2014/8/14

顕正会の葬儀事情短評  
創価学会員の二氏から要望が寄せられているが、いつものことながら面倒臭い意味もあるので、お断りさせていただく。ただし、せっかくなので、最近の顕正会における葬儀事情について、大雑把に書いておこう。

顕正会も高齢化が進んでいる。そのため顕正新聞紙上にも臨終ないし葬儀に関する記事が目立つようになった。
以前は家族の中でたった一人で信心しているというケースが多くあって、ことに若年の男子部員や女子部員の場合、仮に祖父や祖母あるいは両親が亡くなっても顕正会で葬儀を行なうことは難しかった。
しかし、近年は一家広布を叶える人も増え、また、若年だった男子部員や女子部員がそれなりの年齢に達して家族の中で発言権を持つようになり、顕正会での葬儀を実現できるようになってきた。
そうは言っても、今でもなお家庭の事情から顕正会での葬儀を実現できないケースもある。ようは邪宗で葬儀をやらざるを得ないということだ。すると謗法に対して潔癖である顕正会員にとっては慙愧の念に堪えないというか、故人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

そこに先般、画期的な指導が登場した。

成仏が確定したなら、たとえ邪宗の葬儀になろうとも、成仏は壊されるものではない・・・

この指導がイヤラシイのは、浅井先生の発言ではないことだ。しかし、短期間のうちに同じ指導が繰り返し掲載されたということは、これを顕正会の公式見解と見なしていいのだろう。

ところがである。同じ葬儀の話題でありながら、上掲とはまるで正反対の記事が掲載されたのだ。儀礼室委員の立派な振る舞いを示すものである。

女子部組長の祖父が亡くなった際、顕正会の儀礼室で葬儀を行なう予定だったが、そこに父親が横車を押してきた。地元の寺から坊さんを呼んで葬儀をすると言い出したのだ。
故人から見て、父親は息子である。くだんの女子部組長は孫である。当然、喪主は息子なのだろう。権限は絶大だ。

ちなみに舞台は福岡である。おそらく顕正会の儀礼室委員は本部常駐であり、葬儀の依頼があれば本部から全国津々浦々、極論すれば世界の果てまで出掛けていくのだ。ゆえに地元の事情には疎いわけで、どのような状況下で葬儀が行なわれるか詳細までは把握していないのだと思う。そこにいわば乗り込んでいくわけだ。勇猛果敢とでも言うべきだろうか?

ゆえに家族の反対を押し切って、いわゆるアウェイ状態の中で葬儀が行なわれるようなことも少なくないのだろう。儀礼室委員たちはそうした経験をたくさん踏んでいる、いわば百戦錬磨のツワモノなのだ。

よって父親が当日になって、いきなり横車を押してきたことにも堂々と対応し、しっかりと説得した上で顕正会での葬儀を無事に行なうことが出来たわけである。

以上、前段の邪宗の葬儀を容認するかのごとき指導は甚だ顕正会らしくないけれども、後段の儀礼室委員の振る舞いはまことに立派である。これが最近の顕正会の葬儀事情ということだ。

前にも書いたが顕正会と創価学会は在家中心主義の意味で共通する部分が少なくないが、当然ながら委細に見れば異なる点がたくさんある。まさに葬儀もしかりであって、僧侶不要の意味では共通するが、中身は相当に異なる。上に書いたごとく、儀礼室は本部直属の組織であり、委員たちは会長先生の名代として全国に派遣されるわけだ。
創価学会の場合は地元の幹部が導師を勤めるという。ゆえに全国に無数に存在するわけだ。もちろん彼らは、地域の事情に通じているわけで、故人ないしその家族のことにも通じている。その意味ではより親身になって弔うことが出来るというメリットもあるわけだが、おそらくはクオリティに問題があるのだと思う。
ひるがえって顕正会儀礼室は総勢で十名足らずの精鋭であるからして、自ずとクオリティは高い。どの儀礼室委員であっても、浅井先生の名代との自覚を持って葬儀に臨む意味において、遜色はないだろう。しかも上に書いたごとく、地域の事情や当事者の事情に通じているわけではないので、よほどの覚悟ないし心構えがなければ勤まらない。

けだし今般の記事はそうした儀礼室委員たちの立派な振る舞いの一端を垣間見るものだったわけだ。

だが、しかし、前回の繰り返しになるが、これを日蓮正宗の関係者が読んでどう感じるかを想像すると、暗澹たる気持ちにならざるを得ないのだ。

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