2015/1/13

本年最初の激おこ  
ろくでもない連中ばかりだ。拙稿をろくすっぽ理解しないで、自分勝手なことばかり書き連ねている。

神社参詣の是非は難しいと書いた。つまり、御書には神社参詣を容認するかのごとき御指南も存するわけで、一概に謗法であるとは言い切れない面があるのは事実である。月水御書の御指南などもそうだろう。

・・・神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり。

暗に日興上人を批判しているような御文である。いや、もちろん、文永元年の御書であるから、この時点で大聖人が日興上人にクギを刺しているといった、まさかそんな大胆な解釈をする人はいまい。まあ、しかし、いずれにしても当該御文は神社参詣容認と読むのが一般である。

だからこそわたくしは言っているのである。あの日興上人がである、日興上人ほどの人が、こうした点に無理解だったとは到底考えられない。オマエらみたいな、ろくでもない連中に言われるほど、馬鹿ではないだろう。

つまり、この点の考察が甘いのだ。もし日興上人が間違えたのだとしたら、なぜに間違えたのか、その必然的な理由があるはずなのだ。それにちゃんと答えられる人がいるのか、である。答えられないのであれば、偉そうなことは言うな、ということなのである。

別して元法華講氏に申し上げよう。

相変わらず短絡的というか、考えが足りないというか、あるいは他人の話を聞いていないというか、そんな感じが否めないところである。

まず、六老僧のことであるが、だからその思考のプロセスを示すべきなのである。神力品に六種云々との記述があるのは結構であるが、だからそれがどうしたのかと聞いているのである。冒頭に、ろくでもないとか、ろくすっぽとか書かせてもらったことの意味を考えてもらいたい。ようするに語呂合わせはいくらでも可能なのだ。問題はそこにどのような意味合いを持たせるかなのである。

建治という元号は弘安の前です。武勇伝ばかり宣伝されていますが、日蓮聖人は身延入山時、極貧状態で「自立可能な弟子」を布教の為に地方に出されています。そして、寺院を建立し布教の基礎を築かれて行ったのです。

だからその根拠を聞いているのだ。オタクの寺院ではそのように説明しているのかもしれないが、では、それはいつ頃から言われていることなのか、具体的にはどういった文献に残っているのか、ということなのである。
前回の拙稿は推測の積み重ねであるとお断りした。つまり、明確な証拠が示せないので、あくまで推測であることを断った上で、考えを書かせてもらったわけである。
残念ながらと言うべきなのか、大石寺にも伝説めいた話がいくつもある。厳密な意味では血脈相承もそうなのかもしれない。ゆえにそこを攻撃されると困ることになる。

まあ、しかし、これで一つ決着がついた。

元法華講氏は大石寺を批判できないということだ。なぜならば氏は何一つ根拠を示せないからである。自分のところの寺伝は無根拠でよくて、他人のところの寺伝には文句をつける。この自己中心的な思考には驚きを禁じ得ない。

最大サイズの真筆本尊があるのは、大石寺ではありません。大石寺の大本尊が本物であったとしても、中サイズなのです。
まさか「戒壇の中本尊」とは言えないでしょうけれど…


しかもである。サイズの問題だと勘違いしてしまっているところがこれまた驚きである。これについては適切なコメントが入ったので紹介しておこう。

2015/1/12 8:06
投稿者:んっ?
元法華講さん,お早う御座います!

「大」は「偉大な・優れた」を意味する接頭語です。

「未曾有の大曼荼羅也」と認められた御本尊様は
皆等しい大きさですか?

日春は「中聖人」でしょうか?


ちなみに、わたくしは元法華講氏がくだんの御本尊を拝することに反対しない。イヤミではなく、立派な信心だと思う。ただし、それが最大サイズだからという理由なのであれば、オイオイ、勘違いにもほどがあるぞ、と申し上げる以外にないだろう。

さて、身延離山については、ユタ氏がいいことを書いてくれた。

とにもかくにも、参詣者がいなければ困るでしょうから、参詣のしやすさはセールスポイントだと思いますよ。

日興上人の身延離山については、法義上の問題ばかりが取り沙汰されているけれども、他にも要因があるに違いないとわたくしは睨んでいる。たとえば身延に大聖人がいらした時には弟子がたくさん集っていた。百人とも言われるくらいだ。これはベラボウな人数で、食事のことを考えただけでも大変なことだ。

実際のところ、百人の生活がどういうものだったか、まったくわからない。核家族化の現代においては、仮に十人分の食事を用意すると考えただけでも大仕事である。今なら来客があれば宅配寿司で誤魔化してしまうのが普通だろう。それを考えれば、日常的に百人分の食事を用意することの大変さがよくわかるはずだ。つまり、身延では我々が想像する以上の人と金が動いていたのである。

ユタ氏の言っているごとく、身延は決して立地条件のいいところではない。しかし、大聖人の謦咳に接するべく、多くの弟子が参集していた。

これが劇的に変化する時を迎えた。

すなわち大聖人の御入滅である。

先ほど書いたように、身延では大量の人と金が動いていた。けれども、元来はそれほどアクセスのいい場所ではなかった。大聖人の御徳を慕って参集していた人たちも、大聖人がいなくなればそこに留まる理由はなくなる。さて、何が起こるだろうか?

この辺はまさに想像の域であるからして、どのようなシナリオも可能であろう。ともかく大きな変動が生じたのは間違いあるまい。

つまり、ここに御法門とは別次元の、何かしらのゴタゴタが起こっただろうことは容易に想像できるはずである。

以上のような理由で、わたくしは沖浦氏の言っていることには断じて反対である。何も知らない人間が偉そうなことを言うなということである。すでに書いたように、神社参詣の問題においても同様である。日興上人ほどの人が沖浦氏の教学力に劣るわけがない。ゆえにそこを深く考察すべきなのである。それをせずして頭ごなしに否定するほうが馬鹿げている。沖浦氏にはそこをぜひとも再考願いたいものである。

偽書の特徴は、真筆が無い、年号など怪しげ、史実と合わない、後世の最もらしい写本が幾つも存在する、特定人物や団体を絶賛などです。

この人も相変わらずだ。わたくしは真偽を論じないと再三にわたって言っている。それにもかかわらず、このテイタラクである。

しかし、面白いことを書いてくれた。

因みに大石寺蔵「日目譲り状」は「疑いようが無い?」真筆が存在しているとの事なので、堀師が石田博士とともに鑑定した「大坊棟札」のように鑑定すれば、少なくとも大石寺日目正統性はわかると思いますが。

いや、わたくしはむしろ、大坊棟札の再鑑定を希望したい。

前掲の、特定人物や団体を絶賛、というくだりが注目されるところで、ならばである、そもそも大坊棟札を偽作する動機がどこに存するのか、そこが問題となるはずなのだ。まさか浅井昭衛ないし顕正会を絶賛するために偽作されたとか、そんな荒唐無稽なことを言う人はおるまい。すると、いったい誰が何のために偽作したのか、そこがまるで見えてこないように思えるのである。

宗門では近年、日精上人への評価を大幅に変えた。こうした事例を考えると、棟札に対する評価も百八十度の転換があっても不思議はないだろう。今なら科学的な鑑定も可能だろうから、さしあたって徳川時代のものか否かの判定は、容易にできるに違いない。ぜひ、やるべきだ。


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