2015/3/22

顕正新聞第1334号精読  
同じ文章を繰り返し貼り付けている御仁がいる。例の長ったらしいハンドルネームの人だ。

もっといろいろ工夫して書けばいいのに、そうすればわたくしも興味を持って取り上げるかもしれないし、他の読者のためにも有益だろう。

なぜ、そうしないのか?

わたくしは二つの可能性を考えている。一つには底の浅さがバレてしまうからであり、もう一つには己の正体がバレてしまうからである。

同じ文章を繰り返し貼り付けている段階で、すでに己の底の浅さを露呈しているようなものであるが、いろいろなことを書けば書くほど、それがバレてしまう。そこが文章の恐ろしさである。
かく言うわたくしも同じことであって、もう十年も書き続けているので、眼光鋭い読者にとっては巌虎の人物像が手に取るようにわかるであろう。
ひるがえって、くだんの人物も多くの読者たちの目に晒されていることを自覚すべきである。コピペに終始しているようではいけない。もっといろいろと書くべきである。

御遺命守護の時代はいわば伝説化されており、浅井武勇伝にしてもそうだが男子精鋭二千も再検討する必要があると思う。ようは大袈裟すぎるのだ。

その関連において、近年の顕正会員のレベル低下に比べれば当時の妙信講員はベラボウにレベルが高かったという見方があるけれども、わたくしはそれに対してじゃっかんの異議を差し挟みたい。ようするに全員がそうだったわけではないのだ。当然ながら、デキの悪い人もいたのである。ましてや、あれから何十年も経過しているわけで、その間にサボっていれば結果は知れたものである。ただでさえデキの悪い人が、長年サボっていれば、頭の中はカラッポになってしまうだろう。誰のことを言っているかはご想像にお任せする。

そしてもう一つの可能性、すなわち己の正体がバレてしまうから・・・というのは、ようするにくだんの人物は妙信講の古参を騙っているけれども、実はまったくの門外漢なのではないかとわたくしは睨んでいるのである。

これは今までの文章だけでも相当の部分、その片鱗を窺わせるところなのだが、さすがに材料が足りな過ぎる。ゆえに、もっと書けと言っているのだ。書けば書くほど、その人物像が明確化される。文は人なりである。ましてや書けば書くほどボロが出てくる。あれ? こんなこと妙信講員が書くかな? というような場面がたくさん生じてくる。わたくしはそんなに古い時代を知っているわけではないけれども、拙ブログの読者の中にはそういう人もいるだろうから、おかしなことを書けばその人が指摘してくれるだろう。

さて、どうするか、大いに注目である。

では本題に入ろう。昨日に引き続き顕正新聞の話題である。

・・・ご雄姿はあまりに眩しく、そしていよいよこれからが先生の最後の戦いなのだと、伏して思うものであります。

総合女子部長の登壇であるが、わたくしは先生の最後の戦いというフレーズに哀惜を感じる。不謹慎ながら、さすがに先生も高齢であるからいつ逝ってもおかしくない。彼女もそれをわかっているのだろう。

 いま、いかなる宿縁か、自分ごとき者が国立戒壇の御遺命が実現する前夜に・・・

男子部第五十五隊班長の登壇である。この人は一昨年の八月に創価学会から入会してきたという。前夜はもちろん譬喩であって、まさか明日の朝には国立戒壇が実現するみたいな、一夜城のような話をしているわけではないのだろうけれども、彼らは広宣流布甚だ近しという意識を持っていて、熱心に活動しているわけである。はたしてこれがいつまで持続するかである。ご存知のごとく顕正会は定着率が悪い、熱心な活動会員であってもいつ退転するかわからない、という問題を抱えている。やがてはこの人も顕正会の実態に失望し、去って行くことになるかもしれない。

さて、次は婦人部片瀬支区部長の記事である。

 一昨日、「正邪を決したい」と申し出てきた学会幹部に対し、一組長とともに真心で折伏に当ることができ、感激でいっぱいであります。

・・・ワクワクして待っていると、四〇代だという二人の学会幹部がやってきました。

 彼らはびっしり書き込んだ御書を大事そうに持っていましたが、こんなに熱心な青年たちも、学会員であるゆえに正しい教学を学べないのだと・・・

わたくしの着眼点を書いておこう。

四十代の創価学会幹部=熱心な青年?

失礼ながら彼女はそれ相応の年齢らしい。四十代は青年ではなく壮年だろう。それが一般的な認識のはずだ。しかし、彼女から見れば若く見えるのかもしれない。また、高齢化の進んだ現代においては、四十代も青年にカテゴライズされつつあるのかもしれない。

それはさておき、彼女は二人の青年に対し、次のような印象を述べている。

こちらの話は一切聞かない謀略部隊とは違う真摯さを感じました。

なるほどね、ネット上も似たり寄ったりである。

今度は婦人部越谷支区部長である。

 この人は、池田大作を「学会第二代・戸田会長より偉いんだ」とよく言っていたので・・・

こういうのがよくわからない。大聖人より日興上人のほうが偉いんだ、日興上人より日目上人のほうが偉いんだ、みたいな話だろうか?

女子部第百二十一区総班長の記事も創価学会ネタであるが、わたくしはそれとは別の部分に注目した。登用試験の参加率である。

昨年比三百%の九名の参加が叶いました。

近年、成果をパーセンテージで表現する記事が目立つ。これが何となくイヤらしい。わたくしは数字オンチなのでよくわからないのだ。ようするに上掲の場合は前年比三倍の伸びという意味だろう。三人から九人に増えたわけだ。

しかし、これが十人単位・百人単位になると大変である。十人から三十人へ、百人から三百人へ、同じ三倍であっても中身は異なる。大変さが異なるのだ。

浅井先生はこの点を見落としているのかもしれない。悪く言えば、自分が現場に出て苦労していないから、わからないのだ。

「末期肺癌」の宣告に頭が真っ白!
 「成仏できれば本望」と肚を決め切る
 「癌が消えている」医師の言葉に感泣


婦人部仙台支区班長の体験発表にイチャモンをつけておこう。この人は糖尿病を患っていて定期的に通院しているようである。ある時、胸のレントゲンを撮り、医者から次のごとく言われたそうである。

落ち着いて聞いて下さい。写真に影が見られます。もしかしたら、末期の肺癌かもしれないです

医者のほうこそ、もっと落ち着かないといけない。いきなり末期の肺癌かもしれないなどという医者がいるとは思えないが、これが事実ならば落ち着くのは患者ではなく医者のほうだろう。普通は、腫瘍のようなものが見えます、悪性だといけないので詳しい検査を受けてみましょう、といった説明をするのではないかと思う。顔馴染みの関係であれば、癌かもしれないと言うかもしれないが、それにしてもいきなり末期癌かもしれないとは言わないだろう。

国内最大の学会で研究発表が叶う
 大手企業から共同研究の申し出も
広布を見つめ「妙法の医学」実現を


最後に女子部90区長の体験発表を紹介しよう。わかりきったことだが、上掲の学会は創価学会のことではない。当該号は見出しに学会の文字がたくさん躍っているので、ちょっと紛らわしい意味がある。これを踏まえて拙ブログではなるべく学会ではなく創価学会と書くように心掛けている。面倒臭いようだが、そのほうが紛れがない。

体験発表の中身は素晴らしい。しかし、わたくしが注目したのは別の部分である。

「あと十有余年しかない広宣流布の戦いに、自分も社会人となり、経済的にも自立し、もっと御奉公させて頂きたい。力をつけて、先生のお役に立たせて頂きたい」

彼女は大学生の時に大学院に進むかどうか悩んでいた。その結論が上掲である。すなわち大学院への進学を断念し、就職したのだった。そして次の一段が注目である。

 いま社会人となって一〇年・・・

ようするに、あと十有余年を云々していた時から、すでに十年の歳月が流れているのである。すると、あと有余年、ということか? 普通は有余年とは言わないだろう。つまりは、あと数年、である。

けだし、先生の最後の戦い、と言い、広宣流布の前夜、と言うも、あと数年のことなのだと。

さすがに穿ち過ぎだろうか?


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ