2015/7/2

傍観者v氏との対話  
本日は傍観者v氏のコメントを中心に取り上げるつもりである。その他の人たちにはご不満もあろうかと思うが、よろしく斟酌願いたい。

(1)依経にしている法華経が仏説ではありません。
(2)仏説でない法華経を元にしてる日蓮の教えは破綻した教義です。
(3)日蓮遺文は嘘ばかり書いてるので日蓮は嘘つきです。
(4)最後に日蓮本仏も否定します。
(5)解脱した仏が生まれ変わることはありません。


この五項目について回答を求められた。さしあたってはイエスかノーかを聞いているのだろう。しかし、いかがなものかと思う。五項目になってはいるものの、あまり整理が出来ているとは言えない。

まず一番目と二番目が悩ましい。ようは二つで一つの問いのようにも考えられるからだ。そして決定的なのが四と五だ。何しろ四番目で「最後に」と書いているのであるから五番目があること自体がおかしい。つまり、五番目は問いではなく、四番目の問いの補足説明になっているわけだ。

こうして見ると、五項目は五項目ではないことになる。何となく五つも並んでいると壮観な印象を与えるけれども、まるで整理整頓が出来ていない。この点を自覚すべきだろう。

さて、少し遠回りをしよう。

大石寺家掲示板での法華講員。

何だこれは? 大石寺家掲示板ではなく、大石寺系教団の掲示板だろう。貴辺はこれを短縮して大石寺掲示板と言っていた。これはまだ許せる。しかし、大石寺家掲示板はないだろう。明らかなミスタイプだ。

沖浦殿のいい加減な行為に関して注意を注意するのならここでも構わないですよ。

注意を注意する? 何だこれは? 前にも似たようなことを言ったはずだが、一つくらいの間違いで大騒ぎするのも大人気ないけれども、貴辺の場合はそこらじゅうに間違いが存する。こんなテイタラクで議論を挑もうとするのが、そもそもの間違いなのではないかと言いたいところだ。

ここで構わないと同意発言がでたのでここで、始めましょうか。

これも悩ましい。句読点の打ち方には、必ずしも正解があるわけではないが、わたくしならば次のように打ちたいところだ。

ここで構わないと同意発言が出たので、ここで始めましょうか。

ちなみに「でた」も「出た」に改めた。ようするに「で」が頻出するのが美的ではないのだ。いずれにしても、「出たのでここで、〜」はヘンだろう。「出たので、ここで〜」のほうが普通のはずだ。

そもそもである。ここで構わないなどと誰が言ったのだろうか?

たぶん、文証を出すことは不可能だと思う。ゆえに、わたくしならば次のように書く。

管理人殿の言い様は、ここで構わないと言っているようにも聞こえるが、どうか? ならば、ここで始めましょう。

相手の文章をよく読んでから書くべきだ。さらに自分の文章もよく推敲すべきだろう。

他の質問にはスルーですか。

これは誤字脱字の話ではない。なるほど、そのように感じておられるわけか。これについては今日のブログが好例であって、ようは全部のコメントには対応し切れないので、重要なものであるとか、わたくし個人の興味関心によって、取り上げるものが変わってくるということをご理解いただきたいと思う。もちろん、都合の悪いものには触れないという場合もあるわけだが・・・

そういうわけで、一度ならず二度三度と問いを発していただければ、こちらがどういう意図で回答しないのかが判明するのではないかと思う。

看破できないほど不快なんでしょう。

再び誤字の話だ。おいおい、いったい誰が看破できないと言ったのか、少なくともわたくしは言っていないぞ。

看過できない。

看破できない。


本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。上掲の二文はまったく意味が異なるのだ。もはやこうも誤字脱字が多いとなると、単なるミスタイプでは済まなくなってくる。この人は言葉の意味もよくわからずに使っているのではないか? わたくしにはそうとしか思えないのだ。失礼ながら、こんな人とはまともな議論が出来るわけがないと、このように一蹴されても文句は言えないだろう。

といったところで、話を戻そう。

(1)依経にしている法華経が仏説ではありません。

これも文章的にはどうかと思う。「法華経が」ではなく「法華経は」としたほうがよさそうだ。

それはともかく、上掲はいわゆる大乗非仏説と呼ばれるもので、おそらくは法華経だけでなくその他の大乗経典も仏説ではないという主張なのだろう。これについてわたくしが肯定するか否定するかを問うているのだと思うが、答えは簡単である。知らない。以上である。

知らないものはどうしようもない。

(2)仏説でない法華経を元にしてる日蓮の教えは破綻した教義です。

なるほど、これは相当の部分、正しいと思う。

何しろ大聖人は法華経を仏説であるとし、その数多の経典の中で最上位に位置するものだと主張しているわけである。ゆえに法華経が仏説でなければ、その時点で大聖人の仏法は破綻することになる。言っていることはまさに道理である。

(3)日蓮遺文は嘘ばかり書いてるので日蓮は嘘つきです。

しかし、これは失礼な話だ。

ウソばかり書いていると言いながら、その具体例を何一つ示していない。「嘘ばかり」という表現からすれば、それこそ一つや二つの話ではないのだろう。いったいどのくらいのウソがあるのか知らないが、その代表的なものをいくつか示すべきだと思う。話はそれからだ。

(4)最後に日蓮本仏も否定します。

冒頭に記したごとく、これは次の項目とワンセットである。

(5)解脱した仏が生まれ変わることはありません。

へえ〜そうなの、そういうものなんだ。

ようするに、解脱した仏はもはや二度と世に生まれ出ることはない、よって久遠元初に成道を遂げた日蓮大聖人が後の世に出現することはあり得ない、というようなロジックなのだろうと思う。

しかし、わたくしはこの辺の事情に疎いので、そう言われればそれまでである。何しろ知らないのだから答えようがない。

いちおう参考までに、解脱した仏が生まれ変わることはないという点について、もう少し詳しくご教示いただければありがたい。

以上、ご不満もあろうかと思うが、今回はこんなところで終わりにさせていただく。


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