2015/7/5

傍観者v氏とその仲間たち  
意外な事実が判明した。傍観者v氏は日蓮宗系の御書を使用しているらしいのだ。上野殿母尼御前御書という表記がそれである。わたくしは平成新編を愛用しているのでわからなかった。あれ? 文永七年には上記の御書は存在しないぞ? どうなってんだこりゃ? と思って御書全集を確認してみた。ところが全集は上野殿母尼御前御返事となっている。そこで日蓮宗の現代宗教研究所のサイトを確認してみた。それが当該表記と符合するのである。

ああ、余計なことを書いてしまった。こんなことを書いているから話が長くなるし、ややこしくもなるのだ。

2015/7/4 23:29
投稿者:傍観者v
サンプルを出せということですので、たくさんあり迷いましたが、管理人殿の合わせて一例を出します。遺文では「上野殿母尼御前御書」と「善無畏三蔵抄」ですね。この文書は文永七年ですので同じ時期です。

「法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願いて候いしが、願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か、恐恐。」(上野殿母尼御前御書・文永七年)

日蓮は蒙古の牒状が来て、先に勘文として幕府に出した効果があったせいか、世間の日蓮党を見る目が柔らかくなった。自賛と言いながら前の文章の「日本国に人ごとに信ぜさせんと願いて候いしが、願や成熟せんとし候らん」と書いています。

日本国の人が日蓮が法華経を信ずるようにと願ってたことが、どうやら蒙古の牒状で、その願いが成就しそうだと文永七年に書いています。はたしてそうでしょうか?

さらに「善無畏三蔵抄」(文永七年)では

「十七年が間是を責めたるに、日本国の念仏大体留まり了んぬ。眼前に是見えたり。又口にすてぬ人々はあれども、心計りは念仏は生死をはなるゝ道にはあらざりけると思ふ。禅宗以て是くの如し。一を以て万を知れ。真言等の諸宗の誤りをだに留めん事、手ににぎりておぼゆるなり。」

十七年が間に法然の念仏宗を責めて、日本国の念仏はほぼ終わりだと書いてます。そしてもっと意外なのは禅宗も同じ運命だと書いてます。。

さらに、これを以って(この2つの例で)全てに当てはめると真言宗の命運も、もはや手に握ったようなものだ。と豪語してます。これは手紙を送った相手は兄弟子の義浄房と浄顕房ですから、檀越に送る手紙と違って、マジにそう思ってたんでしょう。


ひじょうに長ったらしいので、閲覧者もウンザリだろう。さて、今後どうするかが問題であるが、上掲には続きがある。

2015/7/4 23:30
投稿者:傍観者v
さてそれでは、鎌倉時代から現代に目を移すと、日本人の宗教割合は神教が約1億600万人、仏教が約9600万人、キリスト教が約200万人ですが、重複申告もありますので、全部足すと日本の人口の二倍になります。

1位 神社本庁 6805万人
2位 幸福の科学 1100万人
3位 創価学会 827万世帯(回答が世帯数だったとの事)
4位 浄土真宗本願寺派 694万人
5位 浄土宗 606万人
6位 立正佼成会 429万人
7位 高野山真言宗 411万人
8位 日蓮宗 385万人
9位 天理教 164万人
10位 霊友会 158万人 (2009年統計)

で、文永七年は身延隠棲の頃です。ここで日蓮は念仏はもう終わり。禅宗の終了も同じ運命。真言宗の命運は手に握ったは、どうですか?全くあたってませんね。現代から見ると結局嘘じゃありませんか。

明治の頃では圧倒的に浄土系が日本のほぼ全域に分布し、日蓮が云うような禅宗も滅びていないし、真言宗に至っては滅ぶ気配すらなかったですね。唯一信長に叡山が責められて戦国期に壊滅的打撃を受けましたが、そののち天海和尚が東叡山で盛り返し、天台宗は西に東に隆盛を誇ってます。

(つづく)


なんと、まだ続くのだ。

2015/7/4 23:31
投稿者:傍観者v
>これは大変なことだ。大乗非仏説はかなり時代が下ってから出てきたものだと思っていたが、安然が言ってるのだとしたら大事件である。何しろ大聖人の御書にも安然のことがけっこう出てくるからである。

経典の由来を少しでも研究したら、当たり前のことですが、この程度で驚かれては論争相手として、こちらが落胆しますね。

大乗思想は発生当初より、説一切有部などの部派から批判され、対して大乗側からは『大乗荘厳経論』「成宗品」のように大乗非仏説に対する反論も展開された。

大乘莊嚴經論  礙捨者不應爾釋曰若此大乘非佛説者是爲大障諸佛有三因縁何故不記一無功用智恒起是眼恒見二恒作正勤守護正法三如來智力無

龍樹菩薩もたびたび「大乗は仏教にあらず」という主張に対する反論を行なっている。 「宝行王正論」においては、「大乗は徳の器であり、己の利を顧みず、衆生をわが身のように利する」として大乗の思想を称賛し、 釈迦の根本教説を「自利・利他・解脱」とし、六波羅蜜は「利他・自利・解脱」を達成するものであるから仏説であると主張している。

もともと口伝であった釈迦の教えが、上座部の一部の経典を大乘経典に挿入するなどの動きがあり、大乗の経典を否定する上座部仏教では、大乗経典のような勝手な経典の創作から、口伝読誦されてきたこれまでの初期経典を文字化して守るためであったとされています。

事実四世紀頃までスリランカなどの南伝地方は口伝読誦された教えも多くあったことが確認されてます。それらについては中国の創作・梵網経でも触れられています。

梵網經 若佛子心背大乘常住經律言非佛説而受持二乘聲聞外道惡見一切禁戒邪見經律者犯輕垢罪

これらの流れで安然が「真言宗教時問答」において大日如来に触れて釈迦を教主としない経典であるならば大乗経典(大日・毘盧遮那仏・阿弥陀・薬師)は佛説ではないと論じている。(この部分は漢文で長いので要旨のみ)(まだつづく)


ありゃりゃ、まだ続くらしい。

・・・・ところがである。なぜかこの続きがないのである。上掲はすべて投稿時間も併せて紹介させていただいたわけだが、その意味は一目瞭然だろう。上掲の三本はあらかじめ原稿を用意しておいて一気に投稿したことがわかるはずだ。それで(まだつづく)と書いておきながら、続きがない。こんなおかしなこともあるまい。

文字数制限で分割になるので、お借りします。 投稿者:傍観者v 投稿日:2015年 7月 5日(日)05時44分26秒

これは彼らのホームグランドと言うべき大石寺系教団の掲示板に投稿されたものである。なんと驚くべきことに、ここには続きの文章が出ているのである。

サンプルを出せということですので、たくさんあり迷いましたが、管理人殿の合わせて一例を出します。遺文では「上野殿母尼御前御書」と「善無畏三蔵抄」ですね。この文書は文永七年ですので同じ時期です。

煩瑣になるので途中は省略しよう。

これらの流れで安然が「真言宗教時問答」において大日如来に触れて釈迦を教主としない経典であるならば大乗経典(大日・毘盧遮那仏・阿弥陀・薬師)は佛説ではないと論じている。(この部分は漢文で長いので要旨のみ)


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>学者は権威に寄らない。権威に屈するのではなく、真実に屈するのだ。たぶん岩本氏は学者の矜持として大聖人と対等の立場から論じているのだろう。氏の法華経理解からすれば大聖人のそれは不十分であって本質に至っていない。

それは管理人殿の希望であったり、願望です。ここで感想を書いていいのでしたら全く議論になりませんね。しかも左翼系の「権威に寄らない。権威に屈するのではなく、真実に屈するのだ」なんてお題目で悦に入るのは結構ですが、歴史を見ればそんな理想的人物が何人いたのか、日本を見ても権威だらけ、派閥学問だらけじゃないですか。
何が真実に屈するのだ、ですか?そういう御託宣を述べられる人が、2015/7/1 16:21投稿者:折伏被害者の指摘にはレスしませんね。

私の「日蓮の教えが正しいと妄信してるカルト信者とよく理解できました。」には反応するが以下には反応できませんか?

>こうして述べてきてハッキリしたのは、厳虎さんがマインドコントロール状態から抜け出せてない事、その努力をする事に消極的であるという事です。
>これも予想通りの事なので、前回「瑠璃堂氏」の名前を引き合いに出させていただいたんです。

これ実に、同じことを言葉を変えて書いてますけど、まぁそれはこれくらいにしておきましょう。

先の岩本氏ははっきりその著書で「大乗非仏説」を書いています。

大乘非佛説論者が大聖人をどうとかと言われても、管理人殿の感想と学術的事実を混同されては困ります。鳩摩羅什の訳経の法華経が意訳であり、元の梵品に忠実なものでなければ、当然それをベースにした法義は土台が間違っておれば総崩れでしょう。

何か希望的感想で「事の本質を隠していると表現しているのだ。」と言ってますが、岩本氏はハッキリと鳩摩羅什の意訳箇所を否定しています。つまり引いては日蓮さんを否定している事になりますね。理解できますか?

>傍観者v氏は薬王品得意抄を真面目に読んでいないのだろう。最低でも引用部分の前後を確認しておくべきだ。

貴方は「薬王品得意抄」は誰にどんな質問に対して日蓮が書いたものか存じているのですか?貴方の「御文の流れである。いったいこれのどこが誤魔化しなのだろうか?」という文章を見て、この人も把握されていないことがわかります。

薬王品得意抄と更に返書をもう一度読まれることをオススメします。なお、この指摘は戸頃重基氏が指摘されて、日蓮宗が沈黙したものですよ、それもご存知ではない。

>又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。

この時の日蓮の手紙に何が書かれてましたか?貴方は基礎的な解釈が欠落してますのでこういうことでは、論議になりません。まず確認です。何を以前の法門とし、なにをそれ以後としたのですか?

次の記事でお答えください。


相変わらずのオッチョコチョイと言うべきか?

しかもである。前回も指摘したように、自分で書いたであろう文章とどこかから引っ張ってきたと思しき文章が混在していて、文体がおかしくなっているのである。さらに想像を逞しくすれば、お仲間からの入れ知恵というか、代理投稿に近いような印象も否めない。

こんなことを書くと、証拠を出せと騒ぐかもしれない。証拠は以下である。

2015/7/4 18:12
投稿者:傍観者v
沖浦殿ご返事よん。

2015/7/4 18:11
投稿者:傍観者v
(つづきよん)


バカバカしいので本文は省略したが、興味のある人は前回分のコメント欄を確認されるといいだろう。これは明らかに文体が異なる。まるで別人の文章だ。もしこれを本人が書いたのだとすれば、悪ふざけにも程がある。穿った見方をすれば、文体の不整合がバレないように、ワザと極端に異なる文体を使って、煙幕を張った。まあ、証拠能力としては甚だ弱いものの、懸命なる読者にはおわかりいただけるのではないかと思う。

いずれにしても、こんな下らない策を弄しているから、投稿に不備が生じるのだ。

繰り返し言おう。

昨夜遅くに投稿した時、(まだつづく)と書いておきながら続きを投稿しなかった。今朝、大石寺系教団の掲示板には全文投稿しているわけだから、すでに原稿の用意は出来ていることになる。しかるに拙ブログのほうには続きが投稿されていない。今現在の時間は午前十一時である。ようするに、すっかり忘れてしまっているわけなのだ。こんなマヌケな話もあるまい。

さて、いよいよ本文であるが、今日のところはやめておこう。次回にしたい。

ちなみに、傍観者v氏のマネをすれば、(つづく)ということになるわけだが、わたくしの場合は原稿の用意があるわけではないので、氏の(つづく)とは意味が違う。次回、この続きを書くという意味だ。


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