2013/11/30

師走を前に  
早いもので、気がついたら今月も終わりである。そして明日からは師走だ。

教子氏は多忙らしく、一向に音沙汰がない。師走ともなれば、なおさらのことだろう。

前回のおさらいをしておくと、わたくしは教子氏の職業と趣味の関係に疑問を持った。職業がカウンセラーで趣味もカウンセラー? はたして、そんな人がいるだろうかと。
それについて、本人の釈明を聞きたいと思って待っていたわけだが、あれ以来、まったく反応がない。年末に向かって多忙を極めているのだろうか?
もしそうならば、氏からコメントが寄せられるのは、冬休みに入ってからになりそうだ。

叱られるのを承知で書いてしまうと、わたくしは教育委員会をいわゆる閑職だと思っていた。

いまやブラック企業なる言葉が流行語と化し、多くの人が過労死でバタバタと無駄死にしていく時代である。いや、実は逆のパターンもある。仕事にありつけないで、ブラブラしている人も少なくない。ようはその両者がうまく融合すればいいわけで、いわゆるワークシェアがうまく行けば問題の多くは解決するはずなのだ。
しかし、現実はそう簡単ではない。理想論はいくらでも述べられるが、それを現実化していくことがどれほど困難であるかは、誰もが経験的にわかっていることだろう。
そこで教育委員会であるが、わたくしの勝手な想像では教育委員会は閑職である。そして民間はいざ知らず、公務員の場合は忙しかろうが暇だろうが給料はしっかりと出る。ブラック企業が問題になるのは、死ぬほどの苦労をさせられながらもそれに見合う報酬が得られない、そういう悪条件の下で働かされていることがまさに大問題なのだ。一言で言えば、割に合わない。公務員はその逆である。

教子氏は閑職に就いている。やり甲斐の意味ではどうかと思うが、安定した報酬が得られる意味では幸せである。

やり甲斐・・・

まさにここがポイントである。もしカウンセラーとして多忙を極めているのならば、わざわざブログなどでカウンセラーもどきのことをする必要はないだろう。いや、より正確に言えば、必要云々ではなく、そんな暇はないはずなのだ。しかし、現実には閑職であって、カウンセリングの業務そのものが少ない。もしかしたら一日に一人も相談者が来ないようなこともあるのかもしれない。もしこれが事実だとしたら、ある意味ではやり甲斐どころか、それ自体がストレスとも言えるだろう。民間企業だったら潰れているはずだ。それが公務員だから潰れる心配はなく、給料だけはしっかりと貰える。ただし、やり甲斐はない。まったく充実感のない仕事だ。

以上、教子氏のブログの動機をわたくしなりに推理した結果を書いたわけだが、これはあくまで当該職務が閑職であると仮定した上での話である。ゆえに、もし教子氏が多忙を極めているとすれば、また話は違ってくる。あとは教子氏のコメントを待つのみである。

バーズはバカーズ

これは自虐系おやじギャクとでも言うべきところか?

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スクールカウンセラー 資格要件

・臨床心理士
・精神科医
・大学教員(児童・生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識および経験を有し、学校教育法第1条に規定する大学の学長、副学長、教授、准教授または講師(常時勤務をする者に限る)の職にある者、またはあった者)

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うーむ、これはハードルが高いですぞ。


確かにハードルが高そうだ。

まぁ~それで満足する巌虎さんではないでしょうね。
みずからハードルをあげたぶん、期待してますよ(^_^)


いやいや、これはまいった。自分ではハードルを上げたつもりはない。むしろ、こういうコメントこそが無言のプレッシャーであり、とてつもなく高いハードルなのだ。

【教育委員会】さんは反顕正会であるからして、それに対する反応が同じ現役顕正会員であるなら似通うのは必然的でありましょう。

同じ現役顕正会員・・・

これはちょっと違うと思う。同じ現役顕正会員と書かれたらバーズ氏が迷惑だろう。彼は純然たる現役会員だが、わたくしはオチブレ会員である。しかもわたくしは顕正会を批判しているわけであって、浅井先生すらも批判の対象なのだ。ゆえに同じではない。

ただし、このところは顕正会擁護の論陣を張っているような印象が、読者にはあるのかもしれない。もちろん、これは是々非々であって、擁護もすれば批判もするのがわたくしの立場である。そして教子氏の場合は批判一辺倒というか、ややもすれば悪口中傷に異ならないような言動が目立つので、共同戦線というわけではないけれども、結果的にはバーズ氏とタッグを組むような格好になったわけだ。

前略、名前だけ学会員の2世の者です。
創価学会襲撃事件は例え山友氏らの煽りがあっても学会本部に塀を乗り越えたりの行為は事実で不法侵入であり、大喧嘩は暴行罪でしょう。現実に村岡総務らが捕まっております。法的には違法でしょう。


この事件の真相については、今もなお当事者が多数存命であるはずなので、その証言を待ちたいところだ。何か画期的な新証言が出てくるかもしれないという期待もあるが、実際にはそれほど期待しているわけではない。ただ、当事者でない者がああだこうだ言っても仕方がないと思う。ようは立場によって見解が分かれることは目に見えているので、わたくし的にはあまり深入りしたくないのだ。

今回の顕正新聞特集号のカラミで言えば、わたくしの記憶では浅井先生がこの件でここまで詳述したのは初めてのことではないか、ということだ。なぜ今ごろになって、この話題を蒸し返したのか、逆に言うと、なぜ今までほとんど触れなかったのか、わたくしにはそれがわからないのだ。やや穿った見方をすれば、何かヤマシイことがあって言及を控えていた。今回は相当の年月を経ていることもあるし、創価学会の悪辣さをクローズアップするためには必要不可欠のネタだった。ゆえに返り血を浴びる覚悟で持ち出してきた。

さて、真相はいかに・・・

同じ事は大石寺の老僧小笠原某師への「狸祭り事件」は
牧口先生獄死への逆恨み事件で強要罪行為の違法で
戸田先生の勇み足だと思います。あくまで法的で感情論ではありませんが。


さすが未活動者だけのことはある。公平な視点から書いていることがよくわかる文章だ。

そこで少し私見を加えさせていただくと、いわゆる本部襲撃事件と狸祭り事件は法的云々は別にして相当に事情の異なる問題だと思う。ようするに現在進行形の事案と過去の事案という違いである。本部襲撃事件は顕正会的な表現では御遺命守護の戦い、一般的には正本堂問題とでも呼ぶのだろうか、その一連の流れの中で起きたものだ。一方の狸祭り事件は、事件の発端というか淵源と、事件そのものとの間に、相当の時間的な隔たりがある。ゆえに同じではない。かなり性質の異なるものだと思う。

あと、沖浦さんは造反者山友氏が亡くなった時「ご冥福お祈りします」と言ったのは自分が知る限り沖浦さんだけだと思います。いい気味が多い声の中で立派だと思いました。

これはおっしゃるとおりだろう。顕正会員も沖浦氏に見習うべきだ。

因みにシンパもアンチも異なる意見や気に入れないと言ってアク禁や晒しなど論争にならない例など多々ありますので、第三者管理の掲示板での論争はいかがでしょうか?
一応、その掲示板スレを書いておきます。よろしく。


拝見したが、あまり気が進まないというのが本音である。

2013/11/23

教子氏の人物像に迫る  
まず、沖浦氏のコメントを紹介しよう。

>私は八百万学会員を救いたい!!

 先ず、ご自分の顕正会員を幸福になさいませ。
 それが先決です。


これはおっしゃるとおりであって、わたくし的には異論なしである。百六十万顕正会を標榜している以上、キッチリと百六十万人を救わなければいけない。現実には百万人以上がミカツなのだから、まずはそれを何とかしないといけない。八百万学会員を救うどころの話ではないのだ。

ユタ氏や瑠璃堂氏から、他のブログと内容が被っていることについて、それほど気にすることはない、とのアドバイスを頂戴した。

それはそのとおりなのだが、まあ、しかし、オリジナリティを大事にしたいというか、いわゆる差別化というのだろうか、ともかく人とは違うんだ、自分は自分なんだ、という自己主張ないし自己顕示欲のようなものがあるのは事実であって、たぶん読者にしても巌虎独白の独自性・独立性のようなものに期待しているだろうと思うので、それを今後も追及していきたいということなのだ。

それはともかく、バーズ氏は彼我の明確な差を単刀直入に書いている。

巌虎は面倒臭がりであること。氏は面倒を厭わない。ゆえに巌虎は自分の浅薄な知識だけで書いているに過ぎないが、氏は専門家の意見を聞いて書く。

ああ、これはいけない。

これだとまたしてもユタ氏に叱られそうだ。己を卑下していると。

そこで、わたくしは自分の知識だけで書いているが、結論的には専門家の意見に近いことを書いている、だからこそ内容が被るのだ、というふうに書き直しておこう。

こう考えれば、わたくしの知識もあながち捨てたものじゃないことになりそうだ。

さて、そこで教子氏の話に入るが、ちょうど都合よく教子氏からもコメントが入っているので、まずはそこから話を始めよう。

 特集号なる屑(くず)新聞を配るようですが、屑(くず)新聞が無料なら⇒信者の負担はゼロ・0ですが、お金が掛かるんですよね…。
 その上、郵便代・切手代までも、信者が負担…。

 折角(友達に?)送った、特集号屑新聞も⇒送られた(届いた)信者の知り合いは⇒屑新聞を即行ゴミ箱行き(溜め息)

 浅井は、信者が貧乏に なったって、知ったこっちゃない!んです。
 真面目な信者達よ、いい加減 気付け!いつまでコンナ所に居るんだ。


特集号は一部三十円である。これは妥当というか、わたくし的にはそれほど悪くないと思う。もちろん、無料に出来ればいいのだが、さすがに苦しいだろう。ゆえに活動会員に負担を強いるのは止むを得ないことだ。問題はその負担の度合いが妥当かどうか、ただその一点だけだと思う。

なぜならば、活動会員にとっての最大の負担(?)は御奉公そのものだからである。顕正会で活動すること自体がすでにして大きな負担なのである。単なる経済的負担ではなくて、もっと大きな意味の、すなわち人生における負担なのだ。

教子氏は無宗教だそうである。

ならば上掲の指摘は瑣末というか、ある意味では的外れ、ようはトンチンカンな批判であろうと思う。顕正会員は活動のために人生を費やしている。それが宗教的な価値を生むわけであって、いわゆる功徳になる、もしくは功徳を積むわけだ。しかし、無宗教の人に言わせれば、まったくの無意味な行為であり、そんなものに価値はない、功徳なんてちゃんちゃらおかしい、となる。つまりは活動すること自体が人生の浪費であり、ムダな努力ということになるのだ。時は金なりである。こうして見れば、一部三十円が高いか安いかなど、どうでもいい瑣末な議論であることがよくわかるだろう。世の中にはもっとアコギな宗教団体があって、驚くほどの暴利をむさぼっているという、そんな話もチラホラ耳にするところである。それに比べれば顕正会などカワイイものである。それでもなお、イチャモンをつけるのだろうか?

 顕正会が、昔犯した⇒創価学会襲撃・妙観講襲撃は、ヒドイです。自分と意見が違うから⇒襲撃(怒)
 
 当然ながら、顕正会信者は、何人も逮捕され…。

 だが、浅井顕正会は、全く反省せず(怒)


妙観講襲撃云々は別の議論としたいが、例の創価学会本部襲撃事件については顕正新聞特集号第二弾を読むか、もしくは山崎正友氏の著書を読んだ上で論ずるべきだろう。今回の特集号を公平な立場で読むならば、顕正会側の言い分も相当であることに気がつくはずである。教子氏はそれを踏まえて上掲のごとく結論しているのか、それともまったく度外視して論じているのか、そこが問題だろうと思う。もし後者であれば教子氏の姿勢こそが糾弾されてしかるべきである。

 最後に、若者のネット中毒・ライン中毒が社会問題に なってる昨今。生徒にも
『ネットにハマるな。シッカリ勉強しろ!』
と言ってる私が、ネットばかり やるわけには、いきませんから。勤務明けは…。

 第1に、自分の仕事。

 第2に、自分のブログ作成。

 3と4は無く、

 第5位に、他者へのコメントをです。


教子氏はわたくしの質問に答えていないが、どうやら次のコメント辺りで答えるつもりらしい。ゆえに、それを待ってから書くべきなのだけれども、いつものごとく勝手に話を進めてしまおう。

最近、教子氏のブログのプロフィールが更新された。

 高校教師で、カウンセラーの資格を有します。現在は教壇(学校)を離れ、〇〇県教育委員会の勤務で、イジメ・体罰の撲滅に、取り組んで おります。

以前のプロフィールがどうなっていたか、今となってはわからないが、ともかくわたくしの質問に答えるつもりで書き直したのだと思われる。率直な感想を言えば、上掲はひじょうにスッキリしていて、悪くない。

「教師でカウンセラーという人がいるのか」は、文部科学省に教えてもらいました。
実は、教育現場で働くカウンセラーは、専任のカウンセラーなのだそうです。
子供達は教師にも打ち明けられない悩みを抱えている場合が多く、教師がカウンセラーになってしまうと意味がないのだそうです。


このバーズ氏のコメントにも見事に対応していると思う。

教子ちゃんは「○○県」と書いていたけど、本当は「○○都」でしょ。あなたのおうちは「○○都」にあるのでしょ(笑)
いつも品川駅から京急の快速特急に乗るって自分で暴露していたでしょ(笑)


これも普通に考えれば、東京都在住で勤務先が神奈川県の教育委員会だとすれば、さしたる疑問はないことになる。

そこで再掲である。

勤務明けは…。

 第1に、自分の仕事。

 第2に、自分のブログ作成。

 3と4は無く、

 第5位に、他者へのコメントをです。


教子氏はもともと教師だった。そして今は教育委員会でカウンセラーをやっている。教師を辞めたのではなく、いわゆる出向のような形なのだろう。ゆえに今も教師の自覚があるというか、いずれは教職に戻ることになるので高校教師の肩書きも外さずにいるのだろう。わたくしはこのように理解した。

それにしても上掲が解せない。勤務明けは第一に自分の仕事?

品川駅から京急に乗って神奈川県のどこかへ出勤する。川崎市か横浜市か横須賀市か、京急ならばその辺りだろう。それはいいとして、仕事が終わって家に帰る。家に帰って、さて何をするか? 第一に自分の仕事? あれ、なんだそりゃ?

何か副業でもやっているのだろうか?

まあ、ここまでは教子氏の今朝のコメントを読んでから考えたことであるが、それ以前から考えていたことを今から書こうと思う。いよいよわたくしの独自性(?)を発揮できるかどうか、ここからが本番である。

本業がカウンセラーで、趣味がカウンセラー?

これがわたくしにはわからないのだ。

教子氏は前掲で第二に自分のブログ作成を挙げている。わたくしはこれをお遊びと書いて教子氏に叱られてしまったわけだが、お遊びは表現が悪かったにしてもいわゆる趣味の範疇であることは確かだろう。何しろ実際の教育委員会とはリンクしていないのだから、仕事とは切り離しているわけだ。また、前掲にも明らかなごとく、第一仕事・第二ブログと記述しているわけだから、仕事とは別なのだ。

ここはそれぞれの感覚が問われることになると思うのだが、わたくしの感覚では仕事でカウンセラーをやっていて趣味でも同様のことをするなんて、まずあり得ないことだ。いや、もちろん、これは今書いたごとく、個々人の感覚の問題なので、わたくしの感覚が絶対的に正しいわけではないだろう。ゆえに、これに関して他の人たちがどのように思うか、ぜひとも聞いて見たいところである。当然、教子氏にも言い分があるだろう。氏のコメントを待ちたいと思う。

2013/11/20

特集号第二弾を読んで  
ユタ氏より、バーズ氏のブログと内容が被っている、とのご指摘をたまわった。これはまことに面目ないことであって、わたくしとしては独自性を売りにしているつもりなので、他人の書いていることと同じであるならば、もはや拙ブログの存在意義はないに等しい。以後、気をつけたいと思う。

早朝、教子氏よりコメントをたまわったが、結局のところ、わたくしの問いには答えていない。元の所属教団のことと、高校教師が教育委員会に勤めていることと、大きくはこの二つである。次回のコメントに期待したい。

さて、顕正新聞第1291号である。

「池田大作と暴力団」特集号

たまげた。これ以外に言葉はない。

 冨士大石寺顕正会の十月度総幹部会は二五日、大宮ソニックシティ大ホールにおいて、大熱気の中に開催された。

まず、今回の特集号も大量配布を念頭において作られたものであることは明らかだ。とりわけ上掲が象徴的である。比較のために第1289号の同じ部分を紹介しておこう。

 九月度総幹部会は二十五日、大宮ソニックシティ大ホールで開催された。

当該号は不当捜索特集号であるが、この部分に限って言えば通常の書き方と変わらない。そして今回の第二弾の特集号は明らかに通常とは違っている。つまり、わざわざ「冨士大石寺顕正会の十月度総幹部会は・・・」と書いていることが、従来との違いなのである。

これは一般人を視野に入れての書き方なのだ。顕正新聞は顕正会員が読む新聞だから、わざわざ「冨士大石寺顕正会の・・・」などと書く必要はないわけだ。ゆえに特集号第一弾ではまだ従来どおりの書き方だった。しかし、第二弾においてはよりいっそう一般人を意識して、書き方を変えたわけである。まさに大量配布を目論んでの工夫に他ならない。

池田大作は30年間暴力団を使っていた!!

仏法上の大罪は御遺命(国立戒壇建立)違背
偽善の裏で暴力団使い邪魔者は消せ
 私は八百万学会員を救いたい!!


凄まじい限りである。

しかも今回は五ページである。いきなり一面から会長講演が始まり五面まで内容がギッシリと詰まっている。いや、もちろん、文章だけならばウンザリするが、ところどころ図版が挿入されているので、わりと読みやすいというか、誰もが惹き込まれてしまうような、実に見事な構成である。この点においても大量配布を見込んでいることがよくわかると思う。

ここで素朴な疑問というか、わたくしの思うことは、浅井先生はこの記事を一から十まですべて自分で書いているのか、企画構想の段階から新聞の出来まで、すべて自分でやっているのか、という点がひじょうに気になるところである。それとも有能なブレーンがいて、ある程度のところはその人に任せているのか、である。

というのは、年齢的な衰えは例外なく誰にでも襲ってくることだからである。ゆえに、もしも今もなお、一から十まで自分ひとりでやっているのならば、大したものである。

もっとも、今回の記事もその大半は過去の焼き直しというか、他人の書いた文章の丸写しなので、それほど苦労はないのかもしれないが、それにしても大したものだと思う。わたくしにはマネの出来ないことだ。

さて、それでは少しばかり内容に入ってみよう。

即日、謀略新聞発行

これはフェイクのことだと思われる。

 九月十一日、顕正会の本部会館等五ヶ所が不当家宅捜索を受けたが、学会はその日のうちに小型の謀略新聞を発行して、鬼の首でも取ったように、「警視庁公安部による家宅捜索」と大々的に宣伝している。

小型の謀略新聞・・・

わたくしはこの実物を見たことがない。

 いいですか。家宅捜索のその日のうちに学会は、謀略新聞を出しているのです。この一事を見ても、今回の不当捜索の背後に学会の謀略があったことは、火を見るよりも明らかです。

確かにこの日、実際に新聞が刷られていたとすれば、実に用意周到である。

ただし、わたくしは実物を見たことがないし、ましてやその日に新聞が出来していたかどうかもわからない。日付はどうにでもなるから、たとえば翌日出来であっても日付は前日になっている場合もあり得るだろう。これは何もフェイクを庇うだとかそういう意味ではなくて、単に未確認の事柄なのでいちおう可能性として書いたまでである。

 さらに全国各地でも早々にビラが撒かれている。

これもわたくしは未確認である。顕正新聞にそのビラの写真を掲載してほしかった。

前後するが、

終末思想を掲げる邪教団

とのフェイクの批判に対し、浅井先生は次のごとく反論している。

 バカを言ってはいけない。「終末思想」など、顕正会は言った覚えがない。

『迷走する顕正会を斬る』からの孫引きであるが、島田裕己氏は「創価学会の実力」の中で次のごとく言っている。

顕正会の終末思想の特徴は、日蓮にならって他国侵逼の危険性を強調する点にある。

これに対し、櫻川忠氏は次のごとく書いている。

終末思想というのは歴史の終わりや世界の終わりの到来を強調する、一神教に起源を持つ思想である。顕正会の主張は、法に背けば国が傾くということで、「傾国思想」・「憂国思想」とでも言うべきだろうか。

実はもう少し前後の文章を詳しく読む必要があるのだが、ともかくこの部分に関しては櫻川氏の主張が的確であると言えるだろう。部分的ながらも浅井先生を弁護している格好である。

ちなみに、島田氏のもう一つの著書「創価学会」には、次のような記述があるそうだ。

顕正会は、創価学会の分派というわけではないが、学会を批判する有力な組織であることは間違いない。

まさに特集号第一弾第二弾という、ここ一連の動きそのものが、当てはまる記述である。

「創価学会本部乱闘事件」の真相

これがけっこう新鮮だった。

実は『迷走する顕正会を斬る』にも同様のタイトルの項目があって、山崎正友氏の著述の引用や櫻川氏本人の経験談などが書かれていてひじょうに興味深く読んだものだったが、今回の特集号もひじょうに興味深く、しかも新鮮だった。

というのは未読の資料が紹介されていたからである。

昨日の師・池田大作への手紙

文藝春秋発行「諸君」(昭和56年8月号)


山崎氏の書いた記事であるが、『迷走する顕正会を斬る』に引用されているものとは別のものである。ナマケモノのわたくしは自分で資料集めをするようなことはしないので、この記事はまったく知らなかった。知らなかった分、新鮮であり、かつまた内容的にも充実していて、なかなか読み応えのあるものだった。ほんの一部だけ紹介しよう。

妙信講に対して暴力宗教団体、右翼団体のレッテルをはるために苦労しました。

山崎氏の述懐である。まさに創価学会が顕正会に対し悪のレッテル貼りに躍起になっていることがよくわかる記述である。一をもって万を知れ、である。これで事件の真相が如何なるものであったか、おおよそ察しがつくだろう。

さて、会長講演に戻ろう。

 また「サンデー毎日」が顕正会の紹介記事を連載したことがあった。はじめは公正を装っていたが・・・

これは考え過ぎだと思う。当時、わたくしはぜんぶ読んだけれども、そんなに悪意のある記事には感じられなかった。週刊誌は対象を批判してナンボのものである。いわゆる御用記事でもない限り、必ず批判が織り込まれるというか、むしろ批判がメインであるはずなのだ。そのような意識で読めば、そんなに際立って悪意のある記事には感じられないだろう。

本当ならば、当時の記事を今一度読み直してから感想を書くべきなのだが、ナマケモノのわたくしがそこまでやるわけがないのは、拙ブログの読者ならばよくわかっていることだろう。

池田大作と暴力団の深い闇

これ以降は後藤組の組長だった人が書いた「憚りながら」という本の丸写しも同然であるが、何しろわたくしにとっては未読の本なので、ひじょうに興味深かった。詳しくは「憚りながら」そのものを読むか、もしくは特集号を入手して読まれるといいだろう。

最後にわたくしなりのイジワルな感想を書けば、

困った時の神頼み

ということになる。

ここでの神は創価学会のことであり、顕正会にとって創価学会ネタほど重宝なものはない、というのが神頼みの意味である。

再掲しよう。

 私は八百万学会員を救いたい!!

これは浅井先生の得意の、あまりにも有名なフレーズである。わたくしの知るところでは平成十六年の諫暁書に出てくる。

いみじくも島田氏が指摘するごとく、顕正会は創価学会を批判する有力な組織である。しかし、見方を変えれば、創価学会を批判することで、組織の維持・結束を図ってきたとも言い得るわけで、創価学会が存在しなければ存在できない、そんな感じも否めないところである。

以前、顕正会では法華講の某講中を寄生虫などと侮蔑していたが、顕正会も似たり寄ったりだろう。

ただし、今回の場合は不当捜索に端を発するわけなので、創価学会批判は必然的な流れではあるのだが、まあ、しかし、それを含めても困った時の創価学会頼みという面は否めないのではないかと思う。アリガタヤ、アリガタヤ、である。もっとも、創価学会にしてみれば、アリガタ迷惑なのだが・・・

2013/11/19

現実世界と仮想空間の狭間にて  
今日は顕正新聞第1291号を取り上げるが、その前に教子氏に質問をいくつか投げ掛けておこう。

私は、無宗教です。

これは「今現在は無宗教」という意味だろう。この際だからお聞きしたい。かつてはどこの教団に所属していたのかをである。

 後、私のハンドルネイム(ハンネ)が、気に入らないようですが…

答⇒所詮、個人ブログですよ。こんな事で目くじらを立てる方が、オカシイです。


オカシイと言われれば、確かにそのとおりかもしれないが、教子氏もドッコイドッコイだろう。個人が公的機関を名乗ることのおかしさである。

たとえば、横綱の誰それがブログをやっているとする。その名称が日本相撲協会だとすれば、おかしいだろう。協会所属の力士であることは間違いないにしても、そうした公的な名称は使わないのが普通である。あるいは医師が医師会という名称のブログをやるのもおかしいし、弁護士が弁護士会を名乗るのもおかしい。そんなことをしそうなのは、ニセ医師やニセ弁護士だけだ。

冨士大石寺顕正会向上委員会

これは現に存在するブログであるが、説明するまでもなく個人のブログである。もちろん、何の問題もない。教子氏にはこの違いがわかるだろうか?

この際、教子氏のために代替案を示しておこう。

冨士大石寺顕正会教導委員会

しかし、教子氏の場合は顕正会だけでなく、カルト教団全般を取り扱っているようなので、次のような名称が相応しいかもしれない。

カルト教団善導委員会

教導をやめたのは、直前の教団とのバランスを考えてのことである。あるいはもっと直截に、次のような名称もいいかもしれない。

カルト教団撲滅委員会

このように旗幟鮮明でありたいものだ。

 私【教育委員会】ブログを読んで

『へぇ、〇〇県or〇〇市の教育委員会が、ブログを始めたんだ』
と、誰が思いますか?


誰も思わないだろう。というよりも、ここは教子氏自らがいわばお遊びであることを白状した格好である。しょせんブログは遊びに過ぎないと。

高校教師です。皆様の悩み事を解決!どんな相談も遠慮なく。返信は必ずします。

これは教子氏のブログから拾ってきたものであるが、しかし、いかがなものかと思う。失礼ながら支離滅裂である。こんなふざけたブログに誰が相談を持ち込むだろうか、いったい誰が悩み事を解決できると思うだろうか、甚だ疑問である。

繰り返しになるが、まずは旗幟鮮明であるべきだ。でなければ、誰も相談には来ないだろう。

 私のハンネの由来は⇒
⇒高校教師である私の勤務先が、〇〇県or〇〇市の教育委員会。それだけです。


質問したい。高校教師の勤務先が教育委員会? その心は?

教子氏のブログには教師(カウンセラー)と書かれている。教師はティーチャーのはずだが、いかがだろうか?

わたくしは英語が大の苦手であり、カタカナ語もあまり得意ではないので、何かとんだ勘違いをしている可能性もあるが、ともかく教子氏の説明は解せない。通常、高校教師の勤務先は高校だろう。なぜに教育委員会なのか、なぜにカウンセラーなのか、そこをぜひともご説明願いたいものである。

医師や弁護士がいわゆるオフィシャルの一環としてブログを開設する場合がある。これは医療相談であるとか法律相談の敷居を下げるというか、気軽に相談できる環境を作ることによって、顧客の拡大を狙っているわけなのだろう。ブログだけに限定した話ではなく、インターネットの活用はあらゆる分野におけるビジネスチャンスなのである。

では、教子氏はどうなのか、である。

教育委員会に勤務しているカウンセラーとのことだ。そしてブログにおいても相談事のようなことをやっている。ところが現実の教育委員会とブログにおけるそれは必ずしもリンクしているわけではない。それどころかブログはお遊びであることを表明している。

いったい何なんだろうと思う。

ちなみに、かく言うわたくしのブログは、ご存知のごとくの独白ブログであり、副題に謳っているごとくのグチ日記である。教子氏のような相談事業(?)はやらないし、文章にデコレーションを施すこともしない。そんな面倒臭いことをやってどうするのかと思う。しかもである。いわゆるウェブデザインにはまったくの無頓着であり、ブログ開始以来、一度もデザインをいじっていないことが、逆に大いに自慢したいくらいである。

グチを書くのにデコレーションは必要ないし、ウェブデザインも不要である。キーボードで文章を打ち込めれば、それでいいのだ。

教子氏の言うように変わり者であるのは事実であるし、おかしなブログであることも事実だ。しかし、そうしたおかしさを含めて、いちおうは旗幟鮮明(?)であるのが拙ブログである。すなわち、オチブレ顕正会員が何やらグチめいたことを書いている、というブログなのだ。主には顕正会のネタを取り扱っているが、時には八つ当たり的(?)に宗門や創価学会のことも書く。そんな感じである。

さて、いよいよ本題・・・と思ったが、今日はこれくらいでやめておこう。顕正新聞の話題は次回に持ち越しだ。

2013/11/17

老婆心ながら  
今日は教子氏に苦言を呈しておこう。今流に言えば、ダメ出しだ。

 これで浅井昭衛は、仏弟子で無い!ことが証明されましたね。
 もし浅井が、真の仏弟子なら絶好のチャンス⇒何故、その高校の校長を折伏しないのか!?


この手の批判は法華講員ないし創価学会員のするところである。教子氏はいずれかの所属なのだろうか?

あるいは他の日蓮系の教団に所属している可能性も考えられるが、いかがだろうか?

 鎌倉時代の日目僧侶は、75歳にして、大雪の中を折伏した?と いうのに…
 あの当時の75歳と言ったら、現在の90歳?イヤ百歳以上であろう。
 まぁ、高貴な日目僧侶と、カルト教団の教祖・浅井メタボを比べたなら⇒日目僧侶に失礼だが…


支離滅裂である。まず、一般人であれば、日目上人のことは話題に出来ない。普通は知らないからである。ゆえに教子氏は、日蓮系のどこかの教団に属しているか、もしくはかつて属していたのだろう。ところがである。

日目僧侶

こんな言い方は存在しない。業界的にも一般的にもあり得ない話だ。

教子氏は教師であるそうだ。ならば「日目」でよさそうなものである。そもそも日蓮大聖人はいわば業界的な呼称であって、一般的には「日蓮」である。おそらく教育界においても、しかりだろう。歴史上の人物は押し並べて敬称略が通例なのである。ゆえに日目上人についても、「日目」と呼称するのが教師としては普通のはずである。

ただし、対話においては事情が違ってくる。

相手に失礼があってはならないという意味で、表現には気を使うのが普通であって、いちばん無難なのが相手に合わせることだろう。
教子氏は曲がりなりにも日目上人の御事を知っている。ゆえに一般人ではない。ならば日目僧侶などとケッタイな言い方をせず、日目上人と書けばよかったはずである。
それがイヤならば、せめて日目師、あるいは日目法師、それ以外はちょっと思い浮かばないが、ともかく日目僧侶はおかしい。ごく普通の教養人ならば、○○法師だとか△△禅師、あるいは××和尚などが表現として思い浮かぶはずなのだ。

いったい何を考えておるものかと思う。

 私【教育委員会】の次回のブログで、その高校の件と、女子部大会のことを書こう!と思う。
 ただ、私は、顕悪新聞を取ってない!ので、資料集め・取材が、大変だが。


前掲の浅井メタボも相当だが、顕悪新聞もヒドイ。

教子氏は高を括っているのだろう。この程度の悪口は許容範囲であると。
しかし、甘いと言っておこう。もし相手が本気で訴えたならば、相当に厄介である。
教子氏には実感がないのかもしれないが、すでに教育委員会という公的機関を騙っている段階で相当にヤバイことに気がつかないといけないのだ。

今回の件に対し、顕正会は断固たる法的処置を取ります。

九月度総幹部会での浅井発言である。

そして次が翌号の記事だ。

埼玉県立八潮高校校長、顕正会の厳重抗議に対し、直ちに謝罪・訂正文作成

前回、わたくしはこの件に関し、顕正会側の焦り・過剰反応を云々した。

しかし、いずれにしても顕正会側の言い分が通った格好である。

なぜだろうか?

単純に言えば、天下の警視庁を相手に断固たる法的処置を取ると宣言しているくらいであるから、埼玉県の教育委員会など物の数ならずなのだ。一般的に公務員は事なかれ主義である。まずは我が身の安泰を考える。すると、ここは謝ってしまったほうが得策であると、おそらくは判断したのだろう。その旨、教育委員会から校長に伝えられた。校長もそれに同意したわけだ。

もし教育委員会の中に骨のある人物がいれば、違った選択肢もあり得たかもしれない。ただし、すでに書いたごとく、事なかれ主義・自己保身がほぼ大勢を占めていると考えていいわけで、実際、顕正会と喧嘩しても得なことは一つもないのだから、ここは丸く収めるのが賢明な選択なのだ。

以上、教子氏も決して安全ではないことを自覚すべきである。

 ですので巌虎さん。フェイク氏と、瑠璃堂氏のブログのリンクを貼って下さい。
 この巌虎ブログの読者様で⇒女子部大会を書いてある⇒瑠璃堂氏・フェイク氏のブログ・アドレスを知ってるなら⇒お教え下さい。
『フェイク』『瑠璃堂』では⇒ヒットしない!ので。


う〜ん、悩ましいところだ。

教子氏がどのようなアンテナを張っているのか、そこがよくわからないところである。というのは、フェイクを知らないこと自体が驚きであり、いわば一種のモグリなのではないかと勘繰りたくなるところである。まあ、創価学会方面には疎いのだとしても、顕正会のほうはいわば専門(?)のはずである。ならば瑠璃堂氏のブログを知らないはずがないのだ。

せめて「瑠璃堂 顕正会」だとか「フェイク 創価学会」のような方法で検索すればよかったものと思う。

http://nanairoto.exblog.jp/

http://6239.teacup.com/574744/bbs

前者が瑠璃堂氏のブログで、後者はフェイクが掲載されている掲示板である。そもそもフェイクは新聞として実際に発行されているらしいのだ。わたくしは実物を見たことがないけれども、ネット上に貼り付けられているものを見ると、まさに紙媒体である。そして文字どおりの謀略情報紙ゆえであろうか、ネット上には正式なサイトを持たないようである。そこでリンク先のごとく、掲示板などに貼り付けられる格好で広く伝播されているのだ。

 それにしても巌虎さんは変わった人だ。こんなカルト教団 顕悪会に居たって、何の功徳も無いのに…
 巌虎さんも、いつまで、顕悪新聞を取ってるんですか?いい加減、取るのを止(や)めれば!と。


変わった人であることは自覚している。

 顕悪新聞を取ることは、浅井メタボに餌をやるだけ!
 バーズの様に洗脳(マインドコントロール)され、悲惨な末路…。
 折伏を放棄した浅井メタボは成仏できない!のは、子供でも解ります。


浅井メタボに餌をやる・・・

ボロクソな物言いである。

バーズのように云々と、これではまるで現にバーズ氏が悲惨な状況にあるかのごとく読めてしまうが、教子氏は何か具体的なことをご存知なのだろうか?

浅井メタボは成仏できない・・・

最初のほうに支離滅裂と書いたのは、こういう部分を指してのことである。これではあたかも教子氏がどこか特定の教団に属していて、まさに成仏できることを確信しているかのごとく読めてしまうのだ。それとも教子氏は無宗教であって、単に相手の嫌がりそうな部分を狙って書いているのだろうか?

しかしながら、教育委員会はそういうことをやってはいけないのである。ようするに特定の宗教について、その内容に立ち入って批判することは、完全なルール違反のはずなのだ。ゆえにくだんの校長も謝罪するより他になかったのだろう。

 私も、ブログ更新
【飛鳥涼さんについて】
【覆面パトカーに捕まらない方法】
【スズメバチに刺されない方法 パート 3】
をアップ。宜しければ、お読み下さい。

 次回の予告は、前述の通り⇒

『謝罪を強要する顕悪会』
『女子部大会 失敗』


シツコイようだが繰り返そう。教育委員会が特定の宗教団体の集会を失敗だの成功だのと云々するのはいかがなものか。謝罪を強要する云々はもちろんその事実関係が焦点となるわけだが、ならばなおのこと顕正会を顕悪会などと書くのは慎まなければいけないだろう。

覆面パトカーに捕まらない方法・・・

最後にダメ押しである。おいおい、教育委員会がこんなこと書いちゃって大丈夫なの? 交通ルールを遵守していれば捕まることはない。ただそれだけの話なのだ。上掲の物言いでは、あたかも法の網の目を潜り抜ける方法をレクチャーしているかのごとく読めてしまう。まったく教育委員会らしからぬ話だ。

2013/11/11

合併号に隠された真実  
まことに勝手ながら、種々のコメントに対するお返事は省略させていただく。ただし一点、訂正の意味で取り上げたい。

もちろん当時の宗門の中で能化の日布上人が顕○会の解釈に対し理解を示したことなども話してあげました。

この後、のび太氏自らが訂正のコメントを入れている。

訂正します。

日布上人 → 日布ご尊師

失礼しました。


しかしながら、これもまた事実誤認である。猿も木から落ちる。のび太氏ほどの人物がこうした間違いをするのはめずらしいことだ。

昭和四十年代当時、妙信講に理解を示していたのは松本能化であり、あとは八木師だったろうか、主にはこの二人である。たぶん他にも内心では妙信講を支持していた人がいたとは思うが、大勢順応というべきか、自己保身のためには長い物には巻かれるのが人の常でもあるからして、表立って支持・応援するような人はほとんどいなかったというのが事実である。

なお、日布上人は明治から大正にかけて御活躍された方であって、もともと妙信講とは直接的な縁がない。今、何かと日布上人のことが取り沙汰されるのは、いわゆる本尊疑惑においてである。すなわち顕正会の各会館に安置されている大幅の御形木御本尊は日布上人が書写あそばしたものであるが、そもそも御形木御本尊が大幅であるのはおかしい、ゆえに顕正会で勝手に拡大・複製したのではないか、との疑惑が囁かれているのだ。

のび太氏の誤解はこの事案と混同したものと思われる。

さて、女子部大会も終わったわけであるが、どうも巷の評判はひじょうに悪い。わたくしがいちばん最初に目にしたのはフェイクの記事だった。これはもちろん信用ならないものであるから、あまり気にはしなかった。しかし、瑠璃堂氏のブログを読んで、フェイクの記事もあながちデタラメではなさそうなことがわかってきた。つまり、ネット上の情報を頼りに判断するならば、女子部大会は失敗だったことになりそうなのだ。

まあ、しかし、顕正会側にも言い分はあるだろう。ゆえに、この件に関しては顕正新聞の出来を待ってから、書きたいと思う。

そこで今日は顕正新聞第1290号であるが、これがまた異例だった。

平成25年(2013年)10月15・25日合併号

この時期に合併号が出ることはない。これは明らかにおかしなことであり、何かのっぴきならないことがあったことを窺わせるものである。

ぜんぶで十ページ立てである。近年は各号八ページ立てが普通なので、合併号にする手前、購読者に対するせめてもの償いの意味があるのかもしれないが、しかし、それで納得する人はいないだろう。それなりのしっかりとした理由を述べるべきなのである。

わたくしの勝手な想像を書けば、この一つ前がいわゆる特集号だった。例の不当捜索に対する断固たる態度を表明するものだった。まさにこの一号で精根を使い果たしてしまったのではないか?

そして直後には女子部大会が控えていた。

こうした前後の事情から新聞を編集・発行する余裕がなかったと考えるのが自然である。

しかし、いかがなものかと思う。

これで百六十万だとか仏弟子の大集団だとか言っているのだから、チャンチャラおかしいことだ。それだけの大組織であれば、人材も豊富にいることだろう。なぜに新聞の発行が滞ることがあろうか?

埼玉県立八潮高校校長が顕正会誹謗文書配布
 「勧誘されたら警察通報」と悪のり
 厳重抗議、直ちに謝罪・訂正文作成


当該号の注目記事である。これは全文がバーズ氏のブログに掲載されているので、興味のある人は参照されるとよいだろう。

顕正会員にとっては痛快な記事である。ただし、イジワルを言えば、これは顕正会側の焦りをあらわしているようにも思えるところだ。くだんの校長が顕正会を誹謗する文書を全校生徒に配った。例の不当捜索の翌日とのことだから、きわめて迅速である。何かしら用意周到さを感じさせるところでもある。そこで顕正会側は教育委員会を通して厳重抗議を申し入れた。わたくしにはこれが過剰な反応のように思えるのだ。そんなの放って置けばよさそうなものである。

ここで不当捜索特集号を振り返っておこう。浅井先生は不当捜索のネライがいずこにあるかを次のごとく語っている。

顕正会の社会的信用を失墜させ、以て弘通を妨害せんとするところにある。

これに対しフェイクは次のごとく言っている。

もともと顕正会には社会的信用など全くない

相変わらずボロクソだ。

わたくしは密かに心配していたことがある。あの家宅捜索とそれに伴う大々的な報道によって、女子部大会の会場が借りられなくなるのではないか、ということを心配していたのだ。フェイクの連中の言っていることは単なる悪口に過ぎないけれども、実際に会場側が契約を破棄する可能性もあり得たのではないかと思う。ようするに、会場を借りることが出来るのはひとえに社会的信用の賜物であって、曲がりなりにも顕正会には社会的信用があるからこそ会場を借りることが出来たわけだ。しかし、家宅捜索及び報道によって、それがご破算になることもあり得たはずである。もしそれが事実となれば、顕正会にとっては相当のダメージだったろう。

なるほど、この時期に合併号を出さざるを得なかったことも、くだんの過剰反応とも思える厳重抗議も、頷ける話である。悪のレッテルを貼られ、社会全般から締め出しを食らってしまったならば、もはや顕正会の存続はない。さしあたっては女子部大会の会場使用を先方から一方的に断わられてしまうことを何よりも恐れたのだ。

なお、副総男子部長の記事に出ているが、不当捜索特集号は頒価三十円とのことである。確か原発特集号などは五十円だったので、これは相当の覚悟なのだろう。ぶっちゃけ言えば、活動会員に対して「たくさん配れ」とハッパを掛けているのだ。

2013/11/4

超楽天的な日々  
興味深いコメントが種々寄せられている。まずは直近の沖浦氏のコメントから紹介しよう。

 私は聖教新聞に、カトリックの聖霊が普通に取り上げられることを、素直に嬉しく感じます。

さしずめ謗法容認路線といったところか?

これこそ顕正新聞の格好のネタであり、いずれは記事になるかもしれない。謗法化の一途を辿る創価学会。こんな見出しが想像される。

振り返ると、田中将大が大将軍であった。

のび太氏の観戦記はひじょうに心地のよいものである。ただし、上掲の部分がやや気になった。普通は監督が大将軍に相当すると思われる。なぜに一選手を大将軍になぞらえたものか、そこが疑問だった。

いずれにしても、参加される方は昨年のような悲劇がないように、体調管理にはじゅうぶん気をつけて参加されてください。

女子部大会については顕正新聞の報道を待って取り上げるつもりだ。

いずれにしてもフェイクの連中に悪く書かれないためにも無事故で終わらせたいものである。もっとも、連中のことだから、無事であろうがなかろうがケチをつけるに違いないのだが・・・

 双方、大聖人の教えを持って、民衆を救いましょう。
 今後は、宗派同士争うのではなく、民衆救済合戦を致しましょう。


これはしかし難しい話である。仮に理想がそうだとしても現実はひじょうに困難だ。

ご存知のごとく、創価学会から顕正会へ移籍する人が相当数いる。顕正会側に言わせれば、これこそが民衆救済なのである。一方、顕正会から創価学会に移籍する人はほとんどいない。これが事実だとすれば、創価学会側は堪ったものではないだろう。

ゆえに最終的な理想形は、日蓮正宗を中心に大同団結することである。そして移籍については一定のルールを設けて、安易な移籍を認めない。ようは内輪で引き抜き合戦をやっても意味がないので、外部への折伏を推進するのだ。これこそが沖浦氏の言う民衆救済合戦に他ならないだろう。

しかし、沖浦氏は顕正会に対して一定の理解を示しているものの、宗門に対してはボロクソである。ゆえに理想はかくのごとしであるが、やはり話はご破算である。

2013/11/2 15:32
投稿者:昔の名前
こんにちは

詳しい説明といわれても 書いたまんまですし 私がそう感じたと言うだけの事です

価値観にたいする判断力が求められると言う事でしょう
顕正会の折伏が自分にとって価値があるなら そこには当然社会常識が備わっていなければなりません
正当であれ不当であれ 警察が捜査したくてもできない
創価学会が陰謀を企てたくても企てられない
そんな折伏を堂々とすれば良いだけの事です

厳虎さんにはわかりきった事でしょ


やや意味不明のところもあるが、全体的にはきわめて常識的なことを書いているのだと思う。わたくし自身もまったく同じつもりであって、一見すると突飛なことを書いているように思われがちなところがなきにしもあらずであるが、実際には常識の範疇か、もしくは常識ではないにしてもよくよく考えてみればそれが道理に適っている、という切り口の文章を書いているつもりである。

顕正会は何か事件が起こるたびに創価学会のせいにする。これはまさに得意のパターンである。
創価学会側にしてみれば、何でもかんでも自分たちのせいにされたら、堪ったものではない。これもまさにそのとおりだろう。
では、これを顕正会側の悪辣な常套手段であると一方的に決め付けられるかと言えば、そうではないだろう。

おそらく整理すれば、二つの問題に集約されるのだと思う。

・教義上の問題
・事件そのもの

まず、事件について言えば、ケースバイケースであって一様ではない。つまり、個々の事件を精査していく必要がある。そこには創価学会の関与を認められるものもあれば、そうではないものもあるだろう。顕正会員といえども一定の良識を持っていれば、さすがにぜんぶがぜんぶ創価学会のシワザであるとはなかなか言い切れないだろう。逆に創価学会側が完全無罪を言い切ることも難しいのではないかと思う。過去の創価学会が起こしたとされる事件の数々、あるいは妙信講作戦やK対策の存在がある以上、一方的な自己正当化は難しいはずである。

よって、事件そのものは個々の事件において是々非々を論じていくしかないのであって、その結果がどうなるかは少なくとも現段階ではわからないことである。

そこでクローズアップされるのがもう一つの問題、すなわち教義上の問題である。

これに関しては顕正会側が絶対的な自信を持っている。一方の創価学会側は不利を自覚している。わたくしが書いてもあまり説得力はないのだろうけれども、これは客観的な事実であろう。何しろ浅井先生は池田大作氏に何度も法論を申し込んでいる。しかし、法論は実現していない。さりとて、過去の話をしても仕方がないし、今さら浅井対池田の法論を期待しても詮無いことなので、ならばそれに準ずる人物が法論したらどうかと思うが、それもたぶん実現しないだろう。

そして現在のテイタラクをありのままに言えば、教義上の問題について熱心なのは顕正会側であって創価学会側はきわめて消極的である。その代わりと言うべきか、何かしら顕正会にまつわる事件報道があれば、それをフェイクが書き立てる。おおむねこんな感じである。

顕正会の折伏が強引で、さまざまの社会的軋轢を生んでいるのは事実であって、これは大いに反省しなければいけないことだが、創価学会との関係性においては別に考えなければいけないことがある。ようするに、個々の事件の真相がどうであれ、それとは別に教義上の問題が常にあって、このことは避けては通れないことなのだ。

つまり、最終的には教義上の問題で決着をつけなければならない。顕正会が暴走・暴発でもしない限りは永遠に続く問題である。これを創価学会の首脳部は自覚しなければいけないだろう。

せっかくなので、もう少し書こう。

ところで以前私が書いた国立戒壇の根拠の書の真偽、日興、日目、熱原三烈士の正墓など真実はお調べましたでしょうか?

これはバーズ氏のブログのコメント欄から拾ってきたものだが、投稿者は「通行人」を名乗っている。この手のハンドルネームは自分の立場を隠したい人がしばしば用いるところで、その代表格が「通りすがり」だろう。

ともかく、これに対しバーズ氏は「限りなく学会員臭い」と書いている。

これで話は見えただろう。上掲の記述はさすがに今の創価学会員には書けない。顕正会的に言えば、まさしく邪教化の一途である。つまり、くだんの投稿者がバーズ氏の睨んだごとくの正真正銘の創価学会員であるならば、もはや終わっているに等しい。

話の見えない人のために、もう少し噛み砕いておこう。

上掲の記述は日蓮正宗の伝統教義に反する。沖浦氏みたいな人がいるので今さら驚くに値しないのかもしれないが、くだんの「通行人」がもし創価学会員ならば、これは顕正会に勝てないことを認めたに等しいのだ。つまり、従来の日蓮正宗の伝統教義のままでは勝てない。だから、その枠から外れる形で勝負を挑んでいるのだ。

たぶん、これは対日蓮正宗の意味でも有用だと考えているのだろう。

この際、創価学会の首脳部に言っておこう。無理だって。やっていることが支離滅裂である。暗中模索・試行錯誤の段階なのかもしれないが、教義上の変節は命取りであることを自覚すべきである。少なくとも日蓮正宗とか顕正会が存在する以上、ヘタは打てない。彼らを完全に抹殺できればいいのだが、それも無理な話である。

もっとも、こんなことはわたくしが言う遥か以前に承知していることだろうが・・・


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