2014/1/28

真冬の雑感  
たかし氏より再びコメントを頂戴した。

言いたかったことは、ここにコメントしている学会員の人と学会で習うことは違うということでした。
戸田先生も「自分の中にも外にも仏がある」といっていますし、御書にも曼荼羅本尊を書くことが出世の本懐だと書いてあります。


なるほど、暗に沖浦氏たちを批判していたわけだ。まあ、しかし、学会未活動者氏は文字どおり未活動なので組織に縛られない立場だし、沖浦氏はいわば突出した存在なので小さな枠に収まる人物ではないのだろう。

巌虎さんは以前「大石寺は700年の歴史を有する寺云々」と仰ったと思います。確かに歴史は古いかも知れません。が、興師、目師が滅したあとは分裂が始まってます。

以下は省略させていただくが、しょせんは聞きかじり読みかじりの情報を書き並べているだけの話である。いや、もちろん、それはそれで大事なことではあるけれども、わたくしにとっては守備範囲外ということでご容赦願いたい。

 所詮は駄目猊下でしたが、晩年は池田先生に帰依されましたので、よしと致しましょうね。

日達上人に対する侮辱である。そもそも池田先生に帰依するとは何事か、ふざけるのもイイカゲンにせよ、と言いたい。

さて、旦氏である。久しぶりの登場で何を語るかと思いきや、実にタイムリーな話題を提供してくれた。

国難元年

顕正新聞第1297号には上掲の文字が躍っている。元旦勤行における浅井先生の挨拶の中に出てくる言葉だ。

昨年末、安倍首相は突如として靖国参拝を決行した。これが波紋を呼んでいるわけで、日中関係・日韓関係がよりいっそう険悪になってしまった。当然ながら凡夫には未来のことはわからない。ゆえに、この先どのような展開が待ち受けているか、正確に判断できる人は誰もいない。

しかるに浅井先生は国難元年と言っている。これは得意の予言というか、逆に先生の悪いクセが出たような感じである。いわゆる予言癖だ。

国難元年と言ってしまった以上、本年は何かターニングポイントになるような出来事が起こるのだろう。何年か後に振り返った時に、なるほど確かに国難元年だったと、誰もがそう思えるような大きな出来事が勃発するのだろう。もし何もなければ、またしても予言が外れてしまったことになって、敵対勢力から痛烈に揶揄されることになる。

2014/1/26 0:06
投稿者:旦
巌虎さん、皆さん
久振りです こんばんは

話の流れはぶつ切りになってしまうんですが
最近の靖国問題をめぐる問題で
皆さんはどう考えてますか?

首相が靖国に参詣することは教義的には謗法ですよね

日本は無宗教のはずが最近の右翼化による謗法化で
立正安国論の通り
隣国が怨念を持って攻め込んできそうに見えるのは
旦だけじゃないと思います?


順番が逆になってしまったが、これが旦氏のコメントである。

靖国問題を考える場合、我々には二通りの道筋がある。一つには教義上の是非であり、もう一つには世間一般の尺度である。旦氏は教義上の問題として真正面から論じている。すなわち立正安国論の災難興起の原理そのままに、いよいよ他国侵逼が現実化すると。

この辺はまさに顕正会的であるが、真面目な顕正会員に言わせれば、顕正会的とは何事か、我々は大聖人の仰せのままを主張しているのである、巌虎よ、オマエは大聖人の仰せがわからぬのか、ということになるだろう。

火に油を注ぐようであるが、浅井先生の場合は仏法の眼をもって論じているようでいて、実は世間一般の尺度に対しても敏感である。ようは日中関係の険悪ムードは今に始まったことではないけれども、安倍首相の靖国参拝によって拍車が掛かったような格好であり、きな臭さが増してきたのは客観的な事実だろう。そこを捉えて国難元年というセンセーショナルな標語を打ち出してきたのだ。この辺が浅井先生のうまさである。

もっとも世法仏法の両面からバランスよく思考することは理の当然というか、それがいちばん合理的な思考方法なのだろう。何も浅井先生がズルをしているとか、インチキをしているとか、そういうことではないのかもしれない。

話が少し脱線してしまったようだ。

靖国問題を仏法上どのように捉えるべきなのか、首相の参拝が他国侵逼を招くことになるのか、わたくしなりの見解を述べなければいけないところだ。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1851.html

リンク先を参考にされたい。わたくしの考えはここに尽きるわけで、特に書き足すこともないと思う。すでにコメントに出ているごとく、謗法行為の意味であれば不信も謗法である。為政者が正法に帰依しないという意味においては歴代首相すべてが謗法なのだ。問題は彼らが国家的に謗法を行なうかどうかである。

大聖人が繰り返し仰せになられていることの一つに承久の乱がある。これは紛れもなく国家的だった。わりと現代的に言えば戦勝祈願ということだろう。真言の秘法を用いて戦勝祈願を行なったのだ。そして負けてしまった。

ゆえに、もし今日、中国だの韓国と戦争をするつもりで、戦勝祈願のために靖国参拝をするのであれば、これはもう大事件である。だが、しかし、ユタ氏も書いているように、それが墓参くらいの意味なのであれば、それほどの事件でもなかろうということなのだ。

いや、もちろん、日蓮正宗的にはしかるべき追善回向をしなければ死者は浮かばれないのだろうけれども・・・

都知事選たけなわである。

わたくしは元自衛官の候補者が有力候補の一人に名前を連ねていることに驚きをおぼえた。記者会見で本人も言っていたが、本来ならば泡沫候補の一人に過ぎなかったことだろう。それがなぜか人気がある。現職の総理大臣やあの前の前の都知事と思想的に近いようだ。ネトウヨたちから絶大の支持を得ている。

時代は変わったものだ。

わたくしの偏見かもしれないが、右翼は特殊な人間たちで構成されていた。戦闘服を身にまとい、街宣車を乗り回している姿は、とても一般人のマネの出来ることではなかった。
しかし、潜在的右翼人口とでも表現すべきだろうか、街宣車を乗り回すほどの勇気(?)はないけれども思想的には同意見の人たちが、潜在的にはたくさんいるのだ。
そしてご存知のごとく、インターネットは自分の意見を自由に言える場である。まさにこの場において、今まで眠っていた右翼が台頭し始めた。

それが都知事選において、一つのムーブメントを形成しているごとくである。

靖国問題から連想的に都知事選の話題にも触れたわけだが、これはまた別の機会に書くことにして、最後に再び他国侵逼のことに触れておこう。

中国が尖閣諸島を狙っているのは事実であろう。もちろん、日本はそれを安易に許してはならないけれども、問題はさらにその先にある。浅井先生は日本の本土が侵略されることを想定して他国侵逼を云々するけれども、それは中国の側から考えてもベラボウにハードルの高いことであって、そう簡単には実現しないはずである。

わかり易い例を出してみよう。たぶん、ひじょうにわかり易いはずだ。

子供の時は除外して大人になってからの経験で聞いてみたい。アナタは人を殴ったことがありますかと。ちょっと小突いたとか、そういうレベルではなく、本気でぶん殴ったことがあるか、である。たぶん、そういう経験を有する人は少ないと思う。たとえば、考えなしに衝動的に殴ってしまったという場合は、いわば短気な性格なのだろう。では、熟慮の末に殴ったというケースがもしあるとしたら、どうだろうか?

つまり、ごく普通の社会人ならば、暴力を振るうこと自体がまずあり得ないことである。後のことを考えたらできっこないのだ。暴力を振るう人は後先を考えない、いわゆる前後の見境を失っているわけだ。

さて、これを個人ではなく、国家に当てはめたらどうだろうか?

少なくともわたくしがその立場であったならば躊躇するだろう。そう簡単には決断を下せない。熟慮の末に下すにしても、その逡巡たるや並大抵のものではないはずだ。

このように考えると、浅井先生の主張は先生自身の性格をあらわしているのかもしれない。武闘派昭衛の感覚からすれば、強い国が弱い国を襲うのは当たり前ということなのかもしれない。

まあ、しかし、上で述べたごとく、普通の人の感覚は違うはずだし、わたくしはそれが国家にも当てはまるのではないかと思う。考えが少し甘いとは自覚しつつも、わたくしの結論はかくのごとしである。

2014/1/23

真冬の随想  
沖浦氏の精力的な投稿が続いているが、基本的には堂々巡りに過ぎない。

http://white.ap.teacup.com/ganko/1877.html

これは真夏の法門談義と題して書いたものである。これを読めば誰もが思うだろう。いつまで堂々巡りを続けるものだろうかと。

たぶん沖浦氏も少しは自覚があるのだろう。そこで新味を出すためだろうか、人間革命を持ち出してきた。

 『残念なことに、僧たちには広宣流布への覚悟も感じられないし、実践も乏しい。学会が一日に千里を駆ける名馬であっても、その宗門が手綱を取っていれば、本当の力を出すことはできない。それは、結局、広宣流布の好機を逃すことになってしまうだろう。』

これはまた面倒臭い議論である。戸田氏にはいくつもの著作が残っている。それらとの整合性はどうなのかが問われるわけで、結局は今の創価学会にとって都合のいい部分を抽出して、それを小説という形式を用いて発表している、それが人間革命なのだろう。ゆえに依用し難しである。

その上で私見を申し上げるならば、創価学会の存在意義は今もあるのだろうと思う。その主要な役割は宗門批判である。宗門を批判することは宗門を鍛えることに他ならない。もし今の宗門が腐敗堕落しているのであれば、批判によって浄化されていく。教義上の批判は正宗教学の再構築に役立つ。つまり、創価学会は宗門をよい方向へと導いているのだ。

社会経験も乏しい少数の僧侶が・・・

これは実にバカにした話であるが、ある意味では正しい。僧侶はいわゆる出世間に生きているのだから、世間に疎いのだ。これは大聖人の時代も同じことである。しかし、当時の僧侶は尊敬の対象だった。いったい何が違うのだろうか?

俄かにはわからないが、この問いはおそらく今の宗門の僧侶たちも常に自問自答しているはずである。ましてや創価学会の連中が上掲のような悪宣伝を繰り返しているのだから、気にしないわけがないのだ。

これがいわば学習効果となるのだ。

既述のごとく、腐敗堕落しているのであれば浄化されていくわけだし、教義上においてもバージョンアップが図られる。権威の上にアグラをかいて踏ん反り返っているだけではいけないことを学ぶのだ。

唯授一人の血脈相承は日蓮正宗の根幹に関わるものである。

これについて沖浦氏は何の躊躇もなく徹底的に批判を加えているわけだが、これは宗門側にとってひじょうによい教訓である。正宗教学の再構築もさることながら、それ以前のもっと初歩的な意味において教訓となっていると思う。

ようするに、唯授一人を大上段に構えて、頭ごなしに力でねじ伏せるような、そういう態度は厳に慎まなければいけないという、こんなことは世間では常識的なことであるが、それを改めて学ぶ絶好の機会だということである。

この意味で創価学会は宗門のよき善導者なのだ。

さて、批判というものは、得てして自分自身にも当てはまってしまう皮肉なものである。宗門に激烈なる批判を加える創価学会自体は大丈夫なのだろうか?

 学会が一日に千里を駆ける名馬であっても・・・

この辺に馬脚があらわれているかもしれない。

名馬はまさに自画自賛を露呈した格好だが、確かに自惚れるだけのことはあるだろう、創価学会の実力は強大である。その強大な力を使って、さまざまなゴリ押しがなされて来たのではなかったか?

いわゆる正本堂問題がそれである。まあ、しかし、話が長くなるのでここでは略すことにしよう。

そして後年、正本堂は解体撤去の憂き目に遭うことになる。

創価学会に言わせれば、これは宗門側の暴挙・暴虐なのだろうけれども、当然ながら宗門にも言い分がある。わたくしはどちらの側にも属さないので、公平な判断を下す自信がある。話は簡単だ。宗門はずっと我慢してきた。創価学会の強大な力にねじ伏せられながらも、我慢してきたのだ。それが遂に我慢し切れず爆発した。

創価学会員がどのように教わっているか知らないが、これが真相である。どちらの側であっても一方的に都合よく説明することは出来ない。

もちろん顕正会も例外ではない。まあ、しかし、これも話が長くなるのでやめておこう。

いずれにしても大聖人が仰せのように、強敵こそが実は自分を鍛えてくれるありがたい存在なのである。その意味で宗門にとっては創価学会も顕正会もありがたい存在である。ましてや潜在的な宗門回帰願望が働いて、常に脱会者たちの一定数が宗門に戻ってくるという構造になっているのだから、これもありがたい話である。

もっとも、だから余計に創価学会の首脳も顕正会のそれも、頭に来るのだろう。

2014/1/22

本尊道具論の短絡を斬る  
たかし氏より二項目に渡ってご教示をたまわった。

まず一つ目であるが、これは引用範囲が不適切なためだろうか、わたくしには難解だった。極論すれば、戸田会長が何を言おうがしょせんは一つの解釈に過ぎないわけで、それが正解かどうかは別である。

二つ目は阿仏房御書だ。

Aあまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり

阿仏房御書から抜粋しました。戒壇本尊のことはよくわかりませんが、ここでは宝塔(御本尊)を書きあらわすことを出世の本懐と言われていると思います。


これはおっしゃるとおりだと思う。

もしかしたら戒壇本尊本懐をやんわりと批判しているつもりなのかもしれないが、これはわたくしの中では解決済みの問題である。ようするに本懐中の本懐という考え方である。大聖人のあらわされた大曼荼羅御本尊はいずれも本懐にあらざるはなしであるが、とりわけ弘安二年の大御本尊は本懐の中の本懐であるということなのだ。

さて、次は毎度お馴染みの沖浦氏であるが、これまた毎度お馴染みの論法である。

 漫荼羅本尊が信心のための道具であることは、御書、歴代会長指導に明確です。

こう言って出してきたのが、経王殿御返事と日女御前御返事だが、毎度のことなのでここでは本文を省略させていただく。

 剣は戦の道具、漫荼羅は信心の道具。

ずいぶん短絡的なものだ。

 法華弘通のはたじるし。
 旗印は道具。


これも同じく短絡的だ。

 更に池田先生は、

 『宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大聖人の御書だ。』   
 (平成五年九月七日・本部幹部会)

 機械だと仰せです。


沖浦氏はこれが好きのようだが、いかがなものかと思う。そもそも幸福製造機は戸田会長が言い出したことなのだろう。次の文章がどれほど正確かわからないが、いちおう紹介しておく。

 『大聖人が御本尊を今の言葉で言うと発明されたんです。
 幸福製造機です。』(趣意)


沖浦氏は気がついていないのかもしれないが、戸田氏と池田氏ではその発言の意味がかなり違っている。この点がひじょうに重要である。単純化すれば、池田氏は戒壇の大御本尊を否定する方向性の発言であり、戸田氏はその逆なのだ。残念ながら沖浦氏はこの点に気づかず、あるいは気づきながらなのかもしれないが、単に幸福製造機という言葉の共通点を自説に都合よく用いているに過ぎないのである。

 機械ってね、人が使用する道具です。

そう言われれば、それはそうだ。

 幸福製造機って道具ですよ。

けれども、違う見方もあるのだ。

言葉の意味は広義と狭義で違ってくる。まさに幸福製造機を道具とするのは広義の意味においてであって、狭義においては違うものなのだという、こういう見方もあることを知らなくてはならない。

わたくしのイメージで言わせてもらうと、幸福製造機はオートメーション化かれた機械であって、誰であろうとボタンを押せば自動的に均質な製品が出来上がっていく。熟練を要さない。

一方の道具は使う人の技量によって差が出てくる。庖丁がそうだ。料理人にとっての主要な道具の一つが庖丁であるが、どれほどいい庖丁を持っていても腕がなければダメなのである。

経王殿御返事の御指南はまさにこれだ。

つるぎなんども・・・

もちろん、これは剣を譬えに借りての御説明であるが、正宗教学の言葉を使えば御本尊の仏力・法力を引き出すためには信力・行力が必要だということになる。どれほど勝れた御本尊であっても、行ずる側の信心が足りなければダメだという話なのだ。

さて、そうすると戸田会長が言ったとされる幸福製造機はどのような位置づけになるのだろうか?

無一不成仏

これが結論である。

爾前経においては二乗永不成仏だとかその他もろもろあって、すべての人が成仏できるとは説かないのだ。それが法華経においては、成仏しない人は一人もいないと説く。
あるいは難行・易行という分類があるけれども、念仏宗では法華経を難行だと言っていた。これに対して大聖人は、法華経こそが真実の易行であり、念仏宗のほうこそ難行ではないかと反論した。
結局、これも無一不成仏が理由なのだろう。すべての人が成仏できる教えとそうでない教えでは、どちらが勝れているかは一目瞭然だ。二乗にとってはまさに法華経こそが易行であり、念仏は難行なのだ。念仏では成仏できないからである。

こうした観点から現代流に言えば、まさに幸福製造機という表現もあながち間違ってはいないことになるだろう。戸田氏が御本尊をこのように表現したのは無一不成仏のゆえである。

剣は道具、だから御本尊も道具である。幸福製造機は道具、すなわち御本尊は道具である。氏はぜんぶを道具という言葉で一括りにしてしまって、その違いをまるで考えていないのだ。

沖浦氏の道具論がいかに短絡的であるかということだ。

それにしても池田氏のあの発言はいただけない。恩師であるはずの人の発言をまるで正反対の意味で引用してしまっているのだ。さらにそれを得意げに引用する沖浦氏も困った人である。

旗印

さて、日女御前御返事についても書いておこう。これも結論は譬喩であって、それを理解せずして短絡的に道具だと言ってしまう沖浦氏の思考回路がどうなっているか、甚だ怪しむものである。

御本尊供養の御為に・・・

冒頭の一節である。供養は仏教用語としてはひじょうに汎用性のある言葉であって、あらゆる場面に登場する。そこで聞きたい。もし御本尊が道具であったならば、この場合の供養はどのような意味になるのだろうかと。わたくしはごく単純に、御本尊はイコール仏である、ゆえに供養の対象なのだと、このように考えているわけだが、さて、沖浦氏はどのように考えているのだろうか?

法華弘通のはたじるし

御書を真面目に拝読していると、他の御書との関係性が見えてくる。次に紹介する如説修行抄の一節は、法門上の関係性はともかくも、表現上はきわめて類似性が高い。

・・・権実二教のいくさを起こし、忍辱の鎧を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭をはげて、大白牛車に打ち乗って・・・

いくさ、鎧、剣、はた、弓、箭・・・

これらが譬喩であることを疑う人はいないであろう。大白牛車にしても、おそらく鎌倉時代にも牛はいたであろうから、もしその気になれば牛車をこしらえることも可能だったはずだ。しかし、大聖人が牛車に乗っていたという話は聞いたことがない。

2014/1/20

思索の糧  
かなり昔の記事にコメントがついたので何かと思いきや、めずらしい人の登場である。懐かしい人と書いたほうがいいだろうか?

それはさておき、こういう機会に古い拙稿を読み返してみると、ほほう、我ながらうまいことを書いているものだな、などと感心したりする。コメントのついた記事からしばらく順番に読んでいくと次の記事に行き当たる。

精神的側面と物質的側面の狭間にて

http://white.ap.teacup.com/ganko/1008.html

これが先日来の議論とうまい具合にリンクしているのだ。時間に余裕のある人はぜひともリンク先をよく読んでいただきたいものであるが、ここではさしあたって一文だけ引用しておこう。

おそらく迹門を物質的とし、本門を精神的とするのは、現代ウケを狙った表現だと思う。もちろん、shamon氏がそれを意図的にやっているかどうか、それはわからない。いずれにしても、物質よりも精神を上位に置くほうが、崇高なイメージがあることは間違いないだろう。

問題はこれが大聖人の御意を正しく反映しているのかどうかである。さて、いかがなものだろうか?

 日蓮正宗に、大聖人仏法の理解を期待する事自体が、無理なんです。

 御書を引用し何度も説明しておりますが、大聖人には戒壇本尊本懐と言う思想はございません。

 更には一切衆生が対象になる仏法において、法主のみの血脈があると言う思想もございません。

 日蓮正宗がこれらから抜け出せない限り、大聖人仏法には無縁の宗派です。


これはご存知、沖浦氏のコメントである。いつものことなので、軽く受け流すのが賢明であろう。

まず、わたくしは前回の末文で、法華講員との議論を提案したわけだが、それは沖浦氏に対してではなく、学会未活動者氏に対してである。沖浦氏と法華講員との議論はこれまで何度も拝見してきた。ゆえに今さら提案するまでもないことだし、第一、法華講の諸氏はもはや沖浦氏との議論を望んでいない。たぶん、時間の無駄だと思っているのだろう。一方、学会未活動者氏と法華講員との議論はこれまで拝見したことがないので、どういう展開になるのかひじょうに興味深いところである。ヤジウマ根性丸出しのようではあるが、ともかくどういう議論になるか見てみたいものである。

さて、大聖人に戒壇本尊本懐などという思想はない、との論難であるが、これは戒壇建立思想が理解できないとまったく話にならないことである。何しろ沖浦氏は戒壇建立をピラミッドの建造と並べて論ずるくらいの人だから、これはもうぜんぜんお話にならないだろう。大聖人の仏法はいわゆる三大秘法である。三大秘法とは何かがわからないのだから、結局は何もわかっていないのと同じことなのだ。

そこで先日来の議論を踏まえて逆に言わせてもらえば、大聖人に物体本尊非本懐などという思想はない、と申し上げておきたいと思う。

現在の沖浦氏は戒壇の大御本尊を否定するに止まらず、御真筆御本尊すべてを否定するに等しいことを発言しているのだ。つまりは全日蓮門下を敵に回すようなことを言っているわけである。まずはここを何とかしないといけないだろう。

次に唯授一人思想だが、これは確かに難しいところである。正直に言えば、わたくしに何か特別な切り札のようなものがあるわけではない。おそらくは御相伝書をどのように拝するか、それがすべての鍵を握っているのであって、それ以外には論ずる何物も持ち合わせていない、というのが妥当なところだろう。

これで話は終わってもいいのだが、せっかくなので少し続けよう。

正筆所在
時代写所在


沖浦氏は御書全集をお持ちのはずなので、その表記を掲げたが、いちおう平成新編の表記も紹介しておこう。

真蹟所在
古写本


本因妙抄と百六箇抄、全集の目次では空欄になっているが、平成新編では古写本の欄に記載がある。それぞれ、日時筆大石寺、日俊筆大石寺、と書かれているのだ。これをどこまで信用するかである。

ずいぶん前にコメントがあったが、正信会系の僧侶がこれに異論を唱えているらしく、大石寺には日時上人による三大秘法抄の写本もあるわけだが、彼らによればそれは日時上人の筆跡ではないらしいのだ。これについて大石寺側がどのように反論しているのか、わたくしはまったく知らないけれども、結局のところはどちらを信用するかという話だろう。何しろ我々には古写本を閲覧する機会などそうそうないだろうし、仮に現物を見たところで自力で判断が下せるほどの鑑識眼があるわけでもないのだ。

沖浦氏はどうか知らないが、少なくともわたくし自身はその程度のレベルなのである。

そこでわたくしなりに話を進めると、全集にしても平成新編にしても、目次を見ていると際立った特徴に気がつく。時代写所在ないし古写本の欄における日興上人の登場頻度の多さである。それぞれの表記に従って以下に掲げよう。

日興
富士大石寺

日興筆
  大石寺


これに引き比べて五老僧の写本はきわめて少ない。いや、少ないどころの話ではない。もしかしたら一つも存在しないのではないか?

不勉強のわたくしはまったく知らないのだが、この辺の事情を沖浦氏はご存知だろうか?

もしかしたら全集も平成新編も五老僧の写本をあえて掲載しなかった、実はたくさん存在するのだけれども、五老僧はケシカランので掲載しなかった、ということなのだろうか?

わたくしはこの辺の事情をまったく知らないが、おそらくは富士一跡門徒存知事や五人所破抄に説かれるごとくなのだろうと勝手に想像している。つまり、五老僧は御書を軽視していた、軽視していたがゆえに写本などしなかった、ということなのだろうと思うのだ。

いや、もちろん、それが正解だとしても、これが直ちに唯授一人の証明になるわけではないだろう。けれども、傍証としてはそれなりに意味があると思う。

ところで、ふいに思い出したことがある。

 当時、身延山には大聖人の御徳を慕って、各地から百人を超える御弟子方が集い修行していた。大聖人様は将来の人材を養成すべく、これらの御弟子たちに常に説法をあそばした。

これは顕正新聞年末合併号の一面の記事であるが、この続きが注目である。

 その中において、法華経の講義、すなわち文底の義に依って法華経の文を判じ給うた甚深の講義を、連々と数年にわたり、二度もなされている。

二度?

あれれ? そうだったっけ?

わたくしは今までウッカリしていたようだ。御義口伝と日向記は同じ講義を筆記したものと思い込んでいたが、そうではなかったのだ。ようは身延で二回の法華経講義があった。第一回目の講義録が前者であり、後者は二回目の講義録ということなのだ。

だからどうした?

別に大した意味はないけれども、もしかしたらこれが新たな研究テーマになるかもしれないと思うのだ。ようするに、この二書は内容的にずいぶん隔たりがあるように感じられるけれども、わたくしはこれを二人の理解力の違いだろうと考えていた。観解というヤツだ。しかし、同じ時の講義ではなく、別々の講義なのであれば内容が違っていても不思議はないわけで、それは大聖人の講義そのものが一回目と二回目では違っていたと考えることも出来るのだ。ならば、こうした観点から改めて拝読し直せば、あるいは今まで気がつかなかったことが見えてくるかもしれない、新たな発見があるかもしれない、という期待が持てるわけである。

2014/1/17

真冬の困った人たち  
表題のとおりである。具体的には沖浦氏と学会未活動者氏を指すわけだが、以下は後者の直近のコメントである。

2014/1/16 16:01
投稿者:学会未活動者
巌虎さん、こんにちは。
大聖人の御書ではこのように本尊について説明されていますね。

「物体本尊」に関しては、日女御前御返事

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し(中略)此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。

「本尊その物」に関しては、日女御前御返事に続けて、

此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり

あと、他宗ですが立正教団の里見岸雄氏が「創価、正宗早分かり」の中で「ダイナマイト一発で吹っ飛ぶ本尊なんて大した事ない」と主張しています。
巌虎さんは以前、「本尊、御書はどこも今は厳重に所蔵しているために滅びることはない」と仰ったと思いますが、それと「物体はいつか滅びる」のとは違うと思います。沖浦さんが仰ってる「生命」はまさにそれだと思います。宇宙が始まる前から「生きる」という動きはあったのではないでしょうか?

しかし、この論争は多分、キリがないので、巌虎さんにご迷惑が掛かるので、いずれ御手すきの時にお願いします。


やれやれ、だ。

まず、キリがないのはそちらが勝手に堂々巡りを繰り返しているからである。結論はすでに出ていることに気がつかねばならない。

さて、学会未活動者氏は日女御前御返事の御指南を二つに分類しているわけだが、きわめて恣意的である。あるいは本人は気がついていないのだろうか?

・物体本尊
・本尊その物


前段は「物体本尊」の御説明である。それはそのとおりだ。

では、後段はどうかであるが、これがなぜに「本尊その物」と言えるのか、その説明がまったく出来ていないことに気がつかねばならない。

わたくしならば前段・後段を次のように分類する。

・物体本尊
・肉団本尊


いや、もちろん、これが必ずしもベストの表現ではないが、今までの議論を踏まえて便宜的に表記すればこのようになるだろう。

そこで反論したい。

いったい、どこをどう読んだら、物体本尊は本尊そのものではなく肉団本尊こそが本尊そのものであると読めるのか、である。

これで恣意的の意味がわかっただろう。当該御書における御本尊には二つの意味があるとして、前段が物体本尊で後段が肉団本尊、これもさして異論はないものとして、では、後段の肉団本尊こそが「本尊その物」であると、どうしてそんなことが言えるのかが問題である。逆に、物体本尊は本尊そのものではないとどうして言えるのか、である。結局、その説明がまったく出来ていないのだ。

少なくとも、公平性を重視するならば、物体本尊・肉団本尊の両方を「本尊その物」としなければいけないだろう。

ようは学会未活動者氏の勝手な解釈に過ぎないということだ。

立正教団の里見岸雄氏・・・

沖浦さん・・・


ありゃりゃ、これはまた墓穴を掘ったものである。

里見某氏はいったい何時代の人なのか、である。沖浦氏は申すまでもなく現代人だ。

お忘れだろうか?

わたくしは大聖人の御書か、もしくは大聖人に近接する時代の文献を用いて証明するよう、お願いしたつもりである。まったくそれが出来ていないではないか。

ようするに、わたくしとて現代人であるからして、現代感覚はわかっているつもりである。その感覚からすれば、物体本尊は本尊にあらずとしたほうが具合がよいけれども、問題は大聖人がそのようにおっしゃっているかどうかなのである。学会未活動者氏には、ぜひともこれに真面目に取り組んでいただきたいものだ。

書きたいことは山ほどあるが、失礼ながら現時点ではいくら書いても無駄なのでやめておこう。そこで今日は種々御振舞御書から一文だけ紹介し、思索の糧にしたいと思う。

信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言師等のいわく、

我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをすまじ・・・

善光寺には生身の阿弥陀仏がいるそうだ。

そうそう、余計な提案をするようだが、法華講には教学の大家がたくさんいるので、そちらのほうにお出向きになったらどうかと思う。正直、どんなやりとりがなされるか、ひじょうに興味がある。しかし、たぶん面倒臭がって相手にしてくれないだろう。ただ、それを覚悟で挑戦してみるのもいいだろう。その結果をぜひともご報告いただきたいものだ。

2014/1/15

新春号まとめ  
昨日の続きである。

年末合併号の記事にヤラセっぽいものがあると書いた。創価学会からの入会者の記事だが、わたくしにはその人の存在自体が疑わしく感じられるのだった。たぶん、そのうち総幹部会などで登壇することだろう。そうすれば、わたくしの疑いは晴れることになる。しかし、このまま消えてしまえば、あの人物はいったい何だったのかと、謎だけが残ることになる。

実は新春号にもヤラセっぽい記事がある。

学会員が次々と正義にめざめ奮い立つ

鹿児島の学会員も相次ぎ動執生疑

特集号により学会員が続々入会

「凄い新聞」「学会の犯罪に驚嘆した」


五面に十二月度総幹部会の活動報告が四本載っている。上掲はそれぞれの見出しであるが、すべてが創価学会ネタであるところが凄い。

御遺命の正義にめざめて

六面には三本の「正義にめざめて」が掲載されているが、今回は「御遺命の正義にめざめて」となっている。それはともかく、こちらも三本すべてが創価学会ネタである。

七つ、ぜんぶがヤラセっぽいとは言わない。そこまで酷かったら、もはや救いはないだろう。しかし、逆に厳しいことを言えば、一つでもヤラセがあればオシマイである。ともかく創価学会をやっつけたい。目的のためには手段を選らばない。公平な読者であれば、当該号からそのような印象を受けかねないのだ。だから一つでもヤラセがあったらアウトである。

では、具体的に取り上げよう。まずは婦人部鹿児島支区部長の活動報告である。

昭和三十九年から十年間、新多摩川の芸者街で美容室を経営していたという人物が、昨年十一月二十日に入信したそうである。この人の記憶がいかにもウソっぽいのだ。

そこを利用する芸者には学会員が多く、昭和四五年ごろ、その芸者たちから浅井先生の悪口をよく耳にしていたと言うのです。

おいおい、本当かよ、と言いたい。

ようするに本人は創価学会員ではないのだ。美容室に来るお客さんに創価学会員がたくさんいたわけである。そのお客さんたちの話題に上っていたのが浅井先生の悪口だというのである。

本当にこれ大丈夫なのかと心配になる。

しかも続きが凄いのだ。彼女は四十年前に浅井先生のことを耳にしていたけれども、その時は悪口を聞いただけで先生の姿を見たわけではない。それが今回、ビデオ放映を通して初めて先生を見た。

 「この方が、あのとき耳にしていた浅井先生なんですね。まるで仏様のようなお顔をされている」と顔を紅潮させ・・・

もはや会長本仏論だとか、そうした批判のために取り上げたわけではないことくらい、拙ブログの読者であればよくおわかりのはずだ。普通の人が四十年前のことをそんなふうに憶えているとは誰も思わないだろう。むしろ先生が仏様なのではなく、この人のほうがよほど仏様である。超人的な記憶力としか言い様がない。

 昭和四五年ごろとは、浅井先生の御遺命守護の激闘の最中であり、芸者が口にしていた悪口とは、酒席においてまで語られていた、学会・宗門上層部の浅井先生への醜い悪口中傷・・・

もしこれが本当ならば物凄い証言である。ただし、二重三重の障壁があって、素直には信じ難いところだ。

実はこの「昭和四五年ごろ」というのがミソであって、次に紹介する「御遺命の正義にめざめて」の登壇にも同じフレーズが登場する。十一月十九日に入会したという七十六歳の男性の記事だ。

 実は昭和四十五年ころ、学会員の先輩の所に妙信講員が山を越えて折伏に来たことや、妙信講が細井日達管長に対し「池田大作を破門にせよ」と何度も諫めていることを聞き、「小さいが、凄い団体がある」と気になりながらも、それ以上の情報が入らず、いまに至っていたのです。

もしわたくしが顕正新聞の編集部だったら、昭和四十五年頃ではなく、昭和四十九年頃に修正して掲載したはずだ。

オマエら御遺命守護の歴史をちゃんと学んでいるのかよ、と言いたい。末端の活動会員ならばまだしも顕正新聞の編集部がこれでは、もはや救いようがない。

このわずかな年数の違いが命取りなのだ。

四十五年
四十七年
四十九年


御遺命守護の戦いは大雑把に言えばこの三段階に分かれる。四十五年は諫暁開始の年であり、まだこの段階は宗門高僧と創価学会首脳を相手に浅井先生が必死に説得を試みるのみで、広く周知徹底するには至っていないのだ。ゆえに一般の創価学会員はほとんど知らなかった。

そして昭和四十七年は正本堂建立の年である。冨士の第二百五十号の百十八ページには次のように書かれている。

 すでに道理の通ずる段階は過ぎた。この上は、宗門全信徒にこの重大事を知らせ、その信心に訴えて御遺命を守る以外にはない。妙信講の総力を挙げてこれを為すべく、五月二十六日の総幹部会で私は全幹部にこれを呼びかけた。

当時の講演を引用しよう。

 私は今までおさえにおさえて来た。多くの講員が「これを妙信講以外の正宗信者に見せてよいか」と聞かれた時「やめなさい」と云っておさえてきた。上の指導者が改めさえすれば、何ら末端の信心に動揺もなく、全組織に歪曲の訂正はなされると信じていたからです。

いかがだろうか。もはやこれ以上の贅言は必要ないと思うが、さらにご覧いただこう。

 此処に及んでは遂に決意せざるを得ない。
(中略)
 されば全妙信講員の護法の大信心を以って、日蓮正宗全信徒にこの事を知らせて行こうではないか。会長への諫暁書、富士の三月号、五月号、この三冊をセットにして、無料で配布してほしい。何千部でも、何万部でも、何十万部でもよい。資力の続く限り正論を聞かしめようではないか。

わたくしの想像では、昭和四十七年の段階であっても、まだ全創価学会員が妙信講の存在を認識したわけではなかっただろう。今の顕正会の実力ならまだしも、当時の妙信講にはそこまでの実力はなかったと思う。

昭和四十九年の解散処分の後、宗門・創価学会による悪宣伝があり、さらにはあの創価学会本部乱闘事件を経て、ようやく知られるようになった。これが正解だろう。

以上で明らかなごとく、くだんの活動報告、そして正義にめざめて、この両記事はいずれも信用できない。ウソの記事をでっち上げたものか、あるいは単に記憶違いだったのか、それは相手の釈明を聞かないことには何とも言えないところだが、しかし、ズサンなものである。少なくとも昭和四十九年頃としておけば、それほど問題はなかったはずなので、これはひとえに編集部の責任である。

さて、八面には十二月度班長会の記事が四本載っているけれども、その中から第六女子部長の記事を紹介しておこう。

御本仏の御意を如実に拝され、「時」を重しとして諫暁に立たれる先生の大忠誠のお姿が、日興上人・日目上人の尊きお姿と重なって・・・

特に申し上げることはない。

そして最終面の第十面には新春号恒例のアレが載っている。全国会員数および会館 列島分布図と顕正会発足より今日までの弘通の足跡である。

感想を言えば、会館が増えたなあ、ということだ。会館の写真が紙面にギッシリと詰まっていて、あと何年かすれば載り切らなくなるくらいの感じである。それから弘通の伸びを示すグラフだが、近年やや鈍化気味だった上昇カーブが少し持ち直して、急上昇を予感させるような角度になっている。

2014/1/14

新春号雑感  
真冬の寒さを吹き飛ばす熱い戦いが繰り広げられているが、法門談義のほうはここで一先ず休止して、顕正新聞の話題に入りたい。

年末合併号の最後の記事が気になった。

女子部大会ビデオ放映に参加して(寄稿)

カッコ書きが妙だ。

この投稿者は男子部第百八隊の平会員だが、拙ブログではすでに取り上げたことのある人物である。あの九月十一日の不当捜索の直後に創価学会から入会してきた青年だ。正確には九月二十日入会のようである。

何がどのように妙なのか?

この人はすでに顕正会の男子部員なのである。しかも自ら願い出て入会したわけだから、それなりに熱心なのだろう。ならば平会員ではなく、組長くらいにはすでになっていても不思議はないだろう。

それはもちろんさまざまな事情があるだろうから一概には言えないことだが、しかし、上掲のごとくカッコ書きで寄稿となっているのがいかにも不自然である。
ビデオ放映に参加しての感想を書いているわけだ。ならば何か病気などで外出が出来ないとか、そういう事情があるわけでもないだろう。
ようするに、普通ならば班長会であるとか男子部集会であるとか、そういった場で登壇したものが顕正新聞の記事になるのだ。

ゆえになぜに寄稿であるのかがよくわからないのだ。

記事の内容にしても、やや不審がある。
創価学会からの入会者には創価学会関係の友人知人がたくさんいる。家族も創価学会員かもしれない。すると、さっそく猛烈な折伏が展開されるのだ。
ところが当該記事にはそうした活動報告に類することが一つも書かれていないのである。

以上、不審に思うところを書き連ねてみたが、いかにもヤラセっぽい感じが否めない。大胆なことを言えば、この人の存在自体が架空なのかもしれないと思うくらいだ。

ちなみに、新聞には顔写真も掲載されているわけで、その意味では架空の存在とは考え難いのだが・・・

さて、いよいよ第1296号すなわち新春号だ。

「一切の大事の中に
  国の亡ぶるが第一の大事」


これが浅井先生の年頭の辞に付されたタイトルである。内容的には先生の年来の主張そのものであって、特にツッコミを入れる場所はない。その中で最新の話題として注目されるのは次のくだりだろう。

 ここに、尖閣奪取の準備は整ったのである。あとは軍事行動を起こす口実を探すだけであった。
 そしてこのとき、安倍晋三首相が「靖国神社参拝」を強行したのであった。
 これは中国にとっては、尖閣奪取・日本侵略の充分な口実になる。


尖閣はともかくとして、日本侵略の口実というのはさすがに大袈裟すぎるだろう。

ただ、安倍首相の靖国参拝には賛否両論があって、わたくしの知る範囲ではやや不評のほうが強いようである。もともと安倍シンパの人であっても、今の時期に参拝するのはどうか、この時期にわざわざ近隣諸国を刺激するようなマネはよろしくない、というような論調のようである。

その意味で浅井先生の言っていることは間違ってはいないのだが、それにしても極端だ。

もっとも、かく言うわたくしは逆に平和ボケが過ぎるのかもしれないと、やや反省する気持ちがなくはないのだが・・・

顕正新聞社別館 堂々完成!

二面の右下の記事である。なかなか立派な建物だと思う。

本部幹事に藤村雄大氏

立派な建物の写真の左には、人事が載っている。上掲の藤村氏以外には、婦人部の支区部長三人が載っているわけだが、ここには名前を挙げない。

拙ブログでは、よほどの大幹部でも限り、個人名は書かないことにしている。

では、藤村氏の場合はなぜ書いたのか?

その答えは顕正新聞に載っている。以下がそれである。

 十二月度総幹部会において、本部幹事に藤村雄大氏が任命された。
 新任の藤村氏はこのたび弁護士資格を取得し、今後巻き起こるさまざまな妨害等に法務面で対応すべく、本部幹事に任命されたものである。


たとえば班長クラスであれば、退転などは日常茶飯事であろう。どれほど立派な班長であっても、顕正会をやめればタダの人である。ゆえに個人名を出すのは可哀想だと思うのだ。しかし、弁護士ともなれば話は別だろう。今後も顕正会にまつわるトラブルは続くはずだし、その対応のために抜擢されたのが藤村氏である。今後、テレビ新聞などで報道されるような事件が起これば、その矢面に立つべき存在となるのだ。その意味からしても、わざわざ名前を伏せる必要はなかろうと思う。

さて、三面から四面にかけては十二月度総幹部会における会長講演が掲載されている。この中でわたくしが注目したのは三点である。

 では、顕正会はどんな悪いことやったのか。定めて凶悪な殺人事件でも起こしたのか、悪質な詐欺でもやったのかと思いきや、何をやったかというと、ただ折伏し入信させたというだけ(大笑)。
 もし良識のある人々が見たら、この仰々しさは何ごとかと思うに違いない。


拙ブログでは顕正会関連の事件報道をこれまで何度も取り上げてきた。そこには共通点がある。それはいつも単発だということだ。

叩けば埃が出るという譬えがある。しかし、顕正会の場合はあまり埃が出ないらしいのだ。ゆえに報道のほうも単発で終わってしまい、続報が出ることはまずないと言っていいだろう。事実、今回もそうだった。あの家宅捜索の後、逮捕されたとか何か捜査に進展があったとか、そういう話はまったく聞かない。

この意味で、浅井先生はわりとマトモなことを言っていることになるはずだ。

しかし、先ほども書いたように、今後も顕正会にまつわるトラブルは後を絶たないだろう。顕正会が折伏をやめない限りは・・・である。

「日蓮を恋しく
    をはせば…」


これは半年前の熊本会館の話題に関係することだが、当時の会長講演では当該御文の表記が違っており、拙ブログではそれを指摘した。それが半年後の今になって改められた。ただそれだけの話である。

さて、三点目であるが、これはきわめて重大である。

細井日達の急死
血脈は断絶せず!
阿部日顕の登座


まず、小見出しを順番に並べたわけだが、日達上人・日顕上人を呼び捨てにすること自体、ケシカランことである。

 それより五年後、細井日達は急死を遂げた。大事な「御相承」もなし得なかった。

途中からなので話がわかりにくいけれども、五年後というのは顕正会の解散処分から数えてのことだろう。ようは顕正会に不当な解散処分を下したことの罰が五年後にあらわれたのだと、実際にはどこにもそうは書かれていないのだけれども、いわば言外に言っているわけなのだろう。

では、血脈はどうなるのか? それが大問題だ!

 だが、細井日達が御相承をなし得なかったとしても、下種仏法の血脈は断じて断絶しない。

浅井の持論である。続きを引用しよう。

 大聖人様の下種仏法は、そのようなことでは絶対に断絶しない。そんなチャチなものではないのです。

それはそうだ。そんなチャチなものであるはずがない。だが、しかし、日達上人の急逝によって御相承がなされなかったのだとすると、いったいどのような理由から断絶を免れるのだろうか? そこが問題である。

 その理由はまだ言うべき時ではない。時が来たら私は、ハッキリと言います。

う〜ん、これは前にも言っていたことだが、はたして大丈夫なんだろうかと、甚だ心配になる。

法華講員が読むことを想定して書いておこう。浅井昭衛はケシカラン男である。御高徳の上人を呼び捨てにするとは甚だケシカランことだ。それはそのとおりなのだが、彼は御相承の断絶を言うものの、血脈の断絶は言わないのだ。この意味はあくまで御遺命破壊の当事者として両猊下を認めないのであって、下種仏法の血脈そのものを否定するつもりは毛頭ないということなのだと考えられる。法華講員は、というよりも正宗の全僧俗は、日達上人はちゃんと御相承をなし終えてから御遷化になられたと主張しているわけだが、これは創価学会や正信会のうるさい連中がああだこうだ言ってなかなか振り解けない問題でもある。一見すると、浅井はそちら側になびいたごとくに思えるが、実はそうではないのかもしれない。なぜならば、もし創価学会や正信会の言うごとく日達上人が御相承をなし得ずに急逝されたとしても下種仏法の血脈は断絶しない、という論理を用意しているからである。これは正宗僧俗が主張していることとは違うけれども、往いては同じことになる。結果的には同じことになると思われる。

以上、甚だ強引だとは承知しつつも、浅井昭衛の弁護を書いてみた。

客観的には独立教団路線を否定できないし、宗門復帰などは夢のまた夢であろう。しかし、会員に対して戒壇の大御本尊への恋慕渇仰を指導徹底しているところなど、純然たる大石寺信仰を保持している面も否めないのだ。その意味で、まだ救いがある、まだ捨てたものではない、という思いをわたくしは懐き続けているのである。

2014/1/12

真冬の法門談義  
コメント欄が泥沼の様相を呈してきた。

その中で比較的に真面目なものを選び出すとすると、桜月氏の文章だろう。氏によれば、顕正会の本尊疑惑について、宗門ではそれほど強く追求しておらない、ということだ。しかし、たぶんそれは創価学会の存在が大きいからなのだろう。顕正会が実力をつけてきたのは事実であって、その存在を無視することは出来なくなりつつあるとは言え、未だに創価学会に比べれば物の数ならずなのだろう。ゆえに宗門の中で話題になるのはもっぱら創価学会のほうであって、顕正会の話題はその頻度からして少ないのだと思われる。もし創価学会が存在せず、宗門にとっての最大の敵(?)が顕正会であれば、自ずと話題に上ることが多くなるだろうし、当然ながら本尊疑惑に対する追求もなされるはずである。

さて、先日来の議論については終止符を打ちたいところだが、実際、わたくし的にはすでに決着がついているとは思うものの、しかし、一向に理解の及ばない人がいるみたいなので、もう少し続けるしかなさそうである。

身延相承書は内容などから真偽未定と学者で言われています。

あらら、議論がアサッテの方向に行ってしまっているようだ。学会未活動者氏は日興跡条々事にも疑義を呈している。しかも日亨上人の御言葉を用いてのことだから、ひじょうに厄介だ。

ようするに、わたくしが引用した二書については、疑義があるので使えませんよと言いたいわけなのだろう。

もちろん宗内では信じるのはご自由ですが。

これはこれは、まるで物の道理がわかっとらんようだ。

ここで大胆な発言をしておこう。たとえ身延相承書と日興跡条々事が真っ赤な偽書であったとしても、わたくしの主張は通るのである。学会未活動者氏にはこの道理がわかるだろうか?

少し回り道をしよう。

 樋田さん達も戒壇本尊本懐の衣文にされていましたね。

>日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

 凄く薄弱な根拠です。
 弘安二年は360日ほどございます。
 日に1回ご図顕なされても、300以上のご本尊ご図顕がこの年にあったと推定されます。
 すると、この弘安2年の大(サイズではなく、それほど大聖人のお漫荼羅は素晴らしいとの表現です)ご本尊は、300分の一の確率ですね。

 ここに橋があって、300回に一回だけ無事に渡れます。
 299回は落ちて死ぬ。

 私ね、絶対にそう言う危険な所渡りません。

 日蓮正宗って、そう言う根無し草なんです。


この議論は前にもしたはずだ。大石寺が昨日今日建った新興の寺院であれば沖浦氏の言っているとおりだが、そうではないのだ。七百有余年の伝統がある。大聖人の謦咳に接した方々が建てた寺なのだ。そこの古文書に弘安二年の大御本尊と明記されているのだから、それが戒壇の大御本尊のことだと考えるのがごく普通の感覚である。

いや、もちろん、違うかもしれない。違うという可能性もゼロではないだろう。疑り深い人ならば当然そのように言うはずである。

しかし、少なくとも沖浦氏に対する反論としてはこれで充分であろう。三百六十分の一の確率などというイチャモンは三百六十幅の御真筆御本尊を用意してから言うべきことである。

話を戻そう。

巌虎さんは失礼ですが、物体本尊と「本尊そのもの」の違いを知って欲しいと思います。

そもそもの議論の出発はこの辺りからである。

顕正会が思うのは自由ですが、戒壇を建てるとか天皇が命令とか封建時代の考えで会わないと思いますね。

そしてあろうことか学会未活動者氏は戒壇論にも口を出してきた。そこでわたくしは身延相承書と日興跡条々事を引用した。すると学会未活動者氏は、真偽未定であるとか公に通用するか疑問などと言ってきた。

以上がこれまでの経緯である。

そこでわたくしは言った、仮にくだんの二書が真っ赤な偽書であっても、わたくしの主張は通用するのだ、と。

a.物体本尊×事壇
b.物体本尊×理壇
c.非物体本尊×事壇
d.非物体本尊×理壇


少し説明しておくと、物体本尊とはいわゆる大曼荼羅御本尊のことだが、ここではもっと広く一般的な仏像すなわち絵像木像を含めてもいいだろう。事壇は申すまでもなく築壇すなわち建造物を意味する。非物体本尊は、物体本尊非本尊説を主張している人たちが想定しているはずの、物体ではない本尊のことだ。その実態はよくわからないが、まあ、いちおう便宜的に非物体本尊としておく。理壇は法華経の行者がいるところがそのままで戒壇に当たるのだという即是道場の考え方である。

わたくしの主張はa.である。学会未活動者氏の主張はおそらくd.なのだろう。ちなみにb.を主張する人もいるごとくで、わたくしの聞きかじりでは日蓮宗の僧侶にこうした考え方があるようだ。問題はc.である。

これはあり得ない。たぶん、これを主張する人はいないだろう。もしいるのならば、ぜひご登場願いたいものである。

おわかりだろう。c.はあり得ないと書いた。この意味では逆にd.のほうが自然なのだ。

ゆえに前回、わたくしは書いたのだ。再掲しよう。

学会未活動者氏は物体本尊非本尊説を主張する。なるほど確かに一貫性はあるだろう。物体本尊を認めない以上、事相戒壇も認めない。これが筋というものだ。ならば封建時代がどうのこうのではなく、大聖人の仏法の本質論として事相戒壇を否定すればいい。これでいちおうは説得力のある主張だと思う。

わたくしは学会未活動者氏の主張を、一貫性がある、説得力がある、などと書いた。もちろん、いちおうは、である。

なぜならば、d.はいわゆる己心本尊論×己心戒壇論の組み合わせだからである。これ自体はけっこう昔から議論されていることであって、わたくし自身もそれなりに有力であると認めていることなのだ。

では、わたくしが学会未活動者氏に要求していることは何なのか?

物体本尊は本尊にあらずを御書をもって証明せよ。

ということなのだ。

残念ながら氏はこれに答えられないようだ。

非物体本尊を証明せよ、とか、理壇を証明せよ、とは言わなかった点にお気づきの人がどれだけいるかわからないが、わたくしの法門に対する整理は先のa.b.c.d.に明らかなごとくである。いわば、a.は常識中の常識であって、証明の必要がない。たとえ身延相承書と日興跡条々事が偽書であっても、わたくしの主張が崩れることはない。控えめな言い方をすれば、少なくとも大聖人に近接する時代において、物体本尊×事壇という考え方が存在したことは確実なのだ。逆に言えば、はたしてこれを否定する材料があるのかどうか、ということなのである。学会未活動者氏はこれを提示しなければいけない。実に困難な作業だ。

氏は御書だけでなく、歴代上人その他もろもろの古文書に通じているようなので、少し範囲を拡げてもいいだろう。今までは御書で証明するように要求してきたが、もう少し範囲を拡げてみたい。a.を否定する根拠を御書以外の文献でも構わないので出してほしい。これをぜひお願いしたいと思う。

先に結論を言ってしまうと、たぶん無理だろう。その理由は戒壇論のところにあらわれている。馬脚をあらわしていると言ってもいいくらいだ。再掲しよう。

顕正会が思うのは自由ですが、戒壇を建てるとか天皇が命令とか封建時代の考えで会わないと思いますね。

封建時代云々がそれである。

すでに書いたごとく、封建時代かどうかに係わらず本質論として事壇理壇を論ずることは可能であるし、それが本筋だった。ようするに学会未活動者氏はそれに気がつかなかった。いわば気がついていないことを露呈してしまったのである。つまりは現代感覚で物を言っているに過ぎない。本尊論もしかりであろう。物体本尊は本尊にあらず。なるほど現代感覚にマッチしているのは確かである。だが、それを大聖人の御書で証明できるのか、甚だ疑問である。先ほども書いたように御書以外の文献もいちおう可としておこう。ぜひともお願いしたい。

今回の議論は以上で終わりにしたいと思う。いや、もちろん、相手の返答如何によっては延長戦もあり得るわけだが・・・

2014/1/7

根拠不明の物体本尊非本尊説を斬る  
各方面よりコメントを頂戴しているが、その多くは創価学会員のごとくである。しかしながら、同じ創価学会員であってもそれぞれ立場が異なるらしく、必ずしも方向性が同じというわけではない。そこが面白いところだ。

ところで、のび太氏のツッコミ?はやや奇怪だった。

これから新会館が続々と建設されるようですが、礼拝用の本尊はどこ製ですか?
まさか大石寺信仰を保っておられる方が自分で作ったりしませんよね?


創価学会員のアンタが言うのかい!と逆にツッコミを入れたくなるところだが、それはともかく顕正会にとってはひじょうに痛いところである。結論を言うと、顕正会の公式見解としては今もなお大石寺もしくはその末寺から下付された御本尊を用いていることになっていて、決して自家製ではないのだ。しかし、すでに多くの人がそれを疑っており、もはやそんなのはバレバレのウソであると断言する人もいるくらいである。今後、顕正会がそれを公式に認めるかどうかが注目されるところだが、わたくしの予想ではあくまでシラを切り通すことだろう。

一つ言えることは、今は古い会員がどんどんいなくなっており、本尊疑惑の深刻さをあまり認識していない会員が増えつつあるのだと思う。ゆえに、このまま時間が過ぎれば、自ずとウヤムヤになる。すでにウヤムヤになりつつあるのだ。

古い会員であれば、もし本尊疑惑が本当なら顕正会を即座にやめるという人が多数を占めるのではないかと思う。けれども、たぶん今の新しい会員たちの感覚は違うのだろう。それが本部首脳としては救いなのだ。もちろん組織維持の意味においてである。

いずれにしても純然たる大石寺信仰の立場を貫くのであれば、勝手に本尊を増刷するようなマネは絶対にしないはずである。わたくしとしては浅井先生を信じたいところだが、しかし、客観的には???であろう。

今朝、沖浦氏からコメントがあったが、相変わらずズサンである。

折伏経典?

たぶん折伏教典が正しいのだろう。わたくしの手元にあるものは経典ではなく教典である。

高山樗牛先生・・・

これは戸田会長の生命論に出てくる話だと思われる。だとすれば、それが答えのすべてであろう。ようするに本尊論ではなく、生命論なのだ。本尊論と生命論を混同させて、自説に都合よく引用されては、戸田会長もさぞ迷惑なことだろう。

さて、今度は学会未活動者氏である。

>「御本尊は生身の日蓮大聖人であられる」
そう思うのは勝手です。が、屁理屈ですが、と言うことは、今まで何百万の「大聖人」が業者から生まれ?不敬などで何百万の「大聖人」がお亡くなりになられた?のですかね?


どのようなつもりでお書きになったか知らないが、仮に大聖人は御一人であって何百万もの大聖人が存在するのはおかしいという意味ならば、いわゆる如意宝珠の譬えを学ぶべきだろう。大聖人の御真筆御本尊はもちろんのこと、それが歴代上人の常住御本尊であろうとあるいは御形木御本尊であろうと、すべてが生身の大聖人であられる。これが大石寺信仰なのだ。

もちろん、大量の御本尊が御不敬の憂き目に遭っていることはまことに遺憾なことであり、その意味においても御本尊の下付は厳格でなければならず、かつての創価学会のような折伏は厳に慎まなければならないことだ。

ちなみに今の顕正会においては入信即本尊下付ということはあり得ない。けれども、逆にそれが安直な折伏につながっている意味もあって、決して褒められたものではないのだ。

戒壇の安生原の伝説もそうです。有師頃に左京日教が導入した尊門の伝説ですね。それ以前は「いずこにても、富士山」が建立地とかあったような?有師、寛師あたりが道師の大石寺教学を変更したような?堀師は六万坊の伝説はオーバー過ぎる、万の原辺り足しても狭くて千坊も建たない、もう六万坊は摩天楼にしてでも建てろ、と揶揄していますし。

天生原戒壇説は現宗門も否定しているので、顕正会としてはひじょうに旗色が悪い。わたくし個人は意見を保留としたい。

顕正会が思うのは自由ですが、戒壇を建てるとか天皇が命令とか封建時代の考えで会わないと思いますね。

会わないは合わないの誤記だろうが、それはともかくここは重要である。ようするに戒壇建立は封建時代の考えで現代には合わないと言っているわけだ。

わたくしは言いたい。ああ、やっぱり現代ウケを狙っている、と。まさにこれが学会未活動者氏の本質であろう。

物体本尊は本尊にあらず・・・

シツコイようだが、何度でも書こう。まずは上掲を証明しないといけない。これがすべてだと言ってもいい。

学会未活動者氏は物体本尊非本尊説を主張する。なるほど確かに一貫性はあるだろう。物体本尊を認めない以上、事相戒壇も認めない。これが筋というものだ。ならば封建時代がどうのこうのではなく、大聖人の仏法の本質論として事相戒壇を否定すればいい。これでいちおうは説得力のある主張だと思う。

だが、その大前提として、物体本尊は本尊にあらずを証明しなければいけない。逆に言うと、物体本尊が本尊であれば自ずと事相戒壇も肯定しなければいけないことになるだろう。さあ、どうする?

国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。

さらにひねりを入れれば、上掲の御文のごとく事相戒壇は確定である、ならば本尊もしかり、という論理も成り立つことになる。此の法を立てるというのは抽象的・概念的であって、必ずしも物体本尊を意味しない。しかし、戒壇建立は事相なのだ。ならば本尊も・・・という理屈である。

当然、この延長線上には日興跡条々事がある。

日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

もはや説明は要らないはずだ。

大石寺初期の教学は道師が「御伝土代」に書いてます。
顕正会も宗門も教学を見直して欲しいですね。

日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、
弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師なり


学会未活動者氏は前にも同文を引用していたので、よほど強調したいのだろうと思って、ここに掲げることにした。

しかし、逃げを打つようだが、守備範囲外なので言及を避けたい。実際、拙ブログはかれこれ十年近くやっているけれども、歴代上人の御指南についてはほとんど取り上げたことがない。この点、よろしく斟酌願いたい。

いずれにしても学会未活動者氏は物体本尊非本尊説を御書をもって証明しなければいけない。

2014/1/2

年末合併号雑感  
年をまたいで法門談義が続いたけれども、どうやら落ち着きを取り戻したようである。そこで今日は顕正新聞の話題である。これまた年をまたいで恐縮だ。

「日目 先師の地望を遂げんが為に…」
御聖意を伝え奉らんと決死の御諫暁
 無視した「王政」わずか三年で崩壊


第1295号の一面は目師会の会長講演だ。上掲はその大見出しだが、説明は省略しよう。毎度のことながら、この後の幹部たちの発言が注目される。同新聞の九面には十一月度班長会における総合女子部長の登壇が載せられている。

 女子部大会の後も瞬時も休まれずに激闘を重ねられる先生、大聖人様が作って下さった順縁広布の時代に「今をおいて広宣流布する時はない」と御身を削り「国立戒壇」を叫び戦われるそのお姿は
 日目上人の、「先師の地望を遂げんがために…」と申状を手に、最後の天奏に御命抛たれた御姿と重なり、熱涙を禁じ得ません。


彼女は先生のお姿と日目上人の御姿が重なって見えるという。お姿と御姿の違いに意味があるのだろうけれども、しかし、いかがなものかと思う。幹部たちがこういうことを言うから目師再誕説が生じるのだ。
まあ、しかし、こんなことを毎年のように指摘してきたわけだが、最近はやや違った印象を受けるようになった。やはり先生も高齢であるからして、いずれは限界を迎えることだろう。それを幹部たちもわかっているのだ。もちろん、本人もだ。
そこで今は本人にしても幹部たちしても共通の思いがある。いつまでも現役で指揮を執りたい、いつまでも現役でいらしてほしい、と。すなわち日目上人を手本として生涯現役を貫く、貫いてほしい、ということなのだ。

穿った見方をすれば、顕正会の掲げる壮大な目標がたとえ達成できずに終わったとしても、日目上人のごとく最期まで御奉公を貫くことが出来れば、それでいい、賞賛されることはあっても咎められることはない、というような自己正当化の論理を用意しているのかもしれない。

いずれにしても拙ブログが続く限り、この点は注目し続けるつもりだ。

さて、目師会の二日後は会津会館である。浅井先生もけっこう激務だ。

「御本尊は生身の日蓮大聖人であられる」
 三者出陣の後、列島全域で地方大会
 先難乗り越えた南東北こそ先陣を


本講演はけっこう力の入ったものだった。いや、もちろん、浅井先生は手を抜かないというか、一回一回の講演に全身全霊を傾けているわけであるが、わたくしの見るところ、地方会館での講演の中でも珠玉の名講演ではないかと思う。

見出しの一行目は先日来の法門談義に通じる意味で興味深い。顕正会は純粋な大石寺信仰を保っているということだ。

そして二行目はいわゆるサプライズ発表である。本年は五万人の男子部大会が予定されている。一昨年は婦人部、昨年は女子部、そして本年は男子部が出陣を遂げるわけである。では、その後どうするのか、これが一つの課題だった。今回の講演でそれを発表したわけだ。

日本列島を大きなブロックに分けて、各地域ごとに順次、大会を開催していきたい・・・

うまいものである。では、その第一回目をどこで行なうか?

 そこで、きょう決定いたします。二年後に、一万人の南東北大会を開催する。

さて、見出しの三行目であるが、先難云々とある。この先難は立正安国論の御表現を借りたものだろう。

先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。

いわゆる三・一一の巨大地震・大津波、そして原発災害という未曾有の大災難に遭遇した最初の地が福島である。顕正会的に言えば、これはまだ序の口に過ぎない、これからいよいよ本格的な大災難が起こるのだ、ということなのだろう。これは顕正会独自の見解であり、たぶん他に言っているところはないはずだ。

アベノミクス、福島原発、特定秘密保護法案

浅井先生は講演の中に時事ネタを織り込むのがうまい。本講演は上掲の三つを取り上げている。

アベノミクスについては、まさにボロクソだ。先生は安倍首相を痛烈に批判している。読めば確かに説得力がある。
今のところ景気は好調であり、株価も昨年一年間で相当に上がった。わたくしのような底辺の人間には実感が薄いけれども、マスコミの報道を信用する限りでは相当に好調のようである。
だが、しかし、浅井先生に言わせれば、アベノミクスは進むも退くも地獄、ということらしい。

また、それは経済だけの話ではなく、安倍政権そのものが長くは続かないと先生は言っている。建武の中興を例に取って、天皇の威光を以ってしても、わずか三年、いわんや安倍政権をや、と。そして、さらに言うのだ。

 安倍政権だけではない、今後、広宣流布までの間、日本の政治の不安が続く。これが亡国の兆なのです。

あの三・一一を先難と言ってしまうほどであるから、こうした考え方は当然のことなのだろう。一貫しているのは事実だ。

さて、福島原発の問題であるが、世間的にはやや風化しつつあるような気がするけれども、深刻な問題であることに変わりはない。その意味で会長講演は貴重だ。原発問題の深刻さを再認識することが出来るからである。

細かい内容については省略して、ここでは次のくだりを紹介しておく。四号機の燃料取り出し作業が始まることに続けて、先生は廃炉について言及している。

 これが順調に行ったとしても、その後、廃炉までには四〇年もかかるんですよ。
 四〇年経ったら、皆さんいくつになりますか(笑)。
 それは、聞かない(大爆笑)。


実にイミシンな発言だ。

これはもう不謹慎ということはないだろう。ハッキリしているのは、浅井先生がこれを見届けることは無理ということだ。わたくしはギリギリで見届けることが出来るかもしれない。その時まで拙ブログが続けば本稿にリンクを貼りたいものだ。


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