2016/5/31

各氏のコメントから見えてくるもの  
雲羽百三氏は何か誤解をしているようだが、特にわたくしのほうからは何も言わないことにしたい。一方の大沢氏のコメントはかなり具体的であるし、一種の提案のようなものなので、無視するわけには行かないだろう。

「視聴率要員」としての沖浦さんの価値というものがあるのかもしれませんし、ブログ主の本意を外れて思いもよらぬ形で注目を集めるのもネットの面白さかもしれませんが、一定の規制をかけるかコメント欄そのものを廃止して、本当に独白に徹するのも一つの手かもしれませんね。

コメント欄廃止はごもっともな提案だと思う。それでこそ正真正銘の独白ブログとなる。

ここはまさに自己矛盾の極みであることを承知しつつも、コメント欄がなくなったら寂しいなあ、それならいっそのことブログそのものをやめてしまったほうがいいかも、などと思ったりもするのだ。つまり、コメントは善につけ悪につけ励みになる。今流の表現を使えば、モチベーションということだ。

視聴率要員・・・

これはなるほど、そのように見えるのかもしれないし、そのように思われても仕方がないとは思う。ただし、沖浦氏とわたくしの関係はきわめて片務的であり、なぜそのような関係性が続いているのかは自分でもわからない部分がある。

ここでの片務的の意味であるが、沖浦氏も掲示板を運営したり、フェイスブックというのだろうか、そうした媒体を持っているのである。ところがわたくしは氏の掲示板には一度も投稿したことがないのだ。(実はその昔、投稿したことがあるのだが・・・)

共存共栄ではないが、コメントをもらえば礼儀として相手の媒体へもお返しをするのが普通である。しかし、わたくしはそれをしない。

これが沖浦氏とわたくしの特殊な関係性である。

それゆえにさまざまの憶測がなされているのかもしれないが、ここにも一つの誤解がある。今現在、おそらくはもう五年以上だろうか、わたくしは拙ブログの更新以外にネット投稿を行なっていないのである。どこの掲示板にも、誰のブログにも、まったく投稿していない。

まさしく憶測を呼ぶ原因がここにあるわけだ。

では、裏のつながりはどうなっているかであるが、ある時、ある人物に対して、メールで問うたことがある。アナタとの関係をブログに書いてもいいですかと。その人はダメだと答えた。ゆえにわたくしはそれを固く守っているわけである。

それはそうだろう。メールはいわゆる私信である。それを相手の承諾も得ずに勝手に公開することは出来ない。転じて、メールでの関係そのものも、相手が不承知であれば言うわけには行かないだろう。それが世間の常識である。

しかし、今現在はどこの掲示板にもブログにも投稿していないのと同様に、メールも積極的には利用していない。これはわかりそうなものだが、疑心暗鬼の人には通じないのだろう。ようするにこんな独白ブログを書いている人間が、裏と表との使い分けを巧妙に行なうことなど、出来っこないのである。

ブログ主の本意を外れて思いもよらぬ形で注目を集めるのもネットの面白さ・・・

再掲であるが、まさにそのとおりである。前回のコメント欄には何年ぶりだろうか、S@法華講氏からコメントが寄せられた。こんなことはまさに想定外のことであり、しかも欠かさず読んでくれていたとは驚き以外の何物でもないだろう。先日のアキラ氏もそうだ。

また、年初には突如として勝氏が登場した。顕正会側の有力な論客である。こんな人が存在するのも驚きである。何しろ今の顕正会は教学に疎い人たちばかりだからである。

それから昨年の今ごろだろうか、傍観者v氏との一戦(?)があった。さらに遡れば、タコ氏との議論もあったし、前田氏との議論も懐かしい。

これらはすべてコメント欄を開放していたがゆえに成立した事象である。しかもわたくしは彼らに投稿制限を設けなかった。ゆえに今でも自由に投稿できるのである。

いかがだろう、わたくしとしては首尾一貫しているつもりなのだが・・・

つまり、日蓮宗系の前田氏や日蓮大聖人そのものを全否定するかのごとき傍観者v氏、あるいはキリスト教系のタコ氏、これらの投稿制限を行なわない以上、沖浦氏に対しても同様の措置を取るのは理の当然である。なぜに沖浦氏だけを排除しなければいけないのだろうか?

おおむねこんなところである。

なお、せっかくなので、少し細かいことを書いておこう。

アクセス数のことはあまり気にしていない。いや、実はけっこう気にしていた時期もあったのだが、今はあまり気にしていない。

よくわからないのだが、一年くらい前からアクセス数が多くなった。

基準は百数十名である。これは拙ブログの中で何度も書いているはずであるが、通常のアクセス数は百数十名くらいで、たまに百名を切ることがあった。正直なことを言うと、この時には拙ブログもそろそろ終わりかなと思ったりもしたのである。そしてごくマレに、顕正会員が逮捕されたりしてそれがマスコミに流れると、瞬間的にアクセス数がアップする。しかし、それも普段の倍程度であり、ようは二百から三百である。

ゆえに最近の状況は自分でもよくわかっていないのだ。何しろコンスタントに三百前後を維持しているからである。しかも昨日は四百を超えている。

こうした最近のアクセス状況についてわたくしの解釈を書くと、たぶんシステム上の問題なのだろう、何かシステム上のアップデートが行なわれて、それがカウンターに何らかの影響を与えたのだろう。それ以外に合理的な解釈は出来ないと思う。そしてコメント欄での議論が盛り上がると、それがまたアクセス数に反映される。これももしかしたら重複アクセスの分までカウントされているからかもしれない。普通、同じ人が同じパソコンから閲覧している場合、一アクセスしかカウントしないはずである。しかし、それが何かの不具合でカウントが繰り返されているのかもしれない。

以上はわたくしの拙いパソコン知識の範囲で考えたものであり、さすがにシステム上の問題を精査するだけの知識も能力も持たないので、あるいは間違っているかもしれない。

いずれにしても、この解釈が正しいとすれば、アクセス数はあまり信用できないことになるので、わたくしとしては数字の多寡で一喜一憂しても仕方がないことになる。よって、最近はあまり気にしていないのである。そもそも数百で一喜一憂してどうするかという見方もあるだろう。これが数千ないし数万アクセスにでもなれば、話は別であるが・・・

そろそろ終わりにしよう。

最初のほうの話に戻って、沖浦氏とわたくしの関係が片務的であることについて、沖浦氏のほうで、なるほどそうだ、巌虎のブログにコメントを書くのはバカバカしい、もう書くのはやめよう、ということになるのであれば、それはそれで結構だろう。これまた首尾一貫していることだが、わたくしは拙ブログを積極的に宣伝するようなことはまったくしていない。ゆえにこの先どんどん先細りになって、かつまたわたくし自身の執筆意欲がゼロになれば、その時が拙ブログの終焉である。何も難しいことはない。ただ、それだけの話なのだ。

2016/5/29

第一線の幹部たちの発言から見えてくるもの  
沖浦氏にはご不満のようであるが、そもそもの前提がわかっていないようなので、まったく話にならない。顕正会は冨士大石寺顕正会を名乗っている。ゆえに本来ならば富士大石寺の信徒団体として活動すべきなのだ。ところが現状では、冨士大石寺顕正会は富士大石寺と無関係の団体であると、宗門から言われちゃっているのだ。そこで逆ギレして、ますます違った方向に進むのも一つの選択肢かもしれないが、わたくしは何が何でも復帰するのが筋だと思っている。そりゃそうだろう。でなければ、冨士大石寺を名乗る意味がない。

また、大御本尊への忠誠心にイチャモンをつけているようだが、これも前提がわかっていないか、もしくはわかっていてワザと言っているのだろう。日蓮正宗と顕正会は戒壇論において齟齬を来しているものの、基本的には同じ教義なのである。すなわち大御本尊=日蓮大聖人なのだ。ゆえに大御本尊への忠誠とは大聖人への忠誠に他ならない。それを偶像崇拝がどうのこうのという話にすり替えて批判しているのが沖浦氏である。

つまり、今は法華講員と顕正会員が同一ルールで議論を戦わせているのだ。いや、実際には顕正会員はほぼ不在の状態ではあるのだが、いちおう議論のベースはそこにある。ゆえに沖浦氏は行儀よく静観すべきである。

ともかく顕正会は戒壇の大御本尊への信仰を貫いているわけだし、冨士大石寺を名乗ってもいるくらいなのだ。宗門復帰が筋だろう。この前提での議論だということを沖浦氏にはよくよくご理解いただきたい。

ところがである。いつも言っているように、顕正会は独立教団路線を歩んでいる。

 そこに思いますことは、六十六・六十七代の御遺命に背いた悪貫首の登座以前に、すでに先生が仏勅を拝しておられた事実の何と重大なことか、

男子部総務の発言だ。これには続きがある。

「血脈」も「御遺命」も脈々と生きており、まさに浅井先生だけが御本仏の常住不滅の御化導を助けまいらせる重きお立場であること・・・

これはもう独立教団路線そのものである。言ってしまえば、今の日蓮正宗を全否定した上で、血脈も御遺命も浅井が受け継いでいるのだと、主張しているに等しいだろう。

浅井先生はかつて御相承の断絶について言及した。その後もしばしば発言しているが、断絶したけど断絶していないみたいな、わけのわからないことを言っている。これも穿った見方をすれば、実は自分が血脈を受け継いでいるのだと、そう言っているようにも受け取れるところである。ましてや上掲のような幹部発言があるのだから、なおさらである。

今回も顕正新聞第1376号から幹部諸氏の発言を拾っているわけだが、読めば読むほど凄い記述がたくさん出てくる。

ついに大法城が建立された・・・

これは少しイヤミを込めて取り上げさせていただいた。第一女子部幹事・第百二十一区長の肩書きを持つ人物の言うには、垂井会館=大法城となるらしい。わたくし自身は建物の規模でとやかく言うつもりはない。しかし、そうは言ってもどうだろう、大法城は誇張が過ぎるのではあるまいかと思う。

ちなみにこの表現は顕正会の組織そのものに対しても使われている。

 さあ、全顕正会員が立ち、まず本年、歓喜の中に一五〇万大法城の石垣を全員で積み、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

かつての会長講演である。なるほど、人材の城というようなニュアンスなのだろう。これも人数の多寡でとやかく言うべきではないと思うが、しかし、顕正会の場合は公称数と実数が違い過ぎるので、その辺が問題だろう。

さて、話を戻す。上掲はあくまで前置きである。問題は次のくだりだ。

・・・大聖人様の大願を天子の耳に入らしめんと、途上、命尽きるのを御覚悟の上でお発ちになられた日目上人の大聖人様に対し奉る大忠誠の御姿には涙があふれ、同時にその大忠誠はそのまま浅井先生の五十九年に及ぶ激闘であられると・・・

凄いことを言っていると思う。ただし、彼女はある一つのことを予期しているのだろう。

途上、命尽きるのを御覚悟の上で・・・

つまり、浅井先生の戦いもおそらくは途中で終わるのだろう。それは先生自身も自覚しているし、幹部たちもそうなのだと思う。

必ずや阿部は追放され、三人の上人がおられたときのごとく、大石寺に本来の清らかな源流が蘇り、その清浄なる大石寺に日目上人が御出現になられるのだ・・・

これも凄い発言だ。いわば日顕上人から日如上人への相承を無視して、どこからともなく日目上人が出現されると言っているわけである。さすがに非現実的過ぎるだろう。

先生ご自身が拝観された「御生骨」
 御遺命堅持の三上人並座に大感動


今度は男子部第十六隊長の記事であるが、まず、この見出しが目を惹いた。三上人の並座という表現が実に重厚だ。二仏並座を想起させる意味もあって、まさしく歴代上人が仏に近似の御境界であられることを示唆する、絶妙の表現である。

 「まさにこの時、国立戒壇の御遺命は、厳然と先生に託されていたのだ」

昭和三十一年の御生骨拝観の時を言っているのだ。二仏並座の儀式ならぬ三上人並座の儀式において、浅井先生に御遺命が託されたのだと・・・

もはやこうなると、日達上人以降の上人が誰であろうと関係がなく、ようは日蓮大聖人の正統は顕正会なのだと言っているようなものである。凄いことを言う人たちだ。

その尊き御姿が・・・

先生のお姿と重なり・・・


同じく十六隊長であるが、これは切り文のソシリを免れないとは承知しつつも、あえて紹介させていただいた。つまり、日目上人の御姿と浅井先生のお姿が重なって見えると、彼は言っているわけである。

今回紹介した記事は、第一線で活躍する男子部女子部の錚々たる幹部たちの発言ばかりである。はたして公平な第三者たちの目には、これらがどのように映るだろうか?

2016/5/28

女子部大幹部の発言から見えてくるもの  
勝氏の様子がおかしい。以前の長文のコメントに比べると、今は極端に文章が短い。しばらく様子を見ていて思ったことは、どうやら海外へ出掛けているらしいこと、そこでのネット環境が劣悪なこと、そうした理由から思うように投稿できずにいることが浮かび上がってきた。

かく言うわたくしは、拙ブログを自宅のパソコンで書いている。投稿数二千二百有余のすべてがそうなのだ。今後は出先からでも自由に更新が出来るようにと思っているが、いかんせん機械オンチなのでその具体的な方法がわからない。いや、その気になれば出来なくはないだろう。しかし、今のところ、そこまでの必要性もないので、今のスタイルでダラダラと続けているわけだ。つまりは不定期更新である。よって今月はたまたま更新頻度が高いけれども、来月あたりは激減するかもしれない。

さて、今日も顕正新聞第1376号を見ていこう。

 そしてこの偉大な師匠が、敢えて折伏誓願を低くし、弟子を慮って下さった勿体ないお心には、感泣せずにいられません。

総合女子部長の発言である。ようするに本年の初陣戦は百八十万に限りなく近づくことを目標としていた。初めから百八十万の達成突破を目標に掲げると、活動会員たちが苦しむことになるので、浅井先生があえて目標設定を低くしてくれたのだ。そのモッタイナイお心に感泣したと、彼女は言っているわけである。

しかし、これも悩ましい話であって、先生が何を言おうが出来ないことは出来ないし、逆に出来ることは出来るのだ。今後、百九十万だとか二百万の節目を迎える時においても、同じことが繰り返される。つまり、その時の組織の実力に鑑みて、仮にあと三万だとしても無理と思えば目標を下げざるを得ない。それは弟子を慮ってのことであると同時に、組織の崩壊を防ぐための賢明な手段でもあるのだ。

そりゃそうだろう。誓願を達成突破すれば会員たちの気分は高揚する。しかし、誓願に届かなければ逆の作用をもたらす。ああ、もうダメだ、顕正会もいよいよ凋落が始まった、と。

つまり、勿体ないお心云々は幹部会員として模範的な発言なのであるが、半面において、誓願を無理強いして結果として組織そのものが崩壊してしまえばすべてがオシマイになってしまうわけだから、実は会長以下顕正会首脳部たちの自己保身の意味からしても誓願を低くせざるを得ないという事情があるのだ。

結局はこれも凋落の一つのパターンではあるのだろう。前年比でいくらも伸びていないという事実が判明すれば、それもまた士気低下の悪循環を呼ぶことになる。

さて、次は女子部総務の発言である。

・・・免震構造の新御宝蔵建設に命ぶん投げお応えしてまいります。

建設工事には危険な仕事というイメージがある。例えば高いビルを建てるとなると、墜落災害の危険があるし、他にもいろいろな危険がある。おそらくは全産業の中でも事故による死亡率が高いほうにランクされる。それが建設業だ。

すると彼女はそれを覚悟の上で、命懸けで建設工事に携わるつもりなのだろうか?

そんなわけがあるまい。

彼女の言っている意味は、大幅に端折ってしまえば宗門改革である。いわば顕正会主導の宗門改革なのだろう。その一つが例の阿部日顕の宗門追放なるものである。そして戒壇の大御本尊をあらゆる危険から守るために、新たな御宝蔵を建てるわけだ。そうした大きな流れを作るために、彼女は命懸けで頑張ると言っているのだ。

もう何度も書いているので読者も飽き飽きしていると思うが、これは無理筋の話である。

まず、顕正会主導が無理である。主導権を握るためには、宗門に復帰しなければいけない。ようは解散処分の取り消しを実現しないといけない。そりゃそうだろう。外部から何を言ったところで、聞いてもらえないのが普通である。

宗門復帰、これが第一関門だ。

もしそれが実現すれば、顕正会主導も夢ではない。現宗門の勢力がどれくらいのものか知らないが、顕正会の組織も相当である。ゆえに顕正会が宗門復帰を実現すれば、その時点でほぼ自動的に主導権を握れるとも考えられるのだ。

しかし、そこに第二関門が待っている。奉安堂の処遇である。

そりゃそうだろう。奉安堂は創価学会破門後において、純粋に宗門の僧俗だけで建立した大伽藍なのである。ここに今、大御本尊はましますのである。それを反故にして、新御宝蔵を建てて御遷座することなど、いったい誰が納得するだろうか?

わたくしは顕正会の宗門復帰を提唱し続けてきたが、さりとて顕正会が宗門の中で主導権を握って傍若無人を働くことを是とするものではない。ゆえに免震構造の新御宝蔵を建てるにしても、それこそ全僧俗の賛成を得てから行なうべきが筋である。極論すれば、たった一人でも反対者がいれば行なうべきではない。これはかつての妙信講の立場を思えば理の当然のはずだ。それとも立場が変われば考えも変わるのだろうか?

いずれにしても上述は空理空論の域を出ない。何しろ宗門復帰の実現すら絶望的なのだから、その先のことをどれほど論じてもムナシイだけである。

2016/5/27

日々の生活から見えてくるもの  
引き続き顕正新聞第1376号を見ていこう。

 先生より
 「御生骨について話すのはこれが最後。あとは拝観するのみ」
 と伺いました。


総合婦人部長の発言である。たぶん、これは先生の公式発言ではなく、彼女との面談の折に述懐したものなのだろう。しかし、悩ましい話だ。なぜならば、今の状況では拝観の機会は永遠に訪れないからだ。もちろん、顕正会員の立場では、である。

浅井先生は御生骨を昭和三十一年に拝観した。それ以降は定かではないが、少なくとも日蓮正宗の僧俗であれば数回は拝観の機会があったはずなのである。近年では、日顕上人から日如上人への代替わりの時に、おそらくはそうした機会が設けられたはずである。しかし、顕正会員の立場では拝観できない。これは今後も同じことだろう。宗門と顕正会が完全に和解することになれば話は別だが、たぶん、今の状況では無理だろう。

ましてや浅井先生の言っていることは、もっと壮大である。つまり、御生骨は広宣流布の時に光を放つという。それを見るつもりでいるのだ。

少し前にも触れたが、そもそも本当に光を放つのかどうかが問題であるし、その前提条件であるところの広宣流布が実現するかどうかも、ひじょうに難しい問題なのである。ようはいくつものハードルを乗り越えないといけないのだ。しかし、現実には何一つクリアできていない。

よって、光を放つかどうかは別にしても、浅井先生が御生骨を拝観する機会は、現状ではもう二度と訪れないというのが結論である。

先生の最後の決戦たる諫暁により・・・

最後の決戦?

これがよくわからないのだが、副総合婦人部長の記事を読むと、いちおう内容は理解できる。

なかでも「本門寺改称」の大陰謀に対して「最後の決戦」とのご覚悟で臨まれた激烈な諫暁であれば・・・

平成二年の話をしているのだ。

しかし、これを読むと手詰まり感のようなものが感じられるところで、また、別の言い方をすれば過去の話には尾ひれが付いて伝説化していくということの見本のようにも思えるところである。

わたくしの感覚ではさすがに誇張が過ぎるのではと思うのだ。平成二年当時に在籍していた人と、それ以降に入ってきた人とでは、感じ方が違う。わたくしは当時、在籍していた。ゆえに誇張が過ぎると感じた。しかし、それ以降の人たちは想像するしかないので、そこで想像が勝手に肥大化していくわけである。

そもそも御遺命守護がそうかもしれないのだ。

さすがにわたくしはその時代を知らない。後から書籍を通して知ったわけだ。すると、もしそこに誇張があったとしても、それが誇張なのかどうかもなかなか判断できないわけで、ようは執筆者の表現次第でどうにでもなってしまうという部分が少なくないと考えられるのだ。

話を平成二年に戻そう。

確かに最後の決戦という雰囲気がまったくなかったわけではないと思う。しかし、それをなぜに誇張と書いたのか、そしてなぜに手詰まり感と書いたのか、その答えは後年にある。

最後に申すべき事

これが答えである。

最後最後と言っておきながら、最後の次にも最後があって、またその後にも最後がある。これでは説得力に欠けるだろう。

わたくしの思うに、妙信講の歴史ないし浅井先生の歴史はそれなりに価値のあることだ。しかし、現状では自画自賛の域を出ないし、そのために誇張表現がたくさん使われているフシがある。上掲の最後というキーワードもそうであって、確かにその瞬間には最後との思いがあったのかもしれないが、歴史を大観する上ではそうした小さなキーワードの積み重ねが全体の整合性を損なう場合があることを知らないといけないだろう。そうした細かいところまで気を配った上で、御遺命守護の歴史のいわば決定版を編纂するべきなのだ。今やっていることはまるで違う。ようは都合の悪いことは消してしまって、都合のよいことばかりを書き並べている。しかも自画自賛が強いがために、客観視に欠ける。ゆえに読む人が読めば、そちこちに矛盾が潜んでいることに気がついてしまう。

さらに副総合の文章から拾ってみよう。

広宣流布のすべての青写真・ご構想がはっきりと見えておられる先生のご見識・・・

空想は可能なのである。この場合、求められるのは実現性だろう。もし先生の言っていることが机上の空論に過ぎないとしたら、そんなものは見識でも何でもないことになる。ゆえに実現性が問われるわけだが、はたして先生はそれに答え切れているのだろうか?

第六天の魔王すら付け入る余地など微塵もない、鉄石の忠誠を一筋に貫かれる浅井先生が・・・

自画自賛も甚だしい。

先生の欺瞞はたくさんある。ここでは省略するが、拙ブログではそれらをずっと指摘してきた。しかし、今回は逆の方向から攻めてみよう。浅井先生は完全無欠である。もはや完璧であって非の打ちどころがない。百点満点である。もしそうだとしたら、これこそ第六天の魔王のシワザではなかろうか、ということである。これゆえに顕正会員たちはやめようにもやめられないのだ。いわば第六天の魔王の巧妙さに誑かされているのである。

もっと低いところに降りてくるべきなのである。自分の弱さを見せてもいい。それが出来ないところが浅井先生の最大の弱点である。

偉く見せようとすればするほど、ウサン臭く見えてしまう。そういうものだろう。

最後に、もう一人の副総合の発言を見ておこう。

四月に入って急加速した前進の原動力は、・・・熊本大地震の発生でありました。

これこれ、これがひじょうに悩ましいのだ。わたくし自身、これをどのように取り扱ってよいものか、整理できないでいる。この理屈だと、この先、大地震が発生すればするほど顕正会員が増えていくことになる。もし地震が起きなければ、直近の会長講演で言っていた大地震連発の時代もウソということになって、顕正会の弘通は伸びなくなる。しかし、顕正会の折伏とはそんなものなのだろうか? いわば天変地夭に依存するだけの他力本願的な折伏なのだろうか? よしまた大地震が連発して顕正会員が増えたとしても、今の顕正会の実態からすればそれは入信報告書の枚数が増えただけであって、本当に増えたことになるのかどうかも疑問なのだ。こんな状態で二百万を達成したところで、はたしてどうなるものだろうか?

地震が起きようが起きまいが、人々にはさまざまの悩みや苦しみがあって、日々の生活の中で呻吟しているものである。つまり、地震のあるなしに関わらず、そうした人々を救っていくことが出来れば、自ずと組織も伸びていくはずなのだ。

顕正会はこの点を忘却しているのではあるまいか?

2016/5/26

幹部の発言から見えてくるもの  
顕正新聞第1376号から話題を拾おう。今までウッカリしていたことがある。本当は過去に遡って調べるべきなのだが、とりあえず気がついたことを書いておこう。

 最後に浅井総男子部長から気魄こもる指導がなされた。

 最後に佐野総合女子部長が情熱こもる指導をした。

 最後、湯浅総合婦人部長が情熱こもる指導をした。


たぶん、わたくしが何を言わんとしているのか、まるで見当がつかないだろう。

上掲は一面の報道部分の文章である。編集部が書いているわけだろう。

では、二面以降の見出しはどうか?

「代表決意」

つまり、各部の班長会における最後の登壇者は、代表決意を述べているわけである。ところが一面の説明では、それが指導となっている。この不整合はどうしたことか、ということなのだ。

前にも書いたことがあるが、顕正会の指導者は浅井先生である。浅井先生のみが指導者なのだ。ゆえに総ないし総合部長といえども指導は出来ず、決意を述べるにとどまるわけなのだろう。ところが顕正新聞の報道部分においては、何気に指導と書いてしまっているのである。だったら代表決意をやめて指導にすればいいのだ。それとも顕正新聞の編集部はこうした矛盾に気がついていないのだろうか?

ここが怖いところである。わたくしにしても同じことであって、偉そうにいろいろと書いてはいるものの、まるで見えていないようなこともあるに違いないのだ。

さて、話を進めよう。当該号は四月度班長会の記事を中心に組まれている。

今回、代表決意というタイトルで登壇をしているのは、男子部では総男子部長・副総男子部長・男子部総務である。いつものことながら彼らは直前の総幹部会の会長講演をなぞるだけなので、どれもこれも似たり寄ったりの内容になっている。ゆえに漫然と読んでいると気がつかないかもしれないが、この三人の登壇には興味深い共通項があるのだ。

中盤戦を見つめた先手の折伏を進め・・・

盤石の態勢を、二大綱目推進と先手の折伏の中に急ぎ構築し・・・

大成長をかけ先手の折伏と二大綱目推進に背水の陣の決意で臨み・・・


先手の折伏だ。

これはひじょうに意味のあることであって、ようは本年の初陣戦に全力投球してしまったため余力を失っている状態なのである。野球の投手であれば、ここは肩もしくは肘を休める必要がある。無理して投げれば必ず壊れる。これはもうスポーツ医学の常識であろう。もちろん適度な運動は身体にいいわけで、何もしない休養よりも身体を動かしながらの休養を、という考え方はある。しかし、状況に応じて完全休養も時には必要である。

まさに顕正会の折伏戦は、そうしたトップアスリートの身体の酷使の仕方に似ているわけで、物凄くダメージが大きいのだ。ゆえに完全休養が求められる。

ところが幹部たちはそれを許さない。先手の折伏をせよと。

ここに拡大路線の根本的な問題が潜んでいるわけだ。

本年の初陣は空前の大折伏が敢行された。すると次の六・七月法戦においても、それ相応の成果が求められる。少なくとも前年比でマイナスは許されない。さらには秋の三連戦が待っている。しかし、そこで終わるわけではない。年が明ければ再び初陣戦が待っている。つまり、顕正会の活動会員はそれを永遠に続けるわけである。少なくとも広宣流布が達成されるまでは・・・

それでいて、五月だとか八月だとか、あるいは十二月だとか一月は、いわゆる指導の月であって折伏法戦はない。いちおう、建前上は、である。しかし、上掲のごとく、先手の折伏を進めて行こうと言われてしまうのである。

オイオイ、これじゃあ休むヒマがねえじゃんか、と言いたいところだ。

いや、もちろん、感激を原動力に自主的に折伏を実践するのであれば、大いに結構なことである。誰も文句は言わないだろう。しかし、もはやそんなのはキレイごとであって、ほとんどウソみたいなものである。なぜならば、すでに班長会などの公式の場で、上掲の指導がなされているからだ。つまり、現実的には多くの活動会員が幹部から尻を叩かれて、内心ではかなりウンザリしながらも、そうしたことは一切口にせずにひたすら頑張っているのである。

これじゃあ、退転するわけだよ。

ここでじゃっかんは法華講員に失礼だとは思いながらも、おそらくはこうだろうということを書いておきたい。

顕正会の活動会員は根性がある。俗に言うところの根性だ。そうして幹部にのし上がっていった人は、逆にそれがアシカセとなってやめたくてもやめられなくなるのだ。実際、退転していった人たちに対する、残った人たちからの侮言を聞けば、歯を食いしばっても組織の中にとどまる道を選択することになるだろう。いわく、アイツは折伏法戦の辛さから逃げたのだ、ようは根性がないのだ、あんなヤツはどこに行っても成功しないだろう、と。

一般の退転者、すなわち顕正会から無宗教に転じた人たちは、おおむね上述のような侮言を投げつけられることになる。もともと負け嫌いの人であれば、耐えられないはずだ。いや、負け嫌いだろうがなかろうが、上述のような侮辱は耐えられないのが普通だろう。

わたくしの見るところ、こうしたガンジガラメの状況から卑屈にならずに抜け出す最善の方法は、日蓮正宗に帰伏することである。もちろん、残った会員たちからボロクソに言われることに変わりはない。しかし、意味がまるで違うのだ。なぜならば、正義にめざめたという大義名分が立つからである。

むしろ、ここでは形勢逆転である。

とりわけ法華講員の先輩の中に顕正会破折を得意としている人がいれば、これはもう鬼に金棒である。わたくしの狭い見聞の範囲では、たいていの幹部がビビってしまって法華講員との接触を回避するようになる。つまり、こうして顕正会からきれいさっぱり足を洗うことが出来るのだ。

ぶっちゃけ言えば、日蓮正宗は顕正会から逃れるための駆け込み寺なのだ。

ずいぶん穿った物の見方をしているように感じられるかもしれないが、けっこう核心を捉えているのではないかと自分では思っている。顕正会員がなぜに強気でいられるかと言えば、それは自分たちが唯一正しいとの確信からだろう。しかし、実はそうではないのだ、顕正会はこれこれこのように間違っているのだ、ということを法門の上から理路整然と説明することが可能ならば、そこで立場がひっくり返るのだ。

事実、隊長クラスが日蓮正宗に帰伏したとの情報がある。もしも隊長が単に無宗教に転じたとすれば、これもうボロクソに言われるだけであり、本人も屈辱的であろう。しかし、正宗への帰伏は違うのだ。なぜならば、それは正義にめざめる行為だからである。堂々としていられるだろう。

話を戻そう。先手の折伏の意味が見えてきた。

やはり正宗への帰伏者が後を絶たない。有力な活動会員たちが、あるいは真面目な活動会員たちが、次々と正宗へ移籍していく。つまり、こうした動きに歯止めが掛からない以上、残る選択肢としては新規会員の獲得しかない。それが先手の折伏の意味でもあるわけだ。

当然、女子部も婦人部も同じであるが、今回の場合はとりわけ男子部の代表幹部三人が揃いも揃って先手の折伏を口にしたところからしても、組織の中に何かしらの危機が迫っていることを暗示しているように思うのである。

2016/5/25

登壇記事から見えてくるもの  
なぜかコメント欄が賑わっている。しかし、相変わらずの内容である。何が楽しくて、そこまで熱心にコメントを寄せるものか、わたくしにはまったく理解できない。

こういう憎まれ口を叩けるのは、まさに独白を看板に掲げているからである。ある意味ではコメント投稿者たちと暗黙の了解のようなものが出来上がっているからでもあるのだろう。ようは各自が自己責任で投稿するのであれば、わたくしはその内容を問わない。何を書こうが自由、その代わり自分の発言にはしっかりと責任を持つべき、という極めて常識的な話である。

さて、本題に入ろう。例の特集号第六弾に載る各種登壇記事を取り上げたい。

「裸体レリーフは小金丸幾久氏が制作」
  小金丸氏と親しかった父が証言!


男子部第五十隊の班長の記事に付けられた見出しである。不勉強のわたくしは、くだんの彫刻家がどれほどの人物なのか、まったく知らない。さらに本文中には、この登壇者の父親が第三文明展で大賞を受賞したと書かれているけれども、彼が日本画家としてどれほどの人物なのかも知らない。また、そもそも第三文明展がどれほどの権威を有するものなのかも知らない。いずれにしてもレリーフの製作者については、すでにネット上にも情報が出回っており、必ずしも顕正新聞の当該記事が最新の情報を伝えていることにはならないのではないかと思う。

その意味を踏まえると、この記事は登壇者の父親が創価学会系の芸術展で大賞を取ったことが、いわば自慢なのだろう。つまりは、今や創価学会のあらゆる階層の人たちが顕正会に移籍してきているということの、一例を示しているのだと思われる。

学会の謀略体質は不変
垂井会館御入仏式浅井先生を10人5台で尾行・盗撮
衛護隊に厳しく追及され「誓約書」!!


当該号の目玉の一つかもしれない。

まず、本文中で注目したのは次の一段だ。

 その謀略は、世間的には政治評論家・藤原弘達氏への「出版妨害」、日本共産党・宮本顕治宅「電話盗聴」、元公明党委員長・矢野絢也氏への「脅迫」等が有名であるが、これらは一過性のものである。

一過性・・・

しかし、見出しにもあるように、創価学会の謀略体質は不変であるという。その理由が改行後の次のくだりに書かれているわけだ。

 一方、学会の大謗法を責める顕正会に対する卑劣な謀略は、昭和四七年三月の「妙信講作戦」以来、今日にいたるまで、連々と続いている。

つまり、創価学会は世法仏法の両面にわたって謀略の限りを尽くしてきたが、世法上の謀略は一過性、一方の仏法上の謀略は執拗であり、ことに顕正会に対する謀略は昭和四十七年以降延々と続いていると言いたいわけなのだ。

顕正新聞には誓約書の写真が掲載されているので、今回、そのようなことがあったのは事実なのだろう。しかし、ちょっとだけ気になる点がある。

 「今回の作戦に関わったのは十名ほどで、車両は四〜五台である」

これは尾行・盗撮を行なっていた側の人間が自白したものである。それにしても数字がアバウトだ。十名ほど? 四五台?

いわゆる作戦としてはズサンである。単に会員の一部有志による自主的な活動であれば、なるほど当初の予定通りに人数ないし車両が揃わなかった、ゆえに正確な数字はわからない、ということはあるかもしれない。しかし、もしその程度の作戦だとすると、こんなのは作戦でも何でもない、作戦ゴッコである、あるいは謀略でも何でもない、謀略ゴッコに過ぎない、ということになるだろう。それを鬼の首を取ったように言っているのが返ってコッケイである。

また、当該記事の最後の文章が興味深い。

 衛護隊は最後に「今後一切、垂井会館および顕正会員に迷惑行為はするな」と厳重に注意し、解散した。

解散?

よくわからない表現である。イジワルな想像をすると、創価学会側の人たちは顕正会の衛護隊に捕まってしまい、なかなか開放してもらえなかったのではないかと思えてしまうところだ。しかし、記事に開放したと書くとイメージが悪いので、別の表現を考えた結果、それが解散に落ち着いたということなのかもしれない。

なお、誤解を与えるといけないので、もう少しだけ補足しておくと、上掲のやり取りは垂井警察署で行なわれたもののようである。ゆえに、まさか顕正会側が暴力的に彼らを拘束していたということではなさそうである。その点、よろしく斟酌されたい。

さて、創価学会員を救う特集号は半ばシリーズ化された観があるわけだが、これは同時に法華講員を救う特集号でもあるのだろう。

戒壇の大御本尊に通ずる勤行の有難さ
 法華講で不幸続き、入会して数々の功徳

「阿部日顕追放」を声を大に叫ばん


まったく、困った人たちである。

すでに見出しだけでも充分だろう。法華講員がこれを看過するわけがない。ますます顕正会破折に力を注ぐことになるはずだ。

 当時、生活の不安から、毎日、必死に阿部日顕書写の本尊に勤行申し上げ・・・

続きの文章を大幅に端折って、次にいきなり顕正会入会のくだりを紹介しよう。

・・・早速、御本尊を末寺に返納し、顕正会に入会させて頂きました。

ようは宗門で御本尊を下附してもらって勤行をしても、あるいは大石寺に御登山して御開扉を受けても、ダメだと言いたいわけなのだ。顕正会の勤行こそが、唯一、戒壇の大御本尊に通ずる勤行なのだと言いたいわけなのだ。

本当だろうか?

その割には顕正会から宗門法華講に移籍する人が後を絶たないようだが・・・

さて、あとはオマケである。同じ記事の中で次のくだりが気になった。

大石寺境内において偽戒壇・正本堂だけが異様さを放っていたことを覚えています。

話が前後して恐縮だが、これは登壇者が法華講時代を回想するくだりである。しかし、これがどこまで本当の話かはわからない。顕正会員にとって正本堂はあらゆる意味で奇怪である。ゆえに建物の形にまでイチャモンをつけるわけだ。確かに七百年からの歴史のある古刹にしては新し過ぎる。斬新と言ってもいいだろう。それが古刹としての雰囲気を破壊する意味があったのかもしれないが、しかし、それはあくまで個人の感覚の問題だと思う。法隆寺だとか東大寺だとかにしても、当時、最新の建築技術を駆使して建てられたわけであり、文化遺産としてはそれをどれだけ長く維持保存していくかが大きなテーマではあるものの、それはまったく別次元の議論である。つまり、大石寺にしても維持保存していくべきものもあれば、どんどん新陳代謝をしていくべきものもあるわけで、今、顕正会で主張している免震構造の新御宝蔵にしても、当然ながら最新の建築技術を用いて建てられるべきと考えているわけだろう。だったら意匠も同じことが言えるはずなのである。

すると、正本堂は新し過ぎた・斬新過ぎたということは事実で、古い感覚の人には違和感があったにせよ、必ずしも全員がそのように感じていたわけではないはずなのである。

さらに続きの文章が興味深い。

 そのとき、法華講員から「正本堂は創価学会が建てた物だから、大聖人様のお力で少しずつ地盤沈下しているのよ。不思議よね」と教えられ・・・

これはこれでおかしな話だろう。

おそらくは時期がポイントとなるはずだ。記事中には具体的にいつとは書かれていないけれども、登壇者が日蓮正宗に入信したのは平成九年頃だと思われるので、なるほど、ツジツマは合っているわけだ。つまり、この頃の宗門は、正本堂を壊して奉安堂を建てることを考えていたからである。

実にわかりやすい。

宗門だって、正本堂を建てる時には喜んでいたのである。その時に一人だけ異議を唱えたのが妙信講だった。ゆえに妙信講は孤立し、逆賊のごとくに扱われた。ところが宗門だって後年には創価学会と大ゲンカをして、上掲のようなことを言っているわけである。

以上、顕正会も顕正会だが、宗門も宗門である。どっちもどっちということだ。

2016/5/22

会長講演から見えてくるもの  
顕正新聞第1375号は四月度総幹部会の模様を伝えるものであるが、そこには例のごとくの副題が付いている。

学会員を救う特集号6

このシリーズはいったい何号まで続くのだろうか?

しかし、内容的には特に目新しいものはない。過去の講演の焼き直しというか繰り返しに過ぎない。

そして甚だ不謹慎な言い方で恐縮であるが、当該講演は熊本地震に助けられたという感じが否めない。この話題に全体の三分の一弱の紙数を使っており、一般の報道機関から提供を受けた地震関連の写真、すなわち地割れだとか建物の倒壊写真などが物凄くセンセーショナルであり、これが当該講演の目玉になっているような印象すらあるくらいなのだ。

事実、浅井先生は平成十六年の諫暁書に「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として…」と書いたこと、その七年後に「3・11」の超巨大地震が発生したこと、この二つを引き合いに出し、次のように言うのだ。

今、いよいよ「巨大地震連発」の時を迎えたのです。

前後するが、先生は次のようにも言っている。

震度7の巨大地震が、ほとんど同一地点で、二十八時間間隔で二度も起きたというのも前例がない。

なるほど、巨大地震連発の時代到来を主張するには、都合のよい事例である。

つまり、今回の地震は世間の耳目を集めたという意味で格好の話題であるのはもちろんのことだが、顕正会の場合は年来の主張が当たったという意味において、絶好の話題なのである。

当然、先ほども書いたように、格好の話題だとか絶好の話題などというのは甚だ不謹慎なことである。しかし、顕正会の場合は何年も前から主張し続けてきたことなので、単に興味本位であげつらっているわけではないのだと、いちおうは弁護しておきたいと思う。

早く完全免震の新御宝蔵を

今回の大地震に鑑みてのことだろう。当該講演の最後の一段がこれである。ようは大御本尊を御守り申し上げるために新しい御宝蔵を建設すべきだと言っているのだ。

 宗門にもしその資金がないのなら、顕正会ですべて御供養申し上げたいとすら、私は思っております。

しかし、これは無理な話である。資金があるかないかの話ではない。今、奉安堂にまします大御本尊を、なぜに御宝蔵に戻さなければいけないのか、まずはその説得から始めなければいけない。話はそれからである。

極端な話をすれば、赤の他人が勝手に新しい家を建てて、アナタの家は危険だから引っ越しなさい、家も引っ越し費用もぜんぶ出してあげます、などと言ったところで、誰がそれを鵜呑みにするだろうかという話なのだ。それこそ大きなお世話だろう。わたくしは陋屋に住んでいるけれども、雨露が凌げればそれでいいわけで、誰かのお金を頼りに家を新築しようなどとは絶対に思わない。ましてや奉安堂は陋屋ではない。宗門の僧俗の赤誠によって建立された立派な伽藍である。それを赤の他人がとやかく言ったところで、はい、そうですか、とはならない。残念ながら顕正会は赤の他人なのである。

順番がデタラメで恐縮だが、今回の講演でも御隠尊猊下のことを云々している。

 ゆえに私は阿部日顕の「宗門追放」を強く叫ぶのであります。

先生はいわゆる四大謗法なるものをあげつらい、阿部日顕には戒壇の大御本尊様への信が全くなかった、と結論している。それで上掲のごとく宗門追放を主張しているわけだが、その続きの文章が凄い。

必ずそうなるから見ててごらんなさい。

これは一種の予言癖なのだろうか?

先ほどの話に戻って、巨大地震の連発も同じことである。前にも繰り返し言っていることだが、地震の予知は不可能である。この先、絶対に起きることは間違いないにしても、それがいつどこで起きるかはわからないのだ。今回の地震だって、誰もわからなかった。顕正会だって、熊本で地震が起きることまでは予言していない。

ゆえに巨大地震連発の時代に突入したとは言うものの、次の大地震が今年なのか来年なのか、あるいは五年後なのか十年後なのか、さらにはどの地域で起きるかなど、絶対にわからないのである。

御生骨のことにも触れておこう。今回の講演ではたぶん初めてと思われる注目すべき発言があった。次がそうだ。

 そしてこの「光を放つ」の大現証が、もし映像に記録されて全世界の知るところとなったなら・・・

話を端折ってしまえば、世界の広宣流布は光を放つの大現証によって一気に実現する、ということだ。この説明によると、どうやら光を放つのは日本の広宣流布の時らしい。

ひじょうに考えるべき材料の多い話題である。

そもそも本当に光を放つのかどうかという問題がある。それが日本の広宣流布の時であり、世界広布は全世界の人たちがその映像を見ることによって実現するというのも、ひじょうに難しい問題である。映像を疑う人もいるだろう。今の時代、映像があること自体が画期的ではあるものの、その加工もまた可能である。他にもいろいろ考えるべきことがあると思うが、さしあたってはこれだけでもさまざまの困難が予想されるところである。繰り返し言えば、そもそも本当に光るのかがまず問題であり、さらにはそれを映像で見て素直に信じる人がどれだけいるのかが問題である。

浅井先生は政治経済を論ずる時と、仏法のことを云々する時とでは、どうも思考方法に違いがあるようだ。確かに仏法は信心の世界である。しかし同時に、仏法と申すは道理でもあるのだ。つまり、道理に反するようなことをむやみに信じてはいけない。しかし、難信難解という言葉もあるわけで、容易に信じられるようなものではないという側面があるのも事実だ。この辺の兼ね合いが実に難しい。

いずれにしても先生が論ずる政治経済と仏法との間には相当の乖離があるように思える。それがとりわけ今回の御生骨の話においては顕著のように感じられるのだった。

最後に折伏成果について書こう。

 実はこの法戦、私は一八〇万を念願しておりましたが、一八〇万を達成するには、あと二万九千四百余の弘通を成し遂げなければならない。もし力以上の目標を立てれば、みなが苦しむと思い、誓願を「二万二千」に抑えたのです。

ところが今回の二・三・四月法戦は空前の大折伏が実現した。

三万二四七名

だそうである。

確かに凄い数字だ。低く抑えたという二万二千の目標からすれば、実に驚異的な数字である。

ところがである。

そうした大折伏がなされた直後の今の時期において、現役の隊長を中心として数名の人たちが日蓮正宗に帰依したとのコメントが寄せられた。四国方面での出来事だという。事実関係については確認のしようがないものの、おそらくは事実なのだろう。そして今後もこのような流れは続くはずである。もう、こればかりはどうしようもないのだ。

2016/5/18

顕正新聞から見えてくるもの  
アキラ氏のコメントはあまりにも刺激的過ぎるので、引用するのは控えよう。氏はたぶん、目撃者なのだろう。その衝撃的事実を目の当たりにした者は、おそらく数名ないし十数名程度と思われる。箝口令とは口止めのことである。もし目撃者がもっとたくさんいるとしたら、もはや情報漏洩は避けられない。いくら口止めしようにも限界があるということだ。いずれにしてもアキラ氏は黙っていられなかった。ゆえに箝口令を破って、拙ブログにコメントを寄せられたのだろう。実に貴重な情報である。しかし、わたくしとしてはどう取り扱ってよいものか、判断がつかない状態である。

さて、話題を変えよう。

いわゆる会長本仏論について、顕正会員たちがどのように思っているのかは、ひじょうに難しい話である。

例えば目師再誕説がある。しかし、これはむしろ敵対勢力のほうでそうした印象操作を行なっているフシがあって、必ずしも顕正会の中でそうした主張が積極的になされているという事実はない。同様に会長本仏論もないと断言していいだろう。
ところがである。わたくし自身がブログの中で何度も指摘しているように、幹部会員たちの浅井先生に対する持ち上げ方は異常である。一般人には考えられないような持ち上げ方をするのだ。
すると、結局はそれが敵対勢力に批判のキッカケを与えていることになるわけだ。俗に言うところの、火のないところに煙は立たない、である。

もっとも、これはお互いさまの話かもしれない。

そもそも会長本仏論は池田大作氏に対する批判だった。また、法主本仏論と呼ばれるものがある。これらは宗門と創価学会との争いであって、宗門側が池田本仏論を言えば、それに対抗する形で法主本仏論だとか顕本仏迹論みたいなことが言われたりもするわけである。結局、顕正会に対する批判もこれらと同類項なのだろう。まさにお互いさまである。

たまたま顕正新聞第1374号に池田本仏論の証言(?)が出ているので、ここで紹介しておこう。

 「池田先生は悪くない。池田先生は大聖人様だ」

女子部第百二十一区支区長補による活動報告である。聖教新聞を配達している七十代の壮年を折伏した時の話らしい。はたしてこれが本当かどうか、わたくしにはわからない。ただ言えることは、さすがに顕正会内で「浅井先生は悪くない。浅井先生は大聖人様だ」などと発言しているのは聞いたことがないし、目師の再誕だなどという発言も聞かない。同様の意味で、創価学会の中でもそこまで露骨に会長本仏論が流布されているとは考え難いところであるが、実際はどうなのだろうか?

同記事には、創価学会歴五十年の叔母が聖教新聞の配達中に交通事故で急死したと書かれている。そしてもう一人の支区長補の記事もまた過激であって、創価学会員を刺激して余りある話が二つほど載せられている。

顕正会を誹謗した近所の学会員が、交通事故で死亡した・・・

社長の姉が、別の従業員を学会の会館へ連れて行き、入信勤行を終えて帰宅する途中、交通事故に遭い、亡くなってしまった・・・


前後の文章を省いているので事情がわかり難くて恐縮であるが、いずれも顕正会側の論理で行くと、罰の現証ということになる。

しかし、次に紹介する男子部第百三隊班長の記事などは、いわゆるブーメランみたいなものだろう。

 また、学会時代に「折伏」と称して行っていたものは、強引に知人を会館に連れてきて幹部に会わせ入信を迫るというものであり・・・

自分たちだって似たり寄ったりのことをしているとは思わないのだろうか?

ここまでは創価学会に対する悪印象の話題だったが、当然ながら宗門に対する同様の話題も載っている。同じ号ではまず副総男子部長の記事が注目だろう。

 日興上人の御遷化の御正当たる二月七日、帝国ホテルで酔った挙句に・・・

例の河辺メモの話題である。御隠尊猊下に対する批判という意味においては、創価学会と顕正会はいわば同一歩調を取っている。そもそも当該メモがどのような経緯で流出したものかわたくしは詳しく知らないが、おそらくは創価学会側の組織力によるところが大きいのだろう。組織力を情報収集力と言い換えてもよい。恥ずかしながら顕正会にそこまでの力はない。ゆえに顕正会は創価学会の尻馬に乗っかっているに過ぎないのだ。

それにしてもである。

酔った挙句?

これが何を根拠に言っているのかが気になるところである。メモそのものにそのような記述があるのか、あるいは創価学会側の何かしらの資料にそのように書かれているのか、それとも副総男子部長の勝手な想像によるのか、気になるところである。

もし勝手な想像だとすれば、こうして話に尾ひれがついていくという見本のようなものだろう。そして、やがてはどこまでが本当でどこまでがウソなのか、その見極めがつかなくなってしまう。

・・・濁乱の宗門の中に、富士大石寺の源流に立ち還った仏弟子の大集団を築かれました。

女子部第三十一区長はご覧のように言うけれども、客観的には宗門の中ではなく外である。ようは善きにつけ悪しきにつけ自分たちに都合のいいように話を組み立てているだけなのだろう。この場合、自分たちが宗門の外にいることを客観視せず、本尊の複製疑惑などさまざまの問題を抱えていることにも目を背け、自分たちの正義ばかりを主張しているのだ。

次の婦人部坂戸支区班長の記事も困ったものである。

 入会後は一切の謗法を処分し、細井日達書写の御本尊も返納しました。

実にイヤラシイ。謗法の処分と御本尊の返納が並列的に書かれている。これでは日達上人の御本尊を謗法だと誤解する人が出てくるかもしれない。まったくヒドイ話である。

最後に同じ記事から、ひじょうに興味深い一節を紹介しておこう。

 また常々「これだけ宗教があるのに広宣流布するなんて信じられない」と言っていた母の口から
 「浅井先生なら成されるかもしれない」との言葉を聞いた時には大へん驚きました。


前半部分は客観的な思考に基づく発言である。そして改行後は顕正会にハマった人の思考である。

顕正会経験者ならば頷くはずであるが、確かに浅井先生にはそうした錯覚(?)を覚えさせる何かがある。それが単に話術ないし弁舌のうまさによるものなのか、あるいは他の要素によるものなのか、また、その場合、他の要素とは具体的にはどのようなものなのか、といったことどもを一口で説明するのはひじょうに困難である。おそらくは会長本仏論の問題なども密接に関連することであって、これだけで一冊の本が書けてしまうくらいの深さを持っている話なのだろう。

2016/5/16

定点観測によって見えてくるもの  
沖浦氏にはそれなりの考えがあって投稿しているのだろうけれども、次のような文章の中に本質的問題があらわれているのだと思う。

宗門が創価学会の儀典部となり・・・

本来ならば宗門が上位概念のはずである。それがどうしたことか、いつの間にか立場が逆転している。上掲の言い様では、宗門は創価学会傘下の組織と見なされてしまうだろう。その傲岸さがすべての元凶である。そりゃそうだろう。自分が相手の立場だったらどう思うか、それを考えればよくわかることだ。しかし、傲岸な人間はそこになかなか気がつかない。困ったものである。

公正証書を組んで、確定日付で保全すれば・・・

これはマイケル氏のコメントであるが、ずいぶん専門的なことをおっしゃるものである。わたくしにはさっぱりわからないので、可能ならばもう少し噛み砕いて説明していただきたいものである。

さて、勝氏からは顕正新聞とビデオ放映の差異について貴重な証言をたまわった。

結論としては、そっくりそのままではなかった、ということのようだ。問題はそれが許容範囲なのか、それとも度を越したいわば改竄なのかであるが、氏はそれほど目くじらを立てるような問題ではないと考えているようである。

これについて、わたくしが現時点で言えることはあまりない。

ビデオを自ら視聴したわけではないので、何とも言えないということだ。せめてそのテープ起こしのようなものがあれば話は別だが、そうした材料もないので、今の段階では是とも非とも言うべきではないだろう。引き続き、詳細な情報をたまわれればと思う。

それにしても、随分と細かい部分にお気づきになったものだ。

これはお互いさまであって、わたくしはわたくしで勝氏の視点・着眼点を大いに参考にさせてもらっているのだ。戒壇論その他、勝氏から学ぶことは少なくない。単に教科書をなぞるだけの教学ではなく、自分なりの見解を持っている人はすでにしてそれだけで魅力的である。

そうそう、少し話が飛躍するけれども、瑠璃堂氏が新しいブログを立ち上げた。

顕正会ノスタルジア

どうやらコンセプトは、過去の顕正新聞を検証するというか、懐かしむものらしい。まだ始まったばかりだが、今は昭和六十三年を振り返っている。

成人式 先生の慈愛に歓喜と決意

溌剌、三百余名の新成人集う


実はこういうところにもわたくしは目を光らせていて、ああ、今と違うなあ、今ならちょっと違う見出しになるはずだ、というふうに思ったりもするのである。具体的に指摘しよう。

慈愛→ご慈愛

実に細かい。しかし、さもありなん、であろう。

いつだったか、それこそ二十年以上経つはずだが、顕正新聞紙上で新春座談会という企画が行なわれたことがあった。浅井先生を中心にして、当時の錚々たる大幹部たちが語り合うのだ。しかし、語り合うというのは不正確であって、浅井先生と対等に語り合えるような人は当時においてすら存在しなかった。ゆえにその座談会の見出しというか副題には「浅井先生に聞く」と書かれていた。

話はこれからである。

実はこの新春座談会は翌年にも行なわれたのである。確かに面白かったというか、常の登壇記事とは違った趣きがあって、読者を惹き付ける意味で優れた企画だったと思う。そこでわたくしが注目したのは前年との差異である。具体的には次のごとくだ。

浅井先生に聞く→浅井先生にお聞きする

今は資料なしに記憶だけで書いているわけだが、ほぼ間違いないだろう。

拙ブログが指摘し続けてきたことの一つが会長の神格化である。いわゆる会長本仏論である。これを幹部会員たちの発言の端々から嗅ぎ取って、いくら何でも持ち上げ過ぎなんじゃないのか、ということを指摘してきたわけである。
わたくしがなぜにそこに注目したのか、あるいは注目することが出来たのかは、まさに肌感覚の問題である。ようするに最初の頃はこんな感じじゃなかったということを、肌で感じていたのである。
しかし、そうした感覚的なものは論証することが難しい。ゆえに、考え過ぎであるとか、オマエの感覚がおかしいだけだとか、そう言われてしまえばオシマイである。それをどうやって覆していくかが難しいのだ。

今回は図らずも瑠璃堂氏のお陰で、論証もしくは論証に近いことが出来たと思う。今なら十中八九が「先生のご慈愛」と書くであろうところを、当時は「先生の慈愛」と書いていた。わずかな違いではあるものの、実はこれがとてつもなく大きいことなのだ。

まあ、今日はこんなところで終わりにしておこう。

2016/5/15

顕正新聞愛読者の叫び  
昨日は法華講員に嫌われるのを覚悟の上で書かせてもらった。さて、今後どうなることやら、それが心配だ。

勝氏のコメントには驚いた。危うく騙されるところだったと。

しかし、勝氏がそんなことを言っているようでは、顕正会もオシマイである。なぜならば、勝氏すらかくのごとし、いわんやそれ以下をや、だからである。

もちろん、ここでの「以下」はわたくしの主観であって、あるいはもっと優れた論者がたくさん控えているのかもしれないが、しかし、インターネットの世界に限って言えば、顕正会側の論者は皆無に等しいわけであり、今後、勝氏以上の論者が登場することはほとんど期待できない。また、厳密に言えば、勝氏は顕正会側の人間ではあるものの、正統派の活動会員ではない。つまり、顕正会側の正統派の論者は存在しない。ようは、層が薄い、それが顕正会の実態である。

さて、沖浦氏であるが、何やら戒壇論について云々している。どうも最初の投稿と時間を置いてからの投稿では論旨が一貫していないようである。すなわち最初の投稿はそもそも論であり、後の投稿は正本堂建立前の宗門の状況を当時の文献を用いて論じている。わたくしはこういうのを支離滅裂だと思うわけだが、まあ、沖浦氏に限ってはいつものことである。

 所詮は本門戒壇の大御本尊が出世の本懐であって、三大秘法の当体であると言う大前提あっての論議です。

(中略)

 ですので、日蓮正宗では事とか義とかの戒壇を論じることが意味を成しません。

(中略)

 ですので、私共から見ると、戒壇論は滑稽でしかございません。

そもそも論のほうだ。

確かにおっしゃる通りだろう。いわゆる内部規定の話だ。しかし、沖浦氏はこの投稿の半日後に正本堂のことをあれやこれやと論ずるのである。どうせなら順番を逆にするべきだろう。戒壇論は滑稽と書いておきながら、戒壇論に首を突っ込むのはまったくおかしな話だ。

ただし、本門の戒壇はいわゆる三大秘法の一角を成すものだから、これを論ずることを滑稽とするのは大聖人にイチャモンをつけているようなものだろう。ゆえに正本堂問題とは別に、創価学会は創価学会の立場で今後も戒壇論に取り組まなければいけないはずである。しかし、そうすると今度はアフリカに戒壇を建てるべしなどという珍説(?)が登場してくる。いわば沖浦氏との議論はこの繰り返しなのである。

ところで、見過ごしていたコメントがある。

2016/5/13 16:19
投稿者:魅楽流
尊師が天王の前で奉読し、そのまま持ち帰ってきたんじゃないです?


日目上人の申状についてである。ようするに先方に渡してしまえば手元に残らない。すると、くだんの申状は原本なのか控えなのか、という疑問が生じる。これについて答えて下さっているわけである。

この問題は当時の手続き的なものがどうであったかを詳しく調べる必要があるだろう。天皇の前での奉読というのも、あるいは天皇に直接まみえることが可能だったかどうかが問題となるわけで、取り次ぎの人を介して間接的に伝えられたかもしれないのだ。つまり、想像ではさまざまの可能性を描けるものの、その確証を得ることがベラボウに難しいわけである。

この点を踏まえつつ、今後もご教示をたまわれれば幸甚である。

さて、話は変わる。実は先日来の宿題が残っているのだ。垂井講演について、もう一点だけ取り上げたい。わたくしがもっとも注目したのは次のくだりである。

 どうです。いま異常気象と大地震がいよいよ盛んでしょ。「3・11」の巨大地震は観測史上の最大ですよ。これで日本列島は「大地動乱」の時代に入ったのです。今後、首都圏大地震・南海トラフ、そして内陸部の活断層による大地震が連発する。日本列島で安全な所はどこにもない。

まず、お断りしておこう。上掲は浅井先生の常の主張であって、さしたる不審はない。

しかし、委細に見れば、大いに不審なのだ。

いま異常気象と大地震がいよいよ盛んでしょ。

そして内陸部の活断層による大地震が連発する。


講演は四月三日である。この時、本当に上掲のような発言があったのかどうか、大いに気になるところである。

察しのいい人ならば話は見えただろう。

事情を知らない人のためにもう少し説明すると、講演は四月三日、熊本大地震は四月十四日、そして顕正新聞当該号は四月二十五日号なのである。

また、これは漠然とした印象で恐縮であるが、浅井先生は首都圏直下と南海トラフの巨大地震については繰り返し言及してきたものの、内陸部の活断層による大地震についてはほとんど言及していないのだ。

ゆえに、もし垂井講演で上掲のような発言があったとすれば、これはめずらしく浅井先生の予言(?)が当たったことになるのだ。

では、もし上掲の発言がなかったとすればどうなるか、である。

以前から言っていることだが、わたくしは新聞掲載時の加筆修正を是とする立場である。しかし、今回の場合はダメだろう。一種の後出しジャンケンであり、いかにも姑息である。そこに本部首脳が気がつかないとすれば、これはもう頭破七分だ。

さて、真相はどうか?

今月は垂井講演のビデオ放映が行なわれているそうなので、どなたかが証言を寄せてくれるかもしれない。


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