2015/1/31
今月最後の独白
沖浦氏による聖教新聞の引用には不正確なところがあった。んっ?氏の指摘を受け、後に沖浦氏自らが訂正のコメントを入れた。
この中で、本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊と(十界曼荼羅と言う表現です)、それを書写した本尊で、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。
これが訂正後の文章であるが、それにしてもどうかと思う。ようは引用ではなく意訳なのだ。しかも意訳というのは訳者の主観が存分に含まれている場合が少なくない。事実、上掲がそうだと思う。
聖教新聞掲載の原文を確認していないけれども、上掲の文章は明らかにおかしい。その理由を図式化すれば次のごとくなるだろう。
本門の本尊=大聖人御図顕の全ての本尊≧それを書写した本尊≧戒壇本尊
オイオイ、順番がデタラメ過ぎるだろうが、と言いたい。
たぶん日蓮正宗の認識はこの正反対なのだろう。それはもちろん議論の分かれるところであるが、少なくとも二番目と三番目がアベコベであることは確実である。ようするに、御真筆御本尊すべてが本門の本尊であって、当然ながら戒壇本尊もそこに含まれるわけで、順番としてはその後に書写本尊が来なければいけないのだ。
つまり、前掲の文章には、意識的なのか無意識的なのか、そこまでは断定できないけれども、戒壇本尊を貶めようとの意図があらわれてしまっているわけなのだ。
もっとも前回も指摘したように、創価学会は日寛上人の書写本尊を用いており、上人は戒壇本尊本懐論者であるからして、その書写本尊を用いている時点でチグハグ感は拭えない。ゆえに沖浦氏一人が責められるべきことでもないのだろう。やはり創価学会に問題が存することは否定できないと思う。彼らの言う書写本尊は、現状では大石寺歴代上人によるものなので、それが将来的に身延や池上の住職が書写した本尊でもよいとされれば話は別であるが、たぶんそれはないだろうから、しょせんは現状を肯定するための論理、すなわち自己正当化の論理を言っているだけなのだ。
以上、訂正後の文章を踏まえて、改めて書かせていただいた。
ところで、前回は更新中に関の山氏からコメントが寄せられ、行き違いになってしまっていた。都合の悪いコメントでもあるし、そのまま知らん振りをするのも一つの手ではあるが、それでは進歩がないので少し考えを述べてみようと思う。
いつものごとく、よくわからない。それが結論だ。
いつぞや大黒を供養して候ひし・・・
真間釈迦仏御供養逐状の一節である。当該御書は冒頭に富木殿が釈迦仏を造立した旨が記されており、これが曼荼羅正意論者にとって都合の悪い御書であることは明らかだ。しかも上掲のような一節まで含まれているのだから、ひじょうに悩ましい限りである。
平成新編御書では、昭和四十一年発行の昭和新定御書収録分のうち、三十二書を偽書と判定して収録しなかった。そのうちのいくつかを挙げれば次のごとくである。
大黒天神相伝肝文、大黒送状、大黒天神供養相承事、大黒天神御書
先入観による偏見からなのか、いかにも偽書臭いものばかりである。しかし、いつも言っているごとく、わたくしには判断する能力がないし、そうした材料も持ち合わせていない。まあ、思いつくまま書くならば、まずは当該御書を読んで法門上の問題点を探ることだろう。それと同時に、鎌倉時代における大黒信仰の実態などを調べる必要がある。今のわれわれの感覚だと釈迦像すらも謗法なのだから大黒などは論外となるわけだが、それはあくまで現代感覚に過ぎない。それもいわゆる日興門流に属する人たちが培ってきた感覚であって万人共通の感覚ではないのだから、これを基準に考えるわけにはいかない。ようはバイアスの掛かった頭で考えても意味がないということだ。
それはさておき、今月はなぜか顕正会の話題をあまり書かなかった。そこで今さらながら顕正新聞新春号からいくつか話題を拾っておこう。
準特集号
ケッタイな言い方である。誰が言い出したものか知らないが、十一月度総幹部会の会長講演が載っている号をこのように言うらしい。
第十五女子部長によれば、
政治家はもとより全日本人が顕正会の勢いには度肝を抜かれ・・・
とのことだ。また、次のようにも言っている。
そこに経済学者をしのぐ卓抜なるご見識で・・・
浅井先生のことを言っているわけだ。つまり、くだんの会長講演は経済事案について詳しく論じており、それが経済学者をしのぐ内容だと言いたいわけなのだろう。いつものパターンである。
それはともかく準特集号はいかがなものかと思う。特集号でいいはずだ。これでは松竹梅だとか大中小だとか上中下のごとく、ランク付けを意味しているみたいでよろしくない。特集号は面白い、準特集号はそこそこ面白い、あとはツマンナイ、と言っているみたいなものである。実際、つまらないのだが・・・
「同志の臨終を守って」
内容は省略するが、これはいい記事だと思う。わたくしは文句ばっかり言っているわけではないのだ。
しかし、創価学会から入会した人の記事で、疑問に思うものがあった。はたして次の一節は本当だろうか?
先輩から供養金を月に七〇万円集めてくるように言われ・・・
次の一節も疑問だ。
病院で検査を受けると、悪性の胃癌で「余命三年」と宣告されたのです。
余命三年が理解できない。わたくしはシロウトではあるものの、これには経験的に疑問を拭えなかった。余命宣告としては三ヶ月だとか半年くらいが妥当なところで、おそらくは一年保たないというのが一般的な最長リミットだと思う。寿命など、いくら医師であってもわからない。ただ経験的に、病状が悪化すれば、この病気はこれくらいという目安があるだけなのだろう。それが一年以上になると、いつと断定するのはひじょうに難しいことで、いったい何を根拠に三年と宣告したのか、それがまったくわからないのだ。ゆえに創価学会から顕正会に移って、その功徳で胃癌が消滅したかのごとく言っているけれども、必ずしもそれが理由ではないと思う。
細井日達書写の御本尊を本部会館に返納いたしました。
先日のスクープ情報を思うと、ひじょうに悩ましい限りである。
最後に、第五婦人部幹事・下北支区部長の記事から、二つほど紹介して終わりたい。
毎年の暮れに奉安殿前の石畳に座する先生のお姿を偲びまいらせては涙が止まらず・・・
誰だかの目撃情報によれば、今は別の場所で行なっているそうである。確かに浅井先生が大石寺の境内に足を踏み入れれば、法華講の猛者たちが黙ってはいないだろう。
先生の諫暁に即刻、呼応する諸天の働き・・・
相変わらずだ。
この中で、本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊と(十界曼荼羅と言う表現です)、それを書写した本尊で、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。
これが訂正後の文章であるが、それにしてもどうかと思う。ようは引用ではなく意訳なのだ。しかも意訳というのは訳者の主観が存分に含まれている場合が少なくない。事実、上掲がそうだと思う。
聖教新聞掲載の原文を確認していないけれども、上掲の文章は明らかにおかしい。その理由を図式化すれば次のごとくなるだろう。
本門の本尊=大聖人御図顕の全ての本尊≧それを書写した本尊≧戒壇本尊
オイオイ、順番がデタラメ過ぎるだろうが、と言いたい。
たぶん日蓮正宗の認識はこの正反対なのだろう。それはもちろん議論の分かれるところであるが、少なくとも二番目と三番目がアベコベであることは確実である。ようするに、御真筆御本尊すべてが本門の本尊であって、当然ながら戒壇本尊もそこに含まれるわけで、順番としてはその後に書写本尊が来なければいけないのだ。
つまり、前掲の文章には、意識的なのか無意識的なのか、そこまでは断定できないけれども、戒壇本尊を貶めようとの意図があらわれてしまっているわけなのだ。
もっとも前回も指摘したように、創価学会は日寛上人の書写本尊を用いており、上人は戒壇本尊本懐論者であるからして、その書写本尊を用いている時点でチグハグ感は拭えない。ゆえに沖浦氏一人が責められるべきことでもないのだろう。やはり創価学会に問題が存することは否定できないと思う。彼らの言う書写本尊は、現状では大石寺歴代上人によるものなので、それが将来的に身延や池上の住職が書写した本尊でもよいとされれば話は別であるが、たぶんそれはないだろうから、しょせんは現状を肯定するための論理、すなわち自己正当化の論理を言っているだけなのだ。
以上、訂正後の文章を踏まえて、改めて書かせていただいた。
ところで、前回は更新中に関の山氏からコメントが寄せられ、行き違いになってしまっていた。都合の悪いコメントでもあるし、そのまま知らん振りをするのも一つの手ではあるが、それでは進歩がないので少し考えを述べてみようと思う。
いつものごとく、よくわからない。それが結論だ。
いつぞや大黒を供養して候ひし・・・
真間釈迦仏御供養逐状の一節である。当該御書は冒頭に富木殿が釈迦仏を造立した旨が記されており、これが曼荼羅正意論者にとって都合の悪い御書であることは明らかだ。しかも上掲のような一節まで含まれているのだから、ひじょうに悩ましい限りである。
平成新編御書では、昭和四十一年発行の昭和新定御書収録分のうち、三十二書を偽書と判定して収録しなかった。そのうちのいくつかを挙げれば次のごとくである。
大黒天神相伝肝文、大黒送状、大黒天神供養相承事、大黒天神御書
先入観による偏見からなのか、いかにも偽書臭いものばかりである。しかし、いつも言っているごとく、わたくしには判断する能力がないし、そうした材料も持ち合わせていない。まあ、思いつくまま書くならば、まずは当該御書を読んで法門上の問題点を探ることだろう。それと同時に、鎌倉時代における大黒信仰の実態などを調べる必要がある。今のわれわれの感覚だと釈迦像すらも謗法なのだから大黒などは論外となるわけだが、それはあくまで現代感覚に過ぎない。それもいわゆる日興門流に属する人たちが培ってきた感覚であって万人共通の感覚ではないのだから、これを基準に考えるわけにはいかない。ようはバイアスの掛かった頭で考えても意味がないということだ。
それはさておき、今月はなぜか顕正会の話題をあまり書かなかった。そこで今さらながら顕正新聞新春号からいくつか話題を拾っておこう。
準特集号
ケッタイな言い方である。誰が言い出したものか知らないが、十一月度総幹部会の会長講演が載っている号をこのように言うらしい。
第十五女子部長によれば、
政治家はもとより全日本人が顕正会の勢いには度肝を抜かれ・・・
とのことだ。また、次のようにも言っている。
そこに経済学者をしのぐ卓抜なるご見識で・・・
浅井先生のことを言っているわけだ。つまり、くだんの会長講演は経済事案について詳しく論じており、それが経済学者をしのぐ内容だと言いたいわけなのだろう。いつものパターンである。
それはともかく準特集号はいかがなものかと思う。特集号でいいはずだ。これでは松竹梅だとか大中小だとか上中下のごとく、ランク付けを意味しているみたいでよろしくない。特集号は面白い、準特集号はそこそこ面白い、あとはツマンナイ、と言っているみたいなものである。実際、つまらないのだが・・・
「同志の臨終を守って」
内容は省略するが、これはいい記事だと思う。わたくしは文句ばっかり言っているわけではないのだ。
しかし、創価学会から入会した人の記事で、疑問に思うものがあった。はたして次の一節は本当だろうか?
先輩から供養金を月に七〇万円集めてくるように言われ・・・
次の一節も疑問だ。
病院で検査を受けると、悪性の胃癌で「余命三年」と宣告されたのです。
余命三年が理解できない。わたくしはシロウトではあるものの、これには経験的に疑問を拭えなかった。余命宣告としては三ヶ月だとか半年くらいが妥当なところで、おそらくは一年保たないというのが一般的な最長リミットだと思う。寿命など、いくら医師であってもわからない。ただ経験的に、病状が悪化すれば、この病気はこれくらいという目安があるだけなのだろう。それが一年以上になると、いつと断定するのはひじょうに難しいことで、いったい何を根拠に三年と宣告したのか、それがまったくわからないのだ。ゆえに創価学会から顕正会に移って、その功徳で胃癌が消滅したかのごとく言っているけれども、必ずしもそれが理由ではないと思う。
細井日達書写の御本尊を本部会館に返納いたしました。
先日のスクープ情報を思うと、ひじょうに悩ましい限りである。
最後に、第五婦人部幹事・下北支区部長の記事から、二つほど紹介して終わりたい。
毎年の暮れに奉安殿前の石畳に座する先生のお姿を偲びまいらせては涙が止まらず・・・
誰だかの目撃情報によれば、今は別の場所で行なっているそうである。確かに浅井先生が大石寺の境内に足を踏み入れれば、法華講の猛者たちが黙ってはいないだろう。
先生の諫暁に即刻、呼応する諸天の働き・・・
相変わらずだ。
2015/1/29
本年最初のビックリ
驚くことばかりだ。今朝の沖浦氏のコメントにも驚かされた。
漸く創価学会の教学も、私に追いつきはじめましたね。
凄いことを言うものだ。もっとも氏の放言は今に始まったことではないので、聞いている側も慣れっこになってしまっている面がある。つまり、驚き半分・呆れ半分が正確なところかもしれない。
それはともかく、今朝の聖教新聞の記事もまた、驚きだった。
本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊で(十界曼荼羅と言う表現です)、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。
う〜ん、悩ましいところだ。
まして、弘安二年の御本尊につながらなければ他の本尊は一切力用を発揮しないとなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人仏法に違背するものであることは明白である。
原文を確認していないことをお断りしておきたい。いずれも沖浦氏のコメントの中から拾ったものである。
何が悩ましいかと言えば、上掲は極端には間違っていないことである。以前にも書いたように、わたくしは他の御真筆御本尊への信仰を否定しない立場である。今の日蓮正宗ないし顕正会は戒壇本尊オンリーのようなところがあるけれども、ならば大講堂の御本尊はどうなのか、あるいは本山ないし末寺に存在するであろう戒壇本尊以外の御真筆御本尊はどうなのか、という問題が解決できなくなると思うのだ。しかし、創価学会が全国の会館に安置しているであろう本尊は大石寺の歴代上人が書写した御本尊なのだから、現時点で上掲のごとく言うのはチグハグ感が拭えないところでもある。だから悩ましいのだ。
しばしばウワサで耳にするのは、創価学会が全国に散在する御真筆御本尊を物色しているという話である。その信憑性がどれほどのものか知らないが、確かに上掲の発言とは整合性が高いように思える。ようするにツジツマが合っているということだ。
それはさておき、前回のコメントの中でいちばんビックリしたのは以下である。
2015/1/28 11:22
投稿者:地獄耳
テーマから外れたコメントになりますが、各方面に反響をもたらすことが必至なことなので、お知らせします。
顕正会は、すべての組長に対して御本尊を下附する方針を決定しました。
数万人規模に及び、同時にその場所での入信勤行の執行も正式に許可されました。
今後、入信の偽装はもちろん、入信早々のものたちによる、取り返しのつかない不敬が全国で横行することでしょう。
もはや過去の指導との整合性は崩壊。会員数拡大のためとはいえ、迷走はとうとう暴走へと変わりつつあります。
老害でしかない。
引退してもらいたい。
一貫不変、伝統精神、
なんとなく文末が不自然である。これは何を意味するのだろうか?
極秘情報を漏らすことへの躊躇みたいなものかもしれない。
しかし、拙ブログへ投稿するということは、影響力を考慮してのことだと考えられる。ウヌボレながらも拙ブログはそれなりに影響力がある。宗門や創価学会の人たちも閲覧しているはずなので、まさに各方面へ反響をもたらすことになるだろう。もはや情報は止められない。
この人が誰なのか知らない。しかし、浅井先生を老害だとして引退を勧告する点からすれば、顕正会の将来を憂えての発言なのだろう。
ならば聞いてみたいものだ。
浅井先生の次は誰なのか、誰が相応しいのかである。
顕正会の唯一の求心力、それが浅井先生なのだと思う。いつまでも現役を続ける理由は本人のモチベーションがどうであれ、自分が退いたら顕正会は保たない・潰れるということがあるわけで、それは本人だけでなく本部の中枢にいる人たちの共通した認識のはずである。もし別の意見があるのならば、ぜひ聞いてみたいものである。
それにしても驚きである。本尊下付のことだ。
すなわち、すべての組長に御本尊を下付するという方針は、まさに過去の指導との整合性の崩壊であり、迷走から暴走へ、そして自爆へと向かうことを意味するわけで、断じてあってはならないことである。
わたくしの思うに、これは顕正会を憂えて言うのではなく、顕正会にいる人たちを憂えて言うべきことである。
どういう意味か?
「何としても八百万学会員を救いたい」
これは浅井先生の常套句である。昨年末の総幹部会でも同様の発言があったごとくである。つまり、先生は創価学会を救いたいのではなく、創価学会員を救いたいと言っているのだ。たぶん、拙ブログに出入りしている沖浦氏たちが読めば、何を言っておるものかと思うだろうし、アンタに言われたくないよと思うはずであるが、ともかく浅井先生の常套句はご覧のごとくである。
まったく同じ理屈である。
もはや顕正会なんてどうでもいい。潰れるなら潰れればいいのだ。しかし、そこにいる人たちが不幸になってはいけない。
だから以前から言っているのだ。宗門に復帰しなければいけないと。そこで御本尊を頂戴すれば何の問題も生じない。
話が少し複雑だ。
創価学会は脱日蓮正宗・脱戒壇本尊を図っている。これが堕地獄の因であると顕正会では言っているのだ。その顕正会がである。戒壇本尊への信仰は堅持しつつも、なぜか脱日蓮正宗を進めているのである。そして独自の本尊下付を画策している。
いったいどのようなロジックでこれを行なおうとしているのかが問題だ。
わたくしにはそれがわからない。
つまり、創価学会のやっていることが地獄の業因ならば、顕正会のやっていることも同じなのではないか、五十歩百歩なのではないか、というのがわたくしの見方である。
いずれにしても今回の方針が事実ならば大事件である。これは本年最初のビックリではなく、顕正会の歴史の上でもマレに見るビックリである。また、注目すべきことは、これを総幹部会などの公式の場で発表するのか、それとも隠密裏に行なうのか、である。公式発表をすれば過去との不整合を突っつかれる。隠れて行なえばそれはそれで突っつかれる。どの道、批判されるのだ。繰り返しになるが、わたくしにはどう考えたって正当化する論理が見当たらないのである。
漸く創価学会の教学も、私に追いつきはじめましたね。
凄いことを言うものだ。もっとも氏の放言は今に始まったことではないので、聞いている側も慣れっこになってしまっている面がある。つまり、驚き半分・呆れ半分が正確なところかもしれない。
それはともかく、今朝の聖教新聞の記事もまた、驚きだった。
本門の本尊とは大聖人御図顕の全ての本尊で(十界曼荼羅と言う表現です)、戒壇本尊もそれに含まれるが、戒壇本尊のみが本門の本尊ではない。
う〜ん、悩ましいところだ。
まして、弘安二年の御本尊につながらなければ他の本尊は一切力用を発揮しないとなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人仏法に違背するものであることは明白である。
原文を確認していないことをお断りしておきたい。いずれも沖浦氏のコメントの中から拾ったものである。
何が悩ましいかと言えば、上掲は極端には間違っていないことである。以前にも書いたように、わたくしは他の御真筆御本尊への信仰を否定しない立場である。今の日蓮正宗ないし顕正会は戒壇本尊オンリーのようなところがあるけれども、ならば大講堂の御本尊はどうなのか、あるいは本山ないし末寺に存在するであろう戒壇本尊以外の御真筆御本尊はどうなのか、という問題が解決できなくなると思うのだ。しかし、創価学会が全国の会館に安置しているであろう本尊は大石寺の歴代上人が書写した御本尊なのだから、現時点で上掲のごとく言うのはチグハグ感が拭えないところでもある。だから悩ましいのだ。
しばしばウワサで耳にするのは、創価学会が全国に散在する御真筆御本尊を物色しているという話である。その信憑性がどれほどのものか知らないが、確かに上掲の発言とは整合性が高いように思える。ようするにツジツマが合っているということだ。
それはさておき、前回のコメントの中でいちばんビックリしたのは以下である。
2015/1/28 11:22
投稿者:地獄耳
テーマから外れたコメントになりますが、各方面に反響をもたらすことが必至なことなので、お知らせします。
顕正会は、すべての組長に対して御本尊を下附する方針を決定しました。
数万人規模に及び、同時にその場所での入信勤行の執行も正式に許可されました。
今後、入信の偽装はもちろん、入信早々のものたちによる、取り返しのつかない不敬が全国で横行することでしょう。
もはや過去の指導との整合性は崩壊。会員数拡大のためとはいえ、迷走はとうとう暴走へと変わりつつあります。
老害でしかない。
引退してもらいたい。
一貫不変、伝統精神、
なんとなく文末が不自然である。これは何を意味するのだろうか?
極秘情報を漏らすことへの躊躇みたいなものかもしれない。
しかし、拙ブログへ投稿するということは、影響力を考慮してのことだと考えられる。ウヌボレながらも拙ブログはそれなりに影響力がある。宗門や創価学会の人たちも閲覧しているはずなので、まさに各方面へ反響をもたらすことになるだろう。もはや情報は止められない。
この人が誰なのか知らない。しかし、浅井先生を老害だとして引退を勧告する点からすれば、顕正会の将来を憂えての発言なのだろう。
ならば聞いてみたいものだ。
浅井先生の次は誰なのか、誰が相応しいのかである。
顕正会の唯一の求心力、それが浅井先生なのだと思う。いつまでも現役を続ける理由は本人のモチベーションがどうであれ、自分が退いたら顕正会は保たない・潰れるということがあるわけで、それは本人だけでなく本部の中枢にいる人たちの共通した認識のはずである。もし別の意見があるのならば、ぜひ聞いてみたいものである。
それにしても驚きである。本尊下付のことだ。
すなわち、すべての組長に御本尊を下付するという方針は、まさに過去の指導との整合性の崩壊であり、迷走から暴走へ、そして自爆へと向かうことを意味するわけで、断じてあってはならないことである。
わたくしの思うに、これは顕正会を憂えて言うのではなく、顕正会にいる人たちを憂えて言うべきことである。
どういう意味か?
「何としても八百万学会員を救いたい」
これは浅井先生の常套句である。昨年末の総幹部会でも同様の発言があったごとくである。つまり、先生は創価学会を救いたいのではなく、創価学会員を救いたいと言っているのだ。たぶん、拙ブログに出入りしている沖浦氏たちが読めば、何を言っておるものかと思うだろうし、アンタに言われたくないよと思うはずであるが、ともかく浅井先生の常套句はご覧のごとくである。
まったく同じ理屈である。
もはや顕正会なんてどうでもいい。潰れるなら潰れればいいのだ。しかし、そこにいる人たちが不幸になってはいけない。
だから以前から言っているのだ。宗門に復帰しなければいけないと。そこで御本尊を頂戴すれば何の問題も生じない。
話が少し複雑だ。
創価学会は脱日蓮正宗・脱戒壇本尊を図っている。これが堕地獄の因であると顕正会では言っているのだ。その顕正会がである。戒壇本尊への信仰は堅持しつつも、なぜか脱日蓮正宗を進めているのである。そして独自の本尊下付を画策している。
いったいどのようなロジックでこれを行なおうとしているのかが問題だ。
わたくしにはそれがわからない。
つまり、創価学会のやっていることが地獄の業因ならば、顕正会のやっていることも同じなのではないか、五十歩百歩なのではないか、というのがわたくしの見方である。
いずれにしても今回の方針が事実ならば大事件である。これは本年最初のビックリではなく、顕正会の歴史の上でもマレに見るビックリである。また、注目すべきことは、これを総幹部会などの公式の場で発表するのか、それとも隠密裏に行なうのか、である。公式発表をすれば過去との不整合を突っつかれる。隠れて行なえばそれはそれで突っつかれる。どの道、批判されるのだ。繰り返しになるが、わたくしにはどう考えたって正当化する論理が見当たらないのである。
2015/1/27
本年最初のサイテー
ユタ氏の読み筋どおりに更新するのがシャクではあるものの、そろそろ話をまとめないといけないだろう。前回の特別企画は、全体の反応はそれほどでもなかったが、ごく少数の人たちの間で大いに盛り上がった模様である。わたくしとしては満足できる結果を得られたと思っている。
結論を言おう。沖浦氏の敗北である。
このロジックは実に単純明快であり、おそらくは誰も反論できないと思う。以下、そのことを説明しよう。
神社参詣の是非ということで、わたくしは過去の創価学会の見解を折伏教典から引き出してきた。沖浦氏はこれに対して、昔のラブレター理論で対抗しようとした。また、んっ?氏とのやりとりの中では、御書を長々と引用して自説を正当化しようとした。
まず、御書の引用自体がナンセンスである。あえて語弊を承知で言えば、この際、大聖人は関係ないのだ。大聖人が何をおっしゃろうが関係ない。なぜならば今は創価学会の見解を問うているからである。
ところが沖浦氏はそれに何も答えられなかった。
・・・会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
現物を確認していないけれども、これが十一月八日付の聖教新聞に掲載された原田会長の発言だそうである。創価学会は戒壇の大御本尊に対する態度・姿勢を変更した。つまり、折伏教典などに見られる過去の見解とは異なるわけである。
ここで沖浦氏の常套手段がいわゆる過去のラブレター理論なのである。
いちおう、この理論を正当なものと認めよう。そう、認めるのである。
では、神社参詣の是非はどうなのか、である。問題はくだんの理論を神社参詣の是非に援用できるかどうかなのだ。
ここで気がつかなければいけない。
わたくしは過去の創価学会の見解を出した。その上で現今の創価学会の見解を問い質した。神社参詣の問題についてである。ところが沖浦氏はこれにまったく答えていないのである。
過去のラブレター理論は、過去と現在との相違を前提に成り立っている。ようするに現在を正当化するために、過去は関係ない、過去のラブレターを持ち出して別れた相手のことをとやかく言うのはみっともない、などと言い放つわけなのだ。
戒壇の大御本尊に対する態度・姿勢においては、まさにそのとおりかもしれない。しかし、神社参詣の問題は話が別である。ゆえに、まずは現今の創価学会が神社参詣を是としていることの文証を示さなければいけない。ところが沖浦氏はその作業すらしていない。これでは話にならないだろう。
しかもである。再掲しよう。
大謗法の地にある・・・
この表現は実に重い。創価学会は今も謗法厳禁の精神を堅持している。たぶんタテマエではあるのだろうけれども、公式に言っているわけだからきわめて重要な発言である。これは日興上人の身延離山の精神にも通じるところかもしれない。
だとすれば、沖浦氏の日興上人批判は完全なる逸脱となるだろう。
そもそもが、謗法厳禁と神社参詣禁止はその精神において通底する。ゆえに過去の創価学会は神札を焼いたり、その他、種々の謗法払いを行なってきたのである。たぶん今はそれも相当に緩くなっているのだろうけれども、上掲のごとく、大石寺を大謗法の地と言い放つくらいなのだから、謗法には厳格なのである。たとえそれがタテマエであっても、公式見解であることに変わりはない。
よって、現今の創価学会が神社参詣を是とする何か決定的な文証が示されない限り、沖浦氏の敗北は確定である。繰り返し言うが、この場合、御書は関係ない。あくまで創価学会の見解を聞いているのである。
それはさておき、んっ?氏にもクギを刺しておかなければいけない。
これは本人も重々承知していることであり、わたくしのような外部の人間からは言われたくないだろうけれども、しかし、言っておかなければならない。ようするに創価学会が相当に変質してきたことは動かざる事実なのである。先ほど、タテマエという言葉を使ったのも、その伏線の意味を込めてだった。
実際、正信掲示板では次のような発言が見られる。
[13639] RE:神への信仰 Name:よしりん 2015/01/10(土) 07:41
広宣流布大聖堂に行った折りに
せっかくの東京なんだから
明治神宮にも参拝してきた。
大阪のような「いやらしさ」のないところが、
東京のいいところ。
大阪より、日本的?なところは、魅力的である。
[13640] おまけ Name:よしりん 2015/01/10(土) 07:52
無論、靖国神社にも参拝。
先人の尊い犠牲のもとでの今日の繁栄
報恩感謝するのは
当然の話である。
よしりん氏ですら、このテイタラクである。いわんや、それ以下においてをや、であろう。
わたくしの見るところ、よしりん氏は過去の創価学会に対する憧憬のようなものを持ち続けていて、他の創価学会員とは一線を画する孤高の存在のようなところがある。実際、ネット上では他の会員たちとあまり交流していない。正信会系の掲示板をホームグランドにしていること自体が、それを証明しているようなものである。いずれにしても古きよき時代の創価学会に憧憬を懐く点で、悪く言えば過去に縛られていることにもなるが、良く言えば一貫性がある、筋が通っている、筋金入りの信心、というようなことになる。
そのよしりん氏ですら神社参拝を肯定している。もはやこうなると大多数の創価学会員が同様なのだろう。これが現在の創価学会の実態なのだろうと想像されるわけだ。
話をまとめよう。
創価学会は謗法厳禁の精神から神札を焼きその他の謗法払いを行なってきた。いちおう今もその精神を堅持しているようには見えるが、それはあくまでタテマエであって、現実には相当に軟化している。おそらく現時点では態度保留ということなのだろう。さすがに謗法解禁みたいなことを公式に宣言するわけには行かないだろうから、このままアイマイにしたままで過ごすのかもしれない。
結論を言おう。沖浦氏の敗北である。
このロジックは実に単純明快であり、おそらくは誰も反論できないと思う。以下、そのことを説明しよう。
神社参詣の是非ということで、わたくしは過去の創価学会の見解を折伏教典から引き出してきた。沖浦氏はこれに対して、昔のラブレター理論で対抗しようとした。また、んっ?氏とのやりとりの中では、御書を長々と引用して自説を正当化しようとした。
まず、御書の引用自体がナンセンスである。あえて語弊を承知で言えば、この際、大聖人は関係ないのだ。大聖人が何をおっしゃろうが関係ない。なぜならば今は創価学会の見解を問うているからである。
ところが沖浦氏はそれに何も答えられなかった。
・・・会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
現物を確認していないけれども、これが十一月八日付の聖教新聞に掲載された原田会長の発言だそうである。創価学会は戒壇の大御本尊に対する態度・姿勢を変更した。つまり、折伏教典などに見られる過去の見解とは異なるわけである。
ここで沖浦氏の常套手段がいわゆる過去のラブレター理論なのである。
いちおう、この理論を正当なものと認めよう。そう、認めるのである。
では、神社参詣の是非はどうなのか、である。問題はくだんの理論を神社参詣の是非に援用できるかどうかなのだ。
ここで気がつかなければいけない。
わたくしは過去の創価学会の見解を出した。その上で現今の創価学会の見解を問い質した。神社参詣の問題についてである。ところが沖浦氏はこれにまったく答えていないのである。
過去のラブレター理論は、過去と現在との相違を前提に成り立っている。ようするに現在を正当化するために、過去は関係ない、過去のラブレターを持ち出して別れた相手のことをとやかく言うのはみっともない、などと言い放つわけなのだ。
戒壇の大御本尊に対する態度・姿勢においては、まさにそのとおりかもしれない。しかし、神社参詣の問題は話が別である。ゆえに、まずは現今の創価学会が神社参詣を是としていることの文証を示さなければいけない。ところが沖浦氏はその作業すらしていない。これでは話にならないだろう。
しかもである。再掲しよう。
大謗法の地にある・・・
この表現は実に重い。創価学会は今も謗法厳禁の精神を堅持している。たぶんタテマエではあるのだろうけれども、公式に言っているわけだからきわめて重要な発言である。これは日興上人の身延離山の精神にも通じるところかもしれない。
だとすれば、沖浦氏の日興上人批判は完全なる逸脱となるだろう。
そもそもが、謗法厳禁と神社参詣禁止はその精神において通底する。ゆえに過去の創価学会は神札を焼いたり、その他、種々の謗法払いを行なってきたのである。たぶん今はそれも相当に緩くなっているのだろうけれども、上掲のごとく、大石寺を大謗法の地と言い放つくらいなのだから、謗法には厳格なのである。たとえそれがタテマエであっても、公式見解であることに変わりはない。
よって、現今の創価学会が神社参詣を是とする何か決定的な文証が示されない限り、沖浦氏の敗北は確定である。繰り返し言うが、この場合、御書は関係ない。あくまで創価学会の見解を聞いているのである。
それはさておき、んっ?氏にもクギを刺しておかなければいけない。
これは本人も重々承知していることであり、わたくしのような外部の人間からは言われたくないだろうけれども、しかし、言っておかなければならない。ようするに創価学会が相当に変質してきたことは動かざる事実なのである。先ほど、タテマエという言葉を使ったのも、その伏線の意味を込めてだった。
実際、正信掲示板では次のような発言が見られる。
[13639] RE:神への信仰 Name:よしりん 2015/01/10(土) 07:41
広宣流布大聖堂に行った折りに
せっかくの東京なんだから
明治神宮にも参拝してきた。
大阪のような「いやらしさ」のないところが、
東京のいいところ。
大阪より、日本的?なところは、魅力的である。
[13640] おまけ Name:よしりん 2015/01/10(土) 07:52
無論、靖国神社にも参拝。
先人の尊い犠牲のもとでの今日の繁栄
報恩感謝するのは
当然の話である。
よしりん氏ですら、このテイタラクである。いわんや、それ以下においてをや、であろう。
わたくしの見るところ、よしりん氏は過去の創価学会に対する憧憬のようなものを持ち続けていて、他の創価学会員とは一線を画する孤高の存在のようなところがある。実際、ネット上では他の会員たちとあまり交流していない。正信会系の掲示板をホームグランドにしていること自体が、それを証明しているようなものである。いずれにしても古きよき時代の創価学会に憧憬を懐く点で、悪く言えば過去に縛られていることにもなるが、良く言えば一貫性がある、筋が通っている、筋金入りの信心、というようなことになる。
そのよしりん氏ですら神社参拝を肯定している。もはやこうなると大多数の創価学会員が同様なのだろう。これが現在の創価学会の実態なのだろうと想像されるわけだ。
話をまとめよう。
創価学会は謗法厳禁の精神から神札を焼きその他の謗法払いを行なってきた。いちおう今もその精神を堅持しているようには見えるが、それはあくまでタテマエであって、現実には相当に軟化している。おそらく現時点では態度保留ということなのだろう。さすがに謗法解禁みたいなことを公式に宣言するわけには行かないだろうから、このままアイマイにしたままで過ごすのかもしれない。
2015/1/23
本年最初の特別企画
前回、閲覧諸氏の見解を伺ったところ、約一名からの返信のみで、あとはナシのツブテだった。単に相手にしてもらえないだけなのか、それとも難し過ぎて誰も答えられないのか、微妙なところではある。
それにしても貴重なリンクのご紹介をたまわった。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A5%8F%E7%8A%B6
わたくしは御書は読むけれども解説書は読まない。こう書けば格好つけているように思うかもしれないが、そうではない。なぜならば、他の古文書にはまったくの無知だからである。つまり、御書しか読まない。ゆえに、わかっていないことがたくさんある。
先般引用した念仏者追放宣旨御教書事の引用文だが、その出典と思しき資料が判明した。それが上掲なのである。
興福寺奏状 第五
第五に霊神を背く失。
念仏の輩、永く神明に別る、権化実類を論ぜず、宗廟大社を憚らず。もし神明を恃めば、必ず魔界に堕つと云云。実類の鬼神においては、置いて論ぜず。権化の垂迹に至っては、既に是れ大聖なり。上代の高僧皆以て帰敬す。かの伝教、宇佐宮に参じ、春日社に参じて、おのおの奇特の瑞相あり。智証、熊野山に詣(けい)し、新羅神を請じて、深く門葉の繁昌を祈る。行教和尚の袈裟の上に、三尊影を宿し、弘法大師の画図の中に、八幡質(すがた)を顕はす。是れ皆法然に及ばざるの人か、魔界に堕つべきの僧か。なかんずく、行教和尚、大安寺に帰りて、二階の楼を造りて、上階に八幡の御体を安じ、下階に一切経論を持す。神明もし拝するに足らざれば、如何ぞ聖体を法門の上に安ぜんや。末世の沙門、なほ君臣を敬す、況んや霊神においてをや。此のごときの麁言、尤も停廃せらるべし。
リンク先から拝借してきたものである。これが平成新編所収の「一 霊神を蔑如する事」の原典らしいのだ。しかし、すでに表題からして違っているし、内容的にもかなりの相違がある。煩瑣になるので御書の引用は控えるが、その相違の意味は何だろうと考えるに、いわゆる転写ないし孫引きによるものではないかと想像する。パソコンならばコピペで済む。逆に現代においてはそれが問題になったりもするわけだが、ともかくコピペならば誤写はあり得ない。しかし、当時はパソコンもなければコピー機もない。ゆえに手書きで写しているうちに、徐々に内容が変わってきてしまうようなことがあったのだろう。
ちなみに当時もいわゆる形木による印刷はあった。しかし、印板を作るまでの労力と時間を考えたら、筆写のほうが遥かに効率的だった。
それはさておき、話を少し戻そう。
念仏の輩、永く神明に別る・・・
専修の輩永く神明を別へず・・・
煩瑣になるので御書の引用は見送ったけれども、せっかくなので冒頭の部分だけ紹介しておこう。上段が原典と思しきもので、下段が御書の該当部分である。念仏と専修は同じ意味とは言え、筆写の段階でこんな間違いをするとはなかなか考えづらいところである。また、「別る」と「別へず」はおそらく訳者ないし編者のセンスの問題だろう。原文は漢文体なのだと思われる。
面倒臭がりのわたくしはやらないけれども、こうした細かい相違をチェックしていくことで、何か新しい発見があるかもしれない。当然、このような方法論は、真面目に研究している人たちにとっては先刻承知のことなのだろう。ただし、実行している人がいるかどうかは、微妙なところであるが・・・
さて、わたくしは冒頭で約一名云々と書いた。約二名と書いてもよかった。ようするに沖浦氏を入れるか入れないかは微妙なところなので、そのようなアイマイな書き方をしたわけである。
ともかく沖浦氏の妄執を打ち破る作業は困難を極める。そこで特別企画を考えた。
「神札を焼くような信心はごめんですよ」
という人がいる。
わたくしの手元には折伏教典がある。改訂二十八版だ。昭和四十三年という微妙な年数が気になるところで、国立戒壇の問題と絡めて論じても面白いところだが、今回は別の話題である。
上掲は「神の種類と批判」と題する項目の冒頭のくだりである。まさに語るに落ちるという表現がピッタリの一節だかもしれない。つまり、創価学会は神札を焼くような信心だったわけだ。
また、後半の各論には次のような項目が並んでいる。
先祖からの宗教を捨てるわけ
神だなやお札を取るわけ
いわゆる謗法払いである。そして前掲にもあるように、神札を焼いて相手から反感を買うことが全国で起こっていたのだろう。折伏教典ではそのことへの理論武装を施しているわけだ。前掲の三ページほど後に出てくる一節を紹介しておこう。
・・・神社から買ってきた神札のなかには神はおらず、悪鬼のすみ家と化している。その理由については「立正安国論」に、邪教がはびこり正法護持の者が少なくなれば、諸天善神がその国を去り、悪鬼がはいる原理が詳しく述べられている。
また、別項には五老僧についての批判も書かれているわけだが、その中に次のような一節がある。
・・・さらに神社参詣等を許して世間に迎合し、すべてが柔らかになって、先師日蓮大聖人の末法のご本仏としての教風はすたれるにいたった。
これは実に意味明瞭である。ようするに神社参詣禁止が大聖人の教風だということである。
他のページにも同様の記述がある。
・・・本尊問題では大聖人の御真筆の御本尊を軽視して釈迦の仏像を立てたり、戒律の問題、神社参拝の問題・・・
戒律の問題というのがイマイチよくわからないので、ご存知の人がいらっしゃればよろしくご教示願いたい。
それはさておき、数行後には身延の地頭への批判もある。
神社に参拝して立正安国論の正意を破り・・・
もはやこれまで、である。
少なくともこれらは厳然たる事実であり、過去にこうした発言をし、かつ実行していたことは否定できないだろう。
では、今はどうなのか、である。
もし違うことを教えているのであれば、その総括はできているのか、ようするに教義を改変することの釈明なり何なりをしたのかどうかが問われるのだ。
最後にオマケである。
日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わんとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。
誰が言っているかと思えば、驚くなかれ、創価学会が言っているのである。これは類文繁多にして九牛の一毛に過ぎないが、時に当たってきわめて重要な一文なので、挙げさせていただいた次第である。
それにしても貴重なリンクのご紹介をたまわった。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A5%8F%E7%8A%B6
わたくしは御書は読むけれども解説書は読まない。こう書けば格好つけているように思うかもしれないが、そうではない。なぜならば、他の古文書にはまったくの無知だからである。つまり、御書しか読まない。ゆえに、わかっていないことがたくさんある。
先般引用した念仏者追放宣旨御教書事の引用文だが、その出典と思しき資料が判明した。それが上掲なのである。
興福寺奏状 第五
第五に霊神を背く失。
念仏の輩、永く神明に別る、権化実類を論ぜず、宗廟大社を憚らず。もし神明を恃めば、必ず魔界に堕つと云云。実類の鬼神においては、置いて論ぜず。権化の垂迹に至っては、既に是れ大聖なり。上代の高僧皆以て帰敬す。かの伝教、宇佐宮に参じ、春日社に参じて、おのおの奇特の瑞相あり。智証、熊野山に詣(けい)し、新羅神を請じて、深く門葉の繁昌を祈る。行教和尚の袈裟の上に、三尊影を宿し、弘法大師の画図の中に、八幡質(すがた)を顕はす。是れ皆法然に及ばざるの人か、魔界に堕つべきの僧か。なかんずく、行教和尚、大安寺に帰りて、二階の楼を造りて、上階に八幡の御体を安じ、下階に一切経論を持す。神明もし拝するに足らざれば、如何ぞ聖体を法門の上に安ぜんや。末世の沙門、なほ君臣を敬す、況んや霊神においてをや。此のごときの麁言、尤も停廃せらるべし。
リンク先から拝借してきたものである。これが平成新編所収の「一 霊神を蔑如する事」の原典らしいのだ。しかし、すでに表題からして違っているし、内容的にもかなりの相違がある。煩瑣になるので御書の引用は控えるが、その相違の意味は何だろうと考えるに、いわゆる転写ないし孫引きによるものではないかと想像する。パソコンならばコピペで済む。逆に現代においてはそれが問題になったりもするわけだが、ともかくコピペならば誤写はあり得ない。しかし、当時はパソコンもなければコピー機もない。ゆえに手書きで写しているうちに、徐々に内容が変わってきてしまうようなことがあったのだろう。
ちなみに当時もいわゆる形木による印刷はあった。しかし、印板を作るまでの労力と時間を考えたら、筆写のほうが遥かに効率的だった。
それはさておき、話を少し戻そう。
念仏の輩、永く神明に別る・・・
専修の輩永く神明を別へず・・・
煩瑣になるので御書の引用は見送ったけれども、せっかくなので冒頭の部分だけ紹介しておこう。上段が原典と思しきもので、下段が御書の該当部分である。念仏と専修は同じ意味とは言え、筆写の段階でこんな間違いをするとはなかなか考えづらいところである。また、「別る」と「別へず」はおそらく訳者ないし編者のセンスの問題だろう。原文は漢文体なのだと思われる。
面倒臭がりのわたくしはやらないけれども、こうした細かい相違をチェックしていくことで、何か新しい発見があるかもしれない。当然、このような方法論は、真面目に研究している人たちにとっては先刻承知のことなのだろう。ただし、実行している人がいるかどうかは、微妙なところであるが・・・
さて、わたくしは冒頭で約一名云々と書いた。約二名と書いてもよかった。ようするに沖浦氏を入れるか入れないかは微妙なところなので、そのようなアイマイな書き方をしたわけである。
ともかく沖浦氏の妄執を打ち破る作業は困難を極める。そこで特別企画を考えた。
「神札を焼くような信心はごめんですよ」
という人がいる。
わたくしの手元には折伏教典がある。改訂二十八版だ。昭和四十三年という微妙な年数が気になるところで、国立戒壇の問題と絡めて論じても面白いところだが、今回は別の話題である。
上掲は「神の種類と批判」と題する項目の冒頭のくだりである。まさに語るに落ちるという表現がピッタリの一節だかもしれない。つまり、創価学会は神札を焼くような信心だったわけだ。
また、後半の各論には次のような項目が並んでいる。
先祖からの宗教を捨てるわけ
神だなやお札を取るわけ
いわゆる謗法払いである。そして前掲にもあるように、神札を焼いて相手から反感を買うことが全国で起こっていたのだろう。折伏教典ではそのことへの理論武装を施しているわけだ。前掲の三ページほど後に出てくる一節を紹介しておこう。
・・・神社から買ってきた神札のなかには神はおらず、悪鬼のすみ家と化している。その理由については「立正安国論」に、邪教がはびこり正法護持の者が少なくなれば、諸天善神がその国を去り、悪鬼がはいる原理が詳しく述べられている。
また、別項には五老僧についての批判も書かれているわけだが、その中に次のような一節がある。
・・・さらに神社参詣等を許して世間に迎合し、すべてが柔らかになって、先師日蓮大聖人の末法のご本仏としての教風はすたれるにいたった。
これは実に意味明瞭である。ようするに神社参詣禁止が大聖人の教風だということである。
他のページにも同様の記述がある。
・・・本尊問題では大聖人の御真筆の御本尊を軽視して釈迦の仏像を立てたり、戒律の問題、神社参拝の問題・・・
戒律の問題というのがイマイチよくわからないので、ご存知の人がいらっしゃればよろしくご教示願いたい。
それはさておき、数行後には身延の地頭への批判もある。
神社に参拝して立正安国論の正意を破り・・・
もはやこれまで、である。
少なくともこれらは厳然たる事実であり、過去にこうした発言をし、かつ実行していたことは否定できないだろう。
では、今はどうなのか、である。
もし違うことを教えているのであれば、その総括はできているのか、ようするに教義を改変することの釈明なり何なりをしたのかどうかが問われるのだ。
最後にオマケである。
日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わんとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。
誰が言っているかと思えば、驚くなかれ、創価学会が言っているのである。これは類文繁多にして九牛の一毛に過ぎないが、時に当たってきわめて重要な一文なので、挙げさせていただいた次第である。
2015/1/19
本年最初の曲線的議論
大沢克日子氏の再登場には驚いた。そこに常連の人たちから挨拶のコメントが寄せられた。その迅速さにも驚いた。先日はろくでもない連中などと書いてしまったが、訂正しなければいけないだろう。ろくでもないのは他でもない、わたくし自身ということだ。
さて、今日は顕正新聞新春号を取り上げるわけだが、これがなんと図らずも先日来の議論とリンクしていたのだ。今までまったく気がつかなかった。
第1330号はつまらないと思った。新春号にしては工夫がない。第一面にデカデカと掲げられている富士山の写真がキレイで見応えがあるという以外に、さして注目すべき記事がない。定番である裏面の会員数および会館の列島分布図は、毎年のことなので見飽きている。会館が増えて写真の置き場所がなくなりつつあるのが心配であるものの、それは余計な心配だろう。グラフの上昇カーブは少し持ち直して再び急上昇を始めたかのようにも見えるが、もう少し長い目で見ないとわからないだろう。あとは登壇記事の羅列であって、つまらない。二面の右下の写真は梅紅だろうか、それが唯一の救いのように感じられた。新聞全体の印象はそんなところである。
国難二年
浅井先生の年頭の辞に付されたタイトルである。来年は国難三年、再来年は国難四年・・・と書くのかどうか知らないが、いよいよ国家破産に近づいていくわけである。
「未曾有の」という出来事に直面することが多くなってくると思いますが・・・
大沢氏のコメントはその全体がほぼ慶事で占められており、まさに新年の挨拶に相応しいものだった。そんな中で上掲のくだりは異例である。何となく顕正会的な感じがするのも事実だ。当然、浅井先生の年頭の辞ともリンクする。
あえて先生の記事から一文だけ引用するならば、どのくだりが適切だろうか?
極限の謗法と、神道尊重。この二悪鼻を並べる日本の政権に、諸天が怒りをなさぬはずがない。天変地夭は国難二年以降さらに増大し、ついには恐るべき隣国の責めに至るであろう。
そうそう、顕正新聞をご覧になれない人のために付言しておくと、今回の年頭の辞では国家破産への言及がない。上掲のごとく、天変地夭に照準が合わされている。
極限の謗法と神道尊重・・・
さて、そこでようやく本題に入ってきたわけだが、極限の謗法とは例の創価学会の公式発表を言っているわけである。この話はいずれ詳しく取り上げることになるので省略しよう。問題は神道尊重のほうである。まさに先日来の議論に通じる話題である。
神道政治連盟国会議員懇談会なる組織があるそうだ。安倍政権では現職閣僚の十九人中十六人がこれに属しているという。さらに国会議員全体では二百八十九人がこの組織に加入しているそうである。浅井先生はくだんの創価学会の大謗法とこの神道尊重が相俟って、今後いよいよ天変地夭が激しくなると言っているわけである。
こうした考え方は今に始まったことではなく、顕正会における年来の主張そのものである。たぶん宗門もこれに近いだろう。ゆえにわたくしは元法華講氏に対し、いったい何を学んできたのかと問うたわけである。
しかし、ここで曲線的な議論を展開しようかと思う。昔から言っているように、わたくしはけっこうヘソマガリなのである。
一 霊神を蔑如する事
右我が朝は本是神国なり。百王彼の苗裔を承け四海其の加護を仰ぐ。而るに専修の輩永く神明を別へず・・・
なんと御書にはご覧のような記述が存するのだ。これをどのように考えるかである。
まあ、しかし、御書に詳しい人ならば言うかもしれない。上掲は大聖人の御言葉ではないと。確かにそうだ。当該御書は一種の資料集みたいなものであり、上掲はそうした文章の一つに過ぎない。
けれども安心してはいけない。問題はこれが肯定引用なのか否定引用なのかである。
結論は肯定引用である。
その証拠はきわめて単純である。当該御書は資料集であるが、前後に大聖人御自らの言葉が存在する。そこに何が書かれているかを知れば、自ずと結論が出るわけである。
夫以れば仏法流布の砌には天下静謐なり。神明仰崇の界には国土豊饒なり。
冒頭の一節である。神明仰崇は文字通りに読む以外ないだろう。神明を仰ぐ・崇めるということだ。
また末文には次のような一節がある。
日蓮尩弱たりと雖も勅宣並びに御下知の旨を守りて、偏に南北明哲の賢懐を述ぶ。
意味がわかり難いけれども、ようするに資料集に書かれていることを遵守するということだ。資料集には次のような項目もある。
一 一向専修の党類神明に向背する不当の事
最初に紹介した項目と併せて言えば、つまりはこういうことだ。大聖人は、霊神を蔑如しません、神明に向背しません、と仰せられているのである。
これでおわかりいただけただろうか?
先日来、わたくしは繰り返し言ってきたはずである。日興上人ほどの御方がこうした事情にまったく通じていなかったとは考えられない。ゆえにそこには深い意味があるのだ。われわれはそれがわかっていない、見えていないのである。そこを深く考察しなければいけないだろう。
もちろん、これはわたくしにとっての宿題でもある。
けっこう面倒臭いテーマであるが、日蓮正宗系にとっては避けて通れないところだろう。もし可能ならば顕正会員や法華講員の見解を聞かせてほしいものである。もっともありきたりの教科書しか読んでいない人には無理難題だろう。けれども、中には熱心に勉強している人もいるはずである。ぜひとも意見を寄せていただければと願うものである。
さて、今日は顕正新聞新春号を取り上げるわけだが、これがなんと図らずも先日来の議論とリンクしていたのだ。今までまったく気がつかなかった。
第1330号はつまらないと思った。新春号にしては工夫がない。第一面にデカデカと掲げられている富士山の写真がキレイで見応えがあるという以外に、さして注目すべき記事がない。定番である裏面の会員数および会館の列島分布図は、毎年のことなので見飽きている。会館が増えて写真の置き場所がなくなりつつあるのが心配であるものの、それは余計な心配だろう。グラフの上昇カーブは少し持ち直して再び急上昇を始めたかのようにも見えるが、もう少し長い目で見ないとわからないだろう。あとは登壇記事の羅列であって、つまらない。二面の右下の写真は梅紅だろうか、それが唯一の救いのように感じられた。新聞全体の印象はそんなところである。
国難二年
浅井先生の年頭の辞に付されたタイトルである。来年は国難三年、再来年は国難四年・・・と書くのかどうか知らないが、いよいよ国家破産に近づいていくわけである。
「未曾有の」という出来事に直面することが多くなってくると思いますが・・・
大沢氏のコメントはその全体がほぼ慶事で占められており、まさに新年の挨拶に相応しいものだった。そんな中で上掲のくだりは異例である。何となく顕正会的な感じがするのも事実だ。当然、浅井先生の年頭の辞ともリンクする。
あえて先生の記事から一文だけ引用するならば、どのくだりが適切だろうか?
極限の謗法と、神道尊重。この二悪鼻を並べる日本の政権に、諸天が怒りをなさぬはずがない。天変地夭は国難二年以降さらに増大し、ついには恐るべき隣国の責めに至るであろう。
そうそう、顕正新聞をご覧になれない人のために付言しておくと、今回の年頭の辞では国家破産への言及がない。上掲のごとく、天変地夭に照準が合わされている。
極限の謗法と神道尊重・・・
さて、そこでようやく本題に入ってきたわけだが、極限の謗法とは例の創価学会の公式発表を言っているわけである。この話はいずれ詳しく取り上げることになるので省略しよう。問題は神道尊重のほうである。まさに先日来の議論に通じる話題である。
神道政治連盟国会議員懇談会なる組織があるそうだ。安倍政権では現職閣僚の十九人中十六人がこれに属しているという。さらに国会議員全体では二百八十九人がこの組織に加入しているそうである。浅井先生はくだんの創価学会の大謗法とこの神道尊重が相俟って、今後いよいよ天変地夭が激しくなると言っているわけである。
こうした考え方は今に始まったことではなく、顕正会における年来の主張そのものである。たぶん宗門もこれに近いだろう。ゆえにわたくしは元法華講氏に対し、いったい何を学んできたのかと問うたわけである。
しかし、ここで曲線的な議論を展開しようかと思う。昔から言っているように、わたくしはけっこうヘソマガリなのである。
一 霊神を蔑如する事
右我が朝は本是神国なり。百王彼の苗裔を承け四海其の加護を仰ぐ。而るに専修の輩永く神明を別へず・・・
なんと御書にはご覧のような記述が存するのだ。これをどのように考えるかである。
まあ、しかし、御書に詳しい人ならば言うかもしれない。上掲は大聖人の御言葉ではないと。確かにそうだ。当該御書は一種の資料集みたいなものであり、上掲はそうした文章の一つに過ぎない。
けれども安心してはいけない。問題はこれが肯定引用なのか否定引用なのかである。
結論は肯定引用である。
その証拠はきわめて単純である。当該御書は資料集であるが、前後に大聖人御自らの言葉が存在する。そこに何が書かれているかを知れば、自ずと結論が出るわけである。
夫以れば仏法流布の砌には天下静謐なり。神明仰崇の界には国土豊饒なり。
冒頭の一節である。神明仰崇は文字通りに読む以外ないだろう。神明を仰ぐ・崇めるということだ。
また末文には次のような一節がある。
日蓮尩弱たりと雖も勅宣並びに御下知の旨を守りて、偏に南北明哲の賢懐を述ぶ。
意味がわかり難いけれども、ようするに資料集に書かれていることを遵守するということだ。資料集には次のような項目もある。
一 一向専修の党類神明に向背する不当の事
最初に紹介した項目と併せて言えば、つまりはこういうことだ。大聖人は、霊神を蔑如しません、神明に向背しません、と仰せられているのである。
これでおわかりいただけただろうか?
先日来、わたくしは繰り返し言ってきたはずである。日興上人ほどの御方がこうした事情にまったく通じていなかったとは考えられない。ゆえにそこには深い意味があるのだ。われわれはそれがわかっていない、見えていないのである。そこを深く考察しなければいけないだろう。
もちろん、これはわたくしにとっての宿題でもある。
けっこう面倒臭いテーマであるが、日蓮正宗系にとっては避けて通れないところだろう。もし可能ならば顕正会員や法華講員の見解を聞かせてほしいものである。もっともありきたりの教科書しか読んでいない人には無理難題だろう。けれども、中には熱心に勉強している人もいるはずである。ぜひとも意見を寄せていただければと願うものである。
2015/1/18
本年最初の爆弾
そろそろ話題を変えるつもりだが、しかし、ウヤムヤにするのもどうかと思うので、続きを書くことにする。
関の山氏には先日来の議論の流れを踏まえていただきたい。そこに自ずと答えは出ているはずなのだ。そして何よりもかによりも、法華講にいて何を学んでいたのかが問題なのである。その前には顕正会に居たというので、そこでも何を学んでいたのかである。そのあまりの無知ぶりに驚いているという話なのだ。
ただし、反省の意味を込めて書くと、顕正会は一念信解路線に転じてから久しいし、法華講もどれだけ熱心に教学に取り組んでいるかはアヤシイところがあるので、元法華講氏が無知であったとしても不思議はないのかもしれない。この点は組織側の責任であろう
因みに、法華経にはインドの神々が釈尊に誓うために集まった、となっていますが、どこに日本の氏神天照大神や神仏混合の八幡大菩薩が誓ったとありますか?
もっともこのレベルになると、一般信徒の手に負える問題ではない。おそらくは正宗の僧侶であっても即答できる人は少ないだろう。
ということで、わたくしも回答を保留させていただくが、もし関の山氏のほうで何かご意見があれば、引き続きご教示をたまわりたいと思う。
さて、本題に入ろう。
失礼ながら、顕正会のみで正宗にも入信せずに無所属と書かれていたような気がするのですが、それが洗脳という状態ですね。
これはヒドイ文章だ。
文章は単語の組み合わせである。ただ単に、単語を羅列しただけでは意味をなさない。また、同じ単語でも組み合わせ方によって意味が変わってくる。そこに執筆者の工夫が求められるのである。
しかるに上掲は何の工夫も感じられない意味不明の文章である。単に洗脳というレッテル貼りだけが目的の文章だとすれば、なるほど、それはそれで成功しているということなのかもしれないが、しかし、いったい何が洗脳なのかがまるで読み取れない意味では、まさしく悪口・中傷の類と言わざるを得ないだろう。
この際、修正案を示しておこう。
巌虎よ、オマエは無所属を標榜しているけれども、未だに顕正会の洗脳から抜け切れていないようだ。
これでも悪口であることには変わりがないのだが、しかし、意味が明瞭になったことは確実である。
元法華講氏は日蓮正宗ないし顕正会を批判してやまない。ところが今現在のわたくしは無所属を表明している。だったら洗脳とは無縁のはずである。ゆえに前掲の文章ではなぜに洗脳の状態であるかがまるでわからないのだ。だったら上掲のように書いたほうがわかりやすいだろう。
顕正会のみで正宗にも入信せずに無所属・・・
再掲であるが、これが余計に文章を混沌とさせてしまっていることに気がつかねばならない。これをわたくしなりに斟酌させていただくと、オレは顕正会も正宗も経験しているんだぞ、オマエよりも経験豊富でよくわかってんだ、というようなことかもしれない。だったらそのように書けばいいものを、いきなり洗脳などと書くものだから、意味不明の文章になるのである。今さら遠慮することもあるまい。思っていることをストレートに書くべきである。ただし投稿する前にはじゅうぶんに推敲したほうがよい。思っていることをストレートに書く。書いてからもう一度チェックする。その上で投稿に踏み切る。結局は、前回の最後に示したように、熟慮の上で投稿すべきなのだ。
広く浅く
狭く深く
世の中には二つのタイプがある。広く浅くと狭く深くである。どちらがいいかは一概には言えないことであって、おそらくはケースバイケースなのだろう。ただし、大聖人は後者である。
今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。
わたくしは顕正会しか経験していない。ゆえに法華講のことは知らない。その意味で経験の幅は狭いことになる。しかし、それなりに深みのある文章を書いているつもりである。
逆に経験豊富と思しき人であっても、上っ面ばかりをなめて中身に到達していない人もいる。
ここで譬えを書こう。あらかじめ自分に都合のいい話であることを告白しておくが、井戸の掘り方である。広く浅く掘る人と狭く深く掘る人とどちらが効率がいいかである。これは議論の分かれるところで、どちらがいいとも言い切れないというのが正解だと思う。狭く深く掘るとしても、そこがまるで水脈とは無関係のところであれば、いくら掘ってもムダである。その意味では広く掘る必要がある。広くというのは何箇所も掘るという意味だ。ギャンブルで言えば複数買いである。狭くのほうは一点買いである。
長々と書いたが、井戸の話に戻そう。
一つだけ言えることがあるのだ。仮にその場所が水脈の真上であったとしても、途中で掘るのをやめてしまったらダメなのである。水脈に到達するまで掘り続けなければいけないのだ。
広く浅くの人でいちばんダメなのは、まさにこのようなケースだろう。いろんな経験を積むことは大事なことである。しかし、ある一定のレベルまで到達しなければ、経験を積んだことにはならないのだ。
あっという間に時間だけは過ぎていきますから。
本人の実感なのだろう。ウソ偽りのない実感なのだと思う。そしてこれは万人の実感でもある。わたくしも例外ではない。
拙ブログはもう十年になるけれども、すでに何年も前からいつまでこんなことを続けるつもりなのかと自問自答している。そんな自分が言うのもおかしな話であるが、コメント投稿者に対しても同じことを言いたいわけである。アンタたち何の意味があって投稿してんの? そんなことよりももっと大事なことがあるんじゃないの? ということなのだ。
今回は元法華講氏だけでなく全員を敵に回すような結論になってしまった。
関の山氏には先日来の議論の流れを踏まえていただきたい。そこに自ずと答えは出ているはずなのだ。そして何よりもかによりも、法華講にいて何を学んでいたのかが問題なのである。その前には顕正会に居たというので、そこでも何を学んでいたのかである。そのあまりの無知ぶりに驚いているという話なのだ。
ただし、反省の意味を込めて書くと、顕正会は一念信解路線に転じてから久しいし、法華講もどれだけ熱心に教学に取り組んでいるかはアヤシイところがあるので、元法華講氏が無知であったとしても不思議はないのかもしれない。この点は組織側の責任であろう
因みに、法華経にはインドの神々が釈尊に誓うために集まった、となっていますが、どこに日本の氏神天照大神や神仏混合の八幡大菩薩が誓ったとありますか?
もっともこのレベルになると、一般信徒の手に負える問題ではない。おそらくは正宗の僧侶であっても即答できる人は少ないだろう。
ということで、わたくしも回答を保留させていただくが、もし関の山氏のほうで何かご意見があれば、引き続きご教示をたまわりたいと思う。
さて、本題に入ろう。
失礼ながら、顕正会のみで正宗にも入信せずに無所属と書かれていたような気がするのですが、それが洗脳という状態ですね。
これはヒドイ文章だ。
文章は単語の組み合わせである。ただ単に、単語を羅列しただけでは意味をなさない。また、同じ単語でも組み合わせ方によって意味が変わってくる。そこに執筆者の工夫が求められるのである。
しかるに上掲は何の工夫も感じられない意味不明の文章である。単に洗脳というレッテル貼りだけが目的の文章だとすれば、なるほど、それはそれで成功しているということなのかもしれないが、しかし、いったい何が洗脳なのかがまるで読み取れない意味では、まさしく悪口・中傷の類と言わざるを得ないだろう。
この際、修正案を示しておこう。
巌虎よ、オマエは無所属を標榜しているけれども、未だに顕正会の洗脳から抜け切れていないようだ。
これでも悪口であることには変わりがないのだが、しかし、意味が明瞭になったことは確実である。
元法華講氏は日蓮正宗ないし顕正会を批判してやまない。ところが今現在のわたくしは無所属を表明している。だったら洗脳とは無縁のはずである。ゆえに前掲の文章ではなぜに洗脳の状態であるかがまるでわからないのだ。だったら上掲のように書いたほうがわかりやすいだろう。
顕正会のみで正宗にも入信せずに無所属・・・
再掲であるが、これが余計に文章を混沌とさせてしまっていることに気がつかねばならない。これをわたくしなりに斟酌させていただくと、オレは顕正会も正宗も経験しているんだぞ、オマエよりも経験豊富でよくわかってんだ、というようなことかもしれない。だったらそのように書けばいいものを、いきなり洗脳などと書くものだから、意味不明の文章になるのである。今さら遠慮することもあるまい。思っていることをストレートに書くべきである。ただし投稿する前にはじゅうぶんに推敲したほうがよい。思っていることをストレートに書く。書いてからもう一度チェックする。その上で投稿に踏み切る。結局は、前回の最後に示したように、熟慮の上で投稿すべきなのだ。
広く浅く
狭く深く
世の中には二つのタイプがある。広く浅くと狭く深くである。どちらがいいかは一概には言えないことであって、おそらくはケースバイケースなのだろう。ただし、大聖人は後者である。
今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。
わたくしは顕正会しか経験していない。ゆえに法華講のことは知らない。その意味で経験の幅は狭いことになる。しかし、それなりに深みのある文章を書いているつもりである。
逆に経験豊富と思しき人であっても、上っ面ばかりをなめて中身に到達していない人もいる。
ここで譬えを書こう。あらかじめ自分に都合のいい話であることを告白しておくが、井戸の掘り方である。広く浅く掘る人と狭く深く掘る人とどちらが効率がいいかである。これは議論の分かれるところで、どちらがいいとも言い切れないというのが正解だと思う。狭く深く掘るとしても、そこがまるで水脈とは無関係のところであれば、いくら掘ってもムダである。その意味では広く掘る必要がある。広くというのは何箇所も掘るという意味だ。ギャンブルで言えば複数買いである。狭くのほうは一点買いである。
長々と書いたが、井戸の話に戻そう。
一つだけ言えることがあるのだ。仮にその場所が水脈の真上であったとしても、途中で掘るのをやめてしまったらダメなのである。水脈に到達するまで掘り続けなければいけないのだ。
広く浅くの人でいちばんダメなのは、まさにこのようなケースだろう。いろんな経験を積むことは大事なことである。しかし、ある一定のレベルまで到達しなければ、経験を積んだことにはならないのだ。
あっという間に時間だけは過ぎていきますから。
本人の実感なのだろう。ウソ偽りのない実感なのだと思う。そしてこれは万人の実感でもある。わたくしも例外ではない。
拙ブログはもう十年になるけれども、すでに何年も前からいつまでこんなことを続けるつもりなのかと自問自答している。そんな自分が言うのもおかしな話であるが、コメント投稿者に対しても同じことを言いたいわけである。アンタたち何の意味があって投稿してんの? そんなことよりももっと大事なことがあるんじゃないの? ということなのだ。
今回は元法華講氏だけでなく全員を敵に回すような結論になってしまった。
2015/1/14
本年最初のダメ出し
権兵衛氏から好意的なコメントを頂戴したけれども、わたくし自身は別にさしたる気負いはないわけで、普段とそれほど変わらないと思っている。ただ単に相手の言っていることがあまりにもおかしいので、それを咎めただけの話である。
大坊棟札は、北山の三堂棟札、垂迹堂棟札に対抗した権威付けでは? 大石寺は徳川幕府から特別扱いの寺院でしたので、北山に負けない権威付けが欲しかったのではないでしょうか?
関の山氏の推論である。不勉強のわたくしには、これが正しいのか間違っているのか皆目見当がつかないのだけれども、もし仮にこのとおりだとしたらガッカリである。
北山に負けない権威付け・・・
わたくしの思うに、こんな低レベルの対抗心を燃やしてどうするのか、である。この点を日蓮正宗の僧俗は考えないといけないだろう。そもそも自分の寺の宝物を、自分からニセモノだと言い出すこと自体がおかしなことであり、その上でもし動機が関の山氏の推論どおりだとしたら、まったくお話にならんことである。これでは元法華講氏が大石寺を批判するのも仕方がないだろう。
しかし、それはそれであり、これはこれである。つまり、元法華講氏のデタラメぶりは断じて是認できない。
相変わらずの石頭ですね〜!
それはそうだろう。名は体をあらわすのだ。巌虎の巌は岩であり、岩は石の親分みたいなものである。
日興さんは奈良や京都をご存知なかったのではないでしょうか?それでは万民の救済など不可能ですね。
しかし、ここからは意味不明の連続である。日興上人が奈良や京都をご存知なかったかどうかと問いかけておきながら、その直後に結論めいたことを書いている。万民の救済は不可能であると。つまり、文脈上ではご存知なかったという意味なのだろう。それがなぜに万民の救済が不可能となるのか、まったく説明がなされていない。いつも言っているごとく、思考のプロセスを示すべきである。結論を断定的に書いたところで、その結論に至るプロセスが明らかでなければ、それは短絡に過ぎない。
証拠と仰られてもググっても見てない方に示しても仕方ないじゃないですか?
これもヒドイ。なぜにググらなければいけないのか、そんな義務がどこにあるのか、である。むしろ説明する義務があるのはそちらであろう。それをせずして、こんなことを言っているようではオシマイである。
もっとも上掲は出先からの投稿らしいので、そこは斟酌しないといけないかもしれない。実際、後から長文のコメントが寄せられた。以下、少しずつ見ていこう。
真偽の程は定かではありませんがネット上に転がっている資料的なものを抜粋してみました。真偽の程はご自身でお確かめ下さい。
冒頭にリンクが三つ貼り付けてあるが、中身を見てガッカリした。二つは戒壇の大御本尊の真偽を云々するものだった。そして三つ目が光長寺についてだった。
何を考えておるものかと思う。八つ当たりというべきか、あるいは物の道理がわからないのか、ほとほと困った御仁である。こちらの質問にはまるで答えず、話をすり替えてしまっている。この点に気がつかなければいけないだろう。
まず、六老僧の件はどうしたのだ?
どうしてそのように考えるのか、言うならばその思考のプロセスを聞いているのに、これにはまるで答えていない。わからないなら、わからないと言えばいい。それが必要である。
そして光長寺についてであるが、リンクを貼ればそれで済む話ではないだろう。しかもである。リンク先の記述が次のようなテイタラクなのである。
光長寺(こうちょうじ)は、静岡県沼津市にある法華宗本門流の大本山。塔頭が五坊ある(南之坊、西之坊、辻之坊、東之坊、山本坊)。
以下、パンフレットの引用
「当山は宗祖日蓮大聖人を御開山、日春・日法両聖人を開基同時二祖と仰ぐ本門八品の・・・
オイオイ、こっちの話をちゃんと聞いていなかったのかよ、と言いたい。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、その根拠はどこにあるのかを問題にしているのである。それを示せないのであれば、出来ませんと言えばいい。それが必要である。
そして間違っておりました「中くらいの大きさの本尊」と述べましたが「贋作」なので単なる「板彫刻と同じ」だと言う認識なのです。一回2000円の資金集めの為の贋作本尊などは拝んでも功徳はありませんがな・・・
一種の逆ギレみたいなものだろうか?
先ほどから言っているように、自分に課されている宿題には何一つまともな回答をせず、それでいてこのような悪口を書く。少なくともわたくしは元法華講氏が御真筆御本尊を拝むことを否定しなかった。立派な信心だとも書いた。それにもかかわらず上掲のごとく書くのは、まさに逆ギレであり八つ当たりである。己の振る舞いを恥ずかしく思わないのだろうか?
何故、神社参詣がダメなのか?をお尋ねしたいぐらいです。神社に参詣したら罰が当たるのでしょうか?
困った人である。法華講に何年在籍していたのだろうか? その前は顕正会員だったはずであるが、その時は何年在籍していたのか? そして合計は何年なのか?
上掲はすぐにでも回答できるが、馬鹿げているので控えたいと思う。まずは自分でお調べになるとよいだろう。
そして、大石寺系では「仏像」はダメだとされていますが、これも大聖人様の意見とは異なります。大聖人様は、仏像は「法華経」による開眼されたものであれば良いと仰せです。(四条金吾釈迦仏供養事をご参照下さい)
めずらしく御書を持ち出してきた。といっても具体的な御文は挙げておられないが、まあ、それはよしとしよう。
ズバリ申し上げよう。何を寝ぼけたことを言っておるものかと。
これも顕正会や法華講にそれなりの年数在籍していて、そこそこ真面目に信心をしていれば、今さら問題にすべきことでもあるまいと思うのだが、これまた前掲同様にまずはご自分で調べるといいだろう。
そもそも最大サイズの御本尊を自慢していた人がこれを言うのかよ、とツッコミを入れたくなるところである。
しかし、どうだろう。これを第三者が見れば、逆にわたくしのほうがつまらんアゲアシ取りに終始していることになるのだろうか?
とにかく日興門流(大石寺系)は、自分たちに都合の悪い事は全く信徒などに知らせていないのです。
ああ、なるほど、確かにそうかもしれない。この意味では元法華講氏が知らなかったのも無理のない話かもしれない。顕正会も法華講も、あるいは創価学会も、都合の悪い話はしない。
ただし、神社参詣の問題だとか仏像本尊の是非については、まったく触れないわけではない。初心者に対してはあえて触れない場合もあるだろうけれども、一定の教学水準に達した者に対してはむしろ積極的に取り組むべき課題であることを教えているはずである。つまり、失礼ながら元法華講氏はその水準には達していなかったということなのだろう。
ユタさんも仰るように「何の功徳(御利益)もない」のです。その理由は、方便品の大石寺で読まない後半部分や神力品などに書かれています。
ユタ氏を引き合いに出して、ずいぶんなことを書いているけれども、ここでもまた横着なのか、具体的な引用が省かれている。方便品だとか神力品だとか、そんな偉そうなことを言う前に、ちゃんと教学の基礎から勉強し直したほうがいいのではないかと思う。
真筆本尊は、多数あるのです。特定の本尊への帰依が大聖人様の本意であるはずがありません。
まったく拙稿を読んでいないようだ。
先ほども書いたように、わたくしは元法華講氏がくだんの最大サイズの御本尊を拝むことを否定していない。立派な信心だと言っているくらいなのだ。いったい誰と議論をしているのか、ということである。
確かにわたくしの意見は、日蓮正宗ないし顕正会の公式見解と異なるだろう。だからそれがどうしたと言うのだ。わたくしはわたくしなのである。わたくしと議論しているのであれば、上掲のようなトンチンカンなことを言ってはいけない。
なお、誤解のないように付言しておこう。
上述のことはあたかも変化球のように思うかもしれない。ようするに日蓮正宗にまつわるさまざまの批判に対し、回答不能の問題がたくさんあることを自覚しているがゆえに、わたくしが意図的に曲線的な議論に持ち込もうとしているというような見方である。しかし、それは誤解である。少なくともこれは今回が初めてのことではないのだ。かつて日蓮宗の在家信徒と思しき人が来られて議論をしたことがあって、彼はこちらが聞いてもいないのに自分が宗定本尊の御形木を自宅に安置して拝んでいる旨を告白してきたのだった。当時、わたくしはこれに反対しなかった。やはりどうしても立派な信心と申し上げる以外にないのである。
ここで法華講の諸氏や顕正会の会員各氏、あるいは創価学会の人たちに言っておこう。
今現在、組織ごとに多少の違いはあるものの、日蓮正宗系はどこも組織がしっかりしている。ゆえに信心が身につきやすい。同調圧力といったら叱られるかもしれないが、組織に身を置いていれば自然と信心が深まっていくのだ。もちろん、そうじゃない人もいるわけだが、そうした例外を別にすればおおむね上述のごとくだろう。
だとすれば、逆に元法華講氏だとか前述の日蓮宗信徒などが不思議に思えるはずなのだ。さしたる組織もない。頼るべき先輩もいない。そこでどうして信心が磨かれていくのだろうか?
このように考えると、彼らが大聖人の御真筆御本尊を信仰することの純粋さが、物凄く光り輝いているように感じられるはずなのである。わたくしはこれを頭ごなしには否定できないと思う。
最後に、シツコイようだが、書いておこう。
わたくしは元法華講氏の信仰を頭ごなしに否定するつもりはない。しかし、言っていることはダメである。何しろデタラメ過ぎるからである。自分の思っていることを書くのは大いに結構であるが、もっと熟慮の上で投稿すべきだろう。
大坊棟札は、北山の三堂棟札、垂迹堂棟札に対抗した権威付けでは? 大石寺は徳川幕府から特別扱いの寺院でしたので、北山に負けない権威付けが欲しかったのではないでしょうか?
関の山氏の推論である。不勉強のわたくしには、これが正しいのか間違っているのか皆目見当がつかないのだけれども、もし仮にこのとおりだとしたらガッカリである。
北山に負けない権威付け・・・
わたくしの思うに、こんな低レベルの対抗心を燃やしてどうするのか、である。この点を日蓮正宗の僧俗は考えないといけないだろう。そもそも自分の寺の宝物を、自分からニセモノだと言い出すこと自体がおかしなことであり、その上でもし動機が関の山氏の推論どおりだとしたら、まったくお話にならんことである。これでは元法華講氏が大石寺を批判するのも仕方がないだろう。
しかし、それはそれであり、これはこれである。つまり、元法華講氏のデタラメぶりは断じて是認できない。
相変わらずの石頭ですね〜!
それはそうだろう。名は体をあらわすのだ。巌虎の巌は岩であり、岩は石の親分みたいなものである。
日興さんは奈良や京都をご存知なかったのではないでしょうか?それでは万民の救済など不可能ですね。
しかし、ここからは意味不明の連続である。日興上人が奈良や京都をご存知なかったかどうかと問いかけておきながら、その直後に結論めいたことを書いている。万民の救済は不可能であると。つまり、文脈上ではご存知なかったという意味なのだろう。それがなぜに万民の救済が不可能となるのか、まったく説明がなされていない。いつも言っているごとく、思考のプロセスを示すべきである。結論を断定的に書いたところで、その結論に至るプロセスが明らかでなければ、それは短絡に過ぎない。
証拠と仰られてもググっても見てない方に示しても仕方ないじゃないですか?
これもヒドイ。なぜにググらなければいけないのか、そんな義務がどこにあるのか、である。むしろ説明する義務があるのはそちらであろう。それをせずして、こんなことを言っているようではオシマイである。
もっとも上掲は出先からの投稿らしいので、そこは斟酌しないといけないかもしれない。実際、後から長文のコメントが寄せられた。以下、少しずつ見ていこう。
真偽の程は定かではありませんがネット上に転がっている資料的なものを抜粋してみました。真偽の程はご自身でお確かめ下さい。
冒頭にリンクが三つ貼り付けてあるが、中身を見てガッカリした。二つは戒壇の大御本尊の真偽を云々するものだった。そして三つ目が光長寺についてだった。
何を考えておるものかと思う。八つ当たりというべきか、あるいは物の道理がわからないのか、ほとほと困った御仁である。こちらの質問にはまるで答えず、話をすり替えてしまっている。この点に気がつかなければいけないだろう。
まず、六老僧の件はどうしたのだ?
どうしてそのように考えるのか、言うならばその思考のプロセスを聞いているのに、これにはまるで答えていない。わからないなら、わからないと言えばいい。それが必要である。
そして光長寺についてであるが、リンクを貼ればそれで済む話ではないだろう。しかもである。リンク先の記述が次のようなテイタラクなのである。
光長寺(こうちょうじ)は、静岡県沼津市にある法華宗本門流の大本山。塔頭が五坊ある(南之坊、西之坊、辻之坊、東之坊、山本坊)。
以下、パンフレットの引用
「当山は宗祖日蓮大聖人を御開山、日春・日法両聖人を開基同時二祖と仰ぐ本門八品の・・・
オイオイ、こっちの話をちゃんと聞いていなかったのかよ、と言いたい。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、その根拠はどこにあるのかを問題にしているのである。それを示せないのであれば、出来ませんと言えばいい。それが必要である。
そして間違っておりました「中くらいの大きさの本尊」と述べましたが「贋作」なので単なる「板彫刻と同じ」だと言う認識なのです。一回2000円の資金集めの為の贋作本尊などは拝んでも功徳はありませんがな・・・
一種の逆ギレみたいなものだろうか?
先ほどから言っているように、自分に課されている宿題には何一つまともな回答をせず、それでいてこのような悪口を書く。少なくともわたくしは元法華講氏が御真筆御本尊を拝むことを否定しなかった。立派な信心だとも書いた。それにもかかわらず上掲のごとく書くのは、まさに逆ギレであり八つ当たりである。己の振る舞いを恥ずかしく思わないのだろうか?
何故、神社参詣がダメなのか?をお尋ねしたいぐらいです。神社に参詣したら罰が当たるのでしょうか?
困った人である。法華講に何年在籍していたのだろうか? その前は顕正会員だったはずであるが、その時は何年在籍していたのか? そして合計は何年なのか?
上掲はすぐにでも回答できるが、馬鹿げているので控えたいと思う。まずは自分でお調べになるとよいだろう。
そして、大石寺系では「仏像」はダメだとされていますが、これも大聖人様の意見とは異なります。大聖人様は、仏像は「法華経」による開眼されたものであれば良いと仰せです。(四条金吾釈迦仏供養事をご参照下さい)
めずらしく御書を持ち出してきた。といっても具体的な御文は挙げておられないが、まあ、それはよしとしよう。
ズバリ申し上げよう。何を寝ぼけたことを言っておるものかと。
これも顕正会や法華講にそれなりの年数在籍していて、そこそこ真面目に信心をしていれば、今さら問題にすべきことでもあるまいと思うのだが、これまた前掲同様にまずはご自分で調べるといいだろう。
そもそも最大サイズの御本尊を自慢していた人がこれを言うのかよ、とツッコミを入れたくなるところである。
しかし、どうだろう。これを第三者が見れば、逆にわたくしのほうがつまらんアゲアシ取りに終始していることになるのだろうか?
とにかく日興門流(大石寺系)は、自分たちに都合の悪い事は全く信徒などに知らせていないのです。
ああ、なるほど、確かにそうかもしれない。この意味では元法華講氏が知らなかったのも無理のない話かもしれない。顕正会も法華講も、あるいは創価学会も、都合の悪い話はしない。
ただし、神社参詣の問題だとか仏像本尊の是非については、まったく触れないわけではない。初心者に対してはあえて触れない場合もあるだろうけれども、一定の教学水準に達した者に対してはむしろ積極的に取り組むべき課題であることを教えているはずである。つまり、失礼ながら元法華講氏はその水準には達していなかったということなのだろう。
ユタさんも仰るように「何の功徳(御利益)もない」のです。その理由は、方便品の大石寺で読まない後半部分や神力品などに書かれています。
ユタ氏を引き合いに出して、ずいぶんなことを書いているけれども、ここでもまた横着なのか、具体的な引用が省かれている。方便品だとか神力品だとか、そんな偉そうなことを言う前に、ちゃんと教学の基礎から勉強し直したほうがいいのではないかと思う。
真筆本尊は、多数あるのです。特定の本尊への帰依が大聖人様の本意であるはずがありません。
まったく拙稿を読んでいないようだ。
先ほども書いたように、わたくしは元法華講氏がくだんの最大サイズの御本尊を拝むことを否定していない。立派な信心だと言っているくらいなのだ。いったい誰と議論をしているのか、ということである。
確かにわたくしの意見は、日蓮正宗ないし顕正会の公式見解と異なるだろう。だからそれがどうしたと言うのだ。わたくしはわたくしなのである。わたくしと議論しているのであれば、上掲のようなトンチンカンなことを言ってはいけない。
なお、誤解のないように付言しておこう。
上述のことはあたかも変化球のように思うかもしれない。ようするに日蓮正宗にまつわるさまざまの批判に対し、回答不能の問題がたくさんあることを自覚しているがゆえに、わたくしが意図的に曲線的な議論に持ち込もうとしているというような見方である。しかし、それは誤解である。少なくともこれは今回が初めてのことではないのだ。かつて日蓮宗の在家信徒と思しき人が来られて議論をしたことがあって、彼はこちらが聞いてもいないのに自分が宗定本尊の御形木を自宅に安置して拝んでいる旨を告白してきたのだった。当時、わたくしはこれに反対しなかった。やはりどうしても立派な信心と申し上げる以外にないのである。
ここで法華講の諸氏や顕正会の会員各氏、あるいは創価学会の人たちに言っておこう。
今現在、組織ごとに多少の違いはあるものの、日蓮正宗系はどこも組織がしっかりしている。ゆえに信心が身につきやすい。同調圧力といったら叱られるかもしれないが、組織に身を置いていれば自然と信心が深まっていくのだ。もちろん、そうじゃない人もいるわけだが、そうした例外を別にすればおおむね上述のごとくだろう。
だとすれば、逆に元法華講氏だとか前述の日蓮宗信徒などが不思議に思えるはずなのだ。さしたる組織もない。頼るべき先輩もいない。そこでどうして信心が磨かれていくのだろうか?
このように考えると、彼らが大聖人の御真筆御本尊を信仰することの純粋さが、物凄く光り輝いているように感じられるはずなのである。わたくしはこれを頭ごなしには否定できないと思う。
最後に、シツコイようだが、書いておこう。
わたくしは元法華講氏の信仰を頭ごなしに否定するつもりはない。しかし、言っていることはダメである。何しろデタラメ過ぎるからである。自分の思っていることを書くのは大いに結構であるが、もっと熟慮の上で投稿すべきだろう。
2015/1/13
本年最初の激おこ
ろくでもない連中ばかりだ。拙稿をろくすっぽ理解しないで、自分勝手なことばかり書き連ねている。
神社参詣の是非は難しいと書いた。つまり、御書には神社参詣を容認するかのごとき御指南も存するわけで、一概に謗法であるとは言い切れない面があるのは事実である。月水御書の御指南などもそうだろう。
・・・神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり。
暗に日興上人を批判しているような御文である。いや、もちろん、文永元年の御書であるから、この時点で大聖人が日興上人にクギを刺しているといった、まさかそんな大胆な解釈をする人はいまい。まあ、しかし、いずれにしても当該御文は神社参詣容認と読むのが一般である。
だからこそわたくしは言っているのである。あの日興上人がである、日興上人ほどの人が、こうした点に無理解だったとは到底考えられない。オマエらみたいな、ろくでもない連中に言われるほど、馬鹿ではないだろう。
つまり、この点の考察が甘いのだ。もし日興上人が間違えたのだとしたら、なぜに間違えたのか、その必然的な理由があるはずなのだ。それにちゃんと答えられる人がいるのか、である。答えられないのであれば、偉そうなことは言うな、ということなのである。
別して元法華講氏に申し上げよう。
相変わらず短絡的というか、考えが足りないというか、あるいは他人の話を聞いていないというか、そんな感じが否めないところである。
まず、六老僧のことであるが、だからその思考のプロセスを示すべきなのである。神力品に六種云々との記述があるのは結構であるが、だからそれがどうしたのかと聞いているのである。冒頭に、ろくでもないとか、ろくすっぽとか書かせてもらったことの意味を考えてもらいたい。ようするに語呂合わせはいくらでも可能なのだ。問題はそこにどのような意味合いを持たせるかなのである。
建治という元号は弘安の前です。武勇伝ばかり宣伝されていますが、日蓮聖人は身延入山時、極貧状態で「自立可能な弟子」を布教の為に地方に出されています。そして、寺院を建立し布教の基礎を築かれて行ったのです。
だからその根拠を聞いているのだ。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、では、それはいつ頃から言われていることなのか、具体的にはどういった文献に残っているのか、ということなのである。
前回の拙稿は推測の積み重ねであるとお断りした。つまり、明確な証拠が示せないので、あくまで推測であることを断った上で、考えを書かせてもらったわけである。
残念ながらと言うべきなのか、大石寺にも伝説めいた話がいくつもある。厳密な意味では血脈相承もそうなのかもしれない。ゆえにそこを攻撃されると困ることになる。
まあ、しかし、これで一つ決着がついた。
元法華講氏は大石寺を批判できないということだ。なぜならば氏は何一つ根拠を示せないからである。自分のところの寺伝は無根拠でよくて、他人のところの寺伝には文句をつける。この自己中心的な思考には驚きを禁じ得ない。
最大サイズの真筆本尊があるのは、大石寺ではありません。大石寺の大本尊が本物であったとしても、中サイズなのです。
まさか「戒壇の中本尊」とは言えないでしょうけれど…
しかもである。サイズの問題だと勘違いしてしまっているところがこれまた驚きである。これについては適切なコメントが入ったので紹介しておこう。
2015/1/12 8:06
投稿者:んっ?
元法華講さん,お早う御座います!
「大」は「偉大な・優れた」を意味する接頭語です。
「未曾有の大曼荼羅也」と認められた御本尊様は
皆等しい大きさですか?
日春は「中聖人」でしょうか?
ちなみに、わたくしは元法華講氏がくだんの御本尊を拝することに反対しない。イヤミではなく、立派な信心だと思う。ただし、それが最大サイズだからという理由なのであれば、オイオイ、勘違いにもほどがあるぞ、と申し上げる以外にないだろう。
さて、身延離山については、ユタ氏がいいことを書いてくれた。
とにもかくにも、参詣者がいなければ困るでしょうから、参詣のしやすさはセールスポイントだと思いますよ。
日興上人の身延離山については、法義上の問題ばかりが取り沙汰されているけれども、他にも要因があるに違いないとわたくしは睨んでいる。たとえば身延に大聖人がいらした時には弟子がたくさん集っていた。百人とも言われるくらいだ。これはベラボウな人数で、食事のことを考えただけでも大変なことだ。
実際のところ、百人の生活がどういうものだったか、まったくわからない。核家族化の現代においては、仮に十人分の食事を用意すると考えただけでも大仕事である。今なら来客があれば宅配寿司で誤魔化してしまうのが普通だろう。それを考えれば、日常的に百人分の食事を用意することの大変さがよくわかるはずだ。つまり、身延では我々が想像する以上の人と金が動いていたのである。
ユタ氏の言っているごとく、身延は決して立地条件のいいところではない。しかし、大聖人の謦咳に接するべく、多くの弟子が参集していた。
これが劇的に変化する時を迎えた。
すなわち大聖人の御入滅である。
先ほど書いたように、身延では大量の人と金が動いていた。けれども、元来はそれほどアクセスのいい場所ではなかった。大聖人の御徳を慕って参集していた人たちも、大聖人がいなくなればそこに留まる理由はなくなる。さて、何が起こるだろうか?
この辺はまさに想像の域であるからして、どのようなシナリオも可能であろう。ともかく大きな変動が生じたのは間違いあるまい。
つまり、ここに御法門とは別次元の、何かしらのゴタゴタが起こっただろうことは容易に想像できるはずである。
以上のような理由で、わたくしは沖浦氏の言っていることには断じて反対である。何も知らない人間が偉そうなことを言うなということである。すでに書いたように、神社参詣の問題においても同様である。日興上人ほどの人が沖浦氏の教学力に劣るわけがない。ゆえにそこを深く考察すべきなのである。それをせずして頭ごなしに否定するほうが馬鹿げている。沖浦氏にはそこをぜひとも再考願いたいものである。
偽書の特徴は、真筆が無い、年号など怪しげ、史実と合わない、後世の最もらしい写本が幾つも存在する、特定人物や団体を絶賛などです。
この人も相変わらずだ。わたくしは真偽を論じないと再三にわたって言っている。それにもかかわらず、このテイタラクである。
しかし、面白いことを書いてくれた。
因みに大石寺蔵「日目譲り状」は「疑いようが無い?」真筆が存在しているとの事なので、堀師が石田博士とともに鑑定した「大坊棟札」のように鑑定すれば、少なくとも大石寺日目正統性はわかると思いますが。
いや、わたくしはむしろ、大坊棟札の再鑑定を希望したい。
前掲の、特定人物や団体を絶賛、というくだりが注目されるところで、ならばである、そもそも大坊棟札を偽作する動機がどこに存するのか、そこが問題となるはずなのだ。まさか浅井昭衛ないし顕正会を絶賛するために偽作されたとか、そんな荒唐無稽なことを言う人はおるまい。すると、いったい誰が何のために偽作したのか、そこがまるで見えてこないように思えるのである。
宗門では近年、日精上人への評価を大幅に変えた。こうした事例を考えると、棟札に対する評価も百八十度の転換があっても不思議はないだろう。今なら科学的な鑑定も可能だろうから、さしあたって徳川時代のものか否かの判定は、容易にできるに違いない。ぜひ、やるべきだ。
神社参詣の是非は難しいと書いた。つまり、御書には神社参詣を容認するかのごとき御指南も存するわけで、一概に謗法であるとは言い切れない面があるのは事実である。月水御書の御指南などもそうだろう。
・・・神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり。
暗に日興上人を批判しているような御文である。いや、もちろん、文永元年の御書であるから、この時点で大聖人が日興上人にクギを刺しているといった、まさかそんな大胆な解釈をする人はいまい。まあ、しかし、いずれにしても当該御文は神社参詣容認と読むのが一般である。
だからこそわたくしは言っているのである。あの日興上人がである、日興上人ほどの人が、こうした点に無理解だったとは到底考えられない。オマエらみたいな、ろくでもない連中に言われるほど、馬鹿ではないだろう。
つまり、この点の考察が甘いのだ。もし日興上人が間違えたのだとしたら、なぜに間違えたのか、その必然的な理由があるはずなのだ。それにちゃんと答えられる人がいるのか、である。答えられないのであれば、偉そうなことは言うな、ということなのである。
別して元法華講氏に申し上げよう。
相変わらず短絡的というか、考えが足りないというか、あるいは他人の話を聞いていないというか、そんな感じが否めないところである。
まず、六老僧のことであるが、だからその思考のプロセスを示すべきなのである。神力品に六種云々との記述があるのは結構であるが、だからそれがどうしたのかと聞いているのである。冒頭に、ろくでもないとか、ろくすっぽとか書かせてもらったことの意味を考えてもらいたい。ようするに語呂合わせはいくらでも可能なのだ。問題はそこにどのような意味合いを持たせるかなのである。
建治という元号は弘安の前です。武勇伝ばかり宣伝されていますが、日蓮聖人は身延入山時、極貧状態で「自立可能な弟子」を布教の為に地方に出されています。そして、寺院を建立し布教の基礎を築かれて行ったのです。
だからその根拠を聞いているのだ。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、では、それはいつ頃から言われていることなのか、具体的にはどういった文献に残っているのか、ということなのである。
前回の拙稿は推測の積み重ねであるとお断りした。つまり、明確な証拠が示せないので、あくまで推測であることを断った上で、考えを書かせてもらったわけである。
残念ながらと言うべきなのか、大石寺にも伝説めいた話がいくつもある。厳密な意味では血脈相承もそうなのかもしれない。ゆえにそこを攻撃されると困ることになる。
まあ、しかし、これで一つ決着がついた。
元法華講氏は大石寺を批判できないということだ。なぜならば氏は何一つ根拠を示せないからである。自分のところの寺伝は無根拠でよくて、他人のところの寺伝には文句をつける。この自己中心的な思考には驚きを禁じ得ない。
最大サイズの真筆本尊があるのは、大石寺ではありません。大石寺の大本尊が本物であったとしても、中サイズなのです。
まさか「戒壇の中本尊」とは言えないでしょうけれど…
しかもである。サイズの問題だと勘違いしてしまっているところがこれまた驚きである。これについては適切なコメントが入ったので紹介しておこう。
2015/1/12 8:06
投稿者:んっ?
元法華講さん,お早う御座います!
「大」は「偉大な・優れた」を意味する接頭語です。
「未曾有の大曼荼羅也」と認められた御本尊様は
皆等しい大きさですか?
日春は「中聖人」でしょうか?
ちなみに、わたくしは元法華講氏がくだんの御本尊を拝することに反対しない。イヤミではなく、立派な信心だと思う。ただし、それが最大サイズだからという理由なのであれば、オイオイ、勘違いにもほどがあるぞ、と申し上げる以外にないだろう。
さて、身延離山については、ユタ氏がいいことを書いてくれた。
とにもかくにも、参詣者がいなければ困るでしょうから、参詣のしやすさはセールスポイントだと思いますよ。
日興上人の身延離山については、法義上の問題ばかりが取り沙汰されているけれども、他にも要因があるに違いないとわたくしは睨んでいる。たとえば身延に大聖人がいらした時には弟子がたくさん集っていた。百人とも言われるくらいだ。これはベラボウな人数で、食事のことを考えただけでも大変なことだ。
実際のところ、百人の生活がどういうものだったか、まったくわからない。核家族化の現代においては、仮に十人分の食事を用意すると考えただけでも大仕事である。今なら来客があれば宅配寿司で誤魔化してしまうのが普通だろう。それを考えれば、日常的に百人分の食事を用意することの大変さがよくわかるはずだ。つまり、身延では我々が想像する以上の人と金が動いていたのである。
ユタ氏の言っているごとく、身延は決して立地条件のいいところではない。しかし、大聖人の謦咳に接するべく、多くの弟子が参集していた。
これが劇的に変化する時を迎えた。
すなわち大聖人の御入滅である。
先ほど書いたように、身延では大量の人と金が動いていた。けれども、元来はそれほどアクセスのいい場所ではなかった。大聖人の御徳を慕って参集していた人たちも、大聖人がいなくなればそこに留まる理由はなくなる。さて、何が起こるだろうか?
この辺はまさに想像の域であるからして、どのようなシナリオも可能であろう。ともかく大きな変動が生じたのは間違いあるまい。
つまり、ここに御法門とは別次元の、何かしらのゴタゴタが起こっただろうことは容易に想像できるはずである。
以上のような理由で、わたくしは沖浦氏の言っていることには断じて反対である。何も知らない人間が偉そうなことを言うなということである。すでに書いたように、神社参詣の問題においても同様である。日興上人ほどの人が沖浦氏の教学力に劣るわけがない。ゆえにそこを深く考察すべきなのである。それをせずして頭ごなしに否定するほうが馬鹿げている。沖浦氏にはそこをぜひとも再考願いたいものである。
偽書の特徴は、真筆が無い、年号など怪しげ、史実と合わない、後世の最もらしい写本が幾つも存在する、特定人物や団体を絶賛などです。
この人も相変わらずだ。わたくしは真偽を論じないと再三にわたって言っている。それにもかかわらず、このテイタラクである。
しかし、面白いことを書いてくれた。
因みに大石寺蔵「日目譲り状」は「疑いようが無い?」真筆が存在しているとの事なので、堀師が石田博士とともに鑑定した「大坊棟札」のように鑑定すれば、少なくとも大石寺日目正統性はわかると思いますが。
いや、わたくしはむしろ、大坊棟札の再鑑定を希望したい。
前掲の、特定人物や団体を絶賛、というくだりが注目されるところで、ならばである、そもそも大坊棟札を偽作する動機がどこに存するのか、そこが問題となるはずなのだ。まさか浅井昭衛ないし顕正会を絶賛するために偽作されたとか、そんな荒唐無稽なことを言う人はおるまい。すると、いったい誰が何のために偽作したのか、そこがまるで見えてこないように思えるのである。
宗門では近年、日精上人への評価を大幅に変えた。こうした事例を考えると、棟札に対する評価も百八十度の転換があっても不思議はないだろう。今なら科学的な鑑定も可能だろうから、さしあたって徳川時代のものか否かの判定は、容易にできるに違いない。ぜひ、やるべきだ。
2015/1/11
本年最初の推論
元法華講氏の所属を暴露するコメントが寄せられた。現時点では、これについて本人が何も言っていないので、わたくしがとやかく言うのは筋違いであろう。
それにしても次の一文は不審極まりないものである。
私は、大聖人様が六老僧を定められる前に、身延から大聖人様の命を受けて建立された大本山に所属する宗派の末寺に所属しています。
大聖人の命を受けて建立された大本山?
これには何か根拠があるのだろうか?
たとえば池上だとか中山だとか、これらは大聖人とその弟子檀那ゆかりの地であり、そこに後年、寺院が建てられたことは誰も疑わない。広くは大石寺もそこに含まれるわけだ。たぶん身延山久遠寺を除けば、ほぼすべての寺院がそうなのであろう。
ところが上掲によれば、久遠寺以外にも大聖人の命を受けて建立された寺院が存在するという。本当だろうか?
この点、ぜひともご回答願いたいものである。
明治期の合同云々は確かにおっしゃるとおりであるが、しかし、これと血脈相承とは無関係である。仮に現代において、強権的に日蓮宗全派合同が行なわれたとしよう。日蓮正宗といえども権力には逆らえないので、仕方なくこれに参加したとしよう。そこで管長をどうやって決めるかが問題となるが、当然ながら数の力では勝てない。ようするに日蓮正宗の法主が全派合同の管長になる可能性は低い。しかし、それはそれ、これはこれ、である。日蓮正宗の法主は大石寺の住職である。この人が次の住職に血脈相承すればいい。それだけの話である。
識字率についてはおっしゃるとおりである。ゆえに大聖人は信徒のレベルに応じて御指南あそばされている。つまり、そのレベルに応じて学んでいけばいいのである。それだけの話だ。
六老僧に関しての考察はありがたく拝見させていただいた。とは言うものの、正直なところ物足りない。考察とおっしゃるのであれば、もう少し思考のプロセスを開示したほうがよろしかろうと思う。たとえば性格上のパターンがどうのこうのと書いておられるけれども、大聖人にそのような御考えがあられたという根拠がなければ意味がない。それ以前に、その六パターンなるものがどれほどの合理性に裏付けられているのかという問題もあるわけで、もしそれにもさしたる根拠がないのであれば、もはや考察などと呼べるシロモノではないだろう。
さて、沖浦氏のほうは少々厄介である。
神社参詣についてはひじょうに難しいところで、わたくし自身も未だによくわかっていない。ただし、あの日興上人がそんな初歩的な間違いを犯すだろうかという点がどうしても解せないところであって、むしろそれが事実ならばなぜに日興上人はそのような間違いを犯したのかという意味での積極的な考察を伺いたいところである。けれども、たぶん無理だろう。なぜならば日興上人は間違っていないからである。
http://white.ap.teacup.com/ganko/1890.html
リンク先は以前の拙稿であるが、我ながらよく書けていると思う。そしてこの時は、どういうわけかコメント欄が空白である。つまり、これに誰も反論しなかった。
ということで、沖浦氏にはぜひともリンク先を踏まえて反論を書いていただきたい。
少なくとも二箇相承が本当で、久遠寺の別当であるなら、逃げ出してはいけませんね。
これも難しい問題だ。
逆に、だから二箇相承は嘘っぱちである、というのが一般的な言い方なのだろう。それを沖浦氏はやや婉曲にというか、あるいは与えて論ずるということなのか、二箇相承が本当なら逃げ出しちゃいかん、という言い方をしているわけである。
わたくしの言えることはすべて推測でしかない。これをお断りした上で、少し考えを述べてみようと思う。
泣く子と地頭には勝てぬ
これが答えかもしれない。権力の横暴ということは今も昔も変わらないわけで、今でも冤罪事件が後を絶たない。昨年だったか、四十数年にわたって拘束されていた死刑囚が釈放されたということがあった。死刑が執行されなかったのは幸いであるものの、もはや失った時間は戻ってこない。文字通り、時は金なりである。どれほどの賠償金を積んでも贖い切れるものではないだろう。権力とは恐ろしいものである。
現代においてすらかくのごとし、いわんや鎌倉時代をやである。
又夜廻りの殿原はひとりもたのもしき事はなけれども、法華経の故に屋敷を取られたる人々なり。
大聖人は数々の法難を受けられている。門下もまたしかりである。上掲の事例は詳細不明であるものの、決して看過できないことだ。命を取られるのが最大の法難だとすれば、これはそれに匹敵する法難である。法華経のゆえに屋敷を取られるなど、信教の自由が保障されている現代ならば考えられない理不尽な出来事だ。
はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば・・・
いよいよ核心に迫ってきたとお思いかもしれないが、さにあらずである。とりあえず、何が言いたいかを示すと、ご覧のように大聖人は弟子や檀那たちに対して訴訟のアドバイスをあそばされていた。他にも事例がいくつもある。
ならば、である。くだんの夜廻りの殿原たちも例外ではないはずなのだ。屋敷を取られて黙っている道理はない。何らかの訴訟を起こしたかもしれないし、それに大聖人がアドバイスされた可能性も考えられるわけだ。
しかし、すでに述べたごとく、くだんの話は詳細不明である。
つまり、大聖人の時代には弟子や檀那たちに関係するたくさんの訴訟問題があったけれども、それらがすべて御書に残っているわけではないのだ。我々が見ているのは全体の三分の二かもしれないし、三分の一かもしれない。あるいは五分の一かもしれないし十分の一かもしれない。この数字を確定することはたぶん不可能だろう。ともかくわかっていないことがたくさんあるということだ。
話を戻そう。権力の横暴、権力による理不尽な行為は、何はさておき大聖人御自身がいちばんお受けになられている。
我今度の御勘気は世間の失一分もなし。
理不尽の政道出来す。
大事の政道を破る。
去ぬる文永八年九月十二日都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。
これらは鎌倉幕府の横暴を意味する御文である。大聖人が対峙したのは主に幕府の権力者だったが、それ以外の事例も存在する。最初に示した泣く子と地頭には勝てぬもまた事実なのだ。
・・・東条左衛門入道蓮智が事に依って此の十余年の間は見奉らず。
大聖人はかつて東条景信と訴訟合戦をして勝っている。しかし、この時の訴訟で怨みを買ったものか、それが後の小松原法難に結びつくことになる。暴力団の抗争でもあるまいし、現代ならば絶対に許されない暴挙が行なわれたわけだ。そこで上掲の御文であるが、おそらく景信は公言していたのだろう、日蓮房が帰ってきたらぶっ殺す、と。ゆえに大聖人は故郷へ足を踏み入れることができなかった。その期間が十余年ということなのである。しかし、母君の危篤を聞いて、危険を顧みずに帰郷した、そこを景信が襲ったわけである。
地頭の横暴ぶりがよくわかる事例かと思う。
これらを勘案するならば、日興上人が身延を離山したことをもって、逃げちゃいかんなどとは、そう簡単には言えないだろう。原殿御返事にはけっこう詳しいことが書かれているけれども、実はそれ以外にもさまざまの要因があったかもしれないのだ。すでに説明したごとく、そうしたことどもがすべて文献として残っているわけではないのである。
はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば・・・
再掲であるが、この辺がひとつのヒントではあるのだろう。いずれにしても本稿は推測の積み重ねに過ぎず、結局は何もわかっていないというのが現状なのである。
それにしても次の一文は不審極まりないものである。
私は、大聖人様が六老僧を定められる前に、身延から大聖人様の命を受けて建立された大本山に所属する宗派の末寺に所属しています。
大聖人の命を受けて建立された大本山?
これには何か根拠があるのだろうか?
たとえば池上だとか中山だとか、これらは大聖人とその弟子檀那ゆかりの地であり、そこに後年、寺院が建てられたことは誰も疑わない。広くは大石寺もそこに含まれるわけだ。たぶん身延山久遠寺を除けば、ほぼすべての寺院がそうなのであろう。
ところが上掲によれば、久遠寺以外にも大聖人の命を受けて建立された寺院が存在するという。本当だろうか?
この点、ぜひともご回答願いたいものである。
明治期の合同云々は確かにおっしゃるとおりであるが、しかし、これと血脈相承とは無関係である。仮に現代において、強権的に日蓮宗全派合同が行なわれたとしよう。日蓮正宗といえども権力には逆らえないので、仕方なくこれに参加したとしよう。そこで管長をどうやって決めるかが問題となるが、当然ながら数の力では勝てない。ようするに日蓮正宗の法主が全派合同の管長になる可能性は低い。しかし、それはそれ、これはこれ、である。日蓮正宗の法主は大石寺の住職である。この人が次の住職に血脈相承すればいい。それだけの話である。
識字率についてはおっしゃるとおりである。ゆえに大聖人は信徒のレベルに応じて御指南あそばされている。つまり、そのレベルに応じて学んでいけばいいのである。それだけの話だ。
六老僧に関しての考察はありがたく拝見させていただいた。とは言うものの、正直なところ物足りない。考察とおっしゃるのであれば、もう少し思考のプロセスを開示したほうがよろしかろうと思う。たとえば性格上のパターンがどうのこうのと書いておられるけれども、大聖人にそのような御考えがあられたという根拠がなければ意味がない。それ以前に、その六パターンなるものがどれほどの合理性に裏付けられているのかという問題もあるわけで、もしそれにもさしたる根拠がないのであれば、もはや考察などと呼べるシロモノではないだろう。
さて、沖浦氏のほうは少々厄介である。
神社参詣についてはひじょうに難しいところで、わたくし自身も未だによくわかっていない。ただし、あの日興上人がそんな初歩的な間違いを犯すだろうかという点がどうしても解せないところであって、むしろそれが事実ならばなぜに日興上人はそのような間違いを犯したのかという意味での積極的な考察を伺いたいところである。けれども、たぶん無理だろう。なぜならば日興上人は間違っていないからである。
http://white.ap.teacup.com/ganko/1890.html
リンク先は以前の拙稿であるが、我ながらよく書けていると思う。そしてこの時は、どういうわけかコメント欄が空白である。つまり、これに誰も反論しなかった。
ということで、沖浦氏にはぜひともリンク先を踏まえて反論を書いていただきたい。
少なくとも二箇相承が本当で、久遠寺の別当であるなら、逃げ出してはいけませんね。
これも難しい問題だ。
逆に、だから二箇相承は嘘っぱちである、というのが一般的な言い方なのだろう。それを沖浦氏はやや婉曲にというか、あるいは与えて論ずるということなのか、二箇相承が本当なら逃げ出しちゃいかん、という言い方をしているわけである。
わたくしの言えることはすべて推測でしかない。これをお断りした上で、少し考えを述べてみようと思う。
泣く子と地頭には勝てぬ
これが答えかもしれない。権力の横暴ということは今も昔も変わらないわけで、今でも冤罪事件が後を絶たない。昨年だったか、四十数年にわたって拘束されていた死刑囚が釈放されたということがあった。死刑が執行されなかったのは幸いであるものの、もはや失った時間は戻ってこない。文字通り、時は金なりである。どれほどの賠償金を積んでも贖い切れるものではないだろう。権力とは恐ろしいものである。
現代においてすらかくのごとし、いわんや鎌倉時代をやである。
又夜廻りの殿原はひとりもたのもしき事はなけれども、法華経の故に屋敷を取られたる人々なり。
大聖人は数々の法難を受けられている。門下もまたしかりである。上掲の事例は詳細不明であるものの、決して看過できないことだ。命を取られるのが最大の法難だとすれば、これはそれに匹敵する法難である。法華経のゆえに屋敷を取られるなど、信教の自由が保障されている現代ならば考えられない理不尽な出来事だ。
はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば・・・
いよいよ核心に迫ってきたとお思いかもしれないが、さにあらずである。とりあえず、何が言いたいかを示すと、ご覧のように大聖人は弟子や檀那たちに対して訴訟のアドバイスをあそばされていた。他にも事例がいくつもある。
ならば、である。くだんの夜廻りの殿原たちも例外ではないはずなのだ。屋敷を取られて黙っている道理はない。何らかの訴訟を起こしたかもしれないし、それに大聖人がアドバイスされた可能性も考えられるわけだ。
しかし、すでに述べたごとく、くだんの話は詳細不明である。
つまり、大聖人の時代には弟子や檀那たちに関係するたくさんの訴訟問題があったけれども、それらがすべて御書に残っているわけではないのだ。我々が見ているのは全体の三分の二かもしれないし、三分の一かもしれない。あるいは五分の一かもしれないし十分の一かもしれない。この数字を確定することはたぶん不可能だろう。ともかくわかっていないことがたくさんあるということだ。
話を戻そう。権力の横暴、権力による理不尽な行為は、何はさておき大聖人御自身がいちばんお受けになられている。
我今度の御勘気は世間の失一分もなし。
理不尽の政道出来す。
大事の政道を破る。
去ぬる文永八年九月十二日都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。
これらは鎌倉幕府の横暴を意味する御文である。大聖人が対峙したのは主に幕府の権力者だったが、それ以外の事例も存在する。最初に示した泣く子と地頭には勝てぬもまた事実なのだ。
・・・東条左衛門入道蓮智が事に依って此の十余年の間は見奉らず。
大聖人はかつて東条景信と訴訟合戦をして勝っている。しかし、この時の訴訟で怨みを買ったものか、それが後の小松原法難に結びつくことになる。暴力団の抗争でもあるまいし、現代ならば絶対に許されない暴挙が行なわれたわけだ。そこで上掲の御文であるが、おそらく景信は公言していたのだろう、日蓮房が帰ってきたらぶっ殺す、と。ゆえに大聖人は故郷へ足を踏み入れることができなかった。その期間が十余年ということなのである。しかし、母君の危篤を聞いて、危険を顧みずに帰郷した、そこを景信が襲ったわけである。
地頭の横暴ぶりがよくわかる事例かと思う。
これらを勘案するならば、日興上人が身延を離山したことをもって、逃げちゃいかんなどとは、そう簡単には言えないだろう。原殿御返事にはけっこう詳しいことが書かれているけれども、実はそれ以外にもさまざまの要因があったかもしれないのだ。すでに説明したごとく、そうしたことどもがすべて文献として残っているわけではないのである。
はきりどのの事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば・・・
再掲であるが、この辺がひとつのヒントではあるのだろう。いずれにしても本稿は推測の積み重ねに過ぎず、結局は何もわかっていないというのが現状なのである。
2015/1/8
本年最初の論考
元法華講氏はそろそろ所属を明らかにされたらどうかと思う。そのほうがスッキリしていいだろう。気分的にもそうだが、議論のほうもわかりやすくなるに違いない。
で、顕正会員や法華講員が最も陥りやすいのが御書至上主義ですが、私はあくまで在家の凡夫なので軽々に御書を紐解かないと決めております。最も「仏教学者」や「僧侶」になろうと言う方であれば、どんどん引用などされると良いかと存じます。
しかし、これは通らない話だと思う。御書至上主義かどうか知らないが、御書を心肝に染めるべしというのが日興上人以来の伝統であり、おそらくそれを広く徹底したのが戸田城聖氏であろう。彼は会長就任時に御書の発刊を決意し、一年後には実現している。その実行力もさることながら、単に書物を発行するだけに止まらず、教学振興に力を注いだ意味において、その功績たるや甚大なものがある。その結果、日蓮宗の坊さんたちが震え上がることにもなった。彼らもしょせんは職業僧侶であって、その多くが親から寺を引き継いだような人たちなので、それほど熱意があるわけではない。よって教学的な意味でも、ごく一部の僧侶を除けば大半が不勉強なのだ。ゆえに創価学会員にボコボコにされる結果となった。いや、ボコボコというのは表現であって、何も暴力を意味するわけではないが、ともかく当時の創価学会員は威勢がよかったのだ。それが昭和四十五年あたりでストップすることになったのは、皆さんのよく知るところだと思う。いわゆる言論問題というヤツだ。
話が脱線してしまったようだ。
在家信徒が御書を学ぶ意味においては、顕正会や法華講よりも創価学会が先行する。いや、もちろん、古くからの法華講員の中にも勉強家はいたであろうが、組織的に広く学ぶ機会を設けたのは創価学会が先だった。我々は後塵を拝していることになるのだ。いずれにしても仏教学者や僧侶を目指しているわけではない。つまりは行学の二道を励んでいるわけであって、それがいわば信仰の一要素なのである。
それはともかく話を進めよう。
唯授一人が大聖人の本意だとすれば、六老僧を選ぶ必要はなく、最初から日興に譲るとされているはずであり、後世の勝手な言い訳にすぎない。叉、血脈というのも同様で、明治期に断絶している事になり意味がない。
鋭い指摘ではあるものの、部分的には意味不明である。明治期に断絶している、というのがわからない。単にわたくしが不勉強なだけなのかもしれないが、もう少し具体的に教えていただければありがたい。
伝授を受ける人が全人類で1人なんて言うのは、仏法の本位から外れていますね。
これは先に頂戴していた沖浦氏のコメントである。前掲の元法華講氏のコメントと通ずるものがあるというか、言い方が違うだけで言っていることはほぼ同じである。
以前、ある会社の話で、こういう不文律があると聞いた。会長と社長は常に別行動、とりわけ同じ飛行機には絶対に乗らない、と。
週刊誌ネタになりそうな話だ。某企業は上層部で深刻な対立が起こっていると。
しかし、そうではなかった。もし飛行機事故でも起これば大変なことになる。一度にツートップがいなくなってしまうからだ。それを避けるために同じ飛行機には乗らないのだそうである。
リスク回避の一つの方法なのだろう。確かに会社によってはワンマンのところもあって、その社長が事故や病気などで急死してしまって、経営が成り立たなくなるような話はよく聞くところである。中小零細企業に多い。しかし、大企業はそんなバカなことはないだろう。
とは言うものの、トップシークレットというものがあるのだと思う。機密情報である。上層部のごく一部の人間しか知らない情報だ。くだんの会社であれば、会長と社長しか知らないことがあるのだろう。二人がいっぺんに死んでしまうと困ることになるのだ。
しかし、それは何だろう。具体的には何なのだろうかという疑問がある。わたくしの想像では、さしあたってパスワードのようなものがそれに該当するのではないかと思う。パスワードがわからないとニッチもサッチも行かないことになる。解読する方法が見つからない限り、その中身は永遠に封印されたままになる。企業活動としては致命的だろう。
回り道をしてしまったが、本題に戻ろう。
沖浦氏の言っていることも相当だと思う。わたくしは日蓮正宗シンパではあるものの、疑問がまったくないわけではない。たとえば今も非公開の御相伝があるとされている。オイオイ、いったいそれは何なんだよ、というのが本音である。
もしそれが本当ならば、御隠尊と御当代の二人しか知らないわけである。不謹慎ながら、もしこの二人が事故でも病気でもして、いっぺんに遷化されたら大事件だ。もう御相伝の中身は永遠にわからなくなるのだ。
ゆえにそれはハッタリだろう。そんなものは存在しないに違いない。というのがわたくしの中での一つの結論である。しかし、それと同時に、もしかしたらあるのかもしれない、という思いも捨て切れずにいるのだ。
また、なぜにそれが秘匿されているのか、なぜ公開したらいけないのか、われわれが知るとどうなるのか、それがまったくわからないところが不満である。
七百年間、一人から一人へ伝えられているものがあったとして、もし仮にわれわれがそれを聞いたらどうなると言うのだろう。なあ〜んだ、そんなことだったのか、大したことないじゃないか、ということにもなりかねないのではないか。
正直な思いを書いた。その上で言うべきことは言っておこう。
法門には理解度がある。ようはレベルである。創価学会が教学を広く徹底したのは前述したとおりだが、やはりそこには段階というものが必要だった。顕正会も同様で、教学に力を入れていた時代には六段階のカテゴリを設けていた。すなわち登用から一級までの六段階である。
この意味で沖浦氏の言っていることは間違いである。レベルが違えば、教える内容も変える必要がある。学ぶほうだって、いきなり難しいことを教えられても困るだろう。ぜんぶが等しく学ぶわけではないのだ。
そして五人所破抄などを拝すると、五老僧ですらも法門への理解度に問題があったことがわかる。日興上人とはレベルが違い過ぎたのだ。この辺に唯授一人の必然性ないし蓋然性のようなものを感じるのはわたくしだけであろうか?
唯授一人が大聖人の本意だとすれば、六老僧を選ぶ必要はなく、最初から日興に譲るとされているはず・・・
再掲であるが、これはわたくしの考えとは真っ向から対立するものの、確かに有力な意見だと思う。文献的にもこちらが不利であり、相手側のほうが圧倒的に有利である。ゆえに六老選定と唯授一人の整合性が見い出せない限り、議論としてはわたくしの負けとなる。この点は素直に認めなければいけない。
その上で諸氏の見解をお伺いしたい。六人の意味は何か、である。
そもそも六という数字に意味があるのかどうか、もちろん仏法上の意味である。もしそこに意味がないとしたら、大聖人はなぜに六人だけを選ばれたのか、である。十人とか二十人ではダメなのか、逆に三人とか四人ではダメなのか、である。
当時、身延には百人もの弟子が寄宿していた。叡山三千人からすれば、物凄く小規模ではあるけれども、しかし、わたくしの感覚ではけっこう多いのだ。つまり、百人もの弟子がいて、なぜに六人なのか、というのが一つの問題提起である。百人全員を本弟子にするわけにはいかないにしても、十人から二十人くらい選んでもおかしくはない。
もう一つの考え方としては数字に意味を持たせる方法である。ラッキーセブンというのは現代人の発想ではあるが、まさに御題目の七字に相当する。三人ならば三大秘法がすぐに思い浮かぶ。そもそも三は仏法世法双方にわたって汎用性の高い数字であるから、いくらでも説明がつくだろう。四人は申すまでもなく四菩薩である。
といったアンバイで考えていくと、本弟子六人の意味があまりよくわからないのである。あるいは六万恒河沙がそうなのだろうか?
いずれにしてもである。繰り返しになるが、五人所破抄の記述を信用するならば、日興上人と他の五人には御法門の理解度において相当の開きがある。その意味からしても、この六人の選定がどのような基準によるものなのか、いまいちよくわからないのである。
話が長くなってしまったが、もう少しだけ書いておこう。
此の妙法蓮華経は釈尊の妙法に非ず。既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり。
御義口伝の一節である。実は、この付嘱ということに関しては、当該御指南と観心本尊抄とでは言っていることが異なるのだ。煩瑣になるので、本尊抄のほうはキーワードだけ紹介しておこう。
地涌千界の大菩薩
四大菩薩
なぜだろうか、わたくしにはわからないが、本尊抄では上行菩薩に付嘱するとは仰せられないのだ。四菩薩に付嘱すると仰せなのである。そう、四人なのである。
それが後年、一人に絞られていく。
以上、これが本弟子六人の選定と唯授一人との整合性と成り得るかどうかは読者の判断に委ねるところである。
で、顕正会員や法華講員が最も陥りやすいのが御書至上主義ですが、私はあくまで在家の凡夫なので軽々に御書を紐解かないと決めております。最も「仏教学者」や「僧侶」になろうと言う方であれば、どんどん引用などされると良いかと存じます。
しかし、これは通らない話だと思う。御書至上主義かどうか知らないが、御書を心肝に染めるべしというのが日興上人以来の伝統であり、おそらくそれを広く徹底したのが戸田城聖氏であろう。彼は会長就任時に御書の発刊を決意し、一年後には実現している。その実行力もさることながら、単に書物を発行するだけに止まらず、教学振興に力を注いだ意味において、その功績たるや甚大なものがある。その結果、日蓮宗の坊さんたちが震え上がることにもなった。彼らもしょせんは職業僧侶であって、その多くが親から寺を引き継いだような人たちなので、それほど熱意があるわけではない。よって教学的な意味でも、ごく一部の僧侶を除けば大半が不勉強なのだ。ゆえに創価学会員にボコボコにされる結果となった。いや、ボコボコというのは表現であって、何も暴力を意味するわけではないが、ともかく当時の創価学会員は威勢がよかったのだ。それが昭和四十五年あたりでストップすることになったのは、皆さんのよく知るところだと思う。いわゆる言論問題というヤツだ。
話が脱線してしまったようだ。
在家信徒が御書を学ぶ意味においては、顕正会や法華講よりも創価学会が先行する。いや、もちろん、古くからの法華講員の中にも勉強家はいたであろうが、組織的に広く学ぶ機会を設けたのは創価学会が先だった。我々は後塵を拝していることになるのだ。いずれにしても仏教学者や僧侶を目指しているわけではない。つまりは行学の二道を励んでいるわけであって、それがいわば信仰の一要素なのである。
それはともかく話を進めよう。
唯授一人が大聖人の本意だとすれば、六老僧を選ぶ必要はなく、最初から日興に譲るとされているはずであり、後世の勝手な言い訳にすぎない。叉、血脈というのも同様で、明治期に断絶している事になり意味がない。
鋭い指摘ではあるものの、部分的には意味不明である。明治期に断絶している、というのがわからない。単にわたくしが不勉強なだけなのかもしれないが、もう少し具体的に教えていただければありがたい。
伝授を受ける人が全人類で1人なんて言うのは、仏法の本位から外れていますね。
これは先に頂戴していた沖浦氏のコメントである。前掲の元法華講氏のコメントと通ずるものがあるというか、言い方が違うだけで言っていることはほぼ同じである。
以前、ある会社の話で、こういう不文律があると聞いた。会長と社長は常に別行動、とりわけ同じ飛行機には絶対に乗らない、と。
週刊誌ネタになりそうな話だ。某企業は上層部で深刻な対立が起こっていると。
しかし、そうではなかった。もし飛行機事故でも起これば大変なことになる。一度にツートップがいなくなってしまうからだ。それを避けるために同じ飛行機には乗らないのだそうである。
リスク回避の一つの方法なのだろう。確かに会社によってはワンマンのところもあって、その社長が事故や病気などで急死してしまって、経営が成り立たなくなるような話はよく聞くところである。中小零細企業に多い。しかし、大企業はそんなバカなことはないだろう。
とは言うものの、トップシークレットというものがあるのだと思う。機密情報である。上層部のごく一部の人間しか知らない情報だ。くだんの会社であれば、会長と社長しか知らないことがあるのだろう。二人がいっぺんに死んでしまうと困ることになるのだ。
しかし、それは何だろう。具体的には何なのだろうかという疑問がある。わたくしの想像では、さしあたってパスワードのようなものがそれに該当するのではないかと思う。パスワードがわからないとニッチもサッチも行かないことになる。解読する方法が見つからない限り、その中身は永遠に封印されたままになる。企業活動としては致命的だろう。
回り道をしてしまったが、本題に戻ろう。
沖浦氏の言っていることも相当だと思う。わたくしは日蓮正宗シンパではあるものの、疑問がまったくないわけではない。たとえば今も非公開の御相伝があるとされている。オイオイ、いったいそれは何なんだよ、というのが本音である。
もしそれが本当ならば、御隠尊と御当代の二人しか知らないわけである。不謹慎ながら、もしこの二人が事故でも病気でもして、いっぺんに遷化されたら大事件だ。もう御相伝の中身は永遠にわからなくなるのだ。
ゆえにそれはハッタリだろう。そんなものは存在しないに違いない。というのがわたくしの中での一つの結論である。しかし、それと同時に、もしかしたらあるのかもしれない、という思いも捨て切れずにいるのだ。
また、なぜにそれが秘匿されているのか、なぜ公開したらいけないのか、われわれが知るとどうなるのか、それがまったくわからないところが不満である。
七百年間、一人から一人へ伝えられているものがあったとして、もし仮にわれわれがそれを聞いたらどうなると言うのだろう。なあ〜んだ、そんなことだったのか、大したことないじゃないか、ということにもなりかねないのではないか。
正直な思いを書いた。その上で言うべきことは言っておこう。
法門には理解度がある。ようはレベルである。創価学会が教学を広く徹底したのは前述したとおりだが、やはりそこには段階というものが必要だった。顕正会も同様で、教学に力を入れていた時代には六段階のカテゴリを設けていた。すなわち登用から一級までの六段階である。
この意味で沖浦氏の言っていることは間違いである。レベルが違えば、教える内容も変える必要がある。学ぶほうだって、いきなり難しいことを教えられても困るだろう。ぜんぶが等しく学ぶわけではないのだ。
そして五人所破抄などを拝すると、五老僧ですらも法門への理解度に問題があったことがわかる。日興上人とはレベルが違い過ぎたのだ。この辺に唯授一人の必然性ないし蓋然性のようなものを感じるのはわたくしだけであろうか?
唯授一人が大聖人の本意だとすれば、六老僧を選ぶ必要はなく、最初から日興に譲るとされているはず・・・
再掲であるが、これはわたくしの考えとは真っ向から対立するものの、確かに有力な意見だと思う。文献的にもこちらが不利であり、相手側のほうが圧倒的に有利である。ゆえに六老選定と唯授一人の整合性が見い出せない限り、議論としてはわたくしの負けとなる。この点は素直に認めなければいけない。
その上で諸氏の見解をお伺いしたい。六人の意味は何か、である。
そもそも六という数字に意味があるのかどうか、もちろん仏法上の意味である。もしそこに意味がないとしたら、大聖人はなぜに六人だけを選ばれたのか、である。十人とか二十人ではダメなのか、逆に三人とか四人ではダメなのか、である。
当時、身延には百人もの弟子が寄宿していた。叡山三千人からすれば、物凄く小規模ではあるけれども、しかし、わたくしの感覚ではけっこう多いのだ。つまり、百人もの弟子がいて、なぜに六人なのか、というのが一つの問題提起である。百人全員を本弟子にするわけにはいかないにしても、十人から二十人くらい選んでもおかしくはない。
もう一つの考え方としては数字に意味を持たせる方法である。ラッキーセブンというのは現代人の発想ではあるが、まさに御題目の七字に相当する。三人ならば三大秘法がすぐに思い浮かぶ。そもそも三は仏法世法双方にわたって汎用性の高い数字であるから、いくらでも説明がつくだろう。四人は申すまでもなく四菩薩である。
といったアンバイで考えていくと、本弟子六人の意味があまりよくわからないのである。あるいは六万恒河沙がそうなのだろうか?
いずれにしてもである。繰り返しになるが、五人所破抄の記述を信用するならば、日興上人と他の五人には御法門の理解度において相当の開きがある。その意味からしても、この六人の選定がどのような基準によるものなのか、いまいちよくわからないのである。
話が長くなってしまったが、もう少しだけ書いておこう。
此の妙法蓮華経は釈尊の妙法に非ず。既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり。
御義口伝の一節である。実は、この付嘱ということに関しては、当該御指南と観心本尊抄とでは言っていることが異なるのだ。煩瑣になるので、本尊抄のほうはキーワードだけ紹介しておこう。
地涌千界の大菩薩
四大菩薩
なぜだろうか、わたくしにはわからないが、本尊抄では上行菩薩に付嘱するとは仰せられないのだ。四菩薩に付嘱すると仰せなのである。そう、四人なのである。
それが後年、一人に絞られていく。
以上、これが本弟子六人の選定と唯授一人との整合性と成り得るかどうかは読者の判断に委ねるところである。