2013/11/20

特集号第二弾を読んで  
ユタ氏より、バーズ氏のブログと内容が被っている、とのご指摘をたまわった。これはまことに面目ないことであって、わたくしとしては独自性を売りにしているつもりなので、他人の書いていることと同じであるならば、もはや拙ブログの存在意義はないに等しい。以後、気をつけたいと思う。

早朝、教子氏よりコメントをたまわったが、結局のところ、わたくしの問いには答えていない。元の所属教団のことと、高校教師が教育委員会に勤めていることと、大きくはこの二つである。次回のコメントに期待したい。

さて、顕正新聞第1291号である。

「池田大作と暴力団」特集号

たまげた。これ以外に言葉はない。

 冨士大石寺顕正会の十月度総幹部会は二五日、大宮ソニックシティ大ホールにおいて、大熱気の中に開催された。

まず、今回の特集号も大量配布を念頭において作られたものであることは明らかだ。とりわけ上掲が象徴的である。比較のために第1289号の同じ部分を紹介しておこう。

 九月度総幹部会は二十五日、大宮ソニックシティ大ホールで開催された。

当該号は不当捜索特集号であるが、この部分に限って言えば通常の書き方と変わらない。そして今回の第二弾の特集号は明らかに通常とは違っている。つまり、わざわざ「冨士大石寺顕正会の十月度総幹部会は・・・」と書いていることが、従来との違いなのである。

これは一般人を視野に入れての書き方なのだ。顕正新聞は顕正会員が読む新聞だから、わざわざ「冨士大石寺顕正会の・・・」などと書く必要はないわけだ。ゆえに特集号第一弾ではまだ従来どおりの書き方だった。しかし、第二弾においてはよりいっそう一般人を意識して、書き方を変えたわけである。まさに大量配布を目論んでの工夫に他ならない。

池田大作は30年間暴力団を使っていた!!

仏法上の大罪は御遺命(国立戒壇建立)違背
偽善の裏で暴力団使い邪魔者は消せ
 私は八百万学会員を救いたい!!


凄まじい限りである。

しかも今回は五ページである。いきなり一面から会長講演が始まり五面まで内容がギッシリと詰まっている。いや、もちろん、文章だけならばウンザリするが、ところどころ図版が挿入されているので、わりと読みやすいというか、誰もが惹き込まれてしまうような、実に見事な構成である。この点においても大量配布を見込んでいることがよくわかると思う。

ここで素朴な疑問というか、わたくしの思うことは、浅井先生はこの記事を一から十まですべて自分で書いているのか、企画構想の段階から新聞の出来まで、すべて自分でやっているのか、という点がひじょうに気になるところである。それとも有能なブレーンがいて、ある程度のところはその人に任せているのか、である。

というのは、年齢的な衰えは例外なく誰にでも襲ってくることだからである。ゆえに、もしも今もなお、一から十まで自分ひとりでやっているのならば、大したものである。

もっとも、今回の記事もその大半は過去の焼き直しというか、他人の書いた文章の丸写しなので、それほど苦労はないのかもしれないが、それにしても大したものだと思う。わたくしにはマネの出来ないことだ。

さて、それでは少しばかり内容に入ってみよう。

即日、謀略新聞発行

これはフェイクのことだと思われる。

 九月十一日、顕正会の本部会館等五ヶ所が不当家宅捜索を受けたが、学会はその日のうちに小型の謀略新聞を発行して、鬼の首でも取ったように、「警視庁公安部による家宅捜索」と大々的に宣伝している。

小型の謀略新聞・・・

わたくしはこの実物を見たことがない。

 いいですか。家宅捜索のその日のうちに学会は、謀略新聞を出しているのです。この一事を見ても、今回の不当捜索の背後に学会の謀略があったことは、火を見るよりも明らかです。

確かにこの日、実際に新聞が刷られていたとすれば、実に用意周到である。

ただし、わたくしは実物を見たことがないし、ましてやその日に新聞が出来していたかどうかもわからない。日付はどうにでもなるから、たとえば翌日出来であっても日付は前日になっている場合もあり得るだろう。これは何もフェイクを庇うだとかそういう意味ではなくて、単に未確認の事柄なのでいちおう可能性として書いたまでである。

 さらに全国各地でも早々にビラが撒かれている。

これもわたくしは未確認である。顕正新聞にそのビラの写真を掲載してほしかった。

前後するが、

終末思想を掲げる邪教団

とのフェイクの批判に対し、浅井先生は次のごとく反論している。

 バカを言ってはいけない。「終末思想」など、顕正会は言った覚えがない。

『迷走する顕正会を斬る』からの孫引きであるが、島田裕己氏は「創価学会の実力」の中で次のごとく言っている。

顕正会の終末思想の特徴は、日蓮にならって他国侵逼の危険性を強調する点にある。

これに対し、櫻川忠氏は次のごとく書いている。

終末思想というのは歴史の終わりや世界の終わりの到来を強調する、一神教に起源を持つ思想である。顕正会の主張は、法に背けば国が傾くということで、「傾国思想」・「憂国思想」とでも言うべきだろうか。

実はもう少し前後の文章を詳しく読む必要があるのだが、ともかくこの部分に関しては櫻川氏の主張が的確であると言えるだろう。部分的ながらも浅井先生を弁護している格好である。

ちなみに、島田氏のもう一つの著書「創価学会」には、次のような記述があるそうだ。

顕正会は、創価学会の分派というわけではないが、学会を批判する有力な組織であることは間違いない。

まさに特集号第一弾第二弾という、ここ一連の動きそのものが、当てはまる記述である。

「創価学会本部乱闘事件」の真相

これがけっこう新鮮だった。

実は『迷走する顕正会を斬る』にも同様のタイトルの項目があって、山崎正友氏の著述の引用や櫻川氏本人の経験談などが書かれていてひじょうに興味深く読んだものだったが、今回の特集号もひじょうに興味深く、しかも新鮮だった。

というのは未読の資料が紹介されていたからである。

昨日の師・池田大作への手紙

文藝春秋発行「諸君」(昭和56年8月号)


山崎氏の書いた記事であるが、『迷走する顕正会を斬る』に引用されているものとは別のものである。ナマケモノのわたくしは自分で資料集めをするようなことはしないので、この記事はまったく知らなかった。知らなかった分、新鮮であり、かつまた内容的にも充実していて、なかなか読み応えのあるものだった。ほんの一部だけ紹介しよう。

妙信講に対して暴力宗教団体、右翼団体のレッテルをはるために苦労しました。

山崎氏の述懐である。まさに創価学会が顕正会に対し悪のレッテル貼りに躍起になっていることがよくわかる記述である。一をもって万を知れ、である。これで事件の真相が如何なるものであったか、おおよそ察しがつくだろう。

さて、会長講演に戻ろう。

 また「サンデー毎日」が顕正会の紹介記事を連載したことがあった。はじめは公正を装っていたが・・・

これは考え過ぎだと思う。当時、わたくしはぜんぶ読んだけれども、そんなに悪意のある記事には感じられなかった。週刊誌は対象を批判してナンボのものである。いわゆる御用記事でもない限り、必ず批判が織り込まれるというか、むしろ批判がメインであるはずなのだ。そのような意識で読めば、そんなに際立って悪意のある記事には感じられないだろう。

本当ならば、当時の記事を今一度読み直してから感想を書くべきなのだが、ナマケモノのわたくしがそこまでやるわけがないのは、拙ブログの読者ならばよくわかっていることだろう。

池田大作と暴力団の深い闇

これ以降は後藤組の組長だった人が書いた「憚りながら」という本の丸写しも同然であるが、何しろわたくしにとっては未読の本なので、ひじょうに興味深かった。詳しくは「憚りながら」そのものを読むか、もしくは特集号を入手して読まれるといいだろう。

最後にわたくしなりのイジワルな感想を書けば、

困った時の神頼み

ということになる。

ここでの神は創価学会のことであり、顕正会にとって創価学会ネタほど重宝なものはない、というのが神頼みの意味である。

再掲しよう。

 私は八百万学会員を救いたい!!

これは浅井先生の得意の、あまりにも有名なフレーズである。わたくしの知るところでは平成十六年の諫暁書に出てくる。

いみじくも島田氏が指摘するごとく、顕正会は創価学会を批判する有力な組織である。しかし、見方を変えれば、創価学会を批判することで、組織の維持・結束を図ってきたとも言い得るわけで、創価学会が存在しなければ存在できない、そんな感じも否めないところである。

以前、顕正会では法華講の某講中を寄生虫などと侮蔑していたが、顕正会も似たり寄ったりだろう。

ただし、今回の場合は不当捜索に端を発するわけなので、創価学会批判は必然的な流れではあるのだが、まあ、しかし、それを含めても困った時の創価学会頼みという面は否めないのではないかと思う。アリガタヤ、アリガタヤ、である。もっとも、創価学会にしてみれば、アリガタ迷惑なのだが・・・


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