2014/12/31

本年最後の独白  
引き続き各方面よりコメントをたまわっているが、最後は独白ブログらしく完全スルー(?)でまいりたい。

さて、年末合併号の第一面はいわゆる目師会である。その時の会長講演が掲載されている。たぶん御僧侶の説法をマネしているだろう、浅井先生はこうした法要の時の講演ではまず最初に御書の拝読から入る。今回は日興跡条々事の全文だった。日目上人にちなんでの講演では、必ずと言ってよいほど当該御書が引用される。ゆえに今は過去の記事を確認していないのだけれども、すぐさま引用の不同に気づいた。

 一、日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す。本門寺に懸け奉るべし。

これである。

先ほども書いたように、過去の記事を確認していない。けれども、この一条は何度も何度も拝しているので、すぐにわかる。具体的には「授与」が問題なのだ。

次は平成新編からの引用である。

 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

細かいところも違っているが、それは問題ではない。原文は漢文体なので、それぞれの判断で訳し方に違いが出ても、さほどの不思議はない。しかし、授与と相伝の違いは大問題だ。なぜ、こうも違うのかである。

たぶん専門的にはさまざまの意見があるのだろう。しかし、問題はそこではない。浅井先生の引用が問題なのである。ある時は「相伝」を使い、ある時は「授与」を使う。この一貫性のなさである。この理由はいったい何なのだろうか?

さて、話を進めよう。次はあえて紹介するわけだが、けっこう刺激的だかもしれない。

 謹んで思うに、大聖人様が戒壇の大御本尊を御図顕あそばすとき、日目上人はおそばで守護されていたに違いないと私は拝推しております。

特に申し上げることはない。

日目上人の御事蹟として際立つのは、公家武家への度重なる国家諫暁であろう。大聖人の御存命中にも京都へ諫暁に行かれ、時の天子より下し文をたまわっている。

 時の天子・後宇多天皇は、大聖人様の深き御心に感じられ
 「朕、他日法華を持たば、必ず富士山麓に求めん」との「御下し文」を賜った。これは重大な事蹟です。


この話も繰り返し耳にしてきたけれども、未だによくわからないことがある。この原本はどうしたのかである。時の天皇からの下し文が現存していれば、それだけでも大変なことである。ことに富士山麓がデカイ。普通に考えれば、富士山に本門戒壇を建立することを示唆するわけで、日目上人が所持していた申状にはその旨の記述があったことにもなるだろう。これが延いては二箇相承の裏付けにもなるはずなのだ。ゆえに、この下し文が今現在どうなっているのかが、ひじょうに気になるところである。

さて、話は変わる。

釈尊生誕のルンビニ(ネパール)で大法弘通
 貧困に苦しむ人々が続々と入信


拙ブログの愛読者ならば、どこかで目にしているはずだ。そう、先日も紹介した婦人部越谷支区部長の記事の見出しである。本文中に興味深い記述があるので紹介しておきたい。貧困について説明するくだりである。

 その貧困状態は想像を絶するもので、学校に行けない子供たちや仕事がなくて屯している男性が多く、ゴミの山と野良犬、さらに使えなくなった牛を宗教的な理由で殺さずに棄てるため、街の中は野良牛だらけでした。

この野良牛が興味深い。

わたくしはとっさに、福島原発事故直後のことを思い出した。当時は人間が避難するのがやっとのことで、家畜やペットなどが現地に置き去りにされてしまったのだった。牛舎に繋がれていた牛たちはそのまま餓死するという悲惨な状況だったが、放牧されていた牛たちは逞しくも野生化して、人のいなくなった福島の大地を悠々と闊歩し、野山の草を食んで生き長らえていたのだった。しかし、これらの牛たちは後に殺処分されたとの話である。

これに比べればインドやネパールの人たちのなんと寛容なことかと思う。

それはともかく、あえて言えばこの記事にはじゃっかんの不整合、もしくは登壇者の認識不足があると考えられる。順序が逆になるが、上掲の文章の直前には次のようなことが書かれている。

 ルンビニは釈尊生誕の地であり、それを誇りに思い、釈尊を信じている人が多くおります。
 しかし、末法に熟脱の仏である釈尊を信じても、かえって生命力を失い、人も国も地獄界そのものでした。


この文脈だと、後の宗教的理由云々が釈迦仏法に起因するかのごとく読めてしまう。しかし、おそらくはヒンズー教の影響なのだろうと思う。もっとも顕正会員にしてみれば、釈迦仏法もヒンズー教も結論的には同じということなのだろう。

ところで読者は次の言葉にどのようなイメージを懐くだろうか?

飼い殺し

わたくし自身はあまりよいイメージを持っていないのであるが、手元の辞書で調べるといちばん最初に出てくるのが次の説明である。

役に立たなくなった家畜を死ぬまで飼っておくこと。

これを意外に感じるのは、わたくしだけなのだろうか?

少なくともかつての日本には、家畜における一種の終末ケアのあり方として、このような方法があったわけである。これは不殺生戒の影響でもあるのだろう。これは古きよき日本の風習であって、人間が最期まで面倒を見るという意味では、くだんのインドやネパールよりも遥かに成熟していると言えるかもしれない。彼らは面倒を見ないのだから。しかし、その日本のよき風習も今は廃れてしまった。だったらインドやネパールのほうが遥かにマシかもしれないのだ。

登壇者は人も国も地獄界などと言っているが、かく言う日本も似たり寄ったりだろう、というのがわたくしの結論である。

さて、最後に紹介するのは男子部第七十一隊長の記事である。以下は原文ではないので、ご注意願いたい。

二箇相承の御真跡が出現したら、国立戒壇を否定した宗門もただでは済まない大激震であろう。

何を言っておるのか、この人は・・・

2014/12/30

ブログ依存症  
今朝の元法華講氏のコメントは、なかなか鋭いツッコミだった。

第三者の目から見れば、結局は日蓮正宗すらも創価学会系の枠に入ってしまうのだろう。それが現実である。

これは確かにそのとおりだが、いわゆる第三者をどのレベルに置くかで見方が違ってくるのだと思う。

まさに、ズブの素人であれば元法華講氏の見方が相当である。創価学会のほうがよほど知名度が高い。日蓮正宗はそれほどでもない。そこに漠然とした、日蓮正宗ってのは創価学会と何か関係があるらしい、というような情報がもたらされれば、その人の認識は創価学会系の日蓮正宗となるのかもしれない。

だが、しかし、日蓮正宗の歴史と創価学会の成り立ちを知れば、さらにこれまでの経緯をつぶさに知れば、創価学会が日蓮正宗からの派生団体であることがわかるはずだ。ゆえに、おそらくはどこまで行っても日蓮正宗系のレッテルを剥がすことは不可能だろう、というのがわたくしの見方である。

沖浦氏からは早朝から活発なコメントを頂戴しているが、真ん中のを取り上げたい。

 学会に籍を置いて身の保つはずもない???

ようするに、こんな体験発表を載せているようではダメであると、沖浦氏は言っているわけだ。

これは確かにそのとおりで、わたくしもその意味を込めて取り上げているわけなのだ。ゆえに昨日は、理由もへったくれもない、頭ごなしである、と書いた。

功徳の体験発表は難しい。なぜならば本人の主観がすべてだからである。顕正会員に何か不幸が起これば、それは魔の働きであると言い、同じことが創価学会員や法華講員に起これば、罰だと言う。たぶん、創価学会員や法華講員も似たようなことを言っているはずで、ようはそれぞれが自分の都合に合わせて解釈してしまっているわけなのだ。

ゆえに沖浦氏のように、それらを怨嫉謗法であると断じてしまうのも、一つの見識である。そして他人のことをとやかく言わずに、ただひたすら自分の功徳を語る。実に立派なことだ。

わたくしの意見は、罰を言うのはいい、ただし見え透いたウソはいけない、頭ごなしの決め付けもよくない、そこに注意しないとハタから見ていかにもウサン臭く見えてしまう、すると結局は自分のクビを絞めることになってしまう、ということである。拙ブログの話題は基本的にそうした視点で取り上げているわけである。つまり、一読者として記事を虚心坦懐に読んでいて、あれ? おかしいな? と感じたところを指摘しているのだ。

今日はその一例として、年末合併号の八面にある正義にめざめての記事を紹介しよう。

法華講に入る
   相次ぐ不幸


本年七月十三日に、法華講・創価学会を経て、顕正会に入会してきた女性がいる。上掲はその続きの文章に付けられた小見出しであるが、本文を読むとちょっとヘンな感じがするのだ。まずはワンセンテンスをご覧に入れたい。

 その中、私の弟の子供の心臓に穴が開いていると診断され、手術に必要な血液が集まらず大へん悩んでいたとき、知人から法華講への入信を勧められ、入信したのです。

前掲の小見出しはこの文章の直前に付けられている。すると誰もが不吉な予感を懐くはずである。この後、きっと不幸が訪れる。予定調和的にはそういう流れのはずなのだ。

ところがである。続きの文章は我々の予想を大きく覆すものだった。

 母は毎日、真剣に御本尊に祈ると、手術は成功し、それより母は生涯、御報恩の思いを片時も忘れず「南無妙法蓮華経には力があるんだよ」と常に語っておりました。

いったい、この不整合は何なのだろうか?

実はこの後、次々と不幸が訪れる。詳細は省くが、確かにそれらは不幸に違いない。しかし、上掲は明らかに功徳である。

ちなみに続きを少しだけ紹介すると、次のごとくである。

 しかし御遺命違背の宗門で身の保つはずもなく・・・

もう、おわかりだろう。あまり頭を使っていない。何も考えていないのだ。

創価学会に対しても同じセリフが使われることは先日来の拙稿でよくおわかりいただけたかと思うが、つまりはお決まりの文句として必ず登場するセリフなのである。

せっかくなので、次は「池田礼賛の学会に不信」との小見出しが付けられた一段の冒頭を紹介しよう。

 ある日、知り合いの学会員から「日顕の本尊はよくないから、返したほうがいい」と言われ返納すると、学会版本尊を渡され、学会に入会させられてしまいました。

入会させられたというのがいかにも顕正会目線での言い方であるが、それはともかく、ここまで紹介した範囲だけでも、宗門と創価学会の軋轢であるとか、その間隙を突いて会員獲得を図る顕正会の姿などが、よく見えたのではないかと思う。

言うまでもなく、わたくしは顕正会に肩入れするつもりもなければ、創価学会に対しても同様である。宗門に対しても、常にシンパを謳ってはいるものの、それほどエコヒイキをしているつもりはない。当該記事について言えば、日顕上人御書写の御本尊に祈って心臓の難手術に成功したという厳然たる事実が書かれていることであり、それにもかかわらず編集部が付けた小見出しには「相次ぐ不幸」と書かれているチグハグさを指摘したまでのことである。

これを単なるイチャモン、アゲアシ取りと言われれば、そうかもしれない。

そして中には、オイ、オマエはいつまでこんなことを続けるつもりなのか、とお思いの人もいるかもしれない。

実は拙ブログもいつの間にか十年目を迎えており、自分でもそうした思いを懐いて、常に自問自答しているのである。そろそろやめようか、それとも続けようか、どちらにしようか、と。来年の五月で丸十年になるので、それが一つの目安にはなるわけだが、さて、どうしたものだろうか?

結局、宗門と創価学会と顕正会が、いつまでも泥沼の戦いを続けている有様が、そのまま反映しているのだろう。これが一つの結論である。つまり、彼らがダラダラといつまでもこのテイタラクを続けていることが、わたくしにブログを続けざるを得ないという口実を与えているのだ。

ぶっちゃけ言えば、ブログが自己目的化しているのだ。もっと言うならば、ブログ依存という一種の病理を意味するのだろう。

2014/12/29

師走の一日  
昔の拙稿にコメントがついた。かれこれ十年前の、ブログを始めたばかりのものだ。当時は文章が短くて、すぐに読めてしまう。ようするに四十九院申状は御書なのか否かを論じたものだった。これに対して鬱将軍という人がお考えを書いて下さっているわけだが、それが妥当かどうかはともかくとして、平成新編の冒頭には例言があって、そこには収録不収録の理由がけっこう詳しく書かれている。それにもかかわらず、四十九院申状だけが抜け落ちている。ゆえに、わたくしとしては一法華講員の見解もさることながら、宗門の公式見解がどういうものかを知りたいのだ。その辺をご存知の人がいれば、引き続きコメントをお願いしたいと思う。

祈りが叶うか叶わないかは信心による。

まったくそのとおりだが、ここには顕正会特有の考えが加えられるのだ。たとえば法華講員あたりが、血脈の切れた本尊に祈っても功徳はない、みたいなことを言っているのと同じような感じだろう。これを法華講員特有の考え方だとすれば、顕正会の場合は次のごとくである。

 私の母は、・・・熱心に学会活動をしておりましたが、学会に籍を置いて身の保つはずもなく、我が家は金銭トラブルや家庭不和等、揉めごとがが絶えませんでした。

学会に籍を置いて身の保つはずもなく・・・

もう理由もへったくれもない。頭ごなしである。

沖浦氏や元法華講氏が言うように、この辺は宗門も顕正会も五十歩百歩であろう。ゆえに社会性の意味では創価学会がいちばんマシなのかもしれない。しかし、面白いもので、その創価学会がネット上ではけっこう評判が悪いのだ。当然、人数が多いので相対的に悪口の数も多いのだろうけれども、第三者の目から見れば、結局は創価学会すらも日蓮正宗系の枠に入ってしまうのだろう。それが現実である。

 『この数十年で電車だって、車だって凄くスマートになっているでしょう。
 なのに、学会歌だけは昔の儘なんです。
 これでは世間に遅れてしまう。
 だから私が作っているのです。
 時代はドンドン変化します。
 その変化について行けないなら、広宣流布なんて出来ません。

(以下省略)

これは興味深い発言である。

わたくしはこれまでに何度か、顕正会の実態として、最近は高齢者と外国人の入信が目立つ、これでは顕正会もオシマイだろう、という意味のことを書いてきた。このことを考える上で、上掲はきわめて示唆に富むものだと思った。

今の顕正会は特集号の配布をキッカケに入信する人が増えている。先日来の話に出てくる創価学会からの入会者も特集号が縁だった。これはもう構造的に高齢者の入信が必然的に増加するわけである。老人にもさまざまのライフスタイルがあるわけだが、孤独死の問題にも象徴されるように人付き合いもせずに独りで毎日を過ごしている人も少なくない。それが好きな人はそれでいい。そうではなくて、人間関係に飢えている人もいる。まさに、この人たちが餌食になるのだ。餌食というのは語弊があるけれども、老人たちが詐欺に引っ掛かりやすいのも事実だろう。顕正会の折伏が詐欺だと言いたいわけではない。構造的に似ていることを言っているのだ。

瑣末なことをもう少しだけ書いておくと、最近のマンションはセキュリティがしっかりしていて、いわゆる戸別訪問ができ難くなっている。マンションだけではない。アパートなんかも同様で、敷地の境界にオートロックの扉を設けていたりもするくらいなのだ。

おおむね、若者たちの住んでいるところがこちらで、老人たちの住んでいるところがそうではないという、あくまで大雑把だが峻別ができる。

以上、最近の顕正会は戸別に顕正新聞の特集号を配るという方法で入信者を増やしており、その多くは高齢者であるという実態が垣間見えたかと思う。

そこに沖浦氏からのコメントで新たな知見が加わった。

最近の顕正会は高齢者の入信ばかりが目立って、若者の入信が目立たない。実際、若者の入信は少ないのだろう。その理由であるが、顕正会に若者が集まり難くなったのは早い話が時代遅れだから、ということなのである。

もしこれが正解だとすると、顕正会の未来は相当に深刻である。

さて、ここからは外国人の入信について考えてみよう。これは常に水増し報告の疑惑が付きまとう問題である。入信報告書の偽造が簡単にできてしまう。何しろ相手が外国人なので本部としても調査が困難である。そもそも日本人の入信だって、デタラメの名前を記入して報告書を出すことが可能なのだ。先般の折伏成果は二万七千である。これを一々調べていたらキリがない。ゆえにバレないだろうと高を括って、報告書の偽造をやる人だっていないとは限らないのだ。

いや、もちろん、そんな人ばかりではない。むしろ真面目な人のほうが圧倒的に多いだろう。外国人の入信者が多い組織にしても、善意に捉えれば世界広布を見据えてのことであろうし、そこまで話を大きくしなくても、ごく単純に国籍を問わず一人の人間を折伏するという意味においては尊い行為に違いないのである。

釈尊生誕のルンビニ(ネパール)で大法弘通 婦人部越谷支区部長(第1329号)

貧困に苦悩するネパールの人々 婦人部千葉支区総班長(第1325号)

ネパールより参加、先生の講演に感動 男子部第七十五隊支隊副長(第1322号)

「中国で一人立つ」 男子部第23隊組長(第1321号)


直近の年末合併号から遡って行けば、ご覧のごとくである。

さらに圧巻は顕正新聞第1320号だ。その第五面は海外特集とも言うべきもので、三本の記事すべてが海外での活動を伝えるものである。

フィリピンでも歓喜の五十展転!
 笑顔で入信勤行を待つ長蛇の列

ネパールの人々も仏法を待っている
 大聖人と釈迦仏の関係≠ノ歓喜

第一女子部でもネパール弘通進む
 ネパール版経本で厳粛な勤行
 「勤行の心得」の指導に歓声上がる


上段が女子部第三十二区長、中段が第五女子部幹事・第五区長の登壇、下段は登壇記事ではないが第一女子部長らが渡航したことを伝えている。

凄いことだ。

とりわけネパールが目立つけれども、驚くことには婦人部が二組織、男子部が一組織、女子部が二組織と、組織が入り乱れて活動しているのである。この勢いで行けば顕正会の会館が建つのも時間の問題だろう。

ただし、問題がないわけではない。

これらの記事はすべて八月以降の活動を伝えるものである。つまり、これらの成果がくだんの二万七千を構成しているわけである。以前にも指摘したように、国内と国外の成果がゴチャマゼになっていていいのだろうか、と思う。活動会員たちの多くは真面目である。真面目であるがゆえに、苦労して海外へ成果を求めているのだ。それらがすべて正真正銘の成果だとしても、国内と国外をマゼコゼにしてしまったら、結局は国内組織の空洞化を免れないのだ。しかもである。もし彼らが成果に追われるあまり、苦し紛れに海外渡航をしているとしたら、それは真面目ではないだろう。ある意味では水増し報告と変わらない。酷なようだが偽造と変わらないと言っても過言ではないだろう。そしてこの実態を知りながらも黙認している本部首脳たちも同罪である。

以上、高齢者の問題と外国人の問題は、今の顕正会における構造的な問題を象徴しているごとくである。顕正会は今も拡大路線を続けているわけだが、それが破綻するのも時間の問題だろう。残念ながら、それが現実のようだ。

2014/12/26

冬の一日  
今日はお休みをいただくつもりだったが、いろいろと興味深いコメントが寄せられているので、その返事を兼ねて書くことにしたい。

聖教オンラインの記事を拝見した。正直なところ、よくわからない。ガンジーとキングとイケダがなぜに並列的な存在とされるのか、それがわからなかった。まあ、しかし、ご紹介の意図は別のところにあるのだと思われる。たぶん沖浦氏の引用がデタラメであることを言わんとしているのだろう。その正否はともかくとして、わたくしはただ単にすべての宗教を尊敬すると言っている人が日蓮正宗を激しく批判することの自語相違を指摘したまでのことである。

そして当の沖浦氏もそれに気がついて、今は釈明に躍起になっているようである。このように書くとまた何か言ってくるのだろうけれども、コメントの一部始終を見れば明瞭であり、弁解の余地はないはずだ。

ところで、昨日の拙稿はひじょうに不親切だった。いちばん最後に取り上げた話題がよくなかった。誤解を生じてしまうような安易な引用だったことをお詫びしたい。

学会一家で経済苦・家庭不和・病苦
 先生のご信心に魂が揺さぶられ入会

この命 先生にお預けし御奉公を


本年十月十二日入会の男性である。この人は昭和三十二年に母そして兄弟姉妹とともに創価学会に入信した。しかし、高校卒業と同時に活動をやめ、それより四十五年間、勤行もしていなかったという。現在は六十代半ばなのだと思われる。

本年六月に特集号の配布に訪れた女子部総班長から折伏を受けた。その後、男子部大会にも未入会のまま参加したという。他にもいろいろと書かれているが、煩瑣になるので省略しよう。ともかく紆余曲折を経て、ようやく入会に至るわけだ。

その紆余曲折の中に、次の一文が含まれている。

・・・いざ入会となると、母より譲り受けた、細井日達書写の本尊への執着が拭えずにいたのです。

勤行はしていなかったけれども、執着はあったということらしい。そして入会後は兄弟姉妹を次々に折伏して行く。当然、友人知人も折伏して行くことになるわけだ。そこに次の一文が含まれている。

 また先日、元学会員の知り合いを訪ねて折伏したところ、「学会をやめる際に、本尊返納のため二十万円取られた」と言って憤っており、学会の実態に呆れ果てました。

これで昨日の拙稿の不備は補えたと思う。

今の顕正会は日達上人・日顕上人の御本尊を用いないとしている。では入会者がそれらの御本尊を所持していた場合にはどういった処置が取られるのかであるが、この記事にはそれが何も書かれていない。過去の記事によれば、御寺に返しに行ったというケースもある。しかし、おそらく平均的には本部へ納めるのだと思う。では学会版の本尊の場合はどうするのかであるが、これは創価学会に返すのが一般的だろうと思う。しかし、もしかしたら顕正会本部へ納めるケースのほうが多いかもしれない。いずれにしてもわたくしは顕正新聞の記事以外にはさしたる情報を持っていないので、上述のことは推測を交えた話であることをご了解願いたい。

創価学会からの入会者は決して少なくない。ゆえに、くだんの二十万が本当ならば、それこそもっとたくさんの証言が得られてもおかしくないだろう。しかも上掲の話は基本的には顕正会と無関係である。つまり、顕正会とはまったく無関係のまま、単に創価学会をやめたという話なのだ。そういう人もたくさんいるわけで、もしその人たちが揃いも揃って二十万取られたとすればもっと大問題になってもおかしくないだろう。そこが何とも腑に落ちないところである。

さて、大工の棟梁も取り上げておこう。

 私は北海道に生まれ、中学二年のときから秋田で宮大工の見習いとして一〇年間働き、二級建築士免許も取り、図面の書ける大工として腕も評価されておりました。

ここは問題ない。

 あるとき大林組の監督から、創価学会と日蓮正宗で建てる正本堂の建設に一緒に行ってほしいと頼まれ、昭和四二年、二五歳のときに富士宮に移り住みました。

ここも問題ない。

 棟梁として、いちばん大事な須弥壇の建設を任され・・・

あれれれ?

まず素朴な疑問として、二十五歳の若造が大工の棟梁だというのが信じられない。いや、もちろん、時代が違うので単純は比較できないが、しかし、それにしても二十五歳は若過ぎるだろう。

そしてもう一つの疑問は須弥壇についてである。

宮大工として修行を積んできたのであれば、確かに須弥壇を任されても不思議はない。しかし、そこらの寺院とはわけが違うのだ。本門戒壇と呼ばれる建造物のとりわけ中心部分なのである。

未確認ながら、正本堂の須弥壇はそこらの寺院の須弥壇とはスケールが異なる巨大なものであるからして、ひょっとしたら木造ではないのかもしれない。建物同様に鉄筋コンクリートかもしれないのだ。もしそれが事実ならば、大工の出る幕ではない。

 あるとき、登山に来た少数の団体の若い人が大石寺参道のゴミを拾っている姿を見かけ、近くに行くと「こんにちは」と挨拶され、「どちらの団体ですか?」と聞くと、「妙信講です」と答えてくれました。

この続きも紹介したいのだが、面倒臭いし馬鹿らしいので省略したい。もう説明する気にもならないくらいのウソ臭い話である。昭和四十二年からの五年間で、いったい妙信講は何回御登山したのだろうか? そのうちの一回に出くわすだけでも、それこそ優曇華のごとき低確率である。ゆえに本当だったら凄いことだが、しかし、とてもじゃないが信じ難い。

そういうわけで、あとは読者の判断に任せるけれども、いちおう肯定的な意味では次の一節を引用しておきたいと思う。

 遠回わりはしましたが、今がいちばん楽しく有難い日々であり、広宣流布の暁に大聖人様の御遺命のままに建立される国立戒壇建設の際には、「今度こそお手伝いしたい!たとえゴミ拾いでもいいから使って頂きたい!」と念願しております。

こういうのはウソも本当もないわけで、本人のマゴコロが伝わる感動的な文章である。しかし、現在すでに七十二歳の彼が、はたして国立戒壇建立を見届けることが出来るかといえば、残念ながら無理だろう。それが現実である。

最後に元法華講氏のコメントを引用するつもりだったが、やめることにした。氏は離壇した理由のようなものを書いていて、それがひじょうに興味深い。もっと根掘り葉掘り聞きたくなるくらいだ。しかし、よくよく考えてみれば、すでにこれまでの記述だけでも関係者にはじゅうぶん理解できる内容なのである。少なくとも拙ブログは日蓮正宗の人たちの何人か、もしくは何十人かが観察しているだろうから、氏のコメントが関係者の目に留まる可能性は高い。いや、すでに読まれているかもしれない。すると、どういうことだろうか、元法華講氏はあえて自分の存在を誇示するつもりで、そのようなことを書いているのかもしれないし、あるいは無意識のうちにうっかり書いてしまったのかもしれない。わたくしにはどちらとも判別しかねるので、とりあえずは後者の可能性を考慮してあまり触れないことにしようと思う。今日はこんなところだ。

2014/12/25

十一月度総幹部会の各種記事を読んで  
関の山氏ご紹介のリンクを拝見した。誰だろうとリンクをたどって行くと、その正体が判明した。日蓮宗の老僧である。この人のことは以前より存じ上げている。はっきり言えば、尊敬に値する人物だ。坊さんはたくさんいるけれども、真面目に研鑽している人はそう多くない。そうした中で、この人は別格だと思う。たぶん日蓮正宗の僧侶もこの人には一目置くことだろう。

沖浦氏の、独立した自由人、公式見解に束縛されない人間、というのは実にカッコイイ。しかし、富士門流を矮小な所などというのは、どうかしている。すべての宗教を尊敬するのであれば、富士門流も尊敬すべきだろう。矮小は尊敬の言葉ではない。侮蔑の言葉である。
いずれにしても現時点の創価学会は沖浦氏ほどの極端な逸脱はない。なぜならば御書全集に二箇相承を掲載しているからだ。また、日興上人の御教示も掲載している。もしこれらが御書全集から削除されるようなことがあれば、その時こそ終わりである。

 学会は今回、改めて戒壇の大御本尊様を否定するに至った。完全に第六天の魔王にたぶらかされてしまったのです。このこと、詳しくは後日説明いたします。

これは十一月度総幹部会の会長講演である。浅井先生は後出しジャンケンの天才(?)であるから、十一月末の時点ではご覧のように一言触れただけであって、詳しくは後日を期すというふうに余韻を持たせている。さて、すると十二月度総幹部会でこの話題が取り上げられたはずであるが、いったいどのような話だったのか、わたくしは知らない。顕正新聞の新春号が待たれるところである。

しかし、ネット上でも議論されているごとく、創価学会の大御本尊否定は未だ明瞭ならず、というのがおそらくはもっとも平均的な評価ではないかと思う。彼らも怖くてなかなか踏み出せないのだ。

そこでわたくしの思うには、御書全集の改訂版が一つのバロメーターになるだろう、上述のごとく二箇相承をどうするか、あるいは御義口伝や御相伝書などをどうするか、といったところに彼らの本音があらわれるに違いないのだ。

このように考えると、まだまだ先は長い。むしろ潜在的には大石寺回帰願望を持っている人がたくさんいるはずなので、創価学会の首脳部もヘタは打てない。つまりはこれ以上の教義の改変は不可能というのが、わたくしの見立てである。

もっと凄いことを書いておくと、若い創価学会員の中から澎湃と大石寺回帰運動が起きてくることだって考えられるだろう。もちろん可能性は低いが・・・

二箇相承の話に戻って、わたくしの一貫した姿勢を申し上げておくと、真偽の問題には立ち入らないことである。御書の場合は御真蹟が存在するか否か、これが重要なポイントであることは間違いないわけで、結局のところ二箇相承は御真蹟の所在が不明なものだから、さまざまの議論が巻き起こるのだ。ゆえに御真蹟が発掘ないし発見されれば、そこでゲームセットとなる。今まで限られた史料の中であれこれ論じてきたことが、結果的にはまるでトンチンカンだったということにもなりかねない。いや、もちろん、だからムダだとか、そういうことが言いたいわけではない。むしろ客観的には二箇相承肯定論者のほうが少し不利というか、かなり不利な状況にあると考えられるので、その挽回を図ることが求められているのだと思う。しかし、それはわたくしの仕事ではない。

わたくしはもっと素朴なのだ。

いずれは二箇相承が発見される。その時こそ十月十三日と九月日の疑問がクローズアップされることになる。ところが、今の否定論者たちはこの日付の問題をもってして、だから偽書なのだと頭ごなしに結論付ける。しかし、もし御真蹟が発見されれば、この日付の謎に取り組まなければいけないことになる。

つまり、わたくしの場合は二箇相承が真書であると信じて疑わずに、その前提で疑問に思うところを書いているのである。

ひるがえって、くだんの老僧の話をすれば、彼の論証は相当に緻密ではあるものの、やはりどこかに二箇相承が偽書であるという決め付けがあって、その前提で論じてしまっている気味が感じられなくもないのである。

当然、逆もしかりであって、肯定論者たちの論証も同じである。いわゆるバイアスが掛かっているというヤツだ。

結局はそれぞれが置かれている立場に左右されているというのが現実であって、その度合いは異なるにしても、まったくの第三者から見れば五十歩百歩のところがなきにしもあらずなのだろうと思う。そういうわけで、わたくしは己の立場を明確にした上で、不勉強の自分にはとてもじゃないが真偽の判断を下すことは出来ない、ということを再三にわたって申し上げている次第である。

さて、ついでと言ったら語弊があるけれども、今日は十一月度総幹部会の各種登壇を見ていくことにしよう。

 静岡市民には、家康が駿府城で政治の実権を握っていた時代、静岡は事実上の首都として栄えていたことが語り継がれており、その誇りは今も根づいておりますが、すべては時の実力ある為政者・徳川家康をして、二箇の相承書を守護せしめた大聖人様の偉大な御化導の中にあったことを伏して拝しては命が震え、同時に、大石寺に悪心を懐いた武田信玄の頓死、武田勝頼一族の滅亡に、仏法史観の見識を一重深めさせて頂きました。

第十七婦人部長の登壇である。これは顕正会独自の考え方なのか、それとも日蓮正宗の考え方なのか、そこが気になるところである。さらに続きの文章が興味深い。

・・・何より本化国主たる日興上人の御再誕が出現される静岡に「一期弘法付嘱書」は秘蔵され、皇室が守護付嘱にめざめる時を待っている・・・

顕正会のタイムスケジュールから考えると、日興上人の再誕はすでにどこかに御生まれになっているはずであり、具体的には皇室のどなたかがそれに該当することになるだろう。それはいったい誰なんだろうか?

 ここに、ギリギリの広宣流布最終段階、国難元年に静岡会館が建立され、仏法上の中部地方たる静岡・山梨・長野・岐阜の四県に
 「三年後に一万人中部大会開催」
 の大号令が下されるや、忽ちに「建白書」にご指摘の糸静線断層帯の上に震度六の地震が起きたことに、先生の戦いに相呼応する諸天の怒りを実感とし・・・


凄いことを言うもんだ。先生が三年後に中部大会を開催すると発言したら、それに諸天善神が呼応して震度六の地震を起こしたと、こう言っているわけである。静岡での発言が十月二十六日で地震が十一月二十二日のことである。およそ一ヵ月後に当たるわけだが、おそらく信仰とは無縁の第三者には、単なるコジツケにしか見えないだろう。

次は女子部第百二区長の記事である。

 一壮年に・・・

 また別の一男性に・・・

 さらに一壮年に・・・


こうして区長自らが第一線で戦っている点が好感の持てるところである。しかし、相手が男性ばかりというのが少し気になる。

婦人部南房支区部長の登壇では、創価学会から入会した男性が臨終を迎えたとの話が出てくる。

 このたび、共に御奉公してきた○○○○さんの臨終を通して・・・

ご覧のごとく、亡くなった人は婦人部所属である。前掲の場合は女子部所属となる。いずれにしても本来ならば男子部に移籍するべきなのに、どうやら移籍せずにそのまま御奉公するケースがけっこうあるらしい。さまざまの事情があるので簡単には言えないが、しかし、ここに組織の歪みがあるのは事実だろう。

近年は外国人の入信者も少なくない。後期高齢の入信も目立つ。

これらがどのような結果をもたらすか、わたくしはついつい悪いことばかりを想像してしまう。顕正会の崩壊である。外国人の入信をダメとは言わないが、ここには水増し報告の心配が付きまとう。仮にいちおうは入信勤行をしたとしても、それっきりになってしまうケースが少なくないと考えられるのだ。そして後期高齢者の場合は、いわゆる高齢化社会の問題と相似の関係にある。すなわち、このまま高齢化が進めば日本の将来が危ぶまれるのと同じで、顕正会の将来がひじょうに心配されるわけである。もっとも本部首脳だって、そんなことは百も承知なのだろうけれども・・・

それから「正義にめざめて」の登壇が二つあって、この人たちも相当の高齢であるが、それはさておき内容が気になるところである。

大工の棟梁として正本堂須弥壇を

疑って恐縮であるが、はっきり言ってウソ臭い記事だった。詳細は気が向いたら書くことにしよう。

そしてもう一人の登壇はケシカランものだった。

・・・いざ入会となると、母より譲り受けた、細井日達書写の本尊への執着が拭えずにいたのです。

何を言っておるものかと思う。さらに、こんなセリフもある。

「学会をやめる際に、本尊返納のため二十万円取られた」

元創価学会員の証言だそうである。拙ブログは現役の創価学会員が何人も出入りしているので、当然、反論があるだろう。

2014/12/24

十一月度総幹部会の会長講演を中心に  
沖浦氏は創価学会員であるにもかかわらず、日興上人を痛烈に批判している。これが不思議である。現在の創価学会は日蓮正宗とは袂を分かったものの、基本的には富士門流に属するはずである。当然、日興上人への尊崇を維持しているものと考えられる。ところが沖浦氏だけは、はみ出してしまっている。これが実に不思議だ。

浅井教に毒されているというのは、言葉は悪いがそのとおりだろう。しかし、わたくしは違う。それは前回の拙稿を読めば明らかだろう。熱心な顕正会員は浅井先生を批判しない。どんなことがあっても悪くは言わない。ところがわたくしは言っちゃっているのだ。なぜならば、すでに表明しているように、無所属だからである。

さて、そこで今日の話題であるが、とりあえず十月度総幹部会を取り上げよう。

顕正新聞第1325号に載る会長講演は、ネタ切れを感じさせるものだった。時事問題では女性閣僚のダブル辞任などがあってそれなりに充実しているが、全体的な意味では過去の焼き直し的な話題が多かった。前回も言ったように、四半世紀も顕正会と付き合っているとたいていのことがわかってしまって、もはや新鮮さを味わうことが出来ない。

御聖意に背く
 「立正大師」


これがそうだ。確か平成五年くらいに特別講義みたいな名目で、近代宗門の歴史と今日の問題について講演したのだと思う。これがけっこう面白かった。しかし、今どうしてこれを持ち出してきたのか、その直接的な理由がわからない。勝手な想像をすれば、他に適当な話題がないので講演のボリュームを維持するために使った、ということだと思う。

まあ、しかし、これは先生にとっては酷な話かもしれない。二十一年前の講演であるからして、それ以降に顕正会に入ってきた人たちにとっては初めての話題であり、実に新鮮なはずである。それにイチャモンをつけてはいけないだろう。

考えてみれば、浅井先生も大変である。毎回毎回、コンスタントに講演をこなして行かなければいけないのだ。オマエがやってみろと言われれば、たいていの人が降参せざるを得ないだろう。

さて、次は十一月度総幹部会だ。顕正新聞第1328号である。

二百万の初陣に空前の大法弘通

九・十・十一月度弘通 二万七千四一八名
「大聖人に忠誠貫くは顕正会のみ」に大歓喜


一面の見出しである。二万七千有余名の折伏は確かに凄い。活動会員たちの達成感たるや、万感胸に迫るものがあるに違いない。そしてご存知のごとく、例年、ここで新規会館の建設構想が発表される。それがまた活動会員たちにとっては嬉しいことであり、励みになるのだ。

さて、それではいよいよ会長講演を見ていこう。

二〇一九年までに二百万は必ず成る
 安倍ペテン政権の本質を見抜け
 異次元金融緩和は国家破産を早める


この見出しが会長講演の目玉をあらわしているわけで、一本目はいわずと知れた顕正会の会員数についてであり、残りの二つは政権批判である。

二百万をどのように評価するかは、おそらく内外でほぼ意見が一致しているのではないかと思う。二百万? それがどうしたの? ということだ。もちろん内部の人間は口が裂けてもそんなことは言わないだろうけれども、内心ではそのように思っていても不思議はないだろう。ようするに、それ以前の浅井発言との不整合、具体的には大幅な下方修正ということだが、それに内心ではガッカリせざるを得ないはずなのだ。外部の人間は言わずもがなである。

それはともかく、先ほども書いたように会館の建設構想は内部の人間にとっては嬉しいことであり、励みになる。一種のご褒美みたいなものだろう。これを十一月末の総幹部会で発表するのは実にうまいやり方である。

岡山会館、静岡会館、福岡会館

これが本年竣工の会館である。そして来年は次のごとくだ。

尾道会館、姫路会館、佐渡会館

佐渡会館には展望台を作るらしいが、いったい何を考えておるものかと思う。まあ、それは完成してからのお楽しみということにして、次は明後年の建設計画である。

垂井会館、筑波会館、??会館

何だか知らないが、三会館ずつ建てるのが通例になってしまっているようで、明後年もそのようである。

 三つ目の会館は、現在大規模な会館を検討中です。決定次第、発表いたします。恐らく三月ごろ発表と思っております。

大規模な会館・・・

これは楽しみなことだろう。もちろん活動会員たちにとってはである。

さて、講演の後半は安倍批判のオンパレードである。凄まじい徹底批判ぶりである。そこらの週刊誌も顔負けだろう。見出しをざっと並べれば次のごとくだ。

「安倍ペテン政権の今のうち解散」

安倍首相はウソばかり

異次元金融緩和は「危険ドラッグ」

海外の投機集団は虎視眈々


総選挙の結果はご存知のごとくであるが、浅井先生もすでに結果がわかっていたらしく、講演の中で次のように言っている。

 いいですか。アベノミクスの異次元金融緩和なるものは、まもなく日本経済を破滅させるとんでもないものです。その化けの皮の剥がれる前に解散して、今後四年間の政権延命を図り、その四年間に独裁政治を進めていこうというのが彼の魂胆であります。

しかし、不思議なものだ。先ほど週刊誌顔負けと書いたけれども、安倍批判は顕正会だけが行なっているわけではない。週刊誌も月刊誌も、あるいは弱腰ながらも新聞だって批判を書いている。まったくの無批判というわけではないのだ。また、庶民の生活実感からしても、決して経済状態が芳しいとは思えない。

それにもかかわらず、自公の圧勝だった。

これはある意味、顕正会にとっては期待通りのシナリオなのかもしれない。会長講演の続きをご覧に入れよう。

 アベノミクスの最大の害毒はどこにあるか。それは国家破産を早め、国民生活を奈落の底に突き落とすところにあるのです。

以前も書いたが、これを普通の感覚で読めば、こうなってはいけない、これを何としても回避しなければいけない、と読むはずである。

けれども顕正会の場合は逆なのだ。

闇が深くなればなるほど暁が近い。イメージとしてはそんな感じだ。あるいは荒療治にも譬えられるだろう。これは御書にも出てくることだ。

経済レベルの他国侵逼

浅井先生の新語である。いや、もしかしたら以前にも似たようなことを言っていたかもしれない。

いずれにしても安倍批判の後半は経済問題について詳しく論じている。これが浅井先生のうまいところで、難解な経済問題をわかりやすく簡潔にまとめ上げている。だが、しかし、わたくしのような経済オンチにはよくわからない。

けれども結論部分は簡明直截であって、誰が読んでもわかる。

 さまざまな状況から見て、私は、今後五年以内、二〇一九年までに、国債暴落・国家破産は起こると思っております。

出た。得意の予言である。

たぶん五年後、わたくしはまだ生きているだろう。この予言が当たるかどうか、見届けることが出来る。

話が前後して恐縮であるが、浅井先生は安倍首相の「消費税の再増税を延期するので国民に信を問う」との解散理由を次のごとく痛烈に批判している。

 おかしいでしょ。国民が嫌う増税をするなら信を問うということもあるが、国民の反対がない増税延期の信を問うというのは、辻褄が合わない。ここに世論に迎合しつつの、腹黒い策略があると思われる。

まったくそのとおりだ。

それはそのとおりなのだが、わたくしは次の一段に驚愕した。たぶん、正論ではあるのだろう。いわば浅井先生の対案である。安倍政権を批判するのは簡単だが、では具体的な対案はあるのかと問われれば多くの人が答えに窮することになる。それが現実である。

「増税反対」
 だけで済むのか


わたくしが驚愕したのはこの見出しのついた一段である。ぜんぶを紹介したいとは思うものの、煩瑣でもあるし、また長いと読み飛ばされてしまう可能性があるので、大事なところだけ引用したい。増税反対は与党も野党もマスコミも同じである。そりゃそうだ。しかし、浅井先生はこれを世論への迎合だと言いたいらしい。

 本来ならば、みんなで少しでも税金を納めて国の借金を減らしていこうというのが当たり前です。

確かに正論だ。

 しかし、そのうえで私は、今さらわずか二%ぐらい上げても「焼け石に水」、もう国家破産は避けられないと思っております。

これもそのとおりなのだろう。

本気で財政再建を考えるなら三〇%でしょう。

これには驚いた。驚天動地だ。

こうして具体的な数字を出してきたことについては評価したい。選挙の時にオイシイことだけ言って何一つ実現できない国会議員よりも遥かにマシであることは事実だ。

しかし、これは恐るべき大増税である。五パーセントの時から比べれば、六倍である。

浅井先生は国家破産だとかハイパーインフレだとかで国民が塗炭の苦しみを味わうことになると言うけれども、庶民にとってはこの大増税こそが塗炭の苦しみ以外の何ものでもないのだ。庶民感情としては、別に自分たちが借金を作ったわけじゃない、ダメな政治家たちだとか利権構造の中にいる人たちが作ったのだ、なぜに我々がその尻拭いをしなければいけないのか、ということになるだろう。だったら国なんか潰れちゃえ、ハイパーインフレもドンと来いだ、という投げやりな気分にもなるところである。

この際だから言っておこう、浅井先生はお金持ちだから庶民の感覚がわからない、それであんなことが言えるのだ、と。

う〜ん、今日は長いなあ、文章が・・・

欲張って、もう一つだけ書いておこう。

 異次元の金融緩和を、一部の経済学者はモルヒネという。だが、これは覚醒剤ですよ。いや、もっと劇薬の「危険ドラッグ」です。

たぶん危険ドラッグの用法を間違えているのだと思う。これは少し前まで脱法ドラッグないし脱法ハーブなどと呼ばれていて、ようは麻薬ないし覚醒剤の合法版みたいな感じのものだったのだ。それで若者たちがわりと気軽に使用していた。しかし、法に触れないとは言え、健康を害したり、あるいは車を運転して事故を起こしたりと、さまざまなトラブルが頻発しているのが現状である。そこで注意を喚起する意味で名称を危険ドラッグに変えたのだとわたくしは理解している。

さて、問題はこれがどれくらい周知徹底されているかである。もし仮に国民の多くが知っているとすれば、浅井先生は大恥をかくことになる。本部首脳は先生の原稿を事前にチェックしないのだろうか?

2014/12/23

静岡講演を中心に  
前回、論客たちへの挑戦と書いたところ、それに反応したものか、けっこう激烈なコメントが寄せられている。けれども、それらはどうも筋違いというか、早い話が自分の土俵に引っ張り込んで勝負しようというような感じで、よろしくない。情緒的というのは、良い意味でも悪い意味でも使われる。顕正会の場合はそれがひじょうに効果を発揮していて、会員の心を捉えて離さない。それが顕正会式日蓮本仏論なのだ。たぶん学術的な意味ではダメなのだろう。情緒的なものを排除するのが現代の学問だ。ところが顕正会はずいぶん前に一念信解路線を歩み始めて、今はその延長線上にある。つまり、今の顕正会教学はきわめて情緒的であるが、しかし、それがうまく機能しているのである。

そんなところに御書の真偽を持ち出したところでどうにもならない。少なくとも現場の顕正会員たちにとっては手に負えない話である。ゆえに、そこが攻めどころなのかもしれないが、しかし、手に負えないのだからどうしようもない。そこで話は終わりである。

大会参加者氏は案外にしっかりしている。なぜならば、拙稿に見事に対応しているからだ。

わたくしは前回、二つの問題提起をした。末法の御本仏は凡夫僧である。凡夫僧が金色に輝くのはおかしいのではないか、これが一点目だ。そして竜の口では兵士たちが恐怖のあまり逃げ出したという。ならば、その兵士たちが有難いだのお慕わしいだのと思うのはどうか、ということである。これが二点目だ。

氏はこれに答えて下さったのだ。その回答の是非はともかくとして、拙稿の内容をしっかりと把握した上でコメントを書いているのだから、、他人からしっかりして下さいなどと言われる筋合いはないだろう。

さて、そこで今日は静岡会館での浅井講演を取り上げる。顕正新聞第1326号だ。

「一期弘法付嘱書」の大事 心腑に染めよ
日興上人への付嘱・国立戒壇の御遺命 明白
 「一万人の中部大会」を三年後に開催


これが大見出しだ。今回も論客たちを刺激しそうな内容である。

「一期弘法付嘱書」のこと
「二箇の相承書」の伝持について


静岡講演はこの二つの項目に相当の紙数を割いている。全体の半分以上であろうか。とりわけ二箇の相承書についての言及が注目されるところで、わたくしの記憶する限りでは今回が初めてのことだろう。

 だが、この御真蹟が現在、行方不明なのです。どこにあるのかわからない。

 ということで、この後は二箇相承の伝持について説明するわけだが、おそらくは一般会員向けに話をするのは今回が初めてだろう。かつて克衛あたりが何かの折にしゃべっていたことがあるし、他の大幹部がしゃべっていたこともある。ゆえに幹部向けの指導会みたいな場では言及したことがあるのだろうけれども、一般会員向けに話すのは今回が初めてのことだと思う。

わたくし自身、ひじょうに興味深く読ませてもらった。

というのは、かれこれ四半世紀も顕正会と関係していると、最新の浅井発言であってもその大半が過去の焼き直しであって、新しい話が聞けないからである。その意味で今回の話はひじょうに新鮮だった。

 私は、広宣流布までには必ず一期弘法付嘱書も出現すると確信しております。

説明部分を端折って、いきなり結論部分である。まあ、論客たちには先刻承知の話であろうし、ネット上で調べれば二箇相承の話はいろいろと出てくるはずなので、ここでは省略させていただきたい。

二箇相承について、わたくしなりの疑問を書いておくことにしよう。九月日と十月十三日の関係いかん、ということだ。

日蓮一期弘法付嘱書は九月日、身延山付嘱書は十月十三日、となっている。これが疑問と言えば疑問である。以前、誰かが言っていたことだが、十月十三日は御入滅の当日であり、こんな切羽詰まった時にあのような御書を御認めになるだろうか、という疑問がある。一般人の感覚では臨終間際に字が書けるのかという疑問もあるだろう。御本仏なら可能だというのは、いわゆる情緒的な回答である。わたくしはそれならそれで結構なのだが、しかし、そうすると今度は九月日が疑問なのである。なぜ日付を入れなかったのかである。御入滅の時にはしっかりと日付を入れておきながら、その一ヶ月前のものには入れていない。この理由がわからないのだ。しかも内容的には九月日の御書のほうが大事とされているわけだから、この日付の欠損というか未記入の意味がきわめて重要になってくる。これについて、何かご存知の人がいれば、よろしくご教示願いたいと思う。

さて、話を変えよう。

 国立戒壇が建立された時には、その南西に宮城が移るのです。

これがわからない。何を根拠に言っているのだろうか?

浅井先生は日興上人の御指南をもとに言っているらしいが、その続きの文章を読むと拡大解釈にも程があると思えてならない。次のくだりがそれだ。

 そうなってくると、本門戒壇の南西側の一帯は、王城を中心とした日本の中心の都になる。この静岡市も当然その一帯の中に含まれる。

だから顕正会の静岡会館は、静岡市のとりわけ駿府城の辺りが最適地だと判断したらしいのだ。

しかし、これはいかにもコジツケである。たぶん、南西側というのは京都御所と延暦寺との位置関係を言うのだろうけれども、そもそも迹門戒壇と王城との位置関係がそのまま本門戒壇と王城との位置関係に当てはまるのか、それが疑問である。しかもである。もしそれが正解だとしても距離がぜんぜん違うのである。叡山と御所とはせいぜい十キロくらいの距離である。では本門戒壇の建立地と静岡市はいったいどれほど離れているのかである。五十キロくらいありそうだ。

大本門寺の規模を考えれば相当という解釈もなくはないが、しかし、いかがなものかと言わざるを得ないだろう。常識的には富士宮市から富士市くらいが相当と思う。

浅井先生も場当たり的に発言していることが多いので、いずれはまた違ったことを言うだろう。すでに浜松に会館がある。いわゆる県西だ。すると、そのうち県東にも会館が建つ。バランス的には沼津あたりが相応しいとは思うが、あるいは富士宮あたりに建つかもしれない。そうなれば上掲の話は反古ないし自然消滅することになるだろう。

面白いことには、その傍証ともなるべき発言がある。なんと、この静岡講演の中にあるのだ。

 きょうのこの御入仏式には、静岡・山梨・長野・岐阜の四県の幹部が参列しております。この四県は日本列島の中央部だから、ここを中部地方という。私はことに仏法上の意味で中部地方と言っております。

わたくしは地理的な意味で愛知が外されていることに疑問を持ったが、それよりも何よりも次の発言が注目である。

 で、近畿とは地理的にどの範囲かというと、近畿の「畿」とは都ということ、昔から都に近い国々を近畿といったのです。

これは京都会館での講演である。この部分はまだいい。この続きが問題なのだ。

 具体的にいえば、京都府・大阪府・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県・三重県の二府・五県。さらに私は、これに隣接して縁の深い北陸三県と岐阜と愛知を加えて、仏法上の近畿圏であると考えております。

ありゃりゃ、岐阜が入っちゃってる。しかも驚くことには、なんとこれは昨年の八月の発言なのである。そして前掲のごとく、つい最近は岐阜を仏法上の中部地方に入れている。

この行き当たりばったりは、いったいどうしたものだろうか?

最後に二箇相承の話に戻って、浅井講演を少し引用しておく。

・・・大石寺に火を放った五年後、信玄は頓死した。これ罰であります。

・・・武田勝頼は徳川家康に攻め込まれ、一族ひとり残らず自害し、滅亡してしまった。これも北山本門寺から二箇の相承書を奪った罰であります。


浅井流仏法史観というヤツだ。

戦国時代の一つの大きな流れとも言うべき出来事に、こうした仏法上の因縁があったとすれば、それは驚きである。しかし、ここには疑問があって、ではすべてのことが説明できるのか、である。本能寺の変はどうか、関が原の戦いはどうか、勝ったほうが功徳で負けたほうが罰みたいな、そんな単純な話ではあるまい。いかに浅井先生でもすべてのことを説明できるわけがないのだ。しょせん、歴史の中のごく一部のことしか説明できないとすれば、それはコジツケであろう。

この点は関の山氏の指摘も相当であろうと思う。

2014/12/20

情緒的日蓮本仏論  
沖浦氏のコメントを拝見して思ったのは、一石二鳥ということだ。氏はパワーリフティングの選手であり、かつまた指導者でもある。しかし、かの競技はそれほどメジャーではなく、おそらくは競技人口もそれほど多くはないだろう。ゆえにジム経営は決して楽ではないと思う。ところがである。氏のこれまでのコメントには、スキーの選手が来ている旨の記述があったりもするのだ。氏はスキーヤーでもあるから、そのツテなのだろうけれども、単なるお付き合いだけではないようだ。ようするにウエイトトレーニングは、ほぼすべてのスポーツ選手にとって必要不可欠のトレーニングメニューなのだ。よって、沖浦氏のジムは二つの意味で有用なのだと考えられる。すなわち専門競技としてのパワーリフティングと、その他の競技選手にとっての基礎トレーニングである。

さらに話を発展させれば、介護問題に対する一つの光明でもあると思う。単純な話だが、介護する人もされる人も筋力が必要なのである。介護する人の職業病とも言われる腰痛は、筋力の増強を図ることで改善されるはずである。また、そもそもが介護される人のほうこそ筋力を付けるべきで、そうして自分の力で何でも出来るようになれば、介護問題は解決である。

もちろん、こんなことは常識であって、世界中で実践されていることなのだろう。理屈はそのとおりだが、現実はなかなか難しいことでもある。結局、最終的には誰もが力尽きて死んで行くのだから、ましてや医学の進歩によって簡単には死ねないわけだから、筋力増強がすべての問題解決とはならないのは理の当然である。

まあ、しかし、対症療法的な意味において、さしあたっては有効とは言えるだろう。筋肉を鍛えるのは大変だが、衰えるのはあっと言う間である。まさに寝たきりの人がそれなのだ。一度衰えてしまうとなかなか回復しない。ましてや気力まで衰えてしまうと、ますます悪循環を起こすことになる。もはやこうなると自分で頑張ろうにもどうにもならなくなる。こうした時に専門家が必要とされるわけだ。その意味で沖浦氏らの活躍が期待されるところである。

さて、日蓮本仏論関連で注目すべき記事があるので紹介したい。

顕正新聞第1323号は岡山会館での会長講演がメインであるが、内容的にはそれほど注目すべき点が見当たらない。わたくしがもっとも注目したのは、五面下段に掲載されている第二婦人部長の「竜の口法難会の指導を拝聴して」と題する班長会での登壇記事である。

光り輝く頸の座の御尊容に衝撃
 理屈抜きに「有難い」「お慕わしい」の思い


他門はいざ知らず、日蓮正宗系は竜の口法難をもって大聖人の発迹顕本としている。ようするに久遠元初の自受用身の成道を遂げられたということだ。

この自受用身という用語はきわめて特殊であって、先日も指摘があったごとく、ごく一部の御書にしか出てこない言葉なのだ。これらの御書を偽書と断言して憚らない人もいるくらいだ。けれども、わたくしは真偽を判断するだけの能力がないので、基本的には大石寺の判断を信用することにしている。顕正会もわたくしと同じであって、基本的には大石寺教学にほぼすべて準拠している。

ところがである。実は創価学会もそうなのだが、顕正会にも宗門とは一線を画す独特の何かがあるのだと思う。

具体的な例を挙げるのが難しい。

たとえば、境界と境涯がわかりやすいかもしれない。創価学会は境涯を多用しているように思うが、仏法用語としては境界が正しい。この場合は創価学会特有の語彙なのだと思う。宗門でも境涯を使う人がいるとは思うが、たぶんそれは創価学会の影響だろう。古来から境涯が使われていたとは思われない。つまりはこれが宗門とは一線を画すことの一例である。

では顕正会の場合はどうかであるが、わたくしは自受用身がそうなのだと思う。

もちろん、これは顕正会が作った言葉ではなく、御書ないし御歴代上人の御指南に基づくものである。だが、しかし、さすがに多用し過ぎだろう。宗門ではこんなに日常茶飯的に使ってはいないはずだ。ところが浅井先生は何かと自受用身を使いたがるのだ。

この辺がわたくしにはじゃっかんの違和感があるところなのである。

偽書濃厚とされる御書にしか出てこない用語だからではない。日蓮本仏論の上で自受用身がどれほどの意味を持つのか、わたくしにはわからないからである。

さて、前置きが長くなったが、そうした中で第二婦人部長の記事を読んでけっこう驚いた。

 これまで私にとっては、頸の座にお坐りになられ成道をお遂げあそばした大聖人様の御尊容は、なんと畏れ多いことかと、ただひれ伏す思いが強かったのです。

これまで云々と。この言い方はこれまでとは違った拝し方が出来るようになったことを示唆しているわけだが、その答えはすでに出ている。前掲のごとく、ようは自受用身がどうのこうのではなく、理屈抜きに有難い・お慕わしいとの思いを懐いたということなのだ。

ここで御大会式講演を紹介しよう。竜の口講演にも同様の記述があることは申すまでもない。

 このとき、月のごとくなる光り物が出現して太刀取りは眼くらんで倒れ伏した。

この続きが注目である。

 同時に、この大光明に照らされて大聖人様の御身は光り輝き給うた。まさに久遠元初の自受用身の大境界を事相に現わし給うたのです。

ちなみに、ここには小見出しが付けられている。

事相に輝き給う

じゃっかんの疑問を呈しておけば、三十二相をお付けにならない名字凡夫の大聖人が光り輝くのはどうか、ということである。

だが、しかし、それはしばらく置くことにして、話を戻す。次は再び第二婦人部長の記事である。

 思えば、大現証を目の当りにし、殺意が一瞬にして帰依に変わった兵士たちも、恐怖のあまり帰依したのではなく
 「昨夜来、まのあたりに拝みまいらせたことなど見れば、あまりの尊さに、これまで唱えていた念仏はもう絶対に唱えません」と申し出たごとく、八幡大菩薩の叱咤から、光り輝く大聖人様の御尊容まで、その一部始終を見届けた兵士たちにも、「有難い」「お慕わしい」の恋慕渇仰の思いが湧いていたことを大確信いたします。


ここである。ここがもっとも驚いたくだりである。新境地とも言えるだろう。

だが、しかし、ここにもじゃっかんの矛盾が感じられるのだ。具体的に説明するために、まずは竜の口講演をご覧いただこう。この部分は御大会式講演よりも少し詳しく書かれている。先ほど紹介したごとく、竜の口では月のような光り物が出現した。問題はその後である。

 その強烈な光に、太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、刀は幾つにも折れて落ちた。
 それを見て、周囲を囲んでいた数百人の兵士たちは、恐怖のあまり一斉に一町ほども逃げ出し、ことごとく砂浜にへたりこんでしまった。


いかがだろう、恐怖のあまり逃げ出したという兵士たちが、有難い・お慕わしいと思うだろうか?

つまり、善意に解釈すれば新境地とも言えるだろうけれども、従来の説明とは相容れないものがあるのも事実である。この整合性をどうするかが問題だ。

ちなみに、わたくしは矛盾をあげつらうだけではなく、新境地の可能性にも言及したわけだが、それには理由がある。

悪くない。そう思ったからだ。

恐怖の結果、入信するというのがよくないのだ。それよりは感激のあまり入信せずにはいられないというほうが、ポジティブでいいだろう。

引き続き第二婦人部長の記事を紹介する。

 また後日、満月のような光物は、絶大威徳の大現証を見せしめただけではなく、久遠元初の自受用身としての御成道をお遂げあそばされた大聖人様の、その御姿を照らす働きもあったことをお聞きし、さらなる震えるような感動を味わいました。

事相に輝き給うと同一歩調の文章である。さらに続きをご覧に入れたい。

 立宗宣言の時には日天子に照らされて大聖人様は金色に輝き奉り、御成道の際には月天子に照らされて光り輝く、なんと崇高な光景なのか、理屈抜きに「有難い」「お慕わしい」の思いが胸に満ちてまいります。

情緒的である。顕正会の日蓮本仏論は相当の部分が情緒的である。もちろん「論」と言っているのはわたくしであり、彼らがそう言っているわけではない。彼らは理屈抜きなのである。理屈抜きの感動を味わっているのだ。

以上、今回の拙稿はいわば論客たちに対する角度を変えた挑戦である。

2014/12/18

上行再誕論の重要性について  
元法華講氏は神力品を勝手に読んでいるという。これは驚きである。その後のコメントでは功徳の体験発表の予告のようなことを書いている。なるほど、沖浦氏と意気投合するのも無理のない話である。ただし、沖浦氏は神力品を読んでいないだろうから、元法華講氏の考えでは不可のはずである。この辺がいわゆるゴリヤク信仰の優劣の付け難さを象徴しているのだろう。単に現証だけを論じてもダメなわけで、そこには自ずと道理と証文が要求されるわけだ。

関の山氏のコメントを拝見して思うことは、だから何なの? ということである。

ケンカを売っているような書き方をしてしまったけれども、現実的な問題として言えるのは、その手の話はすでに十年前から承知していることである。たぶん、わたくしのみならず日蓮正宗系の諸氏にとっては先刻承知のことであり、今さら驚くに値しないことなのだ。
そして不思議なことには、ほとんどの人たちが動かない。動かないというのは動揺しない意味でもあるが、そうではなくて現実的にどこかに改宗するというような具体的なアクションを起こさない。もちろん、ゼロではないのだろうけれども、全体の割合としてはアクションを起こす人はごく少数である。
では、破邪顕正の精神で反論を構える人がどれくらい存在するかであるが、これも割合としては少数である。ネット上でその手の情報は目にするものの、結局は何もしない人が大多数なのだ。

これについて、思うところは多々あるのだが、今回はやめておこう。構造的にはわたくしが顕正会批判を書いても熱心な活動会員たちは動揺しないのと同じなのだと思う。しょせんは落ちぶれ会員がグチを吐いているだけだと・・・

2014/12/18 0:17
投稿者:んっ?
巌虎さん,こんばんは!

>五老僧すら雖近而不見
>ようするにあの五老僧ですら大聖人が上行菩薩の再誕であることを
>知らなかったと言っているわけである。

紙面を読んだわけではありませんので,判りませんが
此れは異なるのではありませんか?

外用の辺たる「上行菩薩」再誕までは信じていたが
内証が「本佛」たるを知らなかったという事では?

ですから「日蓮大菩薩」と「悪しく敬って」いるんでしょう?


このコメントが面白かった。

五老僧が大聖人を上行再誕と認識していたかどうかについては、それこそ道理と証文が要求されるところである。前回の拙稿で最後に触れたように、五人所破抄に基づけば五老僧は上行再誕がわからなかった。ただし、日向記を信用するならば、少なくとも日向はわかっていたはずである。では、この他にそうした具体的な文証が存在するかどうか、ということなのだ。

次は浅井講演である。

 近年では、不相伝の身延派等の日蓮宗諸派でも、御書を研究するにつれて「大聖人は上行菩薩の再誕」という所まではやっとわかってきた。

つまり、浅井によれば、日蓮宗が上行再誕を主張するようになったのは後年のことであり、大聖人の御在世はもちろんのこと、滅後もしばらくの間は上行再誕がわからなかった、ということなのである。

ここで浅井が引用した五人所破抄を紹介しておこう。

 そこに日興上人は五人所破抄において
 「天台・伝教は迹化の薬王菩薩の後身であり、日蓮大聖人は本化・上行菩薩の再誕である。どうして地涌の菩薩を指して天台の末流などと称するのか」(取意)
 と、五人を破折しておられる。


取意が悩ましい。ようするに浅井流の意訳であるから、これが正解かどうかは議論の余地があるわけだ。まあ、しかし、このまま話を進めよう。

浅井講演では本尊抄を引用して、あの富木殿ですら上行再誕を理解していなかったことを論証している。本尊抄の引用部分は省略して、講演の本文をご覧に入れたい。

 「四大菩薩」とは別しては上行菩薩のことです。上行菩薩出現の先兆たる前代未聞の大地震・大彗星はすでに現われている、とは仰せ給うとも、上行菩薩すでに出現、とは直截に仰せられていない。
 ですから、富木殿は大聖人様に「上行菩薩はいつごろ御出現になるのでございましょうか」とご質問申し上げている。
 このとき大聖人様は「お前はバカだなぁ」(大爆笑)……、とはおっしゃらない(大爆笑)。


富木殿の質問というのは、四菩薩造立抄のことであろう。悩ましい御書であるが、ともかく同御書において大聖人は、自分が上行菩薩であるとは仰っていない。そしてご存知のごとく、大半の御書が同様であって、御自身を上行菩薩であるとは言わないのだ。

前回も書いたように、浅井講演はこの上行再誕に相当の紙数を費やしている。つまりはこれが日蓮本仏論の最重要ポイントと言ってもいいくらいであって、まずはここをクリアできるかどうかが大問題なのだ。

浅井講演では他にもたくさんの御書を引用しているが、煩瑣になるのでやめておこう。大略は上述のごとくである。

よって、日向記の問題はあるものの、大筋の意味においては浅井説で正解なのだと思う。ようするに、五老僧は上行再誕を理解していなかった。もし他に具体的な反証が出てくれば話は別であるが、おそらくは相当に困難であろう。

さて、せっかくなので、浅井講演から他に注目すべき点を挙げておこう。

 私は一昨年、戒壇の大御本尊様のご安危を憂えて、巨大地震にも耐え得る新御宝蔵の建造と、不敬の御開扉中止を求める「建白書」を提出しました。
 しかし、未だに何の返事もない。これから先どうなるか。私たちの力の及ぶところではない。


こういうのは根回しが必要である。ようはパイプ役になる人物を置いて、事前交渉をするのだ。これを顕正会員ならばイヤらしく感じるかもしれないが、別にそんなことはない。世間普通の義である。実際、昭和四十年代には妙信講と宗門ないし創価学会の間で、何度も会談が行なわれている。文書だけではダメなのだ。

 以来、私は毎朝、勤行の初座において諸天善神に対し「諸天善神、南無本門戒壇の大御本尊を守護し奉り給え」とひたすら祈念しております。

何とも悩ましい限りである。

 顕正会がどうなろうと、こうなろうと、戒壇の大御本尊様を御守護申し上げることこそ最大事であります。

だからわたくしは宗門復帰を言うのだ。最大限の譲歩をしてでも復帰すべきである。

もしかしたら以前、宗門と顕正会の間で秘密交渉のようなことがあったのかもしれない。当然、双方の言い分というか条件の提示が行なわれただろう。そこで顕正会側は不利な条件を突きつけられて呑めなかった。けれども浅井先生が本気で顕正会がどうなろうとこうなろうと構わないと思っているのならば、呑むべきなのだ。

 必ず近き広宣流布の暁まで、国立戒壇に御出ましになるまで、戒壇の大御本尊様を、何としても顕正会の信心でお守り申し上げなければ、と私は存じております。

俗に言う神頼みになってしまっている。

さらに、イジワルを言えば、我々は日々の勤行で御本尊にご祈念申し上げるわけだが、この場合の浅井先生は諸天善神に祈念しているのだ。何となくパラドクスを感じさせる話である。まさか先生には諸天を駆使する力があるということか?

ちょっとイジワルが過ぎたかもしれないが、ともかく悩ましい話である。これを宗門関係者がどのように受け取るか、その本音を聞いてみたいものだ。

2014/12/16

本年の御大会式講演について  
沖浦氏と元法華講氏が意気投合しているのが奇妙だ。たぶん部分連合なのだろう。なぜならば、両者は大石寺を激しく批判しているものの、必ずしも立場が同じというわけではないからだ。前者は創価学会員、後者は詳細不明だが、いわゆる他門の人のようである。

神力品を読まない正宗系は、「神」の「力」を得られませんから仕方ない事です。

元法華講氏は神力品をお読みになっているらしい。

しかし、この議論はめずらしい。いわゆる方便品の読不読論争は古来から存在するけれども、神力品のそれは聞いたことがない。元法華講氏は神力品だけを読んでいるのか、あるいは本門八品を読んでいるのか、それとも一部読誦なのか、この辺が興味深いところである。

いずれにしても徐々にその正体をあらわし始めた・・・などと書くのは失礼だかもしれないが、ぶっちゃけ言えば、そんな感じであろう。

さて、本題である。

わたくしも宿題が溜まりに溜まって困り果てているわけだが、ここらで本年の御大会式について書いておきたい。顕正新聞第1327号掲載の会長講演についてだ。

まず、どうでもいいことから書くと、当該号は内容とは別の意味で批判が上がっていた。あまりにも遅いではないかと。申すまでもなく、御大会式は十月一三日が当日である。しかし、当該号は十一月二十五日号なのだ。丸々一ヶ月遅れは新聞報道としてどうなのかという批判である。

もっともな話であるが、こうした体質は今に始まったことではないので、わたくし的には今さら批判する気にもならない。

実を言うと、わたくしは御大会式の講演がけっこう楽しみだったりもするのだ。その理由は浅井先生の日蓮本仏論を聞けるからである。浅井流日蓮本仏論。たぶん先生が聞いたら怒るだろう。いや、逆に喜ぶかもしれない。おそらくは日蓮本仏論みたいな言い方自体が学者ぶっていてよろしくないというのが怒る理由であり、逆に曲がりなりにも肯定的な評価だという意味では喜ぶかもしれない。

いずれにしても確実に言えることは、御法門についての講演だということだ。

つまり、今は月例の御書講義がないので、御法門のことを語る機会が激減しているのだ。そうした意味で御大会式の講演は貴重である。御法門の中でも特に重要なテーマが語られるからである。

わたくしは浅井先生を文底読みの名手だとか種脱相対の名人みたいに評してきた。その手腕が存分に発揮される機会が御大会式講演なのだ。

日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身
大聖人の御振舞いは久遠元初の再現
 御本尊は大慈悲の結晶、ただ恋慕渇仰を


これが大見出しであるが、あるいは疑問に思う人がいるかもしれない。浅井流日蓮本仏論がどれほど素晴らしかろうと、毎年毎年、同じ講演をやっていれば飽きられてしまうのではないか、と。

確かにそうかもしれない。外部の人間だけではなく、あるいは熱心な活動会員の中にも内心ではそのように感じている人がいるかもしれない。
しかし、すでに書いたように、わたくしは毎年楽しみにしているし、実際、毎回の講演を素晴らしいと思っている。浅井先生の引き出しは奥が深いのだ。
そして浅井先生自身も飽きられないようにと工夫しているのだろう。テーマは同じでも切り口が違うと新鮮に感じるものだ。一口に日蓮本仏論と言ってもさまざまの角度から論ずることが出来る。先生はそうやって意識的に聴衆を飽きさせない工夫をしているのだと思う。

上行菩薩の再誕すら難信難解

今回の日蓮本仏論はこの辺にかなりの紙数を費やしている点が注目される。

この見出しに続いて、「上行菩薩再誕の確証」「外用浅近と内証深秘」とあるが、この三つだけで一ページ以上を使っている。全体で三ページ半、写真などを除けば実質三ページ分の講演である。ここまで説明すれば充分だろう。大聖人が上行菩薩の再誕かどうかがどれだけ重要なポイントであるか、ということだ。

さて、ここで批判に転じよう。わたくしには次の一段がわからなかった。

 五老僧すら
   雖近而不見


ようするにあの五老僧ですら大聖人が上行菩薩の再誕であることを知らなかったと言っているわけである。上行菩薩はいわゆる外用浅近の辺である。それがわからないのでは内証深秘の辺がわかるわけがない。

だが、しかし、それは本当だろうか?

つい最近、たまたま御講聞書を拝読していて、気がついたことがある。筆記者であるところの日向は、内証深秘の辺はさすがに無理にしても外用浅近の辺においては相当のところまで到達しているのではないか、と思うのだ。

 仰せに云はく、寿量品の南無妙法蓮華経是なり。地涌千界の出現、末法当今の別付嘱の妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給ふべき仏の勅使上行菩薩なり云云。

「日蓮己証の事」と題する一段の冒頭の一節である。筆記者はこれほどの講義を受けていながらも理解できなかったのだろうか? そんなバカなことはないと思うのだが・・・

今末法の時は所弘の法は法華経本門、事の一念三千の南無妙法蓮華経なり。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にて御座し候はん。

これは「天台大師を魔王障碍せし事」という、題名からすると意外な感じがするけれども、冒頭には「此の事は随分の秘蔵なり」とあるごとく、なかなか凄いことが記されている一段なのだ。

御義口伝も御講聞書も大聖人の講義を筆録したものである。わたくしは以前、何かの解説書を読んだ折、二つの講義録では前者のほうが優れているという意味のことが書かれていて、未熟にもそれを鵜呑みしていたのだが、どうやらそれは誤解だったようである。そもそもが同じ講義を二人がそれぞれの能力に応じて筆録したというわけではないのだ。別々の講義なのである。だとすれば、どちらが優れているか劣っているかを言うのはおかしな話で、それでは大聖人にケチをつけているのと同じである。日蓮正宗系は民部日向を悪者扱いにしているので、おそらくはそこから偏見が生じてしまっているのだと考えられる。この点は反省しなければならないだろう。

話がやや脱線してしまったが、いずれにしても五老僧が上行再誕を理解していなかったというのは必ずしも正解ではなく、少なくとも民部日向は理解していたと考えざるを得ないところである。

しかし、さらに話が面倒になるのを承知で書けば、五人所破抄の記述が問題となる。実際、浅井先生は五人所破抄を引いて前述のように言っているわけだから、先生一人を責めるわけにはいかない。こうした文献上の不整合をどのように解釈すべきかは、顕正会だけでなく宗門ないし創価学会などにも責任があるだろう。もっとも、これはわたくしが不勉強なだけで、すでに解決済みの問題なのかもしれないが・・・


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