2014/7/21

政治課題と選挙分析  
集団的自衛権賛成論者のユタ氏は、産経新聞のコラムと思しきものを引用して、自説の補強を図ったごとくである。

「集団的自衛権反対!」と、いつまでも国会周辺でままごと遊びをやっているご老人方には、この夏、ウクライナへの旅をお勧めする。理不尽な軍事大国がお隣だった場合、十分な自衛力と同盟国との軍事協力がなければ、自国民だけでなく、飛行機で領空を通過するだけで命の保証がない現実を身をもって知るだろう。

わたくしの素朴な疑問は、9.11である。これは強大な軍事力が抑止力たりえないことの明証ではないかと思うのだが、いかがだろうか?

いや、もちろん、一定の抑止力はあるだろう。だが、しかし、究極的には自爆テロに象徴されるごとく、相手がどれほど強かろうが立ち向かっていく人たちがいるわけで、その実例がまさに9.11である。ならば左翼系と思しき人たちが言うように、安倍政権のやっていることは返って日本を危険にさらすだけのことかもしれないのだ。

いずれにしても集団的自衛権賛成の人はメリットばかりを強調し、デメリットには目をつぶっているように思える。もっとも反対の人はその逆で、デメリットばかりを強調しているような感じが否めないのだが・・・

Oha! 浅井先生の予言より当たるのび太です。

集団的自衛権行使容認の閣議決定後に実施された、注目の滋賀県知事選挙でした。
結果は、三日月大造氏が当選を果たした。集団的自衛権行使容認にNOを突きつける格好となった。
トラちゃんが予想の難易度が低いとかイチャモンを付けていましたが、そうでもありません。得票数を掲示します。

三日月 大造 無所属(元民主党議員)253,728

小鑓 隆史  無所属(自公推薦)  240,652

坪田 五久男 無所属(共産推薦)   53,280

自慢話をしたいわけではない。ここで注目したいのは、
共産党推薦の坪田氏の得票数である。
日本の方向性が変わろうとしている状況で、日本共産党の単独候補の擁立は正しいのだろうか?
実は、自公政権を補完しているのは日本共産党だったりして…?

誤解の無いように一言申し添えます。
公明党と言っても国会議員はだらしがないが、市町村会議員は本当に頑張っていると思います。
ではまた、


これはまったくおっしゃるとおりであり、わたくしが間違っていたことは誰の目にも明らかだろう。当選者と次点の得票数は僅差であり、実に際どい戦いだった。つまり、どちらが勝っても不思議ではなく、すると直前の集団的自衛権行使容認だとかセクハラ野次などの影響がなければ、結果が逆だった可能性も否定できないのだ。

のび太氏はさらに共産党候補擁立についても言及しており、これが言い古されたことではあるものの、きわめて的確な分析なのだ。

自公政権を補完しているのは日本共産党・・・

逆説的とは言え、一面の真理をあらわしていると思う。

つまり、共産党が単独候補を立てず、野党間でもっと選挙協力をすれば、自公政権に打撃を与えることが可能のはずなのだ。

まあ、しかし、そもそも党が分かれているのは政治理念から何から、あらゆる意味で異なるからなのだろう。いわゆる野合を快しとしない点において、共産党は筋を通しているわけだ。その他の野党は離合集散を繰り返しているだけであり、この意味では国民の期待に応えられないのは理の当然と言えるかもしれない。

最後にのび太氏は、公明党の国会議員はだらしないが地方議員はよく頑張っている、と書いておられる。

これについては判断する材料がないので何とも言えないが、いずれにしても公明党の存在感は否定できない。くだんの滋賀県知事選挙の結果を見てもそれは言えるだろう。ようするに、今回の選挙では創価学会員があまり動かなかったと考えられるわけで、もし彼らが本気を出していたら結果は違っていた、ひっくり返っていた可能性が高いのだ。僅差で負けたというのが大きいわけで、自民系の国会議員は公明党と仲良くやっていかないと選挙の時に痛い目に遭うという意識を植え付けられた格好である。

過去の選挙結果をデータ化して、公明党票すなわち創価学会票の凋落傾向をあげつらう人がいるけれども、投票率が格段に上がらない限りは今もなお彼らの組織票が選挙結果を左右するという現実は変わらない。

いや、もちろん、先のことはわからないわけで、沖浦氏の言うように次回は自公政権に鉄槌が下るというのも一つの有力な見方ではある。

以上、のび太氏にはとうてい敵わないが、わたくしなりの現状分析を書かせていただいた。

2014/7/18

第1314号拾い読み  
今朝の沖浦氏のコメントは遠回しながらも自身の超人的な肉体を自慢しているように聞こえる。もっとも世界チャンピオンなのだから自慢して当然だ。ましてや同世代の多くが、肩だの腰だの膝だのと、身体の節々が痛くて整形外科に通うのが日課になっていたりもするのだから、まさに天地雲泥の差である。

さて、顕正新聞第1314号をちゃんと取り上げていなかったので、今日はそれをやるつもりだが、その前に前号から一つ取り上げておこう。

第二婦人部長の記事で一組長の臨終について書いたくだりがある。

 様々な事情から邪宗での葬儀となりましたが、坊主が帰った後、最後の勤行をと斎場へと行くと、組長は亡くなった日と変わらず、皺ひとつなく白くつるつるの肌で、唇は濃いピンク色、髪は生前より黒く、まつ毛も伸びていました。

邪宗での葬儀・・・

これはひじょうにめずらしい記事で、もしかしたら葬儀に関する新見解かもしれない。なぜならば邪宗での葬儀を半ば認めるような意味にも受け取れるからだ。

いちおう、続きをご覧に入れよう。

 成仏が確定したなら、たとえ邪宗の葬儀になろうとも、成仏は壊されるものではないと心得ておりましたが、眼前にした組長の相はそれをしっかりと証明しており、改めて成仏とはなんと有難いのかと、命が震えました。

先般、清掃業務をパートでやっている婦人部班長の話を紹介した。ようは顕正会弁護士からの適切なアドバイスを受けて、会社とのトラブルをうまく切り抜けることが出来たという話である。とうとう顕正会も強硬路線から柔軟路線に切り替えたかと思わせる事例だった。

今度の話も同様である。

顕正会もそこそこ人数が増えてきたので、それこそ全国津々浦々でトラブルが巻き起こっている。すると本部首脳としても方針転換せざるを得ないのだろう。それはいわばオトナの選択であり、けっして悪いことではない。

だが、しかし、確認しておきたいことがある。

成仏が確定したら、たとえ邪宗の葬儀になろうとも、成仏は壊されるものではない・・・

これは何を根拠に言っているのだろうか?

ようするに顕正会は国立戒壇に固執する、いわば頑固者である。教条主義的との批判もあるくらいだ。それがここに来て、かなり軟化してきた。しかし、ことは成仏不成仏に関わる重大事である。ゆえに確たる根拠もなく言っているのだとしたら大問題だ。

以上、わたくしは顕正会が柔軟路線に転ずることを否定するつもりはないが、しかし、今度の件は甚だ疑問であると言っておきたい。

さて、第1314号であるが、すでに会長講演はあらまし取り上げた。ここでは一つだけ取り上げておこう。

・・・一国を諫暁する「集団的自衛権」特集号は、すでに百万部を超えている。

翌号の記事には、わずか半月ほどで百万部を超えたとか、大新聞に匹敵する部数が全国を飛び交っているとも書かれている。

百万部はもちろん大変な部数であるが、わたくしの感覚では微妙なところで、世間にどれほど浸透しているかはわからない。ただし、ご承知のごとく、本部からは国会議員や地方議員などに三万部が送られていると思われるので、それと活動会員たちによる地道な配布活動とが相俟って、相当の影響力を発揮するだろうことが想像されるところではある。

この意味で顕正会は原発問題と同様に、反対派の一翼を担っていると言えるかもしれない。

さて、次は一面に戻って、人事について書く。

第二十八女子部長 女子部総務
第二十三区長   新人?
第百三十九区長  第十七女子部長
第百七十六区長  第三女子部長


たぶん、わけがわからないと思う。

第二十八部長に任命された人は女子部総務を兼任している。第百三十九区長に任命された人は第十七女子部長を兼任している。第百七十六区長は第三女子部長を兼任。

いや、逆かもしれない。女子部総務が二十八部長を兼任していると書くのが普通かもしれない。会社を例に取れば、部長が課長を兼任しているという具合だ。逆はおかしいだろう。

新人と書いたのは平会員の意味ではなく、たぶん総班長だとか支区長補あたりが昇格して区長に任命されたのだと思われる。ところが他の二つの区長は部長が兼任しているわけである。これはいかにも人材難を思わせる事例だ。

どうもこのところの人事を見ていると、人材の逼迫を感じざるを得ないところである。

北朝鮮の人々も御本尊を求めている
   多くの親族が涙を流して唱題


二面下段に載る男子部組長の記事であるが、これはけっこう興味深かった。今、世間でも拉致被害者の問題が取り沙汰されているので、その意味でも注目してしかるべき記事だと思った。

 また電気・ガス・水道等も深刻で、電気は一日四時間だけ、水は地下水、あるいは川から汲んで団地の十一階まで運び、水槽に貯めておくとのことでした。

他にも興味深いくだりがたくさんあるのだが、これを一例として挙げておきたい。

そもそも十一階建ての団地があること自体が驚きである。しかし、水道はない。いや、ないのではなく、出ないということなのか? さすがにエレベータはあるだろうと思うが、しかし、一日四時間しか電気が送られてこないという。すると、十一階まで歩いて上がらないといけないのか? まったく馬鹿げた話である。

宇宙物理学研究者として数々の功徳
研究成果が「ニュートン」に掲載される

博士論文も審査段階で高評価を


七面に載る男子部班長の記事である。

これを見ると顕正会も多士済々になってきたものだと思う。先ほどは人材難と書いたわけだが、別の意味では人材が豊富である。この人は平成十五年に高校入学と同時に入信。つまりは母親の勧めで入信したわけだ。すると会員歴は十年を超えているわけで、副長だとか支隊長になっていてもおかしくない。しかし、未だに班長なのだ。

つまり、顕正会の中には二つの人種がいる。顕正会の組織の中で活躍する人、これが一つ。顕正会の中での活躍はいまいちだが社会で大いに活躍する人、これが二つ目だ。もちろん、両方で大活躍する人もいるかもしれないし、両方ともダメな人もいるかもしれない。わたくしはいわずと知れた後者であるが、それはどうでもいい話だ。

ともかく顕正会には弁護士もいれば医師もいる。そして上掲の物理学者だ。今は研究者と書いてあるが、おそらく博士号取得の後は学者と呼ばれるようになるのだろう。

三毒の命が一変し母も素直に入信
無農薬野菜が「じまん市」で十位入賞

「妙法の農業」めざし御奉公貫かん


八面の男子部班長の記事だ。本文から少しずつ拾い出してみよう。

非常に手間はかかりますが・・・

大量栽培はできませんが・・・

手がかかっても・・・


先日も同様の話題を取り上げたが、結論は同じである。妙法の農業はその志こそ立派であるものの、非効率なところが問題だ。いや、もちろん、当該記事は無農薬野菜を看板に掲げて成功しているわけだから、わたくしの批判は的外れの意味がなくもない。だが、しかし、やはり現実的には大変である。百六十五万の顕正会員の中には農業従事者も相当数含まれていると考えられるが、もし同じことをやれと言われても大半がムリだと答えるだろう。


七月二十一日追記:本文中、脱字があったので加筆した。引用文を間違えるようではオシマイだ。

2014/7/17

公明党が理解されない理由  
デンパ小僧なる、変わった名前の人からコメントをたまわったが、正信会云々については、ネット上で確認できる資料があれば、ご紹介願いたい。

ちなみに今回の会長講演が載っている顕正新聞には、資料として滝泉寺申状の御真蹟写真が掲載されているが、これには返り点のついた解読文が付されている。これについてもお聞きしたいところだ。

この解読は顕正会独自のものなのか、あるいは何かそうした資料があるのかどうか、である。

わたくしは平成新編を愛用しているが、平成新編は漢文の御書もすべて書き下し文に直されている。あるいは全集も同様である。そんなわけで、わたくしには漢文御書を読解する能力がない。ましてや活字慣れしている現代人にとっては、大聖人の御文字をすんなりと読み取ることが困難である。ゆえに、顕正会の中に御真蹟を容易に読み取り、かつまた漢文御書を読み下すことが出来る人がいるとしたら、これは大したものだと思う。

なお、ずいぶん昔の話であるが、克衛が凄いことを言っていたことがある。浅井先生は十七歳の時に発心した。立正安国論を読んで発心したのだそうだ。それがなんと漢文の安国論だったという。

いかにもウソ臭い話であるが、真偽のほどは明らかではない。

さて、次はひじょうに面倒臭い話である。

巌虎さん,こんばんは!

>公明党支援のことで言わせてもらえば、
>真面目な創価学会員が気の毒なのである

「右」か「左」かと単純に分けられないと仰った方らしくありませんね?


らしくない・・・とのことだ。

確かに調べてみると、勝谷誠彦氏のように公明党崩壊を言う人もいれば、佐藤優氏のように公明党大勝利を言っている人もいる。さすがに佐藤氏の大勝利はどうかと思うところだが、本人はけっこう自信があるような口振りである。今は少数意見だがそのうちわかると。いずれも動画サイトを調べれば容易に出てくるので、必要な人は確認されるといいだろう。

「真面目な会員」が日頃から公明党に投票し,友人へ依頼してきた人を指すのでしたら杞憂だと思います。

なるほど、そういう意味ならば、ここであえて書いておこう。

沖浦氏のような不真面目な創価学会員が投票しないと宣言したところで今さら驚くに値しない。ところが今回は長年地道に公明党の支援をしてきた創価学会員が支援しないと言っているのだ。これは大きな変化だろう。

ただし、これはわたくしが直接的に取材なり調査なりをした結果というわけではなく、ネット上で散見される情報を元に書いているに過ぎないので、んっ?氏が杞憂だとおっしゃるのであれば、それはそうなのかもしれないと思う。ある意味、ネットの情報は大袈裟なところがなきにしもあらずであり、また、そうした特性を活かしてガセネタを拡散している可能性も否定できないからだ。

ゆえに、もはや公明党には投票しない、という創価学会員が相当数いるのは事実だと思うが、相当数というのはまさにアイマイな表現であって具体的な数字ではないので、本当のところはわからないというのが実情である。

それはさておき、

「少しでも良い選択を」と「理想」と「現実」の狭間で頑張ってる人を・・・

これがやや判読不能だった。

頑張っているのが誰なのか、公明党の議員を指すのか創価学会員を指すのか、そこがよくわからなかった。

これが公明党の議員を指すのであれば、頑張りが足りないと言わざるを得ないところだ。

野党が集団的自衛権に反対するのはわかるが、そうした中で与党でただ一人、反対を唱えている人物がいる。村上誠一郎氏だ。こういう人物がいる以上、公明党の弱腰は一目瞭然であって、理想と現実の狭間で少しでも良い選択を模索しているなどとはとてもじゃないが言えないだろう。

太田大臣は閣議決定で反対を貫くべきだった。

以下はわたくしの勝手な印象に過ぎないことをお断りした上で書くのだが、彼は前々回の総選挙で負けた。彼だけではなく公明党そのものが惨敗した選挙だった。その後、彼は返り咲くわけだが、どうも以前の覇気が感じられない。ひじょうに影が薄い。大臣でありながら存在感が感じられないのだ。

「粘る」とは具体的に如何いう状態を指すのでしょうか?

公明党選出の大臣は彼一人だけである。彼が閣議決定を断固拒否することが粘りの意味である。

公明党が「何が何でも反対だ」「政権離脱する」と云っても
「どうぞご自由に」と「自民+α」にて「無修正」で話が進むだけです。


いや、これは違うと思う。世間の目が変わるのだ。むしろ公明党の人気が急上昇するだろう。

ゆえに沖浦氏は言うのだ。

 日本人はバカではありません。
 安倍自民党政権にも、公明党へも次の選挙で鉄槌が下されるでしょう。


また真であって、自公政権もバカではない。東京新聞のウェブ版によれば、集団的自衛権の関連法案の審議が先送りされるそうである。いわく、世論の強い反発があるため、だとか、時間が経てば世論の反発が多少は弱まる、云々と。

しかし、バカにした話だ。もし集団的自衛権が喫緊の課題ならば、引き続き国会審議に移るべきだろう。何しろ拙速の批判を受けながらも閣議決定に持ち込んだくらいなのである。なぜに先送りする必要があろうか?

「中道」とは理解されにくいものです。
其れは単純に「足して二で割る」事では無いからにほかなりません。


再び、んっ?氏のコメントであるが、これが締め括りの言葉である。

そもそも中道とは何かという問題がある。わたくしの認識では、これはもともと仏法用語ではなかったかと思うのだが、今は政治の世界でも普通に使われている。あるいは公明党が普及させたような意味もあるのかもしれないが、問題は言葉ではなく内容である。結局のところ、その基本理念がどうであれ、政治の世界は是々非々で決していくもののはずである。つまり、中道を理解させることはひじょうに困難であったとしても、具体的施策においては単純明快に説くことが可能のはずなのだ。


七月十八日追記:本文中、誤字を訂正した。

2014/7/14

六月度総幹部会の会長講演を中心に  
引き続き沖浦氏からコメントを頂戴しているが、公明党支援のことで言わせてもらえば、真面目な創価学会員が気の毒なのである。選挙の時には、自らが公明党候補に投票するだけでなく、周囲の友人知人に対し、投票をお願いして回るのだ。ところが今度のようなことがあると、さすがにお願いしづらいだろう。もし仮に、創価学会員がわたくしのところに選挙のお願いに来たら、次のように言うつもりだ。あなたは集団的自衛権のことをどのように考えているのですか、今度のことはさすがに公明党らしくないでしょう、と。

実は以前にも似たようなことがあった。小泉政権下においての海外派兵の問題だ。あるいは消費増税のことも公明党らしくないかもしれない。

委細に見れば他にもいろいろあるだろう。今はインターネットのお陰でその気になればいくらでも調べられる。これはネットのない時代とは格段の差であって、ようは誤魔化しが効かないのだ。仮に新聞・テレビが報じなかったとしても、無数のネットメディアが報じるし、ある意味では一人ひとりのネットユーザーがメディアの一翼を担っているような意味もあって、情報が拡散していく。ゆえに誤魔化そうにも誤魔化せない。

ただし、集団的自衛権の問題は自ずと賛否両論があって、一概にダメとは決めつけられない。問題はその議論の進め方にあるわけで、拙速との謗りは免れないというのがわたくしの結論だ。

その意味で公明党はもっと粘るべきだった。しかし、粘れなかった。真面目な創価学会員たちの落胆は計り知れないものがあるだろう。

さて、六月度総幹部会の会長講演である。

一国も政権も二悪が鼻を並べている

この見出しは本文を読まないと意味がわからない。

 今の日本は、まさしく国中の謗法と正系門家の違背という二つの大悪、二悪が鼻を並べている。どうして諸天、怒りをなさぬ道理があろうか。

これだけではまだ不十分だ。

 私は先ほど「二悪鼻を並べる」と申しましたが、よく見れば、その象徴が、今の安倍政権にも表われているではないか。

だいぶ話が見えてきた。

 そうでしょ。一国の謗法を代表して安倍自民党がある。そして御遺命違背の悪の代表として公明党がある。この二悪鼻を並べた政権が、今の日本を引き回しているのです。どうして諸天が守護しようか。

うまい。ただし、ここは同時にツッコミどころでもあるのだ。

数年前、ほんの一時的とは言え、自公は下野していたのである。つまり、この時は二悪が鼻を並べてはいなかったことになる。はたして諸天の守護はあったのだろうか?

また、これは近い将来の予言という意味でも重要である。

安倍政権は三年以内に崩壊する・・・これが浅井先生の予言である。しかし、遅かれ早かれ首相の交代はあるだろう。問題は自公政権が続くか否かである。もし自公政権が崩れれば、そこで二悪はなくなることになる。広宣流布のタイムテーブルの上から考えれば、うまいタイミングでその時が到来しそうにも思える。

ところがである。カンジンカナメの顕正会のほうが追いつかないのだ。

おわかりだろうか、自公政権が崩壊して新たな政権が発足したとしても、その時に顕正会が二百万やそこらでモタモタしていたら話にならないのだ。

つまり、政権内の二悪は消えても、一国の二悪は消えない。ということは、何も変わらないわけである。

さて、この件はこれくらいにして、別の部分を取り上げよう。

 ところで数日前、東京の三鷹で雹が降り、一〇センチも積り、道路が川のようになったと報道されておりましたね。

そうそう、これは凄まじかった。動画サイトを見れば、その様子がわかるが、六月にこんなことが起こるとは驚きである。

 立正安国論には仁王経の七難を引いて
 「六月に氷霜雹を雨らし」とある。氷とは氷、霜とは霜、雹とは雹のことです。六月に氷や霜や雹が降ったりする――と。本当にそういうことがあるんですね。
 立正安国論の月を迎えて、今さらながら「仏語は実にして虚しからず」を実感するものであります。


ルビがないとわかりづらいので、一部を書き直してみよう。

 六月に氷霜雹(ひょうそうばく)を雨(ふ)らしとある。氷(ひょう)とは氷(こおり)、霜(そう)とは霜(しも)、雹(ばく)とは雹(あられ)のことです。

どうでもいいことを書いておくと、浅井先生は以前、氷霜雹を「ひょうそうほう」と読んでいた。今回はそれが改まっているので、間違いに気づいたのだろう。この件は拙ブログで指摘したことがあるので、それを参考にして改めたのであれば、わたくしとしても嬉しい限りだ。

清澄寺大衆中

ついでに言っておくと、浅井先生はこれに「せいちょうじたいしゅうちゅう」とのルビを振っているが、「たいしゅう」ではなく、「だいしゅ」とするべきだと思う。

もっとも読み方というのは一概にはこうだと言えないところがあって、わたくしが信頼している平成新編のルビにしても、同じ漢字なのに場所によってルビが違っていたりもするので、決して簡単な話ではない。

それはともかく浅井先生の凄いところは、立正安国論を物凄く読み込んでいることである。

わたくしの勝手な印象を言わせてもらえば、日蓮正宗の僧俗にしても創価学会の人たちにしても、あるいは他門の人たちにしても、教学に熱心な人は熱心になればなるほど安国論から離れていく、本尊抄や開目抄に比して安国論を軽視している・・・と思えるのである。もしこれが誤解であればいいのだが、本当ならば彼らは浅井先生に遠く及ばないことになるだろう。安国論がわからなければ、大聖人の仏法はわからないのだ。

滝泉寺申状の重大意義 拝せよ

この一段は圧巻だった。ことに改行の件が不勉強のわたくしにとっては初めての知見でもあり、大いに刺激的だった。

2014/7/13

公明党首脳部に物申す!  
のび太氏より今朝も精力的な投稿があったが、まずは前日のコメントから取り上げよう。

・・・13日投開票の滋賀県知事選は、自公推薦の候補が敗れるだろう。浅井先生の予言より当たるゾ! (笑)

確かに当たりそうだ。

しかし、これはわりと当たりやすい部類に入るだろう。わたくしの印象ではもともと禅譲候補(?)が圧倒的に有利であって、おそらくは今回の集団的自衛権の問題があろうとなかろうと、さほど結果には影響しないと思うのだ。もっとも今こうして書いていて、もし違う結果が出たとしたら大恥であるが、まあ、それを覚悟でいちおう拙稿は午前中の執筆であることをここに書いておく。

 それはそれで、今回の集団自衛権を認めた公明党には愛想が尽きました。

 今後は、家族全員が投票をしないと決めました。


沖浦氏のコメントである。ネット上ではこうした意見が各所で見られるが、実際はどのくらいの割合なのか、ひじょうに気になるところである。もし相当数の創価学会員が同意見だとすれば、次の国政選挙で公明党は相当の打撃を受けることになるだろう。さて、実際はどうなることやら、である。この辺もぜひ、のび太氏の予言を聞きたいものである。

 早いとこ集団的自衛権の解釈変更を皮切りに、憲法9条も改正してもらいたいものですね。

これはユタ氏の意見であるが、もちろん、こうした意見があっても一向に構わないと思う。だが、しかし、わたくし自身は容易には肯んじない。ようは手続きが問題なのである。政府の恣意的な解釈でどうにでもなるのであれば、憲法など何の価値もないことになる。その意味で、のび太氏の今朝のコメントはひじょうに筋が通っていると思う。

氏は、集団的自衛権の行使容認に反対、解釈改憲に反対、改憲に反対、と明言した上で次のように述べている。

…が、もし国会議員の2/3以上の賛成と国民投票による過半数の賛成により改憲が成立したなば従います。

おそらくはこれがもっとも平均的な意見であろう。マレには、断じて認めない、最後の一人になっても反対し続ける、という人もいるだろうけれども、普通の人は周りの意見に左右されるものである。それを付和雷同だとか大勢順応だとか批判することは可能だが、それを言っちゃあオシマイである。ともかく今は己の政治信条がどうであれ、現政権の傍若無人に断固として異を唱えるべきが筋だと思う。

さて、そこで関連する話題として、六月度総幹部会の会長講演を取り上げよう。同集会は六月二十六日に行なわれているので、めずらしく浅井先生の予言が当たった(?)という意味で、貴重である。

 いま安倍首相は、激変する客観情勢を諸天の働きとも知らず、「日本を取り巻く安全保障環境が悪化している」などといって、遮二無二、集団的自衛権の行使容認を急いでいる。七月早々にも閣議決定されるとのことであります。

今一度、確認しておこう。当該資料は顕正新聞第1314号すなわち七月五日号であるが、集会が行なわれたのは六月二十六日の夕刻である。以下、公明党の狡さとの小見出しを付けて、次のように述べている。

 公明党は与党の中で「止め役」ストッパーになるのではないか、などと一部で期待する声もあるが、とんでもないことです。
 彼らの抵抗はポーズだけですよ。「平和の党」という看板の手前、反対するポーズだけは示す。しかし自民党と合意することは、初めから決めていたのです。なぜなら政権離脱を全く最初から考えてないからです。


浅井先生の予言は見事に的中した。だが、しかし、のび太氏の予言同様、それほど難度の高い予言ではないので、別に大騒ぎするほどのこともあるまい。

ところで、わたくしの勝手な想像であるが、創価学会員の中には上掲を読んで反発を覚える人がいるのではないかと思う。顕正会の浅井昭衛が言っているのが気に食わない、オマエには言われたくない、というような、いわば感情的な反発である。しかし、事実は動かない。今回の件では、公明党に落胆した、もう今後は公明党を応援しない、という創価学会員が相当数いるのが現実であるし、むしろそれがマトモな感情のはずだ。この点で、のび太氏や沖浦氏は一定の見識を示していると言えるだろう。

さて、会長講演の続きであるが、わたくしにはわからない点がある。

・・・公明党の実態というのは、創価学会の「政治部」ですよ。これを「公明党」と名づけたにすぎない。だから党の人事も、資金も、選挙も、すべて学会頼みです。そして党の使命は学会を守る、すなわち池田大作を守ることにある。

これがわからない。

確かに出発点はそうだった。しかし、今もそうなのか、そして今後もずっとそうなのか、そこがわからないのだ。
たとえば今回の件では途中で創価学会が独自の見解を表明した。これは明らかに公明党と一線を画すものだった。
ということは、両者には深刻なる亀裂が生じているとも考えられるだろう。事実、創価学会員の中には公明党を応援しないと公言して憚らない人が少なからずいるのだ。

また、不謹慎ながら池田大作氏も永遠に存在し続けるわけではない。

うまい例が思い浮かばないが、そば屋でもいいだろう。同じ屋号の店があるけれども、まったく無関係ということもある。実はもともとは同じ系列の店だったが、暖簾分けして久しく、交流も途絶えてしまって今はまったくの無関係、ということもあり得る話だ。

たまたま沖浦氏の掲示板でひじょうに興味深い文を見つけた。

『わたくしが公明党へ行こうがどこへ行こうが、たとえ牢獄に行くことになってもわたくしの師匠は永遠に池田先生です。』(趣旨)

現在の国交大臣はもともと創価学会の大幹部だった。どのような経緯で政界に転進したのか知らないが、その時の発言が上掲なのだそうである。

わたくしの思うに、今は池田大作氏が存在しているから話が簡単なのである。しかし、いずれはいなくなる。池田氏本人はもちろんのこと、その謦咳に接した人たちもいなくなるのだ。その時に創価学会と公明党を結びつけるものはあるのだろうか?

ただし、浅井先生も指摘するごとく、公明党は創価学会あっての公明党であって、とりわけ選挙においてはほぼ全面的に創価学会頼みである。ゆえに、浅井先生は今回の件を単なるポーズであって、いわば出来レースだと見ているわけであるが、わたくしは少し違った見方をしている。

凡夫には先のことはわからない。いつも言っていることだ。

ゆえに、たとえ出来レースだとしても、すべての結果が思い通りになるとは限らない。今回の件で言えば、創価学会員たちのリアクションである。今後は公明党の応援をしないと公言する創価学会員が少なからずいる。もちろん、その実数はわからないが、雰囲気的には相当数いるのではないかと思う。

つまり、その結果として、今まで鉄板選挙を貫いてきた堅実無比の公明党が、いよいよ大崩壊を始めるのではないか、ということなのだ。

浅井先生好みの予想ではある。

しかし、わたくしはそれを期待しているわけではないし、創価学会員を扇動しているわけでもない。言いたいことはただ一つ、ナメたらあかん、ということである。

生意気を言うようであるが、わたくしはわりと弱者の立場というか、一庶民の立場で物を言っているつもりである。顕正会首脳部に対して物を言う時も同様だが、今回の件では公明党の首脳部に言いたいわけである。

ナメたらあかんと。

公明党は選挙に強い。確かにそうだが、しかし、それで驕っていたら痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。

2014/7/11

浅井発言の変化・変遷について  
沖浦氏の動画を拝見した。百七十キロのバーベルを担いでしゃがみ込み、そこから再び立ち上がる。ただそれだけの短い映像だったが、そこには鬼気迫るものがあった。物凄い気迫を感じた。それはそうだろう。これは生半可な気持ちで取り組むべきものではない。ナメて掛かれば大ケガをする。スポーツは何でもそうであるが、この手の競技はなおさらのことだ。

わたくしも若い頃はそれなりにスポーツをやっていたが、今はさっぱりである。ここは沖浦氏を見習って一念発起すべきとは思うものの、なかなか実行に移せない。いわゆる寒苦鳥のパターンである。

さて、他のブログなどに目を移せば、ユタ氏はコンスタントに更新を続けているが、最近は瑠璃堂氏の更新頻度も相当である。しかも内容的にわたくしと共通する部分が少なくないので、いろいろと議論ができそうではある。しかし、そうは言ってもナマケモノのわたくしは、わざわざ先方のブログまで出掛けて行く気がしない。

セロリ氏のブログも注目だ。

氏は先般の集団的自衛権についての浅井先生の講演に疑問を持ったらしく、過去の浅井発言を調べてみた。すると、いろいろと自語相違があることに気づいた。ところが周囲の反応が芳しくないらしく、その点を少し気にしているごとくである。

あまり周りの反応は薄いようですが

これがセロリ氏の最新ブログの冒頭に記された一言である。

周囲の反応が薄いことについて、わたくしなりの考えを書いておくと、一つには浅井先生の自語相違は枚挙に暇がないので、いまさらその程度のことでは驚かない、ということだろう。
また、仏法上の自語相違に比して、その重要度が低いからなのかもしれない。あと何年で広宣流布だとか、あるいは樋田氏が指摘している塔婆供養の問題など、これらは仏法上の重大な自語相違であるが、それに比べれば大したことがない、ということだろう。
それから、そもそもセロリ氏の指摘がどれほど的を射ているのか、という問題があると思う。わたくし自身の感覚では、それほど極端な自語相違でもなかろう、ややもすればアゲアシ取りの類と変わらないのではないか、という気がしないでもないのだ。もちろん、これはあくまでわたくし個人の感想なので、当然ながら違う感想を持つ人もいることだろう。
すると、やはり一番目二番目の理由に戻って、いまさら驚くに値しない、仏法上の自語相違に比して大したことがない、というのが妥当な線かもしれない。

さて、ここでかなり雑駁な議論になることを承知で書かせていただくと、浅井先生もしょせんは凡夫であるから世論の影響を受けて変化・変遷している、ということがあると思う。

まずは婦人部総班長の記事をご覧いただきたい。

日教組30年、自虐史観から目覚める
  特集号片手に仏法史観を教えん


顕正新聞第1313号は前々号の集団的自衛権特集号の話題で持ち切りだが、この人の記事はじゃっかん性質が異なると思う。本人は日教組の中で長年にわたって自虐史観を刷り込まれてきた。それが顕正会に入信し、変わった。今は仏法史観を教員仲間に伝える立場となった。しかし、彼らはなかなか聞く耳を持たないという。

察しのいい人ならば、気がつくだろう。

わたくしの思うに、今回の特集号は集団的自衛権の行使容認に反対するものである、この点においては日教組も同意見なのではないか、ということなのだ。つまり、浅井先生のいちばん言いたい結論部分、すなわち大聖人の仏法云々であるが、これさえ度外視すれば、今回の特集号はきわめて日教組に受けがいい内容のはずなのである。

いわゆる左翼だとか右翼だとか、そんなことで簡単に色分けできるものではないが、浅井先生はどうも原発問題以降、相当に左寄りに傾いているのではないか、というのがわたくしの印象である。

次は昔の拙稿であるが、これも一つの傍証となり得るので、ぜひご覧になられたい。

http://white.ap.teacup.com/ganko/414.html

これは当時のコメント投稿者が浅井先生を右寄りだと言っているのに対し、わたくしが反論しているという構図である。つまり、わたくしは必ずしも先生を右寄りだとは言っていないのだが、当時、そのように見ている人が存在したという事実が重要である。

これでほぼ材料は出揃ったと思う。

右だの左だの、そんな簡単に色分けはできないが、かつての浅井先生は右寄りだったが最近の先生は左寄りである、というのが漠然とした印象ながらもわりと正鵠を射た見方なのではないかと思う。そしてこれは浅井先生もしょせんは凡夫であるから世論に引きずられて右往左往しているということなのだろう。

もっとも浅井先生もこんな批判は百も承知なのだと思う。いわゆる自虐史観と皇国史観に対し、仏法史観を唱えるゆえんもここにあるわけで、ようは、右でも左でもない、ど真ん中だ、と言いたいわけなのだ。

最後に月並みな結論で恐縮だが、世の中は右だの左だのと簡単に色分けできるものではないだろう、ならば個々の事案について是々非々で論ずるのが賢明である、ということになると思う。わたくし自身は集団的自衛権についてさしたる見識を持たないが、少なくとも今回の閣議決定は拙速の謗りを免れない、もっと議論を尽くすべきだし、筋論としては国民の信を問うべき事案のはずである。

2014/7/9

悪貨は良貨を駆逐するの一例  
のび太氏のコメントにはもう一つ別の意味があった。ライバル云々についてだ。

なるほど、わたくしはうっかり気がつかなかったが、確かにそのようなネライが隠されていたごとくである。そもそも、のび太氏とわたくしがライバル関係のはずがない。まさか氏がそんな意識を持っているとはとうてい思えないし、わたくし自身ものび太氏をライバルなどとは考えたこともなかったからだ。それが沖浦氏とんっ?氏との関係を意味するのであれば、なるほど、合点がいく。もっとも両者がそれを認めるかどうかは別であるが・・・

ところで沖浦氏の今朝のコメントを読むと、決意発表のようなことが書かれている。このとおりの結果が出せれば大したものであるし、もし仮に結果を出せなかったとしても大したものである。常に上を目指すという、バイタリティが素晴らしいのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

TPPで食の安全はどうなるのか!
 「妙法の農業」のお手伝いが叶う有難さ


男子部第六十三隊長の記事には驚いた。上掲の見出しだけでは意味がわからないだろうけれども、ようするに顕正会の芙蓉農園では無農薬による米作りが行なわれている。確かに、これだけ聞けば好感度は高いのだが、その具体的作業を聞けば驚くことになる。

 当初は、誰もやらない手による除草に、通る人が物珍しそうに眺めては、「よくやるな」と言って通り過ぎることも多かったのですが、浅井先生の「妙法の農業」のお手伝いが叶う有難さだけでいっぱいでした。

ここで男子部第九十九隊長の記事の見出しを紹介しておこう。

日本普及のモンサントの除草剤
  海外では販売禁止の国も!


先刻ご承知のとおり、浅井先生はTPP反対を主張している。その理由の一つが食の安全に対する危惧であり、具体的には遺伝子組み換え食品だとか農薬まみれの食品が大量に入ってきてしまう、これがために大反対しているのだ。

俄か知識で恐縮だが、アメリカでは広大な面積を効率よく耕作するために、なんとヘリコプターで種を蒔いたりするそうだ。当然、途中で雑草が生えてくれば、草取りをしなければいけないが、まさか手作業ではやっていられない。すると、雑草が生えないように除草剤を撒く。これも空から一気に撒くわけだ。

なるほど、日本の農業が太刀打ちできないのも、無理のない話である。

ちなみに除草剤についてであるが、雑草には効いて作物には効かないなどという、そんなムシのいい話はあるはずがない。そこで登場するのが遺伝子組み換え作物なのだ。どれほど強い農薬を撒いても枯れないように遺伝子を組み換えてしまうのだという。これを上空から大量に撒く。当然、雑草だけでなく作物にも降りかかる。けれども作物は枯れず、雑草だけを枯らすことができるという。

TPPで日本の農業が壊滅的打撃を受けるのは、なるほど頷ける話であるが、その日本の農家であっても農薬は使うのだ。耕地面積が広くなればなるほど、まさか手作業で除草をするわけにはいかない。それが現実である。

ところがである。

芙蓉農園を託されている六十三隊長氏は手作業で草取りをやっており、それを妙法の農業だと言っているのだ。

その志・心意気には感服する。しかし、これがどこまで通用するかを考えると、ひじょうに悩ましい限りだ。現代人は経済効率を考える。現実問題として、同じ土俵で戦うとなれば、圧倒的に不利である。つまり、妙法の農業はその志は立派だが、あまりにも非効率すぎて競争に勝てない。

もちろん、わたくしとて遺伝子組み換えだとか農薬まみれの食品を食べたいとは思わない。ゆえに買い物する時にはそれなりに気をつけている。さりとて、無農薬野菜にはなかなか手が出ない。値段を見ると躊躇してしまう。それが庶民感覚だろう。

昨日、たまたま自分のところの草取りをやった。別に野菜を育てているわけではないので、除草剤を撒いたりもするが、どれほど撒いても雑草は生えてくる。その生命力には驚く。雑草のようなシブトサという表現があるのも頷けるところだ。
こうして見ると、上で述べた作物を枯らさず雑草だけを枯らす技術というのは、恐ろしいものである。いわば枯れない作物は自然の摂理に反しているわけであって、そうした不可解な遺伝子を持った作物を食べて大丈夫なのかという心配がある。
また、雑草はシブトイと書いた。そのシブトイ雑草を枯らすほどの強力な農薬が作物にも降りかかっているのだ。洗浄してから調理するにしても、いかがなものかと思わざるを得ないところだ。

しかし、経済効率の上からは、これに太刀打ちできない。ならば政治が解決するしかない。具体的には規制を掛けるしかないのだろうけれども、何しろ現政府はTPPを推進しようとしているのだから、期待はできない。

甚だ困ったものである。

いずれにしても現時点で顕正会の唱えるところの妙法の農業は、その志・心意気はよいとしても、実際的には非効率的すぎてダメである。つまり、TPP反対を唱えるものの、具体的対案は示せていない、ということだろう。

2014/7/8

顕正新聞第1313号  
のび太氏らしい、ひねりの入ったコメントを頂戴した。

2001回目の更新おめでとう。

数字の数え方はさまざまで、いちばんわかりやすいのが年齢だろう。昔は数え年が当たり前だった。今は満年齢が普通である。どちらがいいかはわからないが、これはまさに歴史的・文化的な慣習であって、極端に不合理でない限りは過去の前例が踏襲されていく。ただ最近はグローバル化の中で、いわゆる国際標準に合わせる傾向にある。暦については、ことに日本では二十一世紀に入ってからだろうか、わりと西暦が多用されているように思える。何しろ顕正会でもそうなのだから、まさにこれが時代の波なのだろう。

 オリンピックでメダル獲るより、普通に生きて普通に生活営む方々。
 
 こういう方が本当の勝利者だ。


大多数の人々が無名であり無冠である。戦後の混乱期、創価学会が飛躍的に発展したのは、こうした無名の庶民にスポットを当てたからなのだろう。このコンセプトは今も踏襲されているように思う。というのは、わたくしの見る限り、スタンドプレーに走る人がきわめて少ない、それが創価学会だからだ。公明党もしかりである。

一般の人は創価学会の会長が誰であるか知らないだろう。池田大作さんじゃないの? この程度の認識が大多数のはずだ。また、公明党の議員もほとんど知らない。他党であれば、名物議員が一人や二人は必ずいるものだ。

これはトップの人間が求心力を保つために、具体的には池田大作氏のカリスマ性を維持するために、他の人間が目立ってはいけないという意味があるのかもしれない。だが、しかし、最初の話に戻せば、本来はまさに無名の庶民こそが勝利者であるというコンセプトに基づくものなのだろう。

ひるがえって顕正会の場合は浅井先生のカリスマ性を維持することだけがすべてのような感じが否めない。

いやいや、実際にはそんなに違わないのだろうけれども、おそらくは創価学会のほうが上手いのだろう。会員をおだてるのが、である。結局、気持ちのいい状態をどれだけ長期間、持続させられるかであって、顕正会は瞬発力に富むものの持久力に欠ける、創価学会はその逆なのだろう。当然ながら総合力では顕正会に勝ち目はない。

さて、顕正新聞第1313号について書く。

当該号は登壇特集号であり、各地の集会での登壇が記事となっている。その数、なんと二十五本。そのうち平会員の記事が五本ある。

これが何を意味するかは意見の分かれるところだ。

次から次へと新しい人材が出てくる。しかも功徳の出方が早いので、役職に就く前にすでに発表する事柄がたくさんある。これが第一案である。

中堅幹部の退転が多く、人材が枯渇してしまっている。それで登壇者の絶対数が確保できない。ゆえに新入信者に登壇してもらうしかない。これが第二案だ。

さて、どちらが本当だろうか?

前者は擁護派であり、後者は批判派である。わたくしはどちらとも断定し難いが、やや後者のほうを支持したい気分である。もちろん、それにはそれ相応の根拠がある。

熊本・大分・長崎の
 三会館で管理主任交替


一面左下の小さな記事であるが、これには驚いた。

九州方面で一気に三会館の管理主任が交代となった。もうこれだけで、何かあったのではないか? 集団脱会だろうか? などとつまらぬ憶測をしてしまうところである。

しかもである。記事には驚愕する事実があるのだ。

熊本会館 第百五十七区長
大分会館 第十女子部幹事
長崎会館 平会員?


わたくしは大幹部でない限り個人名を書かないことにしているのでわかり難くて恐縮であるが、記事を読む限りでは長崎会館の管理主任は平会員のようなのだ。ようするに、○○区長だとか△△幹事のように、顕正会では個人名に役職名を冠して表記するのが通例なのだ。実際、熊本と大分の二人はそのように記されているのだが、なぜか長崎の人だけが「●●さん」と書かれているのだ。

平会員を侮蔑するのではない。むしろ冒頭に記したように、無名の庶民こそが勝利者という考え方はひじょうに魅力的である。ゆえに平会員から会館の管理主任になったとすれば、これこそ文字通りの大抜擢であり、まさに彼女は大勝利を得たことになるのだ。無名のままでもいい。それで人生を終わっても勝利者である。しかし、それがヤセ我慢の哲学であってはいけない。つまり、無名から有名になることも勝利なのである。

話が冗長になってしまったが、これで前段の話題に戻ることができる。

平会員の記事が五本もあることが何を意味するかは意見の分かれるところだが、どうもわたくしの感触では人材の枯渇を感じさせてならないのだ。

たぶん長崎の人は班長か副長くらいのポジションなのだと思う。ようするに平会員ではない。おそらくは本部のほうで気を利かせて、あえて役職を伏せたのだろう。女子部幹事や区長と並べられてはプライドが傷つく。真相はこんなところに違いない。

以上、これでわたくしがどちらとも断定し難いが・・・などという歯切れの悪い書き方をした理由がわかったのではないかと思う。もし彼女が正真正銘の平会員だったとしたら、それこそ深刻な人材の枯渇である。しかし、まさかそんなわけがないだろうから、班長ないし副長くらいの役職なのだと推測される。理想はもう少し上の役職の人が管理主任をやるべきだろう。しかし、たまたま長崎には適任者がいなかった。そこで彼女が抜擢された。これらを総合して評価すると、人材がやや枯渇気味かな、というのが妥当な線だと思うのだ。

我ながら面倒臭い文章を書いているものである。

2014/7/5

コメントの花  
各方面より拙ブログの二千回を祝うコメントが寄せられた、まことにありがたいことである。

しかるに、わたくしときたら恥ずかしいミスを犯してしまった。コメント蘭だ。記念すべき二千回目において、かくも初歩的なミスを犯すとは、まったく気が抜けているとしか言い様がない。

それはともかく、話を進めよう。

 先日も書きましたが、創価学会は世間の一部です。
 世間には当然仲間割れもありますし、戦いもございます。
 ですので、こう言う現象は当然起こります。
 創価学会だけが、世間とは異なる清らかな世界だ、と言う事はございません。
 世間とまったく同じです。


これについて一言、申し述べておきたい。

同じコメント欄の中で同時進行していることが不可解きわまるのだ。別の場所ならまだしも同じ場所なのだ。これはおかしいだろう。
ようするに創価学会員の沖浦氏が宗門批判をしている。これ自体は問題ないというか、正当な批判であればいちおう認められるだろう。しかし、その一方で同じ創価学会員であるはずの、んっ?氏と延々と罵り合っているのだ。これは咎められても仕方がないだろう。
これは創価学会だけが世間とは異なる清らかな世界だからという意味ではなく、そんな内輪のケンカを外でやっていて恥ずかしくないのか、やるなら他所でやりなさい、ということなのだ。

 相手が創価学会員だから、何でもかでも摺合せを要求することは、大聖人仏法ではございません。

いやいや、そうではなく、やりたきゃやればいい、ただし、他人に迷惑を掛けてはいけない、よって、やるならば無人島にでも行って一対一でとことんやればいいのだ。

もちろん無人島は譬喩であるが、一例としては専用の掲示板でも作ってやればいいのだ。

さて、話を変えよう。

顕正新聞の話題から遠ざかって久しい。第1311号で少しやり残したことがあり、さらに次の号はぜんぜん手を付けていないけれども、時間が経ち過ぎて内容をほとんど忘れてしまった。ということで、かなり中途半端な形になるが、ご容赦願いたい。

・・・また先生のご発言に感応する諸天の動きの早さに、身震いを禁じえません。

五月度総幹部会での婦人部総務の登壇である。相変わらずだ。浅井先生の発言によって諸天善神が動くという、別の言い方をすれば、浅井先生は諸天善神を動かすことができる、ということだろう。だったら広宣流布は確実だろう。延び延びになることはあるまい。

大飯原発3・4号機に「運転差止め命令」
 画期的判決「人命は電力代と同列ではない」


会長講演の中でも取り上げられている話題であるが、これはそれとは別枠のかなり詳細をきわめた記事である。

わたくしは読んでいて、途中で違和感をおぼえた。違和感と書けば、よからぬ意味に聞こえるはずであるが、そうではない。あれ? これって誰が書いているんだ? という意味である。
普段、顕正新聞の時事ネタを書いているのが誰であるか、わたくしは知らない。今まで気にしたこともなかった。ゆえに、この記事も何も考えずに読み始めたのだ。
ところが途中で気がついたのだ。これはいつもの人とは違う。明らかに違う人の文章だと。そしていちばん最後まで読んで、その答えがわかった。

(藤村雄大、本部幹事・弁護士)

なるほど、である。

この記事そのものが気持ちのいい内容・・・すなわち画期的判決であること・・・という意味もあるが、この人の文章そのものがひじょうにキレのある素晴らしい文章なのだと思う。顕正会も有能な人材を得たものである。

事実、翌号においても、この弁護士の活躍と思しき記事が登場する。

会社側が理不尽な誓約書を強要
 顕正会弁護士の柔軟な対応策で有難い展開


婦人部青森支区班長の体験発表の見出しである。

この人は裁判所内で清掃業務のパートをやっているわけだが、そこで会社側から折伏をやめるよう言われ、さらに誓約書への捺印を迫られた。こうした清掃業務は入札によって業者が決められる。もし折伏のトラブルで心証を悪くすれば次の入札で通らないかもしれない。ゆえに会社側としては、頼むから折伏みたいなことはやめておくれ、ということだったのだ。

そして、このことが浅井先生の耳に入った。

この後の展開が興味深い。

 さらに有難いことに、顕正会弁護士があらゆる可能性を考慮した対応策を、迅速かつ丁寧に教えて下さったのです。

これだけ読むと弁護士が直接アドバイスをしたかのように読めるが、そうではなくて文書によるアドバイスである。

 「ここは大上段に構えて強硬姿勢で臨むより、あるていどの柔軟性を持たせて、上手く着地させたほうがいい」

これは意外だった。さらに続きを読めば、驚愕する。

 「強硬姿勢で臨んで突っ張って職場を離れるよりも、職場内での折伏はしないとして、表面は従っても胸の奥の信心はいよいよ堅く、勤務を継続する柔軟性を持ちなさい」

武闘派のイメージを完全に払拭するかのごとき、画期的な指導である。そう、これが顕正新聞に掲載されたということは、まさしく現時点の顕正会の公式見解と考えられるのだ。いや、もちろん、ケースバイケースであって、強硬姿勢を貫く場合もあるのだろうけれども、ともかく今回のこれは画期的な指導である。

職場内での折伏はしない・・・

再掲であるが、何度も言うがこれは画期的である。これまでのケースでは、折伏はやめない、仕事もやめない、解雇されるいわれはない、もし解雇するならば不当解雇で訴える、というものが多かったように思う。あるいはさっさと転職してしまうケースもある。こんな御奉公しづらい会社ではダメだ。他で働こう。

ちなみに、上述の御奉公とは会社に対する御奉公の意味ではなく、広宣流布の御奉公のことなのだ。会社側に言わせれば、だったらいらないよ、さっさとやめておくれ、ということになるだろう。

折伏はやめないし会社もやめないというのも困ったものであるが、御奉公しづらい云々も困ったものである。それが職場内での折伏はしないというのだから、これまでとは百八十度の転換と言ってもいいくらいの変化である。

ところで入札の件であるが、次のように書かれている。

 その後、この件に関して何の動きもないまま、本年度の入札時期を迎えました。
 すると、何と驚いたことに、別の清掃会社に落札が決まり、私が勤務していた清掃会社は青森県内の裁判所における清掃業務を一気に失ってしまったのです。


ここで罰だの何だのと書いてあったら思いっきり批判するつもりだったが、そのような文言は見られない。厳密には後ろのほうに賞罰正しき仏様の力用がどうのこうのと書かれているけれども、本人が新しい業者の下で今までどおり働けることを言っているのだろうと、いちおう理解しておきたい。

民間業者と役所の関係は難しい。さまざまの不正の温床となる一種の構造的な問題を孕んでいるのだ。ゆえに委託業者を固定しないのが原則である。その意味で、今回の結果が純粋に競争入札によるものなのかどうかは、何とも言えないところである。

最後に、一面の記事を紹介しておこう。

 そうなると、我が身は即宇宙です。
 ただし、我ら凡夫の身に具わる一念三千は理具です。素質としては十界三千の諸法を具えているが、理として具えているだけだから「理具」といい、これを理の一念三千という。
 大聖人様の御身に具わる一念三千は事具です。よって事の一念三千と申し上げる。


六月一日の日曜勤行指導である。これはなかなか素晴らしい指導だと思った。浅井先生にしてはめずらしく、一念三千についてのかなり突っ込んだ解説である。とりわけ初心者にとっては、こうした純粋な教学に触れる機会が少ないので、眼開く思いだったかもしれない。

しかし、上掲はやや疑問である。

御書に、理具という言葉は出てくるけれども、事具は出てこない。もしかしたら理具に対応するのは事行なのではないか?

この辺の説明は難解をきわめるので省略するが、先生の説明はやや不適切だかもしれないと思う。

もっとも浅井先生もそこを多少は気にしてのことか、理具にはカギカッコをつけているけれども、事具にはそれがない。こうした点から浅井先生が案外に繊細な人であることが垣間見えると思う。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ