2014/8/20

顕正新聞第1317号を読んで  
のび太氏の譬喩をご覧いただこう。

赤に近い黄色信号

ヘビが自分の尻尾を食べている状態



前者は日本経済の危機的状況を端的に表現するものであり、後者はより具体的に日銀が国債を引き受けることを意味するらしい。

信号機は黄色から青にはならない。よって、今が黄色であれば、遅かれ早かれいずれは赤が点灯することになる。赤の次が青だ。つまり、一回は地獄を見ないと済まないのだろう。
いや、もちろん、譬喩と現実が百パーセント合致するとは限らないので、信号云々がいわゆる交通信号ならば赤の到来は必然であるけれども、まあ、現実問題としてはそれを回避する方法もなくはないのだろう。
もっとも、ここで中途半端に助かるよりは、いっそのこと地獄を見たほうがためになるという考え方はあるわけで、わたくしも半ばそれに期待したい気持ちがあるのは事実だ。

ヘビ云々はひじょうに象徴的で、弱者切捨ての論理にも通ずる譬喩だと思う。これは人間でもいいだろう。ようは自分自身だ。自分の身体を自分で食べるのである。
手足は食える。順番としては足から食べていけば胴体のかなりの部分まで食べられる。包丁で切り取って食えばいいのだ。最後は利き腕だが、包丁は使えないだろうから、そのまま直に噛りつくことになる。そして残るのは首から上である。これだけはさすがに自分では食えない。
当然ながら、単なるお話である。自分の身体を食う人などいないし、できっこない話である。爪を噛むくらいが関の山である。
しかし、これが国家という単位であれば話が違ってくる。自分であれば指一本でも大事件であるが、他人であれば痛くもかゆくもない。指一本どころか、その人が死んだって痛くもかゆくもないのだ。

つまり国家は、いざとなったら国民の大多数を切り捨ててでもトップの少数が生き残ろうとする、そういうエゲツナイことをするものなのだ。

いや、もちろん、理想の国家はそんなものじゃないし、本来の民主主義の理念からしても違うはずなのであるが、しかし、現実としては弱者切捨ての論理がまかり通っている。今の安倍政権がまさにそれなのではないかという指摘が各方面から上がっているわけである。

さて、そこで顕正新聞第1317号である。

当該号は七月度総幹部会特集号であり、当然、メインは会長講演である。同講演には、中見出しに安倍政権「終わりの始まり」とあって、この一段には次のような小見出しが並んでいる。

滋賀県知事選 敗北

支持率急落

アベノミクスの
  化けの皮はげる


一つ目の本文はひじょうに短く、次が全文である。

 七月一三日の滋賀県知事選挙では、絶対勝つと見られていたのに、まさかの敗北となった。

これにはやや違和感がある。のび太氏がよくご存知のことであるが、わたくしは当時、禅譲候補が勝つだろうと言っていたのだ。それが常識だろうと。ゆえに「絶対勝つと見られていた」というのはさすがにどうかと思う。少なくとも当時の状況分析では接戦と言われていたはずである。よって、おそらく正確には、絶対に負けるわけにはいかない=絶対に勝たねばならない、と自民側が思っていただけの話であって、客観的な立場で絶対勝つと見ていた人はそう多くはおるまい。この意味で上掲はやや誇張が過ぎると言わねばならないだろう。

二つ目三つ目はおおむね書いてあるとおりだが、一つだけアゲアシを取っておこう。

いよいよ「ロケット落とし」が始まってきたのであります。

ロケット落としはロケットスタートに対する言葉で、世間ではあまり聞かないけれども、なぜか浅井先生が多用する言葉である。しかし、それにしても「始まってきた」というのは語義的にどうかと思う。落ちる時は一気だろう。風船じゃないんだからね。

始まってきた、とか、・・・つつある、みたいな表現を先生はよく使うが、これはいわゆる凋落みたいな言葉がよく当てはまるけれども、ロケットの落下には相応しくないだろう。

さて、次は大地動乱について取り上げよう。

 それらの分析によれば、二つの巨大地震の発生はもう確実です。来るか来ないかではない、確実で、しかもかなり切迫しているとのことです。

 ですから、二つの巨大地震の発生はもう確実、しかもそれは極めて近いと覚悟しなければなりません。

出た。得意の予言(?)である。地震についての言及は久しぶりのようにも思うが、かなり切迫しているとか極めて近いとか言うものの、具体的な日時が書かれていない。これでは予言失格だ。

また、今回は具体的な学者の名前は出さず、気鋭の学者たちの研究、とだけ書いている。

「えんできるひと」

この一段が興味深かった。面白かったと書くと語弊があるが、わたくしは最先端の事情に疎いので上掲の小見出しを見た時には何の話かわからず、縁できる人、なのかと思ったくらいである。浅井先生はこの同音異義語をうまく使って聴衆の笑いを取ることに成功している。もっとも縁も援も広い意味では同じなのだろうが・・・

顕正会原点の月「八月」

この一段は御遺命守護の歴史を再確認するものである。幹部会員にとっては知り尽くしている内容であり、特に目新しい記述はない。そうした中で、次のくだりが目に留まった。

 平成七年に「オウム真理教」の事件があった。今から一九年も前のことですから、若い人はあまり知らないでしょうが、これはたいへんな事件でした。

ああ、なるほど、高校生の会員にしてみれば、自分の生まれる前の出来事だったのだ。

しかし、ならばと思う。ならば御遺命守護も同じだろう。同じどころの話ではない。もっと大昔の話なのだ。浅井先生にその自覚があるかどうかわからないが、この意味では御遺命守護は薹が立っている、もはや若い人には受け容れられない、という可能性も考えられるのだ。

正本堂崩壊こそ国立戒壇建立の大瑞

こういう大見出しもあるわけだが、その正本堂だって若い人たちは見たことないのである。これではいくら御遺命守護の歴史を説いたところで、ますます実感が薄いことだろう。

「大聖人は衣を以て覆い給う」の有難さ

おお、これを使うのか、と思った。浅井先生は御書を引用しつつ話を進めるのを得意としているが、これに限っては御書の引用がないので、たぶん教学未練の人はわけがわからないだろう。はたして、いずれ機会を見て御書を引用するのか、それとも伏せたままにするのか、そこが気になるところである。

会長講演はこれくらいにして、前回の続きを書こう。

六・七月度弘通 空前1万8千121名

今回は事前の目標が一万五千だったらしく、幹部たちは三千余も上回る大折伏が出来て大感激しているわけだ。しかし、わたくしの印象としてはそれほどでもないだろうと思う。空前だの過去最高だのと言うものの、前年と比べてどうだったのかが示されていないので、よくわからないのだ。たぶん調べれば判明するだろうけれども面倒なのでやらないが、そんなに極端に伸びているようには思えない。ただ、一時期の低迷を脱して、少しは持ち直したのかもしれない。それが前回の未活動者の掘り起こしの話に結びつくわけである。もし顕正会が復調しつつあるのだとしたら、それは未活動者の掘り起しに一因があるのだろう。

さて、今回も人事の発表があって、一見すると組織の発展拡充を思わせるものがある。しかし、わたくしは今回の新聞から新たな問題点を見い出すことに成功した。

重複人事? 掛け持ち人事?

思いつきの造語であるが、これは四面下段に載っている折伏成果の三者内訳から見い出したものである。

( )内は隊長・区長・支区部長名を示す。

同記事の冒頭には上掲のような説明が付されている。いつ頃からだろうか、以前は組織名だけが書かれていてわけがわからなかったが、今は個人名が併記されているのである。
すると同じ名前が二つ出てくる場合がある。佐藤だとか高橋みたいなのはいっぱいいる。ゆえにその場合は下の名前も書いて区別がつくようになっている。一例を挙げると伊東信である。
では、さらに具体的に書こう。第35隊(伊東信)、第73隊(伊東信)とある。これは当然ながら同一人物である。この人は二つの隊を兼任しているのだ。さらに言えば、第十三男子部長でもあり、第十七男子部長でもあるのだ。凄まじいものである。

さすがにこの人は例外中の例外なのだろうと思っていたが、そうではなかった。当該欄を隈なく調べていくと、なんと他にも兼任の人がたくさんいるのだ。わたくしの調べた限りでは、少なくとも十四人は下らないだろう。

毎回のように人事が発表される。一つには交代が激しいからだが、それを糊塗するためなのか、新たなポストが作られ、新たな人材が抜擢される。これを見ると組織の発展拡充を思わせるが、実情は上に述べたごとくである。重複人事ないし掛け持ち人事が十四例もある。だったら、まずはこれを整理統合すべきだろう。ここに欺瞞があるわけだ。

この点に限って言えば、アベノミクスを批判している場合ではない、もし安倍さんが顕正会のこのテイタラクを知れば、オマエに批判されたくない、ということになるだろう。


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