2015/2/8

顕正新聞第1331号を中心に  
このところの拙稿は創価学会批判に終始しているような感じだった。ゆえに、本来ならば創価学会員が力を合わせて拙ブログを潰しに掛かるべきところなのだが、現実は違うようである。何しろ創価学会員同士で言い争ってしまっているのだから、話にならない。いわゆる内紛、仏法用語では自界叛逆とでも言うべきところだろう。ことに昨年の十一月八日以降、ネット上ではそれが顕著になったようである。もともと沖浦氏は異端児みたいな存在なので今さら驚きもしない。しかし、そうではない人たちも、ああだこうだと言い争っているのだ。はたして創価学会首脳はこの事態をどのように見ているのだろうか?

ところで顕正会の話題であるが、なぜか顕正新聞が届かないので、わたくしとしては書くことがあまりない。たまたま遅れているだけなのか、それともすでに出来しているのだがたまたま拙宅だけに届いていないということなのか、それすらもわからない。困ったものである。

そうは言ってもストックがある。顕正新聞第1331号だ。一月十五日号のことだが、これが手元にある最新の顕正新聞である。

当該号は第一面で元旦勤行のことを報ずる以外、いつものごとく各種の集会における登壇記事の羅列である。実につまらない。五面の左下に「食は薬なり」のコラムがあって、緑茶の効用のことが書かれている。これが唯一の救いだろうか?

極悪の大謗法おこる、広宣流布は近い

一面に戻って、これが元旦勤行における浅井先生御挨拶の見出しである。講演とは書かず御挨拶としたのは、新聞の表記に従っただけのことである。どうでもいいことだが、講演の時は講演で挨拶の時は御挨拶と表記されているのが少し気になる。

それはともかく、上掲の意味はもうおわかりのことだろう、例の話題である。

 創価学会は昨年一一月七日、あろうことか「本門戒壇の大御本尊を信仰の対象にはしない」と、ついに公式に言い切った。

これが浅井先生御挨拶の中身である。新春号掲載の年頭の辞では、これをキッカケにますます天変地夭が盛んになる旨を述べていた。そして今回は見出しにあるように、広宣流布は近いという。大悪は大善の瑞相であると。

しかし、そこには以前のような具体性は見られない。いわゆる、あと○○年というヤツである。

まあ、二百万が一つの具体的目標ではあるわけだが、しかし、その数字にどれほどの価値があるのかがひじょうに疑問である。二百万を達成したところで、だから何なの、それがどうしたの、と言われればオシマイである。活動会員が二百万人もいれば驚くが、実際はまったく違うのだから話にならない。ただし、もし仮に一割が活動会員だとすれば、二百万の時には二十万人が動くことになる。確かにこれはこれで有力な存在なのかもしれない。

つまり、累計の数字ではなく、現実に結集可能な数字こそが眼目であって、おそらくは本部首脳もそこに焦点を当てているに違いないのだ。

男子五万、女子三万、婦人二万。

これがいちおう現時点での結集力と考えられる。すでに十万人の結集力があるということだ。これを五年間で倍増できるかどうか、そこが問われているのである。

最初から水を差すようなことを言うけれども、倍増は難しそうである。せいぜいが微増だろう。それが妥当な見方だと思う。

理由は簡単である。

まず前提として現時点の結集力を十万人とした。すでにしてこれがアヤシイのだ。この数字がどこまで真実であるかが問題で、多くの人が指摘するごとく相当の水増しが行なわれていると考えられる。すると、当てずっぽうではあるが、十万ではなく七万人くらいが真実かもしれない。もし七万が本当ならば、倍増ではなく三倍増でなければ、二十万に達しない。これはキツイだろう。

そして、せいぜいが微増と書いた。

これはデータが物語ることであって、五万人の男子部大会の前には三万人の男子部大会があった。長野のエムウェーブで行なわれたものである。これが五年ほど前の話なのだ。つまり、長野で三万を集めたのであれば、埼玉で六万を集めないと倍増にはならない。現実は五万だった。その五万も粉飾が疑われているわけだが、いずれにしても倍増は実現していない。つまり、この実績を当てはめれば、五年後も同じことが予想されるのだ。

熱心な活動会員たちは希望的観測から、顕正会の戦いは広宣流布に向かってどんどん加速度をつけて行く、などと思っているわけだが、客観的にはひじょうに難しい。おそらくはすでに気がついている会員たちも少なからず存在するだろう。

長々と書いたが、ほとんど無意味な文章である。

活動会員倍増計画は実現困難であるというのが第一点で、もし仮に二十万の活動会員を確保できたとしても、それがどれほどの影響力を発揮するかは未知数であるというのが二点目、つまりは二重の意味で否定的にならざるを得ないということで、こんなことをわざわざ長々と書く必要もなかったというのが結論なのである。

いつも言っているように、広宣流布が近いのであれば、まずは宗門との関係を修復しなければいけないだろう。今のままでは広宣流布のゴールが来る道理がないのだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/archive/2015/02/03

これはセロリ氏のわりと最近の投稿であるが、大発見と言ってもいいくらいのものである。実際にはひじょうにわかり難い。事情を知らない人が読めばチンプンカンプンのはずである。しかし、きわめて重要な指摘である。

わたくしの思うに、当時の浅井先生はまだ宗門に期待していた、近い将来、顕正会が認められる日が来ることを信じていた、ところが平成十年以降、事情が変わってしまった、そして先生はある時点で宗門復帰の目がなくなったことを悟った、それから激烈なる宗門批判を展開するようになった・・・

セロリ氏が調べてくれた浅井発言の数々を、当時の背景などを踏まえて静かに観察するならば、上述のようなことが見えてくるのではないかと思う。

よい意味と悪い意味を込めて結論を言えば、浅井先生も人間なのである。


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