2016/2/18

カツパツナギロン  
コメント欄では活発な議論が続いている。ただし、勝氏が複数のコメント欄にまたがって書いているので、ひじょうに読みづらくなっている。ゆえに以前にも提案したのだ、自分でサイトを立ち上げたらどうかと。

当時の勝氏は、わたくしが氏を追い出そうとしていると思っていたようであるが、上述の意味からして至極当然の提案をしたまでのことである。また、ご記憶の人も多いと思うが、その前後には沖浦氏の掲示板での顛末もあった。勝氏はいわゆるアク禁を食らって、その後、アク禁は解除されたものの、もう二度と沖浦氏の掲示板には行かなくなった。

それで結局は元のモクアミというか、拙ブログのコメント欄が主戦場のような形に落ち着いてしまったわけである。

まあ、それはそれで一向に構わない。

しかし、冒頭に記したように、閲覧者にとっては不便である。そしてまた勝氏自身にとっても、せっかく書いたものが次々に埋もれて行ってしまうという、勿体なさがある。

そういったデメリットを解消する意味では、沖浦氏が見本となるだろう。

氏は拙ブログに頻繁にコメントを寄せる。いわゆる功徳話に余念がない。しかし、それは決して書き捨てではないのだ。なぜならば、自身の掲示板にもまったく同じ文章を残しているからである。

以上、これで提案の趣旨ないし真意は十分に伝わったことと思う。

さて、第五男子部長の交代劇についてであるが、この情報の出所がセロリ氏のブログだとすれば、これはもう早合点もいいところだろう。
一月度総幹部会の人事で第五部長の交代が発表された。そこで前任者がどうなったか、今の顕正会はほとんど前任者の処遇については発表しないので、不明となってしまった。これがネット上でさまざまの憶測を呼んだ。
ところがである。総幹部会の翌々日には男子部班長会が行なわれており、くだんの人物がそこに居たことが判明したのだった。

ゆえに、もし彼が組織を離れたとすれば、この班長会以降の出来事となるわけだが、はたしてそれが事実かどうかはわからない。

拙ブログが大過なく続けて来られたのは、独白を看板に掲げているからである。未確認情報には容易に踊らされない。何だかわけのわからないコメントが寄せられても知らんふりをする。これが可能なのは、いわゆる独白ブログだからである。

よって、この件に関する前回の拙文を読み返しても、「わからない」という言葉を連発し、続報を待つと言うに止めている。別に難しいことをやっているわけではない。ある意味、常識的な思考に基づけば、それが当然の帰結なのである。事実、何も知らないのだから・・・

学会員を救う特集号V

さて、いよいよ顕正新聞第1366号の話題である。当該号には通番の横に太字で上掲のように書かれている。出た、得意の特集号である。

それにしてもVが不審である。すると、すでにUも存在することになるが、どうも記憶にないのだ。

「学会員を救う特集号U」発刊

ああ、そうだったのか、知らなかった。

学会員を救う特集号Vは、いわゆる一月度総幹部会の特集号である。わたくしの言う特集号は記事の内容からそのように言っているわけだが、顕正会で言っている特集号の意味は違う。ようは大量配布を目論んで、特別価格を設定している号のことである。浅井先生は昨年末の総幹部会で創価学会を徹底的に破折した。それが新年号に掲載されたわけだが、この新年号こそがいわゆるUなのである。

 ここに重ねてこの大謗法を責めるべく、本年の顕正新聞新年号を「学会員を救う特集号U」といたしました。新年号を特集号にしたのは、顕正会始まって以来のことです。

拙宅に郵送されてきた新年号には上掲のような印字はない。もしかしたら増刷分にはあるのかもしれない。

さて、話の流れから、このまま一月度総幹部会の会長講演を見ていこう。特集号のVという意味からすると、次の記述が注目だろうか?

 学会は必ず崩壊します。私は組織的レベルで言っているのではない。戒壇の大御本尊を否定して、保つ団体はあり得ないのです。だから学会はまもなく、必ず音を立てて崩壊する。

う〜ん、実に悩ましい文章だ。

正本堂は音を立てて崩壊した。これは事実だろう。解体工事には騒音・振動は付き物である。ゆえに物理的な意味で、言っていることに間違いはない。

しかし、上掲は意味不明である。まず、組織的レベルで言っているのではない、と。では、どういう意味なのか、それが問題である。そして、音を立てて崩壊する、と。これも建造物であればわかるのだが、それ以外の意味だとすると、何を言っているのかわからなくなる。もちろん抽象概念というようなニュアンスのことなのだろうとは想像できるものの、そこに具体性がなければ意味をなさない話である。つまり、現証ということだ。

いずれにしても創価学会の崩壊云々は今に始まったことではなく、先生がずっと前から言い続けていることなのだ。しかし、現実にはなかなか崩壊しない。

弘通も日本一
  教学も日本一


順番が逆で恐縮だが、これが当該講演の冒頭の話題である。本文は省略しよう。ようするに、折伏弘通で日本国を独走しているのが顕正会だと、これは十一月度総幹部会で言っていたことだと思うが、それに加えて今回は教学試験の受験者が約三万人だったことを挙げて、上掲のように言っているわけだ。

確かに受験者数を見ると凄いことだと思う。しかし、中身はどうかが問題である。ご存知のごとく、折伏においても数を追うあまりに、デタラメな折伏が横行しているという実態がある。同様の意味で、教学試験も受験者数という数ばかりにこだわって、中身が伴なわないという問題が生じているのだ。これについては別稿で書く予定である。

また、客観的な意味で、創価学会と比較したらどうかという問題がある。

彼らも教学試験をやるだろう。今は情報を得ずに当てずっぽうに書くわけだが、おそらくは数十万単位の受験者数を数えるのではないかと思う。また、折伏弘通においても、これはずいぶん前に何かで読んだことなので不確かな情報であることをお断りしておくが、確か年間二十万人くらいの入信者をコンスタントに獲得しているのではないかと思う。もちろん退会者も多いのだろうけれども、それはまた別の議論である。ともかく数字の上から言えば、どちらが日本一なのかは一目瞭然であろう。

 二月・三月・四月の法戦は、弘通誓願を二万二千といたします。

前回の折伏法戦では誓願の発表がなかった。その理由は不明であるが、今回はご覧のごとく発表している。そして続きの文章で、百八十万まであと二万九千有余であるとして、今回の戦いで限りなく百八十万に近づきたいと言っている。

この数日後には三者の班長会があって、すでにそれを報じる新聞が届いているので見てみると、ひじょうに興味深い。先生はハッパを掛けるだけなので、あまり無理なことを言っては申し訳ないという気持ちが、おそらく先生自身にあるのだろうと思われる。けれども大幹部たちはやる気満々なのである。先生は控えめに言って下さっているが、我々はそれに甘んじず百八十万をやってしまおう、というようなニュアンスのことを言っているのである。

しかし、すでに何度も指摘しているごとく、デタラメな折伏を繰り返して数字だけを追い求めてもムナシイだけである。この点の抜本的な是正がなされない限り、百八十万になろうが百九十万になろうが、そして二百万になろうが、大した意味はないだろう。

国難三年、世界は急激に乱調

世界大恐慌いよいよ始まる


この辺は一般人が読んでも理解できる内容であり、ある意味では浅井先生の得意分野でもあって、ひじょうに読み応えのある文章に仕上がっていると思う。

 まさに中東は核を使用する「世界の火薬庫」です。

北朝鮮もまた、危険きわまる世界の火薬庫であります。

まさに南シナ海も世界の火薬庫であります。


いつだったか、ウクライナ問題の時も当該地域を世界の火薬庫だと言っていた。ようは世界中が火薬庫みたいな話である。

ただし、先生の説明にはじゃっかんの欺瞞があって、前掲の「世界は急激に乱調」というのはいわば錯覚に過ぎない。毎年、何だかんだと、いろいろなことが起きるのである。それをどのようにピックアップするかで、見方ないし見え方が違ってくるというカラクリに過ぎないのだ。

 加えて今年は年初から、世界同時株安が始まった。これは世界恐慌の始まりであります。

これは確かに深刻な問題である。株価はこのところずっと不調なのだ。特に先週末あたりは日経平均で一万五千円を割る事態にまで陥った。昨夏の暴落以降、どうにか復調しつつあるかに思えたものが、このテイタラクである。しょせん凡夫には先が見えないということだ。

ちなみに、わたくしは経済オンチであり、もともとの不勉強も手伝って、経済の仕組みはほとんど理解できていない。ゆえに会長講演の経済事案のくだりも十分には理解できていない。

そうではあるものの、その結論部分には大いに惹かれた。

 この本質を仏法で見れば、所詮は強欲資本主義の成れの果て、餓鬼界の本末究竟等なのであります。

ようするに経済問題の本質は餓鬼界だと言っているわけだ。つまり、世の中が仏界化されれば、経済問題だけではなく、あらゆる問題が解決するのだと、言っているわけなのだろう。これに対しては櫻川氏などが異論を述べているわけだが、返って難解過ぎるキライがある。むしろ先生の言っていることのほうが、ひじょうに単純明快であって、わたくし的にはあまり問題を感じない。

今回の会長講演についてはこんなところであるが、オマケとしてもう一つだけ紹介しておこう。

 見てごらんなさい。どんなに慢心している者でも、世の中が暗くなり心細くなってくると、やたらに神社などに参詣するでしょう。

神田明神には証券マンや経営者が多く参拝するという。今年は三が日だけで三万人、四日の仕事始めには四千社の代表が参拝に来たらしい。

経営陣も心細くなってくると、仏・菩薩・神などに祈るようになる。邪教にすがるのです。

これは今に始まったことではないだろう。パソコンなどが並ぶ最先端のオフィスでも、案外に神棚を祀ってあったりするくらいなのだ。謗法に対する忌避感を抜きにしても、わたくしはビジュアル的にどうかと思うのだが、しかし、そのようなオフィスが案外に多く存在するのも事実である。

当然、それらは神道系であって、仏教系はあまり見ないように思う。その辺の理由についてはまた別の機会に考えることにしよう。


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