2015/4/9

春の決着  
どうやら決着がついたようである。沖浦氏本人も日蓮正宗を破折し尽くしたつもりになっているので、あとは読者各自の判断に任せるべきところだが、わたくしとしては言い足りないところがあるので、もう少しだけ書きたいと思う。

沖浦氏は本尊抄に仏像という語があるのを捕らえて、仏像は仏を象ったもので仏そのものではない、などと散々言ってきた。これは開眼だとか観門の難信難解がわかっていない証拠である。しかし、いくら言ってもわからないので、少し角度を変えて論じてみたのが昨日の拙稿である。今一度、復習のつもりで書いてみよう。

仏像は仏を象ったもので仏そのものではない。

だったら以下も同じ理屈だろう。

南無妙法蓮華経は法を表現したものであって法そのものではない。

ところが沖浦氏の答えは違っていた。

 法そのものです。

こういうのを支離滅裂というのだ。

説明しよう。本尊抄に、仏像は仏そのものではない、などという御指南は存在しない。沖浦氏が勝手に解釈しているだけである。だったら南無妙法蓮華経と法の関係も同じだろう、というのがわたくしの反論だった。ところが沖浦氏は肯んぜず、法そのものだと言い張っているのである。しょせんは自分の都合に合わせて好き勝手に解釈しているだけであり、それがために統一性に欠けるのだ。すなわち支離滅裂ということである。

 一切衆生が久遠の自受用報身にょらいである。

次に発迹顕本について書くわけだが、その前に上掲をやっつけておこう。氏は拙稿をまるで読んでいないようだ。自受用報身如来という語は希少であって、御書中にはほとんど見られない。ゆえにこの語を用いるのであれば、まずはその文証を提示しなければいけないのだ。

そこで今日のメインイベントである。

 発迹顕本とは、迹を発って本を顕すとの意味で、火としての仮の姿から、久遠の南無妙法蓮華経であることを悟ることを言います。

火としては人としての間違いだろう。上掲の文章はそこを除けば明快である。しかし、明快イコール正解ではない。単に文章がわかりやすいので明快と書いただけのことで、内容的にはデタラメきわまるものである。どうやら沖浦氏は発迹顕本の意味がわかっていないらしい。その決定的証拠が次である。

 釈迦は菩提樹の下で、伝教は比叡山散策中に、大聖人は竜の口で、戸田先生は獄中の悟達でそれぞれ発迹顕本をなさいました。

戸田城聖氏のことは詳しく存じ上げないので、ノーコメントとしよう。また、伝教のことも不勉強のわたくしにはよくわからないことだ。

大聖人は竜の口で・・・

もちろん正解であるが、沖浦氏の場合は発迹顕本の直接の文証を示す必要がある。それが出来なければ失格である。シツコイようだが言っておく。氏の引用する御文には発迹顕本とは書かれていない。つまり、直接的な文証を提示できない限り、正宗教学のパクリだと言われても文句は言えないのだ。

そして最大の失敗は釈尊についてである。

釈迦は菩提樹の下で・・・

これは大間違いだろう。素直に認めなければいけない。

生意気を言うようであるが、わたくしは解説書を読まない。ゆえに発迹顕本の正確な意味を知らない。しかし、御書を拝することによって、おおよそのことはわかる。また逆に、御書を基準に考えているので、世間一般の認識ではなく大聖人の御認識に基づく言葉の意味を知ることが出来るのだ。実は開目抄に発迹顕本の語がある。

迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。

これで沖浦氏の間違いは明白だろう。しかし、読者の中には教学に疎い人もいるだろうから、もう少し説明を加えたい。上掲の御文の直前には次のような一文がある。

二には「始成を言ふが故に曾て未だ迹を発せず」と、本門の久遠をかくせり。

始成正覚と久遠実成という言葉がある。前者は釈尊が三十歳の時に成道を遂げたことを意味する。そして後者は法華経の本門寿量品に至って、我は久遠の昔に成道を遂げていたと明かすのだ。つまり、これが発迹顕本である。

ゆえに沖浦氏の菩提樹下云々は、三十成道のいわゆる始成正覚を意味するのであって、発迹顕本ではない。とんだ勘違いである。

ここで余談を差し挟むと、顕正会では大聖人が立宗宣言をあそばす三十二歳の時をもって成道したという雰囲気のことを言っている。あくまで雰囲気であって、明確には言わないのだけれども、ともかくそのようなニュアンスのことを言っているのだ。御存知のごとく、御化導の上で佐前佐後ということがある。ゆえに、竜の口以前は釈尊における爾前経の位置づけに相当すると大聖人御自らが仰せられているわけであり、この意味からしても釈尊の三十成道と大聖人の御年三十二歳における立宗宣言が相当の関係にあると考えられるのだ。以下は浅井昭衛著南無日蓮大聖人の一節である。

 清澄寺の前庭の左の谷間には、明星ヶ池と呼ばれる池がある。末法の一切衆生のための本尊を祈請し給うていた蓮長法師は、四月二十八日の未明、この池の辺に立たれた。そして、池の水面に映る影を見給うに、「不思議なり、日蓮が影今の大曼荼羅なり」(御本尊七箇之相承)と。池に映ったその影は、そのまま「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」の御本尊の御形であった。

まさに雰囲気濃厚であろう。わたくしは拙ブログを通して浅井先生を徹底的に批判してきたわけであるが、あくまで是々非々である。良いところは評価しなければいけない。ゆえに過去にも書いたごとく、文底読みの名手・種脱相対の名人、というのがわたくしの浅井先生に対する評価である。ちなみに、その浅井先生が絶対的に信頼しているのが日寛上人なのだ。正宗教学をナメてはいけない。

http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-201.html

とは言え、沖浦氏にとっては他宗の内部規定に過ぎないということになりそうなので、ここでリンクを紹介しておこう。これは昨日、発迹顕本をキーワードに検索を掛けていて発見したブログであるが、どうやら七十九歳の創価学会員が書いているらしい。

 釈迦仏法では、法華経如来寿量品第十六で、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したというのは、衆生を教化するために迹を垂れたものであり(始成正覚)、その本地は五百塵点劫以来、三世常住の仏(久遠実成)であると明かしたことをいう。

昨日も書いたように、検索を掛けるとなぜか創価学会系のサイトばかりが出てきて、当然ながらそこに書かれているのは大聖人の発迹顕本のことばかりなのだ。しかし、本来の意味はまさに上掲のごとく、釈尊の久遠実成を指し示すわけである。これで沖浦氏の間違いは確定だ。

しかも当該リンクの続きの文章を読んでいくと、凄いことが書かれている。

 日寛上人は次のように仰せです。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(『日寛上人文段集』)
 「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」(同)
 「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」(同) 
 ありがたい仏法だ。超越的な別な理想人格がゴールだったら、私たち今世で幸福になることはありえなくなる。


どうやらこれは池田名誉会長の発言らしい。斉藤という人物との対談形式になっていて、御書の世界という書籍にまとめられているらしいのだ。

あらまあ、どうするんだろうね。教義の改変なんか、やらなきゃいいのに。自語相違の連発で、もはや収拾がつかない。困ったもんだ。

今回の法門談義はこれにて一件落着としたい。


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