2015/7/16

顕正新聞第1346号精読  
顕正新聞第1346号は五月度班長会の記事を中心に組まれている。今日はそれを取り上げるわけだが、まずは総男子部長の登壇である。

向こう四年こそがまさに勝負・・・

お気の毒なことだが、もはやこうした年限を切る手法は失敗することがわかっている。何しろ百万の時の経験則がある。あの時は失敗だった。ゆえにまた失敗するだろうと見るのが常識的である。

今、東京五輪のことでスッタモンダが起こっている。新国立競技場の建設問題だ。けれどもオリンピックが開催されるであろうことは確実であり、これ自体が白紙に戻ることは考え難い。

では、顕正会の場合はどうか、ということになる。

四年後にいったい何をどうするつもりなのか、それがはっきりしないのである。一国諫暁をするのだろうことはわかっているが、その具体的なビジョンがまったく見えてこない。諫暁書を作って配布するのだとしても、その反響は高が知れている。十万人のデモ行進をするにしても、自己満足の域を出ない。いずれにしても、広宣流布・国立戒壇建立に向けて大きく前進しなければいけないわけだが、四年後にそうしたエポックメーキングが起きるとは思えない。

ということは、向こう四年云々はいわゆる折伏法戦における締め切りと同じくらいの意味しかないわけであって、ともかく四年後を目指して頑張ろうと言っているだけの話に過ぎないのではないかと思う。

これに関連する意味で、第三男子部長の登壇を次に紹介しよう。

・・・来たる十一月三日、他国侵逼を迎え撃つ「三千」の陣容で、浅井先生の下に馳せ参じてまいる覚悟であります。

どこが関連しているのか、と思う人がいるかもしれない。ようするに構造的にまったく同じなのだ。半年後に南東北大会が開催される。第三男子部はこれに向けて三千人の結集を達成すべく頑張ると言っているわけである。しかも他国侵逼を迎え撃つとまで言っているのだ。さすがに大袈裟過ぎるだろう。

つまり、単純化すれば目標を設定してそれに向かって突き進む、ただそれだけの話なのである。そこに他国侵逼だとか、巨大地震、経済崩壊など、さまざまの要素を付加して、顕正会には重大な使命があるかのごとく思い込ませる。ようはこれが浅井先生の手法なのだ。

ずいぶん辛辣なことを書いてしまったが、ともかく百万の時のことがあるので、わたくしもそれを経験している立場なので、傍観者の無責任な発言ではないという点はご理解いただきたいと思う。

もっとも今は傍観者の仲間入り(?)であるが・・・

次は総合婦人部長と副総合婦人部長の記事をご覧いただくが、さて、閲覧者諸氏はこれをどのように読むだろうか?

 さらに先生は、月々に急テンポで動く世界情勢は、すべて「前代未聞の大闘諍」へと向っている様相を教えて下さいました。

・・・顕正会の熱気の最高潮へと身を委ねて戦える心躍る思いでいっぱいになりました。

思いっきりヘンな文章である。婦人部の大幹部がこのテイタラクではどうしようもない。わたくしはこのように思っているわけだが、閲覧者諸氏はどのように思われるだろうか? あるいはわたくしのほうに重大な錯覚があるのだろうか?

今さら昔の話を蒸し返すのも失礼な話かもしれないが、女子部で長いこと総合女子部長の座に君臨していた人物も、おかしな文章を書いていた。拙ブログのどこかにそれが残っているはずである。そしてご存知のごとく、彼女はその後、引退と表現するべきなのかどうか難しいところだが、ともかく表舞台から姿を消してしまった。

失礼ながら上掲の婦人部最高幹部二人も、似たような兆候が出てきたのではないかと思う。

しかし、半分は編集部の責任である。そうした文章の不具合は編集部のほうで直せばいいのだ。勝手に直すのが問題ならば、本人たちに書き直しをお願いすればいい。

初めて知る沖縄の正しい歴史に涙
 県民も自虐史観から救われるを確信


第八女子部長の記事に付された見出しであるが、これが前述の話とは正反対で興味深い。というのは、本文中には次のように書かれているからである。

始めて正しい歴史を知り・・・

拙ブログでは繰り返し指摘してきた事案である。「始めて」は現代国語としては不適切であると。しかし、浅井先生も頑固な人で、これだけは一向に改まらない。それで弟子たちも先生のマネをして「始めて」を多用するわけである。

ところが、当該記事の見出しは、本文中の始めてを無視して初めてと書き直している。これは本来の編集部らしい仕事をしていると言えるだろう。今後もこの調子で頑張ってほしいものだ。

 いま新入信者、元未活動者、長一人を脱皮した班長はじめ、参加者全員が・・・

女子部総務の記事である。ここまでは文章にケチをつける場面が多かったわけだが、この記事は別の意味で取り上げさせていただいた。

元未活動者・・・

この表現が興味深かった。たぶん初出だろう。ようは活動から遠ざかっていた人が再び積極的に活動するようになったことをこのように表現しているのである。ヘンと言えばヘンであるが、そもそも未活動という表現自体が適切ではないとの指摘もあるくらいなので、それを考えれば今さらツッコミを入れるのもどうかと思う。むしろ絶妙の表現のようにも思えるくらいだ。

さて、今度は婦人部十和田支区組長の記事であるが、彼女は平成十九年に母親の折伏で高校入学と同時に入信したという。次のくだりはここ一二年の出来事と思われる。

 それよりは、いつも傍で励ましてくれる母と共に戦いたいとの思いが募り、婦人部に移籍させて頂き・・・

つまり、それまでは女子部に所属していたわけである。それがご覧のごとく婦人部へ移籍した。まだ二十代も前半なのに、なぜに婦人部なのだろうか?

紹介しなかったが、彼女は難病を患っているので、そうした理由もあるのかもしれない。しかし、いつも言っているように、もはや顕正会は婦人部女子部の垣根がアイマイで、単に年齢だとか既婚未婚の区別などでは分類できなくなっている。ようはわけがわからないのだ。

次はいわゆる創価学会ネタである。

 ○○さんの家には学会版本尊が二体も置かれており・・・

女子部第百四十八区総班長の記事だが、細かいことは省略しよう。上掲で気になったのは、家に仏壇が二つあるということなのか、それとも一つの仏壇に二体の本尊が安置されているということなのか、である。後者は思いっきりヘン、前者もそこそこヘン、といったところか? もっとも大きなお屋敷であれば、前者のケースはそれほど不自然ではないだろう。ともかく記事にはそうした情報が書かれていないので、これ以上は何とも言えないところである。

もう一つ、創価学会ネタを紹介しておこう。

すぐに五千円で御本尊様を買わされたことで学会に不信感を懐くも、幸せになりたい一心で・・・

女子部第百三区総班長の記事だ。買わされたという意識というか認識は、おそらく十人十色であろう。創価学会は大組織なので、おそらく年間で万単位もしくはそれ以上の新規入信者がいるものと思われる。ゆえに入信者の意識も十人十色で、喜んで入信した人もいれば付き合いでシブシブ入信したというような人もいるかもしれない。当然、後者であれば、本尊を自ら求めたというよりは、買わされたという意識のほうが強いだろう。

ちなみに顕正会の場合は、入信早々に本尊を下付されることは絶対にあり得ないことなので、上掲のようなことは起こり得ない。しかし、経本と数珠を買わされたと思う人はいるかもしれない。

当該号はおおむねこんなところである。


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