2016/4/27

煩悶の日々  
予定通り顕正新聞第1373号を取り上げよう。当該号は三月度班長会の各種登壇で構成されている。まあ、おおむねいつものごとく、似たり寄ったりの記事ばかりだ。

さっそくイチャモンをつけよう。

男子部と婦人部の人事が出ている。しかし、法戦途中なのだ。なぜに途中で交代人事を行なわなければいけないのか、それが問題である。いつも言っているように、前任者がどうなったか、それが気掛かりである。

それから次が問題だ。

学会で次女・夫・母の急死、火災等、不幸の連続だった同組長は、先に顕正会に入信した長女の折伏で入会。

これは編集部が書いた文章である。しかし、長女の折伏ではなく、三女の折伏のはずなのだ。ちなみに当該号にはこの登壇記事が載っていない。ゆえに誰もそんなことには気がつかないだろう。

http://white.ap.teacup.com/ganko/2223.html

面倒臭いので確認する必要はないが、いちおうリンク先を読めばわかるはずである。正確なことを書いておくと、二号前に上掲に該当すると思しき記事が掲載されている。実はその記事には長女の折伏とも三女の折伏とも書かれていないのだ。ただ単に、娘の折伏で入会したと書かれているのみである。しかし、記事中には次女と三女のことは出てくるものの、長女のことはまったく書かれていない。ゆえに全体的な印象から、そして前後の文脈からして、三女の折伏だと理解するのが普通である。

もう一つ、編集部の文章を紹介しておこう。

真如苑の害毒により夫が悶絶死したことで・・・

当該記事は七面に載っている。見出しには悶死と書かれている。もちろんこれも編集部の仕事だ。ところがである。本文中には悶死ないし悶絶死とは書かれていないのだ。

前掲の話題とは違って、ひじょうに悩ましい。ようするに前掲は事実関係の問題であるが、こちらは表現の問題である。本文中にはガンで苦しんで亡くなった旨のことが書かれている。これを編集部では悶絶死と表現したのだ。その表現の適否というよりも是非がひじょうに難しい。つまり、仮にその表現が事実を正確に描写していたとしても、はたして他人の死に対してこうもあからさまにあげつらっていいものかという意味において、ひじょうに悩ましいのである。

もちろん、顕正会では臨終の大事ということを真正面から見つめているので、いわば逃げずに取り組んでいることにはなるわけだが・・・

せっかくなので、引き続き七面の記事について書く。

折伏理論書に感泣、求めて入信!

基礎教学書で虚しさ悲しみが有難さに変わる


これは三本の記事のうち、上段に並んだ二つの記事の見出しから、一行ずつ拾ったものである。

前者は婦人部延岡支区班長で、昨年の七月に入信したという。後者は昨年の七月に入信した婦人部富士支区組長で、くだんの悶絶死の体験発表の人だ。つまり、昨年七月入信という共通項がある。しかし、片や折伏理論書、片や基礎教学書なのだ。

一千万の誓いが掲載されている本と、それがキレイに消去されている本。延岡支区の班長さんはこれを両方読むことになるわけだが、はたしてどのような感想を持つものだろうか?

ちなみにこの人の記事には次のような一節がある。

 訝しげな顔をして、すぐには入信決定しなかった姑でしたが、その後、山道を歩いていると、目の前に五千円札が降ってきたり、ほしいと思っていた剪定ばさみを拾ったり、不思議を見せて頂いたと、素直な入信が叶いました。

どうなんだろうねえ。

例えば事前にほしいものを聞いておいて、彼女が歩くであろうルートにそれを置いておけばいいし、五千円札も誰かが木に登って隠れていて、彼女が来るタイミングを見計らって落としてやればいい。これで入信者一名ゲットである。

まあ、冗談はほどほどにして、今度は総男子部長の記事を取り上げよう。

・・・国会議員はじめ日本を代表する三万箇所へ発送され、諫暁の楔を打ち込んでおられます。

創価学会員を救う特集号4のことである。

このこと自体はすでに恒例化しており、どうやら特集号のたびに全国三万箇所へ送付しているらしい。ようは活動会員たちに配らせるだけでなく、本部としても率先して行動を起こしているわけなのだろう。

だが、しかし、この先のビジョンが見えないのだ。

すなわち二十年代の決戦場はもう目前なのである。その決戦場において、いったいどのような行動を起こすのか、それが見えてこないのである。なぜならば今すでに全国三万箇所への送付を行なっているのだ。ゆえに二十年代を迎えた暁に、それと同じことをやったとして、はたしてどれだけのインパクトがあるのか、である。つまり、同じことをやっているだけではインパクトに欠けるので、何か違うことをやらないといけない。しかし、その具体的なビジョンはない。たぶん、何もないだろう。

また、もし仮に新たなビジョンが創出されたとしても、言い換えれば、今までと違う諫暁の方法が見つかったとしても、はたしてそれがどれだけ効果を発揮するのかは不明である。イヤなことを言うようだが、失敗する公算が大きいと思う。

さて、次はやや長いので煩瑣であるが、ぜひともご覧いただきたい。同じく総男子部長の発言である。

 まず第六天の魔王は、大慢心の池田大作の身に入り、御遺命の国立戒壇を抹殺すべく偽戒壇・正本堂を建て、次いで細井日達を籠絡して「正本堂こそ御遺命の戒壇」と謀らせ、さらに阿部日顕に二冊の悪書を書かせて国立戒壇を誹謗させ正本堂を讃嘆させた。かくして「偽戒壇・正本堂に戒壇の大御本尊を居え奉る」という、この上ない不敬・冒涜が行われたのであります。

少し前に、省略形ないし圧縮形の話をした。まさに上掲がそれなのだ。いわゆる時系列の上から言えば、上掲はデタラメ極まるものである。ようは話を短縮するために、細かい時系列を省略し、いわば前後関係を入れ替えて説明しているのだ。

一点、具体的に指摘すれば、二冊の悪書が好例だろう。上掲の文章ではあたかも二冊の悪書が出来した後に御遷座が行なわれたかのごとく読めてしまう。しかし、事実は違うのだ。一冊はまさにそのとおりだが、二冊目は後から書かれたものである。

ここに一つの問題が存する。

ようするに、法華講員たちがそうした細かい点を知らずに文章の上っ面だけを取り上げて批判することの滑稽さもさることながら、これから入ってくる新しい顕正会員たちが誤解をするという意味で甚だ不親切な説明になってしまっている、ということなのだ。

この点を城衛ないし本部首脳がどこまで真剣に考えているのか、いや、浅井先生自身がどこまで考えているのか、それが問題である。

2016/4/26

威力と威徳の間で  
忠言は耳に逆らう。これは誰もが経験的に知っていることである。わたくし自身、他人から間違いを指摘されて素直に認められないことがあるし、逆にこちらが相手の間違いを教えてあげているのに相手が素直に聞かないこともある。これは程度の差こそあれ、誰もが持っている習性のようなものなのだろう。

そう、まさに程度の差である。

この意味で、浅井先生は忠言を素直に聞けないタイプの典型なのかもしれない。たぶん、そういう人はいわゆる負け嫌いなのだろう。ゆえに、その場ではすぐに間違いを認めない。けれども、後から微妙に修正したりすることはあるのだ。

絶大威力

これは顕正会で多用されている言葉であるが、実は一時期、鳴りを潜めたことがあるのだ。実はあの『迷走する顕正会を斬る』の中で、浅井先生の絶大威力論を批判しているわけだが、その直後くらいから顕正新聞の表記から絶大威力が消えたのである。その代替として出てきたのが絶大威徳である。今は再び絶大威力も復活してきて、両方の言葉が併用されている。

ともかく古い資料から絶大威徳を見つけるのは大変のはずである。以前はずっと絶大威力だったのだ。それが『迷走する〜』の批判を受けて絶大威徳に変わった。このことは前後の関係からして明白な事実である。

実は一念信解も一頃あまり使われなかった。最近になって復活してきたような印象はあるものの、これも統計的に調べれば明らかだろう。なぜ使われなかったのかは、拙ブログやその他の批判サイトが「一念信解による愚民化政策」みたいなことを盛んに言っていたからで、やはりそうした批判を気にしてのことだと思われるのだ。

まあ、しかし、上述のことは顕正会側の立場から言って、それほど姑息だとか不自然なことではないだろう。

ようはネット上の批判に対して、ネット上でこれこれこういう批判がありましたのでこのように修正します、などと断わる必要はないからだ。黙って修正しても一向に構わないし、むしろそれが自然だろう。ネット上の批判はその多くが匿名であり、かつまた悪意に満ちている場合が少なくないからだ。

ただし、『迷走する〜』への顕正会の対応は姑息である。なぜならば完全黙殺だからだ。これを逆に言うと、よほど痛いところを突かれたのだろう。ゆえに正面切って反論するのはヤブヘビ、よって黙殺を決め込んだのだ。

めずらしい記事がある。

http://white.ap.teacup.com/ganko/917.html

リンク先はひじょうに短いので、ぜひともご覧になられたい。

単なる誤植ならば放置したのかもしれない。しかし、この件はいわば重要なキーワードのところで間違えてしまったのだから、そのままにしておくわけには行かなかった。そりゃそうだ。例えば、法主本仏論と書くべきところを、払子本仏論などと書こうものならば、なんじゃそりゃ? ということになる。

しかし、問題はここからだ。

上述のことどもは単なる誤植の問題だとか、それよりは少し複雑ながらも用語の微修正の話だった。この程度のことならば大目に見ることも出来なくはない。また、この程度のことならばわりと素直に認めることも出来るのだろう。しかし、もっと根幹の教義上の重要な問題において、間違いを素直に認めることが可能なのかどうか、そこがまさに大問題なのだ。

例えば本尊複製疑惑である。

顕正会ではこれに正面から答えることが出来ない。もし自分のところで勝手に作っているのならば、それこそ創価学会みたいに公言してしまえば楽になるのに、それが出来ないのだ。もはやタイミングを失してしまった。今さら言えないのだろう。

顕正会もさることながら宗門もしかりである。

いわゆる戒壇論において、宗門は己の間違いを素直に認めることが出来ずに、いわばウソの上塗りのようなことをしている。これも心理的には似たようなものなのだろうか? ようは今さら訂正できない。今の方向性でとことん突き進んでいくしかない。

困ったものである。

今日はもう終わりにするが、実は顕正新聞第1373号を取り上げるつもりだった。その一面の大見出しにいわく、

「阿部日顕を追放せよ」に心は一つ

逆ギレみたいなものだ。あるいは攻撃は最大の防御なのだろう。今さら日顕上人のことをあれこれ言っても仕方がないと思うのだが、なぜか顕正会は執拗である。これはたぶん自分たちの間違いを糊塗するために、会員たちの意識を他のところに逸らせようとしているのだろう。

以上、些細な間違いは認めることが出来ても、重大な間違いは認めることが出来ない。むしろ自分を守るために積極的に正当化を図る。それが人間のサガなのかもしれない。

2016/4/25

粘着と放擲の間で  
沖浦氏は率先垂範の人である。氏のトレーニング理論がどれほどのものか知らないが、論より証拠である。氏が自ら模範を示すことが、何よりも説得力を持つわけなのだろう。また、今の高齢化社会における生き方のお手本でもある。真面目に定年まで勤め上げた人は、もちろん立派なことであって文句はない。しかし、そのような人たちにしても残りの人生をどのように生きて行けばよいのか、そこがひじょうに難しいのだ。その意味で沖浦氏はよき手本となるだろう。さらに、生き方云々は別にしてもである。今の介護問題を考えると、なるほど、ここでも沖浦氏が活躍しそうである。ようはアスリートのためのトレーニングだけではなく、要介護者を減らすための方法論として、氏のトレーニング理論が必要とされるのだ。

さて、本題に入ろう。今日は三月度総幹部会の各種登壇を取り上げる。

二代の悪貫首

二代の悪貫首


やれやれ、である。男子部総務の登壇にはこの言葉が連続して出てくる。次のくだりも凄まじい。

大石寺に蟠踞する魔僧の輩を放逐する・・・

前後するが、次の発言が印象的である。

先生の、一切の私心なき大忠誠のご発言のすべては、必ず事実と成ること、大確信したものであります。

しかし、発言のすべてが事実になっているわけではない。誰もが知っていることを挙げれば、誓願だろう。大聖人へのお誓いを、次々に破ってきたのが浅井先生である。まさか彼はその事実を知らないわけではあるまい。

論説

止めとなった「最後に申すべき事」


こういう紙面作りの工夫はどんどんやるべきである。しかし、内容的にはいかがなものかと思う。かつて大手新聞社を定年になった人が顕正新聞の論説委員となって、何度か論説を書いたことがあったけれども、それも内容的には大したことがなかった。結局はその他の幹部たちの登壇と何も変わらないのだ。今回の第十八男子部長による論説も、しょせんは似たり寄ったりである。

先生が御断言されたことは必ず諸天の動きを伴い事実となる・・・

これなど、先ほどの男子部総務の言っていることと変わらない。

次は男子部第五十隊長が創価学会の教宣部長を折伏した時の報告である。

 「すでに学会は、二十五年前から、戒壇の大御本尊を出世の本懐とは認めていない」

ありゃりゃ、教宣部長氏は凄いことを言っている。

 「当時は日蓮正宗の信徒団体だったから、宗門に従っていたまでだ。戒壇の大御本尊にこだわっているのは、宗門と顕正会だけだ」

どうやら普段、沖浦氏が言っていることは、わりと創価学会全般で言われていることらしい。

 「弥四郎国重は存在しない。少なくとも御在世にはいなかった。御書にはない」

御書にはない・・・

出たあ、得意の論法だ。彼らは何でもかんでも御書で論証できると思っているのだろうか? 実にオメデタイ人たちである。

次は昭和三十八年に創価学会へ入り、本年一月三十一日に婦人部組長と思しき娘さんの折伏で顕正会へ移籍してきた人の登壇である。まずは入信当時を振り返り、月例登山や選挙活動のことを書きつつ、次のように筆を進めている。

 また毎日、細井日達書写の御本尊に御給仕しておりました。

だから顕正会はダメなのだ。日達上人書写の御本尊と書くべきだろう。

 昭和四七年に正本堂が建ち、私も正本堂に登山しておりましたが・・・

アゲアシ取りではあるものの、正本堂へ登山するのはおかしいだろう。そして当該記事の最大の問題箇所は次だ。

細井日達の御遺命破壊、そしてその大罰により急死したことを聞く中に、その瞬間、「細井日達書写の御本尊を返納しよう」との思いが湧き・・・

これではあたかも、大罰で急死した人の書写した本尊に功徳はない、と言っているように聞こえてしまうところである。悪意の印象操作にも程がある。いい加減にしてほしいものだ。

同様の意味で、昨年三月、法華講から移籍してきた婦人部筑波支区員の登壇も看過できない。

 阿部日顕書写の本尊を返納し・・・

彼女は昭和三十五年に御受戒を受け、五十余年間も法華講員として信心してきたという。それが御本尊を返納して遥拝勤行に切り替えたのだから、人生における大転換だろう。
ところがである。近年の顕正会の傾向としては、いよいよ御本尊の個人授与を広く実施しようとしているわけだから、彼女もいずれは顕正会版の本尊を受持することになるかもしれないのだ。
これが何を意味するのかが問題である。法華講の人たちも黙ってはいないだろう。すでに樋田氏たちが顕正会の本尊はニセ本尊であると言い回っているのだ。彼女も遅かれ早かれそれを耳にすることだろう。

しかもである。

 私の姪は宗門僧侶と結婚し・・・

その二人の息子も大石寺で修行中とのことだ。

つまり、ご覧のように親族間のシガラミもあることだし、この先も泥沼の戦いが続くことになりそうなのである。だからいつも言っているのだ。宗門との和解を模索すべきだと。現状ではお互いに傷つくだけで何のメリットもない。

さて、次は昨年十一月に創価学会から顕正会へ入会した年配の男性の記事であるが、興味深い内容がギッシリと詰まっているので、紹介したいと思う。

 以来、学会幹部の指示通りに、選挙の集票活動、十時間にも及ぶ当選祈願の唱題、さらに聖教新聞の配達を八年間行う等、自らの持てる時間と財産のすべてを学会に捧げてきました。

直前の文章を読んでも、以来の意味が不明瞭なのだが、文中の八年間をそのまま解釈すれば創価学会歴が八年なのだろう。つまり、ごく最近の創価学会員なのだ。ゆえに、宗門のことを直接的には知らない、経験したことがないわけだ。

凄いと思った。十時間唱題である。正しい信心かどうかは別にして、なるほど創価学会員はかくも熱心なのだということを、よく伝える文章だと思った。

しかし、彼は創価学会をやめたいと思うようになった。その理由は省略するが、わたくしは次の文章に感銘した。

・・・またもし私がやめれば、残った後輩たちの生活はますます傾き、さらに私の代わりに八十歳の人が聖教新聞の配達をやらされることも目に見えていたため、学会と決別する肚が決まらず、悶々としていました。

この人は物凄くイイヒトではないかと思った。なるほど、掲載の顔写真を見ても、何かそのような感じが伝わってくる人である。

 その後、私は未入会のまま、高知会館で行われる毎月の第九女子部集会に参加するようになりました。

話が飛んで恐縮だが、彼はやがて顕正会の女子部から折伏を受けることになる。前掲のような理由もあってすぐには入会しなかったものの、集会には参加するようになった。

実はこれも驚きなのだ。

彼は岡山在住なのである。それが高知での集会に毎月通ったというのだから、大したものである。わたくしだったら断わっていただろう。そんな面倒臭いことやってられるかと。

いずれにしも時間の問題である。結局、彼は顕正会に入会するわけだが、もうこうなると創価学会のことをボロクソに書く一方である。

 ある学会の自宅拠点責任者は、座談会の直後、風呂場で転倒して即死し、翌朝、勤行会に参加した会員が第一発見者となりました。

亡くなった人は独居だった。すると善意に解釈すれば、すぐに発見されてよかったのかもしれない。独居の人が白骨化して発見されるという話は、よく耳にするところである。

 また同日、同時刻に、同じ組織の学会員が二人も急死し、また一ばん熱心に活動していた四十代の男子部長は、聖教新聞の配達中に転倒して半身不随となり、車イス生活になりました。

まさにボロクソである。しかし、四十代の男子部長がやや解せない。創価学会では男子部と壮年部の垣根がちゃんとあって、おそらくは四十を過ぎると壮年部に移籍することになるはずである。顕正会の場合、さまざまの理由から壮年部を潰してしまったけれども、それと同じ尺度で見たらいけないだろう。それとも創価学会も少子高齢化の影響を受けて、四十代の男子部長がザラにいるのだろうか?

 あるとき、供養するカネがなく、財務に参加せずにいると、学会幹部が自宅までやって来て「財布にいくらあるか」と聞き、「一万円しかないが、年を越すためにどうしても必要」と答えた私の言葉も聞かず、「十倍になって返ってくるから」とそれを持って行き、私はその後、ますます困窮し、三ヶ月後、ついに唯一の財産であった自宅を競売にかけられ失ってしまったのです。

あれまあ、である。他人の財布からお金を抜き取っていくような、そんな乱暴狼藉が本当に行なわれているのかどうか、その事実関係は微妙なところだろう。それはともかく、十倍かどうかはわからないが、顕正会でも似たり寄ったりのことを言っているのは事実である。

いずれにしても創価学会側も黙ってはいない。地元幹部が法論を挑んできたという。それを彼ではなく、彼の先輩たち、すなわち女子部の支区長補たちが受けて立った。それを目の当たりにした彼は次のように感激を述べている。

 私は思わず「その日は岡山・美作の地に、浅井先生の弟子としての戦いの烽火を上げた歴史的な日なのだ!」と、いよいよ大確信が込み上げ・・・

教学に造詣の深い人ならば、美作の地に何かを感ずるかもしれない。彼は創価学会時代にすでに何かを教わっていたのかもしれないし、あるいは女子部の先輩たちが何かを教えたのかもしれない。かく言うわたくしはよくわかっていないのだが・・・

最後に女子部第百四十七区総班長の記事を取り上げる。

一年ぶりに総班誓願を突破することが叶い・・・

彼女は平成十五年の入信だ。つまり、すでに十年以上が経過する。活動会員たちの平均的限界値が十年、いや、もちろん、これは当てずっぽうの数字なのだが、ともかく友人知人を折伏し尽してしまって成果が上がらなくなるのは誰もが経験することである。上掲はそれを間接的に証明するものだろう。彼女は毎回の法戦で苦戦を強いられているのだ。

邪宗の葬儀に参列しなくて済むよう母を説得してくれ・・・

唐突で恐縮だが、ようは邪宗の坊さんと同座するのはいけないことだと、顕正会では言っているわけである。これは確かに難しい問題だ。

解雇予告を四回も受けましたが・・・

これも唐突で恐縮だが、おそらくは用法を間違えているのだろう。解雇予告というのは、労働者側としては急にクビを切られると困ってしまうので、会社側は最低でも一ヶ月前には解雇の予告をしなければいけない、というルールのことなのだ。ゆえに彼女の場合は解雇予告ではなく、解雇勧告とでも言うのだろうか? オマエ、クビにするぞ、と四回も脅されたということだろう。

2016/4/24

旺盛と惰性の間で  
勝氏の旺盛なる執筆力には恐れ入った。その一々には触れないが、一つだけ挙げるとすれば次のくだりだろう。

当方の見立てでは恐らく、ネットは殆ど確認してない執行部や会長の事だから、上記の間違いは気付かれず、今後もずっと訂正されない侭、続いて行くのだろう。

最後の御登山についてである。ようするに、昭和四十四年の御登山を最後とするのは間違いであるが、顕正会の執行部はネットをほとんど見ていないので、間違いには気がつかずにいつまでも訂正されないだろう、とのことである。

この点はやや異論がある。

たぶん本部首脳は承知しているはずなのである。ネット情報のあるなしに関わらず、わたくしと同様に昭和四十五年にも御登山があったはずと考える人がいて不思議はない。前回も書いたように、そのヒントというか答えの半分は冨士二百五十号に載っているわけで、今の本部首脳の多くは冨士の当該号を学んだ人たちなので、それに気がつかないはずがないのである。彼らは一字一句丸暗記するくらいに熱心だったからこそ顕正会の中で出世していったのだ。ゆえにわたくしなんかよりも遥かに詳しいし、ましてや立場的にもさまざまの資料を目にする機会もあるだろうから、知らないわけがないのだ。

問題はここからである。

大幹部の中にも知っている人はいる。もちろん知らない人もいるし、すっかり忘れてしまったという人もいる。わたくしは前回、浅井先生は記憶がアヤフヤになってしまっているのだろう、と書いた。問題はそれを訂正できる人物がいるのかどうかである。

先生、それは記憶違いではありませんか? 最後の御登山は昭和四十六年なのではありませんか?

このような進言が可能なのかどうか、である。かつて拙ブログにもコメントを寄せていた下野正信氏によれば、それは不可能なことらしい。先生は自分の間違いを素直に認めることが出来ない。だからイエスマンばかりを集めている。逆に言うと、顕正会の中で生きていくためにはイエスマンにならざるを得ない、余計なことは言わないほうがいいという処世術を身につけるしかない、ということらしいのである。

また、前回も繰り返し書いたように、御遺命守護の歴史は省略形で語られているという側面がある。

すると前回は特に作為はないと書いたわけだが、じゃっかんの作為があるのかもしれないと思う。ようは昭和四十五年に御遺命守護の戦いが始まるわけだから、ごく単純に戦いの前年を最後の御登山としたほうが話がスッキリする。戦いの最中にも御登山をしていたとなると、話がややこしくなってしまうので、そういう意味からあえて翌年ないし翌々年の御登山を伏せているのかもしれない。

もしこれが真相だとすると、浅井先生以下本部首脳は全員がこれを承知していることになるだろう。

さて、話をもう少し続けよう。

ネットは殆ど確認してない執行部や会長の事だから・・・

再掲である。わたくしの思うに、顕正会の首脳部は案外にネット情報に敏感である。かつまた浅井先生も、さすがに先生自らがパソコンの前にかじり付いている図は想像し難いものの、けっこう気にしているのではないかと思う。もちろん明確な証拠があるわけではないが、いちおう、わたくしなりの根拠を書いてみよう。

馬鹿笑い

リンクは省略するが、過去の拙稿に上掲の表題がある。この中でわたくしは浅井先生の顔写真を思いっきり罵倒した。すると、気のせいだろうか、この後の顕正新聞において先生の顔写真に変化があらわれたのである。いかにも柔和で穏やかな笑顔の写真を意識的に載せているように、わたくしには思えたのだった。

バスタータイムズ

これもリンクは省略しよう。拙ブログでは過去に何度も取り上げている話である。創価学会系と思しきバスタータイムズは顕正会からの圧力で潰されたと言われている。もちろん事実関係は不明だが、もしそれが本当だとすると顕正会首脳部はネット情報に物凄く敏感だということになるだろう。

是正協議会

同会は顕正会本部に御伺い書を送付した。しかし、そんなものは黙殺すれば済むことである。ところが浅井先生は間接的ながらも総幹部会の場で同会に対して回答したのである。なぜならば同会は単に書面を送っただけではなく、ネット上においてその内容をすべて公開してしまった。ゆえに顕正会側としても黙殺できないと観念したのだろう。

名誉棄損裁判敗訴

これは十年ほど前のことだろうか? 妙観講員が顕正会への破折を強めている時期があった。全国の会館に妙観講員が出没し、これには本部首脳も頭を悩ましていた。その時に妙観講破折のつもりで書いた記事が悪かった。これで訴えられて負けてしまったのだった。つまり、ネット上の不確かな情報を鵜呑みにして、それを顕正新聞に載せてしまったのである。

戒壇の大御本尊を怨嫉する宗内外の魑魅魍魎が大謗法の書を出した。私はその一々を知っております。

これは三月度総幹部会の会長講演を要約したものである。これもまたネットに敏感であることの証拠だろう。大謗法の書=大反響の書ではない。一般的には注目されていない。つまり、一般書店にはほとんど並ばない本なのだ。ゆえに、これらはネット上における宗内外の動向を見ていないと容易には知り得ないことであり、かつまた入手するのもネットを利用したほうが簡便である。

以上、顕正会がネットに無関心というのはいちおうのポーズであって、実際にはけっこう関心が高いのではないかと思う。また、甚だウヌボレが過ぎるとは思うものの、本部の関係者たちも拙ブログを閲覧しているだろうし、活動会員たちの中にも個人的に閲覧しているだろう人たちが一定数はいるはずである。

ということは、勝氏の活躍(?)も本部首脳は承知していることになる。どう思っているかは定かではないが・・・

2016/4/23

改竄と忘却の間で  
小沢一郎氏が左に急旋回した云々は記憶にない。ただ言えることは、現今の政権与党を取り巻く状況がかなり右寄りのように見えるので、それに比すれば野党全般が左寄りの印象を受けるという意味はあるだろう。しかも小沢氏は今、あの山本太郎とタッグ(?)を組んでいるのだから、なおさらのことである。いずれにしても小沢氏は自民党を離れてからが長い。その間には自ら政党を作ったり、あるいは参画したり、合同したり、離反したりを、繰り返してきた。一頃は自由党を作って、いわゆる自自公連立という政権側の枠組みにいたこともあるのだ。

あるいは民主党にいたこともあって、あの民主党政権が樹立する直前までは彼が党首だった。つまり、彼はわずかのタイミングで総理の座を逃した。ゆえに本人はどうか知らないが、周囲には今でも彼を総理にしたいと思っている人たちが少なからずいるらしいのだ。

まあ、しかし、年齢的な意味でもそろそろ限界だろうし、その他さまざまの要素を勘案しても、もはや総理の座はかなり難しいことではないかと思う。

浅井先生はわりとこういう不遇の人物に対して好意的である。わたくしの記憶では、総理としては物凄く地味だった福田さんについて、先生が批判めいたことを一切言わなかったことが強く印象に残っているし、また、森さんについてはあまりにも世間の評判が悪かったものだから、逆に森頑張れと言いたいみたいなことを先生が言っていたこともあった。

以上、記憶のままに書いたので、正確性に欠ける点はご容赦願いたい。

妙信講の最後の登山は、昭和46年8月28日でしょうか?

ああ、なるほど、これはわたくしもウッカリしていた。

昨今、顕正会では昭和四十四年の総本山参詣を最後の御登山だと言っているわけだが、これは間違いである。では、最後の登山はいつなのか、わたくしは昭和四十五年だと勘違いしていた。どうやら正解は上掲のようである。

少し順を追って説明しよう。

わたくしの思うに、四十四年を最後とすることに特に作為はない、何か都合の悪いことがあるとか、そういう意味から歴史を改竄しているわけではない、というのが真相だろう。ようは顕正会の中でも当時のことを知る人物が少なくなってきて、浅井先生自身も記憶がアヤフヤになってきて、かつまた御遺命守護の歴史にしても詳述すると長くなり過ぎるので常に省略形で語られるという慣習があって、そうしているうちにいつの間にかすっかり忘却してしまったのだろうと思う。

なぜならば、わたくし自身が上掲を知らなかった、知っていたが忘れていたというわけではなく、長いこと知らなかったことだからである。

冨士二百五十号はわたくしにとっての御遺命守護の教科書である。

冨士

解散弾圧十周年記念特集「御遺命守護の戦い」

八・九・十月合併(二百五十号)


ページ数が二百五十三ページもある大作だ。つまり、これだけで立派な一冊の本の体裁を持っていて、当時はまだ折伏理論書もなければ後に一般書店にも並べられた二冊の本も存在しない時代だったので、これがまさに御遺命守護の歴史を学ぶ教科書だったのだ。

しかし、この書だけでは最後の御登山は不明瞭である。

・・・さらに法華講連合会により妨害されていた妙信講の御登山を「八月にと」許可して下さった。

先ほども書いたように、この本はページ数がベラボウである。ゆえに読み抜けがあるかもしれないが、わたくしの知る限りでは上掲が唯一の記述なのだ。よって、実際に御登山が行なわれたのかどうかは不明である。

これで現今の顕正会員たちがなぜ昭和四十四年を最後と言っているのかが、少しはわかってきたのではないかと思う。先ほども書いたように御遺命守護の歴史は膨大である。ゆえに省略形で語られることが多い。おそらくは最新の書籍においてもそうなのだろう。つまり、どれほど真面目に読んだとしても、事実そのものが記載されていないのだから、知りようがない。何しろ今から三十年以上前に発刊された冨士二百五十号にすら書かれていないことなのだ。顕正会員の大半が知らなくて当然だろう。

わたくしも知らなかった。そして近年に至って知ったのである。

 十月二十五日、妙信講員二千有余名は、晴れて総登山を果たした。・・・停止されていた登山が許されたのは、四月三日の約束にもとづくものである。

『迷走する顕正会を斬る』の記述だ。これでようやくわかったのだ。

おそらくはどの書籍にも記されているであろう昭和四十五年四月三日の面談の折、おそらく最近の書籍では記されていないであろう事実として、日達上人から登山の許可を頂戴していたことが挙げられる。それが冨士二百五十号の「八月にと」云々の記述である。しかし、実際の登山の記述はない。ゆえに顕正会員の大半、いや、御遺命守護の時代を実際に経験したことのない人は、ほぼ全員がこの事実を知らないのだ。

しかもその翌年にも登山が行なわれていたのだった。

 八月二十八日、妙信講総登山に二千百余名が参加・・・

『迷走する顕正会を斬る』である。これはウッカリした。前掲のすぐ隣のページに書かれていることなのに、わたくしは完全に読み落としていた。

以上、妙信講の最後の御登山は昭和四十六年八月二十八日である。

せっかくなので、もう少し話を続けよう。翌昭和四十七年は正本堂問題のピークの年であるから、御登山を申請するような余裕はなかったのだろう。しかし、しばしば取り沙汰されているように、妙信講はその後も御登山の申請を行なっているのである。冨士二百五十号の記述を紹介しよう。

 妙信講の御登山御内拝について昨年五月十一日、書状を以て妙縁寺御住職を経て正式に願い出ましたが、その後一年を経んとして未だお許しもなく・・・

これは昭和四十九年四月八日付の書状である。当時の総監へ宛てたものだ。また、五月十九日に行なわれた妙信講の第十六回総会における浅井先生講演にも、次のような発言がある。

 ここに何ともわからぬことがおきてまいりました。妙信講は昨年より御登山を宗務院に願い出ておりました。ところが今回、宗務院より正式に「妙信講は国立戒壇を捨てよ。さもなければ登山はさせぬ」と云ってまいりました。

おわかりだろうか?

近年、顕正会では正本堂を偽戒壇だと言っている。ようはその偽戒壇への参詣を願い出ているのだ。この支離滅裂さは何事だろうかと思う。

しかし、少しだけ顕正会の弁護をしておくと、今日の文章の中で何度も書いたように、御遺命守護の歴史は長いし膨大である。ゆえに省略形で語られることが多い。圧縮形と言い換えてもいいだろう。よって事の顛末を詳細に検証していけば、それなりにツジツマは合うのだ。その点は踏まえておく必要があるだろう。

とは言うものの、やはりその省略の仕方だとか圧縮の仕方が問題なのだろう。結局は自分たちに都合のいいように省略ないし圧縮して伝えることになりかねないし、実際、そのような事実がいくつも存在するからだ。

しかし、これを書くとまた話が長くなるので、今日はこの辺で終わりにしたい。

2016/4/19

喧騒と静けさの間で  
コメント欄が静まり返っている。数日前までの喧騒がウソのようだ。しかし、なぜか次から次へと新しい人がお出ましになる。昨夜の二人は好対照だった。

2016/4/18 21:53
投稿者:はる
顕正会の何を知ってるんだか
ネット上でしか言えないの可哀想


批判的なコメントだ。

2016/4/19 0:08
投稿者:罪障深き者
女子、婦人に属する男性会員ですが、大半は女性目当てで、信心はありません。一部では信心ある方もいらっしゃいます。外国人の入信はもっとひどく、ほとんどはキリスト、イスラム、ヒンズー教を捨てていません。日本人を利用しようとしているだけです。この状況では、登用の合格率も悪くなり、純粋な若者の比率は下がり、高齢化もやむなしですね。警鐘を鳴らせば、怨嫉者として処分されます。数字だけ増えても、顕正新聞の内容と同じで、どんどん薄っぺらになっています。


こちらはいわば肯定派だ。かつまた貴重な情報提供者でもある。

さて、ネットでしか物が言えないヤツは可哀想というのは確かにそのとおりであるが、しかし、それが今は物凄く力を発揮する時代でもあるのだ。少なくともわたくしの場合は名無しだとか通りすがりのコメント投稿者とは違って、こうして場所を移さずに十年以上も続けてきたわけだから、いわば市民権を得ているとも解釈できるだろう。

顕正新聞の内容と同じで、どんどん薄っぺらに・・・

一方の貴重な情報提供者は名文家でもある。顕正新聞はその昔、一枚刷りだった。ようは二ページ立てである。それが二枚刷りの四ページになり、さらには四枚刷りもしくは大判二枚刷りと呼ぶべきなのか、つまりは八ページ立ての堂々たる新聞に成長したのである。しかし、中身が伴なわなかった。つまり、ページ数は増えたが、内容的にはどんどん薄っぺらになっている。それが組織の実態を象徴しているのだと、こういう意味のコメントを寄せられたのである。実にうまいまとめ方だ。

今や顕正会擁護の論陣を張る人は皆無に等しい。なぜならば上掲のような顕正会の実態を暴露する投稿に対して、真正面から対抗する術がないからである。なぜ対抗できないか? 当たり前である。顕正会の中で熱心に活動している人たちこそが、誰よりも痛切に感じていることだからである。
ゆえに本当ならば、間違いは間違いとして素直に認めた上で議論を進めればいいのだが、しかし、その一線を越えてしまうと後戻りが出来なくなるという怖さがあるのだ。どんどん批判者側の論理に吸い込まれて、いつの間にか批判者側の人間になってしまう。つまり、中庸を保つことが出来ないのだ。
だったらクビを突っ込まないほうがいい。ネットはひそかに情報収集のために見るだけにして、議論には参加しない。たぶん活動会員の大半がそうなのだろう。

しかし、マレに巌虎の言い草に我慢がならなくて言い返したくなる人もいる。過去にも存在したし、これからも登場するだろう。ただし、長居をする人はいない。わたくしに何を言ったところで、ムダだということがわかっているからだろう。賢明な判断である。

さて、そういうことで今日も熱心な活動会員たちの気分を害するようなことを書くわけだが、メインは三月度総幹部会の会長講演である。

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14427396.html

毎度ながら、すでにこの件はセロリ氏が書いている。ぜひ、参考にされたい。

それではわたくしはわたくしの立場として重複を覚悟で書くことにしよう。

学会員を救う特集号5

三月度総幹部会を報ずる顕正新聞第1372号にはご覧のような表記がある。なんだ、ずいぶんシツコイではないか、と思う。

ところがである。わたくしは会長講演の大見出しを見て、あれ? おかしいなあ? と思った。

正系門家の濁乱は日本の亡国を招く
 学会・宗門ともに戒壇の大御本尊を冒涜
 大謗法の阿部日顕を宗門追放せよ!!


以前、特集号4は法華講員を救う特集号ではなかろうか、と書いた。すると今回は法華講員を救う特集号2となりそうである。

そもそも創価学会員がである。日顕上人を宗門追放せよと書いてあるのを見て、はたして救われるのだろうか? むしろ怪訝に思うに違いないのだ。アンタたち何を言っているの? それは我々創価学会員が言い続けてきたことでしょうが?

ここには一種のネジレ現象が存在する。

創価学会が宗門から破門されて二十年以上が経過する。その当初、創価学会では日顕上人を悪者に仕立て上げて、日顕を追放せよ、日顕を除歴せよ、と言っていたのだ。つまり、日顕上人を追い出してしまって自分たちに都合のよい新猊下を擁立すれば、それですべては解決すると思っていたわけである。しかし、思い通りにはならなかった。今では大幅に方向転換して、脱日蓮正宗ということなのだろう、とうとう教義を改変するに至ったわけである。

一方の顕正会は当初、宗門と創価学会の泥沼の抗争を横目で見つつも、あくまで自分たちの組織の拡大に専念していた。つまり、この時点では御相承の断絶など言っていなかったし、猊下に対しても節度を弁えて管長とお呼びしていたのである。それが今では御相承の断絶を言ってしまって後戻り出来なくなったのか、とうとう管長という節度ある呼称も廃止して、阿部日顕と呼び捨てにし、さらには日達上人までとばっちりを食って細井日達と呼び捨てにされるようになってしまったのだった。

逆に創価学会のほうでは、もちろん今でも宗門のことを悪し様に言っているのだろうけれども、当初の日顕上人に対する激しいバッシングを思えば、今はだいぶ緩和されたのではないかと思われるのだ。

つまり、このタイミングでいったい何を言っているのかという、チグハグさがあるのだ。

創価学会員を救う特集号と銘打っておきながら、阿部日顕を宗門追放せよという、このこと自体がチグハグであるし、それをなぜに今のタイミングで言うのかがよくわからない。実に不可解である。

「なぜこのタイミングで?
なぜ今まで言わなかったの?
日顕上人はもう90歳をとっくに過ぎているのに?

浅井会長が批判している、
2冊の書からは約40年、
池上本門寺の僧侶が来てからは約20年、
河辺メモ流出からは17年、
対決申し入れや御隠尊猊下となってからも11年も経っているのに?」


セロリ氏のおっしゃるとおりである。

ただし、まったく必然性がないわけではない。近年の創価学会の教義改変は戒壇の大御本尊への疑義とかなり密接な関係にある。これは何も創価学会が勝手に大御本尊への疑義を強めて、その結果として教義改変に踏み切ったというわけではなく、そこには河辺メモの影響が有形無形に働いているのだという話の流れである。つまり、元をたどれば阿部日顕がタネを蒔いたのだと、浅井先生は言いたいわけなのだろう。

当然、法華講員には反論があるはずだが、わたくしの立場としては言うことはない。ようは阿部日顕追放がいかにも唐突なようでいて、実は顕正会側にもそれなりの言い分があるということを、いちおうは確認しておきたいと思う。

それにしても、今さら追放も何もありゃしないだろう、すでに御隠退あそばされている猊下に対して何を息巻いているのかと、わたくしは思う。やはり背景としては顕正会員の流失が止まらないことがあるのだろう。

いずれにしても創価学会員を救う特集号でこういうことを書くからおかしいのだ。

さて、本文から少し拾ってみたい。

 広宣流布は歴史的必然であります。

この発言自体は問題ないだろう。しかし、次はどうかと思う。

 広宣流布は絶対です。しかもそれは近い。

絶対との確信も結構なことだ。しかし、近いかどうかは甚だアヤシイ話であって、注意を要するところだろう。

 実は平成十六年の諫暁書「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」のときには、あらゆる新聞社が広告掲載を断わってきました。
 それは学会の妨害による。学会員の眼に触れさせまい、世間の人々の眼に触れさせまいと、学会が徹底して妨害したからです。


事実関係はよく知らない。ただし、平成九年の諫暁の時は新聞の一面広告だとか電車の中吊り広告が出たし、一般書店にも平積みで並んでいた。しかし、平成十六年の時にはそれがなかったように記憶している。

 しかし、もうそれも為し得ぬ時代になって来ました。早く大規模に知らせたいと思っております。

だからこれはセロリ氏も言っているし、わたくしも何度も言ってきたように、ネットを活用すればいいのである。地道な配布活動も結構だが、それと同時進行でネットも活用すればいい。なぜそうしないのだろうか?

 偽戒壇・正本堂の建立こそ、戒壇の大御本尊を冒し奉る第一歩であった。

新見解である。これまたセロリ氏の指摘通りであって、ではなぜに妙信講は登山申請をしたのか、そこが最大の矛盾である。

それから何度も言っているように、今さら正本堂を云々するのもどうかと思う。不思議の還御を祝した。そして正本堂は崩壊した。後に奉安堂が建立された。つまり、大御本尊は今現在、奉安堂にましますのである。歴史の歯車は一歩一歩前に進んでいる。であるならば、今の不敬・冒瀆の御開扉を糾弾すればいいのであって、もはや正本堂の話はどうでもよいはずなのである。

シツコイようだが、繰り返そう。

正本堂が崩壊した。これを第一の不思議と言ったりもする。第二の不思議とは御遺命の成就のことである。つまり、歴史の歯車は今や第二の不思議に突入する段階を迎えたわけだろう。ところがそれを主張しているはずの顕正会がである。第二から第一に逆戻りして、さらには第一からその前の段階に、さしずめ第ゼロとでも呼ぶのだろうか、そこに戻ってしまっていつまでもしがみ付いているのである。

いったい何をやっておるものかと思う。

阿部日顕の大謗法
   「河辺メモ」


浅井先生が日顕上人の宗門追放を云々するのは唐突感が否めないものの、それなりの必然性があることは先ほど書いた。けっこう重要な部分なので、本文から引用したい。

 この河辺メモが流出したのち、戒壇の大御本尊を怨嫉する宗内外の魑魅魍魎どもが、どれほどこれを見て喜んだことか。
 彼らは「宗門の教学部長がこういったのだ」と小躍りして、大御本尊に対し奉る荒唐無稽な誹謗を書きなぐった。私はその一々を知っております。


浅井先生はこれらの本を読んでいるらしい。

彼らはみな本名を明かさず偽名を使って、大謗法の書を出した。

なるほど、確かに偽名はそうなのかもしれない。ようは悪人は陰に隠れてコソコソを悪事を働くと言いたいわけなのだ。すると、どうなのだろう。もし本名で正々堂々と主張する人があらわれたならば、浅井先生は身命を賭して戦うつもりなのだろうか?

ちなみに、上掲は大御本尊誹謗についての発言であるが、間接的な意味においてはその他の全般が当てはまるのかもしれない。つまりは、わたくしなども魑魅魍魎の一味となるのかもしれない。なるほど、冒頭の話に戻るわけだ。ネット上でしか物が言えない可哀想なヤツだと。

 亡国の前兆たる経済崩壊はすでに始まり出している。

創価学会員を救う特集号5は惰性で数字を打っているような意味もあるだろう。当該講演の後半は経済問題や世界情勢に言及している。確かに浅井先生は話をまとめるのがうまいので、こうした時事問題への言及も創価学会員を取り込むための武器となるのかもしれないが、これらはむしろ一国諫暁の意味合いが強いはずである。

 アベノミクスはもう化けの皮が剥がれ・・・

拙ブログの読者はどうだろう。単なる経済指標ではなく生活実感としてどうかということだ。わたくしは厳しくなっていると思う。収入は増えない。しかし、一方で税金ないし公共料金は上がるし、物価も上がり気味である。つまり、庶民の生活実感としては完全に失敗、それがアベノミクスではないかと思うのだ。

小沢一郎さん・・・

会長講演では中国の李克強首相の話にかなりの紙数を使っている。これが印象的だったが、その中で小沢一郎氏の名前が出てくる。同首相は日本への留学時に、小沢氏の家に寄宿していたという。それらの話はさておき、わたくしが気になったのは上掲である。

浅井先生は政治家のことをボロクソに言う。枚挙に暇がないほどだ。しかし、小沢氏のことは悪く言わないのだ。たぶん、わたくしの記憶が正しければ、これまで一度も言ったことがないはずである。これはけっこう意外な事実ではなかろうか?

2016/4/17

異常感想注意報?  
高速太郎氏より地震についての情報をたまわった。しかしながらリンク先は専門的過ぎてわたくしには咀嚼し切れない。

そこで思ったことは、ああ、なるほど、今やネット上にはさまざまの分野の有益が情報がたくさん存在するようだ。ただし、それを有効に活用できるかどうかは、個々人の能力に左右されるのだろう。たぶん仏教関係の情報にしても無尽蔵に存在するに違いない。しかし、それを自由に使いこなせる人はマレなのだろう。わたくし自身、まったく使いこなせていないし、もはや無理だと思ってしまっている。ようは自分の狭い守備範囲の中で満足してしまっているわけなのだ。

もう一人の太郎氏は顕正会歴三十年弱という。しかしながら今や集会等にも呼ばれないらしい。すると、いわゆる未活動に分類されるのだろうか?

まだ駆け出しなのですが、御書を拝読させて頂いている自分に嬉しさで酔っているところです。

これは素晴らしいことだと思う。

今の顕正会の構造的問題はいわゆる成果至上主義に集約されている。入信勤行をしてオシマイの人がどれだけいるかということだ。そんなことで百八十万だの二百万だのを数えたところで意味はない。
そうした中で低確率ながら顕正会の活動にハマる人たちがいる。この人たちは大聖人の仏法に目覚めたといちおうは言えるだろう。そして熱心に活動するようになるのだが、これがまた持続しないのだ。個人差があるものの、おおよそ十年くらいで退転していくことになる。
退転と書いたが、人によっては宗門に移籍する人もいる。いわゆる法華講員だ。この人たちはいわば正しい信仰を求めて一つの選択肢として宗門を選んだわけであるから、それはそれで結構なことである。

では、それ以外の人たちはどうだろう、そこが問題である。

ようは顕正会での忌まわしい経験から、もう宗教はコリゴリだと思って、まったく別の人生を歩んでいる場合が少なくないのではないかと想像されるのだ。

これに比べれば、太郎氏の歩んでいる道がどれほど素晴らしいものかは、一目瞭然だろう。誰からも強制されずに、自発で行なっていることだからである。

所詮信と随喜とは心同じなり。随喜するは信心なり。信心するは随喜なり。

御講聞書の一念信解の事から引用した。ただし、感激を持続するのは並大抵のことではない。わたくしもすでに無所属信者となって久しいが、こうしてブログを続けていることでどうにか踏み止まっているものの、いつどうなるかはわかったものではない。太郎氏にとってもそこが大きな課題だろう。

ところで勝氏が難題を持ち込んできた。

まさに正真正銘の難題であって、残念ながら拙ブログの常連の人たちには荷が重い内容である。
こう書くと、ずいぶんバカにしているように聞こえるかもしれないが、そのつもりはない。投稿者の多くは各教団に所属していて、基本的にはそこの教科書を学んでいる素直(?)な人たちなのだ。
かく言うわたくし自身も、狭い守備範囲で満足してしまっているわけだから、勝氏の難題には答えられない。

しかし、答えは書けないが、感想は書ける。

正像末の三時は循環するのか、それともこの先は永遠に末法なのか?

わたくしは後者だと思う。根拠? それはない。だから感想と書いたのだ。

少なくともわたくしの生きている間は末法万年の範疇なので、あまり深刻に考える必要はないだろう。つまり、もし仮に三時が循環するとしても人間の時間感覚を超越しているので、そこに実用上の問題は存在しないと考えられるのだ。

釈尊と八幡は同体である。すると、大聖人の仰せられた八幡大菩薩に最後に申すべき事は釈尊に対して言っていることになるわけで、大聖人は八幡を叱りつけているようでいて実は釈尊を叱りつけていることになるのではないか?

上掲は勝氏の言っていることと少し違うかもしれないが、まあ、大雑把な意味では同じような方向性のはずだ。これについては諫暁八幡抄に答えがあると思う。

 我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思ひていわく、此の御房は八幡をかたきとすと云云。これいまだ道理有りて法の成就せぬには、本尊をせむるという事を存知せざる者の思ひなり。

諫暁八幡抄は題名が示す通り、八幡を諫暁しているわけである。その八幡とは実は釈尊のことなのだ。つまり、大聖人は釈尊を諫暁しているわけなのだ。何という大胆な行為かと思うが、これがいわゆる日蓮本仏論の一つの根拠となるのだろう。

末法の衆生は本未有善の荒凡夫だという。しかし、地涌の菩薩は本已有善のはずだ。

実はこの議論は沖浦氏が得意(?)としていて、本未有善なんて者はいない、実は全員が本已有善なのだ、と以前から主張しているのだ。これもまた厄介な議論である。

涌出とは広宣流布の時、一閻浮提の一切衆生、法華経の行者と成るべきを涌出とは云ふなり云云。

御講聞書の先ほどの引用文の三つほど前の項目に出てくる御文だが、この直前には過去久遠より已来本法所持の菩薩との仰せを拝することが出来る。つまりは、一閻浮提の一切衆生が元々地涌の菩薩なのであって、本未有善の荒凡夫などはウソっぱちということになる。

ところがである。曾谷入道殿許御書などを拝すると、末法の衆生は本未有善であると説かれている。

これをどのように整理すればいいのだろうか?

わたくしの考えを簡略に示せば、大聖人を下種の御本仏とするための論理展開であり、そのための必須概念として本未有善が用いられたのだろう、ということだ。

法華経は種の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如くなり。

タネのごとく・・・

これはまさしく譬喩である。

譬へば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば・・・

さすがに極論が過ぎるが、これもまた譬喩である。

つまり、下種仏法における種とは、何か生物学的なタネがあってそれが植えられるわけではないことは明らかであり、おそらくは大聖人の時代においてもそのくらいのことはわかっていたはずである。すると、こうした譬喩にはどのような意味ないし意義があるのかと言えば、まさに大聖人の御本仏たることを論証するためのロジックなのだろうと考えられるのだ。

但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。

いわゆる種脱相対である。下種仏法の必要性ないし必然性を根拠づけるためには本未有善という概念が必要だった。それを正像末の三時と結びつけることによって、大聖人が末法の御本仏であるとのロジックが完成するわけである。

最初の話に戻って、正像末が循環してしまうと話がややこしくなって困る。大聖人は仏法の統合を考えていらしたわけだから、もし後からまた別の仏が出現するとなると、混乱を生ずることになる。ゆえに、この件は大聖人の下種仏法が万年の外未来まで流れるということで、決着すべきだと思う。

以上、回答としては不十分だが、感想としてはこんなところである。

2016/4/16

一時間の激闘  
ショックだった。熊本大地震のことである。

地震はいつどこで起きるかわからない。逆に言うと、いつどこで起きてもおかしくない。ことに日本列島は地震の巣と言われているので、その覚悟が必要なのだろう。

シロウト考えで恐縮だが、直下型地震は最初の一発がデカくて、あとは終息に向かっていく。ところがである。今回の地震は一昨日の夜に本震があって、それで終わらなかった。本震レベルの余震が繰り返し襲ってきた。しかも今日未明の余震は余震ではなく、こちらのほうが本震だとも言われているくらいなのである。いったいどうなっているのかと思う。

ショックと言えば、勝氏がずいぶん大袈裟なことを書いている。

http://8613.teacup.com/753df/bbs/914

ここに書かれていることを読んで、ショックを受けたのだそうだ。ようは浅井先生の人物像について、まさかこんな人だとは思わなかったと、ゲンメツしているわけだ。

しかし、わたくしの見るところでは、いかにもウソ臭い話である。

わたくし自身は今さら浅井先生にゲンメツすることはない。たいていのことは驚かないだろう。ゆえにリンク先の話が事実だとしても、さして気にも留めないと思う。

けれども、それ以前の話として、いかにもウソ臭い、ウカツには信用しないほうがよさそうだ、というのがわたくしの直感であり、勝氏がこれに気がつかないはずはないと思うのだが、いかがだろうか?

私の三度にわたる浅井先生への建白書にも返答をいただけず、先生は最後に直接電話連絡をよこされ、
「私について来れないなら勝手にしろ。お前ごときが私への直言百年早い。」
と言われました。


浅井先生宛てに文書を提出した。三回だそうである。しかし、返信はなかった。ところがである。最後に浅井先生のほうから電話を掛けてきたという。

オイオイ、本当かよ、と言いたいところだ。

もちろん可能性がないわけではないだろう。三度の建白書の中に連絡先として電話番号を書いておけば、たとえ文書としての返信はなかったとしても電話での返信はあり得るかもしれない。しかし、それはあくまで可能性の話であって、可能性は否定できないものの、現実的にはひじょうに考え難いことである。

 先年、わたしは「諫言」を言上して諫めたが、浅井会長に方針転換をする意思がないことを、残念ながら確認した。

これは『迷走する顕正会を斬る』の一節である。もう最後の最後、あとがきに入る直前の一行に書かれた文章なのであるが、これを読むとあたかも浅井先生と直接面談して諫めたかのようにも思える。しかし、実際は違うらしいのだ。著者は除名になるまで壮年部に所属していた。ゆえに組織を通して諫言や提言など、もろもろの文書を提出していたのだ。よって面談はなかった。おそらくは電話での会話もないのだろう。『迷走する―』はけっこうなボリュームの書籍であるが、そうした記述はどこにも見当たらないからである。

浅井先生くらい偉くなると、末端の会員と一対一で会話をすることなど、ないと言っても過言ではないだろう。ゆえにリンク先の達観者なる人物がどれほどの人物なのかにもよるが、よほどの大幹部でもない限りは浅井先生と言葉を交わす機会はないはずで、ましてや浅井先生のほうから電話を掛けてくることなど、普通は考えられない。

すると、一つの可能性として浮かんでくる事情は、建白書の内容があまりにも衝撃的だった、ということだろう。

しかし、建白書は公開されたのだろうか?

拙ブログにはさまざまのコメントが寄せられる。是正協議会なども宣伝目的だろうか、拙ブログにコメントを寄せてきたことがある。そうそう、同協議会はやや匿名性が高いものの、実際に御伺い書なるものを送付したという厳然たる事実があって、かつまたその文書の内容もすべてネット上に公開されているので、疑いようのないことだ。

それに比べて達観者氏の場合はどうか、というのが今回の話の結論だろう。

ちなみに、わたくしはリンク先の掲示板をまったく読んでいない。ゆえに達観者氏がどのような人物であるかも、リンクされている一ページ分の情報だけで勝手に判断していることなので、その点はご容赦願いたいと思う。

話は変わるが、太郎氏のコメントはけっこう刺激的である。

集会などの登壇などを利用して全ての問題点を突き付けたい・・・

これを実行するのは相当の覚悟がいることだ。ましてや総幹部会で実行するとなると大事件だ。

余計なことを書いておくと、もし仮に実行してもいわゆるビデオ放映の時には編集されてしまって、そのようなシーンは流れない。つまり、その行為自体が抹殺されて、なかったことにされてしまうのだ。ゆえに本気でやるつもりならば撮影班にも仲間を作っておいて、その映像記録をいち早くネットに流出させてしまうのだ。もうこうなればその事実は永遠に消えない。

ただし、わたくしはやらないほうがいいと思う。その理由はあくまでわたくしの小心者的な尺度で考えて、それを実行するための精神的プレッシャーたるや尋常のものではないからである。ゆえにやめたほうがいいだろう。

事の戒壇:本門戒壇の大御本尊様が御安置されている場所
事の戒壇堂(御遺命の戒壇):広宣流布の暁の事の戒壇


何やらmr.x☆(元顕)氏がたくさんコメントを残されている。引用文と地の文が混在しているので読み難くて仕方がないのだが、どうかと思う部分があったので指摘しておこう。上掲がそれだ。

これはダメだと思う。事の戒壇の定義はまず日寛上人の御指南を拝さないければいけない。ところが上掲はいきなり三大秘法抄から事の戒壇の定義を導き出そうとの試みであり、そうした努力自体はたいへん立派なことではあるのだが、しかし、論理の飛躍は否めない。

三大秘法は閉じると一大秘法となり、一大秘法は本門戒壇の大御本尊様の御事ですよね。

その好例がこれである。拙ブログには沖浦氏が常駐(?)している。上掲のようなことを書くと、沖浦氏がまた何やかんやと言ってくるわけで、余計に話がややこしくなる。もちろん、わたくし自身は上掲に異論を唱えるものではないが、しかし、三大秘法抄を拝する限りにおいてはこの論証は不可である。そんなことはどこにも記されていないのだ。つまりは飛躍があるということだ。

まあ、戒壇論をやると法華講員に嫌われるので、今回のところはこれくらいで終わりにしよう。

2016/4/14

三時間の激闘?  
沖浦氏は相変わらずである。断定的な物言いをするわりには根拠が脆弱すぎる。

 我見とは本来は仏知見の事。

我見は御書にある。仏知見もある。ならば上掲の意味に相当する御文を提示すべきである。それが出来ないとすれば、デタラメを言っていることになるのだ。

・・・悟りを得るなら我見はそのまま仏知見となります。

それはそうだろう。悟りを得るならば、それはまさに仏の知見である。しかし、我見がそのままで仏知見のわけがない。ましてや我の強い人がこのような主張をすることは、己の傲慢さを正当化するような底意が感じられてよくないのだ。だから昨日は一般人が誤解することを心配したのである。

ちなみに、沖浦氏のデタラメな主張はともかくとして、それに近いというか関連するであろう御指南は存する。わたくしが思い浮かんだのは五眼御書だ。

法華経の行者は肉眼なれども、天眼・慧眼・法眼・仏眼を備ふととかれて候。

まあ、しかし、今日は話を前々回まで戻して、顕正新聞第1371号の続きをやりたいと思う。

顕正新聞4月5日号は浅井氏の相当な人身攻撃ばかりの内容です。 ほんとにこれじゃ法的に訴えられるんじゃないのと思う内容ですね。 その裏側には色々な意味でそうとうな焦りがあるというのは間違いないところでしょう。

mr.x☆(元顕)氏の指摘は1372号であるが、それは後日取り上げたいと思う。法的云々について言えば、実際に十年ほど前に妙観講から訴えられて敗訴したことがある。その時も焦りのようなものがあったのだろう。ネット上のアヤシゲな情報を鵜呑みにして、それで失敗したのだ。

「日興上人の観念文だって省略していい」
 天魔の正体を露わにした池田大作一党


さて、一号戻って、これは創価学会からの入会者の活動報告の見出しである。今気がついたのだが、彼女は男子部の紹介により入会とカッコ書きされているだけで所属も役職もアイマイなままである。それがなんと活動報告の枠で掲載されているのだ。同じページに載る他の三人は、支隊長、総班長、班長である。平会員が活動報告をしちゃいけないという決まりはないのだろうけれども、それにしてもめずらしい。これも一種の焦りだろうか?

それはともかく上掲のごとく、創価学会の中ではすでに日興上人の否定すら始まっているらしいのだ。わたくしは沖浦氏が勝手に言っているだけなのだと思っているわけだが、どうやら違うようである。怖ろしいことだ。

次は先ほど触れた三人のうちの一人、女子部第六十五区班長の記事を紹介しよう。

 さらに「南東北大会」ビデオの放映中、総班長に「いまから結集に行こう!」と励まされて会場を出ると・・・

これもまた一種の焦りかもしれない。ビデオの放映中に会場を抜け出すのはどうかと思う。しかもそれを促したのは総班長なのである。ずいぶん非常識な話だ。

ところで、男子部第十六隊長の活動報告には次のようなくだりがある。

 さらに、学会版御本尊では成仏は叶わないことを説明すると・・・

拙ブログの閲覧者には創価学会員が相当数いると考えられるし、コメント投稿者の中にも存在する。彼らに言わせれば、ケシカランということになるだろう。けれども、その他の閲覧者たちは他人事のように思うに違いない。逆に法華講の諸氏ならば、上掲にほぼ賛成のはずである。

しかし、その隣にある女子部第百九区総班副長の記事は看過できないはずだ。以下は法華講に籍を置く人物についてである。

三歳のときダンプカーに撥ねられ生死をさまよい、成人して独り暮らしを始めたときも、細井日達書写の本尊を自宅に安置したその翌日、交通事故に遭い、左半身の神経を損傷する重傷を負うなど、罰の連続でした。

これはもう断じて許し難い。日達上人書写の御本尊を冒瀆するにもほどがある。

たぶん今もいるだろう。ようするに顕正会の中にも日達上人の御本尊を安置している人がいるはずなのだ。その人たちはどうなるのだろうか? 聞いた話によれば、上掲のような記事が頻出するようになって顕正会を見限った人もいる。また、それとは逆に、日達上人の御本尊を返納して、顕正会版の御本尊に掛け替えた人もいる。顕正会の中で生き残るためには後者の選択肢しかないのだろう。しかし、これでは宗門との距離が離れる一方であり、わたくし的にはまったく納得できない。

ともかく顕正会の立場としては、創価学会もダメ、宗門もダメ、と言いたいわけなのだろう。男子部第七十六隊組長の見出しにも次のようにある。

学会で不幸の連続、自殺まで考える

面白いのは次のくだりだ。

 私の家は先祖代々創価学会であり・・・

人よってイメージが異なるのだろうことは承知しているつもりだが、先祖代々は凄い表現である。わたくしの感覚だと江戸時代くらいまで遡らないとその表現は使えない。しかし、ご存知のごとく創価学会は昭和になってから登場するわけで、いわば新興宗教の一つに分類されるはずなのだ。

ロウソクの光しかない貧困生活・・・

これは彼の友人のことらしいが、それにしても凄まじい話だ。電気代を滞納して止められてしまったのだろう。ようはこの人も創価学会員であり、罰によってこのようなミジメな生活になってしまったと言いたいわけなのだ。

婦人部浦和支区組長の記事も凄まじい。

彼女は三女の折伏で平成二十三年六月に創価学会から入会したそうだ。そして過去の話として、次女が難病で産まれてきたことを書いているわけだが、それが暗に創価学会と同時に宗門をも批判するような文章になっているのだ。具体的には次の一段である。

 息苦しさから、うなり声をあげる娘を少しでも楽にさせてあげたいとの思いから、ご祈念のため昭和四十三年、大石寺に登山しました。しかしこの日、私の留守の間に、生後七ヶ月の次女は亡くなってしまいました。

ややアゲアシ取りであることを承知で指摘しよう。先ほど日達上人の御本尊を否定するような記事があった。ならばこの記事は戒壇の大御本尊を否定していることになるのではないか?

もちろん、そんなつもりは毛頭ないのであろうけれども、そのようにも読めてしまうことに気がつくべきである。ようは自家撞着である。記事はこの後にも夫が即死しただの実母が急死しただのと書かれている。その結論として、御遺命違背の創価学会に籍を置いていた罰、と書いている。ゆえに大御本尊を否定するつもりはないわけなのだが、では、先ほどの話に戻って、日達上人の御本尊云々はどうなるのかが問題である。わたくしはこの辺に悪意の印象操作のようなものを感じるのだ。

 今、娘は未活動です。

オマケみたいな話だが、三女は未活動とのことだ。これが顕正会の実態である。毎回の法戦がいわば自転車操業と化している。人事を見ても目まぐるしい。いわんや末端の会員たちはなおさらのことなのだろう。

もう一人、創価学会からの入会者がいる。やや長い引用になるが、けっこう面白いのでぜひご覧いただきたい。

 そして昨年十一月十五日、妻が集会のため私が車で送迎することとなり、妻と子供たちを乗せて本部会館に向かい、茶寮で大好きなカレーを食べ終わった時、不意に妻から「勤行をしよう」と切り出され、「久しぶりに勤行くらいなら」と二つ返事で了承し、実に十一年ぶりに勤行を申し上げました。そして最後、「以上を以て入会勤行を終了させて頂きます」との導師の言葉に、始めて入会勤行だったのだと気付いたのでした。

いわゆる騙し討ちである。夫婦だから許されるとは言わないが、まあ、赤の他人に比べればそれほど問題にはならないだろう。ところが顕正会ではこの手法がけっこう当たり前のように使われているのである。それがまた逮捕事件を誘発することにもつながるわけである。

次の男子部第四十五隊班長の体験発表は素晴らしい。

 私の母は三十年前に脳卒中で倒れ、右半身麻痺になり・・・

自力歩行はおろか箸も持てないし着替えも出来ないという、相当に不自由な身体になってしまったのだった。ところがである。

 母は入信後、朝夕の勤行を素直に実践すると、四日目には麻痺していた手足が動くという大功徳を頂き、ご飯も茶碗を持って一人で食べられるようになり・・・

なんと着替えも出来るようになったそうだ。

これは凄い。他人の不幸ばかり書く登壇記事よりは、こうした功徳の体験発表ばかり書けばいいと思う。ともかく常識的には考えられないことである。三十年間動かなかった身体が動くようになる。一度失われた機能が復活する。こんなことは普通はあり得ないのだ。ただでさえ老化していくのが生き物の宿命である。ましてや三十年間のブランクがある。それがご覧のように復活するのだとしたら、まさに大功徳だろう。

後に母親は亡くなるわけだが、その前に父親も亡くす。

生前白髪だった髪が日を経るごとに黒くなり・・・

これは少し前にも似たような話があった。よくわからないが、不思議な話であることは間違いないだろう。

しかし、当該記事にはおかしな話もある。

 またある日、父に魔が入り、恐ろしい眼をして迫ってきました。

オカルト映画の一シーンを彷彿とさせる文章である。わたくしのイメージでは何かのキッカケで修羅界が発動する状況を言っているように思えるのであるが、文章的には魔が父親に憑依して怖ろしい形相で迫ってきたと言っているわけである。この辺の法門上の整理の仕方がよくわからない。確かに魔が入るというのはよく使われる表現なのだが、それにしても上掲は実にオカルトチックに思えてしまう話である。

順番がデタラメで恐縮だが、次は当該記事の最初のほうに出てくる話である。

毎日かかってきていた借金取りからの電話がほとんどかかってこなくなり・・・

いわゆる初心の功徳を言っているわけである。しかし、これは浅薄なる功徳論としか言いようがないだろう。信心をしても借金が帳消しになるわけではない。これはこれ、それはそれである。

さあ、今日も欲張ってたくさん書いてきたが、あと二本ほど取り上げて終わりにしたいと思う。

女子部第百二十三区組長は昨年の十一月に法華講より入会したという。では法華講に入信したのはいつかと言うと、平成二十六年だそうだ。

毎月、寺に通い、自宅に御本尊を安置し、毎日のお給仕と仏壇の掃除はするものの、なかなか勤行が身に付かず・・・

よくは書かない。次のくだりもそうだ。

熱心だった法華講員が突然死したことにより、徐々に不信感が募り・・・

そのような時に顕正会員から折伏されて入会したわけだ。問題は次のくだりである。

 そして毎朝、目が覚めると、「今日も御本尊様にお値いしたい、早くお題目を唱えたい」との思いでワクワクします。

当該記事には返納の話が見当たらない。すると、おそらくは日如上人書写の御本尊を安置しているのだろう。もしそれが事実だとすると、いわば新情報である。すでにご存知のごとく、日達上人の御本尊と日顕上人の御本尊は返納するのが今の顕正会の方針である。では、日如上人の御本尊はどうなのか、これが今までわからなかった。しかし、当該記事の印象からすると、断定は出来ないものの、日如上人の御本尊は返納しないでそのまま安置するという方針のように思えるのである。

大分会館に電話をかけ入会勤行を願い出・・・

これはオマケの話である。先日、地方会館は閑古鳥が鳴いているという話をした。どなたかもそれを裏付ける証言をしていた。ようは会館の管理主任が日中の参詣者がいない時間帯に会館を閉めて外出してしまったという話だ。

上掲はその傍証となるだろう。会館が常時開館していれば、わざわざ電話を掛ける必要もない。つまり、大分会館も閑古鳥会館ということだ。

 私の曾祖父母は妙信講・初代講頭先生の折伏により入信し、御奉公を生涯貫き、私も顕正会四世として幼いころから勤行を実践しておりました。

最後に紹介するのは男子部第六隊組長である。なるほど、顕正会四世とは凄い。

 曾祖父は妙信講発足時から初代講頭先生と浅井先生に付き随い、昭和四十四年には「最後の御登山」にも参列し・・・

少し前に指摘したことだが、昭和四十五年の御登山はどうしたのか、である。顕正会でその事実を隠さなければいけない理由がわからない。

一店舗を任される・・・

これはオマケの話だが、彼は介護の仕事をしているらしく、上掲の直前には施設長として抜擢されたと書かれている。う〜ん、どうなんだろう、介護関係の施設を店舗と呼ぶのはちょっと違和感があるのだが、彼らはそれを普通に呼び習わしているのか、それともウッカリミスか、そこが気になるところである。

広布の決戦場たる二十年代まで残り三年・・・

なるほど、焦りが出てくるのも当然だろう。三年はあっという間だ。

2016/4/13

ガリガリモウジヤ  
大沢氏より真面目な提案が寄せられたので、こちらも真面目にお答えしようかと思う。結論は従来通り、各自の良識に任せることにしたい。わたくしの口から出て行けとは言いたくないし、投稿を制限するような措置も取りたくない。理由はいろいろあるが、最終的には面倒臭いからである。

しかし、つい先日のこと、沖浦氏から法的手段を講ずる旨の発言があった。もしそうなれば、余計に面倒臭いことになる。だったら、今のうちに手を打っておくべきではないのか、という意見もあるだろう。

ところがわたくしは何もしない。

この辺が普通の人の理解を超えているのかもしれないが、それほど難しい理屈ではない。覚悟は出来ているということだ。

例えば以前のことだが、創価学会系と思しき顕正会批判のサイトが次々に閉鎖に追い込まれたことがあった。どうやら顕正会本部のほうで動いたらしいのだ。それらのサイトはあまりにも低劣だった。ゆえに法的に訴えられたら一溜まりもなかったのだろう。主宰者たちもそれを自覚していたわけだ。よってサイトを閉じざるを得なかった。

では、わたくしはどうか、という話なのである。

もし顕正会が法的に何かをやってきたとしたら、堂々と受けて立つつもりなのである。もう再三言っていることだが、わたくしには正当な言論活動をやっているという自負がある。ゆえにイザという時にウロタエルことはない。今まで主張してきたことをそのまま言えばいいだけの話である。それで法的に罰せられるとしたら、ある意味、名誉なことだろう。

だから先日も沖浦氏にではなく、その反対側にいる人たちにクギを刺したのだ。

人身攻撃ではなく正当な議論をするべきなのだ。

いや、そんなことは誰もが承知していることだろう。しかし、沖浦氏には通用しない。いくら正当な議論を挑んでも、詭弁で返してくる。その繰り返しである。ゆえに誰もが業を煮やして、人身攻撃に転ずるのだろう。

ところがである。わたくしはこの十年間、一度たりともそのような手を使ったことがない。それは今後も変わらない。この理屈も簡単だ。

わたくしのクチグセ(?)は面倒臭いである。しかし、考えてみればこんなブログをやっていること自体が面倒臭いことであり、やめてしまえば何の苦労もないのである。つまり、面倒臭いというのがわたくしのクチグセではあるものの、実は案外に面倒臭いことが好きなのである。ゆえに沖浦氏の詭弁に対して、次はどのように破折すべきかを考えることが、けっこう楽しいのだ。

そういうわけで、今日は顕正新聞の続きを取り上げるつもりだったが、せっかくなので沖浦氏のコメントを取り上げたいと思う。

2016/4/9 13:03
投稿者:沖浦克治
大沢さん、今日は。

 少しお教えいたしましょう。
 仏法で最も大事なものは何であるのか?
 貴方は御書を読めないのでご存じない。
 それはね、

 我!!!

 です。
 我ってね、自分自身です。
 これを正報といって、仏法では仏様の事なんです。


こんなのは詭弁というよりは単なるデタラメである。

まあ、しかし、部分的には正しいのかもしれない。いわゆる小乗仏教では無我を説いている。これに対して大乗仏教では我を説く。また御義口伝などを拝しても、確かに我とは釈尊であるとか仏身であるとか書かれている。ゆえ上掲は直ちに間違いとは言えないのだろう。

それにしてもである。

沖浦氏が我!!!などと書くと、まったくイメージが違ってしまうから怖ろしい。ようするに世間一般の常識からすると、我はよくない意味で使われる場合が多いのだ。その一例が「我が強い」だろう。まさしく沖浦氏そのものではないか?

つまり、上掲は世間一般の人たちに対して、大聖人の仏法を誤解させるような文章なのである。もし一般人に、だったら小乗の無我のほうがいいや、と思われてしまったらどうするのだろうか?

沖浦氏にこうした思慮がないとしたら、なるほど、これがいわゆる空気を読めないということなのだろう、それに対して多くの人たちが辟易しているのだろう、ということが見えてくると思う。

さらに続きが問題だ。

 ですのでね、自分を確立することが成仏なんです。
 我見がそのままで仏知見になる。
 これを目指すのが仏道修行。
 創価ではその行為を人間革命と言います。


これも部分的には正解なのかもしれない。しかし、二行目はいかがなものか?

我見がそのままで仏知見になる?

不勉強のわたくしにはさっぱりわからない。もしかしたらそれに近いような御指南がどこかにあるのかもしれないが、しかし、これもまた世間一般の理解を得られるものではないだろう。

我見は己義とほぼ同義である。沖浦氏は己義を戒めてきた。日寛上人の御指南を己義と言っているくらいである。しかし、それが仏知見であるならば、まったく問題ないではないか?

この甚だしき矛盾を自覚すべきである。

ようするに沖浦氏自身の自分勝手な考えは仏知見になるが、日寛上人の御指南は己義であり邪義であると、こういう支離滅裂なことを主張していることになるのだ。この自家撞着というか自分勝手な論理をまったく自覚していないとすれば、これはもう話にならないだろう。多くの人がサジを投げるのも頷けるところである。

文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用ふべからず。

御書にはもちろん我見という語彙もあるが、こちらのほうがわかりやすいだろう。

当然、この文証は沖浦氏に逆用されかねない。戒壇本尊本懐論などの文証を提示できていないのはキミたちのほうではないかと。確かにそれはそうかもしれないが、しかし、それはまた別の議論である。今は沖浦氏の、我見がそのままで仏知見になる、を批判しているのだ。

雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。

ここでの雅意は、大聖人の御意という解釈も成り立つが、普通に我意と読んでも意味は通じるはずだ。

以上、言葉の意味には幅があるので一概には言えないが、我という語彙は大概が悪い意味で使われるものである。我が強い、我見、我がまま、などである。よって、沖浦氏にその自覚があるかどうかにかかわらず、仏法で最も大事なものは我である、などと言おうものならば、多くの人が仏法に対して誤解するであろうことは容易に想像がつく。ぜひとも発言には気をつけたいものである。


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