2015/12/31

ホンネンサイゴノ  
宿題が溜まっている。やり残したことがたくさんある。しかし、今日一日でそれを片付けることは不可能だ。仕方がない。あわてず、のんびりと書き進めていくことにしよう。

顕正新聞第1359号は佐渡会館特集号である。浅井先生が佐渡の地を踏むのは、実に三十一年ぶりのことだそうである。逆に言うと、先生は三十一年前に佐渡に渡っていた。当時の顕正会はまだ小さく、地方組織もようやく芽を吹き始めたくらいの時期だった。地方会館など、ほとんどなかった時代である。その時代に佐渡へと渡ったのは、まさに先生の深い思い入れによるものなのだろう。

その意味で、佐渡会館の実現は万感胸に迫るものがある。ただし、やや無理をしているような気がしないでもない。

後の顕正新聞で明らかになることだが、今回の佐渡会館の御入仏式には全国から多数の幹部が馳せ参じている。通常であれば、基本は地元会員が中心で、そこに先生が大幹部を引き連れて乗り込む形になるはずである。しかし、それでは格好がつかないのだろう。地元会員だけでは格好がつかない。だから本土からたくさんの応援部隊を派遣したのである。

佐渡会館は十月十七日、その前月すなわち九月六日には姫路会館が完成している。これを比較すれば一目瞭然だ。

そして二階には広い礼拝室と談話室。

これが佐渡会館の説明である。一方の姫路会館は次のごとく書かれている。

二階は六〇畳の礼拝室、ホール、談話室。

前者は「広い」という漠然とした表現、後者は「六〇畳」という具体的な表現、この違いがポイントである。ようは小さな会館なのだろう。それを誤魔化すためにアイマイな表現を使ったのだ。実際、会館内の写真が実に巧妙で、礼拝室の広さというか狭さというか、それを覚られないようなカット割りばかりが使われている。建物の外観写真もしかりである。いちおう正面からのワイドはわかる。しかし、奥行きがわからない。仮にもし、奥行きが写真の範囲に過ぎないとすれば、実に小さな会館である。しかし、切り取られていて奥行きがよくわからない。つまり、奥行きをアイマイにすることで、建物の規模を誤魔化しているのである。

もう一つ、重要なポイントがある。まずは姫路会館の報道をご覧に入れよう。先ほどの引用を含めて、第1355号の記述である。

 このあと会館では三回にわたって勤行が行われ、先生の講演がビデオ放映された・・・

では、佐渡会館はどうか?

実は該当する記述が存在しないのである。ゆえに、もしかしたら勤行ないしビデオ放映が一度も行なわれなかったかもしれないのだ。

これで無理をしている云々の理由がわかっただろう。どうやら佐渡にはそれほど会員がいない。いないにもかかわらず、無理をして会館を建ててしまった。だから全国から応援部隊を送り、いちおう格好だけはつけた。しかし、地元会員の絶対数が少ないので、ビデオ放映は行なわなかった。式の本番、その一回こっきりで間に合ってしまった。たぶん、そういうことなのだろう。

さて、それでは会長講演を見ていこう。

双方の使者は七里ヶ浜あたりで交差したという。

竜の口法難を説明するくだりに、ご覧のような記述がある。越智の三郎が御所に走らせた使者と御所から刑場に向かった使者とが交差したという話であるが、この出典は何なのだろうか?

 この六郎左衛門という人は武蔵守宣時の家人で、佐渡の新穂に領地を持つ地頭です。そのようなことから、大聖人様の身柄を預かる責任者だったのです。

前掲の話題は御書にその記述を見ないので何とも言えないところだが、上掲については少し意見を言いたい。続きが問題なのだ。

 彼は竜の口において、眼前にあの大現証を見ている。ゆえに心の中では、大聖人様に対し深い尊崇の念を持っていたと思われる。

本間六郎左衛門が竜の口の刑場にいてあの大現証を見ていたというのは本当だろうか?

わたくしはこれに疑問を持った。その根拠は浅井先生の御書講義である。先生はこれまで何度も種々御振舞御書(下種本仏成道御書)の講義を行なっている。あの大現証があって、死刑は中止となった。その後、大聖人は依智に護送されるわけだが、刑場にいた兵士たちは誰もその道を知らなかった。

此は道知る人なし、さきうちすべし・・・

御書の記述である。いかがだろうか、もしそこに本間六郎左衛門がいたならば、どうして道がわからないのか、その説明がつかなくなる。先生もボケたか? いや、先生一人の責任ではない。本部首脳も悩乱しているのだ。

次は自界叛逆の予言的中についての説明である。

 いいですか。塚原の三昧堂に入られたのが十一月一日。そして翌年二月十一日に、北条一門の中で自界叛逆が起きた。ピッタリ百日ですよ。まさに大聖人の御予言どおりです。

実に悩ましい。

このように書くと、オマエは大聖人を疑っているのか、というツッコミが寄せられるかもしれない。しかし、そういう意味ではないのだ。次をご覧いただきたい。

さらに阿部日顕の退座も先生の「最後に申すべき事」の提出より百日後に事実となったことに、諸天の働きを如実に拝しては・・・

前掲の佐渡講演が十月十七日、そしてご覧の記事は十月二十七日の総幹部会における幹部の発言である。あたかも大聖人の御事蹟と先生のそれとが一致しているかのように錯覚する仕掛けになっている。ゆえに悩ましいのだ。さすがに厚かましいと思ったのか、浅井先生は自らの口では言わず、幹部に言わせている。いや、もちろん、意図的に言わせたものかどうかはわからないのだが、もし意図的なものだとしたら、これはナヤマシイのではなくイヤラシイと言うべきところだろう。

 実は十数年前、筑波大学元教授の田中圭一さんと、佐渡史学会会長の山本仁さん等の研究によって、それまで塚原が佐渡のどこにあるのかはっきりしなかったのが、「ここに間違いなし」と特定できたのです。

これはやや意外な感じがした。と同時に、浅井先生らしいかもしれない、と思った。

浅井先生はこと仏法に関しては独自の見解を持っていて、容易に他の意見に左右されるようなことはない。だからこそ、いわゆる御遺命守護の戦いも貫くことが出来たわけである。その意味では、田中氏だの山本氏だのがナンボノものか知らないが、そんな意見には耳を貸さないのではないかと考えられるのである。ところがどっこい、今回の佐渡会館の土地選定にあたっては彼らの意見を採用した。それは一面掲載の写真を見ればわかることだ。

塚原配所跡地

画像の中にご覧の文字を貼り付けて、さらにはご丁寧にも矢印まで書き込んであるのだ。そして会館には展望台まで設置した。もしも場所が違っていたら、これほど滑稽な話もないだろう。

ともかく先生はくだんの研究者たちの結論を採用したわけである。

先ほど、意外な感じがした理由については説明した。そして同時に、先生らしいかもしれないとも書いた。その理由は言わずもがなだろう。

ご存知のごとく、先生は政治経済やその他の社会問題全般にわたって、ウンチクを垂れるのを得意としている。しかもそれを会員たちに「先生のご見識」などと持ち上げさせている。しかし、しょせんは誰かの受け売りなのである。悪く言えば、パクリである。そのように考えると、塚原の場所についても同じことが言えるわけだ。今回はちゃんと研究者の名前を紹介しただけでもマシなのかもしれないが・・・

2015/12/23

ゼセイハカノウカ  
何やら面倒臭いコメントがたくさん寄せられているが、いわばその中に埋没するような形で、懐かしい人(?)がお出ましになった。

あの是正協議会が再び動き出したのである。

http://www.kensho.jpn.org/p/

お伺い書の第三弾が出たのだ。

http://www.kensho.jpn.org/p/oukagai3.html

リンク先を辿ればわかるように、最初のお伺い書とその続編となる第二弾が出されたのは平成十九年のことである。今が平成二十七年であることを考えれば、ずいぶん間が空いているではないか、彼らはその間、いったい何をしていたのだろうか、という疑問が残るのも事実である。

わたくしは先ほど、懐かしい人(?)と書いた。そして今、彼らと書いた。

是正協議会が組織体であれば、長期間の休眠は考え難い。個人がやっているのであれば、いわばその人の気まぐれであるから、なるほど、という気がしないでもない。さらに穿った見方をすれば、放置サイトを誰かが買い取って、別人がなりすましているという可能性もあるだろう。

なぜならば、文章そのものは従来のものによく似せているものの、ウェブレイアウトというのだろうか、それが以前のものとまったく違ってしまっているからである。同一人物ならば、そんなことは起こり得ないのではないかと思う。

もちろん、すべては想像に過ぎない。以下も勝手な想像である。

お伺い書の第一弾・二弾は、本尊についての質問だった。これこそが信仰の根幹に関わる問題であるからして、もはやこれ以上の問題は存在しないのだ。ゆえにこの質問で彼らの使命は終わった。それ以外の質問は蛇足である。
しかし、質問に対する回答は納得できるものではなかった。本部ないし浅井先生の側としても、回答しようにも出来ない、そういう事情があった。ようはウソを認めることになってしまうからである。
となると、是正協議会の面々に残された道は一つしかない。もはや顕正会を見限ることである。すなわち顕正会を脱会することだ。その上で宗門に帰伏するのか、あるいは他に選択肢があるのか、それはわからない。

いずれにしても、是正協議会は一年ほどでまったく更新されなくなり、いわば放置サイトと化していた。ゆえに、それを誰か別の人物が居抜きで買い取り、今回、第三弾という形で行動を起こしたのではないか、というのがわたくしの読みである。

すでに書いたように、本尊問題に比べれば、それ以外のことはすべて些事である。とは言え、今回のお伺い書もなかなか面白いので、内容について少し触れてみようかと思う。

・会計報告書を公開せよ

・ネットをもっと活用せよ

・代表役員のことを説明せよ


う〜ん、確かに面白い。

会計報告書の公開は無理である。これが結論だと思う。ただし、邪宗は金儲けだけが目的であると決め付け、あろうことか宗門における御開扉についても御開扉料稼ぎのために大御本尊を利用しているなどと言い募り、あたかも顕正会だけがクリーンであるかのように印象付けている。だったら、ぜんぶ公開してみろよ、と言いたくなるのが人情である。

しかもである。未確認情報ではあるものの、ネット上にはいろいろと顕正会にまつわるヤバイ話が出回っているのだ。

たとえば克衛が株で失敗して大損したとか、浅井家の私邸を購入する時になぜか顕正会名義で購入してその後に浅井家が買い取ったとか、それらが事実かどうかも定かではないし、法律的にどのような問題があるのかもよくわからないが、ともかくこれらの事案は会員にとってはガッカリせざるを得ない話だろう。もっと下世話な話をすれば、浅井先生の給料がいくらで地方会館の管理主任の給料がいくらであるか、こんなことも知ればガッカリすることになるかもしれない。

ゆえに公開は無理だろう。これが一問目の結論である。

そして二つ目の問題提起が秀逸だった。以下、本文から引用してみよう。

嘗て、顕正会一国諌暁の折、地上の戦いに対し一般紙上での全面広告を先生は「空中戦」と呼称されておりましたが、今日の空中戦は紛れも無くWEB上かと存じます。

うまいツッコミである。

たぶん平成九年の時だろう、一般紙に全面広告を出したのだ。これを浅井先生は空中戦と呼んだのだ。確か電車の中吊り広告もあったと思う。これこそが文字通りの空中戦ということになる。

ところが平成十六年の時にはなぜか広告が出せなかった。確か創価学会の裏工作が効を奏し、どこの出版社も引き受けてくれなかった、というような話だったと思う。ただし、その真相は微妙なところで、すでにこの頃から逮捕事件がちょくちょく起こっていたことも事実なので、その意味では自業自得かもしれないのだ。

その代替というわけではあるまいが、ちょうどこの時期に今の顕正会公式ホームページが立ち上がったのだと思う。

まさにこれこそが新時代における空中戦のはずだった・・・

ところがご存知のごとく、顕正会の公式ホームページこそが休眠サイト・放置サイトと化しているのである。是正協議会のツッコミはまさにここにあるのだ。

オイオイ、先生よ、アンタ、やる気あんのかよ?

是正協議会の文章は馬鹿丁寧であるが、ぶっちゃけ言えば上述のようになるだろう。かつて中吊り広告や全面広告を出して空中戦などと上機嫌に言っていた人が、ネット時代における新たな空中戦には無関心というか消極的であることの理由がわからない。単に頭が古いだけなのか、それとも何か都合の悪いことがあるのか、おそらくはその両方なのだろう。しかし、そんなことでは広宣流布など、できっこない。ようはやる気がないということだ。

ちなみに、空中戦についてもう少しだけ書くと、今の顕正会員たちのイメージとしては、諸天善神の働きこそが空中戦に相当するのだろう。登壇記事のそちこちに、地上の戦いが遅れては申し訳ない、との記述を見ることが出来る。ようするに今は諸天の働きが活発なのだそうで、それに比して我々の戦いはどうか、我々も諸天に負けないくらい活発に戦おう、ということらしい。
あるいは、ドブ板を踏む戦い、みたいな表現がある。これも古臭い表現ではあるが、ようは地道な折伏活動を意味するのだろう。一軒一軒、諫暁書ないし特集号を配布して回るような戦いもそれに含まれるのだと思う。
では、本部職員は何をするのか、である。会館を運営するスタッフは、もちろんそれが仕事である。では、本部首脳は何をするのか、である。理事だの総務だの幹事だの、よくは知らないが、そのような肩書きの人たちがたくさんいるわけだろう。だったら、その中の一つのセクションとして、ウェブ担当のような人たちがいてもおかしくないのだ。

諸天善神による空中戦もけっこうであるが、人間が仕掛ける空中戦も必要である。それが現代においてはネット上の戦いなのである。

最後、代表役員のことは言わずもがなである。

顕正会の隠蔽体質、ここに極まれり、ということだろう。なぜに公表しないのか、なぜに総幹部会で発表しないのか、理由はわからないが、もし浅井先生が言わなくてもいいことだと思っているとしたら、その時点でアウトである。

先ほど、理事だの総務だの幹事だのと書いた。あるいは総合部長だとか副総合だとか、ともかく顕正会には立派な肩書きがたくさんある。

ところがである。それらはあくまで冨士大石寺顕正会における肩書きであって、必ずしも宗教法人顕正会のそれではない。

だから、たとえば○○本部幹事という人がいる。立派な肩書きだ。しかし、その人は冨士大石寺顕正会の本部幹事ではあっても、宗教法人顕正会の本部幹事ではないかもしれないのだ。理事長は城衛だから当てはまらないが、他の理事たちはどうだろうか? 彼らは冨士大石寺顕正会の理事である。実に立派な肩書きだ。しかし、もしかしたら彼らは宗教法人顕正会においてはタダの人かもしれないのだ。総務しかり、総合・副総合しかりである。

こうした事情がわかってくると、一気にやる気が失せてくる。時として相当の大幹部が消えていくことがあるのは、このような理由からかもしれない。馬鹿らしくて、やってらんない。末端の活動会員だけでなく、相当の大幹部であっても同じことなのだ。

今回の是正協議会の動きによって何が変わるか? 大きくは何も変わらないだろう。しかし、クサビを打ち込んだという事実が大切なのである。

2015/12/14

ジウネンイチジツ  
気がつけば、十年。種々のコメントを拝見して、あれから十年が経つのか、早いものだ、と思った。決して自己中のつもりはないのだが、わたくしは拙ブログが十年を超えたことばかりに気を取られて、顕正会の動きを俯瞰的に捉えることを疎かにしていたようだ。

いろいろなことが言えるだろう。

百万達成から早くも十年以上が経過している。今の顕正会は二百万を云々しているけれども、それが達成されるまでにはまだ数年の時間が必要である。この間、三百万だとか六千万だとか、浅井先生の口からはさまざまの言葉が飛び出しては来たものの、しょせんは二百万すら達成できていない状態なのである。

最後に申すべき事から十年。これも思い半ばに過ぎるものがある。最後・最後と言いながら、その後も宗門のことをあれやこれやとあげつらっている。自己矛盾も甚だしい。

日顕上人が退座されて十年。これはまた同時に、日如上人が登座されて十年を迎えるという意味だ。

創価学会も変わりつつある。池田大作氏が姿を見せなくなって久しい。しかし、それが直ちに組織に重大な影響を与えたようには見えない。宗門もそうだが、ようは健全な形で組織の新陳代謝が進んでいるということなのだろう。

ひるがえって顕正会の場合は依然として浅井先生のワンマン体制が続いている。悪い意味での新陳代謝・・・すなわち活動会員が定着せず次から次へと新しい人材を登用していかないと組織が維持できないという、そういう悪しき新陳代謝はあるものの、上層部の一新ということはまったく起こり得ない、それが顕正会の実態である。

いや、書き方を間違えた。

先生のワンマン体制でもいいのだ。それで顕正会が永遠に安泰であるならばである。しかし、人はいつかは死ぬ。ゆえに後継が必要なのだ。先生の後を継ぐ人がである。
宗門にしても創価学会にしても、すでにバトンタッチが行なわれている。わりとスムーズに、さしたる問題も生じずに、である。
ところが顕正会の場合はそうした経験がない。ゆえに、この先どうなるのか、まったくの未知数である。繰り返しになるが、浅井先生が永遠に生き続ければ問題はないだろう。しかし、そんなことはあり得ない。

さて、前置きはこれくらいにして、今日は顕正新聞第1358号の残りをやっつけてしまおう。実は上述の話と少し関連する話題があるのだ。

佐渡会館で伺った「これが最後」の一言・・・

総合婦人部長の記事である。さらに副総合婦人部長の記事にも次のようなくだりがある。

先生の
「これが最後」
 とのお言葉・・・


前後の文章を省略しているので、何のことだかさっぱりわからないだろう。実はわたくしもよくわからないのだ。

というのは、たぶんこれ以外の登壇記事は、ことごとく「それが最後」と書かれているからである。「これ」と「それ」は大した違いではないと思うかもしれない。しかし、同じ発言部分だとすれば、けっこう重要な問題である。総合・副総合という婦人部の大幹部が聴き間違えたとすれば、何をやっておるものかと思う。しかし、問題はそれだけではない。

このことは翌号の佐渡会館での会長講演を読むとわかってくる。

 そこで、私はきょう、新潟大会を決めます。
 三年後、新潟だけの県大会を開きたい。「二万人の新潟大会」を決行しようと思っておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)

 私が新潟に来るのは、それが最後であります。

 その翌々年から、いよいよ二〇年代の広布の決戦場に入るからであります。遅れたら、大聖人様に申しわけない。


総合・副総合は聴き間違えた。同じ発言部分だとすれば、そういうことだろう。それはそうだ。新潟に来るのはこれが最後、と言ってしまえば、今回が最後、もう二度と来ないという意味になる。そうすると三年後には来ないことになるので、それはおかしい。ゆえに文章としては上掲が正しいことになる。

しかし、である。わたくしは「それが最後」に物凄く違和感を持つのだ。文法上、これが正しいのか間違っているのか、それはわからない。しかし、物凄く違和感があるのは事実である。

たぶん、その理由は今日の一連の話題のいわば結論なのだろう。

先生はいつも最後・最後と言いながら、それが最後だった例はないじゃないか、もはや信用できない、ということなのである。

これまで繰り返し言ってきたつもりだが、凡夫には未来のことはわからないのである。明日のことだってどうなるかわからないのだ。いわんや三年後のことなどわかろうはずもないだろう。それをわかったような口を利く、そこがまさに違和感の拭えないところなのである。

前号に戻って、第二十六女子部長の文章を紹介しよう。

 先生の下での戦いには限りがあることを痛感しては・・・

彼女は前掲の先生の発言を耳にして、ご覧のごとく言っているわけだが、ぶっちゃけ言えば、顕正会の活動会員の多くが思っていることだろう。それも違う意味で・・・、すなわち、先生も高齢である、いつどうなっても不思議ではない、と。おそらくは先生自身もそのことが常に頭をよぎるのだと思う。それが意識無意識にかかわらず、最後・最後というセリフになって出てきてしまうのだろう。

甚だ不謹慎とは思いつつも、あえて書かせていただいた。

2015/12/13

シワスノアメフリ  
種々のコメントが寄せられているけれども、今日は顕正新聞の話題に戻りたいと思う。十月度総幹部会の記事である。一ヶ月半ほどの遅れだ。はたして今のペースで年内に片付くかどうか、微妙なところである。

さらに阿部日顕の退座も先生の「最後に申すべき事」の提出より百日後に事実となったことに、諸天の働きを如実に拝しては・・・

この百日後というのは初耳である。ずいぶん時間が経つけれども、なぜに今まで言わなかったのだろうか? こういうことを誇大宣伝するのが顕正会の得意技だったはずだが?

唯お一人、戒壇の大御本尊様の御威徳を守り奉られる先生の偉大なお立場・・・

諫臣・争子として立たれるは、浅井先生ただお一人であり・・・


もはや誰よりも偉い人になってしまった。これでは宗門に戻れるはずもあるまい。先生は猊下よりも偉いんだと、登壇者はそう思っているわけなのだろう。あるいは本人もそう思っているのかもしれない。

 そしてこの先生の諫暁により、近く必ず不敬の御開扉は中止され、戒壇の大御本尊様は国立戒壇にお出ましになる・・・

そうそう、これらは第二十四女子部長の登壇記事であるが、直近の文章はいかにも短絡的である。そもそも不敬の御開扉とは何事かと、法華講員からお叱りを受けるところである。余計なお世話と言われればそれまでだ。しかも続きの文章では大御本尊が国立戒壇にお出ましになると言っているのだ。

現状、御開扉が中止されることはひじょうに考え難い。そして国立戒壇の建立もまったく実現の兆しが見えない。残念ながら、それが現実なのである。

第一婦人部長も凄いことを言っている。

 いま日本国の中で、大聖人様の常住此説法のお姿を如実に拝し奉られるお方は、五八年間、大忠誠心で戦って来られた浅井先生以外おられず・・・

日本国の中と言っているが、おそらく世界の中でも同じなのだろう。つまりは地球上には先生以外にいないと言っているのだ。あるいはこの大宇宙の中でも同様なのかもしれない。どんだけ偉いんだ。

 その先生が、いよいよ広布最終段階を迎えて、仏弟子の誓いを新たにされる御大会式に臨まれた本年の重大さを思えば・・・

じゃっかんはアゲアシ取りの気味がないわけではないものの、ここはしっかりと指摘しておきたいところだ。前掲では五十八年間の大忠誠心を云々し、ここでは本年の重大さを云々している。再掲しよう。

いよいよ広布最終段階を迎えて・・・

これではあたかも今年が広布最終段階元年のようにも読めてしまうではないか?

しかし、事実は違うのだ。もう何年も前から最終段階・最終段階と言い続けているのである。こんなことをいつまで続けるつもりなのだろうか?

女子部総務の登壇も凄い。彼女は浅井先生が佐渡会館で塚原問答の話をした時の様子を次のごとく言っている。

あたかも先生がお傍で拝見されたかのような、臨場感あふれる指導・・・

浅井先生は話術に長けている。これは『迷走する顕正会を斬る』において、著者が言っていることでもあるのだ。久々に引用してみよう。

 浅井会長の「龍の口の語り」は至芸であり、右に出るものは他にないとわたしは思う。顕正会員歴四十年弱の間、何度この講義を聴いたことだろうか。由比ヶ浜の潮の香までも感じられるような臨場感を覚え、本仏成道の現場に立ち会ったかのように思われた。

立場は異なれども言っていることはほぼ同じである。なるほど、顕正会が先生の一代限りと言われる理由も頷けるところである。なぜならば、こうした名人芸は容易に継承できるものではないからだ。

第七婦人部長の記事を見てみよう。

 中でも、高齢の組長たちは
 「佐渡病院に行くより、佐渡会館に来た方が、体が楽になった」と・・・


「あと三年、死んじゃおれん」

どうやら三年後に二万人の新潟県大会を行なうらしい。新潟顕正会の実力を示して余りある話だ。ようは先般の南東北大会は三県合同の大会だった。それを新潟は一県単独で行なうのだから大したものである。

病院へ行くより会館へ行ったほうが体によいというのは、何となく理解できることだ。ようは生き甲斐である。高齢者に限った話ではないが、生きて行くためには何か具体的な目標が必要である。浅井先生はそうした目標設定がうまいのだと思う。

しかし、言うまでもなく、その最終目標がとてつもなくデカイ、デカ過ぎるのだ。それがさまざまの無理を生んでいるわけである。

次に紹介する婦人部大阪支区組長は、夫の転勤に伴なって五年間、中国で生活していた。婦人部大会にも中国から参加したという。

 大会に参加してよりは、毎月の第十一婦人部集会にも誘われ・・・

もちろん個人の自由である。経済的にも時間的にも余裕があれば問題ないだろう。しかし、わたくしの感覚からすれば、相当に無理をしているように思えて仕方がない。もっとも、彼女はすでに日本に戻ってきているので、もはや余計な心配ではあるのだが・・・

今日はこんなところで終わりにしたい。

2015/12/12

シハスノブロガア  
なぜか前回のコメント欄に前々回の拙稿に対応すると思しきコメントが寄せられている。しかも一週間近く経って、にわかに噴出した格好だ。わたくしの得意(?)とする時間差攻撃を逆用したものだろうか?

現在の宗門はデタラメな戒壇論を唱えている。

確かにこう言われれば黙っていられないのが人情であるし、ましてや破邪顕正の精神をお持ちの法華講員ならば反論して当然である。

では、わたくしからの再反論を申し上げよう。

戒壇の大御本尊まします処はいつでもどこでも事の戒壇である、ということを、平成新編日蓮大聖人御書を使って論証せよ。

これがわたくしからの反論である。まず、それが可能かどうかが第一関門である。もし可能だとしても、そこには第二の関門がある。ようは説明能力の問題だ。

わかり切ったことだが、御書には戒壇の大御本尊という語句は存在しない。事の戒壇もしかりである。ということは、そっくりそのままの御指南は存在しないということだ。
では、どうやって論証するのか、ということになる。その方法論が難しい。失礼ながら頭の悪い人には無理である。
また、当然のことながら、御書に詳しくないといけない。いわゆる教学力などと呼ばれるものがあるけれども、これとて教科書を学んだだけの優等生的教学力では通用しない。

とりあえず、ここまでにしておこう。

さて、いったい誰がこの大変な作業に挑まれるであろうか? これはいわば日蓮正宗全僧俗への挑戦である。いや、挑発と書くべきか?

http://white.ap.teacup.com/ganko/120.html

実はもう十年も経つわけだが、拙ブログではかなり早い時期から戒壇論について、あれこれと書いてきた。リンク先が一例である。お読みになればわかるだろう。当時は宗門に対してわりと譲歩的な意見を書いていた。それは今もそれほど変わらないつもりだ。

では、なぜに宗門の戒壇論をデタラメ呼ばわりするのか?

話は物凄く簡単である。結局のところ、やっていることは浅井先生の過去の発言をあげつらって、いわばアゲアシ取りをしているだけだからである。また、たまには歴代上人の御指南を引き合いに出したりもしているが、では、根本の御書に遡って論じたらどうなるかということに関しては、からっきしダメなのである。

これでは沖浦氏からヨコヤリが入るのも当然だ。

とは言え、沖浦氏も相当にデタラメである。

 事と義〜〜??

 ナイナイ絶対に無い!
 戒壇とは一大秘法の当体である私共の住所です。


そんなことが御書のどこに説かれているのだろうか?

 御書にキチンと書いてあるのですよ。

 『正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず、』
 (当体義抄)


ここでも説明能力が問われるのだ。当体義抄は難しい御書である。ゆえにわたくしにはさっぱりわからない。けれども沖浦氏はわかっているのだろう。ならばわからない人のために平易に説明するべきである。

其の人の所住の処は常寂光土なり・・・

わたくしの想像ではこの部分が関係しているのだろうと思われる。だが、ご覧のごとく、どこにも戒壇などとは書かれていない。常寂光土=戒壇と言いたいのだろうか?

日霑上人
『未だ広布の時至らず事相の戒壇建立なしといえども此の道場即ち是れ事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして』


これは図らずもmr.x☆(元顕)氏が紹介下さったものである。不勉強のわたくしはこうした歴代上人の御指南をほとんど存じ上げないが、ともかくここでの文意は戒壇の大御本尊まします処は事の戒壇であり真の霊山であり事の寂光土なのだと仰せられているわけである。

これを沖浦氏は悪用しているのだろう。いや、悪意はないのかもしれない。ようするに気がついていないだけなのだ。すなわち自説が日蓮正宗の教義に引きずられていることをである。

当体義抄の前掲御文には戒壇などと一言も書かれていない。ゆえに普通に読む限りは、そこが戒壇に当るかどうかはわからないのだ。ところが日蓮正宗の先師上人たちは、ご覧のごとく戒壇と寂光土をイコールと見做している。よって日蓮正宗の信徒はその深い道理を知らなくても、戒壇の大御本尊まします処は寂光土なのだと理解するわけだ。これを逆に辿ると、当体義抄の常寂光土云々には戒壇の意が含まれているのだろうことが、おぼろげながら理解できるのである。

おそらくはこれが平均的な思考プロセスであろう。もし沖浦氏が同様の思考プロセスを経て、くだんのようなことを言っているのだとすれば、まさしく日蓮正宗の教義に影響されていることになる。

結論として、沖浦氏は日蓮正宗をボロクソに言っているわりには日蓮正宗の教義に影響を受けているという自家撞着に陥っている。なかなか気づき難い陥穽ではあるものの、実に滑稽である。

2015/12/7

シハスノブロガー  
沖浦氏が何やら言っているようだが、まったくの見当違いである。御書を三文ほど引用しているものの、それが何を意味するのかわからない。浅井先生の年来の主張は、戒壇の大御本尊まします処は義の戒壇である、ということだ。そして大御本尊=日蓮大聖人であられるから、大聖人まします処は義の戒壇、という理屈になる。本尊とは法華経の行者の一身の当体であり、ここでの法華経の行者は別して日蓮大聖人の御事を意味する。当然ながら日蓮正宗では戒壇の大御本尊を大聖人の御当体と拝する。宗門はこの大御本尊まします処を事の戒壇だと主張している。それは違うだろう、と言っているのが浅井先生なのだ。ここに沖浦氏の入り込む余地はない。

さて、昨日に引き続き、十月度総幹部会の会長講演を取り上げたい。次もまた、ひじょうに問題の多い記述である。

 この細井日達の急死を見て、池田大作は直ちに相承もなき阿部日顕を擁立して猊座に就かしめた。

証拠はあるのだろうか?

このことに関連する記述が折伏理論書改訂版に約二ページにわたって載せられている。しかし、それは池田氏が阿部師を擁立したという話ではなく、偽りの自己申告で登座したという話なのである。それもいわば状況証拠であって、直接的な証拠は何一つない。疑わしきは罰せずが現代における大原則であることを忘れてはならない。

ということで、御相承の有無をハナッから疑って掛かっている人には、いくら説明しても無駄なことである。逆に言うと、日顕上人に説明責任を求めること自体が無駄なことであり、ナイモノネダリなのである。これは御書の真偽問題にも通ずる話であろう。

さて、話は戻る。

相承の有無は上述のとおりであるが、問題は池田氏が阿部師を擁立したという話である。しかも猊座に就かしめたとまで書いている。池田氏はそんなに偉いのだろうか?

結論は浅井先生の邪推である。

細井管長、急死

昨日も引用した、折伏理論書改訂版の小見出しである。この後、二行飛ばして三行目から引用したわけだが、今日は最初の二行を紹介しよう。

 学会・宗門の抗争は「法主」を旗印とする反学会僧侶らの活動により、初めは宗門が有利であった。池田は形勢不利と見るや法華講総講頭を辞して恭順を装い、反撃の機を窺う。
 この抗争に性心を労した細井管長は・・・


池田氏は法華講総講頭だった。それを辞任したのが昭和五十四年四月二十六日である。なぜか同書では、この日付が省略されている。しかもである。池田氏はこの時、創価学会の会長も辞任しているのである。なぜか同書では、このことも省略している。

日達上人の御遷化は同年の七月二十二日である。

法華講の総講頭だけでなく、創価学会の会長職をも辞任せざるを得ないという、それほどに追い込まれていた池田氏が、いったいどういう権限で次の猊下を擁立することが出来るのだろうか?

浅井先生はこれに答えなければいけない。

軒を貸して母屋を取られる

ことわざである。わたくしはこの言葉を何かの本で知った。かつて日蓮正宗国際センター構想というのがあって、これは創価学会が宗門を傘下に収める策略だったと考えられている。その辺の詳しい事情はまったく知らないけれども、この時に日達上人が上掲のようなことをおっしゃられたのだと思われる。

たぶん、これはほんの一例なのだろう。当時の創価学会の傍若無人ぶりは凄まじく、池田氏が公衆の面前で日達上人を怒鳴りつけたという話も残っている。よって反学会僧侶らの活動が活発化していくのも当然の帰結だったのかもしれない。

その結果、池田氏は辞任に追い込まれた。総講頭だけでなく、会長まで辞任したのである。これは相当のことだ。

そして氏の辞任から三ヶ月後、日達上人は御遷化となった。

この後を継いだのが日顕上人である。池田氏に擁立されて?

どうだろう、わずか三ヶ月と考えるべきなのか、それとも三ヶ月もあれば十分に復権できると考えるべきなのか、難しいところだ。

おそらく浅井先生の見解は、復権が可能か不可能かではなく、もともと隠然とした力を持ち続けていた、ということなのだろう。しかし、もし仮にそうだとしても、擁立は間違いだろう。その理由はまさに、軒を貸して母屋を取られる、である。正信会系の僧侶は宗門の三分の一に達するほどの勢力を誇っていた。これはベラボウな勢力である。なぜならば、中間派ないし事なかれ主義の人たちが大半を占める、それが世間一般の道理だからである。失礼ながら御僧侶たちも例外ではないだろう。つまり、反学会僧侶として活発に動いていたのが全宗門のうちの三分の一ということは、その背後には表立って行動しないものの創価学会に対し快く思わない人たちが相当数いたということなのだ。だからこそ、池田氏も辞任せざるを得なかったのだろう。

よって、正信会系は全宗門の三分の一に過ぎなかったけれども、いや、三分の一はベラボウな数字なのだけれども、まあ、過半数ではないという意味では三分の一に過ぎないと表現して差し支えないと思うわけなのだが、いずれにしても創価学会に乗っ取られるのではないかという危機感のようなものは彼らだけではなく、まさに全宗門的な意識としてあったのではないかと、わたくしにはそう思えるのである。

これは日顕上人の意識の中にもあったのではないか?

それの何よりの証拠が今日の姿である。池田氏に擁立されて猊座に登った人が池田氏を切る。そんなことは出来ないだろう。よほどの悪者でない限りは・・・

日顕上人は日達上人から相承を受けて猊座に登った。池田氏がナンボの者か知らんが、しょせんは在家である。相承に関与できる道理がない。よって池田氏は関係ない。

浅井先生は池田氏の態度を「恭順を装い」と書いている。まさにそのとおりなのだろう。恭順を示している人に対しては、無下に扱うわけには行かない。ゆえに日顕上人も当初は池田氏を丁重に扱ったのだ。しかし、後に池田氏は本性をあらわした。それで池田氏を切った。まあ、こういうことを書くと創価学会員から反論があるかもしれないが、いちおう話の流れはそういうことなのだ。これで話のツジツマは合っているはずである。

最後に勝手な推測を書いておこう。

今の顕正会は独立教団路線を歩んでいるが、ある時期までは宗門復帰を志向していた。あるいは顕正会側から宗門へ、何かしらのアプローチがあったのかもしれない。復帰のための根回しみたいなものがである。けれども、もしかしたら宗門側がこれを拒否したのかもしれない。それで仕方なく独立教団路線に方向転換した。

すでに書いたごとく、猊座への介入は不可能である。この考えはいささかも変わらないのだが、力を持った在家が傍若無人を働くことは創価学会の先例が示すごとくである。よって顕正会を復帰させると面倒なことになると、このように宗門首脳部が考えたとしても不思議はない。

もちろん、すべてわたくしの勝手な推測であるが・・・

2015/12/6

シワスノブロガー  
今日はまず、御大会式講演についての補足から始めよう。

・・・佐渡で著わされた義浄房御書には「三大秘法を成就」と仰せられている。

これはどういうことだろうか?

 まだ御本尊は顕わしておられない。しかし大聖人の御当体そのものが末法下種の本尊・人の本尊と顕われ給うたのです。
 よって日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経を唱え奉れば本門の題目。また大聖人まします処は義において本門の戒壇。ゆえに「三大秘法を成就」と仰せ給うたのであります。


シツコイようだが、再掲しよう。

大聖人まします処は義において本門の戒壇・・・

この部分、法華講員はどのように読むだろうか? この道理がわかれば、戒壇の大御本尊まします処は義において本門の戒壇、ということがわかるはずである。ようするに今の正宗教学はこの部分で間違ってしまっている。拙ブログにはたくさんの法華講員が訪れるけれども、この件に関して明快な反論を述べた人はいない。それは当然のことだ。なぜならば浅井先生の言っていることが正しいからである。事実、昭和四十年代当時の宗門の高僧たちは、誰一人これに反論できなかった。

唯一の例外は日達上人であろう。

浅井先生も時の猊下に対しては遠慮があったのかもしれない。はっきり言えば日達上人の仰せにもかなりアヤシイところがあるのだけれども、当時の浅井先生はさすがにそれを徹底的に粉砕するまでには至らなかった。何しろ相手は時の猊下なのである。やはり遠慮があったのだろう。

しかし、解散処分以降はその遠慮が徐々に除かれていった。さらに近年に至ってはエスカレートして、とうとう呼び捨てにするまでになってしまった。

わたくしはこれに断固反対を唱える。いかなる事情があろうとも、呼び捨てにするべきではなかった。顕正会が今もなお、日達上人・日顕上人と呼び続けていたら、どれほどよかったかと思う。少なくとも細井管長・阿部管長と呼び続けるべきだった。それがギリギリの最低ラインだった。

顕正新聞第1358号は十月度総幹部会の記事を中心に組まれている。逮捕事件直後の総幹部会でもあるし、幻の総支隊長の脱会を機に脱会ブームが起こりつつある中での総幹部会でもある。ゆえに浅井先生の発言が注目されるところだが、逮捕ないし家宅捜索については完全黙秘を貫いている。そしてもう一つの大量脱会のほうは、きわめて婉曲に宗門批判をすることで対応しているようにも感じられた。ようは顕正会を脱会し宗門へ帰伏する流れを抑えるために、日達上人の御遷化をあげつらっているのである。

細井日達の罰を見よ

この小見出しに続いて、日達上人の御遷化の様子をかなり詳細に書いている。重要な部分ではあるが、あまりにも恐れ多いので省略しよう。しかし、誰もが思うはずだ。ずいぶん詳しいではないかと。まるでその場に立ち会っていたかのような書きっぷりである。

ようは誰かの受け売りなのである。どこかから仕入れたネタを使い回しているに過ぎない。

細井管長、急死

今度は折伏理論書改訂版である。ご覧のような見出しがあって、以下、三行目から次のような記述がある。

 この抗争に性心を労した細井管長は、病を得て総本山近くのフジヤマ病院に入院した。しかしほどなく回復し、明日は退院≠ニいう昭和五十四年七月二十二日午前五時、突如として激甚の発作に襲われ、急死を遂げてしまった。

本当は二つの文章を並べて比較しないといけない。しかし、先ほども書いたように十月度総幹部会での浅井発言はあまりにも恐れ多く憚りがあるので、ここには掲げない。

結論は、言っていることがかなり違っている、ということだ。

浅井先生の自語相違は枚挙に暇がない。ゆえに上述の一件もそのうちの一つに過ぎないのかもしれない。しかし、事が事だけに許し難いのだ。ようするに死者への冒涜である。

記述に一貫性があればまだしもである。言っていることがコロコロ変わるのは問題である。しかも言っていることが変わっても結論はいつも同じなのである。御遺命に背いた罰であると。浅井先生はそれさえ言えれば満足なのである。

折伏理論書改訂版の言わんとしていることをまとめてみよう。

入院した、しかしほどなく回復した、ゆえに明日はいよいよ退院ということになった、ところが突如として容体が急変し、激甚の発作に襲われ、急死してしまった。

元気になったので退院しましょうと言っている矢先に急死を遂げてしまったことの衝撃を強調しているわけである。それが御遺命違背の罰なのだと。

しかし、巷間ではこれとは別の情報が出回っている。ようするに病状が思わしくないので聖路加病院に転院するという話なのだ。もしこれが事実だとすれば、浅井先生は大間違いを犯したことになる。つまり、「明日は退院」ではなく、「明日は転院」ということになるのだ。

さて、この部分、今般の基礎教学書ではどのように記述されているのだろうか?

当然のことながら、わたくしもそうだし浅井先生も同じである。病院にいて、一部始終を見ていたわけではない。ゆえに、巷に出回っている情報を自分なりに咀嚼して、書いているに過ぎないのだ。それが浅井先生の場合、かなり恣意的な書き方になってしまっていることは否めない。そこが断じて許せないところなのである。

毒を食らわば皿まで

わたくしはこの言葉を浅井先生から教わった。確かに妙信講解散処分前後の事情を考えると、宗門側にそうしたイヤラシサがあったのは事実だろう。大事の前の小事ではないが、妙信講さえいなくなれば丸く収まるという、高度な政治的判断のような発想があったのは事実だろう。浅井先生の立場になってみれば、それは堪らないことだったろう。これも事実である。

しかし、時を経て、状況が変化したのも事実だ。

上掲の毒を食らわば云々は、今となっては浅井先生にこそ当てはまる言葉なのではないかと、そう思えて仕方がないのである。

2015/12/5

シワスノブロガア  
取り急ぎ南東北大会の会長講演について書こう。

南東北大会 歓喜の結集一万二千人

これが顕正新聞第1360号、「南東北大会」特集号の大見出しである。コメント欄には会場のスカスカ感を云々するものがあるけれども、顕正新聞に掲載されている写真を見る限りでは、ほぼ満席である。さすがにスカスカ感は言い過ぎだろう。また、浅井先生のヨレヨレ感もどうかと思う。

少しばかり詳細に論じよう。

一面に掲載されている全体写真を見る限り、ほぼ満席であることは間違いない。しかし、厳密には少し空席が見られる。向かって右側のスタンド席だ。
さらに言うと、他のページにも会場内の様子を写したものが何枚か掲載されているけれども、会場全体を広く俯瞰するようなショットは一つもないのだ。一面掲載の全体写真も、厳密には全体を写していない。左側のスタンド席が写っていないのだ。
つまり、死角が多い。左側のスタンド席を写した写真もないわけではないが、ぜんぶが写っているわけではない。はっきり言えることは、向こう正面からの広角写真がないことだ。すなわち壇上から見てスタンド席の左右手前が確認できない。

もう一つ言えることがある。次は一面の最初のほうに出てくる文章である。

・・・隣接の第二会場に至るまで立錐の余地もない。

この写真がないのだ。あるいはここに、ウソ・ゴマカシが存するのかもしれない。

コメントによれば、野良着のままの農業従事者さんたちが集められたとも言われているので、もしそれが事実ならば、第二会場にはそういう人たちが多くいたのかもしれない。それなら写真を載せられないのも頷けるところである。

ヨレヨレ感は主観に左右されると思う。ゆえにわたくし自身はそのようには感じなかった。ただし、写真を見る限りである。

これも少しばかり話を膨らませると、わたくしは長らく浅井先生を見ていない。直に見ていないということだ。さらに言えば、動く浅井先生を見ていない。ようはビデオ放映にも行かないし、ネット上の動画なども見ないので、先生の振る舞いというか、身のこなしとでも表現するのだろうか、そういうのを知らないのだ。よって、もし仮に動く浅井先生を見たら、感想が変わるかもしれない。

いつ頃からだろうか、すでにご存知でない人も多いかもしれないが、以前の浅井先生は壇上に立って講演をしていたのだ。当然ながら先生にも若い時があった。その頃は一時間前後の講演であっても、立ったまま講演をしていたのだ。しかし、今はあらかじめ椅子が用意してあって、座って講演をしている。

当てずっぽうに書くが、それが切り替わったのは平成十一年前後ではないかと思う。わたくしはその時点で、先生も年を取ったものだと思った。

さて、話は変わる。

大感動の演奏

この小見出しに続いて、次のような記述が見られる。正直、ガッカリである。

まず雷門会と冨士軍楽隊の演奏がビデオにより上映された。

これはもう、おかしいだろう。ライブ会場でライブではなくビデオが流されるという、このおかしさに本部首脳が気がついていないとすれば、もはや悩乱の極みである。

ついで芙蓉楽団講師の独唱と芙蓉コーラスの合唱があった。これは写真がある。ゆえにライブだったのだろう。それが普通である。

わたくしの思うに、雷門会と冨士軍楽隊は機材を運び入れるだけでも大変な労力であり、音響など専門的な意味でも面倒臭い。それに比べれば合唱は遥かに簡易である。そのように考えると、今回の大会はずいぶんと手を抜いたものである。折しも逮捕事件が発生し、顕正新聞の発行もままならずに合併号を出さざるを得なかった事情を勘案すれば、すべてがツジツマの合う話ではあるのだが・・・

それでは会長講演に入ろう。

今回の講演は約五十分、紙面では丸々三ページを割いている。すなわちボリューム感たっぷりの講演ということだ。

しかし、内容的には今までの焼き直しであり、目新しい内容はない。古い会員たちにとっては新鮮味のない講演である。ただし、こうした大会には新しい人たちがたくさん集まってくるので、彼らにとっては有益というか、実に感動的な講演なのかもしれない。

 もう広宣流布は近い。

最近の浅井先生はこんなことばかり言っている。上掲は講演の最初のほうに出てくるセリフであるが、最後のほうにも同様のセリフが出てくる。

ゆえに広宣流布はまことに近い。

冒頭において、ヤブカラボウに広宣流布は近いなどと言われても、新しい人たちには何が何だかわからないだろう。けれども五十分間の講演を聴いて、段々とその理由がわかってくる。そして最後にご覧のように言われれば、なるほど、そうなのか、だったら自分も広宣流布のために頑張ろう、ということになる。講演の目的はまさにそこにあるわけだが、はたしてどこまで効果的だったかはわからない。

私は「宗教団体」という言葉が大嫌いです。

まさにツッコミどころである。事実、すでに幻の総支隊長氏などがこれに触れている。

 「顕正会も宗教団体の一つだ」というかも知れないが、顕正会は宗教団体ではない。

わたくしのほうからは特に細かいことは言わないことにしたい。本人が大好きだろうが大嫌いだろうが関係ない。ようは世間一般の尺度として顕正会は宗教団体の一つに過ぎない。それだけの話である。

おおむね大事なところはこれで終わりかと思う。以下は各論的に取り上げたい。

原発事故に詳しい学者・広瀬隆氏

氏は学者ではない。作家である。しかも学者だとか先生だとか言われるのが大嫌いらしいのだ。氏の講演が動画サイトにたくさん出ている。それらを視聴していると、最初に司会の人が広瀬氏のことを紹介する時に広瀬隆先生などと言おうものならば、私は先生ではありませんと講演の冒頭で断わりを入れるくらいである。世の中には、先生と呼ばれるのが大好きな人と、そうでない人とがいるのだ。

川内原発・伊方原発・・・

地名は難しい。川内はセンダイ、伊方はイカタ。顕正新聞でも読者の便宜を図ってご丁寧にルビを振っているが、なぜかイカタがイガタになっている。たぶん誤植だろう。

・・・すべての原発が停止しても、ことに今年の夏は暑かったですね。しかし停電など起こらなかったのです。

アゲアシ取りのレベルかもしれないが、言っておきたい。まず、構文がダメである。あえてこの文章のままで行くならば、「ですね。」ではなく、「ですね、」にすべきところである。しかし、現代国語では「ですね」の後に丸を打つのが普通ではある。点を打つ人はまずいない。けれども、原発停止と暑いこととは関係がないわけで、原発停止に係るのは停電のほうである。その停電の原因となるのが猛暑による電力需要の増加である。その辺の話を欲張って短い文章の中に入れてしまっているから、構文がデタラメになるのである。

しかもである。今年の夏は暑かった?

この辺が耄碌したと言われてしまう原因なのかもしれない。夏は暑い。当たり前である。しかし、今年の夏は前半こそ暑かったものの、後半は冷夏だったのだ。それとも会場となった東北地方は違うのだろうか?

入るを量り出ずるを制する

不勉強のわたくしはこの言葉を知らなかった。もっともあまり汎用的ではなく、ここで覚えたとしてもなかなか使う機会はないだろうが・・・

 曽てフランスのド・ゴール大統領は「食糧を自給できない国は独立国でない」と言ったが、日本は国家の防衛だけでなく、食糧もアメリカ頼みになる。こうなったら独立国ではない、完全従属です。

これは重要な視点である。浅井先生はもう一つの心配として遺伝子組み換え作物のことに言及しているけれども、それも当然ながら自給率の問題が関係しているのだ。極端な話、食うもんがなくなったら、嫌いなものでも食うだろう。死んでも食わない? 口で言うのは簡単だが、本当に飢え死にしそうになったら、何だって食うだろう。食糧自給率の問題が重要なゆえんである。

そろそろ終わりにしよう。

 さあ、この大会に馳せ参じた人は、一人残らず絶対信に立ってほしい。

浅井先生に折伏していただく、というような表現がある。大会の目的もそれなのだ。そして一人残らず広宣流布に戦う人材にしていく。そのための大会なのである。

フラフラしていたのでは功徳はない。

 フラフラしていたのでは功徳はないのです。


くだんのコメント投稿者はこれを揶揄するつもりだったのだろうか? いわく、ヨレヨレ感・スカスカ感、と。

それにしても「功徳は出ない」もしくは「功徳が出ない」と書かなかったところが興味深い。顕正会員たちの間では功徳が出るとか出ないとか、そういう言い方がわりと頻繁に使われているからである。

以上、昨日の今日、すなわち昨夜読んで今朝書いているので、かなり粗雑な感じになっているかもしれないが、南東北大会における会長講演について思うところを書いた次第である。


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