2014/9/23

限界に挑戦  
沖浦氏よりデッドリフトのグリップについてご教示をたまわった。あれが普通なのだそうだ。さらに詳細を問うならば、利き腕を順手にするのか逆手にするのか、あるいは利き腕に関係なくその人の好みで決めるのか、その辺が気になるところではある。

ところで、わたくしが組織を離脱した理由と、以前は熱心に活動していたのかどうかを問うコメントが寄せられた。

これは過去の拙稿を隈なく読んでもらえればわかることだが、さすがに量が多過ぎて読む気がしないだろう。そこで簡単に答えておくと、まず、元々それほど熱心ではなかった。ただ、読書が好きだったので、浅井先生の著書は一通り読んでいたし、自惚れながらも読解力には自信があった。

そこであの平成十六年の八月を迎えたわけである。

同年は一国諫暁の年である。前年に悲願の百万達成を果たし、満を持して一国諫暁を開始したのだった。
ところが途中でおかしくなってしまった。一国諫暁がなぜか宗門諫暁にすり替わってしまったのである。

この理由はさまざま考えられるが、大きくは一国諫暁が空振りに終わったことにあるのだろう。

先ほど書いたごとく、百万達成の後、満を持して諫暁を開始した。しかし、不発というか、思ったほどの成果を上げられなかった。
熱心な活動会員たちは百万達成後に開けるであろうバラ色の世界を夢見て、歯を食いしばって頑張ってきたのである。ところがそれは幻想に過ぎなかった。現実はそれほど甘いものではなかった。
会員たちもそれに気がつき始めた。燃え尽き症候群のような意味もあるだろう。百万までの戦いをこの先もずっと続けていくなんて、そんなことは無理な話だった。

この現実に浅井先生はあせった。

この時期、宗門法華講に移籍する人たちが増えつつあったのも事実だろう。

そこでとうとう浅井先生は大きな方向転換するわけである。

平成十六年八月の幹部大会で、浅井先生は一国諫暁ではなく宗門諫暁を開始した。いや、もちろん、これ自体は間違っていない。いわゆる諫臣争子の戦いこそが、浅井先生の首尾一貫した姿勢であるからだ。ゆえに一国諫暁と宗門諫暁が対を成していると考えれば矛盾はない。

では、何が問題だったかであるが、日顕上人に対する呼び捨てがいけなかった。

ご存知のごとく、それまでは阿部管長と呼んでいた。ところがこれ以降、阿部日顕と呼び捨てるようになった。

実は同時期、水面下でも動きがあった。もちろん水面下であるから容易には見えてこないのだが、今ならば多くの証言が得られることだろう。かつて顕正会では日達上人・日顕上人の御本尊を用いていた。以前の創価学会員や法華講員は両上人の御本尊を所持する人が多く、この人たちがいわゆる正義にめざめて顕正会に移籍してくる時はその御本尊を携えてやってくるのだ。場合によっては、それがそのまま顕正会の自宅拠点になることもあった。

たぶん、今では考えられないだろう。

つまり、あの平成十六年の宗門諫暁を前後して、顕正会では日達上人・日顕上人の御本尊の撤廃が行なわれたのである。

簡単に書くつもりが、けっこう詳しくなってしまった。まさに上述のことが大問題なのだ。このことは道理文証現証の上から明確に言えることで、すなわち大矛盾である。

結論を書こう。

顕正会が宗門を諫暁すること自体は問題がない。これは昔からの首尾一貫した姿勢である。だが、しかし、そこには自ずと節度が求められるはずで、その節度を失ってしまったのが今の顕正会の姿なのである。

巌虎さんが不思議がられているが、私は顕正会バーズ氏のブログはもっと不思議に思うね。

これについても書いておこう。

ある程度タイミングよく来る?「組みやすい論客」などは何だろうね?検索で来るのかな?

バーズ氏は今のインターネットの世界では完全にマイペース派であって、仕事や顕正会の活動を等閑にしてまでブログに熱中するというような、そんな本末転倒の愚を犯す人ではないのだ。ゆえに、たまに議論を吹っ掛けに来る人もいるけれども、いつ返事があるともわからないので彼らも張り合いがないのだろう。ある意味、バーズ氏もそれを承知していて、半ば意図的に時間差攻撃を行なっているフシがあるのだ。もしこれが事実ならば、コメント投稿者よりもブログ主のほうが圧倒的に有利である。

褒め言葉として、バーズ氏にはそうした老獪さがあるのだと思う。

2014/9/17

見えてきた限界  
沖浦氏の活躍は凄いの一言に尽きる。デットリフトの動画は圧巻だった。そこで素人ながら疑問に思ったのは、手の握り方だった。左右が逆になっている。これは沖浦氏固有の握りなのか、それともこれが普通なのか、気になるところである。また、もしこれが氏独自のものだとして、後輩等にもこの握り方を勧めているのかどうか、気になるところである。

それはさておき、男子部大会のことがひじょうに気になるところである。

2014/9/11 13:29
投稿者:諸般の事情通
大会に行ったとも行ってないとも書きたくないし話題にされたくないから今は沈黙


こういう探りを入れるようなコメントが寄せられるのも無理のない話で、これはひとえにわたくしがユタ氏の質問に答えていないことが原因である。

2014/9/4 15:25
投稿者:ユタ
 こんにちは。

 厳虎さんは男子部大会に参加されるのですか?


しかし、答えはひじょうに簡単で、上掲の時点で答えるとすれば、参加しません、ということになる。つまり、わたくしは男子部大会に参加していない、参加していないからブログのネタとしても書き様がない、ということなのである。

ご存じない人のために書いておくが、わたくしは平成十六年の秋に顕正会を離脱して以来、一度も顕正会の催しには参加していない。もちろん、会館等にも近づいたことがない。
ゆえにわたくしの顕正会情報はおもに顕正新聞からのものであり、他に何か特別な情報源があるわけではないのだ。事実、わたくしのブログはいつも後手後手であり、昨年の女子部大会も一昨年の婦人部大会も、すぐには話題にしていない。顕正新聞の出来を待ってから書くのが毎度のパターンなのだ。
ただし、ウソを言うのはイヤなので付け加えておくが、なぜかわたくしのメールアドレスを知っている人がいて、裏で情報を下さることがある。この点が拙ブログの懐の深さというか、コイツはタダモノではない、というような印象を与えているのかもしれない。しかし、それはカイカブリである。

顕正会を離れて十年になる。思えば、あの翌年から拙ブログは始まったわけで、いわゆる活動会員とは違った独自の視点から顕正会を論評している意味で、それなりに価値があったのかもしれない。しかし、今はもう書き尽くしたような意味もあるし、現実に顕正会の行く末も見えてきたようにも思えるので、執筆意欲が激減しているわけなのだ。

さて、そこで男子部大会についての詳細は後日を期したいと思うが、各方面からのコメントを踏まえて少しだけ書くことにする。

2014/9/7 9:36
投稿者:のび太

Oha! のび太です。

昨日、へなさんがこんなコメントしてました。

>いよいよ明日は5万結集の男子部大会ですが、どんな重大発表があるか元会員としてはちょっと気になるところです。

雨がざーざー降りです。やっぱりね! (笑)

遠くから来られる方もいるでしょう。
体調管理や事故に気お付けてください。
諸天がお怒りのようです。


顕正会は諸天の働きを重視するので、悪天候だったことは確かに気になるところである。ただし、わたくし個人はさほど気にしない。雨くらいで驚くこともあるまい。この時季に雪でも降れば驚くが・・・

2014/9/16 3:52
投稿者:へな
一昨年から続く3者の大会の締めくくりともいえる意義重大な男子部大会、男子5万結集の成否と顕正会の今後の方向性を示す浅井会長の重大発表が注目されていましたが、状況証拠ながら5万人集まらなかった事や重大発表も2019年までに200万という事実上の下方修正だった事が他の方々のブログにて公開されています。

個人的には2020年代に200万で何をするつもりなのか少し気にはなりますが、結集に関しては大方の予想通り失敗し、重大発表についても肩すかしを食らうような拍子抜けするものだっただけに「何の為の大会だったの?」というのが正直な感想です。


ひじょうによくまとまった文章だと思う。

何の為の大会だったの?

この一言に尽きるのかもしれない。

わたくしなりの切り口で同じことを書いてみよう。本日現在、男子部大会を報ずる新聞はまだ届いていないが、その直前の新聞が手元にある。第1319号、八月度総幹部会を報ずる新聞だ。

 最後、大拍手のなかに浅井先生が登壇、約二五分間にわたり重要な講演をされた。

普段の講演に比べると短い。参考のために直近三回の講演時間を書いておこう。

五月 五十分
六月 四十分
七月 四十分


これで二十五分の講演がいかに短いかがわかったと思う。男子部大会直前であり、悪く言えば手を抜いた、まあ、普通に言って、大会のために力を温存した、といった具合だろうか?

ところがである。

わたくしは顕正新聞当該号の一面大見出しを見て、まったく別の感想を懐いたのである。たぶんこれから書くことは、現役会員たちの、とりわけ少し疑問を懐きつつも何とかギリギリで組織にしがみ付いている男子部員たちの、共感を得ることができるのではないかと思う。

大見出しの文言は次のごとくである。

二百万への初陣9.10.11月法戦開始

男子部大会のタイミングが最悪なのである。いわゆる秋の三連戦の初っ端にかち合ってしまった格好だからである。つまり、男子部員たちは大会終了後、休む暇もなく次の戦いに挑まなくてはいけないのだ。

いや、もちろん、この大会で発心する人もいることだろうし、組織的にも上昇気流に乗ってさらに飛躍するところがあるのかもしれない。

ただし、すでに書いたごとく、ギリギリで組織にしがみ付いているような人は上昇気流に乗るどころの話ではなく、むしろ脱落していくことにもなりかねないのではないかと思うのだ。わたくしの印象ではそういう人のほうが圧倒的に多いような気がするのである。

以上、へな氏の「何の為の大会だったの?」を、わたくしなりに敷衍させていただいた。

2014/9/4

夏休みの宿題を終えて  
沖浦氏からの活発な投稿が続いているが、今日は顕正新聞第1318号から話題を拾いたい。

当該号はめずらしく十ページ立てである。普段が八ページなので、いつもよりも二ページ多いわけだが、それにはちゃんと理由がある。

平成26年(2014年)8月15・25日合併号

男子部大会直前でテンヤワンヤなのだろう。

しかし、それはそのとおりだとしても、いかがなものかと思う。ようするに人材がいないというか、男子部大会に全精力を注入することが今の顕正会全体における至上命題なのだろうけれども、それとは別に前にも指摘したように行事が少な過ぎるので記事が集まらない。ゆえに紙面が成り立たないのだ。

当該号の一面は八月三日の日曜勤行指導であるが、もしこれがなかったら大変だった。合併号すらも成り立たない可能性もあったのだ。

二面以降は登壇記事のオンパレードである。唯一の救いは、五面に原発関連の記事が二本あることだろう。これは悪くない。

検察審査会 東電元会長らを「起訴相当」
  「安全神話」を一刀両断して議決


あれだけの大事故を起こしておきながら誰も責任を取らない。それが福島第一原発の事故だった。それがここに来て、いよいよ東電の首脳たちが断罪されることになるかもしれないという話である。

3号機核燃料 実は全量が落下!
  原発事故の全容 未だ不明


ありゃりゃ、と思った。

わたくしは三号機のみならず、一号二号も全量が落下したものと思い込んでいたが、東電はそれを認めていないそうなのである、そしてようやくにして三号機の全量落下を認めたという話である。

いや、もちろん、誰一人として原子炉の中を覗き込んだ人はいないわけだから、何が正解かはわからない。

これを逆に言うと、誰も原子炉には近づけないのだから、燃料取り出し作業(=廃炉)も難航を極めるということだ。

今は四号機の使用済み燃料を取り出しているそうだが、こちらは燃料プールからの取り出し作業である。おそらく一二三号もプールからの取り出し作業はさほど難しくはないだろう。
問題は原子炉からの取り出し作業だ。燃料が溶けてしまって原形を留めていないとすれば、プールからの取り出しとはまったく勝手が違ってしまって、どうやったら取り出せるのかもわからない。ましてや燃料がぜんぶ溶け落ちてしまっているとしたら、なおさらだ。しかもそれが原子炉の底を突き破って全量が落下しているとすれば、なおさら始末に負えない。

先日来、コメント欄でも原発の話題が盛んだったが、こんなテイタラクでは話にならないだろう。

さて、登壇記事から話題を拾うが、まずは副総男子部長の発言をご覧に入れたい。

先生の強き忠誠心により、大聖人様は諸天に申し付けて、先生のご発言のまま、客観情勢を次々と作り給う・・・

相変わらず凄いことを言う人である。

いちおう大聖人のほうが上位に位置付けられているように読めるけれども、しかし、かなり危なっかしい発言だと思う。何しろ「先生のご発言のまま」だからである。常住此説法という概念はあるものの、大聖人は何もおっしゃらない、もっと直截に言えば大聖人は今いらっしゃらないのである。すると先生の発言がすべてであり、もし先生がとんでもないことを発言すれば、とんでもないことが起こるということなのだ。

今年は国難元年とのことだが、先般も広島で未曾有の大災害があった。これなども「先生のご発言のまま」ということなのだろうか?

列島最北の下北半島にも広布の潮流
  そのけなげな戦いに頭が下がる


婦人部総務の活動報告だが、この中で紹介されている一総班長の言葉が注目である。

 「決戦場まであと六年、それまで戦わせてほしい。広宣流布したら、黙って家にいるから」

家をほったらかしにして、活動に明け暮れていることで、家族からバッシングがあったのだろうと推測されるセリフである。しかし、おかしな文章だ。

あと六年で広宣流布するわけではあるまい。六年後は決戦場への到着を意味するのだ。そこから広宣流布までの道のりは定かではないが、まさか本人は一年で決着がつくとでも思っているのだろうか?

普通に読めば、前後で話が違ってしまっている。前半の意味はあと六年で活動をやめるということだろう。後半は広宣流布したら活動をやめるという意味だ。つまり、前後に整合性を持たせるためには、あと六年で広宣流布しないといけないことになるわけだ。

こうして見ると、あと十有余年と言っていた頃が懐かしくもある。もはやカウントダウンが始まってしまった今となっては、もう引くに引けない状況だ。

フィリピンにも地涌の流類続々!
 みな信心口唱に励み功徳に感激


先日、本部勤務を名乗る人物より重大な証言が寄せられた。六七月法戦では入信者の半分以上が外国人だったそうである。もとより、わたくしにはそれを確認するすべがないのだけれども、上掲の記事を読むとその信憑性は格段に高まるはずだ。女子部第三十二区の成果にはフィリピン人の入信者が相当数混在している。

八十八名中三十三名

実際にはご覧のごとく、半分以下である。しかし、区長による上掲の活動報告はフィリピン人に限った話なので、他に外国人がいないとも限らない。もちろん、調べるすべはないので、あくまで疑って掛かればの話だが、それにしても高比率で外国人の成果が混在している事実は紛れもない事実だろう。

さて、最後は女子部第四区長と婦人部足立支区総班長の記事を続けて紹介しよう。

勤行を一日三回申し上げるほど感激し・・・

一日三回勤行を申し上げ・・・


そのうち、一日四回だとか五回が登場するかもしれない。

2014/9/3

各氏の活発な議論を受けて  
各方面より多種多様なコメントが寄せられて、収拾困難な状況となっている。よって、漏れがあるだろうことを、あらかじめご容赦願いたい。

恐らく今、どこの宗教でも日本人の新規入信者は頭打ちなのではないでしょうか。

これはひじょうに鋭い指摘であって、その他の諸問題ともリンクすることだと思う。

たとえば昨今、移民受け入れの是非が議論されてもいるが、これなどはまさしく直リンクの問題である。このまま少子高齢化が続けば日本の人口減は必至であり、それはイコールで日本の衰退を意味するとされている。
さしあたっては高齢者の介護をどうするかということで、おそらくはここ十数年の間に介護ビジネスが伸びてきたのだと思う。ところが今、介護離れが起こっているという。介護の仕事は給料が安くて割に合わない、ということで介護の現場で働く人の離職率が高いのだそうだ。さりとて給料を上げるのは難しい。となると、ますます介護離れが進むことになる。
そこで一つの選択肢は移民を受け入れ、その人たちに介護職に就いてもらうことである。もちろん、介護だけではない。その他のあらゆる産業において、人材の手薄のところに入ってもらうのだ。

しかし、わたくしに言わせれば、これはノータリンの発想である。一部のお金持ちたちの発想であり、そこらじゅうに欠陥がある。

いわゆる高度成長期は日本人の一人ひとりが汗水たらして働いたからこそ、日本は経済発展を遂げ、かつまた一人ひとりが潤ったのである。しかるに今やろうとしていることは、外国人に働かせて日本を繁栄させようとしているわけで、そんなムシのいい話があるわけがないのだ。それが可能なのは一部の資本家であり、国民一人ひとりが潤うわけではないのは自明である。

四月の消費税増税から経済状況が悪化しているそうである。それはそうだ。給料が上がらず、税金ばかりが上がっているのだ。物価も上がっている。そうすれば国内消費が冷え込むのは自明のことである。

ここで移民に話を転ずれば、彼らだって日本の物価には驚くだろう。そもそも移民が高給取りのわけがない。具体的にどこから移民を受け入れるかわからないが、少なくとも欧米諸国ではないだろう。いわゆる発展途上国からの受け入れとなるはずだ。つまり、安い労働力ということなのだ。

ここに答えがある。

今は日本人全体が贅沢になってしまって、安い給料では働いてくれない。だから資本家は安い労働力を求めて、外国人の労働者が入ってこられるような施策を求めているのだ。TPPの本質もそれだろう。あるいは工場の海外移転も同様である。

こんなテイタラクでは内需拡大など、できっこないし、日本人一人ひとりが幸せになれるわけがないのだ。

最初の話に戻そう。

宗教を、いわゆる宗教ビジネスという意味で捉えるならば、外国人信者の拡大は企業のグローバル化と同じである。しかし、宗教の場合は人類救済という大義名分があり、とりわけ日蓮正宗においては広宣流布の大目的があるので、直ちにそれが問題となるわけではない。ただし、一向に国内信者が増えず、外国人ばかりが増えているとすれば、それは問題だろう。いわゆる空洞化である。

大体、勝者は自分の恥を隠し敗者を悪者扱いが常でしょう?

唐突な引用であるが、これを移民問題と重ね合わせて論じるならば、ようは上から目線ということだろう。かつての植民地時代と今とさして変わらないのは、勝者は常に上から目線で物を見ているということだ。先ほども書いたように、日本が移民を受け入れるとすれば、それは欧米諸国ではなく発展途上国だろう。つまり、この場合は日本が途上国を上から目線で見ているわけだ。言い換えれば、見下しているということだろう。しかし、ご存知のごとく、アメリカにはなかなか頭が上がらない。

この辺りは、いわゆる仏法で説くところの畜生界の境界であり、その一つ上のカテゴリとされているのがいわゆる修羅界である。六道を輪廻するのが凡夫の常ではあるが、国家レベルで見てもまさに同じということなのだろう。

原発問題では議論が紛糾しているようだが、わたくし自身はおおむね答えが出ていることである。

放射能が無毒であれば反対する人はいない。いや、もちろん、他の理由から反対する人もいるわけだが、大半は放射能の危険性から反対を唱えているのだと思う。ならば話は簡単だ。

放射能の無毒化が実現するまで原発はやらない。

原発は五重の壁に守られているから安全だ。これが電力会社の説明だった。ところが三年前にそれが簡単に破壊されてしまった。結果論ながら、もしあの時に福島第一がまったくの無傷であれば、今のような反対運動は起こらなかっただろう。これが答えなのである。

そもそも五重の壁というのが放射能の危険性を自ら暴露しているような話である。放射能が無毒ならば壁は必要ないからである。

会長先生は、火の粉が降りかかる前に火消しに走ってるだけと考えられる。

なるほど、確かにこのような見方も有力である。五重の壁さながらに、会長先生に累が及ばないようにと、手厚い防護を施しているわけだ。

敵対者の抗議電話に「お前は馬鹿だ、潰すぞ、男子部を派遣してやる!逃げるのでは無いぞ!」と大人気なく怒鳴ったりで実際のところはどうだろう?

この音声はネット上に出回っているので今さらどうにもならないが、わたくし自身は好意的というか、これを聞いてショックを受けることはなかった。いや、もちろん、熱心な活動会員の立場であれば、穏やかではいられないだろう。

いわゆる御遺命守護とは何か?

これを説明するのは簡単ではないが、一つの視点として、鉄壁を誇った創価学会の牙城に打撃を与えた、というような見方もできると思う。実際、創価学会の大幹部が浅井先生の舌鋒にタジタジとなったというし、第一線で相対した妙信講員と創価学会員とのやりとりも、これまた同様だったそうである。当然、これについては異論もあろうかと思うが、とりあえずはこのまま話を進めよう。

つまり、組織の規模だけで言ったら創価学会と妙信講は話にならないほどの大差だが、教義論争においては立場が逆転していたわけである。これについて当時の妙信講員は絶対の自信を持っていた。

ところがである。そこに登場したのが妙観講の大草氏だったのだ。この構図は何に譬えるとわかりやすいだろうか?

適切な例が思い浮かばないけれども、浅井先生としてはどこの馬の骨ともわからない格下の大草ごときに負けるわけにはいかないという思いがあって、それがくだんの電話の応答に如実にあらわれたのだろう。これは浅井崇拝者にとってはどうか知らないが、客観的にはひじょうによくわかる話だと思う。大草氏の言い草を聞けば、これはこれでかなり挑発的な感じが否めないわけで、それに浅井先生がカチンときたとしても不思議はないのである。ゆえにわたくし自身はこれを聞いてガッカリするとか、ショックを受けるとか、そういう感情は起こらなかった。

もっとも、わたくしがこれを初めて聴いたのは顕正会に対して相当に懐疑的になってからのことなので、当然ではあるのだが・・・


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