2015/3/15

有徳王と不徳王  
昨夕は沖浦氏から、そして今朝は長ったらしい名前の人からコメントを頂戴した。前者に対しては、ここ最近は顕正会の話題を中心に書いているので、そちらの話題は別の機会に取り上げさせていただきたいと申し上げておこう。後者には特に申し上げることはない。

顕正新聞第1333号の記事で注目したのは、第二十四女子部長の「教学を学んで」と題する登壇である。彼女は解任されていなければ顕正新聞の編集次長のはずである。それが今回、三級試験を受けた。今や顕正会の大幹部であられる彼女が、三級試験とは驚きである。

しかし、どうだろう。

古参の一・二級合格者であっても長年サボっていれば、今の現役バリバリの幹部に劣るのではないか、仮に三級を受けたとしても落ちる可能性だってあるのではないか、という気がしないでもない。

極論すれば浅井先生だって同じことなのだ。先生以下、本部首脳こそが真面目に教学に取り組まなければいけないと思う。

さて、記事に戻ろう。

ギリギリの広布最終段階の今、他国侵逼は必ず起き、そのとき国立戒壇は建立され・・・

よくわからないのは、いったい何がギリギリなのか、である。結局、顕正会でそう言っているだけの話であって、客観的にはギリギリでも何でもないのだと思う。また、他国侵逼の具体的なシナリオが不明瞭である。例えば尖閣奪取を意味するのか、あるいは沖縄上陸なのか、それとも本土なのか、である。しかし、この時点で急いで国立戒壇を建てようとしても間に合わない。それで以前は、事実上の国立戒壇などという、わけのわからない概念を持ち出してきたこともあった。しかし、しょせんは凡夫であるから、未来のことはわからないのだ。

顕正会の折伏には締め切りがある。おそらくはこの発想が広宣流布にも援用されていると見るのが一般であろう。しかし、これまた現実には締め切りを何度も破っているのであるから、まるでお話にならない。しょせん、ギリギリの最終段階というのは一種のスローガンに過ぎないのだろう。

・・・先生のご雄姿は、まさに有徳王の姿を彷彿といたします。

凄いことを言うものだ。そして続きの文章が、これまた気になるところである。

 そこに今、学会も宗門も師敵対に陥った姿に、富士大石寺の清浄な流れから「師子身中の虫」を追い出された先生こそ、大聖人様の真のお弟子であられること・・・

何を言っておるものかと思う。だからいつも言っているのだ、宗門復帰しなければいけない、と。

池田大作氏を師子身中の虫だと言いたいのだろう。事実、彼は宗門から追い出されてしまった。けれども、自分だって同じではないか、自分だって追い出された側ではないか、というツッコミにはどう応じるつもりなのだろうか?

もし顕正会が宗門復帰を遂げれば、上掲の文章も有効だろう。多少の文言を修正すれば、使えるはずである。しかし、今は違うだろう。何を寝ぼけたことを言っておるのかと、叱りつけたいところだ。

・・・先生の偉大なお立場に、ただただひれ伏したものであります。

そりゃあ、有徳王ですからね、偉大でしょうよ。

しかし、クドイようだが言わなければいけない。有徳王が破門されてどうするのかと。かつて浅井先生は、池田氏を有徳王ではなく不徳王だなどと揶揄していたが、自分だって五十歩百歩のところを歩いていることを自覚しなければいけない。ともかく宗内に戻って、そこから池田氏を痛烈に批判するならば、それこそ有徳王の振る舞いに準ずるものと言えるだろう。


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