2014/11/28

大石寺本位制  
ますます面倒臭いことになってきた。しかも話が多岐にわたるので整理がつかない。

そういうわけで表題が結論である。

前回、謗法色がどうのこうのと書いたところ、いったい何をもって謗法とするのか、との問いが発せられた。この答えが表題なのである。わたくしの謗法とは申すまでもなく大石寺を基準にした概念であって、それが正しいかどうかはまた別の議論である。いわば議論を放棄して結論だけを述べているのが本位制の意味である。

戒壇本尊の真偽を云々する人がいる。わたくしはこの議論に加わらない。この手の議論をしたい人は別の場所を探したほうがよかろう。

そもそもわたくしは無所属であるが、当の法華講員たちも戒壇本尊の真偽についての議論は回避する傾向にある。その理由はわりと簡単だと思う。明快な答えを出せないからだ。なぜならば当の御本尊は大石寺に存在する。しかし、いわゆる秘仏であって、鑑定などは行なえない状況にある。こうした状況下で議論をしても答えが出ないのは当然のことだ。ようするに信徒の立場では自ずと議論にも限界があるということだ。

ゆえに、本当ならば大石寺の御僧侶たちが前面に出てきて積極的に議論をすればいいのだが、彼らも消極的である。その理由はともかくとして、御僧侶が論じないことを信徒が論じてどうするのかという不満のようなものが、法華講員たちにあっても不思議はないだろう。かく言うわたくし自身は無所属ゆえの気楽さがあって、知らない・わからないの一点張りで話を済ませてしまうのが常套手段である。

ちなみに、戒壇本尊が本懐か否かの議論は、少しくらいならば可能である。これまでにも沖浦氏を相手に論じてきたが、今日のところはやめておこうと思う。

どうも宗門びいきの厳虎さんのお考えは甘口で、観念論的ファンタジアが多いどすな。

話が多岐にわたると書いたのはこのためだ。戒壇本尊そのものへの疑義というのは外部の人たちの論点であるが、この人の場合は宗門ないし顕正会の体制への批判が論点となっている。これはこれでひじょうに厄介な話であり、わたくしとしても困ったものなのだ。

厳虎さんの論点はポイントがずれてます。安全地帯から愚痴や他人事を云うだけでなく、厳虎さんのブログをお読みになってる人に対しても影響力があることをお考えてください。

文末の「お考えてください」はヘンな言い回しであるが、単なるミスであろう。それはともかく影響力があるというのは嬉しいことだ。ウヌボレを承知しつつも、自分でも多少の影響力はあるだろうと思っていて、その点を考慮して書いているのも事実である。戒壇本尊の真偽に触れないのもそのためだ。

しかし、厳しいご指摘である。

論点がずれている、安全地帯から愚痴や他人事を言っているだけである、と。

己の非力を痛感していると書けばウヌボレそのものであるが、己の非力を承知していると書けば妥当なところだろう。わたくしは非力である。わたくしだけでなく、たいていの人がそうだ。非力の人が非力なりにも己の力を最大限に発揮するためにはどうしたらよいかと考えた時に、こうしてネット上で発信を続けることが一つの有力な手段なのだと思う。論点がずれていることに関しては、その都度ご指摘をたまわって是正していけばいい。しかし、安全地帯云々は致し方のないことであって、もしそれが断じて許されないことだとするならば、オサラバするまでである。すなわちブログを閉じてネット上から消え去ることだ。

まあ、しかし、ディープスロート氏にしても拙ブログを媒介としてご自身の主張を発信できたのだから、よかったのではないかと思う。

まず、病気を治すためには病気の特定が必要となる。その上で手術するなり何なりの処置をするわけだ。つまり、今は病巣を抉り出すがごとく、日蓮正宗に巣くっているさまざまの問題を表面化させる作業が必要なのだ。氏のコメントはそうした役割を担っているのだと考えればいいわけで、そのために拙ブログを利用すればいいのではないかと思う。もちろん、わたくしに対する批判も結構なことだ。

前回記事のお話ですが、ビデオ放映と大会の結集数についてお伝えします。

結論から言えば、ビデオ放映より大会の結集の方がかなり多く集まります。私の知る限りですが、大会にはほとんどの組織がビデオ放映の1.5倍前後は集まってました。


前回のコメント群の中では異色であるが、ひじょうに真摯な投稿なので、触れないわけには行かないだろう。

これは十一月二十日付の拙稿に端を発する話で、その最後のほうに結集人数についての記述がある。女子部全体でビデオ放映に二万七千四百五十七名が参加したというのだ。
これに関して、へな氏からコメントがあった。前年、三万五千人の女子部大会があった。大会にそれだけの人数が集まっていながら、ビデオ放映ではそれよりも少ない人数しか集まっていない。これが何を意味するかは各自の想像に任せると。
これを受けて同月二十三日付の拙稿では一つの推論を書いた。大会よりもビデオ放映のほうが結集しやすいはずである。なのに実際の数字は逆になっている。ゆえに女子部大会の三万五千人はウソなのではないか? ならば今回の男子部大会も、五万結集はウソなのであろう、と。

これに対する反論が寄せられたわけである。

なるほど、けっこう説得力のある話ではあると思う。一・五倍というのも、ご自身の経験を書いているわけだから、これを頭ごなしに否定することは出来ない。実際、わたくしの想像を書けば、たとえば未入信結集というのがあるわけだが、そういう人に顕正会の○○会館でビデオ放映があるからと呼び掛けてもなかなか話に乗ってくれそうにないけれども、さいたまスーパーアリーナで行なわれると聞けばしかもそれが入場無料と聞けば話に乗りやすいと思う。この意味で大会のほうが結集が伸びるという理屈も相当である。

ちなみに、女子部の二万七千四百五十七名を一・五倍すると、四万一千有余名になる。なるほど、三万五千を軽く超えるのだ。

ということで、わたくしの書いていることもかなりアヤシイというか、顕正会にマイナスになるようなことばかり書いてしまうという偏重があることが半ば証明されたような格好なのかもしれない。それが現時点のいちおうの結論ではあるのだが、往生際悪くも反論めいたことを書いておこう。

婦人部大会で一人お亡くなりになられた。その意味もあるが、それ以前からも大会参加に当たってはさまざまの注意事項が徹底されてきた。いちばん重要なのが、体調が悪い人は無理して参加するな、ということである。実際、顕正新聞の記事で参加を見送った旨の話が出ていた。すなわち、高齢だとか病気だとかの理由で遠距離の外出がままならない、というケースである。そういう人の中には、大会には参加できないが近くの会館・事務所などで行なわれる集会ならば大丈夫、ということもあるだろう。はたしてこの人数がどのくらいなのかが問題である。未活動で普段のビデオ放映には参加しないが大会には参加するという人もいるわけだが、高齢ないし病気などの理由で近くの集会には参加できるが遠隔地で行なわれる集会には参加できないという人もいるわけだ。この比率がどのくらいかが問題で、もし五分五分ならば相殺されるわけだから、先方の主張は成り立たないことになる。

反論にしては甚だ弱いかもしれないが、いちおう問題提起として書かせていただいた。

いずれにしても男子部の五万結集は限りなくウソに近い話であって、おそらくは活動会員たちもそれを半ば承知していることだろうと思う。

この傍証的な意味で一つの事実を書いておくと、今後はブロックごとに地方大会を行なっていくという方針がすでに打ち出されているけれども、それはそれで結構なことであるが、かつて十万人の行進を行なうと言っていたことを勘案するならば、今後も男子部大会を企画してしかるべきである。つまり、次は七万人だとか八万人だとか、あるいは一気に十万人の男子部大会の構想をぶち上げるみたいなことがあってしかるべきなのだ。しかし、そのような話は出なかった。

理由は簡単だ。

今回の五万すらも虚飾だった。かろうじて五万のオダイモクだけは貫くことが出来たものの、先ほども書いたように現役会員たちもその数字に偽りがあるだろうことを薄々は承知しているわけである。ならば、七万だの十万だのをやろうと思えば、惨憺たる結果を招くことは必定である。

つまり、もうこれ以上の粉飾は無理だということなのである。


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