2013/4/2

終局間近  
七面倒臭い議論になってきたが、ある意味では終局が見えてきたようでもある。

2013/4/1 19:15
投稿者:沖浦克治
 厳虎さん、今晩は。
 
 貴方が大石寺にこだわろうがこだわらまいが、だい聖人は身延を聖地と定めておられます。

 『さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。』
 (波木井殿御報)

 『彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、』
 (南条殿御返事)

 この通りです。
 一体何が悲しくて、大聖人が富士山になど本門の戒壇を建立のご遺言をなさねばなりませんか?
 
 ああ言う事を捏造しても、世間の良識がある人なら、大聖人がそう言う事を言われない事は簡単に理解出来ます。

 大石寺などは、大聖人は名前すらご存知ありません。
 後世の弟子の権力争いで出来た寺です。
 たまたま富士の裾野にあるからと言って、富士山に戒壇建立が御遺命であるなどと、偽書でっち上げて、見苦しいことこの上ありません。

 これほど明確に身延を月氏の霊鷲山と同じだと仰せです。

 その身延にすら、戒壇建立の御遺命がない。
 事実は明白です。

 この事実を打ち破るには、その御書のご真筆を提示する以外にありません。

 遺言は写ではダメなのです。


まず、遺言は写しではダメ云々について書くと、沖浦氏は当初、跡目争いにおいてはダメだと言っていたのだ。それがいつの間にか戒壇建立のことにも使われている。沖浦氏は都合の悪い文証をああだこうだと難癖をつけて使わせないようにしているだけではないか? 何しろ最初に言っていたことと違うのだから、そう思われても仕方がないだろう。

そして上掲における最大の問題点は聖地云々である。わたくしには論理破綻のように思えて仕方がない。

 題目唱えるなら、その場がそのままで常寂光土なのです。
 別の場所に聖地をこしらえるなど、大聖人門下の私には、ちゃんちゃらおかしいです。


こう言っていた人が次の日には違うことを言っているのだ。再掲しよう。

だい聖人は身延を聖地と定めておられます。

この後、二つの文証を掲げているけれども、まったくお話にならない。逆にわたくしのほうから反証を示しておこう。昨日も引用した御義口伝の一節だ。

今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。

身延が聖地なのではない。大聖人がいらっしゃる場所が聖地なのだ。

そして沖浦氏の言うように、皆常寂光・即是道場の意味は場所を選ばないことである。つまり、どこか特定の場所に聖地をこしらえるような意味ではないのだ。

わたくしはこのことを承知しているがゆえに、戒壇建立と即是道場は矛盾しないという意味を再三にわたって強調してきた。つまり、これらが矛盾するとなると、その時点で自説が破綻してしまうからだ。一方の沖浦氏はわけもわからずに書いているためか、言っていることが二転三転している、昨日言っていたことと今日言っていることがまるで違ってしまっている・・・というテイタラクである。

2013/4/1 20:02
投稿者:沖浦克治
厳虎さん

>>三大秘法は前にも書きましたが、衆生己心の妙法である、南無妙法蓮華経が本門の題目と本尊です。
 それを収める五体が、本門の戒壇。

>これは逆に文証を求めたいところだ。

 簡単ですね。 
 私共がそのままで南無妙法蓮華経の当体だと言う御文を提示すれば済みます。

 『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、』
 (阿仏房御書)

 一身が地水火風空の五大であって、そのまま南無妙法蓮華経である。
 当然本門の題目と本尊です。
 
 『問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、』
 (本尊問答抄)

 題目を以て本尊とするのですから、題目と本尊は同じですね。
 御書にあるのですから、信受すれば済みます。
 そして、戒壇ですが、
 
 『聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり』
 宝塔の住所どころか、宝塔そのものです。
 戒壇です。
 御書に書いてあって、、明々白々です。


こちらはなかなか大したものである。御書に精通しているだけのことはある。

わたくしはこのところ次のような文章を繰り返し書いている。

大聖人に戒壇建立の思想なしとは言えない。

これはある意味、物凄く消極的な文章だ。単刀直入に書くならば、大聖人には戒壇建立の思想がある、と書けばいいわけで、ないとは言えない、ではいかにも弱々しい。
では、なぜこのような書き方をしたかであるが、わたくしは身延相承を真書と拝すると表明しているけれども、何しろ相手がそうは見ていないので、やはりどうしてもそこが頭の隅に残ってしまっているのである。
その上で議論を継続するとなると、最終的には御真蹟の残る確実な御書でどこまで論証可能かが問われることになる。つまり、それを念頭において書いているわけである。

さて、そこで再掲である。

三大秘法は、衆生己心の妙法である、南無妙法蓮華経が本門の題目と本尊。それを収める五体が、本門の戒壇。

文章を少し直して再掲させてもらったわけだが、沖浦氏はこの論証に阿仏房御書を用いた。当該御書は御真蹟・古写本を残さないようであるが、とりあえずよしとしよう。問題は説明の妥当性である。

 一身が地水火風空の五大であって、そのまま南無妙法蓮華経である。
 当然本門の題目と本尊です。


これはいちおう納得しよう。

 そして、戒壇ですが、
 
 『聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり』
 宝塔の住所どころか、宝塔そのものです。
 戒壇です。
 御書に書いてあって、、明々白々です。


おいおい、どこが明々白々なのか、と言いたい。

七宝の中に戒が含まれているのはわかる。しかし、ただそれだけのことである。七つの宝の中に戒があるから戒壇だと言いたいのだとしたら、アホかオマエは、と言わざるを得ないだろう。さすがの沖浦氏もそこまで愚かではないだろう。

おそらくは宝塔=戒壇だと言いたいのだと思われるが、なぜそう言えるのか、当該御書からはまったく導き出せない。

ここが最大の争点であり、沖浦氏にとっての宿題である。

はたして、沖浦氏から明快なる回答が得られるだろうか?

2013/4/1

新年度到来  
沖浦氏はとうとう正体をあらわしたようである。いや、違う。これは今初めて驚くべきことではないのだろう。この人は昔からこうだったのだ。

 御書読めば、

 国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、

 こんな馬鹿馬鹿しい事を、大聖人がご遺言なさる道理がありません。
 身延追い出された大石寺の連中が、悔し紛れに捏造したに決まっています。


各種掲示板から締め出しを食らっているのも無理からぬ話である。

何度も言っているように、わたくしは御書の真偽に立ち入らない。ゆえに、上掲のごとく、頭ごなしに決め付けられても困るのである。また、おそらくは現在も御書全集に掲載されているだろうから、その意味からしても沖浦氏の発言は行き過ぎである。創価学会を破門になってもおかしくないと思う。

まあ、しかし、その直前のコメントと、前々回のコメント欄に書かれたものは比較的に真面目なので、わたくしとしても真摯に対応したい。

其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但島の長なるべし。

今はどうだか知らないが、顕正会員と創価学会員がそれなりのレベルの議論を戦わせると、かつてはこれが争点となったものである。ようするに、日本の国主なんて大したことないんだと、彼らは言いたいわけなのだろう。これに対する顕正会側の模範的な反論がどのようなものか知らないが、わたくしはここで御義口伝の一節を紹介しておきたいと思う。

殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり。人王の始めは神武天皇なり。神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり。此の葺不合尊は豊玉姫の子なり。この豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり。八歳の竜女の姉なり。然る間先祖は法華経の行者なり。甚深甚深云云。

余計な解説は控えたい。御文のごとく、甚深甚深であるからして、わたくしごときが云々するべき事案ではないのだ。

 これらを読むならば、大聖人は広宣流布の空間的な範囲を全世界と定義づけられている事は理解が出来ます。

沖浦氏は法門申さるべき様の事と撰時抄(ここでは省略させていただく)をもって、上掲のごとく言っている。

特に異論はない。一閻浮提広宣流布を否定する人など、どこにもいないだろう。

その上で、あえて反証となるべき御書を掲げておこうと思う。

前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ。

此の国とは申すまでもなく日本国のことだ。前代未聞の大法が日本に流布すると、全世界の人々が仏に成ることが出来るとの仰せである。これは文字どおり有り難いことだ。

 世界が範囲であるにも関わらず、何故富士山とと言う地域に本門戒壇を建立するべきなのか?

この答えは難しい。いちおう前掲の教行証御書を拝すれば、日本国の特殊性がわかるはずだ。また御義口伝のくだんの一節を拝すれば、日本の国主の特殊性も見えてくる。おそらくはこの延長線上に富士山が位置するのではないかと思う。

しかし、正直なところを言えば、これ以上の説明は困難である。たぶん、大聖人がおっしゃっているから・・・というのがいちばん簡単な答えなのだが、富士山でなければならないという絶対的な理由とはならない。ファンタジー的な発想であれば、特定の場所に戒壇を建て、そこに大御本尊を安置し奉れば、その時に劇的な変化が起こるという考え方もあり得るだろう。しかし、もしそれが本当ならば、その特定の場所が大問題となる。今や日蓮正宗そのものが天生原戒壇説を否定するくらいである。ようするに、富士山麓ならどこでもいいのか、それとも富士山のどこか特定の場所でなければいけないのか、このことすらわかっていないのだ。

ゆえに、この件に関しては、沖浦氏の言っていることに相当の説得力があると認めざるを得ない。

 三大秘法は前にも書きましたが、衆生己心の妙法である、南無妙法蓮華経が本門の題目と本尊です。
 それを収める五体が、本門の戒壇。


これは逆に文証を求めたいところだ。

次はわたくしが繰り返し書いてきたことである。

大聖人に戒壇建立の思想なしとは言えない。

沖浦氏はこれに正面から反論していない。

 題目唱えるなら、その場がそのままで常寂光土なのです。

これはすで書いたごとく、別に否定するものではないのだ。わたくしが言っているのは、これと戒壇建立は矛盾しないということである。

以下、説明しよう。

住めば都

ボロは着てても心は錦


こういう俗語ないし俗諺は人によって理解がマチマチだったりするが、今は煩瑣になるのでこのまま話を進めよう。

住めば都はいわゆる娑婆即寂光と近似の言葉のように思える。あるいはボロは着てても心は錦であるが、これもまた沖浦氏がよく言っている、我々は仏なのだ、ということと関連性があるように思える。

ただし、ここで気をつけたいのは、ヤセ我慢の哲学であってはいけない、ということだ。また、諦観的現状肯定論であってもいけない、ということだ。

沖浦氏は当体義抄を引いておられるが、関連する御文としてここでは御義口伝を紹介しておこう。

 御義口伝に云はく、此人とは法華経の行者なり。法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり。道場とは十界の衆生の住処を云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。此を道場と云ふなり。

此処を去って彼処へ行くには非ざるなり・・・

単純に言えば、此岸から彼岸へ行くのではない、ということだろう。そして、これは当然ながら対念仏の意味が込められているわけで、どこか遠くに浄土があるのではなく、この世界こそが浄土そのものなのだということなのだ。

ただし、繰り返しになるが、これはヤセ我慢や諦観を是とするものではなく、現実の世界の中でどのように幸福を勝ち取っていくかが重要である。

仮に借家住まいの人がいるとしよう。オンボロのアパートに何年も住んでいる。これを住めば都だと諦観するか、それとも意を決してマイホームを手に入れるか、である。はたして大聖人の仏法はどちらを是とするか、ということなのだ。

いや、もちろん、これはあくまで例題であって、借家住まいを否定するものではないし、また、それがどれほどオンボロであっても構わない。あくまでも例題であることをご承知願いたい。何しろ、かく言うわたくし自身が陋屋に住んでいるのだから、他人をあげつらっている場合ではないのだ。

ともかく、大聖人の仏法はヤセ我慢の哲学でもなければ諦観的現状肯定論でもない、ということである。

以上でおおむね説明がついた。

即是道場だとか当詣道場が戒壇建立を否定することにはならない。これらはまったく矛盾しない。つまり、これまでの沖浦氏の説明は不十分であって、大聖人に戒壇建立の思想なしとは断じて言えない、というのが結論である。

以下は法華講員にも読んでもらうつもりで書く。

銭四貫をもちて、一閻浮提第一の法華堂造りたりと、霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給ふべし。

弘安四年十月二十二日の御書であるが、上掲のくだりは翌月の地引御書と関連がありそうである。たぶん富木殿が身延山久遠寺建立資金として銭四貫を御供養申し上げたのだろう。大聖人は久遠寺を一閻浮提第一の法華堂である仰せになっている。

なぜに戒壇堂ではないのか、それは自明のことだ。翌年には三大秘法抄・一期弘法抄をあらわされている。そこで戒壇建立を御遺命あそばすわけだから、それ以前に身延の当該寺院が戒壇堂であるはず道理がないのである。

これを踏まえて日亨上人の御指南を拝するならば、たとえ頑迷な人であっても何か見えてくるに違いない。

唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する。

唯一の国立戒壇を外して引用しようかと思ったが、わたくしの資料(折伏理論書)にはそこも含めて書かれているので、そのまま引用することにした。

ともかく大聖人が久遠寺大坊を一閻浮提第一の戒壇堂と仰らなかったことは理の当然とは言え、ひじょうに重要なポイントである。一閻浮提第一の戒壇堂は将来に属することだからだ。


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