2013/8/31

顕正新聞第1283号を中心に  
ユタ氏のコメントはきわめて常識的であるが、たぶん、例外があると思う。たとえば天皇がわかりやすいだろう。あるいは総理大臣もそれに近いかもしれない。たとえば今の菅官房長官が日々の記者会見において、安倍総理をどのように表現するか、ということである。一般の企業であれば、ユタ氏のおっしゃるように、「安倍は・・・」となるだろう。しかし、官房長官はそうは言っていないはずである。「総理は・・・」のはずである。つまり、民間企業であれば、どれほどの大会社の社長であろうとも、対外的には呼び捨てが常識である。しかし、総理は一国を代表する立場である。いわんや天皇は全国民にとって尊敬すべき存在なのだ。さらに飛躍して、天皇は全地球的に尊敬すべき存在だとする考え方もあるわけだ。そこで結論だが、顕正会の場合もそれに近いニュアンスがあるのだと思う。浅井先生は全人類が尊敬すべき存在であると。ようは会長本仏論なのである。

すると御本仏の御子息であるところの克衛だとか城衛を呼び捨てにしているわたくしに対し、敏感に反応する人がいてもおかしくないわけで、その意味では教子氏の感覚もあながち間違いではないことになる。

まあ、この話題はこのくらいにしておこう。

沖浦氏の神社参詣についての所論はけっこう興味深いものがある。直接的には先般の応神天皇陵における読経唱題の是非について、沖浦氏は樋田氏を弁護しているわけなのだろう。しかし、これは簡単な話ではない。けっこう難解な問題である。そういうわけで、今しばらく時間をいただきたいと思う。ともかく簡単には結論を出せないことなのだ。

濁悪の日本国に160万法城 厳然屹立

顕正新聞第1283号の大見出しだ。

今回の会長講演もそれほど目新しさはない。過去の焼き直しというか、同じ話の繰り返しである。ようは常に中身は同じであって、数字だけが変わっていく。今は百六十万であり、やがて二百万になり、五百万になり、一千万になると。

中身は同じで数字だけが変わっていく・・・

これは我ながらイミシンだと思う。直接的には会長講演の内容を言ったつもりだったが、実は組織の実態にも通じる話なのだ。公称人数は増えても実数は増えない。

まあ、いちおうは微増なのだろう。大きな集会を開いて、少しずつは結集を伸ばしているわけだ。しかし、公称数との乖離は、もはやどうしようもないレベルになっている。

いよいよ二百万めざし師子王の前進を

二百万みつめ出陣を


会長講演の見出しから拾ったものだが、やや興ざめである。なぜならば今年は一千万達成の年だからである。しかも百六十万の次がなぜに二百万なのか、その合理的な説明が見えてこない。

普通であれば百万を達成した段階で、次なる目標として二百万を掲げるものだと思う。あるいは大目標として百万の段階で一千万を言ってもいいだろう。そして当面の目標として百五十万だとか二百万だとかを言えばいいのだ。

ともかく一昨年、百五十万を達成した。

やはり普通であれば、ここで二百万を云々するべきだろう。なぜに百六十万が二百万への出陣となるのか、まったく理解できないのだ。

しかもである。

この百五十万から百六十万までの十万増加に、およそ一年半を要している。ということは、二百万まで何年掛かるか、簡単に計算できてしまうのだ。

六年だ。

これで興ざめの意味がわかっただろう。かつて浅井先生が得意としていた「あと○○年」が、もはや使えない段階に突入しているのだ。ゆえに今は場当たり的に、さして意義があるとも思えない百六十万を基盤などと称して、会員を鼓舞するしか方法がないのである。

そうそう上述の話題は七月度総幹部会である。八月の終わりにこんなことを書いているようではいけないが、まあ、その辺はお許しいただくとして、当該幹部会の活動報告で興味深いのは次の記事である。

国家権力を笠に威す飯島内閣官房参与
 弟の入信に激昂、暴言を吐き恫喝!


実は第1279号に飯島氏の弟が入信した旨の活動報告があって、いわば今回はその続編である。

飯島勲本人から・・・
飯島勲は・・・
飯島勲に・・・


いろいろと興味深いことが書かれているわけだが、わたくしが最も注目したのは、発表者である男子部第十六隊支隊長の物言いである。ご覧のごとく、呼び捨てなのだ。

弟さんの気持ちを考えると、けっこう悩ましいものがあると思うのだが、いかがだろうか?

ともかく微妙である。弟さんが顕正会にどれだけ信を置いているかという問題と、切っても切れない血縁関係の血の濃さとを天秤に掛けた時に、さて、どちらに傾くか、である。兄貴とそれほど仲がよくなかったとしても、イザという時は兄弟であるから、やはりお互いに協力し合うこともあるだろう。それを考えると、さすがに呼び捨てには抵抗を感じるのではあるまいか、おいおい、いくらなんでも他人のアンタに、そこまで言われたくない。別に兄貴と仲がいいわけではないが、さりとて自分にとってはかけがえのない兄貴なのだから、他人に悪く言われて気持ちのいいわけがないだろう。顕正会の人たちはそんなこともわからないのかい?

微妙と書いた。それはそうだ。上述のことはわたくしが勝手に想像して書いているだけのことであり、実際に弟さんがどのような気持ちでいるのかはまったくわからない。ただ、わたくしが本部首脳であれば、登壇させるにしても、もう少し表現に気を使うことだろう。

「胃ろうをやめ父の成仏を見つめよ!」
 一会員への先生のご慈愛に感涙


第九男子部長の体験発表である。そして翌号には婦人部の班長さんが同様の発表をしている。

いちおう、私見を書いておこう。本部首脳とて馬鹿ではないだろうから当然わかっていることと思うが、これはあくまでケースバイケースだと思う。もし胃瘻を全否定するかのごとき見解であれば、わたくしは断固反対する。顕正会の危うさは、こういう記事が立て続けに出てしまうところにある。そして単純思考の人は、胃瘻はダメであると結論してしまうことだ。もしこれが顕正会のスタンダードとなってしまったら、かなり特異な宗教団体に映ずることだろう。医療とのカラミで言えば、輸血を認めない宗教団体と、近似のところにいることになるだろう。もし輸血が教義上絶対に認められないことだとしても、現代医学においては輸血の有効性は絶大なものがある。それでどれだけ多くの人命が救われたかを思えば、輸血を拒否するのはおかしなことだと言われても、仕方がないことなのだ。

福島原発 海洋汚染が拡大!

顕正新聞は最近、また原発事故関連の記事が多くなってきたような印象を受けるけれども、それも無理のない話である。東電の福島第一で次々と問題が発覚しているからだ。

巨額の国際賠償を求められる恐れ・・・

記事の詳細は省くが、最終的にはこれがいちばん痛い。いずれ東電だけの責任では済まなくなる。日本全体の責任である。つまりは我々にも責任がある。具体的にはどういうことになるのか、想像を絶するところであるが、ともかくタダじゃ済まないだろう。いわゆる与同罪の原理である。


九月一日追記:胃ろうをやめ云々は胃瘻をやめ云々だった。パソコンが古いためか、変換できなかった。途中から意識的に変換したものの、最初のところをうっかり見落としていた。

2013/8/28

ダラダラと長い文章  
未明に、ぜんぜん関係のない話題との前置きで、桜月氏よりコメントを頂戴した。大いに結構である。そもそも仏法とは森羅万象を包含するものであるから、ありとあらゆる話題と無関係ではないのだ。あとはその人のキャパシティの問題であって、わたくしのような不勉強の者には対応し切れない話題もたくさんあるが、そうは言ってもコメント投稿をキッカケとして新たな知見を得られるわけだから、ひじょうにありがたいことである。

その意味で、沖浦氏の投稿もまた貴重であるが、しかし、今回の文章は相当に難解だった。逸脱とは本来のコースから外れることであり、軌道修正とは元のコースに戻ることである。

 戸田先生は、創価学会を開基なさいました。
 そして、その周りに多くの革命家が出て、戸田思想である、創価思想を流布致しましたが、戸田先生は日蓮正宗の教義を一時拝借され、700年の伝統を利用し、戸田思想を寛師教学に包んで世に出されたのです。


この言い方だと、戸田思想=創価思想こそが本懐であって、日蓮正宗の教義を一時拝借したことが逸脱だったと読めてしまう。そして今は再び戸田思想に戻ったと。

相変わらずの堂々巡りであるが、戸田氏は戒壇本尊本懐論者であって、沖浦氏の言うような戸田思想ないし創価思想を本懐としたわけではない。そうした文献上の証拠はどこにもないのだ。

わたくしは言いたい。

沖浦氏の最大の課題は、残りの人生において再び戒壇本尊本懐論に戻ることが出来るかどうか、である。願わくは、己の逸脱に気づき、軌道修正されんことを。

 あれ?『浅井城衛』と呼び捨てに なってます。

 それと浅井城衛は【理事長】なんですか?一般の信者さんは⇒浅井昭衛を【理事長】と思ってますが?
 巌虎氏、お答え下さい。


呼び捨ては後回しにして、一般の信者さんとは誰のことを意味するのだろうか?

もし顕正会員のことならば、大いなる誤解である。浅井先生を理事長だと思っているような会員はどこにもいない。なぜならば先生は会長だからだ。顕正新聞に登場する会員にはすべて役職が冠されている。最近は平会員も多いが、組長から会長まで、役職を持っている人の記事には必ず肩書きがつく。城衛は総男子部長であり、普段の記事ではその表記である。そして、必要に応じて理事長と表記されたり、理事長・総男子部長と併記される場合もある。

それにしても教子氏はずいぶんデタラメなことを言うものである。いったい情報源はいずこであろうか、それが気になるところだ。わたくしは顕正新聞の情報をそのまま書いているに過ぎない。直近の顕正新聞を確認すれば、城衛には理事長・総男子部長の肩書きが付されている。繰り返し書いておくが、浅井先生は会長である。

 さて、城衛!と呼び捨てにしている所を見ると巌虎氏は⇒教祖・昭衛は信じているが、次男坊・城衛のことは信じてない?若しくは反感を抱いているのでは?
 お答え下さい。


まあ、どうでもいいことだが、書いておこう。

顕正会における会員間の呼称は基本的に役職名で行なうことになっている。元々が友達関係の場合は例外もあるだろうが、普通は○○組長とか△△班長と呼称するのだ。そうした中で、ただ一人だけ特別扱いの人物がいる。浅井会長だ。おわかりだろうか、顕正会員は浅井会長を浅井先生と呼ぶ。浅井会長と呼ぶ人は皆無と言ってもよいだろう。

浅井先生だけが特別であり、それ以外はすべて役職名で呼ぶのだ。ゆえに、城衛の場合は、城衛総男子部長か城衛理事長、もしくは単に総男子部長や理事長でも通じることだろう。当然ながら、わたくしもこの慣例に従って書いていた。最初の頃は、である。しかし、ひじょうに面倒臭いので、やめたのだ。

たぶん教子氏は納得しないと思うが、おおむね上述のごとくである。ある意味、城衛は特別扱いなのだ。拙ブログではほとんど個人名を記さない。一会員などは役職を降りればタダの人なのだ。ゆえに男子部長や女子部長も名前を書かないようにしている。総合女子部長の名前すら極力書かないようにしているくらいである。

繰り返しになるが、城衛は特別である。本来は役職で書けばそれで済む。しかし、ご存知のごとく、顕正会は役職名がコロコロ変わる。わたくしの記憶が確かならば、呼び捨ては城衛よりも克衛のほうが先である。克衛は主任理事という役職だったが、いつの間にか消えてしまった。もし正確を期するのならば、元主任理事などと書くべきなのかもしれないが、面倒臭いことだ。しかも最近の顕正会員にはわからない。だったら克衛と書いてしまったほうが単刀直入でわかりやすいだろう。

最後に、想定問答を記しておこう。説明し尽くしたつもりであるが、教子氏ならば次のごとく問うのではないかと思う。

巌虎氏はブログの中で、沖浦氏とか桜月氏など、○○氏と表記することが多い。だったら同様に、克衛氏・城衛氏と書くべきではないか?

これは説明が困難だ。

面倒臭いので説明をやめたいところだが、いちおう何かしら書いておかねばなるまい。まず、今もいちおうは会員目線を残しているつもりである。一般の会員の立場からすれば、城衛総男子部長を城衛氏などとは絶対に呼べない。城衛さんがギリギリだろうか?

城衛君は言語道断だろう。城衛氏もやや不遜の響きがある。城衛さんも微妙だが、ここがギリギリだと思う。結局、役職名で呼ぶのがいちばん楽なのである。

これが会員目線である。

では、巌虎目線はどうか?

ここに答えがある。拙ブログは顕正会員のみならず、法華講員や創価学会員も閲覧している。つまり、わたくしは彼らの目線も考慮しつつ、書いているのだ。

わたくしは猊下を誹謗したことがない。今や顕正会では日達上人・日顕上人を呼び捨てにしているが、わたくしはそれに与しない。あるいは池田大作氏に対しても敬称を冠することを忘れない。では、ここで浅井城衛氏と書くのはどうかであるが、これは完全に会員目線からの逸脱である。池田氏、浅井氏、これはもう完全に第三者の目線である。

この微妙な狭間が巌虎目線なのだ。純粋な会員目線でもなければ第三者目線でもない。これがわたくし独自の立場である。

うまく説明できていないが、まあ、こんなところである。

つまりは城衛でいいのである。

 私が思うに巌虎氏の立場は⇒隊長や区長よりも上の立場。
 つまり顕正会の職員?若しくは顕正新聞社の社員?いや、それより上の【役員】では?

(以下省略)

想像を逞しくするのは結構であるが、まるで見当ハズレである。

顕正会は先月、公称百六十万を達成した。百六十万分の一がわたくしである。ここには名前ばかりの入信者がたくさんいるわけだが、中には真面目に活動していたという人もいることだろう。ともかく百六十万もの入信者がいれば、さまざまのケースが考えられる。委細に見れば、百六十万通りのケースがあるとも言えるだろう。その一つのケースがわたくしなのである。具体的に言えば、ブログというネットツールを使って、顕正会のことをあれこれと綴っている、それが巌虎独白なのである。

2013/8/25

顕正新聞の抜本改革は可能か?  
高速太郎氏は一度、顕正会について詳しく調べたらよいと思う。可能ならば書籍を何冊か読んでみるといいだろう。

さて、広宣流布の定義は今も昔も変わらない。なぜならば、顕正会の定義ではなく、大聖人の定義だからだ。

剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。

かつて創価学会は舎衛の三億を盛んに言っていた。これを徹底的に批判したのが顕正会である。なぜに三分の一で広宣流布と言えるのか、そんな馬鹿なことはあり得ない、と。
あるいは正本堂について、なぜに私的に建てた正本堂が本門戒壇たり得るのか、そんな馬鹿なことはあり得ない、と。
つまり、広宣流布にしても本門戒壇建立にしても、顕正会の場合はベラボウにハードルが高いのだ。その心意気は立派である。しかし、その実現性はきわめて低い。

いや、もちろん、大聖人が大地を的とすると仰せられる以上、そこに信を置くのは当然である。

しかし、そうは言っても顕正会の実態というか現状を思えば、気の遠くなる話である。

六千万

顕正会における流行言葉の一つである。これは戒壇建立の最低条件と考えられる。つまり、三分の一では戒壇は建たない、最低でも日本国民の過半数が戒壇建立を熱願しなければダメである、という意味なのだ。

百六十万

そしてこれが現時点における顕正会の公称人数である。

困ったものだ。なぜならば、この百六十万は名目上の数字であって、実数ではないのだ。実数はせいぜい十万人くらいだろう。厳しい人はさらにその半分以下だと言っている。せめて舎衛の三億の原理を当てはめて、名目数の三分の一が実数であればまだマシなのだが、現実には十分の一にも満たない。

以上、これでは幹部が確信を持てなくても無理からぬ話である。

女川原発については特に申し上げることはないが、ようは再稼働問題との絡みで論じられていることなのだ。原発推進派は、福島第一よりも震源に近かったはずの女川が無事だったことを理由に、安全が確認されれば再稼働してもいい、という方向に持って行こうとしているのだ。

わたくしに言わせれば、考えが甘い。

かつてスリーマイルやチェルノブイリで事故が起きた。この二つは地震や津波とは無縁のところで事故が起こっている。原発事故は地震や津波だけが原因ではない。つまり、再び日本のどこかで原発事故が起こるとしても、それが地震や津波によって引き起こされるとは限らないのだ。ゆえに、地震対策や津波対策が万全であったとしても、それで事故が起こらないとは絶対に言えない。事故の悲惨さを考えれば、原発はやらないほうがいい、ということなのである。

顕正新聞のことで二つのコメントを頂戴した。

>「顕正新聞は聖教新聞と違い、テレビ欄もスポーツ記事も芸能記事もないから、楽しくない」

 いや、全くその通りですよ。誤魔化しに登壇記事を多く載せて、それで一部200円は高い。


高いか安いかは読者の主観によるところが大きいだろう。たぶん、つまらないと感じている人にとっては、ベラボウに高いはずである。一般の新聞・雑誌であれば買わなければいい。けれども顕正新聞は半ば義務化されていて、まさか活動会員でありながら購読していないなどという人はいないはずである。ましてや多重購読の問題がある。つまり、一部でいいところを二部三部、あるいはそれ以上と、一人でたくさん購読している場合があるのだ。

あの新聞は、浅井さんが殆ど監修してるようですから、そろそろ浅井さん自体が頭打ちなのかな〜って思います。

これはなかなか厳しい指摘であるが、現実的なことを書けば、行事が少ない、これが理由の最たるものである。月に三回の発行であるが、かつては総幹部会特集と御書講義特集、これで二回分は埋まっていた。しかし、今は御書講義がないので、総幹部会特集しか組めない。ゆえに、残りの二回分をどのように組むか、頭を悩ますことになるのだ。

具体的に見てみよう。

第1283号 十四人
第1284号 二十二人


上段は七月度総幹部会を報ずる号であり、下段はその直後の班長会を報ずる号である。体験発表や活動報告などの登壇記事が十四本と二十二本。この差は何を意味するのだろうか?

総幹部会は会長講演がある。これで毎回、ほぼ二ページ分を使っている。班長会はそれがない。そこで二ページ分をいわゆる代表決意に充てるのだ。

ご存じない人のために説明しておこう。

体験発表や活動報告はそのままで意味が通じると思う。前者はいわゆる信仰体験を語るものであり、信心によって病気が治っただとか、仕事や学業で実証を示すことが出来たとか、あるいはよき臨終を迎えることが出来たとか、そういう類の話である。活動報告は折伏が何名できたとか、結集が何名できたとか、あるいは顕正新聞の購読推進がどうのこうのという話である。

さて、問題は代表決意であるが、これは総幹部会における会長講演に相当するものと、いちおうは言えると思う。

登壇の順番を示せば、体験発表→活動報告→代表決意となる。役職で言えば、初心者→中堅幹部→代表幹部となる。つまり、最後の代表幹部による登壇はその集会における講演ないし指導に相当するわけだ。

ゆえに、本当ならば、「男子部長指導」とか「婦人部長指導」と書かれるべきところである。事実、昔の集会では司会がそう言っていた。

それでは最後に、男子部長指導! お願いいたします。

こんな感じだったと思う。

ところが今は言わないらしいのだ。

つまり、顕正会において講演だとか指導が出来るのは浅井先生だけであり、その他の幹部たちには許されないことなのだ。ゆえに第1284号の一面に載る男子部班長会の浅井城衛の登壇も、代表決意となっている。ちなみに、城衛の役職は理事長・総男子部長であるが、それでも指導だの講演だのは出来ない、決意を述べるのみ、それが顕正会なのである。

話がダラダラと長くなってしまったが、総幹部会における会長講演はほぼ二ページ分が使われる。その翌号にはその二ページに八人の代表決意が載せられるのだ。しかもそれは会長講演をなぞっただけであり、どれもこれも似たり寄ったりの内容なのである。

以上、顕正新聞のツマラナさがよくわかったはずである。

最後に沖浦氏のコメントを取り上げて終わりたい。

 創価学会は逸脱から軌道修正に成功をした。

これは具体的に何を意味しているだろうか?

2013/8/19

顕正新聞の刷新を期待する  
沖浦氏のコメントはまさにおっしゃるとおりであり、何も加えるべきものはない。

へな氏のコメントは鋭い。

浅井会長亡き後、こういう発言をする幹部が出てきそうですね。

「もし浅井先生ここにましませば、何を命じ給うか」

これは浅井会長の名台詞の一つを一部修正したものですが、浅井会長亡き後は顕正会内におけるその存在が今以上に絶対的なものになっていくと思います。


しかし、このセリフを使えるのは後継者ただ一人だけだろう。もし複数の幹部にこの手の発言権があるとすれば、必ず分裂することになる。それぞれが自分勝手なことを言い出すことになるからだ。

ある意味、第十四婦人部長の記事はこうした事情を反映しているとも言えるだろう。広宣流布の暁には憲法が改正される。その時に先生がいなかったら、ああじゃない、こうじゃないと、話がまとまらない。ゆえに憲法改正は先生主導で行なうべきである。

実を言うと、どれほどの大幹部であろうと広宣流布に確信が持てないでいるのだ。雰囲気的にはいちおう何となく広宣流布を確信しているが、具体的な青写真を思い浮かべようとするとたちまちに確信が失せてしまうのだ。実際、三大秘法の広宣流布は前人未到のことなので、一つひとつ具体的な事案を詰めていくとなると、何をどうしてよいものか、まったくわからないのだ。ゆえに広宣流布達成のその日まで浅井先生に生きていてもらわないと困るというのが、幹部たちの偽らざる本心なのである。

「もし大聖人ここにましませば、何を命じ給うか」

浅井先生の名セリフである。しかし、他の人には発言権がない。顕正会においては浅井先生のみがこの権利を有する。ようはワンマン体制であるが、結局はこれがアダとなって、浅井先生がいなければ何もできない脆弱な組織となってしまったのだ。

さて、第1281号に入ろう。

ぜんぶ読んでいるが、ほとんど忘れてしまっている。記事が多過ぎるからだ。一面は日曜勤行の指導。これはまあいいだろう。二面から七面まで、すべて登壇記事だ。しかも幹部たちの話は浅井先生の二番煎じなので、どれもこれも似たり寄ったりである。活動報告や体験発表はそれなりに面白いが、今さら読み直す気がしない。

本部会館の「古代ハス」
 今年も美事に開花!


四面右下の写真が唯一の救いだ。

そして最後、八面のコラムがよかった。

中国産を正しく恐れる見識を

例の中国の猛毒食品について書かれたものである。シリーズ四回目の今回がいちおう最終回のごとくだ。

それにしても上掲の言い回しが微妙である。正しく恐れる? なんか変な感じがするけれども、まあ、言っていることはそのとおりだろう。そして、具体的には紹介しないけれども、本文は物凄く緊密な文体であり、わたくし的には好印象だった。誰が書いたものか、気になるところである。

第1283号もかったるい。

一面の日曜勤行は今回も省略する。そして二面以降であるが、最終の八面まで、なんと二十四本もの登壇記事がある。これはウンザリである。唯一の救いは五面の下段だろう。

東電「汚染水海洋流出」認める
 二ヶ月も隠蔽、漁業者は憤激


女川原発も実は危なかった!
 被災全原発が最悪一歩手前だった


先ほど、唯一と書いたが、厳密には原発関連の記事が二本ある。やはり深刻度としては汚染水の海洋流出だろうか?

きわめて個人的なことを書くと、わたくしは魚が好きである。おそらく平均すれば、三日に一回は魚介類を食べている。いや、二日に一回かもしれない。しかし、上掲のような記事を目にすれば、食べるのを躊躇せざるを得なくなってくる。この先、汚染が拡大すれば、中国の猛毒食品どころの話ではなくなる。まったく、困ったものである。

さて、当該号もほとんどの記事を失念してしまったが、たまたま一つだけ好都合の記事が見つかったので紹介しよう。

顕正会入会者続出に危機感懐く学会
 あの手この手で脱会防止に大童


男子部の支隊副長の活動報告であるが、本文中には創価学会員のセリフとして次の記述がある。

「顕正新聞は聖教新聞と違い、テレビ欄もスポーツ記事も芸能記事もないから、楽しくない」

一面の真理を言い当てていると思う。さすがにテレビ欄やスポーツ記事などは不要だが、それにしても顕正新聞はつまらな過ぎる。主要な行事のない時には、その穴埋めよろしく、登壇記事をたくさん載せて誤魔化しているからである。たぶん編集部も自覚していることだろう。

2013/8/18

久々に顕正新聞を題材に  
気がつけば、顕正新聞の話題から遠ざかって、すでに一ヶ月が経つ。最後に取り上げたのは第1279号であり、最新号は第1284号であるからして、ずいぶんと溜め込んでしまったものである。さて、どうしたものか・・・

第1279号から二つほど紹介しておこう。

日目上人の御心を受け継いでおられるのは先生お一人。宗門は恥じ入るべし。

女子部総務・第二女子部長の発言であるが、これは原文を圧縮したものなので、そこは誤解なきように願いたい。ようするに、顕正会は国家諫暁をやっているが、宗門は何もやっていないじゃないか、恥ずべきである、と言いたいらしいのだ。おそらくは宗門も他の一般仏教同様に、いわゆる職業僧侶と化している面が否めないのだろう。しかし、これは長い年月を掛けて醸成されてきたものなので、そう簡単には改まるものではない。顕正会の体質だって同じなのだ。いろいろ問題があるけど、そう簡単には改善されない。お互いさまである。

第十四婦人部長は次のごとく言っている。

広宣流布の暁には、大聖人様が「立正安国」と叫ばれ「王仏冥合」「国立戒壇建立」とお教え下された、その根本の大事が生かされる憲法が制定されること、そのとき浅井先生のご存在がなくてはならぬことを伏して拝察したものであります。

先の女子部幹部は、国家に積極的に関わらんとしている浅井先生の姿勢に比し、宗門が何もやっていないことをあげつらうわけだが、しかし、現実的には実力不相応と言わざるを得ないだろう。

つまり、宗門としては将来的に何かアクションを起こすつもりでいるのかもしれないが、今は時期尚早ということなのだろう。一方の顕正会は、日本に残された時間は少ない、今やらずしていつやるのか、と考えている。しかし、上述のごとく現実的には実力不相応であり、さらにもう一つ現実的な問題がある。再掲しよう。

そのとき浅井先生のご存在がなくてはならぬ・・・

くだんの婦人部幹部がこのような思考に至る理由を考えるに、やはり顕正会の内部では広宣流布が眼前であるかのように言われているのだろう。もし広宣流布がずっと先のことであれば、さすがに浅井先生も存命ではいられないだろう。また、そうしたこととは別に、顕正会は浅井先生がいなくなればオシマイという意味もあるのだと思う。つまり、いつまで経っても浅井先生の存在がなくてはならぬ、言い換えれば永遠の存在である、さらに飛躍すれば常住此説法、これが顕正会における浅井先生の位置付けなのだ。

さて、次は第1280号である。

「立正安国」特集号

当該号は六月度総幹部会の特集号であるが、なんと別の名前がついていた。上掲のごとくである。

会長講演が一面から三面にわたって掲載されているが、そこにはさして目新しいことが書かれているわけではない。後半、アベノミクスを云々するくだりでは最新の情報が盛り込まれているものの、全体の構成そのものは過去の焼き直しである。どうやらこれは会員向けというよりは、外部の一般向けに書かれたものらしい。ようは先生の年来の主張をダイジェスト的にまとめたものであって、広く一般人に読ませることを目的としているのだ。つまりは諫暁書の一環である。事実、これは国会議員や首長などに対し、およそ三万部を発送したとのことだ。

なるほど、先の女子部幹部ないし婦人部幹部の話と併せて考えれば、浅井先生が社会に向かって積極的にアプローチしていることがいちおうは理解できる。

しかし、実際にはどれほどの効果があるのか、そこが疑問である。

公明党 都議選で10万票も減少!
 「全員当選」の裏で学会は衰退


特集号の最後の記事がこれである。わたくしは思う、他人のことをあげつらっている場合ではないだろう、と。

何しろ公明党は現実に勝っているのだ。都議選もそうだが、参院選も勝った。これはさまざまな分析の仕方があるのだろうけれども、勝ちは勝ちである。

では、顕正会はどうか?

残念ながら明確な指標がないので、勝ったとも負けたとも言えない。誓願に勝った、空前の大勝利、過去最高、などと威張ったところで、他と比較する客観的な指標がない。ゆえに自己満足に過ぎないのだ。

創価学会の場合は違う。公明党の議員を当選させるということは、選挙という土俵の上で戦っているわけだ。同じ土俵の上には自民党もいれば民主党もいる。共産党もいれば社民党もいる。その他諸々の政党もいる。そこで勝利を収めることは並大抵のことではない。

顕正会は直近の折伏法戦で百六十万を達成した。しかし、これは他と比較する何の指標にもなり得ない。しょせん、この百六十万は名目上の数字であって、実数ではない。ゆえに、もし本当の実力を知りたいのであれば、顕正会も選挙に打って出ればいいのだ。そうすれば惨憺たる姿が如実に示されるだろう。

他人の得票減をあげつらっている場合ではないのだ。

2013/8/14

戒壇本尊本懐論の一局面  
沖浦氏より神社参詣の議論をやらないかとのお誘いを頂戴したが、今しばらく保留としたい。

2013/8/12 22:48
投稿者:昔の名前で出ています
お答えありがとうございます
率直に言って 厳虎さんの説明は 可能性の域を出ていないように思われます
三大秘法抄の一説が なぜ大石寺に有る 大石寺が言う所の戒壇の御本尊だと言えるのですか?
御書にヒントですか?答えでは無く?
それと御本尊に関しては 区別した時点で差別になってしまいますよ


やはり、こちらが最優先である。わたくしには必ずしも切り札があるわけではないが、しかし、相手が誤解している以上は、出来得る限りの努力をもって誤解を解きたいと思う。

巌虎さんの説明は可能性の域を出ていない・・・

可能性の域を推測の域に言い換えると、確かにそれは否めないところだと思う。ようするに、わかっていないことがたくさんあって、そのわかっていない部分を自分なりの考えで補填しているわけだ。ゆえに、当面はその考え方が正しいか否かが問われることになる。

三大秘法抄の一説が なぜ大石寺に有る 大石寺が言う所の戒壇の御本尊だと言えるのですか?

この後、ヒントですか、答えではなく? との質問が重ねられているわけだが、まさにここが法門に対する考え方の問題なのである。

ズバリ、弘安二年十月十二日の御本尊を本門戒壇に安置せよ、という御書はどこにも存在しない。ゆえに、おっしゃるごとく、なぜ大石寺の戒壇の大御本尊が戒壇安置の御本尊だと言えるのかと問われれば、なかなか明快な答えを出せないのも事実である。よって、わたくしは答えがあるとは書かず、ヒントがあると書いたのだ。

そこで問題となるのは、考え方の是非である。

本門戒壇とはいかなるものか、それは三国並びに一閻浮提の人々にとって懺悔滅罪の場所であり、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うほどの大戒壇である。そこに安置される御本尊こそが、すなわち本門戒壇の大御本尊である。

さしあたって問題となるのは、この考え方が正しいか間違っているか、である。

しかし、いまだに戒壇建立の大事ということが広く認識されておらず、いわゆる日蓮正宗系においても、そこがよくわかっていないのが現状である。ゆえに議論が深まらない。

逆に言えば、戒壇本尊に対抗し得る御本尊が他には存在しないので、戒壇建立云々に議論が突入していくと困る人たちがいる。だから議論を避けている。これが真相だかもしれない。

ちなみに、田中智学という人はあえてその領域に踏み込んで行った、近現代における稀有の存在なのかもしれない。

それと御本尊に関しては 区別した時点で差別になってしまいますよ

ここは瑣末な点ながら、明快な間違いなので、指摘しておきたい。

先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。

経王殿御返事の一節である。つまり、ここでの「まぼり」はいわゆる御守り御本尊のことだと拝されるわけで、戒壇安置の御本尊と同日の談ではない。

日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

大聖人の御本尊はそのサイズにかかわらずいずれも大曼荼羅である。しかし、あえて語弊を承知で言えば、使用目的によってサイズが異なるわけで、個人授与の御守り御本尊が戒壇安置の御本尊たり得るわけがないのは自明の理であろう。これは差別だの区別だのといった瑣末な議論とは無関係のことであり、本門戒壇の重大性に鑑みての結論である。

 仮に本門戒壇と言う伽藍が必要だとしてですが、私は仏法上の意義云々ではなく、世間を意識した時には必要だと思っていて、現在建設中の創価学会総本部を、そう言う位置づけにするべきだと考えています。

まるでわかっていない。

 将来は、アフリカあたりに素晴らしい建造物を建て、ピラミッドと並んで後世へ伝えるべきでしょう。

いかにも沖浦氏らしい発言であるが、戒壇建立の大事がわかっていないことを露呈した格好である。

 その建物にどう言うご本尊を安置するか?

 別に大聖人ご図顕のご本尊なら、何でも構わないでしょう。


すでに説明したごとく、御守り御本尊が戒壇安置の御本尊として相応しいかどうか、よく考えるべきだろう。

なお、沖浦氏のために付け加えておくが、大聖人の御本尊はそのサイズにかかわらず、いずれも大曼荼羅である。いわゆる如意宝珠の譬えに明らかなごとく、サイズが小さいから功徳が小さいとか、逆にサイズが大きいから功徳が大きいとか、そんなチャチなものではない。このことと戒壇安置のことは別次元の話である。

最後に全集未収録御書を紹介しておこう。

 竜樹は迹門の意を談宣し、天親は文に約して之を釈し、化導の始終を明かさず。天台大師は本迹の始終を弘通す。但し本門の三学は未だ分明ならざるか。

さしずめ沖浦流法門においては、未だ本門の三学分明ならず、といったところか?

2013/8/11

更新頻度激減の夏  
ご心配をお掛けしているようなので、ここで久々の更新と参りたい。

まず、このところ更新が滞っていたことの理由について書こう。何だか色々なコメントが寄せられていて、ひじょうに面倒臭い。顕正新聞も溜まりに溜まって手がつけられなくなっている。それから真夏なので、ひじょうに暑い。暑くて頭が働かない。やや多忙でもある。おおむね、こんなところだ。

さて、今日のテーマであるが、やはり流れとしては沖浦氏との議論を継続せねばならないだろう。しかし、膠着状態というか、やや堂々巡りのような雰囲気もあるので、少し違ったところからアプローチしたいと思う。

戒壇の御本尊を本懐中の本懐とする根拠は何ですか?
御本尊と御本尊を比較すると言う事は 詰まる所
御本尊を差別する事にはなりませんか?
熱原の法難は100%弘安2年だと言い切れますか?


上掲は沖浦氏からの質問ではないが、大いに関連があることなので、今日はこれを中心に書くことにする。

戒壇の御本尊を本懐中の本懐とする根拠は?

これは三大秘法抄の次の一節にヒントがある。

三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。

戒壇本尊は、まさに文字どおり本門戒壇に安置し奉るべき御本尊であるからして、そこには特別の意義が存する。本門戒壇が複数あるならば話は別だが、それが大本門寺の一箇所だけならばそこに懸け奉る御本尊には自ずと特別の意義が存することになる。

戒壇の大御本尊と他の御本尊を比較するのは、他の御本尊を差別することにならないか?

上述のごとく、すでに答えは出ている。いわゆる人種差別などの意味において、差別は好ましくないことであるが、ここではそのような意味を含まない。あえて言い換えるならば、差別ではなく区別だろう。何しろ三国並びに一閻浮提の人々のための御本尊なのだ。いわゆる一閻浮提総与である。一閻浮提総与の大御本尊に特別の意義が存するのは当然である。さりとて他の御真筆御本尊を蔑ろにするものではない。むしろ他の御真筆御本尊に拘泥して戒壇本尊を蔑ろにするような、そういう本末転倒を恐るべきである。

熱原の法難は100%弘安2年だと言い切れますか?

これは質問の意味がわからなかった。熱原法難が弘安二年でないとすると、戒壇本尊の出世の本懐説が崩れるという意味なのかもしれないが、わたくしはここ一連の議論の中で聖人御難事を一度も引用していない。この点に注目すべきだろう。

仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。・・・余は二十七年なり。

戒壇本尊の文証とされる一節である。あまりにも有名な御文なので省略したという意味もあるが、すでに沖浦氏には通用しないことがわかっているので、引用を控えたのだ。

氏のいわく、弘安二年にあらわされた御本尊はたくさんある、よって戒壇本尊が当てはまる確率は百分の一である、と。

すでに述べたごとく、戒壇本尊は本門戒壇安置の御本尊なるがゆえに特別の意義が存する。この論拠は三大秘法抄である。しからば聖人御難事は何を意味するかと言えば、弘安二年に出世の本懐を遂げたことを示唆する意味に他ならない。ここで沖浦氏は百分の一の確率を云々するわけだが、それは違うだろう。弘安二年の御本尊の中で本門戒壇安置に相応しい御本尊は戒壇本尊しかないのだ。もし他に相応しい御本尊があるとすれば、具体的に候補を挙げるべきだろう。

以上、沖浦氏の言うごとく、「余は二十七年なり」を直ちに戒壇本尊に当てはめることは短絡的のソシリを免れないけれども、さりとて百分の一の確率であるとするのも極端過ぎることである。これは明らかに戒壇本尊を否定せんとする意識が過剰に働いた結果と言わざるを得ないだろう。

ちなみに、熱原法難との関係性について私見を申し述べるならば、戒壇本尊は法難を契機にあらわされたとされているが、わたくしは違う意見である。たぶん話は逆なのだ。戒壇本尊の図顕が先である。まず戒壇本尊をあらわさんと大聖人が決意あそばし、さまざまの御準備を始められた。そこに熱原法難が勃発した、という順序である。おそらく日付は別の話であって、弘安二年十月十二日にどれほどの意味があるかわからないけれども、御本尊そのものはそれよりも前にあらわされていたものと考えられる。ご存知のごとく、御本尊もそうだが御書も同様であって、日付が欠落しているものがけっこう存在する。我々の経験上においても、作品の完成日と日付とが一致しない場合が少なくない。こうした観点からして、法難の時期や聖人御難事の日付、そして戒壇本尊の日付に、整合性を持たせようと思っても、それは徒労に近いことである。極論すれば戒壇本尊はすでに弘安元年に完成していたかもしれないのだ。

宗門が絶対にやらないだろうから、しょせんは無意味な話であるが、もし科学的な鑑定を行なったとしたら、弘安元年が一つの候補であり、もう一つは文永十一年ではないかと思う。

10.12 本門戒壇の大御本尊を造立す

平成新編御書の巻末に付された年表の記述である。ここに造立とある以上、最初から板本尊として造立されたわけだろう。ならば熱原法難が勃発して急いで板を用意したなどという、いわばヤッツケ仕事のようなことはあるはずがない。当然、数ヶ月ないし数年前から御準備をあそばしていたはずなのだ。

その候補の一つが弘安元年すなわち一年前であり、もう一つは身延入山の年たる文永十一年である。

以上、しかるべき鑑定を行なえば、偽作論者ならば定めて後年を指し示すものと考えているはずであるが、わたくしは逆に弘安二年よりも早い時期を指し示すはずだと考えているのだ。


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