた。のび太氏は、結集なんてどうでもいい、無事故と晴天が大事なのだ、と言っているわけだ。センスがいい。ようするに、フェイクは何でもかんでもケチをつければいいと思っているらしいのだ。これが物凄くイヤラシイことに気が付かないといけない。のび太氏のごとく、ポイントを絞って批判するべきなのだ。

◇エ〜〜! そんな、ご無体な、厳虎様!!!

さて、高速太郎氏であるが、どういうノリで書いているのか、それがわからない。

 一生懸命書いている自分が情けなくて哀しくなってきました!!!!!

この後、稿を改めて次のように書いている。

◆哀しみを乗り越えて!!

本当に哀しんでいるのか、ある種の誇張表現なのか、そこがわからないのだ。

ともかく話が噛み合っていない。

ようするに、本因本果の意味がどうこうの話ではなく、どういうつもりで本因本果を持ち出してきたのか、という話なのだ。もし高速太郎氏がそれを理解できないのであれば、もはや会話は成り立たないことになる。今度も例題を出しておこう。

赤は青である。

物凄く初歩的な例題だ。赤も青も知っている。幼稚園児でも知っている単語だ。だが、しかし、上掲は意味不明だ。

高速太郎氏の文章はまさにこれと同じである。しかも赤とか青ではなく、本因本果だとか法体だとか、そういう専門用語を書き並べているから余計に厄介なのだ。前回の繰り返しになるが、ようするに辞書的な意味ではなく文脈的な意味において理解不能なのだ。ゆえに、過去にわたくしが本因本果という言葉を使っていたとしても、それは基本的に関係のないことである。そこをぜひとも理解してほしいと思う。

創価学会の国立戒壇主張の下限はいつか?

過去の拙稿であるが、せっかくなので自分でも読み返してみた。自画自賛ながら、上掲はそこそこよく書けていると思う。ぜひとも高速太郎氏には文章全体の意味を汲み取っていただきたいものである。

為五郎氏への疑問

これはいわば他門の人との対話である。はっきり言って、未熟さは否めない。内容もさることながら、文章そのものがひじょうに読み難く、恥ずかしい。

それはさておき、高速太郎氏の書いていることはイチャモンみたいなものだ。為五郎氏との対話を持ち出すのであれば、教学的な視点にスポットを当てるべきだろう。氏の場合は何となくピントがずれているというか、見当違いの指摘に終始しているような気がする。

具体的には前掲の国立戒壇云々がわかり易いだろう。これはまさに創価学会批判なのだ。であれば、高速太郎氏はこの批判に正面から答えるべきが筋である。法華講シンパ云々を持ち出すなど、まさしくピントが狂っている証拠であろう。

この際、一つ決着をつけたい。一閻浮提のことだ。

高速太郎氏は一閻浮提を宇宙全体のことだと言っていた。わたくしは地球のことだと言っているわけだが、氏はこれについて何も言わない。しかし、この際だから、はっきりさせたいと思う。

高速太郎氏は自分の間違いを認めるのかどうか、である。

もし間違っていないのであれば、それをはっきり言えばいい。もちろん、その根拠も示さないといけない。それをせずして、過去の拙稿をほじくり出して、ああだこうだ言うのはどうかと思う。

さて、一方的に要求を突きつけるのも失礼な話である。ゆえに、わたくしのほうから先に、一閻浮提を地球とする根拠について、文証を提示しておこう。以下は下山御消息である。

例せば寅の時閻浮に日出で、午の時大海の潮減ず。

いかがだろう。後半の潮の干満についてはよくわからないが、前半の意味は明瞭のはずだ。つまり、早朝に日が昇ることを仰せになっているわけであるから、ここでの閻浮が地球を意味することは誰もが容易に想像し得ることである。

高速太郎氏には、ぜひとも真摯な返答をお願いしたい。

ついでと言ったら叱られるかもしれないが、下山御消息を拝読していて、別の懸案で進展があった。わたくしは大聖人の御書に津波の記述があるかどうかを一年有余にわたって調べていた。結論として、津波の記述はなさそうだ、と書いた。ちょうど一ヶ月前のことだ。

ところがである。下山御消息には津波を連想させる御記述が存在するのだ。

長星は一天に覆ひ、地震は四海を動かす。

ひじょうに悩ましいところで、これが直ちに津波を意味するかどうかは微妙である。単に大規模な地震を形容するだけの意味かもしれないし、何とも言えないところだ。

いずれにしても御書の研鑽には終わりがないことをつくづくと感じたものである。

2012/11/5

諸賢のコメントを読んで  
人々は時間とともに冷静さを取り戻すものだ。昨日、コメントを寄せた人たちよりも、今朝のそれのほうが冷静である。いや、もちろん、時間の経過よりも立場の違いのほうが大きいわけだが・・・

じゃあ推測であることを前提で、お話ししますよ。
かりに参加者が二万を超えてても、です。
「二万を超える婦人部員」には異議あり。その理由。

●すでに複数証言にあるように、参加者は婦人部員だけではない。
●婦人部員以外の会員が、参加券に記名のうえ入場した。
●男子部員(女子は除く)の全体参加者に占める割合は、多くて3割。少なくとも1割以上はいた。
●3・4階席の一部は、最後まで空席だった。
●明らかに学生、中学生未満の子どもが参加していた。
●婦人部員以外の幹部が参加していた。
●男女比や空席状況が窺い知れる、会員撮影の写真がある。

聴き取りを中心とした、独自調査の結果です。
会場の最大収容人数が22500人だとすると、一割の男子部員を差し引いただけでも、
残りは20250人。これには女子部や学生・子ども、空席部分は含まれていない。

わざわざ数える前に、実質二万人超は厳しいと考えるのが妥当でしょう。


瑠璃堂氏のコメントだ。

特に反論はない。理路整然としていて反論の余地がない、と書いたほうが適切だろうか?

わたくしはともかく、現役の活動会員たちがどのように思っているか、そこが気になるところだ。血気盛んな顕正会員であれば、上掲に対して反論を寄せても不思議はないだろう。しかし、活動会員がネット参戦することは滅多にない。まして婦人部員ともなれば、なおさらだろう。

その理由は何だろうか?

瑠璃堂氏の推測が当たっているから反論不能・・・というのがまず考えられる。
そして、じゃっかんは反論の余地がある、もしくは全面的に反論する用意がある・・・だけれども現役会員の立場でネットに出れば飛んで火に入る夏の虫だ。それがわかっているので、怖くて出られない。
そもそもネットなど、まったく見ていない。だから反論もクソもない。

いろいろな可能性を考えてみたが、もし反論不能が事実ならば、顕正会もかなり危うい。フェイクの大失敗もあながちウソではないことになるかもしれない。

これで会場が一杯になった、婦人部が二万人超だと言われて、巌虎さんは納得できるんでしょうか。

わたくしが納得できるかどうかではなく、現実に参加した婦人たちがどのように感じているかが問題だ。

通常、こうした大きな集会は感激を新たにする場である。また、初心者ないし未活動者が信心を起こす、もしくは取り戻す場なのだ。それが逆効果を起こしているとするならば、まさに大失敗である。フェイクの記事に、「二度と来ない」という婦人の声が紹介されているが、その事実関係はともかくとして、内心そのように思っている人がたくさん存在するとすれば、もはや顕正会もオシマイである。

ただし、もう一つだけ視点を増やす必要があると思う。

 本日現在の弘通は、すでに誓願の五割を超えていると聞いております。六千万への初陣であれば、何としても誓願を大きく突破したい。

九月度総幹部会の会長講演だ。ちなみに八月度の講演では、誓願一万八千を発表している。

いわゆる秋の三連戦、もしくは本年の最終法戦、実は今現在、その真っ最中なのだ。この意味で、今はネットにウツツを抜かしている場合ではない、と真面目な活動会員ならば思うはずなのだ。ただでさえ婦人部員のネット参戦はマレだ。ましてや今の時期はそんなヒマがあるわけがないのだ。

これでもう一つの視点の意味は明白だ。

今月末に発表される折伏成果がどうであるか、とりわけ婦人部の成果がどうであるか、まさにここが注目点である。二万人を超える婦人部員が集まった。そこで感激を得た婦人たちが頑張れば、相当の成果が見込まれるはずなのだ。

つまり、婦人部大会の成否は直後の折伏成果にどのように反映されたか、これが一つの有力な判断材料となる。

なお、ツッコミが入ると困るので、念のために書き加えておこう。上述のことは婦人部大会の結集人数が二万を超えたかどうかとは別次元のことだ。この点では瑠璃堂氏の独自調査による数値がきわめて有力であるが、わたくし自身はわからないということにしておく。繰り返しになるが、成功だったか失敗だったかは、その後の組織の伸張が物語ることなのだ。

その意味で本質論を申し上げれば、大会直後の法戦なのだから負けるわけには行かない、これが婦人部幹部たちの意識であり、実際にそのような意味のことを口にしたりもしているのではないかと想像されるところだ。

これがまさに成果主義丸出しの姿・・・ということだろう。

◇なめたらアカーン! なめたらアカーン! その1

嬉しいことだ。過去の拙稿をそこまで熱心に読んで下さっているとは驚きであるが、同時に嬉しいことである。ユタ氏のおっしゃるとおり、大変は大変なのだが、しかし、ひじょうにありがたいことであって、むしろ感謝申し上げたいくらいである。

しかし、高速太郎氏の指摘はやや的外れのような気がする。

本因本果を知っているかどうかについて、まるで刑事と容疑者とのやりとりみたいになっている。オマエは本因本果を知っているか? いいえ、知りません。ウソを言うな!ちゃんと証拠は挙がっているんだ!オマエは五年前に本因本果について書いているではないか!

困ったものだ。

どのようにでも言い繕うことが可能なので、逆に悩ましいくらいだ。

何しろ俄か勉強なもので、付け焼き刃ってんですかね、そんなわけで当時はわかったつもりで書いていましたが、本当はよくわかっていないのです。それで五年も経ちますとね、すっかり忘れてしまって、自分で書いたことすら憶えていないのです。そういうわけで、今では言葉は辛うじて知っているけど、意味はよくわからんのです。

いくら嘯いてもダメです。 「本因本果」を知ったのですから。

高速太郎氏の指摘を的外れと書いた。しかし、これを説明するのはひじょうに厄介だ。あえて説明するならば、辞書的な意味と文脈上の意味の違い、となるだろうか?

これで察しのいい人には充分のはずだが、ワカラズヤのためにはもう少し説明する必要があるかもしれない。そこで理解の一助として例題を出すことにする。

いくら嘯いてもダメです、仏法を知ったのですから・・・

わたくしが作った文章であるが、これでかなり理解が進んだのではないかと思う。仏法という言葉は誰もが知っている。しかし、上掲は意味のよくわからない文章である。つまり、これが辞書的意味と文脈上の意味の違いなのだ。

本因本果もまた、しかりである。

五年前のことはすっかり忘れていた。これはそのとおりであり、何も糊塗するつもりはない。しかし、である。高速太郎氏がいったい何を言いたいのか、それは今も謎のままである。


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