2013/4/30

やる気のないブログ  
各方面からコメントが寄せられているが、やはりどうしても沖浦氏との議論を優先せざるを得ないようである。

 本尊とは根本尊敬ですので、それ自体が非常に大きな尊敬を意味する言葉です。
 ですので、御本尊と書こうと、本尊と書こうと大差はありません。

 そう言う重箱の隅を箸で突く様な非難は、対話を損なうと思います。


御本尊と書こうが本尊と書こうが大差はない・・・

確かにおっしゃるとおりである。

我ながら証文の出し遅れを否めないが、実は前回の拙稿では当初その意味の文言を書き入れていた。すなわち、本尊と書くことが直ちにアウトになるわけではない、本尊と御本尊は微妙な差異に過ぎない、しかしながらその微妙な差異が重要なのだ、といった感じである。
本尊は一般的な語彙として世間に広く流通している。もちろん御本尊も一般的に使われているわけであるが、我々の認識、つまりは日蓮正宗系の認識であるが、それは一般人の感覚とは格段に違うはずなのだ。
たぶん今の創価学会員にしても、おそらくは一般の感覚ではなく正宗の感覚に近いと思われる。ゆえに重箱の隅をつつくような指摘ではあるけれども、あえて書かせていただいたわけである。

あとは現証がどうか、であろう。

つまり、現今の創価学会員が自宅ないし会館の曼荼羅をどのように呼んでいるか、アンケートを取ればいいのだ。わたくしの予想では圧倒的に御本尊であろう。単に本尊と呼ぶ人はきわめて少数のはずである。

 本題です。
 創価学会がご書の講義集を宗門時代にも沢山だしておりますが、常に戒壇については以下の記載がございました。

 戒壇とは創価思想では、生命活動の場。

 多くの人が見逃していて、私もその中の一人でしたが、数年前息子が教えてくれました。

 お確かめ下さいませ。


二点申し上げよう。

まず、具体的な文証をお願いしたい。講義集の何巻の何ページに、これこれこういう文言がある、と書いて下さればいいのだ。単にお確かめ下さいませと言われても、確認の仕様がない。

そして二点目だが、こちらのほうが重要だ。再掲しよう。

 戒壇とは創価思想では、生命活動の場。

わかっとらんとしか言い様がない。わたくしが聞いているのは違うことである。ここでは上掲をベースに書き直してみよう。

戒壇とは創価思想では、生命そのものである。

賢明な読者ならば、すでにおわかりだろう。わたくしは先日来、戒壇=五体の文証を求めているのである。はたして創価学会の書籍にそのような意味のことが書かれているのかどうかを聞いているのだ。

以上、沖浦氏は二重の意味でわたくしの問いに答えていない。

 『文無く義無きは信受すべからず』
 (開目抄下他)

 これを教条的に読むと、誤ります。
 大聖人は常に仰せです。

 『教主釈尊』
 (守護国家論他九九回あり)
 
 誰がどう読んでも、大聖人の教主が釈迦です。
 
 それで、貴方方顕正会では本仏は釈迦ですか?


沖浦氏らしい切り返しである。

煩瑣になるので簡単に済ませるが、いわゆる日蓮本仏論はけっこう大変な議論である。しかし、およそ四百年前に日寛上人が論証して下さった。ゆえに我々のような一般の信徒はそれを信受すればいいのだ。

 戸田先生だけがなさいました。

だから、今さら何を言っておるものかと思う。もう四百年も前に解決している話なのだ。

さて、話は変わる。

顕正新聞が溜まってきたので、少しずつでも片付けていかないといけない。第1271号からいくつか話題を拾うと、まずは訂正から書かねばならないようだ。

 私は入信以来、二十五年間・・・

女子部第百四十二区長の記事である。一月ほど前に、第十九女子部長と上掲の区長が親子であることを書いた。わたくしはてっきり娘のほうが先に入信したものと思っていたのだが、上掲の記述からすると必ずしもそうとは言い切れないようである。二人の年齢がわからないのでどちらとも断定できないが、まあ、普通に考えれば母親が先に入信したのだろう。

さて、次は男子部第三十一隊支隊長の活動報告だ。

 また、私が勤務する病院には学会員が多く入院しておりますが、このたび学会員の患者が勤務中に突然死する出来事がありました。

登壇者は愛媛で看護師をしているそうだ。立派な職業だとは思うが、それにしても上掲はいかがなものかと思う。一言でいえば、職業倫理は如何、ということだ。

いわゆる守秘義務違反に当たらないのか、そこが問題である。

また、勤務中に突然死・・・という表現はややヘボな感じが否めないがそれはともかく、自分の勤務中に患者が突然死するというのは、いわば己の恥を晒しているような意味にも受け取れるところである。

さらに言えば、上掲は内部告発のような雰囲気も感じられるところで、俗な言い方をすれば、チクリを入れる、ということである。入院中の患者が突然死したとなれば、何らかの医療ミスがあった可能性も否めない。いわば登壇者はそれをチクッたのだ。

わたくしは心配だ。こんなことを総幹部会で発表して、かえって自分の立場が危うくなるとは思わないのかと。発表させるほうもどうかしている。ましてや顕正新聞に掲載するのは危険きわまりないことである。わたくしはこうしてブログを綴るのみであるが、おそらくは裏でさまざまの謀略を仕掛ける連中もいることだろう。ひじょうに心配である。

アベノミクスにより国家破産 切迫
地銀副支店長として先生のご指摘 実感


沖縄の男子部組長である。この人の記事はそれほど問題を感じなかった。たとえ銀行関係者に読まれたとしても、立場が危うくなるようなことはないだろう。大雑把に言って、くだんの看護師の場合は人の生き死にに関わる話であるが、こちらはそこまで切迫した話ではないからだ。

そこで、もし彼の上司が上掲を読んだとしたら、いったい何が起こるだろうか?

立場が危うくなることはないと書いた。しかし、そこには必ず何らかの作用が生ずるはずである。

わたくしの思うに、彼に求められるのは具体的戦略である。

アベノミクス批判にしてもTTPにしても浅井先生の言っていることはそれなりに説得力がある。ただし、今は問題点を指摘するだけであり、具体的対案があるわけではないのだ。顕正会的には広宣流布・国立戒壇がすべての根本解決なのだろうけれども、銀行の副支店長としてはさらに具体的な戦略が求められるところなのだ。

彼の上司となると、支店長だろうか?

いわく、浅井さんの言っていることは確かにそのとおりだ。キミが師匠と仰ぐだけのことはある。なかなかの見識だ。しかし、それはそれとして我々がさしあたって打つべき手は何か、ぜひ銀行マンとしてのキミの意見を聞かせてほしい。

いや、ダメです。支店長が入信しなければ、この銀行は潰れます。まずはそれからです。

この登壇者はさすがにそこまでバカではないだろう。しかし、熱心な活動会員の中には上述のような発想をする人が少なからずいるのである。おそらくはそこが顕正会の構造的な欠陥なのだろう。


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