2014/8/30

各方面からのコメントを受けて  
興味深いコメントがたくさん寄せられているので、それを取り上げたい。

名無しの権兵衛さんは原発問題に関してご不満のようであるが、すべては沖浦氏のコメントに尽きていると思う。

 私は、

 原発は存在自体が悪!!

 と信じる一人です。


なぜ悪なのかが問題で、これは答えがひじょうに難しい。また、たとえ悪であっても必要悪という考え方があって、日本は資源がないのだから仕方がないではないか、といった主張をする人もいる。

いずれにしても難しいわけだが、わたくしは名無しの権兵衛さんのコメントの中に答えが出ていると思う。

放射能無毒化科学

顕正会の本には幸福の定義として、生命の維持発展が妨げられない状態を幸福という、みたいなことが書かれている。福島原発事故で今も家に帰れない人がいるのは放射能のせいである。もし放射能が無毒であれば避難する必要はなかったわけだし、今すぐにでも帰れるのだ。つまり、放射能は生命の維持発展を脅かす有毒物であるからして、すなわち悪ということなのである。

以上、もし放射能を無毒化することが出来れば、それこそノーベル賞級の発見発明であろうし、その時には反対する人などいなくなるに違いない。

さて、引き続き権兵衛さんのコメントを取り上げよう。今度は浅井先生が悪口罵詈を喜んでいることについての批判である。

喜んでる方が「不当捜査だ、迫害だ、学会の謀略だ、信教の自由だ」と機関紙、総会で主張したりするのですか?

これはアゲアシ取りの類であろう。

少し古い漫画ですが小林よしのりのゴーマニズム宣言に
「布教するのなら逆風を覚悟せよ、釈迦やキリストが人権侵害や信教の自由を主張して布教したか?」とありますが、当たらずと言えど遠からずと思います。


釈迦やキリストのことはよく知らないが、大聖人はわりと法廷闘争を好まれたというか、おそらくは当時の制度の中で最善を尽くされたのだろうと思う。この意味で顕正会が法律を盾にしてさまざまの問題に対するのはさほど違和感のないことだと思うのだが、いかがだろうか?

関の山という人からも同様のコメントが寄せられているが、こちらは掘り下げ方が多角的であり、なかなか考えさせられるものがある。

喜んでいるのに、では何故に埼玉県教育委員会に厳重抗議して某校長に屈辱的謝罪をさせたのか? 喜んでいるはポーズだけなのか?

一つ誤解を払拭したいと思う。まず、わたくしに対する誤解があるといけないので言っておくが、周知のごとくわたくしはこれまで浅井先生を徹底的に批判してきたし、これからも批判するつもりである。しかし、あくまで是々非々であって、擁護すべき点があれば擁護するのである。

今回の件で言えば、浅井先生は自分自身に対する悪口罵詈には寛容というか、もちろん気持ちのいいものではないだろうけれども、けっこう忍辱の姿勢を貫いているように見える。では、何に反応するかというと、真面目に活動している会員への不当な行為に対し、反応しているのだ。

ここでやや脱線すれば、以前、拙ブログの存在を不思議に思っている人がいて、これだけ顕正会を徹底的に批判していて無事でいられるのはおかしい、という意味のコメントを寄せられたことがある。なぜならば一時期、創価学会系と思しき顕正会批判のサイトが次々に閉鎖に追い込まれてしまったことがあったからで、拙ブログだけが安閑としていられるのが不思議に思えたということらしいのである。

しかし、この答えは簡単で、仏法は道理だからである。生意気を言うようだが、わたくしの書いていることはけっこう常識的であり、さほど無理がない。浅井批判もしかりであって、道理に基づいて書いているのだから問題がないのである。しかもである。わたくしは末端の真面目な会員たちをいじめない。むしろ彼らを擁護する立場なのだ。ゆえに彼らをいじめている本部首脳を、延いては浅井先生を、わたくしは徹底的に批判するのである。

そして、ここが甚だ複雑なところなのであるが、実は本部首脳だって、もちろん浅井先生だって、末端の真面目な会員たちをいじめたいわけではないのだ。つまり、この点では浅井先生とわたくしは一致するのである。

話を戻そう。

浅井先生は自分自身への批判には無頓着である。一々反応していたらキリがないという意味もあるだろう。しかし、末端の真面目に活動している会員たちには無頓着でいられない。彼らが困っていれば助けたい。法的な問題であれば弁護士を派遣するというのも、そのあらわれなのだろう。

埼玉県教育委員会もお役人的に穏便主義で良かったのでは?

いわゆる事なかれ主義のことだろう。

熱血的担当者で「抗議はわかりました、しかし此方にも主張があります、出来たらどちらが正しいか世に問いましょうよ、マスコミや学者を交えた記者会見でも開きますか?」と反論された方が良かったのでは?

これはもちろん、有力な選択肢である。実際、顕正会側がどのような反応を示すか、興味深いところではある。しかし、世の大半が事なかれ主義であって、上掲のようなことが実現するのは滅多にないことである。

宗教勧誘(真摯なお勧めだろうと)など何も顕正会だけではない。他宗教や思想団体もやっているイザコザだ。
それを校長さんにあんな謝罪させて腰砕けになるではないか?もう金輪際、宗教問題に関わるのはやめようと。


おっしゃることはごもっともで、顕正会よりも厄介な団体が他にもたくさんあるだろうから、結局は事なかれ主義がいちばん賢明だという選択にならざるを得ないのだろう。

宗教勧誘で困った生徒が今度「助けて下さい!」と相談しても「いや、信教の自由があるので、当事者同士で話し合いなさい」と突き放される恐れがあるがどうするのだろう?

これまた脱線気味の話になるが、ストーカー殺人なども同様の意味があるだろう。これはあらゆる事件に共通することで、いつも言うようにしょせん凡夫には未来がわからない、ゆえに何か事が起こってから、ああすればよかった、こうすればよかった、と嘆くことになるのだ。学校関係者が信教の自由があるので当事者同士で話し合いなさいなどと言うのは、一見すると常識的でありがなら同時に逃げを打っているようにも見える。それで何も起こらずに済めば御の字ということなのだろう。実際、確率的には何も起こらないほうが大きいわけで、それゆえに事なかれ主義が賢明という結論になるわけである。

2014/8/29 14:25
投稿者:本部勤務
今月成果1万8千有余の半数超が外国人、ほとんど東南アジア系の人びとです。
本部の入信勤行の半数は外国人、自宅拠点もしかり。
もう、メチャクチャな状態です。

ある隊では、百人をこす全てが外国人で、誓願を勝ったといっても、隊座はシラケムードです。
今月もすでに二千名が入信してますがそのほとんどは外国人です。
国内の実体は明らかに停滞しているのに、これを問題視しない首脳部はどうかしてる。
男子部大会は婦人部も男性を連れていれば入場可能になり、一万人ちかくがこれでカウントされます。

もう、メチャクチャ。


コメント欄は少し前のものだが、投稿自体は最新のものである。実に衝撃的だ。

わたくし自身には調べるすべがないものの、本部勤務という名乗りが本物であれば、事実をお述べになっているのだろう。入信者の過半数が外国人。ある隊ではすべてが外国人。まさにメチャクチャである。

いや、もちろん、いずれは一閻浮提広宣流布の時が到来するわけで、いよいよその兆しがあらわれてきたという解釈もなくはないだろう。だが、しかし、わたくしはすでに数年前からこの問題について言及しており、さしあたっては国内と国外の成果を分離すべきであると主張してきたのだ。それをしない限りは成果の粉飾であり、欺瞞そのものだからである。

それにしても過半数が外国人とは驚きである。わたくしは当てずっぽうに、せいぜいが一割か二割くらいだろうと思っていた。しかし、それが五割を超えているとなると、もはや絶望的状況かもしれない。

イヤミなことを書けば、顕正会はいずれ外国人だけで一億人を突破するかもしれない。しかし、それでは本門戒壇は建たないのだ。国立戒壇に固執する顕正会としては絶対に避けなければいけない事態だろう。

2014/8/25

川内原発再稼動問題について  
沖浦氏より二つの動画と一つの画像を紹介いただいた。

初めの動画は若い男性が百五十キロの重りを背負ってスクワットするものである。沖浦氏が背後にいて鋭い掛け声を発している様子が、まさによき師弟関係を想像させるものだった。

そして二つ目の動画は沖浦氏自身が百九十キロのスクワットをしているものだった。これは凄いことだ。そして若者にとってはよき目標である。自分だってトレーニングを積んでいけば沖浦氏のようになれると・・・。ともかくお手本を示せるところが凄い。口だけの指導者とは天地雲泥の差があるだろう。

最後の画像はレストレーショントレーニングの講習会の模様である。かのトレーニング法がどれほどのものか知らないが、北海道から先生を招聘して講習会を開くのだから相当なのだろう。

日本一危険な川内原発 再稼動へ
 責任持たぬ政府・規制委が新「安全神話」
 直下に活断層、噴火すれば列島汚染


さて、上掲であるが、これは顕正新聞第1317号の八面の記事である。原発関連の記事としては久々の大作だ。紙面のおよそ三分の二をこの記事が占めている。

日本一危険というのはやや誇張表現のような感じがしないでもない。仮に他の原発が再稼動になるとすれば、おそらくはその時にも日本一危険という形容がなされるのだと思う。
また、あえて批判的に書けば、日本一危険な原発という表現は相対的・比較的に安全な原発の存在を示唆することにもなりかねないわけで、そのような原発ならば再稼動してもよいという話にもなりかねないのだ。
わたくしの思うに、日本の原発はすべて危険であり、安全な原発などはどこにも存在しない。その上で、個々の原発特有の危険性を論ずるならば、川内原発の場合は火山噴火の影響をもっとも受けやすい意味で、きわめて危険であると言わざるを得ないだろう。

いや、もちろん、顕正新聞の当該記事も丁寧に読めば、わたくしの言っていることとさほど違うわけではない。具体的には次のくだりがわかりやすいだろう。

 次に川内原発が日本一危険だと言われる大きな理由の一つに、火山噴火のリスクがある。

この直前の問題提起は活断層の危険性についてである。しかし、これは大飯原発の時にも問題視されたことだし、その他の原発においても常に問題となる事案である。つまり、活断層の有無だけでは日本一危険ということにはならないのだ。

そこで上掲の文章に続くわけだが、これはまさに川内原発特有の危険性であり、ご存知のごとく桜島の噴火は日常茶飯事であり、数年前には新燃岳の噴火もあった。ゆえに本文中には井村隆介・鹿児島大学准教授の言葉が紹介されている。

 「川内原発は間違いなく日本一火山リスクの高い原発である。これは日本の火山学者の大半の考え。再稼動以前に、あんな場所に原発があること自体が間違いである」

まったくだ。

 「規制委には火山の専門家がいないのに、火山リスクを審査しているということ自体が重大な問題である」

これもまったくである。

それから九州大学応用力学研究所の広瀬直毅教授らによる海中における放射性物質の拡散シミュレーションが図版で紹介されている。これは川内原発が福島第一原発と同規模の事故を起こしたらどうなるかを予想したものであるが、広瀬教授は次のように説明している。

「川内原発で事故が起これば、福島第一原発の事故よりも日本の海への影響ははるかに大きい」

図を見て思ったことは隣国への影響である。図には韓国の一部が載っている。そして韓国の沿岸にも放射性物質が到達するであろうことが示されているのである。今の日韓関係を考えると深刻である。

川内原発云々で、あとはわたくしなりの知見を書いておこう。きわめて初歩的な話だ。

福島第一原発の事故で撒き散らされた放射性物質が東京都心にも到達したことはすでに多くの人の知るところである。風向きは気圧配置によって変わる。あるいは地形にも影響される。だが、しかし、俗に天気は西から崩れると言うように、大きくは西から東に動くのが大気の流れである。いわゆる偏西風である。
つまり、福島事故では単純に言えば東側は太平洋なのだから、放射性物質の半分は陸地ではなく海のほうに飛んでいった。そして偏西風の影響を考えれば、半分ではなく半分以上が海へと飛散した。その割合が六四なのか七三なのか、あるいはそれ以上なのか、素人にはわからないが、いずれにしても陸側に飛散したのは半分以下だったわけである。
では、川内原発の場合はどうかと考えると、深刻である。風向きはその時々で変わるけれども、大きな流れは西から東である。台風の進路を考えても想像がつくだろう。つまり、日本列島の広範囲に汚染が拡がる可能性があるのだ。

再び記事をご覧いただこう。

もし大規模な火山噴火により川内原発が事故を起こせば、放射性物質は火山灰とともに列島全域に飛散し全土を汚染する。

これは過去に桜島の火山灰が北海道まで到達し、東京で十センチ以上積もった形跡があることを基に論じているわけだが、より正確に言えば、大規模な火山噴火によるかよらないかは関係ないだろう。火山の噴火の有無に関わらず、その他の原因によっても事故は起こる。そして事故が起これば放射性物質が撒き散らされる。その拡散範囲が過去の火山灰の拡散実績を基にすれば容易に予想できるという話なのだ。

ところで、過去に伊豆大島、あるいは三宅島で、全島避難が行なわれた。孤島の場合、最悪の場合は逃げ場がなくなるので、そうした行政判断があって当然である。ゆえに桜島などには当てはまらないのかもしれないが、それこそ前代未聞の大噴火があれば広範囲の避難命令が出されることもあるかもしれない。もし川内原発がその範囲に含まれたらどうするのかである。

わたくしは現実問題として、火山の噴火=原発事故というのはなかなか考え難いことだと思う。ゆえに政府なども高を括って再稼動に踏み切ろうとしているのだろう。だが、しかし、火山の噴火で人間が避難しなければならない事態は容易に想像がつくわけで、その時に原発の運転員をどうするのかである。原発の運転を放棄して避難させるのだろうか?

つまり、ここに原子力の根本的な危険性があるのだ。普通、機械というのは止まれば安全なのである。ところが原子力の場合は止まってからも面倒を見ないといけない。放って置くと核暴走を起こしかねないという厄介物なのだ。

さて、政府ないし原子力関係者は、それでも再稼動を強行するつもりなのだろうか?

2014/8/22

創価学会系のコメント投稿者に応えて  
沖浦氏の獅子奮迅之力Tシャツはカッコイイ。今は英語だのローマ字表記が横行しているが、そもそも日本人としてどうなのかという疑問がある。さりとて漢字表記でデカデカと書くと、ウルサイ感じがするし、暴走族の衣装みたいな感じにも見えてしまう。それが沖浦氏のTシャツの場合、文字のサイズが程よいし、座配とでも言おうか、文字の配置が絶妙なのである。あとは実際に着た時の印象がどうであるかだが、それはまた沖浦氏が紹介してくれることだろう。

前後が無いのでよく理解できませんが

>「大聖人は衣を以て覆い給う」の有難さ

浅井さんはどの様な難に遭われ,守られたのでしょうか?


これは会長講演から読み取っていただくしかない。

悪口罵詈こそ
  如説修行の証


こういう小見出しの一段があって、本文を途中から紹介すれば次のごとくである。

 私は悪口罵詈を喜んでおります。これこそ如説修行の証なのだと。
 大聖人様に忠誠を貫き仰せのままに戦えばこそ、一国に悪口罵詈が起こるのであります。


そして次の一段に付された小見出しが、

衣を以て覆い下さる

なのである。

 だが大聖人様はつたなき我らを、必ず衣を以て覆って下さる、お守り下さる。そして広宣流布の御奉公を成さしめ給うのであります。

以下も本文は続くのだが、直接的には関係ないので省略しよう。ともかくご覧のごとくであるから、この範囲で理解するしかない。ちなみに翌号の一面には八月三日の日曜勤行の指導が載っており、ここでも同趣旨の発言がなされているが、いまだ全容は不明である。

たぶん伏線なのだろう。

ようするに男子部大会に照準を合わせていて、そこで衣云々の指導を懇切丁寧にするつもりなのだ。その準備として、今は指導の全容は伏せたまま、片鱗だけをチラつかせている。そんな感じではないだろうか?

よって、この件については、今しばらくお待ちいただくしかない。

>平成七年に「オウム真理教」の事件があった

池田先生をサリンにより殺害せんとした新実智光が
逆に大量に吸い込み重体となったことは有名ですが。


まったく存じ上げなかったが、オウム真理教の教祖が創価学会を相当に意識していたことは間違いないことだ。いわば同業者として、追い付け追い越せという意識を持つことはそれほど不自然ではないし、これはくだんの教祖だけでなく他の新興宗教の人たちも同じことだろう。当然、顕正会も同じである。

>顕正会儀礼室は総勢で十名足らずの精鋭である

160万信徒の割には少なくないかな?

予定の立たない弔事で、日本全国津々浦々で、交通費も自前でしょうし…。


さて、これは少し前のコメントであるが、うっかり書きそびれていたので、ここに書いておこう。

まず、交通費云々であるが、これは自前のわけがない。

たぶん創価学会では自前なのだろう。いわゆる導師の人は地域の幹部である。ゆえに交通費は高が知れている。けれども顕正会の場合は前にも書いたごとく、世界の果てまで出掛けていくのだ。これが自前だったら堪らない。
そして一般の葬儀であれば僧侶を呼ぶわけで、そこには御布施ないし御供養という名目のお金が掛かる。創価学会の場合はゼロなのだろう。では、顕正会はどうなのかであるが、残念ながらわたくしはそれを知らないのである。
かつては顕正寺があって、いちおう僧侶がいた。この当時の葬儀は日蓮正宗の格式に則り行なわれていたので、あるいは御供養という名目で何がしかの金額を僧侶に渡していたのかもしれない。しかし、今はまったくわからない。

いずれにしても顕正会の儀礼室委員はほぼ本部職員と考えられるので、自腹を切って地方の葬儀に出掛けるようなことはないはずである。つまりは職業幹部ということだ。

ちなみに顕正会には男子部長だとか女子部長と呼ばれる人たちが数十人もいる。この人たちの行動範囲は広い。部長クラスは本部職員の場合も少なくないが、全員がそうではないだろう。つまり、一般の会社に勤めているような人もいるわけだ。では、遠隔地で集会があって出掛けていく場合、どうなるのだろうか? 職業幹部には旅費が出て、会社勤めの幹部には出ないみたいな、そんな不公平なことがあるだろうか?

わたくしの知る由もないことだが、ネット上の情報によれば本部職員か否かに関わらず旅費が出ているようである。しかし、さすがに末端の班長クラスには出ないだろうから、彼らは自腹ということになる。

以上、これらは当然ながら推測を交えての話なので、その点はくれぐれもご注意願いたいと思う。

さて、もう一つの事案は、会員数が百六十万の割には儀礼室の規模が小さいのではないか、というツッコミである。

それはそのとおりだ。

これで話は終わるのだが、せっかくなのでもう少し膨らませてみよう。わたくしがこの問題に興味関心を示さなかったのは簡単な話で、ようは顕正会員がそんなにいるわけがないということが、わかっているからである。公称数と実数が大幅にかけ離れている。ゆえに、今さらそんなツッコミにどれほどの価値があろうか、ということなのである。

まあ、しかし、いちおう順序だてて書いておくことも、あるいは必要だかもしれない。

まず、日本における一日の死亡者数はおよそ三千人なのだそうである。日本全国で毎日三千人前後が亡くなっているという。
計算が面倒なので、これは一億人中三千人としておこう。すると、一千万人中三百人となり、百万人中では三十人となる。
仮に顕正会員を百万人とすると、毎日三十人の会員が亡くなっていることになる。なるほど、これでは間に合わない。儀礼室委員を三十人体制にしないといけない。

ところがである。顕正会員の実数はせいぜいが十万人である。

おわかりだろう、一日平均三人である。一日あたり三人の顕正会員が亡くなる計算である。これならば今の儀礼室委員だけで充分に賄えることになる。

ようするにツジツマが合っているのだ。

顕正会の首脳部だって馬鹿じゃない。ちゃんと考えて布陣を敷いているわけだ。

だが、しかし、もし顕正会がこの先、実数として百万だとか一千万を実現したら、とうてい今の儀礼室では間に合わなくなる。単に儀礼室委員を増やすのは簡単なことかもしれないが、問題は葬儀用の御本尊である。確か六幅しか存在しないはずなのだ。

これは困ったことである。

もっとも顕正会は今がピークであり、これ以上は増えようがない、現状維持が精一杯、という見方をする人もいるわけで、確かにそれならば問題はないが、しかし、それにしても微妙な話である。

2014/8/20

顕正新聞第1317号を読んで  
のび太氏の譬喩をご覧いただこう。

赤に近い黄色信号

ヘビが自分の尻尾を食べている状態



前者は日本経済の危機的状況を端的に表現するものであり、後者はより具体的に日銀が国債を引き受けることを意味するらしい。

信号機は黄色から青にはならない。よって、今が黄色であれば、遅かれ早かれいずれは赤が点灯することになる。赤の次が青だ。つまり、一回は地獄を見ないと済まないのだろう。
いや、もちろん、譬喩と現実が百パーセント合致するとは限らないので、信号云々がいわゆる交通信号ならば赤の到来は必然であるけれども、まあ、現実問題としてはそれを回避する方法もなくはないのだろう。
もっとも、ここで中途半端に助かるよりは、いっそのこと地獄を見たほうがためになるという考え方はあるわけで、わたくしも半ばそれに期待したい気持ちがあるのは事実だ。

ヘビ云々はひじょうに象徴的で、弱者切捨ての論理にも通ずる譬喩だと思う。これは人間でもいいだろう。ようは自分自身だ。自分の身体を自分で食べるのである。
手足は食える。順番としては足から食べていけば胴体のかなりの部分まで食べられる。包丁で切り取って食えばいいのだ。最後は利き腕だが、包丁は使えないだろうから、そのまま直に噛りつくことになる。そして残るのは首から上である。これだけはさすがに自分では食えない。
当然ながら、単なるお話である。自分の身体を食う人などいないし、できっこない話である。爪を噛むくらいが関の山である。
しかし、これが国家という単位であれば話が違ってくる。自分であれば指一本でも大事件であるが、他人であれば痛くもかゆくもない。指一本どころか、その人が死んだって痛くもかゆくもないのだ。

つまり国家は、いざとなったら国民の大多数を切り捨ててでもトップの少数が生き残ろうとする、そういうエゲツナイことをするものなのだ。

いや、もちろん、理想の国家はそんなものじゃないし、本来の民主主義の理念からしても違うはずなのであるが、しかし、現実としては弱者切捨ての論理がまかり通っている。今の安倍政権がまさにそれなのではないかという指摘が各方面から上がっているわけである。

さて、そこで顕正新聞第1317号である。

当該号は七月度総幹部会特集号であり、当然、メインは会長講演である。同講演には、中見出しに安倍政権「終わりの始まり」とあって、この一段には次のような小見出しが並んでいる。

滋賀県知事選 敗北

支持率急落

アベノミクスの
  化けの皮はげる


一つ目の本文はひじょうに短く、次が全文である。

 七月一三日の滋賀県知事選挙では、絶対勝つと見られていたのに、まさかの敗北となった。

これにはやや違和感がある。のび太氏がよくご存知のことであるが、わたくしは当時、禅譲候補が勝つだろうと言っていたのだ。それが常識だろうと。ゆえに「絶対勝つと見られていた」というのはさすがにどうかと思う。少なくとも当時の状況分析では接戦と言われていたはずである。よって、おそらく正確には、絶対に負けるわけにはいかない=絶対に勝たねばならない、と自民側が思っていただけの話であって、客観的な立場で絶対勝つと見ていた人はそう多くはおるまい。この意味で上掲はやや誇張が過ぎると言わねばならないだろう。

二つ目三つ目はおおむね書いてあるとおりだが、一つだけアゲアシを取っておこう。

いよいよ「ロケット落とし」が始まってきたのであります。

ロケット落としはロケットスタートに対する言葉で、世間ではあまり聞かないけれども、なぜか浅井先生が多用する言葉である。しかし、それにしても「始まってきた」というのは語義的にどうかと思う。落ちる時は一気だろう。風船じゃないんだからね。

始まってきた、とか、・・・つつある、みたいな表現を先生はよく使うが、これはいわゆる凋落みたいな言葉がよく当てはまるけれども、ロケットの落下には相応しくないだろう。

さて、次は大地動乱について取り上げよう。

 それらの分析によれば、二つの巨大地震の発生はもう確実です。来るか来ないかではない、確実で、しかもかなり切迫しているとのことです。

 ですから、二つの巨大地震の発生はもう確実、しかもそれは極めて近いと覚悟しなければなりません。

出た。得意の予言(?)である。地震についての言及は久しぶりのようにも思うが、かなり切迫しているとか極めて近いとか言うものの、具体的な日時が書かれていない。これでは予言失格だ。

また、今回は具体的な学者の名前は出さず、気鋭の学者たちの研究、とだけ書いている。

「えんできるひと」

この一段が興味深かった。面白かったと書くと語弊があるが、わたくしは最先端の事情に疎いので上掲の小見出しを見た時には何の話かわからず、縁できる人、なのかと思ったくらいである。浅井先生はこの同音異義語をうまく使って聴衆の笑いを取ることに成功している。もっとも縁も援も広い意味では同じなのだろうが・・・

顕正会原点の月「八月」

この一段は御遺命守護の歴史を再確認するものである。幹部会員にとっては知り尽くしている内容であり、特に目新しい記述はない。そうした中で、次のくだりが目に留まった。

 平成七年に「オウム真理教」の事件があった。今から一九年も前のことですから、若い人はあまり知らないでしょうが、これはたいへんな事件でした。

ああ、なるほど、高校生の会員にしてみれば、自分の生まれる前の出来事だったのだ。

しかし、ならばと思う。ならば御遺命守護も同じだろう。同じどころの話ではない。もっと大昔の話なのだ。浅井先生にその自覚があるかどうかわからないが、この意味では御遺命守護は薹が立っている、もはや若い人には受け容れられない、という可能性も考えられるのだ。

正本堂崩壊こそ国立戒壇建立の大瑞

こういう大見出しもあるわけだが、その正本堂だって若い人たちは見たことないのである。これではいくら御遺命守護の歴史を説いたところで、ますます実感が薄いことだろう。

「大聖人は衣を以て覆い給う」の有難さ

おお、これを使うのか、と思った。浅井先生は御書を引用しつつ話を進めるのを得意としているが、これに限っては御書の引用がないので、たぶん教学未練の人はわけがわからないだろう。はたして、いずれ機会を見て御書を引用するのか、それとも伏せたままにするのか、そこが気になるところである。

会長講演はこれくらいにして、前回の続きを書こう。

六・七月度弘通 空前1万8千121名

今回は事前の目標が一万五千だったらしく、幹部たちは三千余も上回る大折伏が出来て大感激しているわけだ。しかし、わたくしの印象としてはそれほどでもないだろうと思う。空前だの過去最高だのと言うものの、前年と比べてどうだったのかが示されていないので、よくわからないのだ。たぶん調べれば判明するだろうけれども面倒なのでやらないが、そんなに極端に伸びているようには思えない。ただ、一時期の低迷を脱して、少しは持ち直したのかもしれない。それが前回の未活動者の掘り起こしの話に結びつくわけである。もし顕正会が復調しつつあるのだとしたら、それは未活動者の掘り起しに一因があるのだろう。

さて、今回も人事の発表があって、一見すると組織の発展拡充を思わせるものがある。しかし、わたくしは今回の新聞から新たな問題点を見い出すことに成功した。

重複人事? 掛け持ち人事?

思いつきの造語であるが、これは四面下段に載っている折伏成果の三者内訳から見い出したものである。

( )内は隊長・区長・支区部長名を示す。

同記事の冒頭には上掲のような説明が付されている。いつ頃からだろうか、以前は組織名だけが書かれていてわけがわからなかったが、今は個人名が併記されているのである。
すると同じ名前が二つ出てくる場合がある。佐藤だとか高橋みたいなのはいっぱいいる。ゆえにその場合は下の名前も書いて区別がつくようになっている。一例を挙げると伊東信である。
では、さらに具体的に書こう。第35隊(伊東信)、第73隊(伊東信)とある。これは当然ながら同一人物である。この人は二つの隊を兼任しているのだ。さらに言えば、第十三男子部長でもあり、第十七男子部長でもあるのだ。凄まじいものである。

さすがにこの人は例外中の例外なのだろうと思っていたが、そうではなかった。当該欄を隈なく調べていくと、なんと他にも兼任の人がたくさんいるのだ。わたくしの調べた限りでは、少なくとも十四人は下らないだろう。

毎回のように人事が発表される。一つには交代が激しいからだが、それを糊塗するためなのか、新たなポストが作られ、新たな人材が抜擢される。これを見ると組織の発展拡充を思わせるが、実情は上に述べたごとくである。重複人事ないし掛け持ち人事が十四例もある。だったら、まずはこれを整理統合すべきだろう。ここに欺瞞があるわけだ。

この点に限って言えば、アベノミクスを批判している場合ではない、もし安倍さんが顕正会のこのテイタラクを知れば、オマエに批判されたくない、ということになるだろう。

2014/8/16

第1316号を読んで  
のび太氏の提起する問題は専門的であり、わたくしの手に負えるものではない。一言で言えば、不公平税制ということだろうが、税の仕組みは複雑であり、素人には理解するのが困難である。ともかく庶民の立場からすれば、給料は上がらず税金や公共料金ばかりが上がる今の状況を、誰も好ましいとは思わないだろう。国民はアベノミクスという魔法の言葉に眩惑されて、一時的とは言え期待を膨らませたものの、その魔法もいよいよ効力を失い始めたごとくである。さりとて野党もだらしがないので、今のままでは現政権がダラダラと惰性で続くことにもなりそうだ。悲しい現実である。

さて、今日は顕正新聞第1316号から話題を拾うつもりだが、これがけっこうシンドイのである。二面以降、ぜんぶで二十六本もの登壇記事があるのだ。一般紙には投書欄がある。しかし、普通は一ページ未満だろう。それが顕正新聞の場合、紙面の大半が投書欄みたいなものなのだ。これは手抜きもいいところだろう。

一面には七月七日の日曜勤行指導が載っていて、下段に中国・上海で行なわれた初の女子部座談会の報道がある。そして二面以降は各地の集会での登壇記事が載っているわけだ。

 白が黒になった

日曜勤行指導の小見出しの一つである。この一段が面白かった。

 日銀には九人の審議委員がいる。このうち一人が総裁、二人が副総裁、他の六人が通常の審議委員です。白川さんが総裁のときは、全員が白川説に賛同していた。
 ところが黒田新総裁に変ったら、全員が黒田の主張に賛成した。白が黒になっちゃった(大笑)。変更理由を説明した委員は一人もいない。
 これを大勢順応というのです。権力の側について、国家のことよりも自己保身を図ったのであります。


そうそう、この時の拝読御書が聖愚問答抄であり、御書に精通している人ならばすぐに思い浮かぶであろう有名な御文である。

 汝只正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。

白が黒になったというのは、白川前総裁から黒田新総裁に交代したことを言うわけだが、同時に審議委員たちの意見が百八十度変わったことを意味するわけだ。白川氏と黒田氏とではその方針がまるで異なる。審議委員というのは一人ひとりが独立した人格を持ち、かつまた独立した見識を持つべき立場のはずである。それが親分が白から黒に変わったのを見て、それに合わせて己の意見を白から黒に鞍替えするというのでは、見識を疑わざるを得ない。

しょせん世の中にはそういう人がたくさんいるわけだが、問題は事の重大性である。浅井先生は異次元金融緩和がもたらすであろう最悪の結果を次のように説明している。

 やがて悪性インフレが起こり、国債も円も株も暴落する。そして国家破産に直面すれば、国民は奈落の底に突き落とされるのです。

冒頭の税制の話とも関連するが、素人にはなぜに悪性インフレが起こるのか、なぜに国債や円や株が暴落するのか、そうしたメカニズムを理解するのは困難である。しかし、これは浅井先生一人が叫んでいるわけではなく、おそらくはこの手の専門家たちが言っていることなのだろう。もちろん、逆の意見もあるだろう。だが、しかし、先ほども書いたごとく、事の重大性を考えるならば口先だけの議論では済まない話である。もし世が世ならば、結果次第では切腹ものである。審議委員たちにそうした覚悟があるのかと問いたい。

さて、二面以降は記事が多過ぎて、ぜんぶ読みはしたものの、ほとんど忘れてしまった。そうした中で、第十婦人部長の記事の次のくだりが記憶に残った。

・・・国中の謗法と正系門家の違背という二悪が鼻を並べ、この象徴が安倍政権にも表われているゆえに、平成二三年には東日本巨大地震が発生し・・・

前にも指摘したはずだが、震災当時は民主党政権だったので、上掲は間違いである。

わたくしはそれを決して期待するわけではないが、もし安倍政権をそこまで悪し様に言うのであれば、まさに今、三年前の震災を凌駕する大震災が起こり、閣僚たちが右往左往して何も手を打てないというような醜態を晒すことになれば、相当だろう。そうなれば、三年前の菅政権もひどかったが安倍政権はもっとひどい、ということで、一気に倒閣が実現するに違いない。

しかし、自然災害に期待するのは他力本願的であり、よくない。さしあたっては前述の経済問題を見つめるべきだろう。浅井先生の言うような破局的な経済破綻が来るかどうかはともかくとして、増税後の今、庶民の生活は決して楽ではない。それが具体的な経済指標としてどのように出てくるかが注目されるところである。

さて、それ以外の記事であるが、当該号の全体的な印象としては未活動者の復帰が目立つということである。

近年、顕正会では未活動の掘り起こしに力を入れている。それが効を奏したか、最近は未活動だった人が戦列に復帰して活躍するようになった。当該号にはそうした人たちの記事が多く載っているのだ。また、それが折伏成果にも反映されつつあるようで、直近の六・七月度の折伏弘通はかなりの伸びを示したごとくである。

これについては次号に詳しいので、今回はここまでとしたい。

2014/8/14

顕正会の葬儀事情短評  
創価学会員の二氏から要望が寄せられているが、いつものことながら面倒臭い意味もあるので、お断りさせていただく。ただし、せっかくなので、最近の顕正会における葬儀事情について、大雑把に書いておこう。

顕正会も高齢化が進んでいる。そのため顕正新聞紙上にも臨終ないし葬儀に関する記事が目立つようになった。
以前は家族の中でたった一人で信心しているというケースが多くあって、ことに若年の男子部員や女子部員の場合、仮に祖父や祖母あるいは両親が亡くなっても顕正会で葬儀を行なうことは難しかった。
しかし、近年は一家広布を叶える人も増え、また、若年だった男子部員や女子部員がそれなりの年齢に達して家族の中で発言権を持つようになり、顕正会での葬儀を実現できるようになってきた。
そうは言っても、今でもなお家庭の事情から顕正会での葬儀を実現できないケースもある。ようは邪宗で葬儀をやらざるを得ないということだ。すると謗法に対して潔癖である顕正会員にとっては慙愧の念に堪えないというか、故人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

そこに先般、画期的な指導が登場した。

成仏が確定したなら、たとえ邪宗の葬儀になろうとも、成仏は壊されるものではない・・・

この指導がイヤラシイのは、浅井先生の発言ではないことだ。しかし、短期間のうちに同じ指導が繰り返し掲載されたということは、これを顕正会の公式見解と見なしていいのだろう。

ところがである。同じ葬儀の話題でありながら、上掲とはまるで正反対の記事が掲載されたのだ。儀礼室委員の立派な振る舞いを示すものである。

女子部組長の祖父が亡くなった際、顕正会の儀礼室で葬儀を行なう予定だったが、そこに父親が横車を押してきた。地元の寺から坊さんを呼んで葬儀をすると言い出したのだ。
故人から見て、父親は息子である。くだんの女子部組長は孫である。当然、喪主は息子なのだろう。権限は絶大だ。

ちなみに舞台は福岡である。おそらく顕正会の儀礼室委員は本部常駐であり、葬儀の依頼があれば本部から全国津々浦々、極論すれば世界の果てまで出掛けていくのだ。ゆえに地元の事情には疎いわけで、どのような状況下で葬儀が行なわれるか詳細までは把握していないのだと思う。そこにいわば乗り込んでいくわけだ。勇猛果敢とでも言うべきだろうか?

ゆえに家族の反対を押し切って、いわゆるアウェイ状態の中で葬儀が行なわれるようなことも少なくないのだろう。儀礼室委員たちはそうした経験をたくさん踏んでいる、いわば百戦錬磨のツワモノなのだ。

よって父親が当日になって、いきなり横車を押してきたことにも堂々と対応し、しっかりと説得した上で顕正会での葬儀を無事に行なうことが出来たわけである。

以上、前段の邪宗の葬儀を容認するかのごとき指導は甚だ顕正会らしくないけれども、後段の儀礼室委員の振る舞いはまことに立派である。これが最近の顕正会の葬儀事情ということだ。

前にも書いたが顕正会と創価学会は在家中心主義の意味で共通する部分が少なくないが、当然ながら委細に見れば異なる点がたくさんある。まさに葬儀もしかりであって、僧侶不要の意味では共通するが、中身は相当に異なる。上に書いたごとく、儀礼室は本部直属の組織であり、委員たちは会長先生の名代として全国に派遣されるわけだ。
創価学会の場合は地元の幹部が導師を勤めるという。ゆえに全国に無数に存在するわけだ。もちろん彼らは、地域の事情に通じているわけで、故人ないしその家族のことにも通じている。その意味ではより親身になって弔うことが出来るというメリットもあるわけだが、おそらくはクオリティに問題があるのだと思う。
ひるがえって顕正会儀礼室は総勢で十名足らずの精鋭であるからして、自ずとクオリティは高い。どの儀礼室委員であっても、浅井先生の名代との自覚を持って葬儀に臨む意味において、遜色はないだろう。しかも上に書いたごとく、地域の事情や当事者の事情に通じているわけではないので、よほどの覚悟ないし心構えがなければ勤まらない。

けだし今般の記事はそうした儀礼室委員たちの立派な振る舞いの一端を垣間見るものだったわけだ。

だが、しかし、前回の繰り返しになるが、これを日蓮正宗の関係者が読んでどう感じるかを想像すると、暗澹たる気持ちにならざるを得ないのだ。

2014/8/12

第1315号まとめ  
沖浦氏の提示した写真の人物は沖浦氏本人ではなく、テッドリゲティーというオリンピックチャンピオンなのだそうだ。ならば撮影者もプロの写真家なのだろう。合点がいく話だ。しかし、あとは専門的な話なので、わたくしには何とも申し上げられないところだ。

ところで次のコメントは何なのだろうか?

バーズさんとかパラパラ茜さんは本当に顕正会員?

拙ブログとは何の脈絡もない話題なので、そのまま放置しようかとも思ったが、一つだけお答えしておこう。バーズ氏は顕正会員である。それは間違いあるまい。わたくしが知っているのはそれだけである。

さて、今日は顕正新聞第1315号の続きである。

「156万の団結は日本を動かしつつある」
  特集号配布して先生の指導を実感


第十一婦人部幹事の活動報告の見出しである。ともかく今回の特集号は半月ほどで百万部の配布が行なわれたというくらいだから、反響はそれ相応にあるわけだ。ゆえに当該記事以外にも同様の話題が満載なのであるが、わたくしがこの記事に注目したのは本文中に次のような記述があったからである。

 各地で開催される集会・デモ行進にも第十一婦人部各支区有志が赴いては配布を重ね、愛知二千名・岐阜一千名規模の集会には、五月五日号・六月五日号を合わせた二千セット、合計四千部以上の配布が叶いました。

今回は集団的自衛権についての特集号配布であるが、以前は原発関連の特集号配布が盛んに行なわれていた。その時にわたくしは書いた。既存の反原発・脱原発運動家の顰蹙を買う恐れがあるので、本部として何らかのガイドラインを示すべきではないかと。

それはそうだろう。顕正会員が反原発・脱原発ないし集団的自衛権行使容認に反対するデモ行進や集会に出掛けていって特集号を配布するのは、最終的には折伏が目的なのである。純粋な市民運動家から見れば、これほど不純な動機もあるまい。

いや、もちろん、顕正会側の論理からすれば、仏法を立てなければ何をやってもうまくいかない、すべてが裏目に出ることになる、ということなのだろう。それはよくわかるのだが、しかし、市民運動家たちがそれを素直に受け取ってくれるとは限らない。むしろさまざまの軋轢が生じる可能性が高いのだ。

ゆえに本部としては何らかの明確な方針を示すべきである。短期間に百万部の配布がなされたからといって、悦に入っている場合ではない。

神主の家に生まれた夫がついに入信
  最後まで信心貫き穏やかな臨終

大聖人様が手を引いて下さった!


婦人部班長会での体験発表であるが、登壇者はなぜか平会員である。それはともかく、当該記事は先月も取り上げた葬儀に関する新見解が示されている意味で、重要である。

葬儀は子供たちの猛反対により邪宗ですることになり、夫が成仏できるか心配で、必死に祈り続けました。

少し中略して、続きをご覧に入れよう。

 「大聖人様が成仏させて下さった」
 と心から有難さが込み上げたと同時に、邪宗で葬儀をしてしまったことで、申しわけない気持ちが入り交じっていましたが、五月度の班長会で「成仏が決定したら、たとえ邪宗の葬儀でも、成仏の境界を壊わすことはできない」との登壇を聞いて、夫も大聖人様に手を引いて頂いたのだと、有難い思いでいっぱいになりました。


先の反原発・脱原発運動や集団的自衛権云々の運動では、既存の市民運動家たちとトラブルが起こるのではないかと心配したが、ご覧のように葬儀についてはずいぶんと柔軟な対応をするようになったものである。しかし、ことは成仏不成仏の問題であるからして、邪宗の葬儀容認は顕正会らしくないとも言えるところである。

当該号には葬儀に関してもう一つ注目すべき記事がある。

末期癌の祖父が臨終前日に入信
 儀礼室委員の確信に胸が熱くなる


これには驚いた。登壇者は女子部の組長であるが、儀礼室委員の立派なことには、客観的に読んでいるつもりのわたくしですら心を動かされたくらいだから、当の組長の心境は推して知るべしだろう。

 葬儀は顕正会儀礼室で執り行なって頂くことになりましたが、突如、地域住民と親戚に煽動された父に魔が入り、なんと通夜当日に、「葬儀の一切は寺で行う!」と怒り出したのです。
 儀礼室委員に事の経緯を話すと、「怨嫉には慣れています、受けて立ちましょう」と言って下さり・・・


以下は省略するが、この後のくだりも感動的であり、ぜんぶを紹介したいくらいである。わたくしの興味は、この儀礼室委員が誰であるかだが、残念ながら当該記事には名前が記されていない。思えばこれまでの記事も儀礼室委員の名前は伏されたままだったような気がする。たぶん何らかの考えがあってのことなのだろう。いずれにしても今回の記事に出てくる儀礼室委員は立派である。わたくしは心底そう思う。

ただし、これを宗門関係者がどう見るか、である。もちろん肯定はしまい。それを考えると暗澹たる気持ちになる。今さらながら顕正会の宗門復帰を願うばかりだ。

2014/8/11

経過観察のタイムリミットをどこに置くか?  
のび太氏ご紹介のリンクを拝見した。創価高校は年ぶり回目の優勝とのことだった。今年が十九回目の開催であることを考えると、同高校はかなりの頻度で優勝していることになる。強豪だ。

沖浦氏のリンクも拝見したが、写っているのはご本人なのだろうか? 格好良すぎる。また、撮影者も相当の腕前である。カメラに詳しいわけではないが、一般にスポーツ写真は被写体が動き回るので難しい。しかも当該写真はスキーヤーだけでなく、周りの風景にもピントが合っている点が素晴らしい。

また、ユタ氏からもコメントを頂戴しているが、先方は相変わらずの高頻度で更新を続けている。ゆえに拙ブログが止まって見えるのだろう。牛歩の歩みではあるが、可能な限り更新を続けてまいりたい。

そこで前回の続きである。

 今後、先生のご発言にさらに諸天が呼応することを思うほどに、先生の戦いの背景たる我らの戦いの重大さがいっそう強まることを命に刻むものであります。

副総男子部長の発言である。前回が余談たるゆえんがここに明瞭と思う。まさにこれが問題なのだ。

先生のご発言に諸天が呼応する・・・

そんなバカな・・・と言いたいところだ。

ところがである。なんと浅井先生自らがこれを正当化する意味の発言をしているのである。次は最新の総幹部会における会長講演である。

ゆえに大聖人様の御心に叶い、一人で叫んだとしても諸天に通ずる。況んや一六七万の団結においておや。必ず諸天を動かし、一国を動かしていくのであります。

いつ頃からだろうか、今はちゃんと調べていないのでわからないが、数年前からだろう、先生の発言に諸天が呼応する、という意味のことを幹部たちが口々に言うようになった。わたくしはその都度、これを批判してきた。しかし、ここに来て浅井先生自らがご覧のごとく発言しているのだ。

ひじょうに悩ましいところだが、ここでは二つの観点から批判しておこう。

結論的には、広宣流布が実現するか否か、である。浅井先生が言うように、これが実現するのであれば、それが答えである。また、実現しなければ、それもまた正反対の意味での答えである。現状ではとうてい実現しそうにない。ならば、それが答えだ。先生の発言に諸天が呼応するなんてことは、ウソであると。

もう一点は、一人で叫んだとしても諸天に通ずる、というのはいちおう正解だと思う。ようするに法華経の行者を守護するのが諸天善神の役割であり、総じて言えば一人ひとりが法華経の行者なのだから、先生の言っていることはまさにそのとおりなのだ。しかし、ご存知のごとく、別して言えば法華経の行者は大聖人御一人であられるのだ。

すると、どうなるか?

顕正会幹部の発言を見れば、その悉くが浅井先生一人の発言に諸天が呼応するかのごとく言ってしまっているのだ。すると浅井先生=大聖人となる。すなわち会長本仏論である。

よって、七月度総幹部会における浅井発言そのものは直ちに問題とはならないけれども、結局のところ、幹部連中が浅井先生一人を強調してしまっている以上は会長本仏論の批判を免れないことになる。

以上、一点目の広宣流布が実現するか否かは近い将来、結論が出ることなのでそれを待つしかないが、二点目の会長本仏論の問題ははたしてそれでよいのかどうか、顕正会として答えを出すべき課題である。わたくしの見解は言わずもがなのことだ。

さて、次は総男子部長の発言だ。

 いま亡国の日本にあって、大聖人様の御心のままに諫暁に立たれる先生のお立場の重きが身に迫り、諸天の治罰に呼応する先生の諫暁により・・・

う〜ん、これは今までとは異なるパターンだ。

まず、どうでもいいことを書いておくと、「先生のお立場の重き」が文法的なことはともかく、いかがなものかと思うところだ。普通は「重き」ではなく「重さ」だろう。

諸天の治罰に呼応する先生の諫暁・・・

問題はこちらだ。これは今までとは違うわけで、逆のパターンとでも言うべきところかもしれない。ようするに、今までは先生の発言に諸天が呼応していたわけだが、今度は諸天の治罰に先生が呼応すると言っているわけである。

わたくしの批判をかわすために、新パターンを生み出したのだろうか?

確かにこれならば批判しづらい意味がある。先生の発言に諸天が呼応すると言えば、先生って何者? そんなに凄い人なの? ということになる。しかし、逆であれば、それほどでもない。社会の中にはさまざまの問題があって、それについて警鐘を鳴らす人たちがいる。控え目に見れば、浅井先生はそうした人たちの一類であるという位置付けになるだろう。これならばそれほど問題を感じない。

しかし、総男子部長の発言よりも浅井先生の発言のほうが重い。

必ず諸天を動かし、一国を動かしていく・・・

自分には(=顕正会には)諸天を動かす力があるとの大確信を述べているわけだ。

もっとも総男子部長の言っていることが先生の言っていることと極端に違うかと言えばそうではなく、それはきわめて微妙な差異である。前の引用では後半を省略したが、ここではそれも含めて紹介したい。

 いま亡国の日本にあって、大聖人様の御心のままに諫暁に立たれる先生のお立場の重きが身に迫り、諸天の治罰に呼応する先生の諫暁により、時来たるならば「日本国一時に信ずる事あるべし」が事実となることを大確信するものであります。

相乗効果的とでも表現するべきだろうか?

つまり、諸天と呼応し合うわけだ。ご覧のごとく、先生の諫暁により広宣流布が実現するわけだから、諸天の治罰に呼応して先生が諫暁の戦いを起こし、さらにそれに諸天が呼応するということなのだろう。これがまさに相乗効果となって、最後は一気に広宣流布が実現するというわけだ。

いずれにしてもこれが事実となるかどうかは、もう少し見守りたいと思う。


八月十四日追記:数字の間違いを訂正した。

2014/8/5

巌虎節健在?  
各方面から心配の声が上がっているので、ここらで更新をしておこう。半月ほどサボっていたわけだが、その理由はご想像にお任せすることにして、今日は顕正新聞第1315号から話題を拾うことにする。

「国主・国宰の徳政を行う、然りと雖も…」
  正しい仏法を立てねば善政も虚し
  況んや広布前夜の悪政においておや


一面の見出しだ。これは七月六日の日曜勤行指導であるが、なかなかの記事だと思う。内容的には今までの要約的なもので、さして目新しいところはない。とは言え、立正安国論の御指南と現実の問題とをうまくミックスして、簡潔にまとめている点が素晴らしい。別の言い方をすれば、御書講義と総幹部会を掛け合わせて圧縮したような感じなのだ。もっとも日曜勤行の指導としては長いほうであり、参加者たちは足がしびれて大変だろう。早い人は開始三十分前には着座して唱題している。それに本部会館はもちろんのこと、たいていの会館が超満員なので足を崩せない。ゆえに先生の指導が長いのは、痛し痒しの意味があるのだ。

当該指導について、強いてアゲアシ取りをすれば、「裏目に出る」というフレーズが問題だ。

浅井先生は安倍政権における集団的自衛権の行使容認について批判するわけだが、再三にわたって裏目に出るという表現を使っている。これはある意味では政策そのものを肯定していることになるわけで、ようは善政であると言っているに等しいのだ。つまり、仏法を立てない以上は、たとえどのような善政であっても裏目に出てしまう、という文脈で使うのが論理的には正しいわけだから、安倍政権を悪政だと言えば、それが裏目に出れば善政になるのだ。ゆえに裏目に出るというフレーズは不適切である。

いや、もちろん、こんなものは単なるアゲアシ取りであって、文章表現を論理だけで云々するのは愚の骨頂というものだ。批判者はそこを取り違えてはいけないだろう。

さて、二面には男子部の大幹部三人の記事が載っている。次は副総男子部長の登壇だが、たぶん席次からするとこの人は男子部三番手なのだろう。

 冒頭、浅井先生は、いま男子部に続々と日本の将来を担う人材が出てきたことによせて、経済も科学技術も大聖人様の仏法の智恵によって生かされなくてはいけないと仰せられましたが、天然ガス・石炭のガス化、メタンガス、そして核融合と、進化を遂げるごとに副産物のない素晴らしいエネルギーになっていくことをお伺いして・・・

六月度総幹部会の会長講演についてのおさらいであるが、興味深いところである。というのは、この部分は顕正新聞掲載の会長講演には出ていないからである。なぜに削除したのだろうか?

その理由はわからないが、いちおう上掲についてわたくしなりの見解を書いておこう。

進化を遂げるごとに副産物のない素晴らしいエネルギーに・・・

まず、普通に読めば、天然ガスよりも石炭のガス化のほうが、さらにそれよりもメタンガスのほうが、さらには核融合のほうが、という具合に後ろに行くほど副産物のない素晴らしいエネルギーだと読めてしまう。しかし、それは違うだろう。

今の中国がまさにそうらしいが、半世紀前の日本は公害問題が深刻だった。たとえば自動車の排気ガスの問題があって、特にトラックなどは黒い噴煙を撒き散らして走っている有様だった。そこで排ガス規制が設けられ、自動車会社も研究を進め、今ではマフラーから黒い煙が出ているような車はほとんど見られなくなった。また、オイルショックを経て、日本の自動車は低燃費が最大のセールスポイントともなった。公害問題やオイルショックが日本の技術を必然的に高める結果となったわけだ。

このクリーン化と低燃費化は方向性が同じである。たとえば暖房器具などで起こりがちな一酸化中毒による死亡事故がわかりやすい。これは不完全燃焼が原因とされている。ようは不完全燃焼によって有害な副産物が生じるわけだ。ゆえに完全燃焼させれば副産物は生じない。そしてこの完全燃焼こそがイコール高効率化であり、すなわち低燃費化につながるわけだ。

自動車の話に戻って、今はハイブリットが全盛を極め、さらにこれからは電気自動車の時代とも言われている。しかし、一方で昔ながらのガソリン車ないしディーゼル車も健闘しており、さらなる低燃費化・クリーン化を目指しているごとくだ。

この理由は簡単で、実は電気自動車には欺瞞がある。たとえば日本は火力発電が主流であり、とりわけ天然ガスによる発電がシェアを占めている。この電気を発電所から送電線で各地に送り、そこで電気自動車に供給する。それと天然ガス自動車とどちらが得かである。専門的には難しくてわからないが、わたくしは後者のほうが得のような気がする。つまり、電気自動車は電気を安く作れるという前提条件がなければ意味をなさないのだ。ゆえに自動車屋がより高効率のエンジンを研究開発するほうが技術屋としては真っ当であり、現に昨今は低燃費の軽自動車がよく売れているとも聞くので、その事実こそが何よりの証明であろう。

話が長くなった。

天然ガスより石炭というのは埋蔵量の問題だろう。石炭は今もベラボウな埋蔵量があるという。しかし、公害問題以降、敬遠されてきた。それを復活させるというか、そのまま埋もれさせておくのはもったいないので、クリーン化を図った上で活用するという考え方なのだと思う。それが石炭のガス化だ。

メタンガスはいわゆるバイオ燃料の意味だと思う。ようするに、石油・石炭・天然ガスはいわゆる天然資源であり、地球が長い年月を掛けて溜め込んできたエネルギーである。それを人類が欲望のままに使い続けていたらいつかは枯渇する。その反省の意味から生まれたのがバイオ燃料である。

核融合はよくわからないので省略しよう。

いずれにしても副産物のない素晴らしいエネルギーというのはウソである。もちろん、副産物の定義によって議論が変わってくるわけだが、浅井先生も折伏理論書に書いているごとく、エネルギーは不滅である。つまり、何を燃やしても副産物は生じるのだ。尾籠ながらも健康な人が快食=快便であるという理屈は誰も否定できまい。

以上はほとんど余談の域であって、いよいよこれからが本題のつもりだったが、今日はやめておこう。なお、ご心配をお掛けしては申し訳ないので、次回はいつになるかわからないことをお断りしておく。


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