2015/6/5

鬱々とした毎日  
めずらしく法華講員の三氏からコメントを頂戴した。何がめずらしいかと言えば、最近は多方面からコメントが寄せられることが多く、法華講員限定というのはマレな出来事だからである。

勤行は四十五分から五十分が相場であると・・・

これはちょっと考えさせられた。正直な感想は、長いなあ、ということだ。

顕正新聞の記事の趣旨は、宗門ないし創価学会の勤行は速いということで、ようは顕正会の勤行がどれほど丁寧であるかを言わんとしているわけだ。ゆえに法華講の諸氏は上述のごとく言うわけで、ようはちゃんと丁寧にやっているということを伝えたかったのだろう。

それは対顕正会の意味では正しいというか、適切な反論だろうと思う。しかし、わたくしは今や無所属の人間であり、必ずしも顕正会寄りではない。

ゆえに正直な感想として、長いと書いたのだ。

現代人の感覚として、勤行にそれだけの時間を費やすのは大変なことである。いや、現代人というより在家の立場と言い換えたほうがいいかもしれない。出家はいわば専門家であるから、勤行が長いだの何だのと言っているわけには行かないだろう。しかし、在家は仕事を別に持っているわけで、朝の出勤前にそれだけの時間を費やすのは大変なことであるし、残業でもして夜遅く帰ってくればそれはそれでまた大変なことである。

このように考えると、坊さんはずいぶん楽じゃないか、われわれ在家のほうがよっぽど大変じゃないか、という気持ちにもなりそうである。

創価学会問題というのはさまざまの要素があって簡単には説明がつかないのだろうけれども、なるほど、創価学会側の一つの言い分というか不満として、このようなことがあったのかもしれない。そこで宗門と決別した折に、勤行の様式も大幅に短縮してしまったと考えられるのだ。

そして現状では、宗門法華講は敷居が高く敬遠される傾向にあり、創価学会ないし顕正会のほうが遥かにハードルが低い。これもさまざまの点から考察する必要があるだろうけれども、さしあたっては勤行のことが影響しているのではないかと思う。

もしそうならば、宗門側も何かしら方策を立てる必要があるかもしれない。いや、もちろん、そう簡単な話ではないが、思い切って在家用の勤行様式を発案するとか、そういうことが要求されているのではないかという気がする。

天生原の問題は再考の余地があるだろう。

現状では結論が出ているかのごとく思われているが、必ずしもそんなことはない。宗門は正本堂問題の後遺症に苦しんでいるのだ。当時のことは今一度、よく検証するべきであり、いつまでも天生原戒壇説の否定ばかりに終始していてはいけないと思う。

すでに何度も述べたことだが、わたくしは国立戒壇の呼称に拘泥しない。この意味で、いつまでも国立戒壇の呼称に拘泥している顕正会は問題である。理由は簡単だ。国立戒壇が言われるようになったのは宗門の長い歴史の中ではごく最近のことであり、わずかの期間に過ぎないということだ。ゆえに、この名称そのものに拘泥する積極的な理由は、どこにも存在しない。国立戒壇ではなく本門戒壇と呼ぶべきなのだ。

では、天生原戒壇説はどうか?

これは国立戒壇の比ではない。この点がひじょうに重要である。つまり、宗門の歴史の中において、相当の期間、言われ続けてきたことなのである。

昭和の一時期、使われていた国立戒壇。これは文字どおり一時的なものであるから、それを言わなくなったとしてもさしたる問題はないだろう。ところが天生原戒壇説はそうではないのだ。不勉強のわたくしは詳しく知らないが、少なくとも数百年のスパンで言われ続けてきたことなのだ。これを正本堂問題の時に、国立戒壇と一緒くたにして葬り去った。これはおかしいだろう。少なくとも第三者が事情を聞けば、わたくしの言っていることも相当だと思うはずだ。

また、天生原ないし天母山の現在のテイタラクをもって、とても戒壇建立の勝地とは思えないという意見があるようだけれども、これもいかがなものかと思う。

そもそも急峻で本門の大戒壇を建てるに不適格という意見がある。だが、しかし、これは大間違いの考え方である。富士大石寺もしくは富士山大石寺、あるいは大日蓮華山大石寺、これらはいわゆる寺号とか山号と呼ばれるものだろう。では、大石寺は富士山のテッペンに建っているのか、ということになる。同様の意味で、本門戒壇を天母山のテッペンに建てる必要はないわけで、天母山を中心とした広がりであるところの天生原の中で適地を選べばいいだけの話である。ちなみに、これを拡大解釈して天生原=大石原ということを宗門では言ったりもしていたが、これはまさしく拡大解釈だろう。

さらに、角度を変えて見れば、いわゆる迹門戒壇の地たる叡山がよき先例かもしれない。

京都市中には神社仏閣がたくさんある。しかるに延暦寺は比叡山の標高のかなり高い位置にあるのだ。なぜにそんな不便なところに建てたのだろうか?

こうした先例がある以上、天生原戒壇説を地理的悪条件を理由に否定することは出来ない。むしろ第三者の目には、なぜにそこまで否定に躍起になっているのか、おかしいではないか、と映るであろう。宗門首脳部はこの点をよく考え直すべきだろう。

ここまで来れば、わかるだろう。現在のテイタラクなど、まるで問題にならない。

実際に本門戒壇を建てる時にはそれなりの造成工事が行なわれることになるわけで、現在の建築技術をもってすれば何の不都合も生じない。

それよりも何よりも、いつも言っているように凡夫には未来はわからないのだ。

宝永の大噴火があって富士山は大きく形を変えてしまった。そう、大聖人がご覧になられたであろう富士山と、今現在の富士山は違うのだ。もしもこの先、宝永の大噴火を凌駕する超巨大噴火があったとしたら、山そのものが吹っ飛んでしまうかもしれない。そして当然ながらその規模の噴火があれば周辺は居住困難になる。天生原はもちろんのこと、大石寺のあたりも全滅するかもしれないのだ。

もはやここまで来ると、天生原戒壇説を否定することのチンケさが鮮明になるはずだ。大石寺こそ霊仙浄土に似たらん最勝の地などと強弁したところで、一発の噴火で終わってしまうからである。

また、そうすると、大聖人の仰せられた富士山に本門寺の戒壇を建立すべしとの御遺命も虚しくなる。もちろん現時点ではタラレバの話であって、必ずそうなるとも言えないし絶対にそうならないとも言えない。こればかりは誰にもわからないのだ。

いずれにしても天生原の問題については再考すべきと思う。

今回、縷々述べたことで充分に伝わったと思うが、単に天生原を否定して大石寺を戒壇建立の最終地のごとく主張するのは、ハタ目にはいかにも手前味噌の論理に映るという現実を宗門首脳部は自覚すべきなのである。かく言うわたくしは天生原戒壇説について結論を得ているわけではない。そんなに頭のいい人間ではないし、それほど詳しく勉強したわけではないので、わからないというのが正直なところである。ゆえに、むしろわたくしは第三者的目線で物を見ることが出来るのであって、そうした目線からすると現宗門の主張は拙速に思えるのだ。よって、宗門首脳にはぜひとも再考を願いたいと思う次第である。


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